双葉社web文芸マガジン[カラフル]

ジ・エンド(新津きよみ)

イラスト:浦上和久

永久とわ(前編)

 そうね、変わった子だったわね。どう変わってたかって?・・・・・・。
 たとえば、わたしたちが絵本の読み聞かせをするでしょう? ほら、『桃太郎』とか『花咲かじいさん』みたいな昔話の類。「鬼を退治した桃太郎は、おじいさんとおばあさんのところへ無事に帰っていきました」とか、「欲張りじいさんは、とうとう牢屋に入れられてしまいました」で、物語は「おしまい」「ジ・エンド」になるでしょう? 
 ほかの園児たちは、「おもしろかった」と言って拍手したあと、すぐに違う遊びに気持ちが切り替わるものなのよ。中には、「先生、もう一度読んで」とか「違うの読んで」ってせがんでくる本好きな子もいるけど、あの子――理恵子ちゃんは違ったの。目を輝かせて、「先生、そのあとはどうなるの?」って質問してくるの。「先生、おしまいのあとはどんなお話?」ってね。
 物語が終わっちゃうのがいやなのか、単純に、桃太郎がおじいさんとおばあさんのもとに帰ったあとのことが気になるのか、牢屋に入れられた欲張りじいさんがどうなったか知りたいのか、やけにしつこく聞いてくるのよ。
「さあ、そのあとはどうなるのかしらね。書いた人に聞いてみないとわからないよね。おうちに帰ってママに聞いてみたら?」
 なんてごまかしていたけど、『かぐや姫』を読み聞かせたときは大変だった。
 ああ、『かぐや姫』というか『竹取物語』の話は、もちろん、知ってますよね? 
 竹取りの翁が一本の光る竹を切ってみたら、中にかわいらしい小さな女の子が座っていた。子供のいないおじいさんとおばあさんは、その子をかぐや姫と呼んで大切に育てた。かぐや姫は、美しい娘へと急速に成長した。美しいかぐや姫のうわさは国中に知れ渡り、お金持ちや身分の高い男たちが次々と訪ねてきて、かぐや姫に求婚する。けれども、かぐや姫は首を縦に振らない。おじいさんは、しつこく求婚する男たちに次々と無理な注文をつけて、結婚を諦めさせようとする。中には、注文どおりの品を持ってきた男もいたけど、それらは偽物と判明する。ついには、帝までもがかぐや姫に会いにくる。帝から恋文めいたものを送られても、かぐや姫の気持ちは変わらない。やがて、かぐや姫は毎晩、月を見上げてはため息をつくようになる。
 そのあとは・・・・・・細かく語るまでもないですよね。月の都から使者がきて、かぐや姫は天に昇っていく。実は、かぐや姫は、もともと地球の人間ではなく、月の都の住人でした、というオチなんだけど、大半の子たちは、「へーえ、そうなんだ」「普通の人間じゃなかったから、それで結婚できなかったんだ」「おじいさんもおばあさんもかわいそう」と、何とも不可思議な物語にいちおうは納得してくれるのよね。
 それなのに、理恵子ちゃんは違ったの。「どうして月に帰されちゃうの? 月に帰ったあとは、かぐや姫はどうなるの? かぐや姫に本当のお父さんやお母さんはいるの? 月でどんな生活をしているの?」と、またしつこく質問を重ねてくるのよ。
 最初はうるさいなと思ったけど、わたしも短大で国文学をかじったプライドがあるから、図書館で調べたのね。かぐや姫は、月の世界で罪を犯したせいで、その罪を償うために地球に流された。月にいたときの記憶を消された状態できたから、両親のこともよく覚えていない。何年も地上で暮らして、もういいだろう、許してあげようということで、月からお迎えがきたってわけね。そこまではすぐに調べられたけど、月に帰ったあとの生活については専門書を読んでもよくわからなくてね。わかったのは、月で暮らす人たちは、みんな清廉潔白で高貴で、要するによくできた人たちってこと。そのご褒美なのか、みんな年をとらないんですって。
 そこまで理恵子ちゃんに説明したあと、想像でお話を作り上げるのも面倒だから、本人に丸投げしちゃったの。「物語のその続きは、理恵子ちゃんが作ってみたら?」ってね。
 粘土で何か作らせてもお絵描きをさせても、集中力がすごくて何でも熱心にやる子だったし、想像力も豊かな子だったから、将来は芸術家か小説家になるのかしら、なんて期待していたわ。
 それで、あの子――松下理恵子ちゃんのことはよく覚えていたのかもしれない。
 あの子があんな凄惨な事件に巻き込まれるなんて。まだ二十五歳という若さでね。
 殺されて、バラバラにされて、捨てられて・・・・・・。ほんと、かわいそうにね。
 松下理恵子ちゃんでしょう? 
 いい子でしたよ。おとなしかったけど、顔を合わせるときちんと挨拶するしね。ここにいたのは、小学校四年生くらいまでだったかしら。
 両親が離婚して、よそへ引っ越したのよ。理恵子ちゃんは、お母さんに連れられて、お母さんの実家に戻ったんじゃなかったかな。
 離婚の理由? 父親の女性関係が原因で、父親は出ていったみたい。でも、うわさだからくわしくは知らないの。あの家からは、夜になると男女の怒鳴り合う声が聞こえてきたという人もいたけどね。
 理恵子ちゃんは、とても本好きな子だったわね。うちの店でもよく本を読んでいたから。ああ・・・・・・うちはその当時、まだ駄菓子屋を営んでいたのよ。小学校の近くだったしね。学校から帰った子たちがおこづかいを持ってやってきてね。理恵子ちゃんもその一人だった。でも、あんまり友達と一緒にいた記憶はないから、友達は少なかったのかしら。
 おこづかいを持って駄菓子を買いにきて、それを食べながら店に置いてあった椅子で休んでいくの。食べ終えると、持ってきた本を読み出してね。ほかの子供たちが帰ったあともずっと店にいるのよ。学校がお休みの日もよく顔を出していたわ。
「暗くなったから、もうおうちに帰ったら?」「遅くなると、おうちの人が心配するよ」と言っても、あの子はなかなか重い腰を上げなくてね。お父さんが帰ってこなくてお母さんが不機嫌な家に帰るのがいやだったのかしら。わたし、困っちゃって、「ごめんね。もうお店は終わりなの」と、あの子を閉め出したことがあったわ。
 あんな死に方をするような子には思えなかったけどね。
 会社の人と不倫関係にあったんですって?
 その相手の人も・・・・・・ああ、そうか、その後、遺体で発見されたのね。そっちは自殺? じゃあ、不倫相手の家庭も災難よね。理恵子ちゃんも、不倫相手の家庭も、どっちも不幸になって、まったくやりきれない話よねえ。
 松下さんの記憶?
 あんまりありません。一人でぽつんとしていたとしか。休み時間も一人で本を読んでいることが多かったかな。
 でも、覚えていることはあります。松下さんって、冗談が通じない人だったんです。
 いつだったか、松下さんが緑色のベストを着てきたことがあって。・・・・・・わたしたちの高校、制服はあったけど、冬のベストは指定なしで自由だったんです。すごくよく似合っていたから、わたし、「緑が似合うのは松下さんとカエルくらいかな」なんて言ったんです。もちろん、褒めたつもり。ジョークですよ。一人でいる松下さんとお近づきになろうと思ってね。
 笑ってくれるかと期待したのに、松下さん、気色ばんで・・・・・・。すごくきつい目でわたしを睨むと、教室を出ていってしまって。
「扱いにくい子だよね」
「ちょっとばかり勉強ができるからって、わたしたちをバカにしているんじゃない?」
 まわりはそう言ってました。わたしはそんなふうには思っていなかったけど、あのときはおもしろくはなかったですね。
 松下さん、殺されたんですよね。バラバラ死体ですか? 最初に発見されたのは、頭と胴体で、次に足で・・・・・・。
 腕はまだ見つかってないんですよね。
 松下さんとはゼミで一緒でした。
 よく見ると美人顔なんだけど、華やかさに欠ける寂しい顔立ちの子でしたね。
 もの静かで、話の輪には加わらず、いつも聞き役でしたね。勉強はまじめに熱心にしていました。バイトもしていたようだけど、講義は休まずに、ゼミ合宿にもきちんと参加していましたね。
 ほとんど自分のことを話さない人だったけど、覚えているのは、両親が離婚して、そのあと母親が子連れで再婚したということかな。うちの母親がそうだから、話の流れでそういう話題を出したら、「うちも同じ」ってつぶやいたのね。だけど、それ以上、話は盛り上がらなかったかな。松下さん、うっかり口を滑らせたって感じで、そのあとは黙ってしまって。
 ゼミ合宿の夜、女子だけ集まって恋愛談義になったことがあったけど、そのときも松下さん、いちおう自分の意見を口にしたんです。「どういう男性と結婚したいか」って話になったとき、松下さんは、「会った瞬間、『この人だ』って直感が知らせてくれるはず」と言ったの。口数が少なかっただけに、彼女の重みのあるひとことは忘れずに覚えています。やけに自信ありげでしたね。
 それから、温泉に入ったことも覚えています。そちらは鮮明にね。だって、彼女、すごく胸が大きかったから。巨乳を自慢してもいいのに、大きなバストを隠したかったのか、胸を強調するような服は絶対に着なかったのね。もったいない。わたしなんかペチャパイだから、うらやましかったな。
 松下さんについて語れるのは、それくらいかな。わたしが知るかぎり、学生時代、彼女につき合っていた人はいなかったと思います。
 だから、社内不倫をしていて、その相手に殺されたと知って、すごくびっくりしちゃって・・・・・・。
 本当に、あの松下理恵子さんなの? ってね。まだ入社三年目だったんでしょう?
 相手には奥さんがいたんですよね。その男性が松下さんに何て言っていたか知らないけど、「妻とは別れる。それまで待ってくれ」くらいの言葉はかけていたかもしれませんね。松下さんのほうは、その男と会った瞬間、ビビッときちゃったんじゃないかな。既婚者だろうと関係なくね。男性のほうは、あの巨乳に溺れてずるずると関係を重ねて・・・・・・なんて、わたしの推測ですけど。
 別れ話を切り出したのに、松下さんに拒否されたか、逆に松下さんが待ちきれなくなって詰め寄ったか・・・・・・。不倫相手は発作的な犯行に及んだ直後、我に返って、何とかしなくちゃと思って、遺体をバラバラにして、山に運んで何箇所かに分けて捨てた。そのあと何もなかったふうに装っていたけど、自分に捜査の手が及ぶと、死を選んだ。そうですよね?
 それにしても、どうして遺体をバラバラにしたのかしら。運びやすいように?
 男性は――浅野さんという名前でしたか? 浅野さんは、山の中で首を吊ったんですよね? どうせなら、遺書を残してくれればよかったのに。
 悲しい結末ですね。
 あの二人がひそかにつき合っていたなんて、社内では誰も気づいていませんでした。わたしもそうです。
 うちの会社はIT関連企業で、浅野さんはキャリア十年のSE――システムエンジニア、松下さんは入社三年目のテスターでした。テスターっていうのはIT業界の用語で、パソコンのプログラムやシステムに不具合がないかどうか、マニュアルどおりの操作を行って、ミスやバグなどの問題点を見つける仕事をする人のことを指します。で、問題点を解決するのがSEです。
 同じプロジェクトチームではなかったし、フロアも違ったから、接点はなかったはずです。
 浅野さんはとても優秀なSEで、結婚したのは六年ほど前です。松下さんが入社する前ですね。奥さんは、学生時代に知り合った人だと聞いていました。
 松下さんは、わたしの隣のプロジェクトチームで、一人で黙々と仕事をするタイプでした。もともと機械と心の中で対話するような仕事だから、人と話すのが苦手な人でも働きやすい職場なんですね。お昼も同僚と一緒に外へ食べに出たりはせず、自席で一人でお弁当を広げて食べていました。
 それでも、つき合いが悪いって感じではなかったですよ。部内の飲み会や部内レクにも参加していましたから。部内レクっていうのは、開発部全体のレクリエーションのことで、近場の温泉に行ったり、運動会を開いたりして親睦を深めているんです。
 入社した年も去年も今年も、松下さんは温泉レクに参加しました。彼女、胸が大きいんですよね。まあ、それはどうでもいいんですけど、松下さん、今年は温泉には入らなかったですね。女性の日にあたっていたのかも。
 それから、毎年春にある健康診断も今年は受けなかったから、そのころから何か心境に変化があったのかしら。転職を考えていたとかね。わたしは、松下さんと個人的な話はしない関係だったから、そのあたりよくわからないですね。
 浅野さんの奥さん、妊娠していたんですってね。結婚六年目でようやく子供を授かったのに、こんなことになるなんて・・・・・・。
 不倫はいけませんよね。誰も幸せにならないです。今回も、かかわった人全員が不幸になったわけで。松下さんも浅野さんも、浅野さんの奥さんも、奥さんのお腹の赤ちゃんも。
 入社四年目の美希が十歳年上の磯村圭と親しくなったのは、行きつけのショットバー「ラウンジ」で顔を合わせたことからだった。
「ラウンジ」は勤務する建設会社と美希の住むアパートの中間にあり、会社の人間は誰もこないはずの場所だった。だからこそ、美希はそこを息抜きの場として週に一度は通っていたのだ。そこに、偶然、同じ会社で別の部署にいる磯村が顔を出した。
 カウンターの定位置に座っていた美希に気づいた磯村が、隣に座って話しかけてきた。
「君は、二階のオペレーション業務部にいる人だよね」
「ええ、そうです」
 そう受けて名乗った美希は、磯村の接近してきた顔を見るなり、胸がきゅんと縮む感覚を覚えた。
 ――これって、もしかして・・・・・・。
 磯村も自己紹介をすると、「会社で見かけてはいたけどね、話す機会はなかったものだから」と言って微笑んだ。
 その微笑に、一瞬にして美希は魅了されてしまった。まさにひと目惚れである。
 ――運命の出会いは、焦らずとも向こうから自然とやってくる。それまで待てばいい。
 そう信じていままで生きていた。その瞬間がついにきたのだ。
 大勢の人の中にいるのが苦手な美希には、一日中、誰ともしゃべらずに、コンピューター画面に向かって、建築物の設計図のデータを黙々と入力する仕事は合っていた。磯村は、その設計図を作る部署にいる人間だった。
「有能なCADオペレーターがいるとは聞いていたけど、それって君のことだよね。ほとんどミスをせず、仕事は早くてていねいだって」
 磯村は、美希が舞い上がるような言葉を続けた。
「設計図どおりにデータ入力しているだけですよ。その設計図が正確で美しいから、立体的な建造物をイメージしながら打ち込むと、仕事が楽しくスムーズに進むんです」
「へーえ、そうなの。そんなこと言われたのははじめてだな。設計担当としても嬉しいよ」
 笑った磯村の視線が自分の胸元に注がれたのを、美希は見逃さなかった。会社では暑くても上着を脱がないでいるが、一人でいるときは脱いでいる。この日は、胸の形が露になるような薄い生地の白いサマーセーターを着ていた。
「もう一杯どう?」
 磯村は、ばつの悪そうな表情で美希の胸元から視線をはずすとグラスを見た。オレンジ色のカクテルはスプモーニだ。
「じゃあ、もう一杯飲みます」
 ふだんは一杯でやめておくが、この日は計算が働いていた。
「ああいう仕事をしていると肩が凝るんですよね」
 運ばれてきたカクテルグラスを見つめながら、美希はゆっくりと肩を回した。肩からつながった二の腕の筋肉が動き、大きな乳房もゆさゆさ揺れる。磯村がごくりと生唾を呑み込むのがわかった。
 美希は、生まれてはじめて自分の武器を使い、豊満な胸で男を誘惑する快感を味わった。
 頭の中に母親の言葉がよみがえる。
 ――世の中のどこかに、自分と結ばれる運命にあるたった一人の男がいるのよ。そう、赤い糸で結ばれた人。いつ現れるかわからない。お母さんの場合は、残念ながら、運命の人は結婚してあなたが生まれてから現れてしまったの。出会った瞬間、胸がきゅんとなる感覚があったわ。あなたにもいつか訪れるその感覚を信じなさい。
 美希の両親は、美希が小学校の低学年のときに離婚した。離婚の原因は、父親に女ができたことだった。しかし、美希が中学校に入った年に、母親はその運命的な出会いのもとに再婚した。
 義父も再婚で美希の母親よりひとまわり年上だったが、娘の目にも二人はラブラブの関係に映った。経済力のある義父のおかげで、美希は私立の高校にも志望した大学にも進学できたのだった。
「ラウンジ」で会ったその日のうちに、美希は磯村と結ばれた。運命の人と信じた相手ゆえに迷いは生じなかった。
 だから、関係を持ったあとで、「ごめん。実は、結婚しているんだ。結婚指輪をはめない主義でね」とあやまられても、少しも動じなかった。
 彼が結婚していることが間違い。そう思えたからだ。
 ――わたしこそがあなたにとっての運命の人。彼にも早くそう気づかせないと。
 そう心に決めた美希には、もはや怖いものなどない。何度かデートしたあと、「実は」と、ふたたび磯村が切り出したときも気持ちは揺るがなかった。
「実は、君とこういう関係になったとき、すでに妻のお腹の中には赤ん坊がいたんだ」
「それがどうしたの?」
(後編へつづく)

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新津 きよみKiyomi Niitsu

長野県生まれ。青山学院大学卒業後、旅行代理店勤務などを経て、88年に作家デビュー。心理描写の巧みなサスペンス、日常に潜むホラーに定評があり、『二重証言』『女友達』『トライアングル』『ふたたびの加奈子』など映像化作品も多い。近著に『夫以外』『シェアメイト』『二年半待て』『誰かのぬくもり』などがある。

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