双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ジ・エンド(新津きよみ)

イラスト:浦上和久

絶縁 (前編)

 わたしと浩美さんは、最初は単なる同級生という関係でした。栃木県南部の小学校では二年生、三年生、六年生で同じクラスになり、小さな町なので同じ中学校に進みました。
 中学校では一年生のときのクラスが一緒でした。二年生で分かれて、三年生でまた同じクラスになりました。でも、同じクラスになったからといって、とくに親密になるわけでもなく、同級生としてごく普通に接していただけでした。
 目立って勉強やスポーツができる子もいなければ、勉強についていけないとか、忘れ物が多いとか、服装に無頓着で不潔にしているとか、運動神経が鈍くて作業が遅いとか、いじめられる要素を持つ子もいなくて、荒れた学校では全然なかったです。三年生の夏休み前までは、のどかで平穏な田舎の学校生活がこのまま続くものと思っていました。
 ところが、夏休み明けの教室内に不穏な空気が漂い始めたのです。登校すると机の中に紙が入っていて、「明日から吉田浩美とは口をきかないこと。口をきいたら罰を与える」と、筆跡を隠すためか定規を使ったような四角い字で書かれていました。
 教室では浩美さんは、わたしの後ろの席に座っています。それを読んだ直後は、浩美さんといつも一緒にいる妙子さんが書いたのでは、と疑いました。なぜなら、その前の週、習字の時間に浩美さんからもらった半紙を、昨日返したばかりで、「いいのに、あれ、あげたんだよ」「いいよ、悪いよ、返すよ」などと笑顔でやり取りしていた姿を、隅っこの席から妙子さんが鋭い目で見ていたのに気づいたからでした。
 ――浩美さんの一番の友達はわたしだよ。彼女と親しげに話さないで。
 妙子さんの目がそう訴えているように見えたからです。バカバカしいけれど、思春期の教室には魔物がんでいて、ちょっとしたことで容易に誰かの反感を買ったり、悪意を向けられたり、嫉妬の対象になったりしてしまうのです。
 その日、体育の授業でペアを組む子や家庭科実習での班が一緒の子たちにそれとなく聞いてみると、彼女たちの机の中にも同じメモが入っていたことがわかりました。
「先生に見せたほうがいいんじゃない?」
 その時点で背筋に悪寒を覚えたわたしは、仲間に提案しましたが、「ただのいたずらかもしれない。様子を見ようよ」というみんなの意見に押し切られました。不用意な発言は控えたほうがいいと思い、そこで妙子さんの名前を出すのはやめました。
 口をきくなと言われても、話さないわけにはいきません。浩美さんはわたしの後ろの席だから、教材を配るときなどに言葉を交わす機会があります。それに、タイミング悪くちょうどその翌日は、週に一度の「班給食」の日にあたっていて、給食の時間に前後と隣の机をくっつけて六人のグループで食べなくてはいけません。
 男女三人ずつ。わたしが二人の女子に挟まれる形で、左隣が浩美さん。異性を意識し始めた男子は自分たちで勝手に世界を作り上げて、わたしたちを無視してしゃべっていました。当然、女子同士でのおしゃべりになります。わたしは、あのメモのことを気にかけながらも、昨日観たテレビ番組や読んだ本の話題などしながら、いつもどおりに、それでも控えめな会話を心がけながら給食時間を過ごしました。
 五時間目は理科の授業でした。理科室には仲のよい子と連れ立って移動するのが恒例です。ところが、浩美さんは一人でした。隣にいるはずの妙子さんがいません。怪訝に思って観察すると、妙子さんはほかのグループのあとについて行きます。学級委員の久本美恵子さんを中心としたグループです。あれ、変だな、とは感じたけれど、そのときはさほど意識はしていませんでした。
 翌日、異変は起こりました。登校すると、下駄箱に入っていたわたしの上履きが濡れていたのです。靴ごと水に浸けたような激しい濡れ方ではなく、コップの水を垂らして中に染み込ませたような湿り方です。
 ――これが、浩美さんと口をきいたことの罰なんだ。
 全身の皮膚が粟立あわだちました。わたしはその日一日を、濡れた靴下を不快に感じながらも我慢して過ごしました。
 上履きを隠される、捨てられる、マジックで落書きされる。そういう王道のいたずらではなく、上履きを濡らされるという地味ないたずらでも、わたしのような内気な女子中学生を震え上がらせるには充分だったのです。
 その日は上履きを家に持ち帰り、家族の見ていないところで急いでヘアドライヤーで乾かしました。
 翌日、登校したとき、運悪く昇降口で浩美さんに会ってしまいました。
「おはよう」
 浩美さんに挨拶された瞬間、わたしはとっさに周囲に目を走らせました。心臓がバクバクし、口元がこわばります。結局、わたしは挨拶を返すことができず、顔をそむけると、そそくさとその場から走り去りました。
 教室に入ると、何人かの女子が片隅に集まっています。わたしのように罰を受けた子たちでした。「上履きが濡れていた」と言う子もいれば、「机の中に濡れ雑巾が入っていた」と言う子もいました。
「やっぱり、担任に話そうよ」
 わたしが再度そう提案したとき、教室に浩美さんが入ってきたので、わたしたちは一様に口をつぐみました。
「今日一日様子を見ようよ」
「そうだね。でも、まあ、安全のためにあれは守ろう」
「浩美さんと口をきかないっていうあれね」
 小声でひそひそ話したその日の放課後、わたしを含めて罰を与えられた女子は全員、久本美恵子さんのグループの子に空き教室に呼び出されました。その時点ではもう首謀者が美恵子さんなのは明白でした。その場には妙子さんもいて、すでにグループに取り込まれていたのです。
「読んだでしょう? わかったよね」
 と、美恵子さんは、高圧的な口調で切り出しました。「うちのお母さん、浩美さんのお母さんに職場で悪口言われたんだよ。うちのお母さんはおとなしくて言い返せないから、わたしがかわりに仕返ししてやる」
 何のことかわからず面食らっていると、「美恵子さんのお母さんも浩美さんのお母さんも、〇〇スーパーに勤めているんだよ」と、情報を補ってくれる子が現れました。どうやら母親同士が同じスーパーでパートをしていて、職場でいざこざがあったということみたいでした。
 なぜ母親同士のいさかいに子供が口を出すのか。そんな質問ができるはずもなく、わたしたちはただ黙って聞いていました。妙子さんも頬を紅潮させて、うつむいています。
 クラスで浩美さんを孤立させるために、美恵子さんのグループがいち早く妙子さんを呼び出し、浩美さんと口をきいてはだめ、口をきいたら仲間はずれにする、と脅したに違いない、とわたしは推察しました。
 学級委員の久本美恵子さんは、ずば抜けて成績がいいわけでも、とりたてて美人というわけでもなかったけれど、とにかく弁が立つ子でした。それで、担任に「あなたがやりなさい」と学級委員に任命されたくらいで、場を仕切ったり、司会役を務めたりするのが抜群に上手でした。授業中、指名されるのはもとより、詩を朗読するだけでも声がうわずってしまうわたしから見たら、うらやましい才能の持ち主で、その点は尊敬していたのです。たとえ反駁したとしても、何倍もの言葉数でたたみかけられ、やりこめられてしまうのは目に見えています。教師に一目置かれている存在だから、逆らう選択肢などありません。
 口をきかないだけで、持ち物を隠したり、壊したり、暴力を振るったり、暴言を浴びせたり、無視したりするわけではありません。
 ――そんなのは、いじめのうちには入らないよね。
 自分の胸に言い聞かせることによって、わたしは安堵感を得ていた気がします。
 それでも、さすがに後ろめたさが生じて、浩美さんと視線を合わせることはできません。前から配られてくるプリントを渡すときは、後ろを向いて黙って机に置き、伝言があるときは、紙に書いて下を向いて渡しました。
 口をきかないことに慣れたわたしたちの中からは、やがて「言葉を発しなければいいんだよね。じゃあ、これはOK?」と言って、身振り手振りのジェスチャーで浩美さんに意志を伝達する者まで現れました。その一見おどけた調子の生徒を見咎めた担任に「何してるの?」と聞かれ、「手話の練習です」と生徒がとっさに答えたら、「ああ、そう。それは感心ね」などと返されて、それからは、声を発しないかわりに一方的にでたらめな手話で浩美さんと接するのがあたりまえになり……。慣れというのは恐ろしいものです。いつしか、それが一種のストレス発散になって、大げさなジェスチャーを楽しむ者まで出現し、果ては男子にまで伝染して広がりました。もっとも、男子はそれが特定の女子を侮蔑する目的の動作とは知らず、仲間うちでの単純な「手話遊び」として楽しんでいたようです。
 当然ながら、浩美さんは「手話」には応えずに、じっと唇をかみ締めて視線をそらしていました。
 あのころは、いまのようにいじめの被害者がスマホなどを使ってSNS上で声を上げる場もなく、マスコミもいまほどいじめの問題に注目する時代ではなかったのです。
 浩美さんは、よく耐えていたと思います。心配をかけたくなかったのか、親にも訴えなかったのでしょう。女子の誰にも話しかけられず、孤立したまま年末を迎えました。
 ――卒業するまであと少しの辛抱。受験勉強に専念すればいい。
 浩美さんはそう思って耐えていたのかもしれませんが、彼女の前の席に座るわたしも同じ思いでいたのでした。誰がどの高校を受験するかは、進路指導の過程で自然とまわりに知れてしまいます。そう、美恵子さんと違う高校を受ければいいのです。
 そこで、わたしの身に予期せぬできごとが起こりました。
「和子、埼玉の高校を受けなさい」
 ある日、いきなり母親に言われたのです。建設会社に勤める父親が出張で留守の夜でした。同居していた祖母と小学生の弟はもう寝ています。祖父はその前の年に亡くなっていました。母が続けた話はこうでした。――裏の畑に道路が通る計画が持ち上がって、不動産会社に売ることになったけど、この家も古くなったし、おばあちゃんも病気がちで通院が日課になったこともあり、いっそのこと土地を売ったお金で病院に近い場所に引っ越そうと思う。
「お父さんの仕事はどうするの?」
「いまのところも車で通えない距離じゃないけど、つてがあって転職も考えているみたい」
 心機一転、新しい土地で生活を始めれば、中学時代の嫌な記憶も薄れるでしょう。
 進学した埼玉の高校には、一人も中学時代の知り合いは入ってきませんでした。
 浩美さんとの縁もそこで切れたはずでした。
 高校を卒業したわたしは、看護師の資格を得るために専門学校に進みました。卒業後は埼玉県T市内の総合病院に就職。勤め始めて四年目に出入りしていた医療用品のレンタル会社に勤務する篠原幸三と知り合い、八か月の交際を経て結婚することになりました。
 わたしの家族に幸三さんを会わせる前に、彼から「先にうちのきょうだいに会ってほしい」と言われたので、顔を合わせる日を楽しみにしていました。
 彼と知り合ったとき、「うちは男ばかり三人なんだ。上二人はすでに結婚していてね」と告げたあと、彼がちょっと含み笑いをしたので、気にはなっていました。
 待ち合わせたレストランに幸三さんのお兄さん二人が姿を見せた瞬間、わたしは息を呑みました。二人のうち一人は、幸三さんとまったく同じ顔をしています。
「長男の伸一です」
 一番年上なのに一番背の低い男性の自己紹介に続いて、
「次男の裕二です」
 と、幸三さんと背格好も同じで顔もそっくりの男性がよく似た声で名乗ったとき、幸三さんが双子の片割れだというのがわかりました。
「おかしいだろ? 母親のお腹で二人とも同じ時間過ごしていたのに、この世に出てきた時間が少し早いか遅いかで、兄になったり弟になったりするんだから」
 と、幸三さんははにかんだ表情で言いました。
「あの……双子って、性格とかも似ているんですか?」
 わたしは、自分の愛した人と姿形が同じ人間がもう一人いる光景に違和感を覚えながら、遠慮がちに次男の裕二さんに質問しました。
「どうかな」
 裕二さんは小首をかしげると、「よく似ているやつらもいるけど、幸三と俺とは違うかな」と答えました。
「そうだね。どちらかというと、裕二は動で幸三は静だな」
 と、長男の伸一さんが弟二人の性格を一字で表現しました。
 あたっているかもしれない、とわたしは思いました。幸三さんは、気遣いのできるやさしい人で、聞き上手です。
「そして、裕二のほうが手が早い」
 伸一さんは、笑って言い添えました。
「だから、結婚も早かった。で、うちの奥さんのお腹にはもうベビーがいるんだよ」
 裕二さん自身も、あとを引き取って笑いました。
「だけどさ、やっぱり、双子だな、って感心させられたことがあってね。実は……」
 幸三さんに思わせぶりに言葉を切られて、わたしはひどく気になりました。
「説明するより会ったほうが早いよな」
 伸一さんが弟二人を交互に見て言うと、双子は同時にうなずいて、声を揃えて「百聞は一見にしかず」ということわざを口にしたのです。
「というわけで、男どもは消えることにしよう」
 あっけにとられているうちに、男性三人は個室を出て行き、入れ違いに現れたのは女性二人でした。
「はじめまして、和子さん。篠原伸一の妻の瑞江です」
 三十代前半くらいの大柄な女性がわたしに挨拶しました。伸一さんと並ぶと、妻のほうが大きいくらいです。
「はじめまして。篠原裕二の妻の浩美です」
 そして、その隣の眼鏡をかけた女性が自己紹介したとき、わたしは思わず、あっ、と声を上げそうになりました。
 彼女は、昔はかけていなかった眼鏡をはずすと、「和子さん、お久しぶりね」と、懐かしそうに目を細めたのでした。卒業してから十年くらいたっていましたが、切れ長の目元に面影が残っていました。
 その瞬間、わたしと浩美さんは、親戚関係になったのです。
 浩美さんと二人きりだったなら、「あのときはごめんね」と謝罪できたかもしれません。でも、長男の妻の瑞江さんの「ねえ、あなたたちって小中学校で一緒だったんだって?」と振ってきた話題に、浩美さんが「わたしたち、小学校で三回、中学校で二回も同級生になったんです」と弾んだ声で応じて、「だよね?」と満面の笑みをわたしに向けてきたので、うろたえてしまい、謝罪する機会を失いました。
「裕二もぼくも同じ中学校の同級生同士と結婚するなんてね」
 幸三さんは、不思議な縁を感じていたようでした。けれども、わたしにとっては、それは縁ではなく因縁でした。卒業によって断ち切れたと思った浩美さんとの縁が、結婚によってまたつながってしまったのですから。
 浩美さんは、栃木県内の高校を卒業後、都内の短大に進学して、保育士の資格を取ったといいます。都内の保育園に勤務していたときに物流会社に勤務する裕二さんと知り合い、結婚しました。そして、裕二さんが地元の埼玉県内の営業所に転勤になったのを機に、裕二さんの実家の近くに転居して、同時に、浩美さんも近くの保育園に職場をかえたそうです。
 わたしたちは、夫婦それぞれの職場の中間あたりにアパートを借りて、結婚生活をスタートさせました。伸一さんと瑞江さんの家族は、都内練馬区の瑞江さんの実家近くに住み、三兄弟の実家のすぐ近くに住んでいたのは、裕二さんと浩美さんでした。
「おふくろは女の子がほしかったんだ。だから、息子三人にお嫁さんがきて、三人も娘ができたみたいで嬉しくてたまらないんだよ」
 幸三さんがそう感慨深げに語っていたように、お義母さんはわたしたち三人をとてもかわいがってくれました。頻繁に声をかけてくれて、実家に集まる機会を作ってくれたのです。台所に立って三人の嫁に料理を教えてくれたり、鍋パーティーをするからと三兄弟の家族を招待したり、手芸が趣味だと言って、各自の個性に合わせて編んだマフラーをプレゼントしてくれたり……。親切にしてくれるのはいいのですが、それだけ浩美さんとも顔を合わせる機会が多くなります。そのたびに彼女に対する罪悪感がわき起こるのですが、そんなとき、浩美さんは過去のことなど忘れたかのようにいつも笑顔でわたしに接するのです。
 ――そうよね、いじめがあったのは、中学三年生のほんのひととき。しかも、口をきかないというだけのもの。
 もしかしたら、彼女はいまが幸せで、本当に過去のことなど忘れているのかもしれない。いや、たとえ覚えていたとしても、いじめの首謀者ではないわたしのことはとうに許してくれているのかもしれない。だって、恨みを向けても当然な相手は、首謀者の美恵子さんだもの……などと、わたしは自分に都合よく解釈しました。
 その後、浩美さんには可愛い男の子が生まれ、そのお祝いに三兄弟の実家に集まった日のことでした。
 大勢人が集まる賑やかな場が好きなはずのお義母さんが浮かない顔をしていました。前日に野菜を作っている近くの畑で転んで、足首を捻ってしまったのだそうです。
「実はおふくろには免疫系の持病があって、二週間に一度大学病院に通っているんだけど、当分車の運転ができなくなってね」
 と、長男の伸一さんが切り出しました。「いつもはおふくろが自分で運転して通院している。だけど、次はどうするか。俺たちは仕事があるしな」
「いいよ、いいよ。杖をついてバスで行くから」
 お義母さんがかぶりを振ったのに対し、
「だめだよ。そんなの危ないよ。治りが遅くなるし」
 と、次男の裕二さんがとめました。
「わたしは無理ですね。都内から車を出すのも道路が混みますし、下の子のお迎えもあるし」
 と、瑞江さんが裕二さんの言葉にかぶせるように言いました。瑞江さんのところは、小学生と幼稚園児の二人の子供がいます。
「わたしが……」
 と、お義母さんの近所に住んでいる浩美さんが言いかけると、
「育休中のあなたはだめよ」
 お義母さんは、浩美さんが抱いている赤ちゃんを笑顔であやしてから、「こんな小さな子がいるんだもの。いまはそばについていてあげなくちゃ」と、言葉を継ぎました。
 少し沈黙が続いたあと、「和ちゃん、いまからならその日、誰かに交代してもらえるよな?」と、幸三さんがわたしに視線を送ってきました。
「えっ? あ、ああ……」
 わたしの勤務先は入院患者が多い総合病院で、定期的に夜勤もあります。直前の申し出でなければ、調整できないこともありません。でも、とわたしはためらいを覚えていました。お嫁さんの誰かの時間を奪わなくとも、母親のために兄弟三人で往復のタクシー代を出し合ってもいいのではないか、と考えたからです。だけど、三男の嫁がそれを言い出せる雰囲気ではありませんでした。
「そう? 和子さんにお願いしていい? 車を出してもらえる?」
 と、お義母さんの顔に明かりが灯ったようになり、わたしはつられて「はい」と答えました。
 結婚して五年たっても、わたしたちは子供に恵まれませんでした。そのあいだに浩美さんは二人目を、瑞江さんも三人目を授かりました。瑞江さんがどう伸一さんを説得したのかわかりませんが、三人目を身ごもったとき、瑞江さんは実家を二世帯住宅に建て替えて自分の両親との同居を始めてしまったのです。義理の両親には事後報告の形でした。
「おふくろはおもしろくないみたいでね」
 と、それを知った幸三さんが夕食の席で苦い顔で漏らしたことがありました。「長男だから頼りにしていたのに、何だか瑞江さんの家に養子に出したみたいで寂しい、ってさ」
「でも、近くに裕二さんもいるし、何かあればわたしたちも力になれる。寂しく思う必要なんてないのにね」
「そうなんだ。息子が三人いるんだから一人くらいと思えないのが、おふくろのわがままなところでね。あっちの家に入ったとなれば、いままでのように気軽に家に呼べなくなると思っているんだろう」
「そんなことはないよね」
 わたしもうなずきましたが、実際は、お義母さんの危惧したとおりになりました。
 それまでのようにお義母さんから「うちに来ない?」と招集がかかっても、「すみません。母の具合が悪くて」「上の子の塾があるので」「下の子が熱を出して」などと、瑞江さんは家庭の理由をつけては欠席するようになりました。
 わたしの休みに合わせて家にきた日、瑞江さんは言いました。
「結婚したとき、幸三さんに言われなかった? 『うちのおふくろは、本当は女の子がほしかったんだ。だから、息子たちが結婚して娘が三人できたみたいで嬉しい』って」
「似たようなことを言われましたけど」
「わたしは、『瑞江さん、あなたを本当の娘のように思っているわ』って言われたの。でもね、それって要注意なのよ。本当の娘のように思うから、遠慮はしない、思ったことをずけずけ言う、甘えてもいいよね? って意味なの。結婚してしばらくは本性を隠していたけど、半年たったら、『あなたは長男の嫁だから、男の子を産んでね。子供は三人ね』なんて言われたわ。まるで義務みたいに」
「そんな……」
「わたしも子供は好きで、三人ほしかったんだけど。だから、和子さん、あなたも注意してね。お義母さんの言うことなんて適当に聞き流していればいいからね」
 瑞江さんのアドバイスをわたしは心にとめました。
 けれども、適当に聞き流せるような内容でない場合もあります。
 長男夫妻が自分たちに相談なく妻の実家を二世帯住宅にし、同居を始めてしまったことの怒りが鎮まらずにいたのか、次に声がかかって、浩美さんとわたしがお義母さんのご機嫌うかがいに行ったとき、お義母さんは待ちきれなかったように瑞江さんの話題を出してきました。
「瑞江さんったらわたしに断りもなく勝手なことをして。あちらのご両親と同居するなら、こっちにもひとことあってもいいはずでしょう? 伸一も伸一よね。瑞江さんの言いなりで。ねえ、あなたたちもおかしいと思うでしょう?」
 お義母さんの見幕に気圧されて、ただうなずいただけの反応が不満だったのでしょうか。その直後、苛立ったような口調でわたしに矛先を向けてきたのです。
「どうして和子さんのところには子供が授からないの? あなたたち、子供ができるようなこと、してないんじゃないの?」
 デリケートな問題なのに、こんな露骨な言い方をするなんて、まるっきり八つ当たりだわ、とわたしは驚き、呆れ、ひるんでしまいました。
「お義母さん、それはちょっと……」
 と、隣にいた浩美さんもとりなそうとしましたが、言葉が続きません。
「不妊治療はしているの?」
「ええ、いちおう」
「だったら、そろそろでしょう? だって、浩美さんは二人も産んでいるじゃないの。裕二と幸三は双子なのよ。小さいときから風邪をひくときも一緒、おたふくにかかるときも一緒だった。体質は似ているはずよ。裕二のところが授かって、幸三のところが授からないはずはないわ。あなたは看護師でしょう? 不妊治療にはくわしいんじゃないの?」
 長男の嫁にないがしろにされたことの鬱憤を晴らすかのようなきつい言い方でした。
「でも、お義母さん、幸三さんは……」
 検査の結果、わたしの女性としての機能に問題はなかったのですが、幸三さんの精子が平均よりかなり少なく、しかも運動率も低いことがわかって……とは、さすがに口にはできませんでした。
「子供はほしくない、って言ってるの?」
「いえ、そんなことは言ってません」
 何を言ってもお義母さんには通じません。救いを求めて隣の浩美さんに視線を流すと、
「子供って、手がかかるけど、かわいいものですよね。ねえ、お義母さん」
 浩美さんはにっこり微笑んで言い、わたしに顔を振り向けて、「だから、和子さん、いい加減、産むことにしたら? 仕事がおもしろくて、まだ子供はいらない、って先延ばしにしているんでしょう?」と、言い募りました。
「何よ、和子さん、出産を先延ばしにしているの? 不妊治療はうそなの?」
 お義母さんの目が吊り上がりました。
「いいえ、違います。本当にわたし……」
「ねえ、お義母さん。本当に子供ってかわいいですよね」
 わたしの弁明をさえぎって、浩美さんはお義母さんと子供の話題に興じ続けます。「ほら、上の子が今年小学生になったでしょう? ああ、お義母さん、ランドセルをありがとうございました。すごく立派なランドセルで、あの子、気に入ってるんですよ。大切に使わせていただいています」
「そう? それはよかったわ」
 お義母さんは、浩美さんのゴマすりで少し機嫌を直したようでした。でも、子供のいないわたしは蚊帳かやの外という感じの話題です。
「裕二さんの気質を受け継いだのか、あの子、正義感が強くてやさしい子なんです。クラスにいじめっ子がいて、特定の子の筆箱を壊したり、ノートを破いたりするんです。見て見ぬふりをする子がほとんどの中で、あの子はいじめに加担しないで、いじめられていた子をかばってあげたんですって。先生から聞かされて、わたし、わが子ながら感心してしまって」
「まあ、そうなの。それはえらいわねえ。裕二も元気だけがとりえじゃなくて、浩美さんの言うように正義感がとても強い子だったのよ」
「わが子の正義感とやさしさに刺激を受けて、わたしも新しいことに挑戦する勇気をもらいました」
「新しいことって?」
「母親学級で手話を学ぶ機会があったんです。それで興味を持って、手話サークルに入ることにしました」
「あら、手話サークル、いいじゃないの」
 二人の会話を聞きながら、わたしは顔から血の気が引くのを覚えていました。彼女は中学校時代のいじめを忘れてはいなかったのだ、わたしを許してはいなかったのだ、と確信したのです。だから、いじめや手話の話題を持ち出して、わたしの反応をうかがったに違いありません。
 ――浩美さんは、わたしに謝罪を求めているんだわ。
 そう考えて、後日、浩美さんに電話しました。
「浩美さん、このあいだの話だけど……」
「あっ、ごめんなさい。いま、お鍋かけているから、またあとでね」
 いじめの話題を切り出そうとした途端、いた声で言われて切られてしまいました。
 その後も、「いま忙しいの」「こっちからかけるから」などとはぐらかされて、浩美さんはわたしにあやまる機会を与えないようにしているかのようでした。
 謝罪の手紙を書くことも考えましたが、何通書いても開封されなかったり、「届いていない」と言われたりするおそれもあります。
 ――どうすればいいのだろう。
 わたしは恥をしのんで、幸三さんに相談することにしました。
「ふーん、そんな過去があったのか。まあ、いろいろ多感でむずかしい年ごろだからな。いじめたほうは忘れているけど、いじめられたほうは忘れない。そのとおりだよな。話してくれてよかったよ。焦らなくてもいいじゃないか。和ちゃんが誠意を示してつき合っていけば、浩美さんの頑なな気持ちも少しずつほぐれていくだろう」
 緊張して切り出したわたしでしたが、話を聞いた幸三さんは、寛大な心で受け入れてくれて、そんな助言を与えてくれました。
(後編へつづく)

新津 きよみKiyomi Niitsu

長野県生まれ。青山学院大学卒業後、旅行代理店勤務などを経て、88年に作家デビュー。心理描写の巧みなサスペンス、日常に潜むホラーに定評があり、『二重証言』『女友達』『トライアングル』『ふたたびの加奈子』など映像化作品も多い。近著に『夫以外』『シェアメイト』『二年半待て』『誰かのぬくもり』などがある。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop