双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ダイエットの神様(南 綾子)

イラスト:Maki Emura

第9回

 その写真は、スポーツブラとスパッツを着用した姿で撮影されていた。全身と、バストアップの二枚。一瞬、「あ」と思ったが、よくよく見ると「おや?」と思えてきた。
「そっくりでしょ。女優の城崎智恵美に」小百合が言った。
「やっぱりそっくりさんなんですか? いや、一瞬、本人かと思いました」
「一つ下の妹だって。前は太ってて姉にはあんまり似てなかったらしいんだけど、うちで十五キロの減量に成功したら似てきたらしいわ」
「へえ。でもよく見ると、微妙に違いますね」
「なんていうか、顔の整い方のレベルが違うわよね。こっちはあくまで素人。ま、パンフレットの記事にするには絶好の素材でしょ。芸能人の身内で目をひく美人。エリートサラリーマンの夫と二人の子供とともに、世田谷の持ち家で四人暮らしですって。とりあえずあんたは自分でアポとって取材して、今月中に原稿出しなさい」
「ハイハイ。社長命令ですね」
 その日はやることもなく暇だったので、さっそく、その有名女優の妹・山下絹江に連絡をとってみた。取材の申し込みを、彼女はこれ以上ないほど快く了承してくれた。そして二月の最後の土曜、俺は休みを返上し、数年ぶりに二子玉まで足を延ばした。
 駅から歩いて十分ほどのところにある山下絹江邸は、道中になんとなく想像していた通りの家だった。白い壁と木目のデザイナーズ風。しゃらくせえ。インターホンを押した途端、キャンキャンとバカ丸出しの犬の鳴き声が聞こえてきた。 
「どうも〜」と現れた彼女は、服を着せられた黒いポメラニアンを胸に抱えていた。その姿を見て、真っ先に頭に浮かんだ言葉は、「ボスママ」だった。
 毛先を巻いた長く豊かな髪、高価そうなカーディガンとタイトスカートというファッション、ほほえんでいるが隠しきれないキツめの顔立ち(実際会ってみると、あの女優にはそれほど似ていなかった)、そしてバカ丸出しの飼い犬。安いドラマでこういう主婦がよく出てくるよな。周辺のママ友ネットワークを牛耳っていて、気弱な新参者の主婦をいじめたりするんだ。
「狭いところですが、どうぞあがってください〜」
 と全然全くこれっぽっちも、俺の鼻くそほども狭いとは思ってなさそうな口調で絹江は言う。俺は彼女に続いて、モデルルームのように整然としているリビングに足を踏み入れた。
 そこの巨大ソファに、これまた絵に描いたような“休日のエリートサラリーマン”風の夫が座っていた。四十代のわりに引き締まった体と、清潔感あふれる服装。夫は俺を一瞥して格下と判断したのか、両腕をソファの背もたれに広げた姿のまま、「いらっしゃい」と言った。俺がギャルだったら「鬼感じ悪〜」などと言うところだが、ギャルではない俺は、ただ突っ立ったまま恐縮していた。どうやら子供は不在のようだ。
 用意を整えると、俺はさっそくインタビューをはじめた。さっさと済ませて、できるだけはやくここを去りたかった。
 しかし、こちらの最初の質問、「教室に通いだしたきっかけはなんですか?」を絹江はおもっくそ無視し、己の生い立ちから長々としゃべりだしたので、いっぺん死ねよと思わざるを得なかった。
 彼女の話を要約すると、「すべてが人より恵まれて優越感丸出し人生ですがなにか?」といったところだろうか。外交官の父と専業主婦の母のもと、近所でも評判の美人姉妹の妹として生まれ、女子高、女子大を経て大手商社に一般職として就職、二年後に同期入社の夫と結婚。まもなく長女、二年後に長男を授かり、子育ても落ち着いた四十二歳の今は、習い事やボランティア活動に精を出している。
 話は退屈極まりなかったが、合間にたびたび姉を引き合いに出してはさりげなくディスるのが、ちょっと面白かった。俺はあんまり芸能人のことは詳しくないが、あの女優は超美人なわりにざっくばらんな性格で、とくに女性に好かれているイメージだ。妹と性格面で似ている点はまったくなさそうである。
「あの、それでなぜダイエットを……」
 話が長男の東大受験に及んだところで、耐えきれず俺は口を挟んだ。その刹那、ボスママ女の目つきが獲物を狙うチーターのようにギュッととがったのを、俺は見逃さなかった。怖えよ。
「あら、すみません。脱線しちゃいました。ウフフフ」しかし、すぐに彼女は笑顔を取り繕った。「わたし、もともと太りやすくって、ぽちゃっとした体型が唯一のコンプレックスだったんです。姉は子供のときからガリガリの色黒だったんですけど」
 唯一のコンプレックスって言いきっちゃったよ。すげえなおい。あと姉の色黒、関係ねえぞ。
「ちょっと食べすぎるとすぐ太っちゃうから、その度に自己流で落とすっていうのを繰り返してたんですけど、三十代後半に差し掛かったら、増えたまま戻らず、ついに六十キロを超えちゃって。それで思い切って、先生のところでお世話になろうって決意したんです。先生とはもともと、お花の教室でご一緒してて」
 今の彼女は身長百六十六センチに対し、体重は五十三キロらしい。教室を“卒業”した頃は四十七キロだったという。少し戻った今でも十分スレンダーで、モデル体型といっても過言でないと思う。しかし「ほら、これ、人生の最デブ時代」と差し出された写真の彼女のほうが、優しそうで色気があって好ましかった。何より胸がデカくてエロい。これが人妻AV女優だったら三回は抜ける。今の彼女は奥様雑誌の読者モデル風。抜けねえ。色気ゼロ。
 結局、気づくとまた長男の東大受験ネタに話題は戻ってしまい、ダイエットに関するまともな話はほとんど聞けぬまま、来客の約束があるという三時を回ってしまった。
「ところで先生から聞いたんですが、土肥さんって、会員の勧誘みたいなこともされてるんですよね?」
 帰り支度をしていると、絹江が聞いた。
「え、はあ」
「実はわたしの友人で、なかなか痩せられなくて悩んでいる人がいて。彼女に入会を勧めてもらえませんか」
「え…いや……」
 そのとき、ちょうどインターホンが鳴った。
「あ、今きた友人がそうなんです。土肥さん、ちょっとだけ待ってて」
 しばらくして、妙に地味な男女が絹江につれられて現れた。男のほうは小太りで髭の剃り跡が濃く、清潔感に欠ける感じ。女は、小太りを越えて、完全な肥満だ。身長百五十五センチ、体重七十五キロといったところだろうか(最近、見ただけで数値が推測できるようになってきた)。横の男よりは多少洒落っ気のある格好をしているが、地味でおとなしそうな印象だった。
 絹江によれば、この二人は夫婦で、山下邸の真裏の中古住宅に一年半前に越してきたばかりだという(「中古なのにとっても綺麗なお宅なの〜。お買い物上手〜」)。夫のほうは大手インフラ企業の事務員(「高卒なのにあんな大手に入ってすごい優秀〜」)、妻の美和子は二子玉のデパ地下で総菜を売っているそうだ(一発でちょうどのグラムを盛れるのよ、すご〜い)。
 この話の合間に、美和子夫は絹江夫とゴルフクラブの相談をするために、どこかへいなくなった。そうなると絹江のおしゃべりはますます波に乗り、とくに美和子の体型について言いたい放題だった。
「まだ三十五歳なのに、わたしより老けて見られることもあるじゃない? わたしが三十五のときは二十代に見られたわよ?」
「肥満は不妊の原因よ?」
「教室に入って一カ月も頑張れば今とは見違える体型になれるのに、なんでやらないのかわたしには全く理解できないわ?」
 痩せている女が太っている女に痩せろ、さもなくば舌をかんで死ね、と迫る場面を、以前にも目にした。そう、池袋のパンケーキ屋で。痩せは正義。それを全く疑っていない。だからどれだけ失礼で侮蔑的でプライバシーをふみにじるような発言を、しかも一応自らが友人と呼ぶ相手にぶつけても、ゆるぎない正当性があると信じている。「あなたのため」ってやつだ。太っているほうは、ただじっと黙って、嵐が過ぎるのを耐え忍んでいる。見ていて気の毒になるほどだったが、俺は何も言えなかった。
「ご主人言ってたよ? 最近あまりに太りすぎて、女として見られなくなったって。台所でご飯作ってる美和子さん見てたら、“おっかさん”って言葉が浮かんできて、なんだか萎えたって」
 いや、ちょっとひどすぎないか? それをわざわざ伝える絹江もだが、そんなことを妻の女友達に話す夫も。
 とにかく絹江は、そしておそらくあの夫も、美和子のことをバカにして見下しているのは間違いなさそうだ。
 太っている。ただその一点で。
 なーんて考えている俺も、太っている女性を太っているというだけでバカにしがちな人間である。それは認める。しかし最近、この仕事をしていく中で、それはよくないことだと考えるようになった。誰だって完璧ではない。それを各自わかっているはずなのに、なぜ、痩せている人間は太っている人間を無条件で見下していいと思ってしまうのだろう。
 俺はどうして、太っている女性を魅力的に思えないんだろう。
「でも、独身のときは芸能活動してたんでしょ? この間、ご主人から聞いてびっくりしちゃった」
「え……」と美和子は口ごもる。
「タレントさんだったんですか?」と俺は聞いた。
「違うんです、タレントなんてそんな。ちょっと、何度かテレビに出ただけで……そんな大したことないんです」
「テレビ出たんだー。わたしは一度もないけどねー。よかったねー」
「あの……お手洗いお借りしてもいいですか」 
 俺が言うがはやいか、「どうぞ」と、絹江は全く目を合わさず答える。「あ、一階は修理中なので、二階にあがってください」
 逃げるように二階へ向かう。用をすませ、なるべくゆっくり手を洗っていると、廊下の先から男たちの話し声が聞こえてきた。
 女の話だ。もちろん妻とは別の女だ。「この間の女子大生、よかったっすねえ。みんな可愛かったなあ」「そうかなあ。若けりゃいいってもんじゃないよ。全員顔はイマイチだったな。やっぱミスコンレベルじゃないと」「そうですか? 僕はミサキちゃんが」「ああ、あのうちのパン職に内定決まってる子? あの子、顔はブスだけど、胸がでかくていいよね。セフレにするならああいうタイプだよ」 
 二人はゲフゲフとゲスな笑い声をあげる。前の会社にいたとき、男同士のこういうノリが苦痛で仕方なかった。腹の中だけでなら、どんなにゲスで変態的でインモラルでエマニュエルなこと考えたって、そいつの勝手だと思う。しかし、あの子のおっぱいがどうの、ケツがどうのとあえて口に出したがる男が一定数いて、そいつらは大抵、周りを巻き込みたがる。俺は一緒になってゲラゲラ笑いはしなかったが、へらへら笑いで否定も肯定もしなかった。
 ああイヤだな、と思う。結婚して子供を持っても、この男同士のゲラゲラは続いていくのか。それってよぼよぼのじいさんになってもやり続けるのか? 三丁目のばあさんの尻がどうのこうのって? 
 勘弁してくれ。しかし、俺はじいさんになっても、へらへら笑いでやりすごすんだろうか。

 結局、パンフレットの原稿は、絹江の話したことをそのまま書いた。要はうちの教室やダイエットについてはほんの申し訳程度にとどめ、絹江がウホウホ顔で語った、恵まれた生い立ちと、夫、子供の自慢話に多くを割いたのだ。ダメ元で叔母に提出したのだが、なぜかいつになく褒められた。小百合にまで「ムカつくファッション誌みたいな文章書きやがって腹立つ」などと訳のわからないことを言われたから驚いた。まあ、結果オーライである。
 四月になって、パンフレットが完成し、さっそく絹江宅へ郵送した。するとすぐ彼女から電話があり、やはり記事の内容をよろこんでくれていた。が、写真(俺が自分のスマホで撮った)がお気に召さなかったようで、遠回しな文句を延々と聞かされた挙句、HP用の記事だけでも差し替えるために再撮影するはめになってしまった。当日、画像はチェックさせたが、背景が気に入らないらしい。この女は美和子だけでなく、身の回りの女友達を次々うちの教室に誘いこんでいて、要はお得意様なのだ。丁重に接するよう、叔母にきつく言われていた。
 再撮影は翌週の昼間、絹江の希望で、うちのトレーニング室で行うこととなった。
 本当はプロカメラマンを用意する約束で、叔母からも予算を出すと言われていたのだが、手配するのがウンコのあとケツを拭くことより面倒に思われ、やむを得ず小百合を起用することにした。当日、このプレデターはなぜか短いアフロヘアみたいなカツラをかぶって現れた。「なんですかそれは? 篠山紀信?」と俺が聞くと、股間に両手を添えて「サンタフェ」とつぶやいた。死ぬまでバカという病は治らないのだと、俺は彼女を心の底から気の毒に思った。
 午後二時ちょうどぴったりに、絹江は美和子をマネージャーのように従えてあらわれた。小百合は「どうも、わたしがカメラマンです」と、「そうです、わたしが変なおじさんです」と全く同じリズムで自己紹介し、二人と握手した。なぜか美和子のことを、親の仇ように睨みつけていた。体型がほぼ同じだから、ライバルとでも認識したのだろうか。
 それにしても、絹江の恰好である。少しオーバーサイズ気味の白いシャツ、その裾を、脚の形が映えるぴったりめのジーンズのウエストにちょい入れしている。今風のざっくりした感じのまとめ髪といい、素足に履いたカラフルなパンプスといい、主婦雑誌から飛び出してきたかのようだ。隙があるふうで、実は糸ようじを通す隙さえ残さない、完璧なボスママ・スタイル。いわゆるこれが“抜け感”ってやつか? と俺は抜け感のことなど一ナノグラムも知らないのに思うなどした。
 小百合はどこで調達したのか、照明器具をスタジオに設置すると、一眼を手持ちで絹江を撮影しはじめた。絹江はやる気満々の顔で、ランニングマシーンを背景にポーズをとっている。「うわあ」という感想しか湧いてこなかった。絹江の表情も、そのポージングも、小百合の「いいよお、きれいだよ、い……いいよお」という謎の声掛けもすべて「うわあ」である。
 トレーニング中の会員も、冷ややかな目で二人を見ていた。俺はその場にいることに耐えきれず、「お茶でもどうですか?」と美和子を休憩室に誘った。美和子が我々への差し入れにおいしそうな塩大福を買ってきてくれたので、熱い緑茶と一緒に二人で食べることにした。
「本当は、教室を見学しなさいって、絹江さんに言われていたんです」
 そう言った後、なんと美和子は決して小さくはない大福を、一口でぺろんとほおばった。まんが日本昔ばなしの食い方じゃないか。
 そのとき、あ、と思った。「もしかして……」と口をついて出る。「……えーっと、そうだ、思い出した! 美和子さんって、昔、大食いの番組に出てませんでした? 名前は、えっとえっと……アナコンダ! アナコンダ松浦!」
「ちがいます!」と即答した美和子の顔は、真っ赤だった。
「そうですよね? いや、そうだ。間違いない。いや、びっくりです。俺、アナコンダさんのファンだったんですよ。これからもっと強くなりそうってところで、急に出なくなっちゃいましたよね? 残念だったなあ。いやあ、それにしてもびっくりだ」 
 そう、あれは十年ほど前のこと。彼女をはじめて大食い番組で目にしたときの強烈なインパクトは忘れがたい。この人は絶対にいつかチャンピオンになると、テレビ画面にかじりつくようにしながら、確信したものだ。今と同じように、大人しく控えめで、ふっくらとした丸い顔の地味な女性だった。人の拳ぐらいの大きさのものなら、一口で丸飲みしてのみくだす戦法から、「アナコンダ松浦」と命名された彼女は、俺の記憶が正しければ、二年ほど活動した後、ぷっつりと姿を消した。
「アナコンダさんの初登場戦もはっきり記憶してますからね!」俺は興奮して、つい前のめりになってしまう。「あのメンチカツ対決! くう〜! 半端なかったっす。硬球みたいに大きくてまん丸のメンチカツを一口で、しかも無表情で淡々と飲み込んでいくんですもん。大げさでなく惚れこみましたよ! 大食いって、小刻みにせわしなく食べるやつとか、ボロボロこぼしてむちゃくちゃな食い方するやついるじゃないですか? 俺、ああいうのイヤなんすよ。黙々と、無表情で食い続けるファイターに、超人的なもの、そう、神々しさすら感じます。なんでやめちゃったんですか? ご結婚されたから?」
 つい、しゃべりすぎてしまった。美和子は残りの大福を横目でガン見している。俺が彼女の前にすっと差し出すと、一瞬ためらった後、一個だけ手に取って、三秒で丸飲みした。
「すげえ。もっと食ってください」
「これ以上は……やめときます。絹江さんに怒られちゃうから」
「ああ……」俺は絹江のメデューサみたいな笑顔を思い浮かべた。「もう大食いはやらないんですか? 今でもやっぱり、食う量は多いんですか?」
「試合に出ることはもうないです。普段の食事量は、もともと普通なんですよ。それは試合に出てた頃から同じです。いや、普通ということはないかな? 普通の人よりちょっと……いや結構多い……かな?」
「あの、つかぬことを伺いますが、ダイエットしたいと、本気で思ってます?」
 美和子はハッと傷ついたような顔になった。
「あ、違うんです。そういう意味じゃなくて。その、絹江さんはああ言ってたけど、ダイエットなんて、したいと思ってるならやりゃいいだけで、人から強制されるもんではないんじゃないかなーと思って」
「……自分でも、このままではダメだとは思ってます」美和子は申し訳なさそうにうつむいた。「さっきも絹江さんに、『これまでの人生で、太ってていいことあった?』って言われて。本当だ、一つもないなあって思ったんです」
 フォローの言葉が一つも浮かばない。確かに、女性が太っていていいことって、何があるんだろう。
「大食いだって、この体型のせいでやめることになったし」
「え! そうなんですか?」
「大食い番組に出ている人って、意外とスリムな人多いじゃないですか。とくに女性は、小柄で可愛いけどたくさん食べるっていう人が人気だし。わたしは彼女たちより強いって自負はあったんです。でもあるとき、プロデューサーに言われて。『君が勝っても絵にならない、他の可愛い子を売り出したいから、わざと負けてくれ』って」
「あっ、思い出した。あれは確か……麻婆豆腐対決だったかな? アナコンダさん、そのとき優勝候補だったのに、辛いものが苦手だからって、極端にペースが落ちてそのまま敗退したことありましたよね。あれ、ちょっと不自然だな、もしかしたら体調が悪いのかもなって思ったんですよ。あの試合が最後でしたっけ?」
「いえ、その次の回も出ました。予選から。でも、新人の若い女の子に僅差で負けました。カレーパン対決だったんですけど、わたしにだけ、激辛カレーを用意されてたみたいで……」
「へえ、テレビの世界は、やっぱ黒いっすねえ」
「でも、いいんです。目立つのはもともと好きじゃないし。それに、結婚も決まってたんで」そこまで言って、美和子はハアとため息をついた。「……わたし、また言い訳してる」
「言い訳?」
「いつも、絹江さんに怒られるんです。なんでも言い訳するのが癖になってるって。ダイエットも、まずやってみようともせず、仕事や家事が忙しいって、できない言い訳が先に出る。大食いも、結局は逃げたんです。いつか負けて、周りの人に見捨てられるのが怖くて。プロデューサーに何を言われたって、どんな意地悪をされたって、勝とうと思えば勝てたのに。結局、自分から勝負を捨てたんです」
 気持ちはわかる。勝負は怖い、怖いよな。負けると本当に死にたいほど辛いしな。できる限り勝負事は避けながら生きていきたいと願うのが、人情というものだと思う。スポーツ選手とか棋士とか全員変態だと俺は常々思っている。
「痩せたいのか、痩せたくないのかで言ったら、痩せたいです」美和子は言った。「ずっとこんな体型だから、人生で一度はスリムになって、きれいな格好がしたい。夫も、デブデブってうるさいし、見返してやりたい。でも、ダイエットって単語を口にするのすら、今は苦しいです。大食いもそう。大食い番組はもう何年も見ていないです」
 そんなに自分にプレッシャーをかけなくてもいいのに。たかがダイエットじゃないか。うまくいかなかったらいかなかったで、へらへら笑っていればいい。そんなに自分を苦しめなくても。
 と思うが、そうもいかないのかなあ。
 なんとなく、会話が途絶えてしまった。美和子は相変わらず塩大福をガン見していたが、勧めていいものかどうかわからなかった。
 それからしばらくして、小百合と絹江が入ってきた。よほどいい写真が撮れたのか、絹江はほくほく顔だった。
「ねえ、あんた、今週の日曜日は何してるの」小百合に聞かれ、嫌な予感がビンビンした俺は「えっと、社長の自叙伝の原稿が、まだ終わってなくて」とモゴモゴ答えた。
「ほーん。そんじゃ、あたしが社長に締め切り延ばすよう掛け合うから、日曜日は一日あけときなさい」
「……なんすか?」
「うちの庭でバーベキューしましょうってお誘いしたんです」絹江が言った。「毎年、春にご近所さんを呼んで、料理をふるまってるんです。小百合さんってとっても面白い方だから、ついお誘いしちゃいました」
 あきれた。このプレデターの人心掌握術は一体どこで身につけられたのか。叔母といい、絹江といい、とくにクソババア系にその能力をいかんなく発揮している。
 当のプレデターは、なぜかまたしても美和子を鬼の形相で睨みつけていた。
 美和子はそれにも気づくことなく、塩大福をガン見していた。
(第10回につづく)

バックナンバー

南 綾子Ayako Minami

愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第四回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞しデビュー。著書に『ベイビィ、ワンモアタイム』『婚活1000本ノック』『ぬるま湯女子会、38度(ときどきちょっと熱い)』『知られざるわたしの日記』など

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop