双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第五章 暗躍

4〈承前〉
(こいつ、おれのことをどこまで知ってるんだ?)
 自分の部屋へ連れてこられ、残されたメモや証拠品を見られたことで、これまでしてきたことがすべてバレてしまったのか。
(いや、そもそもここがおれの部屋だって、どうしてわかったんだろう)
 襲撃されることも、最初からわかっていたようだった。かなりのところまで、事前に調べられていたらしい。だから罠にかかってしまったのだ。
 それだけの調査能力があっても、警察の人間でないことは明らかだ。だったら、こんな監禁するような真似などしないで逮捕すればいいのだし、通報するぞなんて脅さないはずだ。
(待てよ。おとり捜査っていうのは、日本だと違法になるんだっけ?)
 正規の捜査方法ではないため、得られた証拠も裁判では使えないと、ばちな行動に出たのか。だとしたら、逮捕される以上にまずい状況であると言える。動けないよう拘束こうそくされているのであり、個人的に制裁を加えるつもりかもしれないのだ。
「お前、警官じゃないのか?」
 念のため質問すると、「違う」と答える。では、いったい何者なのか。
(自警団気取りの馬鹿か。あるいは、おれが襲った獲物えものの身内か)
 もしも後者だとしたら、こんなことをする理由は容易に想像がつく。復讐するつもりなのだ。
「お、おれをどうするつもりなんだ」
 声を震わせて訊ねると、冷徹な声が返ってきた。
「その前に、お前がしてきたことを確認させてもらう。ケチな通り魔であるお前が、これまでどこで誰を襲ったのか。おれが調べたことに間違いがないか、しっかり聞いていろ」
 男は、則夫が襲撃した場所と標的の素性すじようを、淡々と述べた。しかも、襲った順番どおりに、過不足なく。
 感心したのは、世間では自分がしたように思われている事件を、男が口にしなかったことだ。それだけきっちりと調べ上げているわけである。
「ああ、間違いないよ」
 誤魔化すのは無理そうだと、観念して認める。
「ていうか、そこまでわかっていたのなら、どうして警察に届けなかったんだよ」
「……お前、捕まったらやめたのか?」
「え?」
「逮捕され、裁判にかけられ、服役ふくえきしたら、反省して二度と通り魔なんかやらないと誓えるのか?」
 則夫が即答できなかったのは、やらずにいられる自信がなかったからだ。と言うより、誰かを殺したい気持ちは、拘束された今も消えていなかった。もしもいましめが解けたら、この男を徹底的に痛めつけ、死にゆくところを見てやるのにと焦れったくなるぐらいに。
 もちろん、そんなことを口にしようものなら、何をされるかわからない。ここは嘘でも取り繕い、もうしませんと詫びるべきなのだろう。
 しかし、それはプライドが許さなかった。
(おれは人間が死ぬところを見て、死がどういうものか悟ったんだ。こんな正義漢ぶっただけのやつに、やり込められてたまるものか)
 則夫が黙っていると、男は「もうけっこうです」と、返答をうながさなかった。はなっから聞くつもりなどなかったようだ。けれど、
(え、けっこうですだと?)
 口調が変わったことに戸惑っていると、予想もしなかったことを男が告げた。
「ここまでの数々のご無礼、どうかお許しください。実は、こんなことをしたのは、どうしてもあなたとお近づきになる必要があったからなんです」
「なんだよ、お近づきって」
「私が知りたいのは、あなたがどうしてこんなことを始めたのかということなんです。それを話していただけませんか」
 ひとが変わったみたいな、丁寧な言葉遣い。これまでは無理をして凄んでいたのではないかと思えたのは、今のほうが男の素のように感じられたからだ。
(こいつ、実は度胸がないやからなのかもしれないぞ)
 もしかしたら、この男も人を殺すことに憧れており、そのための方法や心構えについて、教えを授けられたいのではないか。
(有名な犯罪者には、信奉者とか模倣犯もほうはんがつきものだからな)
 それは海外のクライムドラマの受け売りであった。所詮は作り物であるが、安っぽい国産のドラマとは違い、内容も演技もリアルである。実際の犯罪に即しているとのことだったから、好んで視聴していたのだ。
 それはともかく、彼はこれまで警察に捕まることなく犯行を重ねてきた則夫を尊敬し、一緒にやりたいと望んでいるのではないか。無茶な手段で接近してきたのも、それだけ意欲があることを示すためだとか。
(年は食ってるし、おれほど動けるかどうかわからないけど、助手にしてやるぐらいならいいかな)
 都合よく解釈することで、則夫の恐怖心はすっかり薄らいだ。むしろ、自分の経験を仔細しさいに話し、優位に立ちたくなったのである。
「そんなに知りたいのなら、教えてやるよ」
 則夫は勿体もつたいぶって咳払せきばらいをすると、中学時代の思い出を語った。初めて、そして、唯一目撃した死の瞬間と、あれによって神の領域に到達したことを。
 話すことで気分が高揚してくる。あの女性の死に顔をまざまざと思い出して、則夫は勃起した。たかぶりが、ますます彼を饒舌じようぜつにさせる。
「あれで生と死を見極めたおれは、神になれたんだ。だからこそ、自らの手で死を生み出す資格があるってわけさ。おれだけは、誰の命を奪っても許されるんだよ」
 もともとは就職に失敗し、自信を取り戻すために死を目にして、再び全能感を得ようとしたのである。だが、則夫はそんなことを都合よく忘れていた。今や手段が目的になっており、とにかく誰かを殺さなければ気が済まなくなっていた。
 ただ、殺すことによって最高の存在となり、すべてを見下したいという意識に変わりはない。
 夢中になって話したために、のどが渇く。「おい、水」と、則夫は男に命じた。
 ところが、反応がない。
(え、どこかに行ったのか?)
 則夫は暗闇に目を凝らした。何も見えなかったが、ひとが動く気配はなかった。
「おい、水だよ。水をくれ」
 もう一度、苛立いらだちをあらわに告げると、
「必要ない」
 りんとした声が響き、則夫は身をこわばらせた。
(なんだ、また態度が変わりやがったぞ)
 情緒不安定なのかとまゆをひそめたとき、いきなり部屋の灯りが点いた。
「う──」
 それほど明るくない蛍光灯も、闇に慣れた目にはまぶしい。床に転がされ、天井を向いていたから尚さらである。則夫は顔をしかめ、まぶたを閉じた。
 その直前、こちらを見おろすようにたたずむ男の姿が視界に入った。服装も顔立ちも、殺してやると機会を窺っていた、あの酔っ払いに間違いなかった。
 目を慣らしながら、少しずつ瞼を開く。次第に輪郭りんかくがはっきりしてきた男は、物陰から窺ったときとは印象が異なっていた。
 まず、中年太りのみっともない体型が改善され、ふくれていた胴回りがすっきりしていた。どうやら防御するための何かを、腹に巻いていたらしい。だから包丁が突き通せなかったのだ。
 だが、その程度は些末さまつな事柄に過ぎない。何より違っているのは顔つきだ。酒浸りのだらしなかった面容が、別人のごとく精悍せいかんなものになっていた。
 それでいて、眼差しは氷のごとく冷たい。気を失う直前に目撃したのと一緒だ。
「ひ、必要ないとはどういう意味だ」
「無駄になるからさ」
 男が脇に膝をつく。真上から覗き込まれ、再び恐怖がこみ上げた。
「お前が単純な人間だってことは、よくわかったよ。ちょっとおだてただけで、べらべらと何でもしやべりやがって。何が神だ。お前はただくだらないだけの人間、いや、人間にもなれない下等な生き物なんだよ」
 低い声での侮蔑ぶべつに、言い返したくても言葉が出てこない。神と等しくなれたはずなのに、いざ高い位置から何か言われると、途端に気弱になってしまう。
「お前がどうして誰かを殺したくなったのか、教えてやろう。怖いからさ。お前は死ぬことが怖くなり、その恐怖心を殺すという行為によって誤魔化そうとしただけなんだよ」
「ば、馬鹿を言うな。おれは死がどういうものなのか、この目で見たんだ。死が何なのかを理解したんだよ。なのに、どうして怖がらなくちゃいけないんだ」
「だが、お前はまだ死んでいないだろう」
 男が顔を近づけてくる。その目を間近で見て、則夫は身がすくむのを覚えた。逆光でそう感じただけなのかもしれないが、やけに暗い輝きが、あの日見た女性の目と同じだったのだ。
(こいつ……死神か?)
 と、あり得ない想像が頭をもたげる。けれど、満更まんざらはずれてはいなかった。
「交通事故で亡くなった女性を見たとき、お前は悟ったはずなんだ。ほんのちょっとの差で、自分がこうなっていたのかもしれないと。それが恐怖の始まりさ」
 言われるなり、あの日、黒い固まりが脇をすり抜けた感覚が鮮やかによみがえる。あれは確かに、生と死の分かれ目を味わった瞬間であった。
「お前が正しい人間ならば、運良く生き残ったことに感謝して、真っ当な人生を歩んでいただろうな。ところが、お前は目の前で亡くなった女性に死の恐怖をつのらせ、けれどそのことを認めたくなくて、死を理解しただの、神になれただの、思いあがった感情と置き換えたんだよ。まあ、自意識過剰な思春期には、ありがちなことだがな」
 それは違うと、否定したくてもできなかった。男の言葉は、それだけの力を持っていた。
「ただの思いあがりも、胸にしまっておけば何事もなく済んだものを、お前はあろうことか、それを実行に移した。おそらく、劣等感を克服して、誰かの上に立ちたかったんだろう。その方法が正しいのか正しくないのか、少しも考えないで。そして、たくさんのひとびとを傷つけ、苦しめた」
 突き放した口調に殺意を感じ、則夫はまずいと焦った。
「だ、だったら、通報でも何でもしやがれ。おれをさっさと警察に引き渡せよ」
 決して自暴自棄になったわけではなかった。警察に捕まったほうがまだマシだと、本能的に察したのである。
「それはできないな」
「どうしてだよ?」
「お前は絶対に、殺しをやめないからだ」
 さっき、もう人殺しはしないと詫びなかったことを、則夫は後悔した。もっとも、そんなことで男が許してくれるとも思えなかった。彼にはすべて見抜かれている気がしてならなかった。
「お前は救いようのない、憐れなだけの存在だ。これ以上、罪のないひとびとに害をなすことを、許すわけにはいかない」
「お、おれを殺すのか?」
 その問いかけを口にするなり、じわっと涙が溢れる。ぼやける視界の中で、男がかすかに笑ったように見えた。
「怖いのか?」
「怖くなんかないさ!」
 このに及んで意地を張りながらも、則夫は震えていた。
「だったら、殺されてもかまわないだろう」
「いや、だけど不公平じゃないか。おれはまだ、!」
 この反論に、少し間があったあと、冷気のような声が囁いた。
「だが、いずれ殺すんだろ?」
 男がどこからか、長い布を取り出す。シルクなのか、柔らかくなめらかな肌ざわりで、それを則夫の首に幾重いくえにも巻きつけた。
「何だよ、殺す前にスカーフで飾り立ててくれるのか」
 精一杯の強がりが、男の嗜虐心しぎやくしんを煽ったのかもしれない。
「そうじゃないと、お前が一番よくわかっているはずだが」
「う……」
「いいことを教えてやろう。こういう柔らかな布で絞めれば、首に跡が残らない。つまり、あとでいくらでも偽装ができるということだ」
 巻きつけられた布が、少しずつまってくる。喉が圧迫され、呼吸が困難になってきた。
「こんなふうに、徐々に緊まるから、じっくり確実に命を奪えるんだよ」
「や……やめろ」
 絞り出せた言葉は、それだけだった。
「やっと本音が出たな」
 男が愉快そうに言った。
「お前は、誰かが死ぬところを見たかったんだろう。代わりに、おれがお前の死に様を見てやるよ」
 言葉にも行動にも、躊躇ちゆうちよがまったくない。則夫は苦悶の中で、そうだったのかと悟った。
(こいつは、前にも誰かを殺したことがあるんだ──)
 息ができない。顔が風船みたいにふくらむ感覚がある。どんなに苦しくても、完全に拘束されているから、抵抗は不可能だった。
(おれ、死ぬのか?)
 恐怖が全身に満ちる。行き場を失ったそれが涙や汗、尿となって体外に出た。男が見つめる自分の目も、あのときの女性と同じように、輝きを失いつつあるのだろうか。
 ところが、苦しさがいよいよ限界を超えようとしたところで、ふっと楽になった。
(え、なんだ?)
 全身にみなぎっていた緊張も解ける。呼吸はできていないのに、少しも苦しくなかった。
 さらに、目の前に光が満ちる。
(そうか……これが死なんだ!)
 他でもない、自分自身のこととして捉えられたことで、喜びが広がる。今度こそおれは神になれたと、目の前の男に誇ろうとしたところで、一切が無に帰した。
 暖簾のれんを下げたあとの「彩」には、龍樹と、もうひとりの姿があった。
 点けっぱなしのテレビが、本日最後のニュース番組を流している。生真面目な面差おもざしのキャスターが、連続通り魔事件の続報を伝えていた。
「……やっぱり、あの男がしたことだったんですね」
 カウンター席で、つぶやくように言ったのは直子だ。その隣で徳利を傾けながら、龍樹は「そのようですね」と相槌を打った。
 学生アパートで縊死いし死体が発見されたのは、先週のことである。二日後には、自殺した高塚則夫の遺留品から、彼が連続通り魔であることが判明した。
 そして、部屋から発見されたの刃物を鑑定した結果、死亡した女子高生飯塚絵理と、重傷を負った女子中学生のDNAが発見されたと、今のニュースで伝えられたのだ。
根岸ねぎしさんとは、今も連絡を取られてるんですか?」
 龍樹の問いかけに、直子が「ええ」とうなずく。
「つい一昨日おとといも集会があって、会の中では発言されなかったんですけど、そのあと一緒にお茶を飲んで話しました」
「何かおっしゃってましたか?」
「……まだ、気持ちの整理がついておられない様子でした」
 根岸というのは、直子が手伝っている犯罪被害者の会に参加している女性である。ただし、一般的な犯罪被害者とは、立場を少々異にしていた。
 彼女は、ひとり娘を自殺で失っていたのである。
 当時中学生だった根岸の娘は、部活動内でのいじめに苦しんでいたという。担任や顧問に相談したものの、様子を見ようの一点張りで、効果的な対処が為されなかったそうだ。それどころか、先生にチクったということでいじめはエスカレートし、彼女は耐え切れなくなって自宅で首を吊ったのである。
 女の子同士のいじめは、ネットの裏サイトやSNSを活用するなどして大人には見えにくく、陰湿なものになりやすい。それゆえ、ボディブローのごとくじわじわと被害者をむしばみ、もう逃げられないという絶望感へと追い込まれることになる。
 いじめた人物を名指しした遺書が残されていたということだったが、いじめの具体的な証拠がなければ、学校も教育委員会も当事者への指導などできない。逆に名誉毀損きそんで訴えられる恐れがあるからだ。
 かくして、真相に迫ることのない、表面をなぞるだけの調査がなされる。あとは上の立場の者が通り一遍いつぺんの謝罪をして、無理やり収束させられることになる。担任や顧問は勤務校を異動して責任の所在が有耶無耶うやむやになり、いじめの加害者が罪に問われることもない。
 こんなことが、全国のあちこちで日常的に繰り返されている。
 直子はいじめの首謀者を、根岸から聞かされていた。それが飯塚絵理である。少しも反省することなく進学し、高校生活を謳歌おうかしていると、自殺した少女の母親は悔し涙に暮れたという。
 その絵理が、今度は凶行の被害者になったわけである。
「さすがに、罰が当たったなんて喜べるものじゃないでしょうね」
 龍樹の言葉に、直子は「それはそうですよ」とたしなめるように言った。けれど、彼の本心からの言葉ではないと、すぐに気がついたらしい。
 なぜなら、龍樹の愛娘を殺した男も、すでにこの世にはいないのだから。
「根岸さんは、いじめの加害者と親、それから当時の担任や顧問を相手に、損害賠償を求める訴訟の準備を進めていたようです。その出端ではなをくじかれたわけですから、これからどうしようかと悩まれていましたね」
「訴訟ですか……希望どおりに主張が認められるとしても、司法の判断が下されるのは、何年も先になるんでしょうね」
「ええ、たぶん」
「その間、精神的にも疲弊ひへいするでしょうし、根岸さん自身の生活がボロボロになるんじゃないでしょうか」
「さあ、それは何とも。娘さんのために訴えることで、生きる力になるかもしれませんし」
「ただ、賠償金が得られたとしても、それで満足なんてことはあり得ませんよね」
 龍樹はぐい呑みの酒を口に含み、ゆっくりと喉に流した。
 絵理のことを、龍樹は直子から聞かされて知った。調べたところ、同じ中学で他にも被害者がおり、高校でも新たな標的の子がいるとわかった。自殺した少女の母親が言ったとおり、まったく反省していないどころか、同じことを繰り返していたのである。
 だからこそ、龍樹は通り魔事件と合わせて「処分」することにしたのだ。
 刃物を使ったのは、その方法を高塚則夫に選択させるためであった。他でうまくいったとなれば、必ず真似をするであろうと踏んで。その後、龍樹自身がターゲットになるよう、彼の前に現れた。
 唯一の誤算は、則夫が龍樹ではなく、無関係の少女を刺したことであった。
(第20回へつづく)

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小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

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