双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第四章 彷徨ほうこう

(──あれ?)
 闇の中から引き戻されても、怜治はしばらくのあいだ、自身がどういう状況にあるのかわからなかった。というより、深い眠りから覚めたあとみたいに、頭がぼんやりして何も考えることができずにいたのである。
「暗いな……」
 最初の感想は、それであった。声に出てしまったのは、会社以外で他人と交流することがほとんどないため、どうかすると独り言が洩れる傾向にあったからだ。
 目を開けているはずなのに何も見えないのは、部屋が暗いせいなのか。そこまで考えて、意識を失う前に何をしていたのかを、ようやく思い出す。
(ええと、おれはサイトの記事を書いていて──)
 パソコンに向かい、ほぼ日課になっている作業をしていたのである。そして、今も愛用のチェアに坐っていることもわかった。
 そうすると、知らぬ間に眠ってしまったのか。帰りに寄った居酒屋でも、そうなってしまったように。
(おれ、どこか悪いのかな?)
 何かの病気かもしれない。でなければ、そう頻繁ひんぱんに寝落ちなどしないであろう。いや、寝落ちというより、意識を失ったに等しいのではないか。
 怜治は知らなかった。居酒屋で眠り込んだのは、酒に仕込まれた睡眠薬のせいであることを。それから、眠っているあいだに部屋の鍵のスペアを作られ、帰宅前に侵入していた者に、スタンガンで気絶させられたことも。
(待てよ。いくらなんでも、ここまで真っ暗なのはおかしいぞ)
 作業中だったから、パソコンのディスプレイが点いているはずなのだ。仮に何かのはずみで消えたとしても、外の明かりが窓から入って、何も見えないなんてことにはならない。
(……そうか、アイマスクをされてるんだ)
 顔に着けられたそれに、すぐ気がつかなかったのは、そんなものをされているなんて考えもしなかったからだ。認識しないものについては、人間は案外鈍感なものらしい。加えて、頭もしっかり働いていなかったし。
 胴体を椅子に縛りつけられていると理解したのは、その直後だった。いや、胴体だけではない。腕は肘掛ひじかけに、首はヘッドレストに固定され、両足首も硬いもので結わえられていた。感触からして、結束バンドではないだろうか。
 そのため、完全に身動きがとれなくなっていた。
(ご、強盗にやられたのか!?)
 今になって背すじを恐怖が伝う。それ以外に、こんなことをするやからがいるとは思えなかった。
 そうすると、作業中に忍び込まれ、背後からいきなり襲われて、昏倒こんとうさせられたのか。だが、それなら忍び込まれた段階でわかるはずだ。
 なぜなら、戸締まりをしっかりしているからである。在宅のときでも、入口のドアは必ずロックしていた。もちろん窓も開いていないし、そもそもここは二階だ。
 では、帰宅する前に、すでに侵入されていたのか。けれど、ドアがこじ開けられた形跡はなかったはず。
(ていうか、ただの強盗なら、ここまでがっちり拘束する必要はないんだよな)
 気絶させ、盗るものを盗ったら、さっさと出ていけばいいのだ。わざわざアイマスクまで着ける必要はない。それとも、見られたらまずいものでもあるのか。
「え──」
 思わず声を洩らし、心臓が音高く鳴る。背後に存在する者の気配に気がついたのだ。
「だ、誰だ!?」
 声をかけても返事はない。代わりに、頭に手が触れる。目を覆っていたものが、上にずらされた。
 光が目に飛び込み、怜治は反射的にまぶたを閉じた。やっぱりアイマスクだったのだと胸の内でうなずいたものの、それは些末さまつな事実に過ぎない。いったい誰がという、もっと重大な問題があった。
(くそ……おれをこんな目に遭わせるとは、いい度胸をしてやがる。絶対にぶっ殺してやるからな)
 そんな威勢のいいことが言えるのは、心の中だけだ。実際は、なかなか目を開けられないほどに、おびえまくっていたのである。
「怖いのか?」
 くぐもった声がたずねる。マスクをしているらしい。
(ふざけるな。そっちこそおれを拘束しているのは、反撃を恐れているからだろうが)
 やはり胸の内で言い返す。それから勇気を振り絞り、瞼を開いた。
 目の前にパソコンがあった。部屋の灯りが消されているため、ディスプレイの光が目に痛いほどであった。
 そこに映し出されていたのは、怜治が数年前に立ち上げたサイトである。気絶させられるまで、その更新作業をしていたのだ。
「『サイコクズ速報』か。サイコパスとクズを合わせた造語かな。安易なやつだ」
 挑発され、頭にカッと血が昇る。
「お前がそのサイコクズだろうが」
 怜治は反射的に言い返した。背後にいるそいつの顔を見たかったが、首を固定されているため振り返ることができなかった。
「そうかもな。ただし、お前はただのクズだ、速水怜治」
 侮蔑ぶべつの言葉よりも、フルネームを告げられたことに動揺する。それだけで、すべての個人情報を握られている気がしたのだ。
「お、おれの何を知っているっていうんだよ」
「お前のサイトを見れば、一目瞭然いちもくりようぜんだよ」
 後ろからのびた手が、マウスを操作する。ブラウザの画面をスクロールし、サイト内のあちこちのページを表示させた。
「この品のない広告が満載の暴露サイトで、どれほどの収入が得られているのかな? まあ、お前の目的は金じゃなく、実生活ではまず得られない有能感を得ることなんだろうが。個人の情報を暴いて、あることないこと書き立てることで、自分が優れた人間だと思い込みたいだけなんだろう。他人をおとしめることでしか自分の価値を見いだせない、根っからのクズ野郎さ」
 そこまで言われて、怜治はようやく悟った。背後の男が、どういうやつなのかを。
「そうか。おれのサイトに名前や写真を載せられたから、腹が立ってるんだな。だが、おれは穀潰ごくつぶしの犯罪者や、この国にいる価値のない在日どもといった、役立たずしか載せてないんだ。つまり、お前は生きる価値のない人間なんだよ」
 拘束されているのに、怜治がそこまで言えたのは、敵がただ脅すだけで、それ以上のことはできないと踏んだからである。さっきから小馬鹿にしたり挑発したりするだけで、少しも手を出してこないのがその証拠だ。
 すると、顔の真横にそいつが接近する。
「なるほどな。だったら、私は犯罪者ということになる。お前に言わせれば、ひとの命を奪うことなど屁とも思わない、極悪なケダモノってわけだ」
 耳もとで囁かれ、わきから妙な汗がにじみ出る。確かにその通りであり、自分も殺されるのかと、再び恐怖がつのったのだ。
「よせ……や、やめろ。頼むから──」
 怯えが言葉となって唇からこぼれる。すると、かすれた笑い声が聞こえた。
「私の名前がわかるのか?」
「い、いいえ」
「安心しろ。私はお前に犯罪者として糾弾きゆうだんされたわけじゃない」
 その言葉に、からだから力が抜ける。
「だ、だったら、どうしておれにこんなことを──」
 訊ねかけ、もうひとつの不可解なことに思い至る。
「いや、その前に、どうしておれがこのサイトの管理人だってわかったんだ?」
 サイトに、怜治自身の個人情報はまったく載せていないのだ。
 社会正義のために犯罪者の情報を発信していても、訴えられる可能性はいくらでもある。腐った人間にも人権を求める、面倒くさい連中がいるからだ。そのため、素性すじようは絶対に明かさなかったし、サーバーも国外のものを利用していた。仮に捜査追及されることになっても、その手が及ばないようにと予防線を張って。
「見せてもらったが、お前のサイトに載っている記事は、他の類似サイトと同じように、ネット上の情報をかき集めたものがほとんどだった。真偽など関係なく、どこの誰が発信したのかもわからないものばかりだ。それによって害をこうむる者がいても関係ないっていうスタンスだから、そこまで出鱈目でたらめなことができるんだろうな」
「な、何だと?」
「犯罪者と在日外国人を並べて記事にしているのは、どちらも同じだという印象操作をするためだ。お前はただ、自分が好ましくないと思う存在を排除したいだけなんだよ。その基準も、だいぶネットに毒されているがな。偏見にまみれているのは、頭が悪い証拠だ」
「く──」
「お前は自分の思想や主張に沿った情報を集めて、だから正しいのだと自身を納得させているのが見て取れるよ。たとえ正しい情報であっても、自分にとって都合の悪いものは無視しているんだろう。我こそは正義のつもりでいるようだが、そんなものは正義じゃない。ただの欺瞞ぎまんだ。あやまちを認めて傷つくのが怖いから、壁を作って逃げているだけだ」
「うるせえっ! おれは、この腐った世の中を、正しい方向に導いているんだ。おれのような正義漢がいるからこそ、社会がどうにか成り立っているんだ。おれは感謝されるべき人間なんだ!」
 怜治が常日頃から胸に秘めていた思いを口にしたのは、自分を頭から否定された反動からであった。そこまで馬鹿にされて、黙っていられなかったのだ。
「本音が出たな」
 男が言う。冷たく突き放す声だった。
「残念ながら、お前は感謝などされない。この社会を成立させているのは、日々、己のやるべきことをコツコツといとなむ、たくさんの市井しせいのひとびとだ。お前みたいに匿名で、無責任に世間に反吐へどを吐き散らすやつは、むしろ社会にとって害悪でしかないんだよ」
「が、害悪だと?」
「仕事で成果があげられているわけでもない。友人も恋人もいない。日々のかてを稼ぐだけの日々に鬱屈うつくつして、誰かに認められたいと必死で足掻あがいている。その貧しい精神の持ち主がお前だ」
 決してかえりみることのなかった内面を暴かれ、からだが震える。言い返せなかったのは、相手を打ち負かせる言葉が浮かんでこなかったからだ。
「どうしてお前がこのサイトの管理人だとわかったか、教えてやろう。ここにはネットから寄せ集めた情報だけじゃなく、お前が自ら収集したものも含まれている。特に写真とかな」
 男があるページを表示させる。それは六年前の、このサイトを立ち上げるきっかけになった事件の記事だった。十歳の少女がわいせつ目的で誘拐され、殺害されたというものだ。
「この容疑者の自宅の写真は、他のサイトにあるような、メディアの記事やニュース画像から無断で拝借したものではない。お前が撮影したものだ。近くだったから、わざわざ出かけて撮影したんだろう。マスコミの取材にまぎれてな」
 事実だったから、怜治は反論せずに黙っていた。
「このとき、本来なら報道されるはずのない未成年の容疑者の名前をネットに流したのも、この記事が最初だ。容疑者宅を撮影しただけじゃなく、名前も調べたんだな。おそらく、容疑者家族が外に出られないのをいいことに、まっていた郵便物でも盗んだんだろう」
 それも図星であった。
「その暴露記事のおかげで、このサイトは知られるようになった。味を占めたお前は、その後も近場の事件では自ら足を運んで、特に容疑者の自宅や素性を暴くようになった。家の写真を撮り、ご丁寧に地図までつけて。ああ、こんなものを見つけたよ」
 男が背後から手を出し、怜治の目の前に突きつけたのは、パスケースに入った社員証であった。そこにはありもしないメディアの名前と、架空の氏名が印字されていた。
「このデスクの引き出しに、他にも三つぐらいあったよ。マスコミをかたって、近所の人間に取材したんだろう。普段はマスゴミなどと非難しておきながら、ちゃっかり利用したわけだ」
 パスケースが床に落とされる。男の顔が、また耳もとに近づいたのがわかった。
「あっちがマスゴミなら、お前はただのゴミだな」
 侮蔑され、怒りに震える。
「黙れっ! 悪事を暴くためなら、おれは何だってやるんだよ」
「その行動力が墓穴ぼけつを掘ってもか?」
「なに?」
「お前が容疑者宅の写真を撮ったとき、そこにはマスコミも押し寄せていた。つまり、他にも多くのカメラがあって、写真や動画が撮られていたんだよ。そこに自分が映っているとは、想像しなかったのか?」
 この指摘に、怜治はあおざめた。大勢の中にいるから目立たないだろうと、そのときは好きに振る舞っていたのだ。
「お前もわかっていると思うが、ネットは実に便利だ。あらゆる情報が流れている。お前がいた現場の画像や映像も、数え切れないほどあったよ。メディアの報道だけじゃなく、SNSにもな」
「そ、それじゃ、そこに──」
「お前の馬鹿面ばかづらが、あちこちに映っていたよ」
 では、それで自宅まで突き止めたというのか。何という執念なのかと、怜治は改めて恐怖を覚えた。
 しかし、彼は気づかなかった。いくら顔がバレても、それだけで素性まで明らかになるはずがないことに。ネットの顔写真は、最終的な特定に使われたのである。
「お前はさっき、犯罪者や在日外国人の情報しかサイトに載せていないと言ったな。じゃあ、これはどうなんだ?」
 男が別のページを表示する。それは十八歳の予備校生が起こした、連続わいせつ事件の記事であった。
「お前はここに容疑者だけじゃなく、その家族に関する情報まで載せているじゃないか」
「そ。それは……犯罪者を出した家族にも、相応に責任があるからだ」
「両親だけじゃなく、姉の名前や勤務先、顔写真まで必要なのか?」
 怜治は言葉に詰まった。運良く情報を得られる立場にあったものだから、サイトの閲覧数を増やすために、そんなものまで掲載したのである。容疑者家族の情報がネットで広く求められるのは、他人の不幸を喜ぶ輩がそれだけ多いことのあかしだ。
「この女性は、お前の会社に勤めていたんだな?」
「……」
「お前は人事部にいて、社員の情報を知り得る立場にあった。どういう経緯いきさつか知らないが、彼女が容疑者の姉だと知ったお前は、人事資料を無断でコピーし、こうしてネットに流したんだ」
「だ、だからどうだって言うんだ。おれは何も悪いことをしていない!」
 言い放つと、しばらく間があった。ほんの十秒にも満たない時間であったろうが、怜治にはやけに長く感じられた。
 彼女が容疑者の姉であると知ったのは、偶然であった。会社のロビーのすみで、彼女が友人に相談しているやりとりが、耳に入ったのである。
 というより、気になったから聞き耳を立てたというのが、正解なのだが。
「お前、この女性のことが好きだったんじゃないのか?」
 問いかけに、心臓が大きな音を立てる。否定しようとしたのに、喉に妙な固まりがあって、声が出せなかった。
「だが、お前には女性に告白する勇気なんてない。こんなサイトでさ晴らしをするしか能のない人間だ。会社での業務的なやりとり以外に、他者との繋がりも持てない。だから好きになっても、遠くから見ることしかできなかったんだろう。そして、どうせ手が届かないのならと、ひどい仕打ちに出たんだ。可愛さ余って憎さ百倍ってやつか。いや、そんな上等なものじゃない。イソップ物語のキツネといっしょで、あのブドウはっぱいに違いないと思い込むだけの卑屈な人間だ」
 この男は、かなり長い間、自分の身辺を調査していたのではないか。怜治はぼんやりと思った。自尊心をズタズタにされ、もう考えることが嫌になっていた。
 ただ、ひとつだけ推測が浮かんだ。
(こいつ、犯罪者自身じゃなくて、その家族なのか?)
 いや、もうどうでもいい。投げやりになり、怜治はすさんだ心持ちにおちいっていた。
「この女性はお前のせいで会社を辞めることになった。ネットに名前が出回り、犯罪者の家族のレッテルを貼られ、今でも苦しんでいるだろう。同じように、お前のせいで生きづらくなった人間が、何人もいるんだ。お前にそこまでする権利があるのか?」
「……うるせえよ。自業自得だろ」
「自殺する人間が出てもか」
「え?」
「このひとの弟は自殺したよ。家族に迷惑をかけたことを苦にしてな」
 男がすうと息を吸い込む。
「自殺じゃない。お前が殺したんだ」
 静かな声なのに、どんな大きな怒鳴り声よりも耳に痛く響いた。
「だからどうしたっていうんだよ! もともとそいつが、罪もない少女たちを毒牙どくがにかけたのが悪いんだろうが!」
 怜治が大声で言い返したのは、芽生めばえかけた罪悪感を打ち消すためであった。自分の過ちは、絶対に認めたくなかったのだ。
「たしかに彼は罪を犯した。だが、死んでしまったら、二度とつぐないができない」
「アホか。死ぬことで償えただろうが」
「だったら、お前も死をもって償うのか?」
 口調に殺意を感じ、怜治は硬直した。
「罪を犯した人間は、償いをしなければならない。だが、そのために何をするかは、他人が決めることじゃない。お前はただ他人をあげつらい、誰かの上に立ったつもりになって、自己満足にひたっているだけの憐れな人間だ」
 ここまでさげすまれたのは、生まれて初めてであった。
「お、おれに何か恨みでもあるのか?」
 泣き言を口にすると、嘲笑ちようしようが聞こえた。
「お前こそ、ここに書き並べたひとびとに、恨みがあるのか? 罪を犯した人間の家族というだけで、どうして非難されなくちゃいけないんだ。様々な事情でこの国にいるのに、どうして外国人というだけで非難されなくちゃいけないんだ。彼らの過去も、歴史の経緯も直視しないで、浅はかな考えにのつとって多くのひとびとを傷つけた、その自覚はあるのか?」
「だ──黙れ黙れ黙れっ!」
 怜治にできるのは、金切かなきり声を上げて男の発言をやめさせることのみであった。
 暗い部屋に静寂が戻る。自分の息づかいが、耳にうるさかった。  
(第15回へつづく)

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小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

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