双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第六章 破滅

4<承前>
「半田さん、どうして──」
 直子は恐る恐る問いかけた。龍樹の眼差しが、自分の知っている彼とは信じられないほどに冷たかったからである。
 けれど、気を失ったはずの太一が小さく呻き、それに驚いて視線を下に向けたあいだに、龍樹の目には生気が戻っていた。迷うように天井を見あげ、ふうと息を吐く。
「……以前」
「え?」
「前に、琴平さんが『彩』へ来てくださったとき、私に何かを伝えようとしていたことがありましたよね」
 ここへ侵入し、あかりのデータを消去するために、龍樹の協力を得ようとしたときのことだ。結局、事が事だけに言い出せないまま、「彩」をあとにしたのである。
「あのとき、琴平さんは思い詰めた様子でした。それに、バッグをやけに気にしていたので、出過ぎた真似だとわかりつつ、席を離れたときに中を見せていただきました。それで、あのメモを見つけたんです」
 それは太一に関することや、このマンションや部屋の暗証番号などを記したものである。直子は途中でお手洗いに立ったが、そのときに見られていたようだ。
「じゃあ、それでわたしが、ここにいるとわかったんですか?」
「というより、私も琴平さんと同じ目的で、こいつを探っていたんです」
「え、どういうことなんですか?」
「野島──彩華を殺した男が、私宛の手紙を残していたんです」
 龍樹が打ち明ける。野島恭介が刑務所で、少女へのわいせつ致傷で有罪となった受刑者から、児童ポルノに関する情報を得たことを。その内容を知らせる手紙を、龍樹宛にしたためていたそうだ。
「残念ながら、彼はああいうことになったため、手紙は投函されなかったんです。遺品の中にあったのを、あとになって遺族の方が見つけて、私へ送ってくださいました」
「そうだったんですか……」
「彼が刑務所で見聞きした話を、私は面会に行ったときにたびたび聞かされました。なのに、わざわざ手紙に書いたのは、早く知らせたかったんでしょう。少女たちが傷つくことは許せないと、彼なりに義憤ぎふんにかられたのかもしれません」
 龍樹がやり切れなさそうにため息をこぼす。恨む相手に芽生えた良心にどう対処すればいいのか、決めかねているふうであった。厳罰を望まずとも、野島を完全に信用するには至っていなかったのだろう。愛娘を殺した相手を、そう簡単に許せるものではあるまい。
「まあ、私に反省とつぐないの気持ちを示すための、ポーズだったのかもしれません。犯罪の情報を得たのなら、刑務官なりに伝えればいいわけですから」
 野島への侮蔑ぶべつにじませた彼に、
「いえ、そんなことはないと思います」
 直子は即座に反論した。
「そのひとは、彩華ちゃんの命を奪ったことを、心から悔いていたんですよ。だからこそ、半田さんにどうにかしてほしいと、思いを託したんだと思います」
 龍樹が考え込み、無言でうなずく。
「ええ……そうであることを望みます」
 野島の手紙には、曖昧あいまいなことしか書かれていなかったそうだ。くだんの受刑者も本人が所持していたわけではなく、好事家の知り合いから見せてもらったということだった。
「そのため、とても調べようがなかったんですが、集会である方から相談されたんです。両親を暴走車の事故で亡くした女の子を引き取ったお祖母ばあちゃんで、孫が怪しい男から声をかけられ、お金と引き換えに写真を撮らせたというんです。べつに裸を撮らせたわけではなかったけれど、次はもっとお金をあげるからと言われたそうです。その子はさすがに怖くなって、お祖母ちゃんに相談したんです」
「じゃあ、その写真を撮ったのは──」
 直子は床に横たわる太一を見おろした。
「こいつです。その話を聞いて、もしかしたら野島の手紙にあった児童ポルノの件と関係しているのではないかと推察して、調べを進めていたんです」
 やはり龍樹に相談するべきだったのだと、直子は悔やんだ。同じ相手を追っていたのであり、こんな危ない橋を渡らずとも済んだのに。
「集会で他の出席者にも話を聞いたところ、同じように娘や孫がモデルにならないかと声をかけられた方が、何人かいました。こいつは街で少女たちをスカウトするばかりでなく、犯罪被害者の遺族もターゲットにしていたんです。お金に困っているとわかっていたんでしょう。それに、報道やネット記事で被害者の家族が取り上げられれば、商品になる少女がいるかいないかもわかりますからね。こいつにとって事件や事故は、金づるを得るためのチャンスでしかなかったんです」
 あかりだけではなかったとわかり、直子はますます怒りを覚えた。許せないと思ったものの、これからどうすればいいのだろう。
「あの……警察を呼びますか?」
 訊ねると、龍樹がじっと見つめてくる。
「さっき、この男から脅されていたようですけど、何を言われたんですか?」
 問いかけに、直子は肩をビクッと震わせた。
「……通報しても無駄だと言われました。顧客が大物揃いだから、どうせもみ消されるし、自分は罪に問われることはないって」
 そう告げるなり、龍樹がパソコンの前に進む。画面には、開きっぱなしの顧客名簿が表示されていた。
 並んだ名前を目にしても、彼が顔色を変えることはなかった。おおよその見当はついていたのだろうか。
「たしかに、この場に警察を呼んでも、立件は難しいでしょうね」
 パソコンの画面を見つめたまま、龍樹が言う。直子は力なく肩を落とした。
「やっぱり、もみ消されてしまいますか?」
「それ以前の問題として、私たちは違法な侵入者ですから」
「え?」
「正規の捜査でここが発見されたのならともかく、どこの誰ともわからない人間が押し入って、こいつを拘束したんです。この名簿も、少女たちの画像や動画にも、証拠能力はありません。侵入者に仕込まれたとこの男が証言すれば、我々には反論する手立てがないんです」
 警察を呼ぶのなら、自分たちはここから逃げなければならないと、直子は思っていた。少女たちを救うためだったとは言え、明らかに不法侵入なのだから。また、身分を晒してまで告発する勇気もなかった。
 龍樹が言ったとおり、立場としてはこちらが不利である。後先を考えずに行動したことで、敵に付け入る隙を与えてしまったようなものだ。
 浅はかだったと、直子は後悔した。少女たちのデータを消すことならできるが、こいつは野放しのままである。本人が言ったとおり、今後も被害者は増えるであろう。しかも、こういうことがあった後だ。より巧妙に、注意深くなるに違いない。
「すみません。わたしが先走ったせいで……」
 俯いて謝罪するなり、涙が溢れる。自分のせいで犯罪者を取り逃がす羽目に陥ったのだ。悔やんでも悔やみきれない。
「いいえ。琴平さんが謝る必要はありません。あのメモのおかげで、私もここへ入ることができたわけですし、証拠も押さえられたんですから」
「いくら証拠があっても、無意味じゃないですか。結局は無かったことにされるんですから」
「そんなことはありません」
 きっぱりと言われ、直子は顔をあげた。涙で歪む龍樹の顔には、自信が溢れていた。
「それじゃあ、どうなさるんですか?」
「あとは私に任せて、琴平さんはここを出てください。少女たちのデータは全部消しますし、この男にも罪を償ってもらいます」
「だけど、こいつは言ってました。データの複製が購入者のところにあるから、いくらでも流出させられるって」
「まずあり得ませんね。これまでこいつが製造した児童ポルノは、外部に一切出回っていません。そうならないよう、きっちり対策をしているはずです。おそらく、クラウド保存もしていないでしょう。そちらも決して安全ではないですから。つまり、ここにあるデータを消滅させればいいわけです。それから、客のところにあるものも流出しませんよ。そんなことをしたら、そいつが罪に問われるんですから」
「でも、データを消したら、児童ポルノを製造していた証拠もなくなります」
「それも大丈夫です。データとして残らないように、証拠もちゃんと取って置きます。もちろん、こいつだけでなく、購入者たちも野放しにしません」
 力強く告げられることで、不安がすっと消える。このひとに任せれば間違いはないのだと、直子は心から信じられた。
「わかりました。お任せします」
 安堵して頭を下げると、龍樹がこちらに戻ってきた。
「それで、琴平さんにお願いしたいことがあるんですが」
「はい。わたしにできることでしたら、何でも」
「ありがとうございます。実は、『彩』のことなんです」
 彼の顔つきが、決意を秘めたものに変わる。要はそれだけの覚悟をしているのだ。
 龍樹は犯罪を立証するだけではなく、それによって自らを犠牲にしようとしているのではないか。予感以上の確信が胸に迫り、直子は落ち着かなくなった。
「半田さん、あの──」
 口を開きかけただけで、こちらの心配を察したらしい。彼が首を小さく横に振った。
「私を信じてください。すべて丸くおさめますから」
 そうは言われても、龍樹が破滅への道を突き進んでいくように思えてしょうがない。直子はまた泣きそうになった。
 太一が目を開けると、男の顔があった。さっき押し入ってきたやつだ。
「お、お前──」
 それ以上、言葉が出てこない。凍りつくほど冷たい視線に射すくめられたためもあった。
「全部話してもらうぞ」
 男の手には光るもの──ナイフがあった。さっき、女のほうが手にしていたやつだ。
(やっぱりグルだったんだな)
 だが、薄暗い室内を見回しても、女の姿はない。あとはこいつに任せて、先に帰ったとでもいうのか。
「くそ、こいつ」
 男に摑みかかろうとしても動けない。自分が椅子に坐らされていることに、太一はようやく気づいた。後ろ手に拘束され、胴体も脚も縛りつけられている。
 男の横には、三脚に据え付けられたビデオカメラがあった。太一が少女たちを撮影するのに使っていたものだ。赤いランプが点灯しているから、この状況を撮影しているのである。
「暴れても無駄だ。さっさと話せ」
「話すって、な、何をだよ?」
「お前がしてきた悪事、すべてだ」
「ふん、そんな脅しに──」
 言い返す間も与えられず、男が手にしたナイフを振り下ろす。
「ぎゃっ!」
 太一は怪鳥じみた悲鳴をあげた。太腿に激痛が走ったのだ。
 見ると、ナイフの刃が三センチほども肉の中に入り込み、ズボンに血が滲んでいる。それは徐々に広がりつつあった。
「き、貴様──」
 痛みばかりか、その部分がジンジンと熱くなる。涙がこぼれ、頬を伝うのがわかった。
「ただの脅しじゃないってわかっただろう。このナイフをもっと深く押し込めば、大腿だいたい動脈が切断され、お前は出血多量で死ぬ」
 殺しなどいとわない顔つきに、太一は震えあがった。こいつはこれまでに何人もの命を奪っているに違いない。
 そのとき、太一の視界に、バラバラになったパソコンが映った。バックアップ用のハードディスクも見える。この部屋にあったすべての記憶媒体のデータを、物理的にも消去したようだ。
「お、お前、何をしやがった」
「違法なものをこの世から消したまでだ。大したことじゃない」
「顧客名簿もか?」
 男は答えなかった。どうやら名簿は別に保存したらしい。
 しかし、証拠がすべてなくなった今、そんな名簿は何の意味も為さない。
「なるほど、データを消したから、おれの証言に頼ろうってわけか」
 太一は精一杯強がり、痛みを堪えて笑みを浮かべた。もっとも、痛覚つうかくが麻痺したのか、刺されたところは熱さがいちじるしいものの、痛みは薄らぎつつあった。
「あいにくだが、おれは何も喋らねえぞ。殺すんなら、さっさと殺せ──うぎゃッ!」
 男が握ったナイフのつかを小さく揺らす。それだけで激しい痛みがぶり返し、太一は「ああ、ああ」と泣き声をあげた。
「情けないやつだ。少女たちの前では尊大に振る舞ってきたのだろうが、所詮お前は弱い者にしか強く出られない、根っからの臆病者なんだよ」
 侮蔑の言葉に怒りがこみ上げる。また痛みを与えられるとわかっていても、太一は言い返さずにいられなかった。
「臆病者だと? おれはただ、ビジネスとして女の子たちを雇っていただけだ。彼女たちは金が欲しいから自主的に脱いでいたんであって、おれは無理強いなんかしちゃいない。おれだけをいたぶるのは、お、お門違かどちがいだろうが。金のために何でもする少女たちと、そういうガキに育てた親こそ責められるべきだ」
 これに、男はやれやれというふうにかぶりを振った。
「そういう愚かな主張は聞き飽きたよ」
「何だと?」
「お前だけじゃなく、同じことを言うやつは大勢いる。少女たちが売春をしても、買ったやつだけが罪に問われて、売ったほうはおとがめなしだ。少女たちも公平に罰を受けるべきだってな」
「ああ。そのとおりじゃねえか」
 男の目つきが鋭くなる。またナイフを動かされるのかと、太一は失禁しそうなほど怯えた。
「だがな、真っ当な大人だったら、道を踏み外そうとする子供たちを救おうとするんだ。未成熟な肢体したいに惑わされることはない。そんなことはするべきじゃないと在るべき道を説くのが、大人としての正しい在り方じゃないのか?」
「な、何だそりゃ」
「そんなことすらできず、少女たちを責めるのは、精神的に大人になれていない証拠だ。それこそガキってことさ」
 男が言い放ち、ナイフの柄から手を離す。安堵したことで力が抜け、尻の下に温かなものが広がった。気ばかりか膀胱ぼうこうまで緩み、尿が漏れたのだ。
「やっぱりガキだな」
 匂いで悟ったのか、男が眉をひそめる。立ちあがり、カメラの後ろに移動した。
 太一は屈辱にまみれ、からだを震わせた。いい年をして漏らしたのが情けなく、どうにでもなれという心持ちになる。
 だが、その前に確認すべきことがあった。
「おれが喋ったら、どうするんだ? おれを殺すのか?」
 問いかけの声が震える。死への恐怖が現実味を帯びてきた。
「死にたいのか?」
 男が訊ねる。太一は首を横に振った。
「死にたくない。助けてくれ」
 哀願すると、静かな声が命じる。
「だったら、すべて話すんだ。自分の名前と経歴と、それから、少女たちをどんな手口で誘い、何をさせたのかを。あとは、どんなふうに商売をしたのかもな」
「わ、わかった」
「正直にすべて話せば、おれはお前を殺さない。約束する」
 信じるに値する約束なのか、確証はない。けれど、今の太一は、それにすがるしかなかった。
「ほら、話せ」
 うながされ、観念して口を開く。話しだすと止まらなくなり、告白は数十分も続いた。

 翌日、ネットのあらゆる動画サイトに、一本の告発ビデオがアップロードされた。
『私は半田龍樹です。六──七年前に、娘の彩華を殺されました』
 カメラに向かって顔を晒し、娘の命をわいせつ目的で奪われた無念さを述べる。我が子と同じように被害に遭う少女や、悲しむ親が現れることを望まないとも訴えた。
 そこまでは、ただの前置きに過ぎなかった。
『私は、児童ポルノを製造している拠点があるとの情報を得て、個人的に調べていました。警察に頼らなかったのは、情報が不確かだったためと、もみ消されることを恐れたからです。これについては、あとでおわかりいただけるでしょう。そして、その拠点と首謀者を捜しだし、犯罪の証拠も発見しました』
 カメラが切り替わり、パソコンの画面を捉える。少女たちのあられもない姿や、醜いからだつきの男に組み伏せられる場面が次々と映し出された。ただし、少女たちの顔や、ポルノと判断されるからだの一部は動画上でモザイク処理をされ、わからないようになっていた。
 続いて、画面に表示されたのは名簿であった。誰もが知っている各界著名人の氏名が、そこに並んでいた。
『これが顧客名簿です。これについては、ネットのファイル共有サイトにアップロードします。どうぞ御覧になり、拡散させてください』
 カットが切り替わると、バラバラになったパソコン本体が映された。
『ここにあったデータはすべて消滅しました。これ以上、世の中に出回ることはありません』
 カメラが向きを変え、龍樹がるものに語りかける。
『被害に遭った少女たちに伝えます。あなたたちが晒し者になる心配はありません。これからは、二度とこういう汚い罠に引っかからないよう、自分を大切にしてください』
 優しい面差おもざしが、不意に強ばる。
『それから、児童ポルノを購入した者たち。手元にあるものを即刻処分しろ。そんなものを持っていたらどうなるのか、お前が誰よりもわかっているはずだ』
 口調は冷静そのものだったが、表情に怒りが溢れていた。
(第25回へつづく)

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小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

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