双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アカツキのGメン(横関大)

イラスト:おおさわゆう

第5回

 五郎は助手席に乗っていた。運転席では幹雄がハンドルを握っている。今、車は渋谷のあたりを走っており、時刻は午後四時になろうとしていた。店は誠と飛露喜に任せてある。ランチタイム以外は二人でも十分に回せるだろうと判断した。
 五郎の膝の上にはノートパソコンが置かれていて、その画面に表示された地図にはピンク色のラインが見える。滝沢のスマートフォンにダウンロードした監視アプリは今も機能しており、こうして彼の通ったコースは特定できる。別にわざわざ尾行する必要もないのだが、百聞は一見に如かずという諺の通り、実際に目で見なければわからないこともあるのだった。
「今日はAコースだな」
 五郎は幹雄に言った。滝川の追跡を開始して四日目だが、現金輸送車のコースが明確になりつつあった。一日目をAコース、二日目と三日目をそれぞれBコースとCコースと名づけた。そして四日目の今日、現金輸送車は再びAコースを走っている。
「コースは三つか」
 幹雄がそう言った。五郎はその言葉に反応する。
「かもしれんな。明日、BかCだったらコースは三つと考えてよさそうだ」
 現金輸送車が停車したので、幹雄も車を路肩に寄せた。輸送車から二人の警備員が降り立ち、パチンコ店に入っていくのが見えた。大手パチンコ店であるドリームの渋谷店だ。これで十一店舗を回ったことになる。三日前と同じコースを辿るとすれば、このあと代々木店に寄ってから東洋警備保障の新宿本社に帰るはずだった。
「警備員って仕事も大変だよな」幹雄が輸送車に目を向けて言った。「こんなに暑いのに長袖と長ズボン、それにヘルメットに無線、警棒も持たなきゃならない。タフじゃないと務まらないな」
「夏はもっと軽装でもよさそうだけどな。一般の会社じゃそうだもんな。あれだよ、あれ。何て言うんだっけ?」
「あれだろ。知ってるよ、あれのことは。ええとな……」
 警備員が店内から出てきた。一人の男がジュラルミンケースを手にしている。二人は中に乗り込んだ。現金輸送車が走り出したので、幹雄が車を発進させた。
「計画は考えているんだろ?」
 幹雄に訊かれ、五郎は答えた。
「まあな」
「激しいやつは勘弁してくれよ。走ったりするのはごめんだぜ」
「距離によるだろ」
「頑張って十メートルだな。それ以上は走れない」
「心配するな。体力の衰えも計算に入れるから」
「さすがだな、五郎。それより今気づいたんだが」幹雄がバックミラーをちらりと見て言った。「どうやら尾行されてるみたいだぞ、俺たち」
 振り向きたい気持ちを我慢した。尾行に気づいたことを悟られるのを防ぐためだ。幹雄が前を向いたまま言う。
「白いカローラだ。かなり古い型式のカローラだな。今、俺たちの二台後ろを走ってる。運転してるのは男だ」
 五郎はバックミラーに手をやり、角度を調整して後方を見やすい位置に持っていく。幹雄の言っている通り、二台後ろを白いカローラが走っていた。運転している男の顔を見る。サングラスをかけているが、あの小栗という元刑事に違いなかった。数日前に喫茶デイブレイクを訪れたあの男だ。
 それを説明すると幹雄が首を傾げた。
「どうして俺たちに目をつけたんだろうな。それが不思議でならねえよ。俺たち足を洗ってからもう二十一年になるんだぜ」
 同感だった。一つだけ思いついたことがあり、それを五郎は口にした。
「昔、犯行声明文を警察に送ったことがあったよな」
「あったか?」
「あったよ。憶えてないか? たしかルミ子が最初に言い出したはずだ」
 いつものように赤坂のクラブで飲んでいたとき、そういう話になったのだ。当時、五郎たちの手口を真似た事件も起きていた。そっちの罪までなすりつけられたらたまったもんじゃないわ。ルミ子の言葉に三人は同調し、誠が新聞を切り抜いて作成した。わざわざ新幹線で名古屋まで行ってポストに投函したのだが、警察には相手にされなかった。おそらく同じような犯行声明文が悪戯で送られており、そのうちの一つと判断されたのだろうと五郎たちは考えていた。
「あったな、そういえば」幹雄が嬉しそうに言った。「飲みながらそういう話になったんだよな。名古屋まで行ったのはマコだったっけ?」
「そう、マコだ。あのときアカツキ強盗団と名乗ったんだよ。たしかお前の発案だったはずだ。俺たちがアカツキという単語を外部に出したのはあのときだけだ」
「つまりあれか。あのじいさん、あの声明文から喫茶デイブレイクに目をつけたってわけか」
「その可能性は高いな。というかそれ以外考えられんだろ」
 その昔、あの連続現金輸送車強盗事件を担当していた元刑事なのかもしれない。退職したとはいえ、元刑事というのは厄介だ。しかも今日も店から尾行されていたのであれば、五郎たちが現金輸送車を尾行していたのも気づかれてしまっている。とんだ失態だ。
 引退した元刑事の道楽に付き合ってやる暇はない。今後は小栗というじいさんの動きに十分注意する必要がありそうだ。
「思い出した」幹雄が声が上げた。「さっきのあれ、クール何とかじゃなかったか? 夏は軽装でもいいってやつ」
「クールビズだな」
「それだ。クールビズだ。思い出してよかったな、五郎」
 幹雄は嬉しそうにそう言った。五郎は現金輸送車を目で追った。滝沢が乗った現金輸送車は二台先を走っている。バックミラーを見ると二台後ろには白いカローラが追走していた。運転席に乗っている小栗という元刑事の口元には笑みが浮かんでいるような気がしてならなかった。
「先手を打っておこうか」
 口でそう言いながら五郎は携帯電話をとり出した。
 張り込みをして二日目にして、早くも動きがあった。昼過ぎに喫茶デイブレイクから二人の男が出てくるのが見えた。おそらく赤バンダナと青バンダナだと思われた。二人はビルの裏手に止めてあった軽自動車に乗り込んだので、忠正はその車を尾行した。
 二人を乗せた軽自動車は品川方面に向かって走り出した。一時間ほど追跡して忠正は気がついた。どうやら二人は現金輸送車を尾行しているらしいと。軽自動車の二台前に大手警備会社の現金輸送車が走っていた。喫茶店の従業員がなぜ現金輸送車を尾行する必要があるのか。その答えは一つしかない。彼らはまた現金の強奪を考えているのだ。
 現金輸送車はパチンコ店を回っていることがわかった。パチンコ店から委託を受け、売り上げを回収しながら巡回していることは明らかだった。おそらく数千万、多ければ億単位の金を積んでいるに違いなかった。奴らはその金を狙っているのだろう。
 軽自動車が神保町の喫茶デイブレイクに戻ってきたのは午後七時のことだった。忠正は店から二百メートルほど離れた路上に車を停め、引き続き監視することにした。妻の登美子には晩飯は要らないと伝えてある。
 彼らが現金輸送車に目をつけていることは間違いない。しかし年齢が年齢だ。三人とも七十歳は超えているはずだ。もしかして奴らはいまだに現役だろうかと思ったが、最近はその手の事件が起きている記憶はない。
 忠正は車を降りた。近くにあったコンビニに入り、パンとコーヒー牛乳を買って再び車に戻る。カレーパンを一口食べ、忠正は感激した。
 これだよ、これ。張り込みをしながら食べるカレーパンの旨さ。俺はこれをずっと求めていたのかもしれない。
 現役時代に舞い戻ったような気がして、なぜか涙が滲んでいた。指で涙を拭いてから、カレーパンを食べて次のサンドイッチに手を伸ばす。サンドイッチもやたらに旨い。サンドイッチを考え出した奴は天才だ。
 惜しむらくは隣にパートナーがいないことだ。張り込みは二人でおこなうのが常だったので、必ず相棒と一緒だった。車内でいろいろな話をした。事件のことはもちろん、家族の話などのプライベートにまで話題は及んだ。過去に何度か組んだ相棒たちに思いを馳せる。今では年賀状だけの付き合いになってしまった者がほとんどで、中には鬼籍に入ってしまった者もいる。合掌。
 パンを食べ終え、ゴミをまとめて袋に入れた。喫茶デイブレイクに目を向ける。ランチタイムは大変混み合い、昨日も今日も数人が店の前に並ぶほどの盛況ぶりだったが、それ以外の時間はちらほらと客が入っていく程度だった。
 携帯電話をとり出した。衛藤に電話をかけようとしたが、やはりやめた。ここ数年、都内で現金輸送車が襲われた事件はなかったか。そう質問してみようと思ったのだが、彼の手を煩わせることはないと判断した。自分で調べればわかることだ。それに――。忠正は朝刊を一時間かけてじっくり読むのが退職後の日課の一つだった。ここ数年、そういう事件の記事を目にした記憶はない。
 何か欲しかった。決定的な何かが。彼らがあの現金輸送車を狙っているという確たる証拠が。
 通常の捜査であれば内偵を開始するだろう。複数の捜査員を投入し、彼らの動向を探るのだ。同時に彼らの経済状況、交友関係なども洗い出し、その計画を探っていくはずだ。
 しかし今の自分には捜査権はない。しかもこの情報を警察に提供したところで、現段階では警察は動いてくれない可能性が高い。少なくとも現金輸送車を襲う計画が確実に存在することだけは明らかにしておく必要があった。
 どうするべきだろうか。忠正は考える。客を装って店に入り、テーブルの下に盗聴器でも仕掛けてみようか。しかし先日も店に行ったので、変に入って怪しまれるのは避けるべきだろう。となるとほかに方法は……。
 時刻は午後八時になろうとしていた。営業時間はたしか午後八時までだ。店の看板を見つめながら、忠正はあれこれと思案を巡らせた。

「ただいま」
 午後十時、忠正は西日暮里の自宅に帰宅した。玄関を開けても部屋の中は真っ暗だった。築三十年のマイホームだ。四十歳のときに思い切って購入した木造住宅で、ローンは退職した年に完済している。
「おい、いないのか」
 登美子が出かけるという話は聞いていない。普段なら居間でテレビを見ている時間のはずだった。しかし居間には誰もおらず、電気さえ点いていない。
 不安が押し寄せた。まさか強盗にでも入られたのだろうか。忠正は玄関に戻って傘をとり、それを右手に持って部屋を見て回る。一階には異状はなく、階段を上って二階に向かう。二階には三部屋あり、忠正ら夫婦の寝室と息子の部屋、そしてもう一部屋は物置として使っている。手前にある正晴の部屋には誰もいない。その向かいにある物置代わりの部屋も異状はなかった。残るは一番奥の寝室だ。電気は灯っていないようだ。
 寝室に入り、忠正はその場に固まった。ベッドの上に登美子が座っているのが見えたからだった。暗闇の中、登美子は背中を向けて座っている。
「おい、どうした? 何かあったのか?」
 忠正がそう声をかけても反応はない。ベッドの上で登美子は動かない。
「どこか痛いのか?」
 そう言って忠正は登美子の顔を覗き込んだ。登美子は壁の一点をぼうっと見ていたが、ゆっくりと忠正に視線を向けた。その目つきは虚ろだった。
「おい、登美子。何とか言ったらどうなんだ?」
「ご、ご……」
 何か言いかけたが、そのまま登美子は泣き崩れてしまった。布団に顔をぴったりとつけ、わんわんと声を上げて泣いている。こんなことは結婚して以来、初めてのことだった。どうしたらいいかわからず、忠正自身も妻の様子を見守っていることしかできなかった。
 随分長い時間、そうしていたような気がした。登美子がようやく顔を上げ、泣き腫らした顔で言った。
「……あなた、ごめんなさい。本当にごめんなさい」
 そう言って再び登美子は泣き崩れてしまう。このままでは埒が明かないので、忠正は登美子の肩に手を置いて言った。
「いいから顔を上げるんだ。下に行って話そうじゃないか」
 登美子を一階に連れていき、居間のソファに座らせた。ペットボトルの緑茶をグラスに注ぎ、登美子に手渡した。しかし登美子はそれを飲まずに、また頭を下げた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「謝ってばかりでは何もわからん。おい、何があった?」
 なぜ妻がここまで頭を下げるのか。その理由に心当たりがまったくなかった。テーブルの上に預金通帳が置いてあるのが見え、忠正は首を傾げた。普段、預金通帳はタンスの奥の保管場所にしまってある。こんなところに無造作に置いてあるものではない。
「お、一昨日のことだったの」登美子がゆっくりと話し始める。「正晴から電話があったの。家の電話にね。携帯をなくしたからこっちにかけてきたんだって言ってた」
 血の気が引いた。どこかで聞いたことがあるような話だった。まさか絶対に自分たちはそれに引っかかることはないだろう。そう思っていたが、まさか――。
「正晴、すごい落ち込んでるみたいだった。事情を訊くと、会社のお金を使い込んでしまったって私に打ち明けたの。仮想通貨っていうの? よくわからないけど、そういうのに手を出したらその会社が破産しちゃったみたいでね。何年か前に似たような事件があったじゃない」
 近いうちに監査が入るので、それまでに金を返さないといけないと正晴は言ったらしい。破産してしまった仮想通貨の会社は保険が適用になって全額戻ってくるが、それはかなり先になるようだった。とにかく監査を乗り切るためにはまとまった金がいる。正晴はそう話したという。
「それでお前、もしかして……」
「ごめんなさい。昨日の午後、銀行に行ったの。正晴に言われた通りに振り込んでしまったのよ」
 そう言って再び登美子は泣き始めてしまう。その姿を見て、忠正はがっくりと肩を落とし、そのまま膝をついた。
 立っていることができなかった。まさか家族が――それによりによって登美子が振り込め詐欺の被害に遭おうとは想像もしていなかった。
「お前、昨夜はそんなこと言ってなかったじゃないか」
「あなた、昨夜は遅かったから言い出せなくて。それに昨日は正晴の話を信じてたの。保険が適用になれば返ってくるお金だと思ってたから」
 今日の午前中、再び電話があったという。監査の日程が早まったので、あと少しだけ金が必要になったと正晴は言った。登美子はその話を鵜呑みにして、再び銀行のATMに向かった。言われた通りの金額を指定された口座に振り込んだ。
「銀行を出ようとしたとき、そのポスターが目に入ったの。最近テレビで見る俳優さんのポスター。振り込め詐欺に気をつけてって書いてあった。それを見た途端、私は思わず『あっ』と叫んでた」
 騙されたのではないか。ようやくその可能性に登美子は気づいたらしい。動揺して指先が震えていたが、何とか自宅まで辿り着いた。そしてタンスの引き出しから正晴の名刺を出した。震える手で電話をかけ、正晴を呼び出してもらう。保留中の明るい音楽が神経を逆撫でした。ようやく電話に出た正晴はやや不機嫌そうな声で言った。「母さん、どうしたんだよ。会社に電話をかけてくるなんて珍しいな」
 その声を聞いただけで登美子は自分が犯した過ちを知った。それでも念のために訊いた。「今、あんたを名乗る男から電話があって、携帯をなくしたって言ってた。あんたじゃないよね」すると電話の向こうで正晴は笑った。「母さん、それってオレオレ詐欺だろ。警察に通報した方がいいんじゃないか」
 登美子の話を聞きながら、忠正は息苦しくなってきた。まさかこんなことが起こるとは考えてもいなかった。忠正は声を絞り出した。驚くほど声が震えていた。
「い、いくらだ? いくら振り込んだんだ? 十万か? 二十万か?」
 登美子は答えず、忠正から顔を背けるように下を向いた。テーブルの上の預金通帳を手にとった。心臓が音を立てて鳴っていた。思い切って通帳をめくる。
 昨日と今日、二度にわたって金が振り込まれていた。一、十、百、千、万とゼロの数を数え、忠正は絶句した。昨日は四百万円、今日は三百万円、合計して七百万円もの大金が口座から消え失せてしまっていた。
 そんな馬鹿な……。忠正はテーブルの上に突っ伏して、髪の毛をかきむしった。
 五郎の朝は早い。遅くとも五時、早ければ四時台に目を覚ますこともある。一度目が覚めてしまうと今度はなかなか寝つくことができなかった。若い頃は二度寝、三度寝は当たり前だったというのにだ。今やもう諦めていて、目が覚めたらすぐにベッドから出るようにしていた。ベッドの中でダラダラと過ごしているよりも、起きてしまった方が快適だと数年前に気がついた。
 朝が早い老人は数多くいるようで、テレビ局もそういった事情に配慮したのか、朝の四時から時代劇の再放送をしている。今朝も五郎は松平健が悪徳商人を成敗するのを見届けてから部屋を出た。まだ朝の五時だった。店の前のポストから朝刊各紙をとり、店に入る。それからコーヒーを淹れ、カウンターの隅の席に座って朝刊に目を通す。客のために朝刊各紙――経済紙からスポーツ紙までとり揃えているので、すべて目を通すだけでも結構な暇潰しになるのだった。
 そんなことをしている間に六時を回り、そして七時になると誠が店にやってくる。そして厨房に入り、三人のための朝食を作り始める。誠が朝食を作り上げたタイミングを待っていたかのように幹雄が店に入ってきて、カウンターに三人で並んで朝食を食べる。それがいつもの日課だった。
 今朝の朝食は鮭の塩焼きと卵焼き、味噌汁と納豆という和食の定番だった。味噌汁の具はナスだった。朝食を食べ終え、食後のコーヒーを飲みながら五郎は言った。
でいこうと思ってる」
 幹雄と誠がやや姿勢を正した。仕事の話になったからだろう。幹雄が訊いてくる。
「悪くない。警官役は俺か?」
「ああ。配役はいつも通りだ」
 異臭騒ぎというのは現金輸送車を襲う手法の一つで、比較的オーソドックスな方法だった。警官を装って輸送車に接近し、警備員に『このあたりでガス漏れの危険がある』と告げ、隠し持っていた発煙筒に点火し、警備員を下ろしてそのまま輸送車ごと奪い去るというものだ。世に言う三億円事件と似た手法だが、これがもっとも効果的なやり方であるのは五郎たちの長年の経験に裏打ちされている。なお、異臭騒ぎの派生バージョンとして、爆弾騒ぎや交通トラブルなどがある。
「まあ妥当なところだね」誠が冷静に感想を口にした。「問題は年齢だよね。ミッキーだっていい年だし、うまく化けられればいいけど。無理だったらエキストラを雇うしかないのかな」
「おい、マコ。俺のこと馬鹿にしてんだろ。エキストラなんて要らねえよ。俺が見事に化けてやるから」
 エキストラというのはその都度雇う助っ人のことだ。アメリカ時代にはよくエキストラを雇い、報酬を払って交通整理員などの役目をお願いしたが、今回に限ってはエキストラなしでいこうと五郎も考えていた。
「マコ、パトカーの手配を頼めるか。ミッキーは化ける制服を調達するんだ。メイクも入念にな」
「了解」
 二人が声を揃えて返事をした。異臭騒ぎはパトカーだけ用意してしまえば、ほかに大きな道具が必要ないので予算的にも助かる手法だった。
「マコ、昔と違うんだからな。パトカーなら何でもいいってわけじゃない。古臭い車種だったら怪しまれるぞ」
 幹雄の言葉に誠が唇を尖らせて言った。
「ミッキーこそちゃんと化けないと駄目だよ。警察官の制服だって時代とともに変遷してるんだから。装備品だって昔とは違ってるはずだしね。拳銃だってオートマチックだよ。今どきニューナンブなんて流行らないし」
「そ、そうなのか」
「嘘。適当に言っただけ」
「マコ、お前、いい加減にしろよ」
 本当に異臭騒ぎでいいのだろうか。そんな迷いがあるのも事実だった。何しろ実戦から二十一年も離れているのだ。しかも体力的にも昔に比べて衰えているのは間違いのない事実だった。しかしだからこそ、もっとも得意な手法で勝負すべきだという思いもある。
「五郎、予算はいくら?」
 誠に訊かれた。誠は早速パソコンで中古車を調べ始めているようだった。五郎は答える。
「五百万以内におさえてくれると助かる」
「改造費込みで?」
「そうだ」
 異臭騒ぎで輸送車を襲うときの段取りはこうだ。五郎と幹雄がパトカーに乗り、誠は別の地点で待機する。そして輸送車ごと奪って逃走し、誠が待つ場所まで運転し、そこで金を別の車に移し替えるのだ。今回もおそらく似たような計画になると予想される。飛露喜とルミ子には別の車に待機してもらい、不測の事態に備えたバックアップを頼むつもりだった。
「マコ、最新の警察官のコスチューム、ちゃちゃっとネットで購入してくれないか?」
「悪いけどミッキー、今は中古車調べてんの。少し待っててくれる?」
「頼むよ、マコ。こっちだって急いでんだよ」
 二人のやりとりをよそに五郎は腕を組んだ。以前誠も言っていた通り、この年で逮捕されて刑務所に入るのはごめんだった。何としてでもこの計画は成功させなければならない。
 目が覚めたのは午前八時だった。普段の起床時間は午前五時なので、いつもより三時間も遅かった。忠正は頭が重いことに気づいた。同時に自分が居間のソファに横になっていることに気づき、ああ夢じゃなかったんだなと改めて思った。
 テーブルの上にはサントリー山崎12年の空き瓶が転がっている。普段は家ではビールしか飲まないので、棚で埃を被っていた山崎12年だったが、昨夜はどうしても強い酒が飲みたくなり、棚の奥から引っ張り出したのだ。
 夢であってほしかったが、やはり現実だったらしい。妻の登美子が振り込め詐欺の被害に遭い、七百万円もの大金を見知らぬ口座に振り込んでしまったのだ。貯金の残りは五十万円もなく、ほぼ根こそぎ持っていかれたと考えていい。
 忠正はキッチンに向かい、冷蔵庫からペットボトルの緑茶を出し、直接口に当ててそれを飲んだ。普段なら登美子と一緒に朝食を食べている時間だが、まだ登美子は二階から降りてきていない。ショックで寝込んでいるのだろう。
 七百万円を失ったのは痛い。痛過ぎると言ってもいい。年金だけでは暮らしていくことは難しく、貯金を切り崩して生活してきた。忠正自身は八十五歳くらいまでなら自分の年金と貯金だけで暮らしていける自信があった。八十五歳以降になると今より活動的ではなくなるため、それに伴って出費も減るのではないかというのが忠正なりの予想だ。大きな病気にかかったときのための保険にも入っている。
 しかし今、七百万失ったのは厳しい。完全に想定外の出来事であり、将来設計を根本的に見直さなければならないほどの損失だ。贅沢など許されないし、質素倹約を心がける必要がある。
 腹が立って仕方がなかった。まさか自分が――正確に言えば妻が振り込め詐欺の被害に遭うとは想像もしていなかったので、被害に遭って初めて振り込め詐欺の理不尽さを思い知らされた。長年こつこつと貯めてきた金を、卑劣な手段を使って奪っていく犯罪者たち。今頃、奴らは奪った七百万を手に勝利の美酒に酔いしれているだろうか。そう考えるとやりどころのない怒りで胸が苦しくなってくるほどだった。
 憤りの矛先は自分自身にも向かった。もし登美子の相談に乗っていたら、防げたはずの事態だった。しかしそれができなかったのは、調子に乗って刑事の真似事などしていたからだ。もしその電話がかかってきたときに自宅にいさえすれば、笑ってとり合わなかったことだろう。
 本来であれば警察に通報するのが筋だ。忠正自身が警視庁のOBであり、通報しなければいけないということは頭ではわかっている。しかし気が引けた。金額が大きいだけに新聞に掲載される可能性もある。そのときの見出しが目に浮かぶようだった。元警察官、振り込め詐欺に遭う。そんな風に書かれるのは何としても避けたかった。プライドが許さなかった。
 それに警察に通報すれば、当然取り調べを受けることになる。主に事情を訊かれるのは妻だろうが、おそらく自分も同席することは避けられないはずだ。そのときの捜査員たちは、自分ら夫婦にどんな視線を向けるだろうか。貯金をむしりとられた老夫婦に対する憐れみの視線だろうか。それとも金を奪われてしまった無能な元刑事に対する嘲笑だろうか。そういったことを考えると、怖くて警察には通報できなかった。
 リモコンを使ってテレビをつけた。今日も暑くなるようで、熱中症対策についてコメンテイターが語っている。
 不思議なものだった。金を失ったというだけで、自分が社会的にも弱者になってしまったような気分になっていた。俺は何とかなる。人の力を借りずに生きていける。そういった自信が一晩のうちに綺麗さっぱり消え失せてしまったのだ。
 忠正は携帯電話を手にとった。電話帳で息子の番号を探し、そのまま通話ボタンを押した。しばらくして息子の正晴の声が聞こえた。
「父さん、こんな朝っぱらからどうしたんだよ。昨日も母さんから電話があって驚いたんだけど」
 電話の向こうは騒々しかった。駅の構内にいるようだった。
「悪いな。驚かせてしまって。来月のお盆、帰ってくるのか? それを訊きたいだけなんだ」
「どうだろうな。まだわからない」
 決して自慢の息子とは言えなかった。三流大学を何とか卒業した正晴は、中堅電機メーカーに就職した。どんな仕事をしているかわからないが、四十九歳になるこの年まで転職もしないで働いているということは、それなりに頑張っているのだろう。
「そうか。帰ってくるようなら連絡をくれ」
「わかった。あまり期待しない方がいいかもね」
 なぜ息子に電話をしようと思ったのか、それはわからない。貯金のほとんどを失ってしまった今、頼ることができるのは一人息子しかいないと本能的に察知したのかもしれなかった。
「じゃあな、正晴。元気でな」
「うん。父さんもね」
 通話を切り、携帯電話をテーブルの上に置いた。出口のないトンネルに迷い込んでしまったような気分だった。今日は公民館のスイーツ教室の日だが、とても行けるような心境ではなかった。
 忠正は深い溜め息をついた。
(第6回へつづく)

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横関 大Dai Yokozeki

1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の作品に、『グッバイ・ヒーロー』『チェインギャングは忘れない 』『沈黙のエール』『スマイルメイカー』『ルパンの娘』『炎上チャンピオン』『仮面の君に告ぐ』などがある。

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  • 小説推理
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