双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

第四章 彷徨ほうこう

 会社帰りに、いつもの店を訪れた速水怜治はやみれいじは、カウンターの中に馴染なじみのない顔の店員がいることに気がついた。
(新人か?)
 もっとも、年齢は四十代ぐらいに見えるし、包丁を握る手つきも様になっている。即戦力になる人材を、他の店から引き抜いたのではないか。
 瓶ビールと、つまみを三品ほど注文し、手酌でグラスを満たした怜治は、八割がたの入りで賑わう店内をぼんやりと眺めた。
 ここは駅から程近いところにある居酒屋だ。テーブルもあるが、席は二十人以上も坐れるカウンターがメインである。怜治のように、常に独りで飲む者には利用しやすい店だ。もちろん、料理が安くて美味しいのも通う理由であったが。
 これが、もっとこぢんまりした店だと、店員との距離が近くて気詰まりであろう。だが、ここはカウンターが長いぶん、中で働く白衣姿の店員の数も多いし、みんな忙しそうだ。
 おかげで、お客とのやりとりが最小限なのも有り難かった。友人でもない相手と会話をするのは面倒だし、だからこそ怜治は飲みたくなると、必ずここへ来るのである。
 そういう気に入った店ではあっても、不愉快な思いをまったくしないわけではない。
 店内で目につき、苛立いらだちを覚えるのは、カップルの客だ。カウンター席の椅子いすは固定されており、隣との距離も充分に確保されているのに、必要以上に身を寄せ合って談笑するのが腹立たしい。おそらく見えないところで、互いにボディタッチをしているに違いなかった。
 今夜もあいにく、そういうカップルがいた。しかも、ふた組も。
(いちゃつくのなら、個室居酒屋に行けよ。バカップルが)
 心の中でののしるものの、ヘタににらんで男のほうに絡まれてもやり返せないので、なるべく見ないようにする。時おり女が甲高かんだかい声で笑ったりすると、胸の内で舌打ちをした。
 他に、常連ぶって、やたらと店員に話しかける客も腹立たしい。その度に店員は手を止めざるを得ないから、料理を出すのが遅れるわけである。己の身勝手な行為が、他のお客に迷惑をかけていることに、そいつはまったく気がついていないのだ。むしろ、こんなふうに店員との会話をたのしめる自分はかっこいいと、得意げにアピールしていることがうかがえる。
 幸いにも、今日はその手の客はいない。ただでさえ見苦しいカップルがふた組もいるのに、自意識過剰な常連まで加わったら、酒も料理もまずくなる。
 馴染みの店で飲んでいる同じ客に対して、それら負の感情を抱くのは、怜治が三十歳のこの年まで異性と付き合った経験がなく、さらに、他者とのコミュニケーションが苦手だからだ。
 内向的で気弱な性格ゆえ、思ったことが口に出せない。職場でも、行き場のない感情を煮えたぎらせる毎日だ。
 怜治は会社でのストレスを解消するために、こうして飲みに来ているのである。その場所でまた不快感を募らせることになったら、元も子もない。
 まあ、ストレスを発散する方法は、他にもあるのだけれど。
 人間関係を築くことは不得意でも、その他の面では誰よりも優っているという自負が、怜治にはあった。大学も名前の知られたところを出ているし、勤めている会社も業界大手で一流のところだ。人生という勝負には、明らかに勝利をおさめている。
 そうやって、他のひとびとよりも優れていると思い込んでいるがゆえに、うまくいかないと自己嫌悪と劣等感がかき立てられるのだろう。
「はい、お待ち。本日のお造りです」
 カウンターの店員が、目の前に刺身の器を出してくれる。今日はアイナメとたいであった。
 刺身皿に醤油を垂らし、ワサビは刺身に載せる。ワサビを醤油に溶かすなんて、刺身の食べ方がわかっていないと、漫画で得た知識を胸の内で得意げに披露しながら。
 特別に魚が好きというわけではないのに、怜治が決まって刺身を注文するのは、作法にのっとって食べるところを誰かが見て、感心してくれるのを期待してのことだ。できればそれは女性がいいし、さらに声をかけられて交流を持てたらと、思春期の少年少女じみた出会いを望んでいた。
(ていうか、店員が褒めてくれればいいんだよな)
 お客さん、わかってるねと喜んでくれれば、他の客も注目するであろう。そうすれば、こんなのは常識だよと軽く受け流し、みんなの尊敬だって得られるのだ。
 そんな場面を夢想しながら鯛を一切れ口に入れたとき、怜治は気がついた。刺身のツマ──千切り大根の中に、さらに細くて黒いものが一本まぎれていることに。
 髪の毛だ。怜治は眉間みけんに深いシワを刻んだ。
 ほんの四センチほどのそれは、下のほうにひそんでいたから、刺身には触れていない。だが、決して気分のいいものではなかった。
 これも食に通じた者のたしなみとして、怜治はいつもツマを最後に食べていたのである。髪の毛があっては、よけたとしてもさすがにその気になれない。
(店員に言ったほうがいいかな)
 髪の毛が入っていたと言えば、まだ一切れしか食べていないし、新しいものを出してくれるだろう。だが、他のお客の目が気になる。もしかしたら、クレーマーだと誤解されるのではないか。
 さらに言えば、本当に最初から入っていたのかと、疑われる可能性だってある。自分で仕込んで、難癖なんくせをつけているのではないかと思われたくなかった。
 見れば、店員たちは全員白い和帽子わぼうしを被っている。だから髪の毛など落ちるはずがないと主張されたら、分が悪いのはこちらだ。
(くそ……誰の髪の毛だよ)
 刺身を担当しているのは、例の新しく入った男だ。怜治に横顔を見せている彼は、慣れた手つきで魚の切り身に包丁を入れていた。
 あいつなのかと、怜治は睨みつけた。
 千切り大根は事前に準備しておくのだろうし、そのときに髪の毛が混入したと考えるのが自然だろう。それでも、盛りつけるときに気がつかねばならないし、目の行き届かなかったあいつに責任がある。
(いくら包丁がうまく使えても、料理人としては最低だ)
 決めつけて、さらなる罵倒ばとうを胸の中で積み重ねようとしたとき、その店員がいきなりこちらを向いたのである。
(あ──)
 怜治は焦り、反射的に目を伏せた。睨む視線に気がついたのかと、胸の鼓動こどうが大きくなる。
 調理師なんて多くが学歴のない落ちこぼれだと、怜治は決めつけていた。学生時代は不良だったに違いないと偏った見方すらしていた。
 それゆえに、絶対に怒らせてはならない。怜治がなかなか顔をあげられなかったのは、おびえていたからである。
 しばらく経って、恐る恐る視線をカウンターの中に向けると、くだんの店員は何事もなかったかのように包丁を使っていた。
(……くそ。ふざけるなよ)
 安堵すると同時に、胸の中で悪態をつく。その店員と、何もできない己に向かって。だが、自分は何も悪くないのだと、ただちに思い直した。
(おれは被害者なんだからな。ふん。あんながさつなやつ、どうせすぐクビになるさ)
 そんなふうに考えても溜飲りゆういんは下がらず、胸がムカムカする。おかげで、せっかくの刺身がまずくなった。まあ、もともと味にうるさいわけではないが。
 刺身を平らげると、怜治はツマには手をつけず、器をカウンターの上に戻した。普段はすべて食べるのに残っていたら、店員がどうしてなのかとチェックして、髪の毛に気がつくのではないかと密かに期待したのである。
 ところが、すぐ前にいた店員は器を下げると、そのまま洗い場のほうに運んでしまった。ツマは確認することなく捨てたようである。
(何だよ、客商売失格じゃないか)
 いきどおりがふくれあがる。週に一度は訪れる常連客なのであり、いつもと違うところに気づかなければ嘘だと、腹が立ったのだ。
 けれどそれは、どれだけ通っても店員の記憶には残らなかったことを意味する。地味で特徴のない、その他大勢の役回りだという事実を突きつけられたにもかかわらず、怜治はそう捉えなかった。
 いや、実はわかっていて、知らないフリをしたのだ。彼の自尊心が、その程度の存在であることを受け入れられなかったのである。
(え──!?)
 不意に気がついて、ドキッとする。怜治の視界に、刺身を作ったあの店員の姿があった。彼は横目で窺うように、こちらをじっと見ていたのである。
(ど、どういうつもりだよ!?)
 怜治は、今度は目を伏せなかった。怒りが募っていたために、むしろ挑発的に睨み返してやった。何か言われたら、刺身のツマに髪の毛が入っていたと文句をつけるつもりでいた。
 ところが、信じ難いことが起こる。店員の頬が、フッと緩んだのである。まるで、嘲笑ちようしようするかのごとくに。
 いや、明らかに彼はあざけっていたのだ。
 頬がカッと熱くなる。怜治は混乱し、落ち着かせるべくビールをのどに流し込んだ。
(あいつ、どうしておれを笑ったんだ?)
 ということは、ツマに髪の毛が入っていたのを知っていたのか。それに対して、こちらが何もできないことを見抜き、情けないやつだと馬鹿にしているのか。
(……いや、さすがにそれは考えすぎか)
 そもそも、あいつとは今日が初対面だ。言葉だって交わしていない。そんなやつに、どうして蔑まれなければならないのか。
 おそらく、たまたま思い出し笑いでもしたのを、変なふうに捉えてしまったのだ。そうに違いないと、怜治は自らに言い聞かせた。
 そこへ、注文した他の料理が運ばれてくる。
 ビールを追加して、揚げ物と串物を代わる代わる味わう。食べて飲むあいだに、怜治はだいぶ落ち着いてきた。
(もうちょっと食べようか……)
 あとでラーメン屋にでも立ち寄るつもりでいた。しかし、この店にも麺類やご飯ものがある。別のところに寄らずとも、ここで夕飯を済ませたってかまわない。
 だったらどれを頼もうかと、メニューを手に取る。そう言えば、本日のお勧めは何だったかなと、カウンターの中にあるメニュー黒板を見ると、あの店員が目に入った。たまたま手が空いたのか、こちらを向いて立っていたのだ。
(あ──)
 思わず固まった怜治に、彼はあごを上げ、見下す態度をとった。さらに、唇がこう動いたように見えたのである。
『失せろ』
 あまりのことに、全身がガタガタと細かく震える。怒りと同時に、訳のわからない恐怖も感じていたようだ。
 喧嘩けんかっ早い人間であれば、間違いなくやつを怒鳴りつけ、カウンターを乗り越えて飛びかかったのではないか。しかし、怜治にそんな真似ができるはずがない。怒りを実力行使に結びつけるだけの、勇気も度胸もないのだから。
 それに、そもそも挑発された証拠はない。髪の毛の件も含めて、こちらが勝手にそうだと思い込んだとも考えられる。
 いや、仮に向こうが挑発し、馬鹿にしたのだとしても、そんなことはしていないと主張されたらおしまいだ。暴力など振るおうものなら、すべてこちらの非にされてしまう。
 それに、もしかしたらわなにかけようとしているのかもしれない。
 結局は逃げの姿勢に終始するしかなく、怜治は残っていた料理をそのままに、伝票を摑んでレジへ向かった。会計を済ませて振り返ると、あの店員が目を細めて、小馬鹿にした顔つきをしているのが見えた。
 それでも、怜治は何もできず、怒りを持て余したまま店を出た。
「くそ……くそ──」
 と、小さくつぶやきながら。ひざがどうしようもなく震え、歩きづらかった。
 しばらく歩いて、多少はたかぶりがしずまる。そのとき、何かがフラッシュバックみたいに脳内を走り抜けた。
(あれ、あいつ……)
 どこかで見たことがあると、今になって気がつく。実際に会ったわけではなく、過去に目にした写真か映像に、似たような顔がなかったか。
 しかしながら、確証は持てない。そもそもが目立つような風貌ではなかったし、他人の空似そらにという可能性もある。
 だが、そんなやつに、どうして敵意をあらわにされなければならないのか。
 恨みを買うことを、まったくしていないとは言い切れない。怜治は常に正しい振る舞いをしているつもりでも、そもそも悪人にとって正義は敵だ。反発される可能性は大いにある。
(じゃあ、あいつはおれに糾弾きゆうだんされたやつなのか?)
 だとしても、自分がそれをしていることは、誰も知らないはずなのだ。
(……やっぱり考えすぎだな)
 怜治はそう処理することにした。けれど、胸のむかつきはなかなかおさまらない。職場でのストレスと一緒で、すっきり解決とはいかないようだ。
 そういうとき、怜治がすることは決まっていた。怒りを他にぶつけるのである。それも、「正しい」方法で。
(よし、早く帰ろう)
 怜治は家路を急いだ。誰も待っていない、自分だけの城を目指す。胃袋は満たされていないが、途中のコンビニでおにぎりでも買えばいい。
 正義の行使のために、怜治は鼻息を荒くして前へ進んだ。
 仕事終わりに、駅前で知った人間とばったり顔を合わせる。
「あら、半田さん」
 驚いた顔を向けられ、龍樹は「どうも」と頭を下げた。
 彼女は琴平直子ことひらなおこ。犯罪被害者家族の集会で知り合った女性であった。
 もっとも、彼女は犯罪被害者に関わる人間ではない。広く定義すれば、その範疇はんちゆうに含まれるかもしれないが、別の見方では敵対する存在であるとも言えた。
 実際、彼女は集会の出席者ではなく、ボランティアとしてあの場にいたのである。
「半田さんは、お仕事の帰りなんですか?」
「ええ。琴平さんは?」
「わたしは、ボランティアスタッフの打ち合わせがあったんです」
 答えてから、直子はすまなそうな面持おももちを見せた。
「あの……せっかくですから、またお話を聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
 恐る恐る申し出たのは、そんなことをお願いできる立場ではないという意識があるからだろう。
「ええ。かまいませんよ」
 龍樹が了承すると、彼女が安堵の微笑を浮かべる。
「よかった……でしたら、近くのお店にでも」
 遅い時間まで営業しているコーヒーショップが近くにあったので、ふたりはそこへ入った。
「お仕事のあとでお疲れのところを、申し訳ありません」
 隅のテーブルで向かいあうと、直子は深々と頭を下げた。まだ二十代の後半なのに、表情から深い疲れが感じ取れた。年も三十路みそじを越えているように見える。
「いいえ、お気になさらずに。ところで、新しい仕事は見つかったんですか?」
「まだです」
 力なくかぶりを振ってから、彼女はかすかに笑った。
「すべてをなかったことにするのは、やっぱり無理なんですね」
 それが自嘲のほほ笑みであるのは、目に涙が浮かんでいることからもわかる。逃れようのない悔恨かいこんにつきまとわれていると、人間はそんなふうに笑うことしかできなくなるのだ。
「だけど、琴平さんは何もしていないのに──」
 言いかけて、龍樹は口をつぐんだ。要は何もしなかったからこそ、彼女は責められることになったのだ。まったくもって理不尽であるが。
「ありがとうございます。半田さんからそんなふうに言っていただけるだけで、わたしはずいぶん救われる気がします」
 お礼を言われても、やり切れないばかりだった。
 直子がすべてを打ち明けてくれたのは、龍樹が愛娘まなむすめをわいせつ目的でさらわれ、殺されたからであろう。おそらく、懺悔ざんげするに等しい心境だったのではないか。
 なぜなら、彼女の弟である琴平洋二ようじは、幼い少女を狙った連続わいせつ事件で、二年前に逮捕されたのだ。
 その名前は、本当なら世間に知れ渡るはずがなかった。彼は逮捕されたとき、まだ十八歳の予備校生だったのである。
 ところが、余罪が調べ上げられ、洋二が高校生のときから幼女や女子児童に性的な悪戯いたずらを繰り返していたことが判明すると、彼を糾弾する声が大きくなった。そうなれば、ネットに巣くう正義漢を標榜ひようぼうする連中が黙っていない。名前や住所を調べ上げ、私刑として晒したのである。
 龍樹も洋二の名前と顔を、ネットのあるサイトで目にした。そこは娘の彩華を殺した犯人、野島恭介の素性も掲載されたところであった。
 人間は複数で行動していれば、行き過ぎたときに抑える者が現れる。けれど、ネットで活動する者は、多くが個人で動く。そのため、抑えが利かずに暴走する傾向にあるのだ。まして、本人が正しいことをしているという意識で動いていれば、尚のこと私刑がおさまることはない。
 そのサイトの管理者は、容疑者である洋二のみならず、彼の両親や姉──直子の氏名、さらには顔写真や勤務先まで暴露したのだ。親として、きょうだいとして、犯行に気がついて止めるべきなのに、そうしなかったのは同等の責任があるという理由で。
 一度ネットに流出した情報は、衆人の関心を集めれば拡散する一方だ。知人や同僚にも犯罪者の姉だと知られ、直子は会社を辞めるしかなくなった。
 その後、再就職を目指したそうだが、犯罪者の姉となれば雇うほうも躊躇ちゆうちよする。弟と本人は別だと判断してくれる採用責任者がいても、体面を重んじる周囲から反対の声が上がり、結局は見送られることになる。それが残酷な現実だった。
 直子が集会のボランティアをしているのは、弟が犯罪に手を染める前に、正しい方向に導いてやれなかった後悔の念と、罪悪感からであるという。犯罪被害者家族の声を聞くことで、自らの過ちを深く胸に刻みたい。また、少しでも力になることでつぐないたいのだと、彼女は前に話してくれた。
 そこまでする必要はないと、龍樹は直子に告げた。彼自身、愛娘を奪った恭介には様々な思いがあれど、身内には何の恨みも抱いていなかった。
 それを聞いても、直子は力なく首を横に振った。彼女は弟の裁判を傍聴したとき、そこにいた被害者女児の親から、ひどく罵られたのだという。それも、かなり露骨で聞くに堪えない、罵詈讒謗ばりざんぼうを浴びせられたらしい。
 いったい何を言われたのか、龍樹はさすがに聞けなかった。だが、直子への誹謗ひぼう中傷なら、ネットで目にしていた。弟が性犯罪に走らないよう、姉が欲望を処理してやれば良かったのだという、下劣げれつ極まりないものを。おそらく被害者の親が口にしたのも、そのたぐいではなかったのか。
「ところで、弟さんは?」
 話題を変えると、直子が表情をこわばらせる。
「……亡くなりました」
 ぽつりと告げられた言葉に、龍樹は衝撃を受けた。
「え、亡くなった──」
「自殺したんです。シャツを切り裂いてひもにして、トイレで首を吊ったそうです」
「だけど、どうして?」
「遺書があって、わたしや両親が世間から酷い仕打ちを受けることに耐えられない。死んでお詫びすると書いてありました」
 そう言って、直子は下唇を噛んだ。
 彼女の弟がしたことは、決して許されることではない。被害者の少女たちはからだや心に傷を負い、この先もつらい思いを抱えたまま生きることになるであろう。
 本来なら、琴平洋二はその罪を生涯背負い、償わねばならなかったのだ。なのに、彼は両親や姉への負い目から死を選んだ。もちろん、自らのしたことも悔やんでいたであろうが、償うことなく逝ってしまったのだ。
 彼が自殺したと知ったら、ネットに情報を流した連中は、快哉かいさいを叫ぶのであろうか。しかし、それは間違っている。龍樹は歯噛みする思いであった。
「だけど、洋二が死んでも、まだ終わりじゃないんです」
 直子が言う。眼差しに、決意が宿っていた。
「わたしは洋二の死も背負って、生きていかなくちゃいけないんですから」
 龍樹には、彼女にかけるべき言葉が見つからなかった。加害者の身内も、犯罪被害者の家族と変わりがないと訴えたかったが、それを受け入れてくれるとは思えなかった。
「……琴平さんやご両親の情報をネットに流したのは、やはり琴平さんが以前勤めていた会社の人間なんですよね?」
 たぶんそうであろうと、直子から前に教えられたのだ。あれから色々と調べて、あのサイトの管理人が誰なのか、だいたいの目星はついている。
「ええ。わたしが履歴書に書いたことも、ネットで流れていましたから。でも、そんなのは、もうどうでもいいことです」
「琴平さんがよくても、同じように苦しめられているひとたちが、まだ大勢いるんですから」
「それはそうかもしれませんけど」
 彼女自身は、本当に吹っ切れているようだ。弟の死で、それどころではなくなったというのが本心であろうが。
 すると、直子がふと怪訝な面持ちを見せる。
「ああいう情報をネットに流すのって、どんなひとなんでしょうね」
 それならば、すぐに答えられる。
「ネット上で威張いばりくさっているだけで、現実では何もできない、情けない人間ですよ」
 龍樹は吐き捨てるように答えた。
(第13回へつづく)

バックナンバー

小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop