双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著


のみ取り屋おたま脇ばたらき
その二~決闘! お玉ヶ池たまがいけ

 昼下がりの神社の境内けいだい
 お玉の身体からだがムササビのように飛んだ。
 ヒュンと風の音が追いかける間もなく、お玉は本堂の濡れ縁ぬれえんの上に降りている。
 生まれてからしのびの修行を積んだお玉のこの技、“飛燕ひえん”から逃れた者などいない!
 はずだったのだけど……。
 敵はあっさりとお玉の攻撃を交わすと、濡れ縁の下、縁石の上に移動している。
 そこでお玉をチラと見て、不敵に笑った。
 ――こいつ、できる!
 思う間もなく、お玉は第二の武器を繰り出している。忍の技“すずめ狩り”!
 お玉の手から投げられた時は、こぶし大の黒い手毬てまりだが、たちまち一人の人間をすっぽりと覆う投網とあみと化す。
「どうだ!」
 網の中でもがく敵にお玉は叫ん……。
 ありゃ? いない!
 網が捕らえたのは庭石のみ。
 敵は被さる直前、庭石から跳躍、地面に悠然と座っている。
 お玉はひらりと濡れ縁から降りる。
 敵もスルリと後ろへとずれる。
 お玉から微妙に距離をとっている。
 そこで、フニャア~ゴと声を上げた。
 ――なんだよ、おまえ、しつこいな
 まだらはそう言っているように聞こえた。
「あんたに用があるんだよ」
 お玉はまだらに告げる。ちなみに、こいつはノラで、まだらというのは、お玉が仮につけた名前だ。ひたいに傷があって、このあたり一帯の猫たちを仕切っている親分だ(たぶん)。
 間を置いて、まだらは「ニャゴ(俺はねえよ)」と答えた、たぶん、間違いなく。
 そのまま二人(正確には一人と一匹)は睨み合う。
 お玉とまだらとは、これで三回目、いや以前のを加えると五回目の対面となる。最初にまだらと会った時には、こんな関わりになるとは思いも寄らなかった。
 そう、数ヶ月前に、米屋ふじやの飼い猫タマの素行を調べるという、お玉の脇ばたらきを読者は覚えておられるだろうか。
 あの折、お玉は猫の集会に二夜続けて参加したのだが、それを仕切っていたのがこいつ、まだらだったのだ。
 実は、今度の脇ばたらきの依頼を受け、標的と指されたこいつを見た時には、すぐには思い出さなかった。
 まだら模様の猫はたくさんいる。二回目(って都合は四回目だけど、ややこしいので“依頼後”に統一します)に会って、額の傷を確認して思い出した。
 一回目も、その二回目もまだらにはたちまち逃げられた。
 そして今日ようやく三回目に、この神社にまで追い詰めたのである。
 最初に会った夜(集会の時ね)を思い出し、お玉は第三の武器を使うことにした。
 ゆっくりとふところから油紙を取り出す。
 まだらは瞬時に跳躍できる中腰で、お玉の手の動きを見ている。ウウウウウと唸り声。
 お玉はまだらが見えるように、油紙を開く。
 まだらは鼻をひくつかせた。
 あの夜、猫の集会で、お近づきの印にこいつを配った。真っ先にかぶりついたのが親分のまだらだった。
「ほら、こいつはあんたの好物だろ」
 お玉は指をひらひらさせる。かつおの削り節がゆらゆら揺れる。
 それからふわりとまだらの前に落した。くわえようとした瞬間に、飛燕で……!
 が、まだらはお玉から視線を離さない。そのままじりじりと鰹節に近づく。
 お玉は動かない。
 次の瞬間、お玉の身体が翔んだ。
 まだらのきばが鰹節をくわえている。
 お玉の右手が、まだらの背中をがっちりと掴んだ! と思ったら、短い尻尾がかすめていく。人差し指と親指の間に黒い毛が数本。
「こいつ、めすだったのか……」
 お玉が顔を上げると、まだらは濡れ縁の上で鰹節をぺろりと食べていた。
 ふんと笑って、のっそりと歩いて行く。ニャアアゴとひと声。
 ――修行が足りねえな……(じゃなく、たりないわね、が正確だが)。
 そう言って(たぶん)、たちまち木陰に消えていった。
「まだら! 次はあたしが勝つからね!」
 お玉は立ち上がってキリキリと歯噛みした。
 生まれ育った戸隠とがくしの忍者の里では、猫を相手に修行をした。飛燕や雀狩りを会得したお玉が、猫に負けることはなかったのに……。
「おねえちゃん、猫取り?」
 声がして振り返ると、三味線袋しゃみせんぶくろを背負った銀杏返いちょうがえしの町娘がにらんでいた。十歳になるかならないか。
「あ、違う」
 なんてこった。敵との戦いを、他人に見られたまま気づかないなんて……。
 くの一の役目から抜けて、江戸で蚤取り屋なんぞをやっているうちに、すっかりなまってしまったとしか思えない。
 娘は疑いを消そうとせずにふんと笑った。
「そうだよね、あの子の皮じゃ、三味線にはならないよね、年だし傷だらけだし」
「そう、まだら……いや、あの猫を知ってるんだ?」
「たまに見かけるよ。子どももたくさん産んだって、おはなちゃんが言ってた」
「飼い主がいるの?」
「うーん、いないと思うよ。でも、食いっぱぐれはしない。あちこちで餌もらっている」
「そうか、やっぱり。生粋きっすいのノラか……どうして捕まえるか」
「ひどい」
 娘はお玉をまたきつい眼で睨む。怖い。
「あ、あいつはね、人相書が出てるくらいの悪なのよ。ほら」
 袖から折りたたんだ紙を出して拡げた。中村なかむら某家の女中が描いた、凶暴そうに歯を剥き出し、額に傷のある顔と、まだら模様の全身。
「へたくそ。どうして悪なのよ? 好きに生きてるだけのノラなのに」
 この娘は妙に賢い。
 お玉は考えた末に事情を話すことにした。味方につけたほうがよさそうだ。
 三日前のことだ。
 お玉は八丁堀はっちょうぼり定町廻じょうまちまわり同心、岡倉市平太おかくらいちへいたの屋敷に行った。
 ここにはゴンベエという十歳は超えているキジトラ猫がいて、お玉が取っても取っても蚤を貰ってくる。
 蚤取り屋という稼業は、冬の間は懐にも寒風が吹く。そりゃそうだ、取りたくても肝心の蚤がいなくなる。春の陽が満ちてくるにつれて、ようやく跳ね始めて数を増やし、お玉にも声がかかるようになるわけだ。
 ただ、岡倉とお玉には、ゴンベエの定期的な蚤取りだけでなく、別の繋がりがある。
「ちょうどよかった。おめえに頼みがあるんだ」
 岡倉は駆除後のゴンベエの湿った腹を右手でバタバタさせながら、左手の指で鼻毛を抜き、フッと飛ばす。
 その癖さえなければいい男なのに、とお玉はいつも思う。
「今度は何ですか? 見世物みせもの小屋のろくろ首女の素性すじょう? お堀に出た河童かっぱ騒動? 柳橋の売れっ子芸者の間夫まぶを探る、それから……」
「俺がそんなことをさせたか?」
「させた、させた、させました。いつも“ちょうどよかった、おめえに”から始まって」
「そうだったかなあ」
「で?」
「今度はおめえにぴったりだ。猫だよ」
「猫……蚤取り?」
「違うよ、下手人げしゅにんじゃねえな、猫だな、下手猫を捕まえるっていう簡単なことだ」
「下手、猫?」
「内神田の中村かつ……いや、名前はいいや」
「何でです?」
「表向きにしたくないんだな。武士が猫に恥をかかされて成敗するなんぞ、いい笑いものになるだろ」
「成敗するんだ?」
「そう言ってたな」
「そのために猫を捕まえるなんて、気が進まない。その猫が何をしたか知らないけど」
「いいから、おめえは俺の言うとおりに猫を見つけて、とっ捕まえてくればいいんだ」
「岡倉さんとその中村さんは……」
「お玉ヶ池だよ。中村の屋敷もすぐ近くだ」
 岡倉はゴンベエを膝から下ろすと立ち上がり、刀掛けから大小を腰に差した。
「行くぞ、お玉ヶ池だ。そういえばおめえはお玉だったな。お玉と行くお玉ヶ池か」
 鼻毛を飛ばすと、岡倉がへらへらと笑った。

 八丁堀から江戸橋えどばしを渡って、内神田に行く間に岡倉は事件のあらましを述べた。
 お玉ヶ池というと、有名なのはここにある千葉周作ちばしゅうさくの剣術道場玄武館げんぶかんのことだけど、岡倉とその中村某は稽古仲間だという。
 中村某は、それなりの石高こくだかのある旗本で、すぐ近所に屋敷がある。それをいいことに、岡倉たち気心の知れた門弟は、稽古が終わると茶(酒だろ、とお玉は思ったが口には出さなかった)を飲みに寄っていた。
 数日前、帰ろうとした岡倉を「頼みがある」と中村が呼び止めた。ひどく深刻そうな顔をしていた。
「ただならぬことだ、と思ったらよ」
 岡倉は思い出し笑いをする。
 定町廻り同心の岡倉を見込んでと言いながら見せたのは、古ぼけた陣羽織じんばおりだった。
「俺はよう、“なんでえこりゃ、ずいぶん汚ねえな”と言ったら、中村は真っ赤な顔をして怒ったよ」
「ひと言多いのは岡倉さんの性分ですよ、それで相手を不快にさせるんです」
 ふんと鼻で答えて、岡倉が話したあらましというのはこうだ。
 その汚い陣羽織には由来があって、中村家の家宝なのだという。先祖が大坂おおさかの陣に参戦した折に、手柄をあげて徳川とくがわ側の本多忠政ほんだただまさ直々じきじきに下された。以来中村家では折々の親族を呼ぶ催しごとの度に、床の間に飾って披露されていた。
「それがこの有様よ」
 と中村が見せたのが、背中に幾筋も刻まれていた裂傷だった。
 中村の父が隠居願いを出し、本人が正式に中村家を継ぐことになった。そのお披露目の式で陣羽織が飾られ、親戚一同の了解を得て晴れて五百石の旗本となる。
 中村の母が奥女中に命じて、陣羽織の虫干しをさせていた。うららかな春の日で、おふじという名のその奥女中は、陣羽織の側でわずかなとき、居眠りをした。
 バリバリという音でお藤は我に返った。音は陣羽織からしていて、ふいと見ると、一匹の猫が飛び出してきて、庭へと逃れた。
 まだら模様のノラ猫で、屋敷内外を我が物顔で歩いているのを何度か目にしていた。
 お藤は床に投げ出されている陣羽織の背を見て悲鳴を上げた、
「そのノラが、陣羽織で爪をいだっていうんですか?」
「そうだろうよ」
「ずいぶんやわな陣羽織だこと」
「年代物だからな」
「で、そのノラを、成敗するために捕まえるっていうんですか?」
「お藤は“私の手落ちでございます。死んでお詫びを”と、中村と両親の前で小柄こづかのどに当てようとしたそうだ」
「お侍なら腹を切って……ってやつか。ほんとあほらしい」
「おめえなあ、くの一ってのは、そういう侍に使われるんだろ」
「あたしは今は忍ではありません。ただの蚤取り屋でござ~い」
「面倒くせえなあ。ま、その話はいずれってやつで、今は下手猫探しだ」
「なんか、に落ちないなあ。猫を成敗したってしょうがないでしょうよ」
「中村は隠居する親父と、夜を徹して話し合って決めたらしい。お披露目の際に、親戚に見せないわけにもいかない。隠したところで潔くない。ならば、不始末を正直に述べて、中村なりのけじめとして下手人……猫、だな、そいつを討ち取ったことを示すことにした」
「え~え~、あほらしい、ますます」
「真実を明かして、陣羽織を見せて、親戚たちが許さぬと言うならば、親父殿が腹を切って許しを得るそうだ」
「それなら下手猫なんてなくても」
「そうもいかぬ、ってのが武士ってやつだよ」
「自分だって侍のくせに」
「おめえ、誰に口をきいている? おっ、着いた、ここだ」
 岡倉は土塀どべいで囲まれた武家屋敷の前で立ち止まった。
 お玉が顔を上げると、待っていたかのように、白い影がひょいと土塀の上に現れた。
「あ、あいつだ。下手、猫……」
 岡倉の声に、フニャゴと鳴いて、白に黒の斑点を全身に散らした猫が振り向いた。
 お玉は瞬間、土塀脇に積まれたたるを足場に跳躍した。猫のいる塀の上にすとんと降りる。
「お、さすが」と背中で岡倉の声。
 が、猫はすでにそこにいない。中村家の敷地に降りて、植え込みの陰に隠れた。
 それがお玉とまだら猫の一回目(本当は三回目だったんだけど)の遭遇である。
 猫の姿は植え込みに消え、ニャオという鳴き声だけが聞こえた。

(第8回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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