双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アカツキのGメン(横関大)

イラスト:おおさわゆう

第6回

「おい、焼けてるぞ。早く食わないと焦げちまうぞ」
「わかってるって、五郎」
「いいや、ミッキー。お前はちっともわかっていない。焼き肉というのは計画的に食べないといけないんだ。まずは牛タンからスタートして、次にタレ系へと移っていく。網はステージだと考えろ。肉たちが踊るステージだ」
「五郎、注釈はいいから飲み物頼んでよ。ワインがまだ来てないのよ」
「おい、飛露喜。ルミ子のワインを早く持ってこいと店員に催促しろ」
 焼き肉店を訪れていた。喫茶デイブレイクの面々プラス飛露喜とルミ子だ。一番奥の個室に案内されたので、他人の目を気にすることはない。運ばれてきたワインを口にしてから、ルミ子は言った。
「せっかく楽しみにしてたのにバックアップ要員ってどういうことよ」
「そうっすよ」同調したのは飛露喜だった。「俺、やる気まんまんなんですけど。ルックスからして幹雄おじさんと五郎さんが警察官に変装するってのは無理があると思うけどな」
「飛露喜、俺たちの技術を侮るなよ」
 幹雄が焼き肉(カルビ)を食べながら言った。飛露喜とルミ子には計画の概要を説明済みだ。ルミ子の方は少しつまらなそうな顔をしているだけだが、飛露喜は真剣な顔で抗議している。自分が持ってきた話なので、重要な役どころを任されると期待していたのかもしれない。
「でもな、飛露喜」幹雄が言い聞かせるように言う。「こう見えても俺たちは年だ。いつ何があっても不思議じゃない。お前の出番はあるような気がするんだ」
「幹雄おじさんの言いたいこともわかるけどさ」
 飛露喜はまだ不満そうだった。しかし彼をバックアップ要員にすることは決定事項なので、今さら変更はできなかった。五郎は焼き肉(上ミノ)を口に運び、ビールを飲んだ。
 はこれまで何度もやっているのでリハーサルの必要もないほどだ。幹雄とのコンビネーションもばっちりだろう。あとは決行する場所と時間だ。それさえ決めてしまえば、あとはそのときを待つだけだ。道具の準備も整いつつある。
「ところで五郎、その輸送車だけどいくらくらい積んでるの?」
 ルミ子に訊かれたので、五郎は答えた。
「わからん。でも二億はいくだろうな」
「そ、そんなに……」
 飛露喜が目を見開いて驚いた。十店舗以上の売り上げを回収している現金輸送車なのだ。それこそ週末を狙えばもっと期待できるはずだ。
「奪った金の分配率はあとで考える。心配するな、飛露喜。言い出しっぺはお前だからな。それなりの分け前を用意してやる」
「五郎さん、ありがとう」
「礼などいいからどんどん食え、飛露喜。俺たちはもう年だから量は食えん。お前は若いんだし、まだまだ食えるだろ。ほら、焼けてるぞ」
「いただきます」
 飛露喜はそう言って箸を伸ばした。昔は週に一度は焼き肉を食べにいったものだった。渡米後に不満だったのは、あっちでは旨い焼き肉とラーメンを食べられなかったことだった。仕方ないので家のオープンテラスにバーベキューグリルを置き、毎晩のように肉を焼いて食べたものだった。あの時代が懐かしい。
「すみません、ライスのおかわりください。大盛りで」
 誠がそう言って個室のドアから顔を出し、通りかかった店員に丼を渡しているのが見えた。誠だけは昔と同じ食欲を今もなお保ち続けている。さきほどからアルコールはほどほどにライスと牛テールスープと焼き肉を黙々と食べていた。その食欲は若い飛露喜より断然上だった。
「そういえば」飛露喜が網の上から焼き肉(ハラミ)をとりながら言った。「ジャスミンから聞いた話だけど、滝沢が転職を考えているみたいだよ。毎日転職のサイトを見てるらしい」
「それはまずいな」
 滝沢が今の警備会社を辞めてしまったら、この計画は根底から崩れ落ちてしまう。しかし滝沢に転職を思いとどまらせることは難しいだろう。計画を急ぐしかないかもしれない。五郎はみんなに向かって言った。
「準備が調い次第、決行するぞ。滝沢が辞める前にな。できれば一週間以内に準備を終わらせてほしい。ミッキー、マコ、できるか?」
「任せてくれ」
 二人が声を揃えて言った。飛露喜が個室のドアを開け、店員に向かって言った。
「俺は生ビール。それから五郎さん、何にする?」
「俺も生だ」
「じゃあ生をもう一杯。それと幹雄おじさんは……幹雄おじさん、大丈夫?」
 飛露喜の声を聞き、五郎は幹雄に目を向けた。幹雄はみぞおちのあたりを押さえ、苦しげに顔を歪めている。
「ミッキー、どうしたの?」
 隣に座っていたルミ子が訊くと、幹雄は弱々しい声で答えた。
「さ、最近な。たまに……痛くなるんだ……。心配するなよ、放っておけば……よくなるんだよ。放っておけば……」
 とても大丈夫そうには見えなかった。額には脂汗が浮かんでいて、その表情からも激しい痛みに耐えていることが伝わってくる。ルミ子が困惑した目で幹雄の背中を撫でていた。誠と視線が合った。五郎がうなずくと、誠はその意味を察して、携帯電話をとり出した。

 夜の十一時、総合病院のロビーはひっそりとしていた。誠と二人、ロビーのソファに座っていた。幹雄が救急車でこの病院に運び込まれてから、二時間が経過していた。飛露喜とルミ子は帰らせた。二人とも付き添うと言ってきかなかったが、今後もいろいろ世話になることがあると言い聞かせると、二人は渋々帰っていった。
 廊下を歩いてくる足音が聞こえた。若い女の看護師がやってきて、五郎たちに向かって言った。
「柴田幹雄さんのご家族の方ですね。こちらへどうぞ」
 看護師とともに廊下を歩き、カンファレンスルームという部屋に案内された。そこでしばらく待っていると若い男性医師が顔を出した。
「柴田さんとはどういうご関係ですか?」
 医師に訊かれたので五郎が答えた。
「友人です。幹雄は……柴田には親しくしている家族がいないもので」
 親戚付き合いはなく、唯一飛露喜だけが今でも付き合いのある近親者だった。若い頃から無茶をしてきたので、親戚付き合いが皆無なのは五郎も誠も同じだった。
「柴田さんは胆のう結石です」医師が言った。手に持っているタブレット端末がカルテの代わりらしい。「胆のうに小さな石ができ、それが腹痛を引き起こしている原因ですね。胆のうという臓器は……」
 医師が胆のうについて説明を始めるが、まどろっこしくて仕方がなかった。今はそんなことより幹雄の状態――どうすれば助かるのか、手術が必要なのか、そういう具体的なことを知りたかった。
「……胆石については本来であれば内科的治療、お薬で溶かすのが一般的ですが、柴田さんについては症状から考えるに手術をした方がいいでしょう。手術といってもそれほど難しい手術ではありません。一週間程度で退院できますので」
「手術しか方法はないんですね?」
「そうですね。根治的な治療を目指すのであれば手術しかありません」
 五郎は考えた。もし手術をせずに痛み止めなどの薬をもらって帰宅したとする。そして現金輸送車を襲った当日、今回のような発作的な痛みが来たらどうしようもない。その場で終了だ。下手したらお縄頂戴も覚悟しなければならないだろう。
「わかりました。手術をお願いします」
 五郎は頭を下げた。隣では誠も神妙な顔つきで頭を下げていた。
「わかりました。こればかりはご本人の意思を確認しないといけませんしね。ご本人に納得していただけたら、明日の午前中には手術をしたいと考えております」
「お願いします。先生、あいつを助けてやってください」
 五郎はもう一度頭を下げた。すると医師が五郎の肩に手を置いて言う。
「頭を上げてください。全力を尽くします。今から入院についての説明をしますので」
 医師が部屋から出ていき、さきほどの看護師が五郎たちの前に座った。看護師がプリントを手渡してきた。それを見ながら看護師が説明を始めた。
「まず持ちものですね。そこに書いてある通り……」
 入院の際の注意事項を看護師が説明する。この年になれば手術も入院も経験済みで、怖いと思うことはない。誠も慣れた様子でペンを片手に看護師の言葉に耳を傾けている。十分ほどで看護師の説明は終わり、五郎は誠とともに部屋から出た。しばらく歩いてロビーのソファに座る。
「まずいね、五郎」誠が言った。「一週間で退院できるだろうけど、すぐに動くのは無理だと思う。完全に復活するには最低でも一ヵ月くらいかかるんじゃないかな」
「だな。厳しい状況だ」
 幹雄の離脱は正直痛い。警察官に変装して護送車に近づくという、いわばこの計画では主役級のキャストだ。残念ながら誠には代わりは務まらない。
「やっぱり飛露喜に頼むしかないかもね。彼だったら若いから顔の変装は要らないだろ。制服を着るだけで十分だし」
「いや、飛露喜には頼まない。実はな、ミッキーとも話し合ったんだよ」
 飛露喜をどうするか。この計画が動き出したとき、最初に幹雄と話し合った問題がそれだった。幹雄と議論した末、飛露喜には計画の中枢を担わせないことに決めた。もし万が一捕まった場合、飛露喜の罪を少しでも軽くしたいというのが幹雄の考えで、五郎もその考えに同調した。
 そのことを話すと誠もうなずいた。
「なるほどね。でもミッキーがいない今、飛露喜にやってもらうしかないんじゃないかな」
 それは五郎も考えていた。しかし飛露喜では力不足の感は否めない。あの若者に幹雄の代役が務まるとはとても思えなかった。誠が床に目を落として言った。
「まずは明日の手術が成功することを祈るとしようか。奇跡的に早く回復する可能性だってゼロじゃない。それまで滝沢があの仕事を辞めないでいてくれるのが前提条件だけど」
 五郎は唇を噛んだ。あとは実行を待つのみという状況において、幹雄の離脱は計画の抜本的見直しを迫られる問題だった。
「マコ、俺に考えがある」
「飛露喜を使う以外に?」
「そうだ。エキストラを雇おうと思ってる」
「エキストラって」誠が不安げな口調で言った。「ミッキーの代役なんだぜ。エキストラに主役は張れないよ。そんな実力のあるエキストラがいるわけないって」
 一人だけ心当たりがある。イチかバチか、その男に賭けてみようか。五郎は真剣にその案について考えを巡らせた。
 登美子が振り込め詐欺に遭ってから二日目の昼、忠正は自宅のキッチンで昼食を食べていた。登美子が作った即席ラーメンだった。昨夜から登美子も寝室を出て、普段通りの家事をやるようになっていたが、会話は皆無だった。登美子は暗い顔をして押し黙っている。自分のやってしまったことを後悔しているのだろう。
 いまだに警察には通報していない。元刑事というプライドが邪魔しているのは自分でもわかっていた。今はネットを通じてあっという間に情報が伝播する世の中だ。炎上という言葉くらい忠正も知っている。元刑事が振り込み詐欺に遭ったみたいだぜ、笑えるだろ。そんな風にネット社会の住民たちに馬鹿にされるのが目に浮かぶようだった。
「ご馳走さん」
 忠正は箸を置いた。今日も午後から公民館のパッチワーク教室があるのだが、とても行く気にはなれなかった。寝室で昼寝でもしようか。そう思って階段を上りかけたとき、玄関のインターホンが鳴った。
 誰だろうか。階段のすぐ下が玄関なので、忠正は玄関ドアの向こうに呼びかけた。
「どちらさんかね?」
「郵便局です。速達でお届けものです」
 忠正はサンダルを履き、土間に降りた。ロックを解除してドアを開ける。その向こうに立っていた人物を見て、忠正は言葉を失った。
「お、お前……」
「やあ、小栗さん」
 神保町の喫茶店、喫茶デイブレイクのマスターだった。仕事中は赤いバンダナを巻いているようだが、今日は私服だった。ベージュのハンチング帽を被っている。
「どうして……ここを?」
 大きな混乱に陥っていた。なぜこの男が俺の自宅を訪ねてきたのか、心当たりがまったくなかった。身の危険を感じた。警察に通報するべきだと思ったが、携帯電話は居間のテーブルの上に置きっぱなしだ。
「いいかい? 中に入っても」
 男はそう言ってあごを突き出した。こんな得体の知れない男を我が家に入れるわけには断じていかない。忠正は無言で男の前に立ちはだかる。すると男が口元に笑みを浮かべて言った。
「俺の名前、知ってるだろ?」
 忠正は答えなかった。どうにかして警察に通報できないか。そればかり考えていた。男――暁五郎が話し出す。
「最初にあんたが俺の店に来たとき、ピンと来たんだよ。こいつはただ者じゃないなってね。だから仲間に尾行をさせて、あんたの名前と住所だけは控えさせてもらったわけだ」
 何ということか。最初に神保町の店を訪ねたときから、この男は自分に目をつけていたというわけか。たしかに会計の際に視線が合い、ただならぬ気配を察したのは事実だった。同じ気配を暁五郎も感じていたというわけだ。しかもすぐに行動に移し、こちらの名前と住所を把握してしまうという行動力に忠正は内心舌を巻いた。
「そして一昨日だ。相方とドライブ中、尾行されてることに気がついた。こっそりと様子を窺うと、尾行していたのはあんただった。俺が迂闊だったっていうのもあるが、あんたの腕も相当なもんだ。さすがは元刑事といったところだな」
 この男の真意が読めない。いったい俺に何の用があるというのだろうか。あまり深く関わり合いになるべきではない。頭の中で警戒信号が鳴り響いていた。
「悪いが用事があるもんで……」
 そう言ってドアを閉めようとしたが、暁五郎は機敏な動きでドアの間に足を入れてきた。
「おっと閉めないでくれよ、小栗さん。あ、奥さんかい? どうも初めまして。いつもお世話になっております」
 振り向くと廊下に登美子が立っており、不安そうな視線をこちらに向けていた。危険だ。下がってろ。登美子に目で訴えかけたが、彼女はそれには気づかずに立ち尽くしている。
「いい加減にしてくれ」忠正は語気を強くした。「あんたに用はない。これ以上居座るようなら警察を呼ぶ。脅しているわけじゃない。俺は本気だ」
 暁五郎が顔を近づけてきて、耳元で言った。
「警察を呼ばれて困るのはあんたじゃないのか?」
「な、何だと?」
 暁五郎は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。この男、何を知っているのだろうか。急に喉元にナイフを突きつけられたような感覚を覚え、背中に悪寒が走るのを感じた。暁五郎は耳元で囁くように言った。
「奥さんを責める気持ちはわからなくもないが、あんたの管理不行き届きでもある。でもまあ、老後の生活は不安になるよな。七百万もとられちまうと」
 声が出なかった。口をあんぐりと開けることしかできなかった。この男、なぜ知っているのだ。
「警察に通報されて困るのはお互い様だ。俺はあんたを陥れるためにここに来たんじゃない。ちょいとばかり話がしたいだけなんだ。二人だけでな」
 暁五郎の視線が廊下に立つ登美子に向けられるのを見て、忠正はその意図を瞬時に理解した。忠正は登美子に向かって言った。
「おい、買い物にでも行ってこい」
「で、でも……」
「いいから早く」
 忠正の剣幕に押されたのか、登美子は居間に引き返し、すぐにバッグを持って戻ってきた。暁五郎はドアから離れた。登美子がサンダルを履いてドアから外に出ていき、彼女と入れ替わるように暁五郎が中に入ってきた。
「邪魔するぜ」
 そう言って暁五郎が靴を脱いだ。その顔には不敵な笑みが浮かんでいる。
 五郎は居間に案内された。一軒家だが中はそれほど広くはなく、定年退職した老夫婦にとってはちょうどいいと思われる広さだった。小栗忠正は猜疑心を隠そうともせず、疑惑の視線を向けてきた。まあそうだろう。逆の立場になって考えれば、いきなり見ず知らずの男が家にやってきて、半ば強引に部屋に上がり込まれるのは気分のいいものではない。
「一昨日、あんたに尾行されていることに気づいたときだ」五郎は話し出した。「このままではマズいと判断した。あんたが元刑事であることは情報屋から聞かされていたもんでね。そこで先手を打たせてもらったわけだ」
 五郎は壁際にある棚に向かった。棚の上には電話機が置かれている。五郎は棚をずらし、コンセントに差さっていたアダプターのような黒い物体を引き抜いた。それを見て小栗忠正が声を上げた。
「そ、それは……」
「盗聴器だ。あんたが俺たちを尾行している時間を利用して、もう一人の仲間がつけたものだ」
 尾行されていることに気づいた五郎は、何らかの策を打たないといけないと判断した。そこですぐに店にいる誠に電話をして、西日暮里の小栗の自宅に盗聴器を仕掛けるように指示を出した。誠は急遽店を閉め、この家までやってきた。妻らしき女が買い物に出たタイミングを見計らい、誠は中に侵入して盗聴器を仕掛けた。そのくらいは誠にとって朝飯前だ。
「悪く思わんでくれ。俺にも生活というものがかかっているんでね」
 小栗忠正は唇を噛んで立ち尽くしている。盗聴器を仕掛けられたことがショックなのだろう。いつ妻が帰ってくるかわからないし、五郎は単刀直入に訊いた。
「あんた、なぜ俺たちに目をつけた?」
 小栗忠正は答えなかった。しかし目だけはしっかりとこちらに向けられている。敵愾心を燃やしたその目はギラギラと輝いている。元警視庁の刑事というのは伊達ではなさそうだ。五郎はゆっくりと話し出した。
「一九七〇年代、現金輸送車を立て続けに襲った一味がいた。警視庁には全国から多くの情報、犯行声明文が寄せられたが、そのほとんどがガセネタか悪戯だった。そうした声明文の中にアカツキ強盗団を名乗るものがあった」
 話を聞いていた小栗忠正のこめかみのあたりがぴくりと動いたのを感じた。五郎は続けて言う。
「おそらくあんたは現金輸送車強奪事件を追っていた。だからアカツキという単語に反応したんじゃないか?」
 小栗忠正はその質問に答えず、逆に訊いてきた。腹の底から絞り出したような声だった。
「お、お前たちが……やったのか?」
「どうだろうね。答える義務はない。いずれにしても時効を迎えてるわけだしな」
「ふざけるな」小栗忠正は吐き捨てるように言った。「お前たちは犯罪者だ。時効を迎えようが、社会的に許されるわけがないんだ。お前たちはクズだ。醜い犯罪者だ」
「随分な言い様だな。たしかに俺たちは世間に顔向けできるような真っ当な人間じゃない。でもな、そんな俺たちも今じゃしっかりと地に足をつけて頑張ってんだよ。あんたもうちの店に来たからわかってるはずだ。俺たちが作るナポリタンを旨いと言ってくれる客がいるんだよ。嬉しいことだぜ、こいつは」
 社会に貢献しているとか、そんな偉そうなことを言うつもりはない。しかし喫茶デイブレイクを愛してくれている客がいるのは事実であり、それは自分たちの努力の積み重ねによるものだと五郎は胸を張ることができる。
「それにな、あんたは俺たちをクズだと言ったが、クズだったらほかにいるんじゃないのか。あんたの家に電話をかけてきて、奥さんに七百万もの大金を振り込ませた奴らのことだ。そいつらの方がよっぽど性根が腐ってると俺は思うがね」
 誠が仕掛けた盗聴器はそれほど電波が飛ばないタイプのもので、神保町からでは聞くことができない。一昨日の夜、五郎は車をこの家の近くに止め、盗聴器から聞こえる声に耳を傾けていた。そして小栗家に突然降りかかった災難を知ったのだった。
「あんた、まだ警察に通報してないんだろ。気持ちはわかるぜ。俺があんたの立場だったら恥ずかしくて警察に通報しないはずだ。でも七百万はデカいだろ。このまま泣き寝入りするのには惜しい金額だ」
 小栗家の経済状況など知らない。しかし七百万円というのは大金だろう。老後の生活資金を根こそぎ奪われたのではないか。それが五郎の推論だった。
「実はな、俺たちは近日中に現金輸送車を襲うつもりだ。俺たちを尾行してたあんたなら薄々気づいていると思うがな。パチンコ店の売り上げを奪う予定なんだ。それが昨日になって予期せぬハプニングが発生した。仲間の一人が胆のう結石で入院しちまったのさ」
 幹雄の手術は成功した。本人は意識もしっかりしていて、退院したらすぐに輸送車を襲おうと意気込んでいるが、おそらくそれは難しいだろうというのが五郎の考えだ。医者の見立てでは退院まで一週間かかる予定で、一ヵ月ほどは激しい運動は控えた方がいいと言われている。いざ輸送車を襲ったはいいものの、その途中で患部から出血したらどうするのだ。そんなことを考えると幹雄の起用はやはり難しい。
「中止することも考えた。そのときにあんたのことを思い出したってわけさ。今のあんたなら俺たちに協力してくれるかもしれない。そう思ったんだよ」
 やはり無理かもな。五郎は内心そう感じていた。小栗忠正は鋭い目でこちらを見ているだけで、興味を持った様子は微塵も感じられない。それでも五郎は誘いの言葉を投げかける。
「もし興味があるようだったら店に来てくれ。邪魔したな」
 五郎は居間から出て、玄関で靴を履いて外に出た。そのまま振り返ることなく歩き出した。幹雄の代役を見つけるのはそう簡単なことではないな。五郎はそう実感した。
 夜八時、忠正は居間で一人、ウィスキーを飲んでいた。近所のスーパーで一番安価で売っていたものだ。これからは贅沢はできず、山崎12年など夢のまた夢だ。
 それにしても――。忠正はウィスキーを口に含んで顔をしかめる。この俺を現金輸送車の強奪計画に誘うなど、豪胆にもほどがある。豪胆過ぎて怒る気にもなれず、むしろ笑ってしまうほどだ。やはり例の連続現金輸送車強奪事件は奴らの犯行と考えて間違いないだろう。
 不思議なことに警察に通報しようとはまったく思わなかった。振り込め詐欺のことが白日のもとに晒されてしまうと危惧したからではなく、実際には時効になっているわけだし、あの男たちが喫茶デイブレイクを二十年近く経営しているのは紛れもない事実だった。そこだけは評価してやってもいいと思ったからだ。
 だからといって奴らの誘いに乗る気持ちは毛頭ない。いくら金に困っているとはいえ、犯罪に加担する気になどなれなかった。引退したとはいえ、自分は警察官だ。それも警視庁の刑事だ。それに昔と違い、今では民間の警備会社もセキュリティレベルが格段に向上しており、そう簡単に現金を強奪できるとは思えなかった。
 忠正はウィスキーをまた一口飲む。妻の登美子はすでに二階の寝室に引き揚げている。振り込み詐欺に遭って以来、忠正は登美子と同じベッドで寝ていない。居間のソファで眠るようになっていた。振り込み詐欺は単に忠正の大事な貯金を奪っただけではなく、夫婦仲を急速に冷え込ませる原因にもなっていた。こんなことになるといったい誰が予想できたというのだろう。
 電話が鳴っていた。家の固定電話だった。立ち上がって電話機に向かい、液晶画面を見ると〇九〇から始まる携帯番号が表示されていた。忠正は受話器を持ち上げて電話に出た。
「はい、小栗ですが」
「あ、父さん。俺だよ、俺」
 息子の正晴からだった。声も正晴のもので間違いなさそうだが、そう簡単に信じることなどできない。完全に疑心暗鬼になっていることは自分でもわかっていたが、確認せずにいられなかった。
「本当に正晴なんだな?」
「何言ってんだよ、父さん」
 本当に正晴だろうか。味を占めた振り込め詐欺グループが調子に乗ってさらに金を騙しとろうとしているのではないか。一度芽生えてしまった疑惑はなかなか消し去ることができず、忠正は念のために言った。
「正晴、携帯にかけてきてくれないか」
「いいけど、どうして……」
「とにかくそうしてくれ」
 強引に受話器を置いた。ソファに戻ってテーブルの上に置いてあった携帯電話を手にとった。ウィスキーを一口飲んだところで携帯電話が鳴り始める。画面には『正晴』と表示されており、忠正は安心して通話ボタンを押した。
「もしもし。すまないな、正晴」
「何かあったのか?」
「家の電話の調子が悪くてな。それより何か用か?」
「相談があるんだけど」
 正晴の声は暗かった。その声を聞いただけで、かなり正晴が思い悩んでいるのを察することができた。忠正は先を促した。
「何があった。言ってみろ」
「二ヵ月くらい前からネットで婚活を始めたんだ。マッチングサービスってやつ。父さんは知らないと思うけど」
 そこで出会った女性と結婚を前提とした交際を始めた。彼女は三十代後半で、銀行の窓口で働いていた。決して美人というわけではないが、気立てのいい子ですぐに気に入った。
「付き合いだしてしばらくして、彼女に相談を受けたんだよ」
 過去に付き合っていた男にしつこくされて困っている。彼女はそう言った。相手は別れたとは思っていないようで、何度も電話をかけてくるし、ときには自宅前で待ち伏せしていることもあると彼女は嘆いた。男は無職で金に困っていて、金をせびられることもあるという。いろいろと話し合った末、手切れ金を渡して関係を終わらせようという話になった。
「先週、彼女に金を渡した。それきり彼女と連絡がとれなくなった。どうしよう、父さん。これって結婚詐欺ってやつだよね」
 典型的な結婚詐欺だ。うんざりとした気分になってくる。息子まで金を騙しとられてしまうとは。それもこのタイミングで。
「結婚詐欺だな、おそらく」忠正は認めた。慰めの声をかけても無駄だろう。「それでいくらだ? いくら彼女に渡したんだ?」
「二百万。彼女が半分出すと言ってくれたんだけど俺が全額出すって言ったんだ。まったく馬鹿だよな、俺って。この年になって結婚詐欺に遭うんだもんな」
 気持ちは痛いほどわかる。母さんも同じ目に遭ったんだぞ。そう言いたい気持ちを何とかこらえた。正晴には隠しておこうと思った。余計な心配をかけるわけにはいかない。
「警察には話したのか?」
「まだ。実はそれを父さんに聞いてみたかったんだ。警察には相談するべきだよね」
「当然だ」そう言いながら苦笑する。息子には警察に行くことを勧めておきながら、自分はそれをしていないのだから。「ちなみに教えてくれ。彼女と連絡がとれなくなってどのくらいになる?」
「今日で丸一週間だ」
「そうか。おそらく彼女の名前も出鱈目だろう。とにかく警察に行って被害届を出してこい。彼女について憶えていることをすべて警察に話すんだ。そういう犯罪者は同じような手口を使う可能性も高い。あまり期待はできんが、うまくいけば逮捕できる可能性がある」
「わかった。明日にでも警察に行ってくるよ」
「そうしろ。あまり気を落とすんじゃないぞ」
 正晴に向かって慰めの声をかけたが、おそらく息子以上に自分や登美子の方が精神的ダメージが深いことは明らかだった。通話を切ろうとすると、電話の向こうで正晴が言った。
「父さん、この話は母さんには……」
「心配するな。俺とお前の二人だけの秘密だ」
 通話を切り、ウィスキーを飲んだ。氷はすでに溶けてしまっている。正晴が結婚詐欺に遭ったことを登美子に言うわけにはいかなかった。今の彼女の精神状態はまともではなく、これ以上ショックを与えたらどうなってしまうかわからない。
 手を滑らせ、手にしていた携帯電話を床に落としてしまった。それを拾い上げようとして、テーブルの下に深緑色のマッチが落ちているのに気づいた。マッチを拾い上げると、それは喫茶デイブレイクのものだった。いったいいつの間に……。
 あの不敵な顔が目に浮かび、忠正は頭を何度も振った。
(第7回へつづく)

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横関 大Dai Yokozeki

1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の作品に、『グッバイ・ヒーロー』『チェインギャングは忘れない 』『沈黙のエール』『スマイルメイカー』『ルパンの娘』『炎上チャンピオン』『仮面の君に告ぐ』などがある。

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