双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アカツキのGメン(横関大)

イラスト:おおさわゆう

第11回

「昨夜のスタッフの話では、SNSに画像を投稿した宿泊客はいまだに特定できていないようです。問題のパスタは『海の幸たっぷりのペスカトーレ』で、コースメニューのパスタにもなっています。昨夜だけで五十食以上提供していると判明しました」
 午前十時三十分、友彦はニワホテル神保町店の八階にいた。トスカーナの店舗内だ。トスカーナで働くスタッフは厨房、ホール合わせて全部で二十人ほどいて、彼らには問題のパスタがどのように調理され、客のもとに運ばれたのか、その経緯を思い出すように命令した。今、二十人近いスタッフが厨房の前に集まり、あれこれと話している。
「社長、こういうケースは迅速な対応が要求されます。まずは謝罪するのがよろしいかと」
 そう提言してきたのはライフ法律事務所の平野弁護士だった。まだ若いが、信用の置ける男だった。
「記者会見をした方がいい。先生はそうおっしゃっているのか?」
「会見はもう少し事実関係が明らかになってからでもよろしいでしょう。まずはホームページに謝罪文を掲載するべきでしょうね。投稿者に対して呼びかけてみてもいいかもしれません。直接謝罪したいので名乗り出てほしいと訴えてみてはいかがでしょうか」
「中島、すぐに謝罪文の作成にとりかかってくれ。一時間で作るんだ。私が内容を確認次第、すぐにホームページに掲載するぞ。遅くとも昼までには掲載する」
 中島というのは広報部長だ。彼は慌てた様子で携帯電話で何やら話し始める。本社にいる部下たちに謝罪文の作成を命令しているのだろう。ニワホテルの本社ビルは新橋にある。
 正午までに謝罪文を掲載することにしたのには理由がある。正午からテレビ各局で昼のワイドショーが順次始まる。さきほど中島に確認したところによると、テレビ局や新聞社から取材が殺到しているらしい。おそらく早ければ今日中にもワイドショーでとり上げられる可能性もあった。早めに謝罪文を出しておけば、そこでの反応も違ってくると期待したのだ。
「社長、よろしいですか?」
 近づいてきたのはトスカーナの従業員だった。その隣には二十代の女性が立っている。話を聞くとアルバイトらしく、問題のパスタを運んだのは自分かもしれないというのだった。彼女が話し始める。
「画像見ました。角度とか、テーブルの位置から推測して思い出したんですけど」
 客は三十代の男で、一人で来店したらしい。ニワホテルは全室シングルルームで一人の客が多いので、トスカーナにも一人用のテーブル席を多数用意しており、彼もそこに座っていた。
「ペスカトーレを残したんです。ほとんど手がつけられていなかったと思います。忙しかったから、そのときはパスタの中身をそれほど見ませんでした」
「男の顔を憶えているか?」
「あまり自信はありませんけど」
「おい」近くにいた従業員を呼んだ。「この子をフロントに案内しろ。昨日の防犯カメラの映像を隈なく見てもらえ。問題の画像をアップした張本人を特定できるかもしれん」
「わかりました」
 従業員に連れられ、アルバイトの女性が去っていった。入れ替わりにやってきたのは私服姿の男で、どうやらコックのようだった。
「例のパスタですが、誰が作ったかわかりません。厨房は全員で七人いるんですけど、うち二人が前菜担当で、残り五人が主菜担当です。誰が何を作るか、明確な決まりがなくて、オーダーが入ったときに手が空いていた者が作ることになっていました。ただ……」
「ただ、何だ?」
「パスタを作るのは料理長が多かったです。あくまでも割合ですけど。それに僕たちは全員コック帽を被ってます。料理長だけは……あっ」
 男は口をつぐんだ。その視線の先にスーツ姿の長身の男性が立っていた。料理長のジャン・ビエリだ。ようやく到着したらしい。長い髪を後ろで束ねている。
「社長、おはようございます。大変なことになりましたね」
 ビエリが近づいてきた。その顔つきは真剣なものだった。この男なりに事態の重大さを認識しているらしい。
「ジャン、君のレストランで起きた問題だ。わかってるね」
「すみません、社長」ビエリは素直に頭を下げ、流暢な日本語で謝罪の言葉を口にする。「すべては私の責任です。申し訳ありません。記者会見っていうんですか。カメラの前で頭を下げる覚悟はできています。でもね、社長。私も画像を見たけど、あの髪の毛はおかしいですよ。偶然抜けて入る量じゃありませんから」
「それは私も同感だ。しかし起きてしまったことは仕方がないんだよ」
 一番考えられる可能性は投稿者の自作自演、つまり提供されたパスタに髪の毛をあとから混入し、それを撮影したというものだ。その目的はニワホテルの評判を落とすことだ。競合他社の息がかかった者や、過去に系列ホテルで非常に嫌な思いをして、その腹いせとも考えられた。
 第二の可能性は内部に犯人がいる場合だ。さきほどのアルバイトの女性が髪の毛を混入させたとは考えにくいので、やはり厨房にいる者の仕業だろうか。ビエリを入れて七名のコックが犯人候補だ。うち二人は前菜担当らしいが、それだけでは疑惑の対象から排除できない。ほかのコックの目を盗んで髪の毛を混入させることはできるはずだ。
「おそらく記者会見を開く流れになるだろう。そのときはジャン、君にも同席してもらうことになるが、今は事実関係を解明することが先決だ。コックを集めて混入の原因を探ってほしい」
「わかりました、社長」
 ビエリが頭を下げてから厨房の方に向かっていった。レストランのスタッフたちは料理長の登場をやや戸惑った表情で出迎えていた。二十人近いスタッフを見渡し、そのうちの一人に目を留めた。二十代の男だ。彼の名前は柴田飛露喜。五郎の仲間、柴田幹雄の親戚に当たる。
 社長という職にありながら、採用された従業員は正社員であってもバイトであっても、必ず履歴書に目を通すのが友彦のやり方だ。去年の七月に彼とは一度顔を合わせており、履歴書の写真を見てすぐにわかった。採用を控えるように指示を出そうとも思ったが、スパイを泳がすつもりで人事担当者の判断に任せることにした。すると彼はすんなりと採用が決まり、今では期待のできるスタッフの一人として周囲に認識されているようだ。二日ほど前に神保町店の人事担当者と話をしたところ、トスカーナのスタッフの中でも飛び抜けて評判がいいのが彼らしい。まあ幹雄もお調子者だったので、その血が流れているということだろう。
 彼は今、周囲のスタッフたちと何やら真剣な顔で話している。昨夜のことをあれこれ議論しているはずだった。友彦は柴田飛露喜のもとに向かった。彼の前に立ち、その顔を正面から見る。
「な、何でしょうか?」
 困惑した目つきで飛露喜が訊いてきた。この年になると目を見れば大抵のことはわかる。この若者は混入事件とは無関係だろう。あくまでも勘だが、この手の勘が外れたことは滅多にない。
 踵を返して歩き出した。今後の対応策について弁護士ともっと話し合っておいた方がよさそうだ。今日明日の予定をキャンセルして、この混入事件の解決にすべての時間を充てることを友彦は決意した。
『わしだったら切れるで、こんなパスタ出されたら。絶対あかんやつやん。髪の毛ごっつ入ってるし。どこのおっさんの髪の毛かわかったもんやないしな』
 午後三時。飛露喜はトスカーナのホールにいた。パスタに髪の毛が混入していた問題で呼び出され、午前中からスタッフ同士で原因究明に向けて話し合っているのだが、まだ結論は出ていない。テレビのワイドショーでとり上げられていると聞き、スマートフォンでそれを見ていた。社員や料理長は姿を消し、今はバイトだけがとり残されている。
『当然、金も払わんでもええと思う。こんなん出されたらな。わしだったらブチ切れてるで、ほんま』
 ワイドショーの司会者は関西出身の毒舌で知られているタレントだ。さきほどから今回の事件のことを散々こき下ろしている。女性アナウンサーが苦笑しながら言った。
『それでは、今回のヘアパスタ問題を引き起こしたニワホテルグループですが、現場から中継が入っているようです』
 誰が言い出したのか定かではないが、今回の髪の毛混入事件はヘアパスタと呼称されるようになっていた。ネットの検索ワードランキングでも上位に食い込んでいる。ヘアパスタ。何とも珍妙なネーミングだ。
 テレビの画面が切り替わり、見憶えのある風景が目に飛び込んできた。ニワホテル神保町店の前だ。正面玄関をバックにして男性アナウンサーが立っている。
『こちら現場となったニワホテル神保町店の前です。スタジオでもお伝えした通り、昼前に公式ホームページで謝罪文を掲載して以来、目立った動きはありません』
 司会者と何度かやりとりをしたあと、再びスタジオ内に映像が戻った。男性司会者が話し出す。
『このままだんまりはあかんやろ。記者会見できっちり謝らんと』
『ではここでニワホテルグループの歴史について解説していただきたいと思います。本日はホテルジャーナリストの先生に来ていただきました。先生、お願いします』
 眼鏡をかけた男が画面に映る。ホテルジャーナリストという職業があるのを飛露喜は初めて知った。
『ニワホテルは二〇〇〇年代に入って急速に伸びてきたグループですね。創業は昭和の中頃で、当初はボウリングなどの遊興施設を主な事業にしていました。それを方向転換したのが現社長である庭野友彦氏です。彼が社長に就任後、全国各地で苦戦が続いていたボウリング場をホテルに建て替えるプロジェクトが始まり、それが今の発展の礎になったと言われていますね』
 飛露喜はスマートフォンを操作してチャンネルを変えた。この時間は民放の多くはワイドショーを放映しており、どの局もこぞってヘアパスタ問題をとり上げている。
 飛露喜も昨夜はシフトに入っていたため、当然ここで働いていた。しかしそんな問題が起きていたとは思ってもいなかった。問題の客に対応したのはアルバイトの女子大生であるとすでに判明していて、その子は午前中にフロントに連れていかれたきり戻ってきていない。パスタを運んだのはその子らしいが、彼女の犯行とは考えにくかった。もし彼女が髪の毛を混入させた犯人ならば、そう簡単に名乗り出たりしないだろう。
 となると考えられるのは厨房で働く七人のコックのうちの誰かだ。しかし自分が働くレストランの評判を落とすような行為を彼らがするだろうか。まだオープンして間もないので、従業員の人となりを熟知しているとは言えないが、それほど悪い人間はいないと飛露喜自身は感じていた。
 昨夜、同僚からメールで教えられ、飛露喜もヘアパスタの画像を見た。おぞましいもので、そこには強烈な悪意を感じずにいられなかった。よほどニワホテルに恨みがある者の犯行だと飛露喜は思ったし、ワイドショーのコメンテイターも同じようなことを言っていた。
「お、戻ってきたぞ」
 隣にいた同僚の声に顔を上げると、エレベーターのドアからアルバイトの女子大生が出てくるのが見えた。店内に入ってきた彼女をアルバイトたちが出迎える。
「どう? わかったのか?」
「ええ。何とか」
 彼女の話に耳を傾ける。フロントには防犯カメラが設置されていて、客の顔を判別できる映像をチェックさせられたという。問題の男は昨夜の午後七時前にチェックインしており、七階の七一二号室に宿泊していた。一泊して今日の朝七時にチェックアウトしているらしい。ちなみにニワホテル神保町店は二階から七階までが客室となっていて、総客室数は一〇八室だ。
 昨夜の投稿者の行動が明らかになってきた。七時前にチェックインしたあとトスカーナで食事をするために来店した。来店した時刻は女子大生アルバイトの証言から午後八時過ぎだと思われる。注文したのはコース料理だったが、出されたパスタに髪の毛が混入していたことに驚き、それを食べないまま部屋に戻ったと推測された。そして怒りが収まらず、午後十時にSNSに問題の画像をアップしたというわけだ。
「みんな、ちょっと集まってくれ」
 一人の男がそう言いながら近づいてきた。彼はホールスタッフで唯一の正社員だ。彼がアルバイトの顔を見渡してから言った。
「当面の間、店の営業を自粛することになった」
 アルバイトたちから驚きの声が上がる。脇腹のあたりを肘でつつかれるのを感じ、隣を見ると同僚の一人が何やら言いたげな顔をしている。すでに飛露喜はバイトリーダー的な立場にある。仕方がないので挙手をして発言した。
「当面の間ってどれくらいでしょうか? それと休んでいる間はバイト代も出ないんですよね」
「休業する期間は未定だ。残念だけどバイト代は出ない。どうしても働きたいという人のために他店舗への振り替えも考えているけど、そっちの方もまだ目途が立っていない状態なんだよ。申し訳ないけど俺から言えるのはこのくらいかな」
 これほど世間を騒がせる問題に発展してしまったのだから、店の営業を自粛するのは仕方がないところだった。
 今日は解散になるようだ。おのおのが重い足どりで歩き始めると、背後から社員の声が聞こえてきた。
「悪いけど裏口から出てね。それとマスコミから取材の申し込みがあっても一切応じないでほしい」
 エレベーターではなく、階段を下りることにする。ほかのアルバイトと一緒だったが、誰一人として口を開こうとしなかった。
「社長、早急に記者会見を開くべきでしょうね。このままだと風向きが悪くなる一方です」
 顧問弁護士の平野の提言を受け、友彦は腕を組んだ。夕方の五時、場所は新橋の本社ビル内にある社長室の中だ。さきほど神保町店から引き揚げてきた。部屋の中には平野弁護士と秘書の柳沢の三人だけだ。
「投稿した男への謝罪は後回しでもいいんだな」
「それはやめておきましょう。勝手に個人を特定したことで先方の機嫌を損ねることにもなり兼ねません」
 すでに画像を投稿した者の正体はわかっている。宿泊者名簿に記された名前は『大石友樹』といい、茨城県土浦市の住所が記入されていた。SNSのアカウントはトモキとなっていることから、投稿した本人と考えて間違いないようだった。すでに本人は今朝チェックアウトしている。ただし現金払いのためカードの情報はなく、ネット予約の際に記した名前や住所が出鱈目である可能性も残されていた。
 実際にその住所を調べ、どんな人物がそこに居住しているのか。そのくらいは調べてみてもいいと友彦は考えたが、平野弁護士から止められた。下手に動いてマスコミに嗅ぎつけられたら厄介だし、今は謝罪して世間の怒りを鎮めることが先決だという。
「わかった。記者会見を開こう。平野先生、案はあるか?」
「早ければ早い方がよろしいかと思いますので、四時間後の午後九時でどうでしょうか。マスコミ各社にファックスを送って、記者会見の開催を知らせるのです」
「私も出た方がいいのか?」
「社長はよろしいでしょう。出席するのは神保町店の支配人と広報部長、それとビエリ料理長ですね。あ、ビエリさんには通訳をつけた方が賢明です。彼は日本語を話せますが、こういう場合は通訳を介してきちんとした言葉を伝えた方がよろしいでしょうから」
「柳沢、通訳の手配と会場の準備、それからマスコミ各社へのファックスを頼む。広報部と連携して動いてくれ」
「かしこまりました」
 柳沢が部屋から出ていった。平野弁護士がソファから立ち上がって言う。
「私もいったん事務所に戻ります。会見で話す内容と、想定される質問に対する返答例を考えてみますので」
「よろしく頼む、先生」
 平野が社長室から出ていき、友彦は一人きりになった。背もたれに体を預け、大きく息を吐いた。
 友彦が日本に帰国したのは九〇年代の初頭、ちょうどバブル景気が終焉を迎えようとしていた頃だった。もう悪事に手を染めるのは懲り懲りだったので、アメリカ時代に築いたコネクションと語学力を駆使し、海外からダイエットサプリメントを輸入・販売する会社を起ち上げた。爆発的とまではいかなかったが売り上げは上々で、会社設立から三年ほどで有名女性誌に広告を出せるほどまでに成長した。交友関係も広がり、会社経営者が集まるパーティーに顔を出せるようになった。そんなパーティーの一つでのちに妻となる女性、庭野久美と出会うことになる。
 久美は全国でボウリング場を経営する株式会社庭野産業の一人娘だった。ただしその経営状況は芳しいものではなく、どのボウリング場も閑古鳥が鳴いている状態だった。久美は当時三十代後半で、子供はいないが離婚歴があった。彼女の父親である庭野晋作は医者から肺ガンを宣告されたようだが治療は固辞し、会社の立て直しに奔走していた。
 庭野産業の現状を知った友彦は、大きな野望を抱いた。庭野産業を乗っとり、ホテルチェーンを経営できないものか。そう考えるようになったのだ。ホテル経営にはアメリカにいた頃から興味があった。若い頃から安いホテルを転々とする生活を送っていたため、そのサービス内容への不満、もっとこうしたら客が入るのではないかと夢想していた時期があったからだ。実際に共同でホテル経営に乗り出そうとしたこともあるくらいだ。
 友彦は計画を実行に移した。庭野久美にさりげなく接近し、うまく彼女にとり入って結婚まで漕ぎつけた。余命幾ばくもない庭野社長は一人娘の結婚を喜んでくれた。そうして友彦は庭野産業の正当たる跡継ぎとなったのだ。
 誤算だったのは庭野晋作が思った以上に長生きしたことだった。友彦の見立てでは一、二年でくたばると思ったのだが、想像以上の生命力を発揮して、西暦二〇〇〇年になろうかという頃にようやくこの世を旅立った。彼の死後、友彦は長年温めていた事業に乗り出した。
 全国に展開していたボウリング場をホテルに建て替えた。ホテル経営に向かない立地条件のボウリング場は更地にして不動産会社に売った。友彦が社長に就任して二十年という歳月が流れ、東京オリンピック開催という記念すべき年に二十店舗目のホテルを神保町にオープンさせることができたのだ。
 デスクの上の電話が鳴り、受話器をとると神保町店の支配人、根本という男からだった。宿泊のキャンセルが相次ぎ、今夜の予約だけで十件以上がキャンセルされたという。報告を聞き終え、友彦は叩きつけるように受話器を置いた。
 築き上げた王国が、重大な危機に晒されている。黙って見ているわけにはいかない。やれることはすべてやっておくべきだろう。
 友彦はスマートフォンを出し、操作してから耳に当てた。すぐに相手は電話に出た。
「そろそろ電話がかかってくる頃だと思ってたよ、社長」
 新宿で小さな興信所を経営する桑野という男だった。友彦が日本に帰国してから、何度か個人的に仕事を依頼している。あまり表沙汰にできない頼みを聞いてくれる男だ。
「大変みたいじゃないか。ヘアパスタ問題絡みだろ」
「知ってるなら話が早い。頼みというのは……」
 部屋には自分一人だとわかってはいたが、友彦は声をひそめて話し出した。

 記者会見の会場にはマスコミの記者やカメラマンなどが押しかけていた。その数は百名近くはいるのではないか。会場はニワホテル本社ビルにある大会議室だ。普段は企業のセミナー用に貸し出しているが、急遽使用することを決定した。
 友彦は別室からモニターを通じて記者会見の様子を見守ることにした。腕時計を見ると時刻は午後九時になろうしていた。そろそろだろう。
 男たちが姿を現した。全部で四人だ。男たちは白いテーブルの前に立ち、無数のフラッシュを浴びながら、まずは深々と頭を下げる。一番右側に立った広報部長の中島が口火を切った。彼は司会も兼ねている。
「皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。弊社、ニワホテルの神保町店における髪の毛混入問題につきましては、まずは当事者であるお客様に対し、ご不快な思いをさせてしまったことを深くお詫びいたします」
 フラッシュは収まる気配がない。続いて神保町店の支配人の根本が謝罪した。すべて平野弁護士と広報部が作成した謝罪文であり、彼らは暗記した文章をただ喋っているだけだ。
「続きまして実際に問題を発生させたレストラン〈トスカーナ〉の料理長、ジャン・ビエリから皆様にお詫び申し上げます」
 ビエリが前に出た。黒いスーツを着ている。マイクでイタリア語で話し始めた。しばらくしてビエリが言葉を切ると、その隣にいた通訳の男が話し始める。
「本当に申し訳ありません。私の注意不足であり、すべての責任は私にあります。これほどの騒ぎになってしまい、今はただただ反省しています」
 ビエリがさらに謝罪の言葉を口にしたあと、再び広報部長がマイクを持ち、これまでの経緯を説明した。経緯といってもそれほど詳細な話ではなく、投稿者の正体やパスタを運んだバイトの存在は伏せられた。
「……以上が今回の騒動の経緯です。今後は保健所、警察等、関係機関の指示を仰いでいく所存であります。髪の毛混入につきましては従業員の衛生管理を徹底し、マニュアルを見直す予定です。同時に従業員への教育も適宜おこなっていきます」
 現時点では保健所、警察から連絡はなく、指示を仰ぐつもりもなかった。開き直ってしまえば、そもそも食中毒を発生させたわけでもないし、あの画像が本物である確証もない。いわば一個人のSNSが世間を騒がせているだけなのだ。名誉毀損で逆に訴えてやりたいほどだ。
「それでは質疑応答に移ります。何かございますか?」
 いよいよ始まった。友彦は気を引き締めて画面を見た。記者たちが鋭い質問を浴びせてくるのは間違いなく、それに対してどう答えるかが焦点だった。固唾を飲んで見守っていると、最初に指名された男性記者が質問してきた。
「庭野社長のお姿を拝見できませんが、今後社長みずからが謝罪会見することはないのでしょうか?」
 想定内の質問だ。友彦の不在を指摘されることはわかっていた。広報部長の中島が答えた。
「社長は現在出張中でして、今回の会見に同席できないことを深くお詫び申し上げます。事実関係がはっきりしたのち、社長の会見については検討する所存です」
 友彦自身が矢面に立つつもりはない。とにかく騒ぎが収束するのを待つのだ。あと一ヵ月もすれば東京オリンピックが開幕するので、こんな騒ぎなど忘れ去られてしまうだろう。
 次の質問に移る。男の記者がマイクを持って言った。
「ビエリ料理長に質問します。どのように髪の毛が混入したのか、そのあたりの調査は進んでいるんでしょうか? 現場を仕切っている料理長としての意見を聞かせてください」
 通訳から耳打ちされてからビエリはイタリア語で答え、それを通訳が訳した。
「現在調査中です」
「たとえばですけど」記者が質問を重ねる。「髪の毛の長さや色合いとかで、誰の髪の毛が入ったか特定できるんじゃないですか。特定までいかなくても、多分この人の髪の毛だなとわかると思うんですが」
 ビエリが通訳を介して答えた。
「現在調査中です」
「話にならないな。やっぱり社長呼んでもらわないと。どこに出張してるんですか? 今のご時世、通信手段も進歩してんだから、何とかなるでしょ。テレビ電話もあるんだから」
 男の記者が不遜な態度で言う。その言葉に同調する声が会場内から上がってくる。あまりいい兆候ではなかった。社長を出せ。説明責任を果たせ。調査が甘いんじゃないか。そんな声が各所から飛んできた。司会の中島は困惑した顔つきで立ち尽くしているだけだった。まるで格上の相手に追いつめられたボクサーのようである。
「すみません。私の話を聞いてください」
 マイクを通じた声に会場内が静まり返った。ビエリだった。通訳からマイクを奪ったビエリが日本語で話し始める。
「少しだけ、私の話を聞いてください。私は十年前、この国に来ました。子供の頃、イタリアで流行っていた日本のアニメを観て、いつか日本に行ってみたいとずっと思ってました。四十歳になったとき、妻と一歳の娘を連れて来日しました。最初は品川の大きなレストランで働いて、しばらくして銀座のお店にスカウトされました」
 ビエリの日本語は流暢だが、たまに発音がおかしい部分がある。それでもイタリア人シェフが熱心に話している姿に引き込まれたのか、記者たちは黙ってビエリの言葉に耳を傾けている。
「日本の人たちは本当に、本当に私たち家族に優しくしてくれました。とてもとてもこの国は住んでいて気持ちがいいです。物価は少し高いけれど、それ以外に不満はありませんでした。でもね、でもね……」
 そこでビエリは声を詰まらせた。わずかに目に光るものが見えた。ビエリが震える声で続けた。
「さっきね、さっき妻から電話ありました。学校から帰ってきた娘が、七歳の娘が明日から学校行きたくないって……。学校で何があったのか。妻がそう訊いても娘は何も答えないって……。妻と娘は悪くないです。悪いのは私です。私はトスカーナの料理長で、責任者です。すべての責任は私にあります。だから私の家族は許してほしいです。私、この国の人たち、本当に心から愛してます」
 すでにビエリは泣き顔だった。両目から涙が流れている。
「ごめんなさい。本当にすみませんでした」
 ビエリはそう言ってマイクを置き、テーブルの脇に移動した。そして両膝をつき、土下座をして深く頭を下げた。
 一斉にフラッシュが焚かれる。中島広報部長、根本支配人、それから通訳の男もその場で立ち上がって腰を折った。フラッシュが一段と激しくなるが、そのほとんどは土下座をしているビエリに向けられている。
 スマートフォンが鳴ったので、それを耳に当てる。かけてきたのは顧問弁護士の平野だった。
「社長、いいですね。ビエリ料理長のアドリブ、凄くいいです」
 ビエリの一連の台詞は平野が用意した台本にはない。しかしビエリの涙の謝罪は世間の同情を買うのではないかと予想できた。
「この会見が追い風になってくれればいいのですが」
「先生も引き続きよろしく頼むよ」
 通話を切った。ビエリの土下座はまだ続いている。
(第12回へつづく)

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横関 大Dai Yokozeki

1975年静岡県生まれ。武蔵大学人文学部卒業。2010年『再会』で第56回江戸川乱歩賞を受賞し、デビュー。他の作品に、『グッバイ・ヒーロー』『チェインギャングは忘れない 』『沈黙のエール』『スマイルメイカー』『ルパンの娘』『炎上チャンピオン』『仮面の君に告ぐ』などがある。

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