双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アカツキのGメン(横関大)

イラスト:おおさわゆう

第9回

 楽しかった披露宴が一転して葬式に変わってしまったかのような落差だった。一行は会話一つなく喫茶デイブレイクの前まで辿り着いた。車から降り、重たい体を引き摺って店内に入る。時刻は午後十一時になろうとしていた。
 五郎が厨房に入っていき、一升瓶の酒を持ってきた。乱暴な手つきでコップに注ぎ、それをみんなに配った。忠正もコップを手渡される。乾杯のかけ声もなく、それぞれで酒を飲み始めた。酒宴というより、動揺した心を落ち着かせるための一杯だ。
「いったいどうなってるんだよ」重い沈黙を破ったのは幹雄だった。「なぜこうなっちまったんだ。奴らはなぜ新聞紙なんかを輸送車で運んでいたんだよ。まったく意味がわからねえ」
 強奪した現金輸送車内には五つのジュラルミンケースが積まれていたが、いずれも中身は新聞紙だった。忠正もこの目で確認したから間違いはない。
「囮だったんじゃないかな。僕たちが狙っていることに気づいていたんだよ。だから警備会社はわざと新聞紙を積んだ輸送車を走らせていたってことだよ」
 誠がそう言ったが、その説明は納得できるものではなかった。忠正は酒を一口飲んでからそれを指摘する。
「囮ってことはない。もし囮だったら、とっくに俺たちは手錠を嵌められているはずだからな」
「忠さんの言う通りだ」同調したのは五郎だった。「計画がバレていたら、向こうは俺たちを捕まえようとするだろう。こんな呑気に酒なんて飲んでいられなかったはずだ。まったく解せねえな。こんなことは初めてだぜ」
 こういうタイプの警備体制なのだろうか。つまり正規の輸送車のほかに金を積んでいない輸送車を走らせることにより、被害を分散させようというのだ。しかしそんな話は聞いたこともないし、そもそも日本では現金輸送車が襲われる事件など頻発しておらず、むしろ稀だ。警備会社がそこまで手を込んだ真似をするはずがない。
「幹雄おじさん、俺、コンビニで食べ物でも買ってこようか」
 飛露喜がそう言ったのに応えて、五郎が誠に向かって言った。
「マコ、何か適当に作ってくれ」
 誠が厨房に入っていく。重苦しい空気だった。せっかく現金輸送車強奪を成功させたと思ったら、中に金が入っていなかった。徒労感に襲われるとともに、どうしてこうなったという疑念が胸の中で渦巻いていた。
 そのときだった。カランコロンという音が聞こえた。こんな夜遅くに客が入ってくるわけがない。まさか警察か。忠正は思わず腰を浮かした。しかし逃げるといっても裏口があるかどうか、忠正にはわからない。
「と、トミーじゃねえか」
 幹雄がつぶやいた。店には二人の男が入ってきた。最初に入ってきたのは四十代くらいの男で、あとから入ってきたのは忠正たちと同世代の男だった。二人とも背は低く、同じダークグレーのスーツを着ている。顔が似ており、二人は親子ではないかと思われた。
「これは皆さん、お揃いで。ご無沙汰しております」
 年配の男が恭しく頭を下げた。どこか気どった感じの男だ。スーツも高級そうで、忠正の周囲では見かけないタイプの男だった。この男がトミーだろう。五郎たちと顔見知りらしい。トミーという男は薄ら笑いを浮かべて言った。
「アカツキ強盗団も地に堕ちましたね。まさか偽の輸送車を襲ってしまうとは、三人ともボケてしまったのでしょうか。認知症ってやつかもしれませんね」
 なぜこの男は俺たちが現金輸送車を襲ったことを知っているのか。嫌な予感に襲われ、忠正はほかの面々の顔つきを窺った。五郎たち三人は険しい視線をトミーに向けている。飛露喜は状況を飲み込めていないようで、困惑した表情を浮かべて立ち尽くしているだけだった。
「トミー、まさかお前の仕業じゃねえだろうな」
 幹雄がそう言って詰め寄ろうとしたが、後ろから誠に肩を押さえられた。五郎と視線が合った。五郎は小さな声で説明した。
「忠さん、こいつは俺たちの昔の知り合いだ。名前は堤友彦だ」
「五郎さん、わざわざご紹介いただき光栄です」友彦が小さく頭を下げて言った。「今は堤ではありません。婿に入りましてね、今では庭野という名字です。庭野智彦です」
 幹雄が前に出た。短い付き合いだが、三人の中ではこの男が一番血の気が多いことを忠正は知っていた。幹雄は唾を飛ばしながら
言った。
「うるせえ、トミー。名前なんかどうでもいいんだよ。お前が婿に入ろうが嫁をもらおうが、俺たちには関係ねえ。とにかくはっきりさせやがれ。今回の一件、お前が仕組んだってことなんだな」
 友彦は答えなかった。薄ら笑いを浮かべたまま、店内をゆっくりと見渡している。古びた内装を嘲笑っているようでもある。息子らしき男がスーツの懐からスマートフォンを出し、それに耳を当てた。二言三言話してから男は店のドアを開けた。カランコロンという音とともにドアが開き、一人の女性が店の中に入ってくる。
 東南アジア系の顔立ちをした二十代の女性だ。ぱっちりとした目に、抜群のスタイル。飛露喜が一歩前に出て言った。
「ジャスミン、どうして……」
 彼女のことは詳しく知らない。しかし何となく想像できた。最初から彼女は敵側の回し者だったのではないか。彼女からの情報をもとに立てた計画であるなら、すべて筒抜けだったと考えていい。
 ほのかに香水の香りが漂ってくる。ジャスミンが親しげに友彦の肩に手を置いた。ジャスミンの方が頭二つほど背が高い。友彦は肩に置かれたジャスミンの手に自分の手を重ね合わせた。
「これであなた方は一巻の終わりです。皆さんの運命は私の手中にある。そう考えていただいて結構です」
 友彦が勝ち誇ったようにそう言った。

「ジャスミン、車で待っていなさい。用を終わらせたら飯でも食べにいこうじゃないか」
 友彦がそう言うと、ジャスミンという東南アジア系の顔立ちをした美女は妖艶な笑みを浮かべて店を出ていった。その姿を満足げに見送ってから友彦は言った。
「おい、英彦。あれを出せ」
 英彦と呼ばれた男が前に出た。やはり顔立ちが似ており、その名前からして息子だと想像できた。英彦がアタッシェケースから何かを出し、それを配り始めた。それはホテルチェーンのパンフレットだった。
 友彦が笑みを浮かべて言った。
「いろいろありましてね。今、私はホテルチェーンのオーナーをやっているんですよ。ニワホテル。ご存知ありませんか? ニワ、ニワ ニワ、ニワホテルです」
 テレビコマーシャルだ。大御所演歌歌手のかけ声で有名だ。ニワ、ニワ、ニワ、ニワホテル。一度聞いたら忘れられないフレーズだった。
「お陰様で秋にオープンする横浜店で十九店舗目です。地道にこつこつとやってきた結果です」
 忠正自身は泊まったことはないが、雑誌の記事で読んだことがある。リーズナブルな料金が出張のサラリーマンに好評で、さらにポイントカードで会員を優遇するシステムのようだ。ホテルだけではなく提携する飲食店でもポイントを貯めたり使ったりできるらしい。
「来年、東京でオリンピックが開かれて、ホテルの混雑が予想されます。日本のホテル業界は数十年に一度の特需を迎えようとしているんですよ。うちも来年に照準を合わせた企画を用意しているところですが、やはり客室数が足りません。都内には新橋、新宿、池袋、上野と計四店舗を構えていますが、来年に向けた隠し球を用意できないか。そう思って頭を悩ませていました」
 話がまったく見えない。五郎たちも同じなようで、険しい顔で友彦の顔を見つめていた。本来であれば追い出したいはずだが、庭野という男の目的がはっきりとしない以上、迂闊には手を出せない状況だった。
「そんなときに思い出したのがあなた方のビルです。神保町アカツキビル。駅から近いし立地条件も十分です。ニワホテル神保町店。なかなか悪くないと思いませんか」
「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって」ずっと黙って話を聞いていた五郎がようやく口を開いた。「悪いけどな、トミー。俺はホテル経営なんて興味ないんだよ。そりゃ汚い店だし、だいぶガタもきてる。でも俺たちはこの喫茶デイブレイクを気に入っているんだ。ホテルなんかに改装するつもりはこれっぽっちもない。ほかを当たってくんな」
「五郎さん、ご自分の立場がわかっていないようですね」
「何だと?」
「ご紹介が遅れました。この男は私の息子の英彦といいます。以後お見知りおきを。おい、英彦。この痴呆症気味のご老人方にあれを見せてあげなさい」
 父親に命じられ、英彦が前に出た。アタッシェケースからタブレット端末を出し、その画面をこちらに向けた。その映像を見て、忠正は息を呑んだ。
 今日の映像だ。警察官に扮した忠正と五郎が映っている。ちょうど二人の警備員を偽パトカーに誘導しているシーンだった。隠し撮りされていたということか。高性能の望遠カメラを使用しているようで、顔まではっきりと映っている。
「東洋警備保障の社長とは仲よくさせてもらっているので、全面的に協力してもらいました。餌をまけばあなた方は必ず食らいつく。そう確信してました」
 続いて別のシーンに移る。今度はルミ子の姿だった。現場からこっそり逃げ出した彼女が路上に出て、一台の軽自動車にピックアップされる様子だ。軽自動車を運転しているのは誠で、その顔もアップでしっかりと撮られていた。
 さらに別の場面となる。今度は永福にある廃工場前だった。廃工場からこっそり出てくる忠正たちの姿が映っていた。街灯に照らされ、一瞬だけ忠正の横顔がはっきりと映り、ご丁寧にもその瞬間を拡大するという編集までされていた。
「おわかりですか。皆さんの犯行はすべて録画させていただきました。オリジナルは私の手元にあります。この映像を見たら警察はどう思うでしょうかね」
「好きにすればいいさ」幹雄が強がった。「結局のところ、俺たちは金を盗んでいないんだ。それともあれか? 新聞紙盗んだことが重罪に当たるのか。そんな馬鹿な話はねえだろ」
 忠正は腋の下に汗をかいていることに気がついた。たしかに新聞紙を盗んだだけでは重罪にならない。しかし微罪を多く重ねているのは疑いようのない事実だった。たとえば警察官に扮したのは身分詐称に当たるし、廃工場を無断で使用したのは不法侵入に当たるだろう。それ以外にも微罪はいくらでもある。塵も積もれば何とやらだ。
「幹雄さん、そこまで言うなら試しに警察に映像を送ってみましょうか。どうなるか楽しみですね」
「トミー、てめえ……」
 幹雄はそう言ったきり黙りこくった。ほかの面々も憎々しげな表情で友彦をにらんでいるだけだった。友彦が胸をそらして言う。
「別に全財産を寄越せと言っているわけじゃないんです。このビルを渡してくれたら私はそれで満足なんですよ。その年になって警察の厄介になりたくはないでしょう。特にそちらの新メンバー、小栗さんでしたか。小栗さんには世間体というのもあるんじゃないですか。元刑事が輸送車を襲うなんて、ワイドショーの格好のネタだ」
 ぐうの音も出ない。振り込め詐欺の被害に遭った元刑事が現金輸送車を襲う。マスコミは放っておかないだろう。世間に知られたらどうなるか。それを想像するだけで気分が悪くなってくる。登美子の顔が目に浮かんだ。すまん、とんだ失敗をしてしまったようだ。
「英彦、あれを」
 その言葉に英彦が反応し、アタッシェケースから書類を出した。それをテーブルの上に置くと友彦が言った。
「五郎さん、そちらが合意書となっています。私の提案を受け入れるのであれば、そこに署名と拇印をお願いします。登記などの所有権移転やその他諸々の手続きについては、後日代理人を立てておこなうことになりますが、まずはこの合意書へのサインをもって、契約確定とさせていただきたいと考えております」
「汚ねえぞ、トミー」幹雄が吠え立てる。「このビルを渡すわけにはいかねえんだよ。このビルは――この喫茶デイブレイクは、俺たちにとって大事な場所なんだ」
 幹雄は争う構えを見せているが、かなり分が悪いことを忠正自身は認識していた。完全に証拠に握られてしまっており、言うなれば喉元にナイフの切っ先を突きつけられた状態だろう。
「トミー、約束しろ」
 そう言いながら五郎が前に出た。その顔には悲愴感が漂っている。何かを諦めたような男の顔つきだった。
「合意書にサインする代わりに俺たちの安全を保証しろ。俺たちを警察に売ることは絶対に許さんぞ」
「五郎さん、私がそんな卑怯な人間に見えますか。あなたとは違うんですよ。そういうことがないように合意書を作成するんですよ」
 五郎は椅子に座り、テーブルの上に置かれた合意書を読み始めた。その背中に向かって幹雄が言った。
「やめろ、五郎。こんな奴の言いなりになることはねえ」
「ミッキー、考えてみろ」五郎は合意書に視線を落としながら言う。「俺たちの完敗だ。トミーの策略を見抜けなかった俺たちの負けなんだよ。たしかに新聞紙を掴まされただけだが、叩けばいくらでも埃が出てくる体だ。それに忠さんや飛露喜を巻き込むわけにはいかないだろ」
「五郎、だからと言って……」
「このビルを渡すだけだ。それにいい潮時かもしれない。毎日店を開けるのが正直つらくなってきたんだよ、最近な」
 合意書を読み終えたらしく、五郎は右手を友彦の方に差し出した。すると息子の英彦が前に出て、五郎の手に万年筆を手渡した。
「五郎……」
 幹雄はそう言ったきり、黙って下を向いてしまう。無念さを噛み締めているようだ。その隣では誠が蒼白な顔をして立っている。飛露喜も同じく立ち尽くしていた。
 五郎が合意書にサインをした。そして英彦が用意した朱肉に親指をつけ、サインの隣に押捺する。拍手が聞こえた。友彦が勝ち誇った笑みを浮かべながら歩いてきて、テーブルの上の合意書を手にとった。
「素晴らしい。今夜は最高の夜になりましたね。来年の東京オリンピックまでには間に合わせるつもりです。もちろん皆さんも宿泊できますよ。会員価格で宿泊できるように手配させていただきますので」
「ふざけるな、誰が金払って泊まるもんか。お前、覚えてろよ」そう文句をまくし立てたのは幹雄だった。「この恨みは絶対に忘れねえぞ。おい、マコ。お前からも何とか言ってやれ。おい、五郎。お前だってこのまま引き下がるタマじゃねえだろ……。おい、五郎――」
 幹雄は椅子に座る五郎に近づいた。五郎はこめかみのあたりを押さえ、苦しそうな顔つきで荒い呼吸をしていた。忠正も思わず駆け寄っていた。
「おい、五郎。苦しいのか」
 幹雄がそう声をかけるが、五郎は答えなかった。痛みが激しくて答えられないといった感じだった。たまらず忠正は幹雄に訊いた。
「激しい頭痛だろう。持病があるのか?」
「ないはずだ。おい、マコ。車を用意しろ。救急車を呼ぶより運んだ方が早い。忠さん、肩を貸してくれ。近くにかかりつけの病院があるんだよ」
「わ、わかった」
 幹雄と二人で五郎を立ち上がらせる。誠が慌てた様子で店から出ていった。そのまま五郎を担ぎ、店のドアに向かって歩いていく。五郎は足元が覚束ない様子だった。何とか幹雄と二人で五郎を運ぶ。背後で声が聞こえた。
「あらま、ショックで脳の血管をやられてしまったんですかね。まあ合意書は手に入ったことだし、今日のところはよしとしましょうか。お大事にしてくださいね」
「この野郎、ふざけやがって……」
 幹雄はそう言ったきり黙り込んだ。そのこめかみには血管が浮かび上がっており、彼の怒りの凄まじさを物語っていた。店から出ると、そこには誠が運転する軽自動車が停まっている。痛みに苦しむ五郎を後部座席に押し込んだ。

「トミーはアメリカ時代の仲間なんだよ。今から三十年ほど前のことだな。当時、俺たちはアメリカの西海岸、カリフォルニア州を拠点にしてたんだよ」
 水道橋にある病院の待合室にいた。大きな個人病院のようで、夜間であるが五郎を受け入れてくれ、今はちょうど診察中だった。ここに運ばれてから一時間が経過している。ずっと重苦しい空気が漂っていたが、ようやく幹雄が話し出した。誠も同じ待合室に座っているが、飛露喜は先に帰らせた。
「何かのパーティーだったかな。トミーと会ったんだ。当時、あっちではまだ日本人は珍しくてね、すぐに友達になって一緒にバーベキューをしたりする仲になった。奴が俺たちの仕事を手伝うようになるまで、さして時間はかからなかったよ。つまりあいつは四人目の仲間ってわけさ」
 友彦はまめに動くタイプの男で、計画には重宝した。しかし仲間になって二年ほど過ぎたとき、ある異変が起きる。
「トミーの野郎、独立を企てたんだ。俺たちのノウハウをそのまま使って、しかも安い人件費で現地のチンピラを雇う。それだけ多くの儲けが懐に入るってわけだ」
 去る者は追わないのがアカツキ強盗団の主義だった。それでも裏の社会にいるから友彦の情報は嫌でも耳に入ってくる。
 独立後の初仕事だった。地元のチンピラを率いてカジノを出発した現金輸送車を襲った友彦だったが、どこかで計画が洩れたのか、輸送車には通常の倍の警備員が乗っていて、激しい銃撃戦となった。
「計画は失敗に終わった。なんとか逃げたトミーも後日警察に捕まったが、もともと頭がよかったんで、自分に繋がるような証拠は消し去っていたって話だ。証拠不十分で不起訴になったけどな、その失敗が響いて姿を消したんだ。それ以来、あいつは俺たちの前に姿を現すことはなかった」
 幹雄は普通に話しているが、日本でずっと警察官として堅実な人生を送ってきた忠正には、アメリカで犯罪行為に関わってきた彼らの人生をうまく想像することができなかった。
「トミーは俺たちのことを恨んでいたのかもしれん。だからこうして俺たちを狙ったんだよ」
「どういうことだ?」
「なぜ警察はトミーの計画を事前に察知できたのか。実は五郎が警察に情報を流してたんじゃないかって噂が一時期流れた。裏切られた腹いせをしてやったってわけだ。五郎はそんなことをするような男じゃないって俺は思うが、そのことを五郎と話したことは一度もない。トミーはそれを信じていたのかもしれない。俺を嵌めたのは五郎だってな」
 つまり復讐ということか。しかしその意見には首を捻る部分もあった。忠正は頭に浮かんだ疑問を口にする。
「もう三十年も昔のことなんだろ。復讐するつもりだったら、もっと早くしていたんじゃないか」
「忠さん、そこだよ」我が意を得たりとばかりに幹雄がうなずく。「だからトミーは陰湿なんだ。たとえばだ、仮に十年前に今回と同じように騙されたとする。そうなった場合、俺たちは黙っちゃいなかった。何が何でも奴に復讐しようとしただろうな。あのビルを奪い返すために必死になっていたはずだ。でも今は違う。俺たちはもう年だ。トミーのことは憎いが、昔ほどの闘志も湧いてこないんだよ。残念ながらな」
 わかるような気がした。つまりこの年になるまで復讐を待ったのは、やり返す闘争心、復讐する意欲がなくなる時期まで待ったということなのだ。それが本当であるなら、庭野友彦という男の執着心は恐ろしい。
「忠さん、巻き込んでしまってすまなかったな」
 さきほど店で映像を見せられたとき、人生が終わったかのような絶望を覚えた。しかしこうして無事に生きているし、手首に手錠もかけられていない。残ったのは重い徒労感だけだった。
 廊下を歩いてくる足音が聞こえ、顔を上げると看護師がこちらに向かって歩いてくるところだった。医師から説明があるというので、幹雄と誠が連れ立って廊下を奥に向かう。忠正は一人、ベンチに座って待つことにした。
 十五分ほどして、二人が戻ってきた。その表情を見て忠正はあまりよくない兆候だと思った。二人とも暗い顔つきだ。幹雄が言った。
「医者の話だと五郎は脳梗塞らしい」
「治るんだろ?」
 忠正がそう訊くと幹雄が首を横に振った。
「わからないようだ。死ぬことはないらしいけどな。大脳の一部の機能がうまく動いてないみたいで、自発的に動けんらしい。でも脳幹部っていうのか、そこの機能は一部残っているから、自発呼吸だけはできるって話だ」
「それって、つまり……」
「そうだ。植物状態ってやつらしい。また明日以降も精密検査はやっていくみたいだけどな」
 当分の間は目を覚まさないということか。それが本当だったらあまりに酷い。ずっと黙っていた誠が悔しげに言う。
「僕は信じるよ。五郎はきっと目を覚ます。だって信じられないよ。さっきまであんなに元気そうだったのに……」
 それきり二人は黙り込んでしまった。忠正も慰めの言葉を探したが、何を言っても白々しくなりそうなので黙っているしかなかった。やがて幹雄が小さな声で言った。
「いったん帰ろう。ここにいてもどうにもならん」
 夜の病院は静かで、靴の音がやけに大きく響き渡った。夜間通用口から外に出る。どんよりとした熱気が押し寄せてきた。幹雄と誠は無言のまま歩いていく。二人の背中を追いながら忠正は訊いた。
「おい、これからどうするんだ?」
 答えたのは幹雄だった。覇気のない顔つきで言った。
「部屋に帰って酒でも飲んで寝るさ」
 通りの向こう側に黒塗りの高級セダンが停まっているのが見えた。さきほど喫茶デイブレイクの前に停まっていた車と同じだ。あの庭野という男の息がかかった者がこちらを見張っているのだろう。
 忠正はもう一度幹雄に言う。
「これから先どうするんだって訊いてるんだ。本当にあのビルをニワホテルのオーナーに渡してしまうのか?」
「仕方ねえだろ、そういうことになっちまったんだから。でもまあ逮捕されないでよかったって考えるべきかもしれないな。これからは貯金を切り崩して細々と生きていくしかないだろうな」
 誠も項垂れながら歩いている。計画が失敗しただけではなく、喫茶デイブレイクの入ったアカツキビルを乗っとられ、さらにはリーダーである暁五郎が脳梗塞で倒れてしまったのだ。二重、三重のショックだろう。その心境は推して知るべしだ。
「忠さん、いろいろとありがとな。あんたがいなけりゃここまでやれなかったはずだ。五郎から聞いたぜ。たいした熱演だったらしいじゃねえか。あれだよ、あれ。こういうの、何て言うんだっけ?」
 誠がぼそりと言う。「昔とった杵柄」
「それだよ、それ。昔とった杵柄だよ」
 本来であれば絶対に知り合うことがなかった男たちだ。犯罪者であるのは百も承知だが、気持ちのいい連中であることは間違いなかった。かつての刑事仲間や公民館フレンドにはない、独特の魅力が溢れるナイスガイだ。
「じゃあ忠さん、またな」
 そう言って幹雄は手を振って去っていた。誠がのそのそと前に来て、右手を差し出してきた。その手を握りながら忠正は言った。
「俺にできることがあれば何でも言ってくれ」
 誠は応えなかった。手を離して駆け足で幹雄のもとに向かっていく。痩せた幹雄と太った誠のシルエットを、忠正はその場からずっと見送っていた。
(第10回へつづく)

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横関 大Dai Yokozeki

1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の作品に、『グッバイ・ヒーロー』『チェインギャングは忘れない 』『沈黙のエール』『スマイルメイカー』『ルパンの娘』『炎上チャンピオン』『仮面の君に告ぐ』などがある。

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