双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第四章 彷徨ほうこう

5<承前>
「……おれをどうするつもりなんだ。やっぱり殺すのか?」
 問いかけを絞り出すと、少し間を置いて男が答えた。
「そんなことはしない」
「なに?」
「どうするかは、お前自身が決めることだ」
 拘束し、さんざん責めておきながら、そんなぐさが通用するものか。ただ、どうやら命を奪われるわけでも、暴力を振るわれるわけでもないらしい。
 とは言え、いましめを解かれるまでは安心できなかった。
「おれが決めるって?」
 疑問を口にすると、男がマウスを操作する。ブラウザが別のページを表示した。
(何だこれは──!?)
 怜治は目を疑った。
 デザインからして、それは自分が作成したサイトの一部になるらしい。表示されているURLはこのパソコンのものだから、まだサーバーには送られていないようだ。
 いや、送られたらまずいことになる。
 管理者についてと見出しが付けられたそこには、怜治のフルネームや住所、電話番号にメールアドレス、勤務先と、さらには社員証をコピーしたものから、失神していたあいだに撮られたとおぼしき顔写真まで掲載されていたのだ。もちろん、そんなページをこしらえた覚えはない。
「お前はさっき、犯罪者の家族にも責任があると言ったな」
 男が言う。やけに静かな口調だった。
「責任というのは、確かに大切だ。未熟な子供でもない限り、自分のしたことには責任を取らなくてはいけない」
「な、何を当たり前のことを言ってるんだ?」
「その通り。当たり前のことだ。だからお前も、匿名であれこれ書き立てるんじゃなくて、きっちり自分の身分を世間に知らせるべきだとは思わないか? ここまで他人を糾弾きゆうだんしているんだから、自分はそうする権利を持つ人間なのだと、胸を張ればいい」
 その言葉で、男が何をしようとしているのかを悟る。
「馬鹿、や、やめろ」
「口の悪いやつだ。そんな頼みは聞けないな」
 マウスがクリックされ、作成されたページがサーバーに送られた。間を置かずに、自らの情報がネット上にアップされたことを示すメッセージが出る。怜治は暗澹あんたんたる気分にさいなまれた。
 男が耳もとでささやく。
「お前がサーバーとのアクセスに使っている認証IDとパスワードは、まったく別のものに変えてある。緊急対処用の電話番号と、メールアドレスもだ」
 サイトの更新中に襲われたため、そこまでやられてしまったようだ。というより、セキュリティが無防備になる機会を狙っていたのか。
「だから、お前はこのページを削除することはできない。まあ、あきらめきれなかったら、あれこれ試してみるがいい。ま、無駄な努力で終わるだろうがな」
 殺してやる──。
 怜治は怒りに震えた。この男を徹底的に痛めつけ、たとえ泣いて許しを乞うても、かまわず殴り殺すぐらいのことをしなければ気が済まない。
(あ、待てよ)
 まだ一縷いちるの望みがあることに気がつく。
 ブラウザ上で認証IDとパスワードを変更したのであれば、ブラウザのプライバシー設定やキャッシュにそれが残されているはずだ。こいつが去ったあとで確認し、すぐにページを削除すれば、個人情報が出回らずに済む。
 ところが、含み笑いの声が絶望を招いた。
「ちなみに、個人設定もキャッシュも消去済みだ。残念だったな」
「貴様……こ、殺してやる」
「なんだ、今度はお前が犯罪者になるのか? ミイラ取りがミイラになるってやつかな」
 あざけられ、ますます頭に血が昇った。
「こんなことをして、ただで済むと思うなよ」
「もちろんただじゃ済まないだろう。ネット上に出回った情報を、完全に消し去ることは不可能に近い。そんなことは、お前が一番よくわかっているはずだ。これまで多くの人間の情報を拡散し、さんざん苦しめてきたんだからな」
「く……」
「お前のサイトによって被害をこうむったひとびとは、これでいくらでもお前を訴えることができる。きっと明日から、多くの訴訟を抱えることになるだろう。それから、お前の会社も黙っているわけにはいかないはずだ。何しろ社員が立場を悪用して、社内の人間の情報をネットに流したんだから。まあ、懲戒免職だけで済めば、むしろラッキーじゃないのか」
 目の前のディスプレイがぼやける。悔しさと怒りと、得体えたいの知れないものが押し寄せてくる不安で、いつの間にか涙が溢れていた。
「ぜ、絶対に許さないからな! くそっ、おれの人生を目茶苦茶めちやくちやにしやがって──」
「その台詞せりふは、むしろお前自身に向けられるべきだ」
 首の後ろに何かが当てられる。強い衝撃が走った瞬間、そうか、これで気絶させられたのかと、怜治は理解した。
 闇が彼を包み込む。それは次に目を覚ますまでの、ほんの短い安堵のひとときであったろう。

幕間まくあい
(あ、開いてる──)
「彩」に明かりが灯っているのを見て、岩井は胸をはずませた。
 さっそく戸を開けて足を踏み入れれば、カウンターは半分近く埋まっている。その中にはご隠居もいた。
「いらっしゃいませ」
 大将──龍樹が愛想のいい声で迎えてくれる。しばらく顔を見ていなかったのに、不思議とそんな気がしない。以前と変わらぬ店の雰囲気が、空白の時間をなかったことにしたかのよう。
 岩井はご隠居の隣に腰をおろした。
「どうも」
「やあ」
 短いやりとりと笑顔を交わしただけで、互いの気持ちがわかる。「彩」が営業を再開したことが、ただただ嬉しいのだ。
「どうぞ」
 注文しなくても、大将が瓶ビールとグラスを出してくれる。それもまた、居心地の良さを感じさせてくれた。
(やっぱりここはいいな……)
 顔見知りたちが酒を飲み、談笑する。ただそれだけのひとときと空間が、どれほど貴重なのかということを、岩井はこの一ヶ月近くのあいだに思い知らされた。
 休業中に何をしていたのか、龍樹に訊ねる者は誰もいない。あるいは自分が来る前に、すでにそのやりとりがあったのかもしれないが、べつに知りたいとは思わなかった。無事に戻ってきてくれたのであれば、それでいい。
「大将、今日のお造りは?」
「カンパチとイナダです」
「じゃあ、両方」
「承知しました」
 龍樹の包丁さばきを眺めながら、岩井はグラスのビールを飲んだ。隣で燗酒かんざけを飲んでいるご隠居に、お酌もする。
「ああ、ありがとう」
「もう年なんだから、飲み過ぎちゃいけませんよ」
「今日は堅いことを言いっこなしだよ」
 ご隠居の頬は緩みっぱなしだった。
 その後、さらにお客が来て、席がいっぱいとなる。みんな龍樹が戻るのを待っていたようだ。
 営業終了の時刻が近くなった頃、見知らぬ女性客があった。席は空いていなかったが、岩井が来るより前から飲んでいた客が、譲るように席を立つ。
「大将、お勘定かんじよう
「はい。少々お待ちを」
 片付けられた席に着いた女性を、岩井はチラチラと盗み見た。
 年は三十前後であろうか。ラフなよそおいからして、勤め帰りには見えない。こういう店に、女性がひとりで訪れるのは珍しいものの、特に訳ありというふうでもなかった。
 むしろ善良な人柄であると、初対面なのに感じられた。
(もしかして、大将のいいひとなのかな?)
 店を休んでいたあいだに知り合ったのかと、興味が湧いてくる。もっとも、ふたりは特に親しげではなく、龍樹は普通に注文を取っていた。
 では、ただ独り飲みが好きなだけの女性なのか。
「ずいぶんよさげなひとだね」
 ご隠居がつぶやくように言い、岩井はドキッとした。
「え、よさげって?」
「大将にお似合いだってことだよ」
 彼の目は、くだんの女性に向けられていた。
「じゃあ、あのひとはやっぱり、大将のいいひとなんですか?」
 前のめり気味に訊ねると、ご隠居はきょとんとした顔を見せた。
「知らん」
「え、知らんって?」
「わたしはただ、そうだったらいいなと思っただけだよ」
 見れば、普段は飲んでも顔に出ないご隠居の、目許が赤らんでいる。久々の「彩」が嬉しくて、飲みすぎたようだ。
(酔っ払いの戯言ざれごとかよ……)
 あきれたものの、自分もだいぶ酔ってしまった。明日も仕事なのに、これ以上飲んだら差し支えるであろう。
 そろそろ帰らなくちゃと思いつつ、なかなか席を立ちづらい岩井であった。

 暖簾のれんを下げたあとの店内に、龍樹と女性客──直子のふたりだけが残っていた。
「素敵なお店ですね」
 直子に言われ、龍樹は「ありがとうございます」と礼を述べた。
「まあ、前の主人から譲り受けたままですので、あちこちだいぶガタがきてますが」
「だけど、古いところも味があっていいと思います。それから、お酒も美味しいですし」
 彼女の前には、一合徳利とぐい呑みがあった。中身は越後の酒蔵から仕入れた、取って置きの純米酒である。
「でしたら、もう一本つけましょうか?」
「いいえ。これ以上飲んだら、酔っ払ってしまいます」
 笑顔でかぶりを振った直子がうつむき、ぽつりと言う。
「もうずっと、お酒なんて手に取ることもありませんでしたから。今日は本当に、久しぶりに飲んだんです」
「え、ずっと?」
「洋二があんな罪を犯したんです。お酒を飲むなんて、許されない気がしましたから」
 龍樹は無言でうなずいた。
 洋二──直子の弟は、少女への連続わいせつで逮捕された。そして、自分のせいで家族が世間の非難を浴びることに耐えられず、自殺したのである。
 自らが罪を犯していなくても、彼女は罪悪感を抱かずにいられなかったのだ。飲酒すら悪いことのように思え、あらゆるたのしみを封印してきたのだろう。姉にも責任があるとネットで叩かれ、猥雑わいざつな言葉を浴びせられたことも無関係ではあるまい。
 それでも、ようやく酒が飲めるまでに、気持ちの整理がついたようだ。
「そう言えば、あのサイトの管理人が失踪したそうです」
 直子が言う。あのサイトというのが、未成年だった洋二の名前や素性ばかりか、家族の個人情報まで暴露したところだというのは、訊ねなくてもわかった。
「そうらしいですね」
 龍樹は感情を出さずに相槌を打った。
「同じ会社に勤めていたひとだろうとは思ってましたけど、まさか人事部のひとだったなんて。だからあそこまで、わたしのことがわかったのかって、納得はしましたけど」
「そのひとと、勤めていたときに交流はあったんですか?」
「いえ、特には。部署も違いますし、わたしよりふたつぐらい年上だと思いますから。社内で顔を合わせたことぐらいなら、あったかもしれませんけど」
「そうですか」
「だから余計に、どうしてなんだろうって思ったんです。もしかしたら、知らないうちに恨みを買うようなことをして、そのせいであんなことをされたのかなって」
「おそらく、違うと思いますよ」
 龍樹は自分の前にあった徳利とつくりで、直子のぐい呑みに燗酒を注いだ。
「ああいうことをして喜ぶ連中は、知り得た情報を手柄みたいにネットに流すんです。それがどういう結果を生むのか、深く考えもしないで」
「……そうなんですか?」
「だから、いざ自分が責められる立場になると何もできなくて、逃げ出すしかなくなるんです」
 サイトの管理人──怜治は会社を馘首クビになり、信用をおとしめたということで損害賠償請求も起こされたようだ。さらに発信、拡散した多数の情報について、個人や人権団体などからの訴訟も多数あるらしい。
 ひとりですべて対処するのは、もちろん不可能だ。また、弁護士を雇うにしても、果たして何人必要になることか。賠償額も含め、それだけの費用をまかなえるはずもなく、逃げ出すのも無理からぬことと言えよう。
「ところで、琴平さんは彼を訴えるんですか?」
 訊ねると、直子は少し考えてから、「わかりません」と答えた。
「わからないというのは?」
「洋二が亡くなって、すべてが終わった気がしてるんです。蒸し返すのもつらいですし」
「だけど、琴平さんのご家族が、もっとも被害に遭われているとも言えますよね。洋二君だけじゃなく、皆さんの情報を晒されたわけですし」
「ええ。それは洋二の弁護士さんからも言われました。あのサイトが個人情報を暴露しなければ、洋二だって死なずに済んだんだから、法的な措置をとるべきだって。でも……」
 彼女は迷っているわけではない。明らかにそうしたくないと思っている様子だ。
「でも、何ですか?」
「うまく言えないんですけど……ああいうサイトって、他にもたくさんあるじゃないですか。あそこの管理者だけが責められると、他のところは、自分たちは関係ないっていうふうに受け止める気がするものですから」
 要はスケープゴートにしたくないということか。確かに、責められるべきところは他にいくらでもある。
「ですから、今回の件が、他のサイトが掲載内容を改めるきっかけになればいいと思うんです」
「ええ。そうなればいいですね」
 龍樹は同意したものの、正直、そうはなるまいと考えていた。
 と、直子が沈んだ面持おももちを見せる。
「あとは、失踪したひとのことも気になりますけど」
「何がですか?」
「……もしかしたら、自分で命を絶つんじゃないかって」
 個人情報を晒して追い込み、仕事ばかりか人生まで奪った相手が、そこまで心配していると知ったら、あいつはどう思うだろうか。
「洋二君がああいうことになったから、やっぱり気になるんですか?」
「そうですね。どんな人間だろうと、命の重さに変わりはありませんから」
 罪を犯した身内を亡くしているだけに、言葉に重みが感じられる。龍樹はまだ、そこまでの悟りを得られていなかった。
 それゆえに、許し難い存在を排除せずにいられないのである。
「ただ、洋二君は自分のことじゃなく、家族に迷惑をかけたことを苦にして、死を選んだんですよね。あのサイトの管理者は、自分のことしか考えていないでしょうから、自殺なんてしないと思いますよ」
「……そうでしょうか?」
「ええ。そこまでする度胸もないでしょう」
 本人を見ているからこそ、龍樹は断言できた。
 怜治を生かしたのは、非難される姿を世間に見せることで、同種の連中を牽制けんせいするためもあった。下手へたに命を奪ったら、逆にあいつが同情を買うことになりかねない。それよりは晒し者にしたほうがいいし、その程度の価値しかない人間だ。
 ただ、直子が憐憫れんびんを示したのは、意外であった。
「半田さんは、お嬢さんの命を奪った受刑者のところに、面会に行かれているんですよね」
 彼女が話題を変える。というより、本題に入ったのだと、龍樹は真剣な眼差しから察した。
「はい」
「実は、以前からお伺いしたかったんですけど、その……相手のことを、今はどんなふうに思っていらっしゃるんですか?」
「どんなふうとは?」
「まだ憎まれてるんですよね?」
 そんなことが気になるのは、弟が傷つけた少女たち、それから親たちの心境が知りたいからなのだろう。償いの日々がまだまだ続くという覚悟も感じられた。
 ここで、憎んでいないと答えれば、直子は多少なりとも楽になれるのであろうか。しかし、龍樹は本心しか述べられなかった。
「わかりません」
「え、わからないって?」
「あいつにどんな感情を持てばいいのかが、わからないんです」
 龍樹はぐい呑みに口をつけ、残っていたものを飲み干した。
(第16回へつづく)

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小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

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