双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アカツキのGメン(横関大)

イラスト:おおさわゆう

第13回

「まったく災難だよな、トミーの野郎も。だってあのイタリア人があんなことをするなんて想像もしていなかったはずだしな」
 そう言って幹雄が缶ビールを飲んだ。飛露喜は今日も幹雄のアパートに来ていた。例の暴力コック騒動が発覚してから二日が経ち、トスカーナは営業を見合わせている。再開の目処も立っていないようだ。バイト仲間の中には他店舗への移籍を真剣に考え始めている者もいるらしい。
「それで飛露喜、お前はどうなんだよ。ほかの店に移る気はないのか?」
 幹雄にそう訊かれ、飛露喜は答えた。
「そうするのが得策とは思うんだけどね」
 幹雄たちの復讐の助けになればと思って勤め始めた。しかし幹雄たちには復讐する意欲はまったくないようで、怠惰な日々を過ごしている。そして飛露喜自身もトスカーナで働いているうちに、その職場に親しみを覚え始めていた。
 スマートフォンが鳴った。バイト仲間の一人からだった。
「飛露喜君、元気にしてる?」
「うん、俺は元気。どうかした?」
「実はね……」
 バイト仲間の話によると、ビエリに殴られた若手コックの近藤と連絡がとれないという。まああれだけの騒ぎを起こしてしまったのだからしょうがないだろう。あのあと近藤は社員から事情を訊かれたようだが、一方的に殴られたと証言するだけで、殴られた理由については心当たりがないと言っていたらしい。ヘアパスタ騒動の犯人はビエリ料理長だと言い触らしていたのが近藤だったという噂だが、真偽のほどは定かではない。
「ちょっと俺、近藤君の様子、みてこようかな」
「さすがバイトリーダー。飛露喜君ならそう言うと思ってたよ」
 研修期間中に何度か飲み会があり、一度近藤と一緒に帰ったことがあるので彼の住所は知っている。
「じゃあ、飛露喜君。何かわかったら教えてね」
 通話は切れた。トスカーナの営業再開もいつになるかわからないので、特にやることがない。明日あたり近藤のもとを訪ねてみてもいいかもしれない。
「お待たせ、飛露喜君。できたよ」
 そう言ってドアを開けて入ってきたのは隣の部屋に住んでいる誠だった。誠は皿を持っていて、その上にはナポリタンが盛られている。どうしても食べたくなったので材料を持参して作ってもらったのだ。
「いただきます」
 受けとったナポリタンを早速食べ始める。やはり旨い。誠が作るナポリタンは絶品だ。タマネギとピーマン、それからウィンナー。入っている具材はシンプルなのに、どこか奥深い味わいがあり、それでいて懐かしい感じもする。
「どう? 飛露喜君。美味しいかな? 久し振りに作ったからちょっと不安なんだ」
「全然問題ありません。美味しいです」
 やはりこの味を絶えさせてしまうのは悲しい。喫茶デイブレイクをどうにかして復活させたいものだが、あのビルがニワホテル神保町店に改装されてしまった今となっては、それも見果てぬ夢だ。こうしてたまに誠に作ってもらって食べるしかないだろう。
「マコ、俺も久し振りに食いてえな、お前の作ったナポリタン」
 幹雄がそう言うと誠がにやりと笑って答える。
「ミッキーがそう言うと思って余分に作ってある。今持ってくるから待っててね」
 誠がそう言って隣の部屋に戻っていった。飛露喜はすでに皿のナポリタンを半分ほど食べて終えていた。フォークが止まらないとはこのことだ。
「おい、飛露喜」そう言って幹雄が紙袋を飛露喜の足元に置いた。「これ、饅頭だ。よかったら食ってくれ。旨いぞ」
「どこか行ってきたの?」
「ああ、温泉にな。俺もマコも年だからな。たまには体を労らないといけない年齢だ。メンテナンスってやつだな」
 幹雄はもう七十六歳だ。持病の一つや二つは抱えていても不思議はない年齢だった。博多に住む飛露喜の祖父――幹雄の弟に当たる――は今年で七十三歳になるはずだが、幹雄よりもずっと老けて見え、杖をついて歩いている。幹雄や誠は若い方かもしれない。
「ミッキー、お待たせ」
「ありがとよ、マコ」
 幹雄が受けとった皿からナポリタンをくるくるとフォークに巻いて口に入れた。そして満面の笑みを浮かべて言った。
「やっぱり旨えな。最高だぜ」
 暴力コック騒動が発覚して三日が経ち、ようやく騒ぎも下火になりつつあった。普段は社長室でテレビを見ることなど滅多にないのだが、最近では昼間はずっとテレビがつけっ放しの状態だ。各局のワイドショーを見て、ニワホテルがとり上げられているかどうか、それを確認するのが友彦の日課になっている。
「社長、失礼します」
 ノックとともに秘書の柳沢が社長室に入ってきた。書類を手にしている。それをデスクの上に置きながら言った。
「これが午後の会合の資料となります」
 今日は午後から外出することになっていた。ホテル関係者が集まる定例会で、来月に開幕を控えた東京オリンピックに関する警備が議題に上る予定だった。会合といっても担当者が話し合うようなことはなく、最終確認といった内容のはずだ。
「このまま世間の関心が薄まってくれればいいですね」
 テレビを見て柳沢が言う。友彦はうなずいた。
「その通りだな」
 今、ワイドショーでは来日したどこかの国の選手団の話題がとり上げられていた。オリンピックを来月に控え、選手団が続々と来日していた。まずはいきなり東京に来るわけではなく、地方都市の宿泊施設で事前の調整をおこなう選手が多いようだ。
 やはりオリンピック効果というのは絶大だ。たとえば来日したアフリカの小国の所属選手が初めて刺身と食べるというトピックだけで、三十分近い特集が組まれていたりする。それだけ注目度が高いのだ。今日はこれまでのところニワホテルという単語はワイドショー内で一度も使われてない。とにかく静観して騒ぎが鎮まるのを待つ。その作戦がうまく行きつつあると友彦自身も感じていた。
「柳沢、ビエリの居場所は掴めたのか?」
「まだのようですね。まったくどこに雲隠れしたのやら」
 トスカーナの料理長のジャン・ビエリは妻子を自宅に残したまま姿をくらませていた。書類上ではビエリは昨日付で解雇となっており、トスカーナも営業再開の目処が立っていない。これを機にレストランを潰してしまい、客室に改装してしまおうかという案も出ているほどだ。
 そもそも暴力コックの動画が拡散したのは、トスカーナ内の何者かがあの動画を撮影してSNSに投稿したのが原因だ。つまりトスカーナ内に裏切り者がいるということだ。スタッフたちに対して念入りに事情聴取をしているようだが、いまだにその犯人は明らかになっていない。
 最初、友彦はあの若者を疑った。柴田飛露喜。そう、柴田幹雄の親戚だ。現場にいたことは明らかだったが、彼が関与している証拠は掴めていないとの報告が上がっていた。問題となった動画は厨房内で撮影されたものであり、ホールスタッフである柴田飛露喜には撮影自体が難しいようだった。
「柳沢、トスカーナは潰す方向で考えよう」
「かしこまりました」
 内装にもそれなりに金をかけているので、今潰してしまうと採算がとれないのは百も承知だ。しかしトスカーナの存在自体が不吉なものに思え、無理に営業を続けるべきではないと友彦は考えた。
「客室に改装するのが一番だろうな。業者に見積もりを依頼しておけ。遊ばせておくのももったいないし、できれば秋までに何とかしたい」
「了解しました。施設管理部と協議します。社長、そろそろ出発した方がよろしいかと」
「そうだな」
 資料を手に立ち上がった。車の中で目を通せばいい。するとドアがノックされる音が聞こえ、「失礼します」という声とともに一人の男が社長室に入ってくる。経理部長の米岡だった。
「社長、少々お時間をよろしいでしょうか?」
 柳沢が米岡に向かって言った。
「部長、社長はこれから会合に出られるんだ。あとにしてほしい」
 米岡の様子が気になった。彼は元は金融会社に勤めていた男で、五年ほど前に転職して友彦のもとで働くようになった。冷静な男で、状況を分析することに長けているため友彦も信頼している。その冷静なはずの米岡が、今は少しとり乱しているような気がしたのだ。
「柳沢、まだ時間はあるだろ。米岡、話というのは何だ?」
「ありがとうございます」そう礼を言ってから米岡が一枚の紙を渡してきた。「こちらをご覧ください。これは我が社の株価のチャート図です」
 説明しなくてもそのくらいはわかる。オリンピックのため比較的高値で取引されていたのだが、ここ一週間くらいの落ち込みようは激しいものだ。理由は明白、例のヘアパスタ問題と暴力コック騒動だ。あの一連の騒ぎの影響から、株価は急激に下がっていた。
「これのどこが問題なんだ?」
 友彦が訊くと、米岡がやや声を低くして答えた。
「昨日、今日と株価が回復傾向にあります。回復するにはまだ早いんじゃないか。そう思って友人の金融マンに分析を依頼しました。すると思わぬことを言われました」
「何と言われたんだ?」
「この一ヵ月ほどの株価の動きです。誰かが我が社の株を買い占めている可能性があるそうです」

 その日の夜、友彦は社長室にいた。結局午後の会合には出席せず、息子の英彦を代理として向かわせた。経理部長の米岡に命じ、情報収集をおこなわせているところだ。
 金に糸目をつけるなとも命じてある。こういう場合、もっとも情報を握っているのは兜町界隈の専門家だ。しかし情報というのは無料で手に入れることは難しい。金をかければかけるほど、より精度の高い情報を手に入れることができるのだ。
 午後九時過ぎ、社長室の電話が鳴った。米岡からだった。まだ彼も社内にいるようだったので、すぐに呼び出した。五分後、米岡が社長室に入ってくる。見知らぬ男を連れていた。
「社長、こちらは今回我々に協力してくださる金融ジャーナリストの小山内氏です」
 小山内はノーネクタイで、鼻の下に髭を生やした気どった感じの男だった。友彦は米岡に目を向けた。この男は信用できるのか。そう問いかけたつもりだった。友彦の真意を理解したのか、米岡が言った。
「小山内氏とは二十年来の付き合いです。信用の置ける方だと思っていただいて間違いございません」
 おそらく金を握らせてあるのだろう。この男の持つ情報によってさらに報酬を増やしてやってもいい。友彦は先を急かした。
「それで? 何かわかったのか?」
「御社の株式は買い占められている。そう考えていいでしょう」答えたのは小山内だった。「実は数日前からそんな噂がありました。何者かがニワホテルの株式を買っているらしいってね」
「誰が? 誰がそんな真似を……」
「現在調査中です。わかり次第、私のところに連絡が入ることになってます」
「ちなみにどれほどの株式を買われているんだ?」
「五パーセントに満たないはずです。五パーセントを超えた場合、日本の金融商品取引法では報告の義務が発生しますので」
 小山内の説明を聞く。上場企業の株式の五パーセント超を所有する株主のことを大量保有者といい、五パーセント超を保有することになった日から五日以内に金融庁に報告する義務があるという。
 たかが五パーセントじゃないか。そう思って友彦は安堵した。しかし小山内が冷静な口調で続けた。
「実際に保有していなくても、買いつけが決定している、つまり保有者から買いつけの内諾を得ている株も多いはずです。つまり実際には五パーセント以上、私の想像ですが、現時点で十パーセントから十五パーセントの株式を実質的に持っていそうな感じですね」
「そ、そんなに……」
 十五パーセントとなると無視できる数字ではなくなってくる。果たして株を買い占める者の真意とは何なのか。
「何が目的なんだ? 我が社の株を買い占めてどうしようというんだ?」
「単なる投資目的ではないでしょうね。友好的な資本提携からスタートしてゆくゆくは経営にも口出ししてくるかもしれません。いずれにしても株式を買い占めている者の正体を探ることが先決ですね」
 不気味だった。正体不明の何者かがニワホテルの――正確には庭野産業の株式を買い漁っているというのだ。
「ちょっとすみません」そう言って小山内がスマートフォンを出した。「電話が入ったようです。少し失礼させていただきます」
 小山内が社長室から出ていく。残された経理部長の米岡が居心地悪そうに立ち尽くしていた。やがて米岡が頭を深く下げた。
「社長、このたびは誠に申し訳ありませんでした」
 自社の株が買い占められている。それに気づかなかったのは経理部長である米岡の致命的なミスだ。本来であれば叱り飛ばしたいところだったが、友彦は我慢した。まずは対応策を練るのが第一だ。減給や左遷などの処分はそれが終わったら考えればいい。それに社内を見渡しても米岡ほど金融業界に顔の利く人間がいないのが実情だった。
 社長室のドアが開き、再び小山内が入ってきた。彼はスマートフォン片手に言った。
「わかりましたよ。ファンドですね。〈スターエッジ〉というファンドが御社の株式を買い占める動きを見せてるようです。今年に入って設立されたばかりのファンドですね」
「聞いたことがないな。そのスターエッジというのは何者なんだ?」
「わかりません。おそらく背後には何者かが潜んでいると思われます」
 友彦は腕を組み、経理部長の米岡に命じた。
「金はいくらかかっても構わん。スターエッジという連中の正体を早急に暴き出せ」
 その日、飛露喜は若手コックの近藤が住むアパートを訪ねた。しかし彼は不在のようで、インターホンを押してもドアは開かない。窓の電気も消えていた。どうしようかと逡巡していると、階段を上ってくる足音が聞こえた。
 近藤だった。廊下を歩いてきた近藤がこちらの存在に気づいたので、飛露喜は頭を下げる。
「どうも。元気?」
「うん、まあ。何の用すか?」
「特に用があるわけじゃないけどね。近くまで来たから寄ってみようと思ったんだ」
 廊下でずっと話しているわけにもいかないと思い、飛露喜は提案した。
「ビールを買ってきたんだ。軽くどうかな?」
 コンビニで買ってきた袋を見せると近藤はうなずいた。
「いいっすよ」
 近藤の部屋はワンルームの質素な部屋だった。中に入って二人で缶ビールを飲み始める。
「近藤君、コックはどうするの?」
「どうすかね」近藤が答えた。「まあトスカーナは辞めると思いますけどね。つうか営業再開もしないって話じゃないすか。これを機に別の店に移ろうかと思ってます。ラーメン屋なんていいんじゃないかって思ってるんですよ。俺、ラーメン大好きだし」
 あまり切迫感のようなものが感じられなかった。もともと楽天家なのかもしれない。
「近藤君、どうしてビエリに殴られたの? あそこまでビエリが怒るって珍しいと思うんだよね。何か心当たりはないの?」
「ヘアパスタの犯人がビエリじゃないか。そんな噂話をしたのは間違いないっす。でもたったそれだけのことであそこまで殴られるとは考えてもいませんでした」
 やはりそれが原因だったのか。ヘアパスタ問題を自分のせいにされ、怒りの導火線に火がついたということだ。近藤の話を信じるのであれば、それが理由としか考えられない。
「飛露喜さん、腹減ってませんか? よかったらピザでも頼んじゃいましょうよ。せっかく来てくれたんだし」
 そう言いながら近藤がスマートフォンを操作し始めた。オンラインで注文したようだ。
「みんなは何て言ってます? 俺のこと、怒ってる人もいるんじゃないすか?」
「近藤君は被害者だろ。君のことを悪く思ってる人はいないと思うけどね」
 研修期間があったとはいえ、実質的に営業していたのは十日に満たないため、やはり従業員の結束力がそれほど高まっていないのが実情だった。すでに別の職場に移った者もいるとの話だった。おそらくトスカーナの営業再開はない。それが大方の見方だ。
「飛露喜さんはどうするんですか? ほかの店に移るんですか?」
「考え中ってところかな」
 飲食関係の仕事を続けたいと思っているが、ホテル関係の仕事をやってみてもいいかなと思い始めていた。ニワホテルのスタッフからホテルマンをやってみないかと誘われている。トスカーナでてきぱき働いていた姿に目を留めてくれた人がいたのだ。
 今年で二十六歳になる。そろそろきちんとした仕事に就かなきゃいけないと思っている。今はそれを探している状況だ。
「飛露喜さん、大型の免許、持ってます?」
 大型自動車ではなく、大型二輪のことだろう。近藤がバイクでツーリングをするのが趣味であることは飛露喜も知っている。
「持ってないけど、何で?」
「ツーリングに行くと気持ちいいっすよ。でかいバイクに乗って走ってると、いろいろ悩んでる自分がちっぽけに思えてきますからね。あ、実は俺、バイク買うんすよ」
「そうなんだ。中古?」
「新車っす。来週納車されるんですよ」
 そう言って近藤がスマートフォンを操作して、画面をこちらに見せてきた。流線形のフォルムをしたバイクが写っている。
「へえ、かっこいいね」
「ですよね。今から楽しみなんです」
 値段を見て驚いた。百五十万円もするのだ。あまりバイクの値段の相場は知らないが、結構な金額だというのが飛露喜の感想だった。それに今の状況で――職場で騒動を起こし辞めようかというタイミングでバイクを新車で購入するという、近藤の神経が理解できなかった。ただし以前から購入を予定していて、たまたまタイミングが重なっただけかもしれない。
「もしよかったら教習所紹介しましょうか。大型二輪はいいとして、普通二輪くらいとっておいてもいいと思いますけどね」
「うーん、どうかな」
 飛露喜は適当にはぐらかした。バイクを新車で買い、宅配ピザを迷うことなく注文する。近藤の行動はどこか不自然なものに思えて仕方なかった。
「飛露喜さん、次はハイボールでいいすか? それともワインでも開けちゃいますか?」
「僕はどっちでもいいよ」
「じゃあワインにしましょう。旨い赤があるんすよ」
 近藤はそう言って立ち上がった。どこか嬉しそうだった。事件以来、誰とも喋れずこの部屋に閉じ籠もっている反動だろうか。そんなことを思いながら飛露喜はビールを飲み干した。
 株の買い占めが発覚した翌日の昼過ぎ、友彦が社長室にいると経理部長の米岡が姿を現した。昨日会った金融ジャーナリストの小山内も一緒だった。小山内は今日もノーネクタイで薄い色のサングラスをかけている。
 彼の経歴は昨夜のうちにネットで調べた。日本の証券会社を退職してからフリーのジャーナリストとなり、経済誌に寄稿するなどしているらしい。個人的に金融関係の勉強会なども催しているようだった。何人かの知り合いにそれとなく当たってみたところ、信頼の置ける人物であるとの評を得られていた。
「それで何かわかったのか?」
 友彦が訊くと、小山内が答えた。その声は嗄れていた。昨夜からずっと情報収集に明け暮れていることが窺い知れた。
「御社の株式を買い占めているファンド、スターエッジですが、その背後にいるのは中国の開発会社のようです」
「中国の開発会社が、なぜ我が社の株を……」
「開発会社の名前は星花といいます。本社は上海にあるようですね」
 小山内が数枚の紙をテーブルの上に置いた。星花の企業情報を集めたものらしい。一枚の写真があり、そこには恐ろしいほどの高さの高層ビルディングが写っていた。上海の高度成長ぶりが凄まじいことは聞いている。この高層ビルが本社なのだろう。
「もともとは中国国内でホテルや旅館を経営している会社だったようです。数年前に社長が替わって攻勢に出ました。上海を訪れるビジネスマン向けのホテルを建てるなどして、ホテル業を中心に発展を遂げていったようですね」
「我が社を狙っているということか?」
「おそらく。三年ほど前にベトナムのホテルを買収した実績があります。どのように買収したのか、その経緯はまだ調べている最中ですが」
「小山内さん、あんたの個人的見解を聞かせてほしい。スターエッジ、その背後にいる星花の目的はずばり何だと思う?」
 しばらく小山内は黙りこくった。やがて顔を上げて彼は言った。
「企業買収ではないかと思います」
「その確率は?」
「七十パーセント強」
 友彦は大きく息を吐いた。企業買収。こちらの株を買い占め、会社丸ごと買収しようというのだ。小山内は続けて言った。
「友好的な提携を持ちかけてくる可能性もゼロではありません。しかし敵対的M&Aを仕掛けてくる可能性もゼロではないかと」
 敵対的M&A。買収される企業の経営陣の同意がないままにおこなわれる企業買収のことだ。それを仕掛けてくる可能性もあると小山内は言っているのだ。
「教えてくれ」友彦は経理部長の米岡に訊いた。「うちの企業買収の防衛策はどうなっている? 何かしらの手立ては打ってあるんだろうな」
 米岡はやや俯いて答えた。
「うちは昭和から続く老舗の会社でして、従業員の結束も強固でした。ほかの会社が乗り込んでくるわけがないと考えていた部分があります」
「つまり具体的な対策はないということか?」
 米岡は完全に下を向いてしまう。代わりに答えたのは小山内だった。
「社長、買収防衛策として真っ先に挙がるのが新株予約権の発行です。つまり買収側が保有する株のパーセンテージを薄めるために新規の株を発行することですが、これは両刃の剣でして、御社の株価を下げ、株主に不利益を与えます。それに言いにくいですが、今の御社は体力的に弱まっている状態です」
 ヘアパスタ問題、暴力コック騒動によりニワホテルの株価は下がっている。これ以上株価が下がってしまうと厳しい状況になるのは友彦でもわかった。
「ただし光明がないわけではありません。私も完全に調べたわけではないですが、御社の株を保有しているのは親族が多いと伺っております。そこを相手に渡さなければ勝ち目が出てくる可能性があります」
 ニワホテルグループの正式名称は株式会社庭野産業といい、昭和から続く老舗の会社だ。友彦が社長に就任して以降はホテル経営に乗り出しているが、それ以前は日本各地でボウリング場を運営している会社だった。その株の多くを親族が持っているという話はどこかで友彦も耳にしたことがある。
「いずれにしても近いうちに相手先が株式の大量保有を正式に公表するはずです。そうなったら向こうから何かしらの接触があると思います」
「小山内さん、引き続きいろいろ動いてくれないか? 金ならいくらでも払う」
「わかりました。しかし」咳払いをしてから小山内が続けた。「気づくの遅かったように思います。せめてもう一ヵ月早く気づいていれば、あれこれ手を打てたはずです。厳しい勝負になることを覚悟してください」
 そう言ってから小山内は社長室から出ていった。友彦は経理部長の米岡を呼び止め、小山内を全力でバックアップするように指示を出すと同時に、企業買収専門の弁護士を雇うように指示した。
 米岡が社長室から出ていくのを見送ってから、友彦は目頭を押さえて背もたれに体を預けた。

「面会時間は午後八時までとなってます。あと少ししか時間はありませんが、よろしいですか?」
「ええ。構いません」
 夜間専用通用口から中に入り、友彦は暗い病院内を歩いた。水道橋にある病院だ。個人病院であるが診療科目は多岐にわたり、入院病棟もあった。ある病室の前で足を止めた。ドアの横の札には『山田五郎』と黒マジックで書かれている。
 ノックもせずにドアを開けた。一台のベッドが置かれていて、そこには一人の老人が横たわっている。本名は山田五郎、通り名は暁五郎だ。五郎はベッドの上で眠っている。
 十ヵ月ほど前、友彦は策略を弄して五郎から神保町アカツキビルを奪った。積年の恨みを晴らしたつもりだった。かつてアメリカで五郎に裏切られ、警察に捕まった。実刑は免れたものの、あのときに味わった屈辱は決して忘れることができなかった。復讐心を待ち続けたのは、彼らが反撃する気力がなくなる年齢まで待ったからだ。しかも奪ったビルをニワホテル神保町店にリニューアルさせることができ、友彦にとって二重の喜びだった。
 しかし五郎にとってはショックが大きかったようだ。突然の脳梗塞に襲われ、植物状態に陥ってしまったらしい。担当している看護師に金を積んで話を聞いたところ、目を覚ます気配すらないようで、担当医師もお手上げ状態だという。
 五郎は寝たきりの割りに肌艶がよく、今すぐにでも目を覚ましそうだった。ベッドの脇にはテレビが置いてあるが、ここにあっても五郎がこれを見ることは二度とない。無用の長物と言えるだろう。
 一応五郎たちの動きには目を光らせており、一味である柴田幹雄や佐々木誠の動きを定期的に見張っているが、二人とも隠居生活に入ってしまったかのように大人しい。五郎がいつ目を覚ますか不安で、こうしてたまに訪れて観察するのだが、いつ来ても五郎は眠っている。時間が止まってしまったかのように。
 友彦はベッドの脇にある椅子に座った。最初のうちは五郎の様子を見にきているつもりだったはずが、いつしか一人きりで考えごとをしたいときには自然とこの病室に足を運ぶようになっていた。
 まさに青天の霹靂だ。自分の会社を乗っとろうとする者が現れるとは想像もしていなかった。自分の注意不足を嘆いた。そもそも友彦が庭野産業の社長に就任したのは五十歳を過ぎてからで、会社を発展させようというアグレッシブな意欲はあったものの、逆に会社を守ろうというディフェンシブな発想は持ち合わせていなかった。
「五郎、ヤバいことになっちまったよ」
 そう言っても五郎が答えることはなかった。友彦は続けて言う。
「まったく最悪だぜ、五郎」
 なぜかここに来ると時間が大幅に引き戻される感覚があり、口調まで昔に戻ってしまう。昔というのは五郎たちと一緒に無茶していた時代だ。五郎たちと過ごした期間は三、四年程度だったが、友彦にとって濃密な時間だった。トミー、頼んだぜ。任せてくれ。トミー、絶対にミスるなよ。オーケー、任せておけ。アカツキ強盗団は熱く、そして楽しかった。
 成功という意味では日本に帰国してからの方が断然上だ。帰国してすぐに立ち上げた通販会社も儲かったし、ニワホテルグループのここ数年の躍進は目覚ましい。しかし単純に仲間と一緒に盛り上がり、ひと仕事終えたあとに飲むビールの旨さという点では、あの頃に勝る時代はない。
 友彦にとって五郎は自分を陥れた憎き相手であると同時に、永遠のリーダーでもあった。五郎には愛憎相反する感情を抱き続けていた。それに終止符を打つために五郎からすべてを奪う計画を練って実行に移したのだが、いまだにこうして五郎の病室を訪ねて感傷的になっている自分がいる。俺も年をとったのだろうか。
 人生最大の危機がすぐそこまで迫っているという予感があった。中国系企業、星花の子会社だと思われるファンド、スターエッジの本当の狙いはいまだに明らかになっていないが、ニワホテルグループの買収に乗り出すと考えて間違いない。そろそろ晩節に差しかかっている自覚が友彦自身にもあり、どのように息子である英彦の代に繋げようかと考え始めていた矢先だった。このままではすべてを失う羽目にもなりかねない。
「五郎、そろそろ行くよ」
 もうすぐ午後八時となり面会時間が終了となる。友彦が立ち上がったとき、眠っている五郎の瞼がぴくりと動くのが見えた。思わず友彦は五郎の肩を揺さぶっていた。
「五郎、目が覚めたのか。おい、五郎。返事をしてくれ」
 見間違いだったのか、五郎が目を覚ますことはなかった。病室に入ってくる足音が聞こえ、女性の看護師が声をかけてきた。
「どうしましたか? そろそろ面会時間も終わりますよ」
「今、目のあたりが動いたんだ」
 友彦が状況を説明すると、看護師が笑みを浮かべて言った。
「反射ですね。そういうことはよくあることです」
「そ、そうなのか」
 やはり五郎が目を覚ますことはないのだ。友彦は病室から出て、夜の廊下を歩き出した。
(第14回へつづく)

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横関 大Dai Yokozeki

1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の作品に、『グッバイ・ヒーロー』『チェインギャングは忘れない 』『沈黙のエール』『スマイルメイカー』『ルパンの娘』『炎上チャンピオン』『仮面の君に告ぐ』などがある。

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