双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ダイエットの神様(南 綾子)

イラスト:Maki Emura

第11回

「なんというか……これまでとはレベルが違いますね」あまりのインパクトに、書類に添付されている写真からなかなか目が離せなかった。「身長百五十九センチ、体重九十三キロかあ。俺、この人とケンカして勝てるかな」
「秒殺だろうね。顔面にケツ乗っけられて窒息死」
 なんて恐ろしい死に方だろうか。
「この人、社長の友達らしいの。一回、うちの教室に入会させようとして書類も作ったんだけど、直前で逃げられたらしい。でも最近、好きな男ができたとかで、ちょっと体型気にしてるようだから、揺さぶってみろだって」
 五十三歳。眼鏡。ザ・おばさんな顔面。上から見ても下から見てもおばさん。この人に好かれている男はどんな人なのだろうか。十五歳年下とか、そんなんじゃありませんようにと俺は心から祈る。
「じゃ、あたしはこれから社長の講演会の付き添いで沖縄だから。めんそ~れ~」
 ちょうど頼まれていたホームページの更新作業が終わったところだったので、さっそく叔母の友人だという巨漢ウーマン、霧島幸子に電話をかけてみた。仕事中なのか出なかった。その晩にもう一度かけてみたが出ず、仕方がないので、叔母の紹介で連絡しているという旨だけ、留守電に残しておいた。すると翌日の昼、先方から折り返しがあった。「お宅のバカ高いダイエット教室なんかに入る余裕はありません!」と一方的に切られてしまった。
 終~了~。どうしようもない。あきらめよう。俺はさっさと彼女の資料をしまい、日常業務に戻った。
 が、それから三日後、再び彼女のほうから電話があった。なぜか若干トーンが穏やかになり、なんとなく入会に興味がありそうな口ぶりだったので、「一緒に和菓子でも食べながら、お話ししませんか?」と誘ってみた。叔母から、「あの子は警戒心が強いけど、アンコが大好きでどらやき一個で簡単に釣れる」と聞かされていたからだ。するとどうだろう、幸子は二つ返事で了承した。もしかすると、俺が今回勧誘しようとしているのは、ドラえもんかもしれない。
 そして当日、待ち合わせ場所は、彼女が指定した三越前の文明堂カフェ。時間ちょうどに現れた彼女は、まさにリアル・ドラえもんといった体型だった。
 巨大な顔に巨大な胴と巨大なケツ。体のすべてが丸っこい。ユッサユッサと上体を横に揺らす歩き方は、相撲取りのそれである。白髪のまじった髪は頭頂部がやや薄くなっていて、やけに白いファンデーションを塗っただけの顔は色味がない。服や靴は真っ黒。要するに全身、色が白か黒しかない。というかぱっと見、男か女かもよくわからない。
「すみません、待たせちゃいました? ああ、暑い暑い」
 そう言って、幸子はムチムチかつシワシワの手で顔を扇いだ。「まだ四月なのに、真夏の暑さですね。あ、もう何か注文されました?」
「いや、まだ……」
「よかったあ。あ、せっかくだからお茶だけじゃなく、何か食べません? この店、スイーツがとっても美味しいんです。なにせあのカステラで有名な文明堂のカフェなので」
 嬉しそうに巨体を揺らしながら、メニューを開く。俺はいい意味で面食らっていた。電話での印象や見た目の感じより、明るくてとてもいい人そうだ。幸子は、ああでもないこうでもないと散々悩んで、どら焼きがパンケーキ風に盛り付けられた「焼立て“三笠”パンケーキ特製餡とホイップクリーム抹茶アイス添え」を注文した。俺は彼女に勧められるまま「あたたかいカステラと林檎のコンポート」にした。飲み物は二人とも、ホットコーヒー。
「叔母から聞きました。和菓子がお好きなんですよね?」俺は聞いた。
「やだ、真知子さんったら?」ウフフフと恥ずかしそうに笑う。「そうなの。ご覧の通り、わたしは食べることが大大大好きなんだけど、和菓子には目がなくって。実はここに来る前に、せっかく日本橋にきたからと思って、『うさぎや』でどら焼き買っちゃいました」
 ほら、と、袋を開けて中を見せてくれる。大きなどら焼きが五つも入っている。
「うわ、うまそう」
「よかったら一つどうぞ。ああいいの、遠慮しないで。わたし、おすそ分けするのが趣味みたいなものなんです」
 ありがたく、一ついただいた。手に持ってみるとずっしりと重い。きつね色の皮がとても美しく、食欲をそそるルックスだ。
「ここのどら焼き、大好きなんです。生地はふんわり、しっとりで、ほのかに卵の風味がして、それが優しい甘さの小豆とぴったりなの。ボリュームはあるけど、決してくどくはないから、一個じゃものたりないかも」
「どら焼き、あんまり食べないけど、以前もらって美味しかったやつがあるんですよね。皮の色がこんなふうに均一じゃなくて、まだら模様で……」
「あ! それは東十条の草月の黒松ですね! あれもおいしいですよね~」
 それから、俺たちはダイエットそっちのけで、好きな飲食店や料理の話題で盛り上がった。彼女の食についての守備範囲は相当広く、和菓子から高級フレンチ、ラーメンまでなんでもこいだった。俺もつい、気に入っている店や得意料理の話をしてしまい、気づくと二時間以上もお互いくっちゃべってしまった。
「ふふふ、なんだか恵太さんと、女子会してるみたい」幸子はニコニコと子供みたいに笑いながら、追加注文したカステラをモフモフ?張っている。「あ、思い出した。本当はダイエット教室の話をしにきたんじゃないんですか?」
「ええ。まあでも、興味ないですよね。いいですよ。俺も今日は楽しくお話できて、よかったです」
「いや、興味がないわけじゃないんですけど。そういうわけじゃないんですけど……。ダイエット、しなきゃダメかなあって、最近思いはじめていて」幸子は急に自信のなさそうな顔になって、ぶつぶつ言った。
「あの、もしかして失礼ですが、好きな男性ができて、その方のためにダイエットを考えてらっしゃるんですか?」
「え! やだもう、真知子さん、そんなことまでしゃべったの? もう、おしゃべりなんだから。……写真見ます?」
「あるんですか? 見ます見ます」
 老眼のせいだろう、喉にめり込みそうなほど顎をひきながらスマホを操作し、幸子は俺に画面を見せた。
「……これ、芸能人ですよね」
「そうなの! 加藤ジョージ君。ここ二年ぐらい、ずーっと好きなの」
 最近、中高生向けの恋愛映画などによく出ている若手俳優だ。年は十九か二十歳ぐらいで、音楽活動もしている。確か、元バレエダンサーという触れ込みだったはずだ。
 そういえば、幸子と叔母は何らかの追っかけ活動を通して知り合った仲だと小百合が言っていた。五十過ぎのおばさんが、若手俳優の追っかけかあ。いや、いいじゃないか。趣味があるのはすばらしいことだ。俺、なんでこういうふうにすぐに人を見下してしまうんだろう。
「実は、夏にファンミーティングがあって、真知子さんに一緒にいかないかって、誘われてるんです」
「いいですね!」と俺はやや大げさに言ってみた。
 しかし、「うーん」と幸子は冴えない顔で首をかしげる。「最後は握手会もあるらしいんです。わたし、好きな俳優やアイドルとかのトークイベントや試写会なんかにはよくいくんですけど、相手と直接触れ合うようなイベントは、極力避けてたんですよ、今まで」
「なぜですか」
「だって、気の毒じゃない。こんな太った怪物みたいなおばさんと、握手やハイタッチさせられる相手が」
 言葉とは裏腹に、幸子は明るくフフフフと笑った。しかしその笑顔は、どこかもの悲しかった。何の根拠もないが、この人は一生を通して、男性とあまり縁がなかったのではないか。多分、当たっている気がする。
「でも、今回は、せっかくだからいってみようかなって思ってて。もう、どうしたっておばさんにはかわりないんだし、やりたいことをやらなきゃ、もったいないでしょ」
「確かに」
「え?」
「あ、いや。そういう、変な意味じゃなく。おばさんだから、なんて自分を不当にさげる必要はないですよ」
「そ、そうかな」
「そうですよ」
「でも、ダイエットはね……。真知子さんにこの間、『ジョージ君に会うなら、少しでも?せて綺麗になろうとするのが、女として最低限のマナーよ』なんて言われちゃったんだけど、うーん」
 あのクソババア、金欲しさになんて失礼なことを言うんだ。俺が恥ずかしいじゃないか。
「わたしね、若いときに無茶なダイエットをして倒れてしまったことがあって。だから、無理をするのは少し怖いの。それに?せたところで、何かが変わるとも思えない。これまでの人生、男性から女性扱いされたことなんて、ほとんどないし。そういう縁が、全然ない人生で」
 やっぱりそうなのか。そうか。そうなのか。
「でも、実は……」
「実は?」
「この間の健康診断の結果が、もうむちゃくちゃ悪くて。わーん」幸子は両手で顔を覆った。「このままの生活を続けたら、いずれそう遠くないうちに透析ですって。やっぱりダイエット、しなきゃダメかも。うえーん」
 おどけて泣き顔を作りながら、幸子はカステラを?張る。そして、またおどけてへへへと笑った。楽しくて、いい人だな、と俺は素直に思った。一人ぐらい、彼女のことを好きになってくれる男はいなかったのか。どいつもこいつも女を外見で選びやがって。この世界は不条理に満ちている。
 なんとなく話したりなくて、俺たちはその後、幸子の提案で日本橋のお多幸本店へ場所を変えて二次会に突入した。味のしみた関東風のおでんと日本酒を楽しみながら、幸子の波乱万丈人生話を聞いた。
 長野の田舎町で代々続く薬問屋の長女として生まれた彼女は、強権的な父親に、かなり厳しく育てられたそうだ。小さな頃から体は大きく、中学までは柔道の有力選手だったが、ケガでやむなく引退した。それ以降は体重ばかりがどんどん増えて、中三では百キロを超えたという。学生時代のあだ名は「牧場」。地元の商業高校を優秀な成績で卒業後、父親のコネで地元の大手ガス会社に就職。しかしそこで壮絶ないじめにあい、拒食症を発症、体重が五十キロも落ちたという。やむなく退職、その後は精神病院への入退院を繰り返していた。体調が回復しかけた数年後、父親の策略で二十五歳も年上の県会議員と結婚させられそうになり、それから逃れるため、勘当上等で上京したのが、二十九歳の秋。
 上京して一人になると、不思議と拒食症の症状はおさまったそうだ。仕事はしばらく安定せず、一時は新聞配達とコンビニ店員と清掃業の掛け持ちをしていたこともあったが、三十五歳のとき、都内のスーパーに正規の事務員として採用され、今も同じ仕事を続けている。月給は手取りで二十二万。昇給はほとんどなし。ボーナスは出るときと出ないときがある。結婚は一度もない。父親も、父親の言いなりだった母親も、すでに亡くなった。
「ある程度の遺産はあるけどね」
 つゆがたっぷりとしみた大きな豆腐のおでんが白飯にのっかる、名物“とうめし”をシメにもりもり食べながら、幸子は言った。「でも、ずっとこの先も一人で生きていかなきゃいけないからね。できるだけ、質素に暮らさないと。ダイエットするにしても、真知子さんの教室は、やっぱりわたしには、身分不相応かな」
 店にいるときは顔色もほとんど変わらなかったので、この人は酒が相当強いんだなと思っていた。が、外に出てみたら、幸子はほとんど歩けなくなっていた。俺はタクシーを拾い、彼女の自宅まで送ることにした。
 幸子は練馬区の私鉄駅から徒歩二十分ほどのところにある、古い木造アパートの一階で暮らしていた。六畳の1K。小さな部屋は、整理整頓が行き届いていた。が、どことなく黴臭かった。
 窓の前に、ミシンが置かれた机があった。裁縫が趣味のようだ。ベッドはなく、部屋の隅に、布団がたたんで置いてある。薄く、しけった布団だった。敷いてやると、幸子は服を着たまま、歯も磨かず寝てしまった。蛍光灯の傘に、ほこりがうっすら積もっていることに、俺は気づく。彼女は、今、目の前にいる女の姿は、二十数年後の俺かもしれない。共通点があまりに多い。強権的な父。地味で楽しみがほぼ皆無だった学生生活。大企業に就職したものの、人間関係で精神を病み、退職したこと。そして、生涯を通して、異性に縁がないこと。
「鍵、ドアポストから入れておきますね」
 そのむなしい問いかけは、虚空にすうっと吸い込まれる。山なりの大きな腹が、上下に動いている。
 玄関へ向かい、少し迷って、俺は振り返った。
「あの、もしよかったら、一緒にダイエットしませんか? ジョギングとか、一緒に……」
 そのときだ。幸子が突然、ガバっと起き上がった。
「やります! ありがとうございます! ダイエット、がんばります!」
 そして再び、バタンと倒れた。まもなく、コホーコホーとダースベイダー調のいびきをかきはじめた。

 翌日の昼、幸子から電話があった。きっと何も覚えていないだろうと思っていたのだが、何もかもすべてしっかり覚えていて、「ジョギング、いつからやります?」とノリノリだった。
 誘ったのは俺だ。が、いざやるとなるとちょっと面倒だった。いやちょっとどころじゃない、相当面倒だ。家もまあまあ遠い。が、お人よしの俺は、今さら断るなどということもできず、幸子にあれこれ仕切られるまま、これから週に二度、ジョギングに付き合い、さらにダイエットメニューの提案までさせられる羽目になってしまった。一応、月々五千円の謝礼を出してくれるらしい。
「あんた、それマジでやるわけ?」
 電話を切るなり、すぐ横でペヤング超大盛にキムチと生卵をぶち込んだもの(うまそうやんけクソババア)を食べていた小百合が言った。
「しってます? ペヤングって、ヤングのペアに一つを分け合って食べてほしいっていう願いをこめてつけられた名前なんですって」
「あんたがさ、あのおばさんに色恋営業しかけて、『俺とちゃんと付き合いたいなら、うちの教室入ってよ』とか言って入会させたほうが、よっぽど儲かるし楽じゃん。週に二度のジョギングで月五千円、一回のセックスで五万。コスパが段違い」
「地獄に落ちろ」
「で? 今日からジョギングするの?」
「いや、なんかスーパーの仕事が忙しいらしくて、すぐは無理そうです」
「ふーん、場所は?」
「まだ決めてないです」
 小百合は何食わぬ顔をしているが、俺は確信していた。何らかのよくないこと、邪悪なことを企んでいる、と。俺も最近、ようやくこのプレデターの行動が予測できるようになってきた。
 いずれにせよ、情報漏洩には気をつけなければなるまい。それ以降、俺は幸子との連絡用に、新しいフリーメールのアカウントを取得し、なるべく家のPCをつかってやりとりをするようにした。
 勤め先のスーパーが新店舗を出すことになり、その事務作業で多忙のようで、結局、初回のウォーキング(かかりつけのマッサージ師に、その体型で走ったら膝が破壊する、と忠告されたそうだ)は五月の連休明けまで延びてしまった。
 そして当日。場所は、彼女の自宅からほど近いところにある大きな公園に決まった。同居人の憲二に借りた原付で、彼女のアパートへ向かう。最後の角を曲がって目に飛び込んできたのは、黒地に金色の刺?が入ったいかつい揃いのジャージを着た小百合と幸子が、路上で手をたたき合いながら爆笑する姿だった。
 失望。その二文字が、脳裏にデカデカと浮かんだ。こんなに慎重に行動していたのに、なぜバレた。アパート前に原付を止めて降りようとしたら、膝に力が入らずそのままへたりこんでしまった。
「ちょっとちょっと、大丈夫~?」
 クソババア二人が駆け寄ってきた。「な、なぜ……」と小百合を指さし、たずねるだけで俺は精一杯だった。小百合が早口で、実は二人が数カ月前から叔母を通した知り合いだったということを説明している。しかも最近、韓国アイドルの追っかけ活動を一緒にやっているらしい。ジャージもそのアイドル関連のグッズだそうだ。そんなことはどうでもいいからとりあえず死んでくれ、と俺は思った。
 小百合は妙にニコニコしていた。が、俺には察しがついた。実はこのクリーチャーも先日行われた健康診断で入院寸前の数値をたたき出していたのだ。俺たちのダイエット計画に、ただ乗りしたいだけなのだ。
「二人から三人に増えて、とっても嬉しいの!」と幸子は手をたたいてはしゃいでいる。無力。俺はあまりに無力。すべてを受け入れるしかないのか。
 ……どうやらそのようだ。
 数十分後、俺は、クソババア一号とクソババア二号を左右に引き連れ、だだっ広い夜の公園の外周をウォーキングしていた。
 ババアたちのハアハアという荒い息遣いが、サラウンドで聞こえる。俺は、俺は、一体何のために生きているのか。自問自答した。答えは出ない。意地になって、少しスピードを速めてみた。しばらくして小百合が「ああ、もう無理、ナンマイダ~」と叫びながら脱落した。幸子は学生時代に運動していただけあり、なかなかしぶとかった。やや遅れつつも、予定通り一時間きっかり、一度も止まることなく歩ききった。
 最後は公園の自販機コーナーで、ミネラルウォーターで乾杯した。そのままババアたちはその場で話し込み、なぜか俺も付き合わされる羽目になった。はじめは韓国アイドル界の現状と今後についての不毛な激論をかわしていたが、そこからなぜか話題は、ババアたちの思春期時代の苦労話に移り変わっていった。
「体育祭のフォークダンスがイヤでさ」と幸子。「順番に手をつないでいくやつ。男子がわたしのところにくるときだけ、みんなものすごくイヤそうなの。ばい菌扱いでさ。もうみじめでみじめで、本番は耐えきれなくて、トイレに逃げ込んじゃった」
「わーかーるーわー」と小百合が演歌歌手のようにこぶしをまわして言う。「席替えとかもイヤじゃなかった? あたしと隣がイヤっていう理由で男子が泣いたの、一度や二度じゃないよ」
「わたしは泣かれたことはないけど、意味もわからず怒鳴られたり喧嘩売られたりはあった。目があっただけで、『ブスこっち見んな!』って怒鳴られたり」
「すれ違いざま『ブス』とか『デブ』とか言ってくるやつ、いるよね。今でもいるよ。この間、渋谷のスクランブル交差点で高校生ぐらいのやつに『クソババアが渋谷くんな! 死ね!』って言われた」
「わたしが一番ショックだったのは、お弁当の時間にウサギの形に切ったリンゴを食べてただけで、『ブスがそんなもん食べるな!』ってタッパー投げ捨てられたこと。せっかく母が切ってくれたのにって、悲しくて仕方がなかった。本当、あの頃は生きているのが辛かった」
 どんな顔をしてこの会話を聞けばいいのか。全くわからない。はやく時間よ過ぎ去ってくれと願いながら、ミネラルウォーターのキャップをあけたり閉めたりを繰り返す。今の俺には、ただそれだけしかできなかった。
「あんたのその顔はなんなの」小百合が言った。「その、泌尿器科で順番待ちしてる尿道炎のオッサンみたいな顔」
「失礼を承知で言いますけど」幸子が言う。
「恵太さんって、本当はブスとかデブとか嫌いですよね」
「ええ!」俺は驚いて思わず声をあげた。幸子にそんな辛辣なことを言われるとは、予想もしていなかった。
「ごめんね、失礼なこと言って。でも、実際そうでしょ? 調子にのって明るく振る舞うブスとかデブとか嫌いでしょ」
「そうです。その通りです」小百合が言った。「寸分の狂いもなくそうです」
「どんな外見であろうと、笑ったり喜んだりするのは自由なのに、男の人ってどうして必要以上にブスやデブを嫌って攻撃的になるのかしら。放っておいてくれたらいいのに」
「いや、俺は攻撃なんかしないですよ、少なくとも」
「うん、それはわかってるの」と幸子は、あくまでにこやかに言う。「でも学校で、男子にいじめられてるブスやデブの女子を見ても、当然の仕打ちだと思わなかった? 助けず、ただ傍観してなかった?」
「……そんなひどいこと、そもそもあったかなあ」
「そうか。度を越したブスやデブは記憶すらしたくないって人ね?」
「あ、いや、そういうことじゃなくて」
「誤解しないでね。別に責めてるわけじゃないから」幸子はやっぱり笑っている。「たいていの男の人は恵太さんと同じだし。今更、憎むも何もないの。ただ、なんでかなあって」
 俺はもう何も言えなかった。何を言っても言い訳めいてしまう。
「汗かいたから、冷えてきちゃった」幸子はおどけて、ぺろっと舌を出す。「今日はこのへんで帰りましょうか」
 帰り道、一人になってから、幸子の話を反芻した。昔、確かにいたんだ。ばい菌扱いされていた女子が。何人かいた。ほとんど顔は思い出せない。もちろん名前も。幸子の言うとおり、記憶すらしたくないほど、俺は彼女たちのことを嫌悪していたのか? 外見だけを理由に。
(第12回につづく)

バックナンバー

南 綾子Ayako Minami

愛知県生まれ。2005年「夏がおわる」で第四回「女による女のためのR-18文学賞」大賞受賞しデビュー。著書に『ベイビィ、ワンモアタイム』『婚活1000本ノック』『ぬるま湯女子会、38度(ときどきちょっと熱い)』『知られざるわたしの日記』など

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