双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ジ・エンド(新津きよみ)

イラスト:浦上和久

陰のコレクター (後編)

「ねえ、伴樹。これ、あんたのじゃない?」
 ベッドにあおむけになり、天井を見つめていると、部屋のドアがドンドンと叩かれた。
 ――また姉貴が帰ってきたのか。
 うっとうしいなあ、とつぶやきながら身体を起こした伴樹は、「そっちに行くから待ってて」と、パジャマを着替えた。
「あんた、まだ寝てたの?」
 身じたくを整えて居間に行くと、テレビを観ていた姉が呆れた顔で言った。
「とっくに起きてたけど、ぼおっとしてたんだよ」
「そんなにのんびりしてて、大丈夫なの?」
「夜遅くまで勉強してたんだ。今日は休みだし、昼頃まで寝てたっていいだろう?」
 本当にうるさいなあ、と伴樹は心の中で続けた。久しぶりに一人だけの休日が過ごせると思ったのに、邪魔が入ってしまった。「明日はお母さんの実家に、法事の相談でお父さんと行くからね」と、昨日母に言われ、<じゃあ、明日はゆっくりできる>と喜んでいたのに。
 伴樹は台所に入ると、冷蔵庫から牛乳を取り出してパックのまま飲んだ。子供のころから、朝起きたらまずは水がわりに牛乳を飲むと決めている。その習慣のおかげか、百八十センチを超える高身長に育った。
「やめなさい、そんな汚い飲み方」
 ところが、また口うるさい姉に叱られた。
 だが、伴樹は、そんな姉に強く言い返すことができない。大学二年生の姉は、都内で一人暮らしをしている。姉が通っているのは難関大学で、伴樹もそこを第一志望にしている。そこの法学部に、姉はいとも簡単にストレートで合格した。悔しいけれど、いまの伴樹の成績では合格圏にはほど遠い。先日の模試でもE判定のままだった。
「姉貴こそ、休みなのに行くところがないんだろう?」
 それでも、憎まれ口くらいは叩いてやりたかった。「そろそろ彼氏ができてもいいころじゃないの?」
「余計なお世話よ」
 ふん、と鼻で笑って、姉はソファの背にもたれかかった。「休日くらい実家でゆっくりさせてよ。あっちは狭くてね。今日は泊まっていくから」
 姉は、都心のワンルームマンションを住まいとしている。一度都内で行われた模試の帰りに寄ってみたが、ドールハウスみたいに狭い空間だった。伴樹が小学三年生のときに父がローンを組んで埼玉県所沢市内に購入した一戸建ては、庭のある4LDKで、姉の部屋もまだそのままにしてある。
「あっ、そうだ」
 姉が忘れていたというふうに、身体を伴樹のほうに向けた。手にしていた赤いケースのスマホを突き出す。「これ、あんたのじゃないの?」
「何だよ」
 突きつけられたスマホを受け取り、ツイッター画面をのぞいた瞬間、伴樹は息を呑んだ。
 画面上に、なくしたと諦めていたのとまったく同じ手袋の写真が映し出されている。
「ホントだ、俺のだ」
 伴樹は、スマホを手にしていない右手をパーの形に広げてみせた。
「でしょう? そうじゃないかと思ったのよ」
 伴樹の傍らにすり寄ってきた姉は、声を弾ませて言葉を続けた。「去年だっけ? 伴樹、おばあちゃんの手袋を片方落としちゃった、って騒いでいたもんね」
「ああ、うん、模試の帰りだった」
 その日のことはよく覚えている。都内の会場で行われた全国統一模擬試験の帰りだった。あまり試験の感触がよくなかったので、呆然としていたのか、寒いのに手袋をはめるのも忘れて家に帰った。家に着いてから、コートのポケットに二つまとめて入れておいたはずの手袋の片方がないのに気づいた。鞄の中にもない。
 ――どこかで落としたんだ。
 大事な手袋だった。二年前に亡くなった母方の祖母が、伴樹のために編んでくれた手袋である。プレゼントしてくれたのは、その前の年のクリスマスだった。祖母は編み物が得意で、昔は編み物教室の先生をしていたという。伴樹の好みに合わせた色選びとデザインで、網目は揃っていてきれいで、何よりもはめていて温かい。
 ――伴ちゃんはこれからまだ成長して、手も大きくなるかもしれないから、大きめに編んでおくね。
 そう言って、所沢の家に遊びにきてもこの居間の片隅で楽しそうに編み棒を動かしていた祖母の姿を、伴樹は鮮やかに思い浮かべることができる。
 編み上げてしばらくして、祖母の身体に病気が見つかり、入院してすぐに亡くなった。いわば、手編みの手袋は、祖母の形見でもあったのだった。
「この『落とし物屋さん』って人のツイートがリツイートされてきてね、それでわかったのよ」
 と、当時を思い起こしていた伴樹に、姉が得意げに言った。姉がツイッターをやっていることは知っていた。伴樹は、受験勉強の妨げになるからと、TwitterもFacebookも開設していない。
「『落とし物屋さん』って、ボランティア精神に富んだユニークな人なの。最初は、道端に落ちていたハンカチや手袋などを拾って、自分のツイッターに写真を載せて、落とし主を探してあげることから始めたんだけど、そのうちフォロワーからも拾得物を託されるようになってね。そこを窓口に、毎日落とし物情報を発信していたら、フォロワーが二万人に膨れ上がったのよ。それで、けっこう落とし主が現れたり、連絡がついたりするみたい」
 と、姉の自慢口調の説明は続く。「もちろん、金目のものは警察に届けるそうよ。現金とか貴金属とかはね。だけど、手袋片方って、落ちているのを見つけても、みんな警察になんか届けないでしょう?」
「それで、どういうふうに・・・・・・」
 連絡をつければいいのか、と聞きかけた伴樹に、
「任しておいてよ。わたしが『落とし物屋さん』にダイレクトメールを送るから」
 と、姉が握りこぶしで自分の胸を叩いた。「もう片方をはめた伴樹の写真を撮って、先方に送るから。そしたら、伴樹が落とし主です、って証明になるでしょう?」
「ああ、まあ、そうだけど、ここにある公園ってのに、全然心あたりがないんだよね」
 伴樹は、首をかしげた。ツイートには手袋を拾った場所と日時が書き込まれているが、行ったことのない公園で、拾ったとされる日も紛失した日からかなり時間がたっている。
「そんなの、どうとでも考えられるでしょう? 誰かが拾って、またどこかに捨てて、また誰かが拾ったり、風に吹き飛ばされたりして、巡り巡って・・・・・・ってふうに」
「まあね」
 伴樹は、その説明でいちおう納得した。自分の手から離れた手袋一つが、数奇な運命をたどって「落とし物屋さん」に拾われ、また自分に戻ってくると思うと、実に感慨深い。
「ありがとう」
 姉に面と向かって礼を言うのが照れくさくて、声が小さくなった。
「伴樹はおばあちゃん子だったものね。三回忌を前に、おばあちゃんが天国からあんたを励ましているのよ」
「そうかな」
 ――こじつけでも何でもいいや。
 伴樹の体内に活力がみなぎってきた。次の模試は、何だかうまくいきそうだ。  
 その日、郁美は朝からついていなかった。最近、調子がおかしいとは思っていたが、ついに冷蔵庫が壊れてしまったのだ。氷がまったく作れなくなった。上の子が生まれたときに買った冷蔵庫だから、もう十五年使っていることになる。寿命が尽きたのかもしれないが、先週、エアコンを一台買い替えた豊田家としてはかなりの痛手だった。
 しかも、親戚の葬儀に参列するために用意しておいた喪服に着替えたところ、ワンピースの裾のほつれに気がついた。新幹線の時間が迫っている。裁縫箱を出して裾をかがる時間がなかったので、応急処置としてセロテープでとめたのだが、気になって仕方がない。
 準備をしながら観ていたテレビから、「今日の占い」が流れてきた。それによると、郁美の魚座は十二星座中の最下位だった。
 ――予想外のことが起きるかもしれません。時間に余裕を持って行動しましょう。
 まったくそのとおりだわ、と郁美はため息をついた。
 上京するために乗った新幹線の中で、郁美の頭の中を家計簿の数字が飛び交っていた。上の子は来年高校受験を控えているし、下の子はまだ小学生。これからますます学費がかかる。群馬県内に購入したマンションの住宅ローンは、あと二十年残っている。エアコンに冷蔵庫と出費がかさんで、頭が痛い。その上、慶弔費もバカにならない。
 ――もう誰も死にませんように。
 亡くなったのは、東京に住む夫の伯母だった。郁美とはとくに親しい間柄でもなかったのだが、義理がある。香典袋を用意したとき、不謹慎だとは思ったが、金銭面からそう願ってしまった郁美だった。夫は仕事を休めず、パートがない日の郁美がかわりに参列することになった。もちろん、東京までの交通費もバカにならない。
 生まれも育ちも群馬で、短大も県内、高校の同級生同士の結婚で、特別な用事のないかぎり、東京にも出ずに、狭い生活圏内で動き回っている郁美である。日暮里の葬祭場で執り行われた葬儀に参列し、親戚筋へのひととおりの挨拶を終えた途端、どっと気疲れしてしまった。
 身体がだるくて、足も重い。履き慣れない弔事用の黒いパンプスのせいかもしれない。少し休んでからでないと、新幹線に乗って帰れそうにない。
 それで、目についたコーヒーショップに入った。帰りの時間を気にして精進落としの鮨を二つ三つつまんだだけなので、空腹も覚えていた。だが、余計な出費はしたくない。Sサイズのコーヒーだけを注文し、無料だからとミルクを二つ、砂糖を一袋入れた。
 カウンター席で甘めのコーヒーを飲みながら、スカートの裾に目をやると、セロテープがはげてほつれた糸が垂れ下がっている。
 こんなところも今日はついてないな、と郁美は苦笑した。でも、あとは帰るだけだからいいか、と自分の胸に言い聞かせる。
 ひとときの休息を終えて、さあ、と自分を鼓舞するように声を出して、郁美はスツールから立ち上がった。背をかがめて、カウンターの下の籐で編まれた荷物かごから、黒いバッグと香典返しが入った紙袋を取り上げる。
 そのとき、かごの隅に何か光るものが見えた。手に取ってみると、鳥のような絵柄の入った十円玉くらいの大きさの金色のボタンだった。
「金ボタン!」
 郁美の口から思わず声が漏れた。そうなのだ。今日の占いにあった魚座のラッキーアイテムが、まさに「金ボタン」だったのだ。
 ――ということは、これから何かいいことがある?
 郁美は、期待に胸を弾ませた。この金ボタンをお守りのようにして身につけていれば、きっと何かいいことが起きるのではないか。
 そっとバッグにしまおうとして、ふと気持ちが変わった。この金ボタンは、もとは誰かの所有物だったはずだ。誰かの上着のどこかの部分を飾っていたボタン。制服のボタンだろうか。鷲が羽を広げたような図柄の重厚な雰囲気のボタンで、金色の輝きからしてまだ新しいものに見える。
 ――希少価値のあるボタンだったら、落とし主は捜しているかもしれない。
 この店にコーヒーを飲みにきて、荷物かごに上着をしまったときに服から脱落したとしたら、また捜しに来る可能性は考えられる。
 ――やっぱり、これは店に届けよう。
 郁美は、「これ、荷物かごにありました。どなたかの忘れ物かもしれません」と、金ボタンを店員に渡すと、店を出た。小さなことかもしれないが、一ついいことをした、と爽快感にとらわれた。
 新幹線に乗って帰路に着きながら、郁美は思った。いまは家計が苦しいときかもしれない。だけど、子育てが永遠に続くわけじゃない。子供たちは成長して、やがて親の手を離れていく。子育てにもいつか終わりがくる。ローンだって払い終えるまでの辛抱だ。家族全員が健康でいてくれる。それで充分ではないか。
 ――こんなふうに前向きに考えることができるようになったのも、あの小さな金ボタンのおかげかもしれない。
 やっぱり、金ボタンは今日のラッキーアイテムだったのだ。郁美は、移り変わる景色を車窓から眺めながら、ボタン一つほどのささやかな幸せをかみしめていた。  
 ――どうして、わたしはこんなところにいるのだろう。
 綾香は、目の前の男性の動く口元を見つめながら、そんなふうにぼんやりと思っていた。
 警察署に呼び出されたのは、二度目だった。取調室で刑事と向かい合っている。
「スカーフからは被害者の指紋のほかに、あなたの指紋もタグから検出されました」
 それはストールです、と心の中で正しく言い替えて、綾香は顔を上げた。刑事の口調は穏やかだが、目つきは鋭い。前回、捜査の過程で必要なので、と指紋採取を求められた。自分が犯人でないのは明らかだから、さほど躊躇することなく応じたのだったが・・・・・・。
「スカーフの持ち主の女性は、その日、自宅アパートで殺害されました。部屋が荒らされていたので、部屋を物色していた強盗と鉢合わせして、帰宅直後に紐状のもので首を絞められて殺されたと思われますが、現場に凶器は見あたりませんでした。紐状のもの、つまり、スカーフで殺害したことも十分に考えられるわけです。スカーフは彼女の婚約者から贈られたもので、当日彼女がそれを持って退社したのを同僚が見ています。現場からスカーフがなくなっていることを、婚約者に確認してもらいました。・・・・・・と、前回も説明しましたよね」
 確かに、説明を受けている。だが、やはり、自分がここにいることの理由には結びつかないから、綾香は首をかしげることしかできずにいた。そんな殺人事件があったこと自体知らなかったのだ。
「そのスカーフがまったく別の場所から発見されました。あるお宅の門にかかっていて、そこの監視カメラに、あなたの姿が映っていたんですよ」
 刑事は、説明を重ねた。そこの家の前に夜間、ゴミが捨てられたり、犬のフンをまかれたりなどの嫌がらせが続いていて、たまりかねた住人が犯人を特定するために監視カメラを設置したのだという。カメラを設置してからは夜間の嫌がらせは途絶えていたが、日中カメラに映っていたのが女性で、女性が去ってから門の柵にスカーフがかかっているのに気づいた。住人は、そのスカーフを映像と一緒に地元の警察署に提出したという。その警察署に殺人事件の捜査本部が設置されていて、スカーフの特徴が被害者の婚約者が語った特徴と一致したということらしい。
「被害者の当日の行動をさかのぼって調べて、駅構内の複数の防犯カメラをチェックした結果、被害者が利用した時間にあなたも映っていました。個人宅のカメラと駅のカメラの両方に、あなたが映っていたわけです。あの駅であなたの姿を見つけるのに時間を要しましたよ」
 と、刑事は言い、自分たちの手柄を誇示するかのように腕を組んだ。
 綾香は、まるで刑事ドラマの一場面を観ているようだ、と他人事のように思った。防犯カメラの映像を見て、そこに映し出された人物を雑踏の中で探し出す刑事のプロがいるのを、ドラマで観て知っていた。自分もどうやらそうやって探し出されたらしい。あの駅は、綾香が通勤で利用している駅だから、見つけられても不思議ではない。
「わたしが犯人だと言うのですか? 違います。スカーフは駅で拾ったんです」
 それは事実だから、綾香は語調を強めて言った。
「じゃあ、なぜ、拾ったスカーフを落とし物として届けずに、持ったままでいたんですか? なぜ、スカーフを違う場所の家の門の柵になど結びつけたんですか? どうして、そんなことをしたんです? あなたは、本当は被害者と接点があったのではないですか? 被害者の婚約者にひそかに恋焦がれていて、被害者に嫉妬したあなたは、彼女のあとをつけて、部屋に入ったところを背後からスカーフで首を絞めた。そして、強盗の犯行に見せかけるために部屋を荒らした・・・・・・」
 もはや、刑事の口調は穏やかな域を抜け出ていた。
「違います。わたしは、本当にその女性のことなど知りません。殺してなんかいません」
 どうして、そんなバカな推理ができるのだろう。警察は捜査のプロではないか。綾香は、混乱する頭で刑事の追及から逃れる方法を必死に考えていた。
「もう一度聞きます。じゃあ、なぜ、あなたは被害者のスカーフを持っていたんですか?」
「それは・・・・・・」
 そこで言葉を切ると、綾香は観念して息を吐いた。「ゲームだからです」
「ゲーム?」
 と、刑事は頓狂な声を上げた。
「どんなゲーム、何のゲームなんですか?」
 刑事が眉をひそめた。
「どんなって・・・・・・」
 どう説明したら、わかってもらえるのだろう。いや、どんな説明をしたところで、あのときのわたしの心理までは理解してもらえないだろう。
 ――この取り調べに終わりはくるのだろうか。
 綾香は、絶望的な気分になって、ゲームの内容を説明するための言葉を探した。
(第五話 終わり)

新津 きよみKiyomi Niitsu

長野県生まれ。青山学院大学卒業後、旅行代理店勤務などを経て、88年に作家デビュー。心理描写の巧みなサスペンス、日常に潜むホラーに定評があり、『二重証言』『女友達』『トライアングル』『ふたたびの加奈子』など映像化作品も多い。近著に『夫以外』『シェアメイト』『二年半待て』『誰かのぬくもり』などがある。

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