双葉社web文芸マガジン[カラフル]

憐れみの詩(小倉日向)

プロローグ

(……どこだ?)
 夢の世界から現実に戻されて、堀江幸広ほりえゆきひろが最初に考えたのがそれであった。
 まぶたを開いても、何も見えない。完全な暗闇だ。
 それでも、自分が椅子いすに坐らされていることはわかった。尻や背中、手に触れる感触からして、ごくありきたりなパイプ椅子らしい。
 まったく動けないのは、両手両足が椅子のパイプ部分に結束バンドで固定されているからである。それも、肌に喰い込むほどにがっちりと。
 どうやら何者かに拉致らちされ、拘束されたのだ。そうと理解しても驚くほど冷静だったのは、前にも似た状況を経験していたからだろう。とは言え、そのときは拘束される側ではなかった。
 暴れても無駄なのはわかっている。むしろ妙な動きを取れば、椅子ごと床にひっくり返る恐れがあった。そうなったら、今以上に屈辱的な状況になることは想像にかたくない。
(とにかく、誰が俺をこんな目に遭わせたのかってことだな)
 眠りにおちいる前のことを、懸命に思い出そうとする。けれど、頭がうまく働かない。目覚める前に、やけに展開が目まぐるしい、シュールな夢を見ていたせいだろうか。内容はほとんどおぼえていないが、突拍子とつぴようしもない夢のために、現実感を取り戻しにくいのかもしれない。
 加えて、闇の中にいるために、いまだ眠りの中にいるのか、それとも本当に目覚めているのか、脳が理解できずにいるのではないか。
 どことも知れぬ暗黒に置かれているために、声を出すこともためらわれた。何かアクションを起こすなり、得体えたいの知れないものが襲いかかってきそうだったのである。
 とにかく、どうしてこうなったのかを探るため、懸命に記憶をほじくり返す。その結果、初めて訪れたショットバーで、隣にすわった女性と話したところまでは、どうにか思い出せた。ということは、会話の最中に意識を失ったのか。
(てことは、あの女に一服いつぷく盛られたのか?)
 そんなふうに考えたのは、思い当たることがあったからだ。頭がぼんやりしているのも、薬物の副作用ではないのか。
 とは言え、くだんの女性は、そんな悪辣あくらつなことをたくらむ人間に見えなかった。そもそも、そんな怪しい女に、自分が声をかけるはずがない。
(じゃあ、あのバーテンダーが?)
 しかし、いかにもアルバイトという若い男で、気弱げな風貌ふうぼうをしていた。あいつでもなさそうである。
 どうやら、まだ思い出せていない部分がありそうだ。そこをさぐろうと意識を集中しかけたところで、バチンと金属的な音が大きく響いた。
「うわっ」
 思わず声を上げて目を閉じたのは、強烈な光を真正面から当てられたためである。網膜もうまくに、カメラのフラッシュのような残像がくっきりと残った。
 瞼を通して明るさが感じられる。かなり強いライトだ。堀江は顔を背け、光のほうを見ないように注意しながら、自分がいる場所を確認した。
 床はほこりっぽい、古びたコンクリートだ。左右を見れば、それがかなり続いている。光のある前方と、目の届かない後方は定かではないものの、かなり広い場所のようだ。
 印象としては、廃業した工場の内部という感じか。少なくとも、誰かがそこで日常をいとなむような場所ではない。
 つまり、仮に声を上げたところで、助けは望めないということだ。
「さすがに落ち着いていますね」
 声がした。男の声だ。だだっ広い空間に反響し、軽くエコーのかかったそれに、聞き覚えはなかった。落ち着いた雰囲気からして、年上のようである。
「誰だ」
 問いかけに、男は答えなかった。どうやら光の後ろ側にいるらしい。そのため、姿をとらえることは不可能だった。
「俺をどうするつもりだ。何が目的なんだ?」
 つの苛立いらだちを隠して問いかける。感情的になったら敵の思うつぼだ。
「わからないんですか?」
 質問に質問で返されるほど、腹立たしいことはない。こちらの内情を探り、あやつろうとしていることぐらい馬鹿でもわかる。
 そっちがその気なら、こっちも質問に答えなければいい。そうすれば、向こうが持ちごまを出してくるはずだ。
 黙っていると、男がたずねる。
「こうして拘束されている理由が、わからないんですね?」
 さげすむような口調で再確認され、堀江は「ああ」とぞんざいに答えた。こんな目に遭わせておきながら、丁寧ていねいな言葉遣いをするのも不愉快だった。
「では、あなたから訊きたいことはありますか?」
「だから、お前は誰で──」
 さっきと同じことを質問しそうになり、口をつぐむ。どうせはぐらかされるに決まっている。もっと相手の手掛かりをつかめることを訊ねるべきだ。
「俺をどうやってここへ連れてきたんだ?」
「酔わせて、前後不覚になったところを車に乗せました」
 あっさりと、しかも単純な方法を告げられて、拍子抜けする。そうすると記憶がないのは、酔ったせいなのか。
「そのときのことを、何も憶えてないんですね?」
「ああ」
「酔って記憶をなくすのはよくあることです。特に、度数の高い酒を飲んで、血中のアルコール濃度が一気に上がったときには、かなり長い時間の出来事を思い出せなくなるんですよ」
 ということは、男とはあのショットバーで出会ったのか。勧められて、強いカクテルでもあおったのかもしれない。
 そこまで考えて、堀江は不意に思い出した。隣に坐った女性と意気投合したはずが、さてこれからというところで先に帰られたことを。
(そうすると、あの女はこいつと無関係なのか)
 獲物に逃げられてくさっていたものだから、どこの誰とも知らぬ男の口車くちぐるまにのせられて、飲みすぎてしまったらしい。
「ですから、堀江さんが口にしたのはアルコールのみです。妙な薬は飲んでいません」
 男の言葉に、堀江はドキッとした。名前を知っていたから驚いたのではない。当てつけるみたいに、薬のことを口にされたからである。
(こいつ、何か知っているのか?)
 かまを掛けただけとは思えない。不吉なものを感じた。
「俺をどうするつもりなんだ?」
 問いかける声が、ここに来て震えを帯びる。それでも、拉致された身としては、まだ気丈きじように振る舞えていたほうではないのか。
「それは、あなた次第です」
 足音が聞こえる。男が前に進んだようだ。残念ながらライトを背にしたため、逆光で顔が見えなかった。
(それほどがたいのいいやつじゃなさそうだな……)
 目を細めて男のシルエットを確認し、堀江はいくらか安堵あんどした。自分は身長も体重も平均以上だし、いざとなれば闘って勝てるはずだ。もちろん、いましめを解かれたらの話である。
(そうか。ここまで念入りに拘束したのは、腕っぷしに自信がないからなんだな)
 優越感が、堀江に余裕を与える。威張りくさるみたいにからだを背もたれにあずけ、自然と胸をらす姿勢になった。
 男が言う。
「まずは、こちらがあなたに関して知っていることをお伝えします。間違っていたら、あとで訂正してください」
「ああ。それで?」
「名前は堀江幸広。三十二歳で独身。広告代理店に勤務しており、クリエイティブ部門に所属。まだ若いのに、けっこう権限がある立場のようですね。南青山みなみあおやまのマンションに住んでいるのは、それだけ収入があるからなんでしょう。残念ながら、私は広告業界に通じていないので、あなたがその地位を才能によって得たのか、単なる世渡り上手なのかはわかりません」
「才能だ。決まってるだろう」
 ムッとして言い返すと、男が一歩前に出る。こちらを見おろし、腕組みをした。
「ずいぶんと自信家のようだ。さぞや女性にももてるんでしょうね」
「当たり前だろ」
「だったら、薬や暴力を使って女性を意のままにする必要はないはずだ」
 男の言葉遣いが変わった。やはりあのことを知っているのだ。
 堀江は奥歯をギリリとめた。しかし、自分から白状する必要はない。
「何の話だ?」
 とぼけると、男がいきなり向こうずねを蹴ってきた。
「ぐっ」
 堀江はうめいた。それほど強く蹴られたわけではないが、弁慶べんけいの泣き所とも呼ばれる人間の弱点である。鋭い痛みがすぐには消えなかった。
「やっぱりな」
 男の声に、堀江はとうとう怒りを表に出した。
「やっぱりとはどういう意味だ!」
「普通なら、こんなふうに身動きが取れない状態にさせられたら、逃れようともがくはず。なのに、お前は何もせずにじっとしている。前にも経験があって、ヘタに動いたらかえって窮地きゆうちに陥るとわかっているからだろう」
 そこまで知っているのかと、堀江はまゆをひそめた。
「もっとも、そのときは拘束されたんじゃなくて、したほうだったんだよな」
 男が身をかがめ、顔を近づけてくる。逆光で容貌ようぼうははっきりせずとも、暗い光をたたえた目の場所はどうにかわかった。
「そのとき、お前はもがく彼女に言ったはずだ。暴れても無駄だと。そんなことをすれば椅子ごとひっくり返って、かえってまずいことになるとも。だが、恐怖に駆られた女性が、そんな言い分を素直に聞けるはずがない。結果、お前が目論もくろんだとおり、彼女は床に倒れた。こんなふうにな」
 いきなり胸を押され、堀江は「うわっ」と声を上げて後ろに転倒した。後頭部をコンクリートの床にぶつけ、目の奥に火花が散る。しばらくは痛みに呻くだけで、声が出せなかった。
無様ぶざまだな」
 言い放った男がしゃがみ込む。のぞき込んできた彼を、堀江は負けじとにらみつけた。
「こんなふうに椅子ごと倒れた彼女を、お前は卑劣なやり方でもてあそんだ。絶望にさいなまれて、もがくことすらできなくなったのをいいことに」
「──あ、あいつに頼まれたのか!?」
 懸命に気を張って訊ねると、男が首をかしげたのがわかった。
「あいつって誰だ?」
「今、お前が言った女だよ」
「名前は?」
 質問に、堀江は答えられなかった。すると、男がやれやれという口調で、「ま、そうだろうな」と吐き捨てる。
「お前には、相手の名前なんてどうでもいいわけだ。単なる欲望のはけ口でしかないからな。人間じゃなくて、ただのモノとしか思っていないんだろう」
「うるせえ。そうか。あいつに頼まれたんだな。復讐して、俺を同じ目に遭わせろって」
 彼女の名前を、堀江は確かに憶えていなかった。だが、必ず見つけ出して、こんなことを依頼したつぐないをさせてやらねばならない。
上条敦子かみじようあつこだ」
「え?」
「あいつじゃない。上条敦子という名前がある。ひとりの人間としての尊厳もな」
 男の説教など、堀江はまったく聞いていなかった。女を捜し出す手掛かりを与えるなんて、馬鹿なやつだとほくそ笑んだだけであった。
「だいたい、同じ目に遭わせるなんて不可能だ。あいにく私には、男色だんしよくの趣味はない。お前が彼女にしたことを、お返しするなんておぞましいだけだ」
 男が立ちあがる。また蹴られるのかと身構えた堀江であったが、そうはならなかった。
「ところで、これから言う名前は憶えているか? 有野静華ありのしずか山木茉莉亜やまきまりあ本郷玲奈ほんごうれな──」
 いちいち数えていなかったが、二十名以上の名前が挙げられたようだ。もちろん、誰ひとりとして記憶に残っていない。ぼんやりと、聞き覚えがあるものはあったけれど。
「全員、お前がレイプした女性たちだ。ときには拘束し、ときには薬で意識を朦朧もうろうとさせて自由を奪い、お前は彼女たちの身も心も踏みにじったんだ」
 断罪しながらも、男の口調は落ち着いていた。丁寧な言葉遣いだったときと、それは少しも変わっていなかった。
 それゆえに、不気味だったのも事実である。
(じゃあ、あいつに頼まれたわけじゃないんだな)
 何人の女性を凌辱りようじよくしたのか、堀江は正確に憶えていなかった。訴えられないよう、用意周到にコトを運んだものの、一度ヤッてしまえばそれで終わりだ。そうして、また次の獲物を狙うだけなのだから。
 セックスをさせるだけの女なら、いくらでもいる。地位と金をちらつかせれば、女たちは喜んでまたを開いた。
 それに満足せず、強制的に交わることを好んだのは、より快感が大きかったからだ。肉体的なものばかりでなく、精神的な部分でも。
 女を支配し、屈服くつぷくさせ、果ては恥辱ちじよくの涙をこぼす姿に、堀江は心からの愉悦ゆえつを覚えた。みずからが神になった気すらした。
 椅子に拘束して辱めた女の名前を、堀江は憶えていなかった。けれど、行為そのものは容易に思い出せる。最も直近の獲物だったからだ。
 強姦を始めた当初は、俗にレイプドラッグと呼ばれる薬物を使い、正常な判断力を奪った上で女を犯していた。しかし、薬の効き具合によっては、最後まで相手の意識が朦朧としたままで終わることもある。それでは面白おもしろくない。行為の最中に我に返った女が、自らの置かれた状況に嘆き悲しむさまこそが、彼をたかぶらせたのだ。
 薬物から物理的な縛めへと変化したのは、抵抗の激しかった女を殴り、手足を縛ったことがきっかけだった。自由を奪われて悲嘆にくれる彼女を、堀江は何度も責め苛んだ。薬の影響で抵抗もままならぬ女を抱くのより、何十倍も昂奮こうふんした。
 以来、薬は獲物を捕らえるためのみに用いることにした。その上で拘束し、正常な意識を取り戻したところで、彼女たちを凌辱したのである。嫌悪と哀切あいせつの声を、耳に心地よく感じながら。
 女を殴ったのは、最初に縛ったひとりだけである。暴力で言いなりにさせても面白みがない。あくまでもセックスで支配したかったのだ。
 ベッドに縛りつけるのに飽きて、椅子を使うことを思いついたのが、その上条とかいう女のときである。そのままでは交わることができず、動けない女を少しずつき、言葉と手を用いてはずかしめた。
 長時間、恐怖にさらされたからだろう。縛めを解いたあとも彼女は抵抗しなかった。最後はベッドに組み伏せ、泣きはらした顔を小気味こぎみよく眺めながら、堀江は最高の歓喜にひたったのである。
 女たちの名前を憶えていなかったように、彼女たちにもこちらの素性すじようを明かしていない。おのれのテリトリーで行為に及んだこともなく、もちろん証拠を残すようなヘマはしない。加えて、最後にきっちりと脅したから、訴えられるなんて少しも考えなかった。
 だいたい、レイプ被害者のほとんどは泣き寝入りなのだ。用意周到に進めた自分が捕まるわけがない。堀江は自信を持っていた。
 仮に参考人として呼ばれ、取り調べを受けたところで、何もしていないとしらばっくれるだけだ。裁判になったら有能な弁護士を雇って、女の落ち度を責め立てればいい。すぐに耐えられなくなって、訴えを取り下げるだろう。いくらレイプが非親告罪になったところで、結局は証拠がものを言う。被害者の協力がなければ、裁判所は何もできない。
 しかしながら、まさかこんな方法で逆襲されるとは、思ってもみなかった。
「あいつじゃないってことは、他の女に頼まれたのか?」
 問いかけに、男は「いや」と短く答えた。
「だったら、誰に頼まれた。女どもの家族か。それとも恋人か?」
「私は、誰からも依頼されていませんよ」
 再び丁寧な言葉遣いになった男が、その場を離れる。遠くへ行ったわけではなく、すぐに戻ってきた。彼の手には、三脚に取りつけられたビデオカメラがあった。
「これから、あなたがしたことをすべて白状していただきます。女性たちの名前は憶えていなくても、どこでどんなことをしたのかぐらいは思い出せるでしょう」
 どうやら自白ビデオを撮影するつもりらしい。犯罪の証拠にするために。
「お前、刑事なのか?」
「違います」
 男が即座に否定する。確かに、こんな方法で自白を取ったところで、証拠になるはずがない。むしろ、非道な捜査方法を糾弾きゆうだんされるだけだ。
 堀江は椅子ごと起こされ、最初の体勢に戻った。すぐ前に、ビデオカメラがセットされる。
「では、話してください」
 カメラの赤いランプが点灯する。録画が始まったのだ。
「話すことはない」
 堀江は唇を引き結んだ。こんなことでべらべら喋るような、間抜けでも腰抜けでもない。
 すると、男がまた事実を突きつけてくる。
「あなたは、女性たちにこう言って脅したそうですね。お前の恥ずかしい姿は、すべて撮影した。妙な真似まねをしたら、動画をネットで公開するからな、と」
「どうしてそれを──」
 言いかけて、慌てて口をつぐむ。そんなことまで知っているということは、やはりレイプした女たちに頼まれたのではないのか。
「だけど、実際には撮影なんかしていなかった。犯罪の証拠を残すような真似を、あなたがするはずありませんから。口先だけの脅しだったわけです」
 事実その通りであったが、もちろん認めるわけにはいかない。堀江は無言をつらぬいた。
「けれど、女性たちはそこまで疑いません。本当にあれが撮影されたのかと、レイプされたあとも長らく苦しんだのです。つまり、あなたがすべてを白状しない限り、彼女たちは死ぬまでレイプされ続けるのです」
 などと言われても、堀江が心が動かされることはなかった。次の言葉を聞くまでは。
「上条敦子が死にました。自殺です」
「え?」
 レイプした女がどうなったのかなんて、少しも気にしていなかった。だが、自殺したと聞いて、堀江はさすがに動揺した。
(第2回へつづく)

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小倉 日向Hinata Ogura

北多摩在住。静かな土地で犬と暮らし、純米酒と芋焼酎を好む風雅人。漂泊の歌人になることが夢。

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