双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ダイエットの神様(南 綾子)

イラスト:Maki Emura

第13回

「今の、和美ちゃんの話でしょ?」
 叔母との電話を切ってすぐ、小百合が言った。
「なんで知ってるんですか?」
「あたしがうちの教室に入会したとき、ちょうど和美ちゃんも一緒で、少し仲良くしてたんだよね。共通の趣味があってさ。あの人、激やせしてはリバウンドするのを繰り返してるんでしょ? 社長がぼやいてたわ」
 和美は俺の父親の兄の長女で、俺にとっては従姉妹になる。年は六歳上だったから、今は三十七、八か。  
「何年か前に離婚して、そのときストレスから激太りしたそうなんですけど、うちに入会して、二カ月で十キロ近く落としたそうなんです。もともとなんでもすごく努力する人なんで、相当追い込んだんでしょうね。でもそれ以来、リバウンドしては絞る、の繰り返したそうで。あんまりその頻度が激しいから、社長がなんとかしろって、俺に無茶ぶりを……」
「あたしが言ってやったのよ。恵太さんなら、なんとかしてやれるんじゃないですかって」
「……はあ?」
「あんたさ、悩んでいる女の話を聞いてやるの、なんかうまいじゃん。あんたが黙ってても、相手が勝手に心のうちをしゃべりだすでしょ。たぶん、話しやすいオーラが出てるんだと思う」
「いやだからって、勝手に……」
 と言いつつ、内心ちょっとうれしかった。俺も実は最近そう思いはじめていたのだ。俺ってもしかすると、案外聞き上手なタイプなんじゃないかと。
 じゃあなぜモテないんだ? ああそうか。モテる男はしゃべりも上手いんだ、クソッ。
「和美ちゃんね、ちょうど先月、八キロ落として休会届出したところなんだって。いつもだったら半年前後でリバウンドして戻ってくるらしいの。だから、それを阻止できたら、和美ちゃんがすでに預けてる次の二カ月分の会費をまるまるうちらにくれるらしいよ」
「え! そんなこと言ってませんでしたよ、今」
「いやあたしは聞いた。しかも、時給百円アップ」
「ええっ!」
「やるしかないでしょ」
「いや、でも、そんなにうまくいくかな」
 全くしらない女性ならともかく、相手が和美となると話は大分違ってくる。何年も会っていない親戚に、そんなに簡単に心を開く気になるか? 
 子供のときはいつも優しくしてくれたし、大人になってからも会えばにこやかに接してくれる。でも、内心ではバカにして笑っている気がする。和美は人気ファッション誌の編集者で一児の母。俺は、失職して叔母に面倒を見てもらっている未婚の童貞。親族の恥だ。
 などと考えている間に、小百合が勝手に俺のスマホを手に取り、画面ロックを解除して(一昨日変えたばかりなのに、どういうことだよ……)どこかに電話をかけはじめた。
「あ、和美ちゃん? あたし、小百合。覚えてる? 福田小百合。そうそう、ダイエット教室で一緒だった。……うん、そう、今、真知子先生の下で働いてるの。それでね……」
 俺はうんざりだという顔を作りつつ、でも、小百合のおかげで、なんとなくいつも物事が進展していくな、俺たちって案外いいコンビなのかも、などと考えていた。……いやいや、そんなことはありえない。俺はどうかしている。こんな、ペヤングに納豆をぶちこんだものをほぼ毎日食っているような女とコンビだなんて。
 結局、小百合は「ちょっと相談したいことがあるの。どうしても和美ちゃんじゃないとダメで」などと調子のいいことを言いながら、あっという間に和美宅を訪問する約束をとりつけてしまった。

 和美は子供の頃から人目をひく美人で、頭もよくスポーツ万能、学校では多くの友達に慕われているような、絵にかいたような優等生だった。うちの親父など親戚の集まりがあるたびに、和美の本当の父親は自分だ、だから俺と和美を交換すべきなどと、信じられないほど失礼な発言をよくぶちかましていたものだ。
 俺の知る限り、彼女の人生は順風満帆そのものだった。国立大学を卒業後、大手出版社に就職。三十歳前後で結婚し、その後、男の子がうまれた。最後に会ったのは、三年前の俺の弟の結婚式のときだったと思う。夫の姿はなかったが、離婚の話は出ていなかった。美人で、身に着けているものすべてが高級品で、笑顔がキラキラと輝いて、それはそれはまぶしくてまぶしすぎて、彼女を見ていると目がつぶれそうだったいやまじで。 
 その週の土曜の晩、小百合と和美の共通の趣味である株式投資(初耳である)を俺もはじめてみたいので相談したい、という名目で、マカロンとかいうクソ高いだけで綿埃の味がする菓子を持って、俺たちは和美宅を訪れた。
 和美は品川区にある1LDKのマンションで、一人で暮らしていた。独身の頃、自分名義で購入した部屋だそうだ。有名私立幼稚園に通う息子は、車で十分程度のところにある和美の実家で、両親が面倒を見ているらしい。
「仕事柄、毎日遅いでしょ。無理してわたしと暮らすより、じいじとばあばのところで健康的に過ごすほうがいいと思って。子供の世話は、うちの親が専門家みたいなもんだし。すっかりおばあちゃん子で寂しいときもあるけど」
 和美は少し悲しそうに笑い、大きなグラスに注いだワインをぐびっと飲んだ。俺の記憶が正しければ、伯父は税理士だが、伯母は元保育士だったはずだ。
「でも、五年以内には会社辞めて独立して、そしたら息子と一緒に暮らしたいと思ってる。それまでコツコツお金貯めなきゃ。母ちゃん、がんばるよ」
 彼女は、相変わらず美人だった。前と同じファッション誌で、今は編集長をやっているらしい。減量に成功して休会中ということだが、細すぎずちょうどいい体型だ。身長百六十七センチ前後、体重は五十八キロぐらい……いやもう少しあるか。昔からスポーツに熱中していたこともあってか、骨太でがっしりした体格だった。
 お洒落であか抜けていて、いかにもキャリアウーマンといった雰囲気。いつも通り、身に着けているもの全てが高級品だ(多分)。三十過ぎてアルバイトの身分であり、下着まで合わせて全身一万円以下で収まってしまう自分がみすぼらしく、情けなく思えた。
 小百合も俺と同じ気持ちだろうか、と思いながら、彼女を横目で見る。和美が用意したローストビーフやスモークサーモンを、五日ぶりの食事にありついた野良犬の顔でガツ食いしている。今日は幸子に作らせたという、真っ白な総レースのワンピースを着ていて、ここへくる道中、すれ違うすべての人をギョッとさせていた。どうしてここまで人目を気にせず生きられるのだろうか。最近、ちょっとうらやましくなってきた。
「ねえ恵太。今日さ、株のことなんかどうでもよくて、本当はわたしのこと心配してきてくれたんでしょ? 真知子叔母さんにも言われたの。わたしがリバウンドを繰り返してること話してたら、恵太がえらく心配してたって」
「いや、そんな……」と俺はモゴモゴと答えた。和美が払った二か月分の会費を俺たちが分捕ろうなどと考えていることは、決して知られてはなるまい。
「でもね、大丈夫。今度こそリバウンドしない。絶対にキープする。せっかく減量がうまくいってもさ、忙しいとついストレスが溜まって、夜中にワインあけてがぶ飲みして、酔っぱらった挙句、揚げ物とか作って食べちゃう癖があるの。でも、そういう悪癖はもうやめる! まず酒を断つ!」
 そう言いつつ、またグラスにワインを注いでいる。
「今日は久しぶりに恵太に会ったから、特別」
 えへへと舌を出して、笑う。華やかでくったくのない笑顔を見ていると、彼女を嫌う人などこの世に一人もいないんじゃないかと思える。明るくて、気さくで、美人で、金もあって……ああ、まぶしい。相変わらず、全てがまぶしい。見ているだけで、目がつぶれそうだ。
 はやく帰りたい。
「どうしたの? 居心地悪い?」和美が聞いた。そうなのだ。人の気持ちを察するのも、彼女はうまいのだ。
「あ、いや……」
「ねえあのさ、恵太って昔から、わたしといると居心地悪そうにしてたよね?」
「え……いや、そんなことは……」
「この際さ、ぶっちゃけようよ。ずっと思ってたの。恵太って、わたしのこと嫌いだったでしょ」
「そんなことないよ。ただ……」
「ただ?」
「和美ちゃんは昔から美人で、頭もよくて、みんなの人気者でさ。引け目を感じてたんだと思う。情けないんだけど」
 へへへと俺は卑屈に笑いながら、彼女の顔を上目遣いで見た。
 ドキッとした。見たこともないような暗い表情を浮かべていた。
 けれど、すぐにパッと笑顔に切り替わる。
「そんなこと感じる必要ないのになあ。わたしなんて、みんながいうほど大したことないよ。わたしの本当の姿を知ったら、みんな幻滅するよ」
「でも、うちの親父なんて、俺じゃなくて和美ちゃんが自分の子供だったらよかったのにって、結構本気でいってたよ」
「恵太だって、昔から優秀だったじゃん。理数系が得意で、うらやましいなと思ってたよ。わたし、そっち系苦手だったからさ」
 ガハハハハ、とことさら豪快に和美は笑う。少し芝居がかっているようにも見えた。
「親父は、盆や正月に和美ちゃんと会うと、帰ってきてからもずっと和美ちゃんの話をしていたよ。美人だ美人だって」
「へえ」とつぶやく和美の顔が、少し引きつっていた。俺は思わずほくそ笑んだ。うちの親父のことを気持ち悪がっているに違いないのだ。ざまあみろ、エロ親父。
「あ、ねえ、ワイン、もう一本あける? 恵太、まだ飲めるでしょ?」
「あ、いや、もうそろそろ終電が……」
「あけて!」と小百合が必要以上の大声で言った。「あと、マッシュポテトおかわり!」
「了解! もう、今日は泊ってって。あー、小百合ちゃんの食べてる姿見ると、わたしの分まで食べてくれるみたいでうれしい!」
 結局、俺たちはその後、ワインを三本も空け、和美の用意した高級総菜と、営業時間ギリギリで注文した宅配ピザを遠慮なくかっ食らいまくった。
 俺は多分、午前二時過ぎには意識を消失していたのだと思う。いつの間にか、テーブルの下にもぐりこんで眠りこけていた。  
 ハッと目を覚ますと、部屋中、真っ暗だった。起き上がり、周りを見回した。二人の姿は見当たらない。しかしどこからか、がさごそと妙な音が聞こえてくる。恐る恐る立ち上がってみると、音の出どころはどうやら台所だとわかった。
 次の瞬間、俺は悟った。誰かが台所のカウンターの前に立ち、何かをむしゃむしゃ食っているのだ。そんな意地汚いことをするヤツは、あいつしかいない。息を殺し、怪物を一発で仕留めるべく、腰をかがめて台所へ近づいた。そしてカウンターまでたどりつくと、フウとひと息ついてから、ガバっと勢いよく立ち上がった。が、次の瞬間、内側に立っていた相手と目が合い、俺のほうがびっくりして「うわああ」と叫びながらひっくり返ってしまった。
 和美だった。
 口と手をべっとりと汚しながら、ハイエナのようにピザを食い散らかしていた。
 泣いていた。
 背後にある冷蔵庫の扉が開いていて、中の明かりが後光のように差している。その姿は、どことなく神々しくもあって、不思議と目が離せなかった。
 口の中のものを飲み込むと、彼女は言った。
「言ったでしょ。わたしの本当の姿を見たら、幻滅するって」
「なんで、こんなこと」
「わからない」と和美は泣いている。「止まらないの。食べないと、気が済まないの」
「和美ちゃんみたいな人が、何を悩む必要があるの? 美人に生まれて、頭もよくて……」
「わたし、美人って言われるの、大っ嫌い」
 大きな声が、暗い台所に反響した。
「勝手に評価しないでよ! 何様なの!?」
 和美はしばらく俺の顔をじっと見ていた。そしてふいに「ごめん」とつぶやくと、流しにピザを捨て、バタバタと音を立て去った。
「……やっちまったなあ」
 その声にハッと立ち上がる。台所の中だ。カウンターの内側に回り込む。いた。怪物が。食器棚と流しの間にあったワインセラーを勝手にどけ、空いた隙間にデカい体を無理やりねじ込んで座り込み、ビールを飲んでいた。
「なんでそんなところにいるんですか。いつからいたんですか」
「わかんない」とろれつの回らない口調で、この空前絶後のクリーチャーは言った。「酔うと狭いところに入りたくなるの。あたしの前世、猫なのかもしれない」
「……」
「それよりも、あれ、和美。あれはヤバいよ。あたしずっと見てたけど、多分、あのドカ食い、しょっちゅうやってるんだと思う。重症だね、あれは」
 早朝、俺は挨拶もせず、和美の家を出た。そのまま一度も連絡しなかった。
 約二カ月後の九月はじめまでに、和美は十二キロ近くリバウンドし、これまでの中の最短記録で教室に戻ってきた。
 俺は罰として、年内いっぱい時給を百円下げられることになった。クソックソックソッ。
 
 和美は忙しい仕事の合間をぬって、二日に一度は教室に顔を出し、トレーナーがドン引きするレベルで筋トレや有酸素運動に勤しんでいる。小百合の情報によれば、ここ最近に口にしているのはブロッコリーと鶏肉(もちろん、脂と皮は取り除く)と卵白のみで、見る間に瘦せていっている。
 彼女がダイエットを再開して一カ月ほどたった頃、和美の母親、つまり俺の義理の叔母から、オフィスに電話がかかってきた。
 彼女も和美のリバウンド癖には悩んでいるらしく、しかし、うちの社長のほうの伯母とは折り合いが悪いので、様子を探ることができなくてイライラしているようだった。
「あの子は関係ないっていうけど、前の夫に言われたことが原因なんだと思う」と伯母は言った。
 それから、娘夫婦の離婚の経緯について、彼女は長々と説明した。そして最後に「恵太くんのほうで、もう少し話を聞いてやってくれないかしら、よろしく」と一方的に言って電話を切った。
 そうだった。この伯母は昔から、少々、いやかなり強引なところのある人物だった。体も大きくて、まるでプロレスラーのような威圧感があり、体も気持ちも小さいうちの母親などは、いつも気圧されてばかりだった。盆や正月の集まりでは、皿洗いなどの雑用をよく押し付けられていた。
 和美は二十九歳のとき、元夫の毅と結婚相談所を介して出会ったという。初耳だった。あの美人がなぜ結婚相談所? と不思議だったが、伯母曰く、和美は三十歳になる前にどうしても結婚したいとほとんど強迫的に考えていて、当時はかなり焦っていたらしい。
 毅はニューヨーク生まれのシカゴ育ち、大手新聞社勤務のエリートだ。その上、背が高く俳優みたいな見た目で、おまけに社交的で話し上手。親戚の集まりには比較的よく顔をだし、毎度おばさん連中を虜にしていたのを覚えている。まさに非の打ち所のない人物。嫉妬する隙さえない。いやマジで。
 ところが伯母曰く、毅は外面が天才的なまでによい反面、家の中では和美に言葉の暴力をふるう、いわゆる典型的なモラハラ夫だったという。産後すぐに別居していたらしいが、離婚話は相当こじれたようだ。
 電話を切って間もなく、出先から小百合が戻ってきた。なぜか栗羊羹らしきものを切りもせず、棒のまま丸かじりしている。俺はその点には一切触れず、伯母から聞いた話を簡潔に報告した。
「あー、この間の晩、あんたが酔って寝たあとに、和美ちゃん、元ダンナのことちょっと話してたよ。相当なクズだったみたいね」
「ええ、女性としてかなり傷つくことを、いつも言われてたって」
「とくに妊娠中がひどかったって言ってた。一日に何度もブタって言われたんだって。『ブタの隣で寝たくない』とか『そんなに食うからブタになる』とか『毎朝鏡にブタが映ってるのを見て死にたくならないのか』とか。誰の子を身ごもってると思ってるのかね、全く」
 絶句してしまった。あんな美人を嫁にもらっておいて、なぜそんなひどいことが言えるのか。誰だったら満足できるのか。ミランダ・カーとかか。
「まあ、母親の言うことはさもありなんよね。元夫の暴言がある種の呪いになって、自分の体型に自信が持てなくなってる説、あるよ。子供の頃にブスとかデブとか言われると、ずっと引きずっちゃうのよ。わかるわー。まさに呪いよ、呪い」
 しかし、和美ほどの美人でも、他人に何か言われただけで自信を失うものだろうか。
 いやでも、あの晩、そう、ピザをドカ食いしているのを見つけたときの、和美の言葉。
 ――わたし、美人って言われるの、大っ嫌い!
 なぜ、大嫌いなのだろう。
「離婚して以来、一度も元ダンナに会ってないって言ってたけどね。子供に会おうともしないんだって。もちろん、養育費も踏み倒し」
「へえ。エリートなのにケチ臭いっすね」
「どうかな? 今は子会社の出版社に出向になったらしいよ。業界が近いから、ちょいちょい情報が入ってくるんだって。出向ってさ、エリートコースって感じがしないけど、どうなのさ」
「さあ……。あ、ちょっと待てよ。あの新聞社系列の出版社って……俺、知り合いがいるかも。大学のコスプレ同好会の仲間がそこに中途採用されて……」
「あんた、コスプレ同好会なんかに入ってたの」
「あ、いや、とにかく、そいつにちょっと連絡してみます」
「ちょっと、その前にコスプレの……」
 スマホをつかみ、早足でオフィスを出た。そのままトイレに駆け込んで鍵を閉めた。
(第14回につづく)

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南 綾子Ayako Minami

愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第四回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞しデビュー。著書に『ベイビィ、ワンモアタイム』『婚活1000本ノック』『ぬるま湯女子会、38度(ときどきちょっと熱い)』『知られざるわたしの日記』など

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