双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著

あちきは猫でありんす

「“わっちは猫でありんす~”って面してやがるな」
 ふんどし一丁で、どてらを羽織った男が、煙管キセルの火を灰吹きにぽんと落として言った。
 江戸に初雪が降った翌朝で、ひどく冷え込む。雪はすっかり溶けてしまったが、寒さはこの吉原京町よしわらきょうまち二丁目にも、どかんと座り込んだようだ。
「わっちやのうて、あちきでありんすえ」
 浮雲うきぐも姉さんがそう言って撫でるので、あちきはウニャとだけ応えてやる。男からは手を伸ばしても届かない座布団の上、この部屋で一番暖かい火鉢の脇から動かない。
「あちきだあ? そいつがこの不細工な野郎の名前かよ」
 てめえよりずっと様子がいいけどね。
「あい、雄の白猫やし、初めて見たときに、あちきやと思いなんした」
「何で、雄の白猫があちきになるのか、よく分からねえやな。まったく、ややこしい名前をつけやがる」
「ややこしくっても、あちきでありんす」
「そういえば、花魁おいらんと猫っていえば、三浦屋みうらや薄雲太夫うすぐもだゆうだな。飼ってた猫は、三毛猫のたまだったんだろ」
 突然懐かしい名前が出たので、顔を上げてニャアォと鳴いてやった。
「なんでえ、おめえは薄雲の贔屓ひいきかい?」
「それは昔の話なんし。ここは三浦屋やのうて、三浜屋みはまや、わっちは薄雲やのうて、浮雲でありんす」
「そうだな、おめえも花魁じゃなくて、今は同じ吉原なかでも中見世ちゅうみせのただの女郎だ」
「ごめんなんし、花魁やのうて……」
「お、すまねえ、そういうつもりで言ったんじゃねえよ。俺はよ、おめえが夜鷹よたかになろうが、馴染みでいてえんだよ」
「夜鷹は嫌でありんす」
「すまねえな。俺がもっと稼げれば、おめえをこんな見世に置いとかねえんだが」
よしさん、その気持ちだけで、わっちはうれしんす」
 浮雲姉さんは寝床で読んでいた本をぱたりと閉じると、あぐらをかいている男の膝に頭を乗せた。そうだった思い出した。こいつの名前は芳さんだ。
 芳さんはにっこり笑って、浮雲の頬をひとさし指で撫でた。
「もう一回、しなんすかえ?」
「もう夕方のにぼしだ」
「なんざんすか、それ?」
「からっからよ、絞っても何もでねえ」
「芳さんは妙なお方」
 浮雲姉さんはふふっと笑う。
「それよっか、描きたくなったぜ」
 芳さんは枕元に置いてあった帳面ちょうめん矢立やたてを引き寄せ、筆を出すと、さらさらと膝の上の姉さんの顔を描いていく。
「見せておくんなんし。何を描いていたんすかえ?」
「見ねえほうがいいぜ」
「あれ、いじわる」
 見せる見せないで、二人はやりあっている。
 そういえばこの芳さんは、絵師だとかいっていた。売れていないらしい。
「あれまあ、いつの間に描きなんしたか?」
 頬を赤くして浮雲は帳面を繰っている。
「おめえはカラッカラ……じゃねえな、そっちは俺のをみんな吸い取って、たぷったぷっだな。そいでもって、満ち足りてぐっすり寝てた時さ」
「いやでありんす。でも夕べはずいぶんと、芳さんは……怒っていなんした」
「ああ、ここへ来る前に、ちょいと嫌なことがあってよ。むしゃくしゃしてたんだ」
「ご気分はなおりなんしたか?」
「おめえに会えて、またやる気になったよ。描きたくなった。こいつは枕絵だが」
 二人で今度はケラケラと笑う。
 帳面には、あちきがこの部屋に潜り込む前の“しなんすかえ”の“しなんした”ってやつが、何枚にもわたって描いてある。
 猫は人間のいう盛りがつくってのは、せいぜい年に一、二回だけど、人間ってのはのべつだからあきれる。鼠並みに下等な生き物といえる。
「こっちのほうが売れるんでありんすか?」
「うん、背に腹は代えられねえしな。枕のほうならひとまずまとまった銭になるんだ」
「そうしたら、また来なんすか?」
「おう、真っ先に飛んでくるよ」
「うれしんす。芳さん」
 芳さんの描いた“しなんした”の絵を見ながら、互いをくすぐっている。
「芳さんはきっと売れなんす。わっちは芳さんの絵、大好きでありんす」
 浮雲がしみじみと言う。
 芳さんの絵のどこがいいのか分からない。半年ほど前だったか、大見世で会った歌川国貞うたがわくにさだとかいう絵師のほうが、達者で上品だった。ただ、芳さんの筆は勢いがある気もする。
 あの頃は、あちきはシロという名前で、花魁の紅陽こうように飼われていた。
 でも紅陽花魁はむらっけで、寝起きが悪く、あちきを蹴飛ばすもので、こっちから引導を渡してやった。浮雲姉さんのところに潜り込んだら、ずいぶんとかわいがってくれたので、ここにいることにした。
 この吉原ってところは格式ってやつがあって、紅陽花魁がいるような大見世には、登楼とうろうするだけで段取りも金もかかる。
 初見の客は引手茶屋ひきてぢゃやで宴会をやってから、芸者やら太鼓持ちやら若い衆を引き連れて大見世に行く。そこで初めて花魁と顔合わせをする。初会からすぐにお床入り、とはならない。裏を返すとかで、二回目も同じような手順を踏んで、花魁が「よござんす」となって三回目にようやく……となる。
 それに比べて、浮雲姉さんのいる中見世は簡単で、お客が細格子の向こうにいる遊女を指せば一夜の妻になってくれる。姉さんも、以前は大見世の花魁だったこともあったとか。それが悪い男に引っかかって、余計に借金を作って、こっちに移るはめになった。よくある話だ。
 もっと下の河岸近辺には、切見世きりみせってのもあって、こっちじゃないだけましだ。
 考えてみると、大見世に来ていた国貞と、馴染みとはいえ中見世に来てるこの芳さんでは、どっちが絵師として売れているかがおのずと分かる。
 国貞って絵師はなかなかいいやつだった。あちきを見つけると、「おお、シロじゃねえか」なんて猫撫で声で抱いてくれたし、鯛の刺身なんぞも分けてくれた。国貞が売れているのは、あちきを大事にしたからだろうな。それに比べてこいつはダメだ。
「芳さんは、何で猫が嫌いなんすか?」
「嫌いってわけじゃねえがよ。ガキの頃に金玉かじられたんだ」
 芳さんは、鼻息を鳴らして、眉を寄せてあちきを見ると、しっぽを引っぱろうとしやがった。あちきはするりとかわすと、のっそりと立ち上がる。
 てめえの金玉なんぞかじる猫は、ろくでもねえが、かじられるだけのことをしたにちがいない。
 芳さんが大きなあくびをしたと同時に、明け六つを告げる鐘が鳴った。
「おっ、朝かよ」
「もう、帰りなんすか?」
「また、来るよ。こいつが売れたらな」
 芳さんは画帖を掲げる。
「売れなんすよ、きっと」
「何かよう、もっといいもんを描かなくっちゃな。俺しか描けねえもんを……」
 芳さんは立ち上がろうとして、姉さんが読んでいた黄表紙本を手に取った。
「お、こいつは、馬琴ばきんの……」
「あい。『傾城水滸伝けいせいすいこでん』ざんす。おもしろくって、どきどきしなんすえ」
「こいつは売れたんだ。最初の版は師匠が挿絵を描いている」
「あれ、まあ豊国とよくに先生でありんしたか」
「……水滸伝か」
 あちきはニャアと鳴いた。腹が減ったからだけど、芳さんが妙な顔で、まじまじとあちきの顔を見た。
 せっかくなので、ちょいと薄雲太夫と玉のことを話しておこう。人間どもの数え方でいうと、元禄の時代っていうから、もうかれこれ百三十年ほども前のことだ。
 その頃、吉原の花魁は太夫たゆうと呼ばれていた。
大見世三浦屋の薄雲太夫は、かの高尾たかお太夫と一、二を争うほどの遊女だった。
 薄雲が飼っていたのがあちき、じゃあねえや、玉って三毛猫。薄雲と玉は一時も離れないほどに仲がよかった。花魁道中の時も、禿かむろに抱かせて一緒に歩いたし、座敷にも連れていった。
 あんまりかわいがるもので、「薄雲はあの猫に取り憑かれている」なんぞという陰口まで叩かれる始末。
 今も昔も、猫を魔物扱いする人間はいるものだ。ま、否定はしないが……。
 ある時、薄雲がかわやに行こうとするのに、玉が足もとにまとわりついて離れようとしない。
 かねてより玉を嫌っていた三浦屋の主が、無理に引き離そうとしたが、爪を立てて暴れた。怒った主は脇差しを抜いて斬りつけた。
 するってえと、玉の首と身体が真っ二つに分かれた。飛んでいった首は厠に転がり込んで、そこに潜んでいたでっけえ蛇の首に喰いついて、退治した。
 薄雲は玉のおかげで命拾いをしたってんで、ねんごろに弔って、それだけでは済まずに、高価な伽羅木きゃらぎで玉の姿を彫った。そいつが浅草あさくさの奥山あたりで売ってる招き猫の元祖になった、っていうわけだ。
 この話のおおかたは、誰かがこしらえたホラ話だ。吉原近辺で縁起物ってんで、招き猫を売り出した商売人がいて、こんな話がでっち上げられたんだな。
 もっとも、薄雲大夫が三毛猫を溺愛していたというのは嘘じゃない。玉ってその猫は、妙な評判が立つと勝手に思い込んだ三浦屋の主が、猫取りに売っちまいやがった。三味線の皮になっちまったってことだ。
 薄雲はずいぶんと嘆いて、吉原土手の入口にある西方寺さいほうじに頼んで、供養して墓まで作った。主に愛想尽かした太夫は、さっさと身請話に乗っかって嫁いでいった。それから薄雲とは一度も会わなかったなあ。
 えっ、さっきからお前の話は妙だって?
 そうか、おめえらは人間だったな。つい、猫の寸法すんぽうってのが混じってしまった。
 こういうことは人間には話さねえことになってるんだ。説明してもおめえらには理解できないからさ。
 ま、端折はしょっていうと、猫ってのは、本当はな、死なねえんだ。
 でも死ぬだろって? 薄雲の玉も死んだじゃねえか……。
 だからまあ、人間から見ると死んじまったということで、猫は死んでねえんだな。おめえらの言い方をするなら、姿が変わったってことだ。生まれ変わりみてえなもんだ。
 俺、じゃねえやあちき、今はあちきだが、薄雲太夫のことや玉のあれこれを知っているのは、ま、そういうこったな。
 薄雲はそりゃあ、いい女だった。
 この吉原ってところは、可哀相な女ばっかりだが、薄雲は恵まれていたほうかもしれねえ。それもこれも、玉って猫をかわいがっていたせいじゃねえか、と思うよ。
 招き猫ってわけじゃないが、猫をかわいがっていると運が転がり込む……ってことになっている。そういうことにしておこう。
 ほんとのことをいうと、人間の運ごときに、猫は関知しねえ、たぶんだけど。
 猫ってのはな、人間のいうところの人知ってのをはるかに超えた生き物なんだ。人の運不運なんぞ、知ったことじゃないね。
 眠くなったから寝るよ。あちきが何で吉原の猫をやっているかって?
 さあな、忘れたよ……。
 浮雲姉さんなら、側にいるよ。風邪を引いたらからって生姜湯を飲んでる。『傾城水滸伝』も読み終わって、ため息ついてる。あれから芳さんは来ないからね……。
 お、また降って来やがったな、冷えるぜ、眠い、眠い……。
 何度目かの雪が降って、吉原もすっかり雪化粧だ。
 猫は雪が嫌いだ。中には平気ってやつもいなくはないが。こうやってあったけえ火鉢や炬燵こたつの側で春の来るのを待つのよ。
 あちきをかわいがっている浮雲姉さんは、妙な風邪をもらっちまって伏せってる。
 もう三日も客をとってねえ。遊女が客をとらずにいるってことは、その間の揚げ代を店に払わなくちゃいけねえってことだ。一日だって休めば、借金が膨らむって仕組みになっていやがる。
 でもよ、そうしたらあいつが来たよ。
 客はとれねえって遣り手婆が告げても、「構わねえ。揚げ代は払うよ」って。
 ついでにいっとくが、この遊女あがりの婆は、ヤな女だよ。あちきを見ると、「猫が嫌いな客だっているんだよ。出ていきな」って叩こうとしやがる。近いうちに階段から転がり落ちたりするね。そのままあの世に行っても、あちきのせいじゃない。
 いつものようにあちきは、火鉢の横の座布団に鎮座して、浮雲姉さんの看病さ。猫は病人の横にいるだけで、頓服とんぷくを置いていくだけの医者よりよっぽどいいんだぜ、知らなかっただろ。
 そうしたら、芳さんがどかどかと上がってきて、襖を開けて覗き込んだ。
「あれ、まあ、芳さん、わっちはお相手はできんせん」
 それでも姉さんの顔がぱっと輝いた。
 遊女が客に惚れたってのは嘘と相場が決まっているが、姉さんは本気のほの字のようだ。前もそれで痛い目にあって、中見世の女郎に堕ちたってのに、懲りないものだ。
「何でえ、風邪かい。いいから、寝てな」
 芳さんはどてらの肩に残った雪をバタバタと叩く。
「もう、来てくれないかと、わっちは悲しゅうありんした」
「すまねえな。ようやくだ。ずっと来たかったんだぜ」
 芳さんはそういうと、どかりと火鉢を抱くように座った。
 あちきは挨拶代わりに、でも迷惑そうにニャゴと鳴いてやった。
「おめえは相変わらずだな。少しは役に立ったらどうだい」
 と煙管を取り出す。てめえよりは役に立ってるんだが、ま、説明しても聞かねえな。
「ずいぶん、ご機嫌ざんすね」
 起きようとして姉さんはゴボゴボと咳をする。昨日よりも辛そうだ。
「寝てなよ。それよっか、こいつを見な」
 芳さんは大きな画帖を拡げた。中に刷り上がったばかりらしい、数枚の鮮やかな浮世絵が挟んであった。
「あれまあ、これは!」
 姉さんが思わず声を上げた。あちきは猫なので、特別に反応はしねえが、まあ分からなくもない。なかなかなもんだ。
九紋龍史進くもんりゅうししんだ。こっちは花和尚かおしょう。おめえは知ってるよな。水滸伝の豪傑百八人を描くことにしたんだ。どうでえ、すげえだろ」
「あい、史進さんの彫り物って、こんなだったんざんすか?」
「何しろ唐土もろこしの、それも昔の話だぜ。九つの青龍っていうんだからよ、全身に散りばめてやったぜ」
「まあ、しっかりと一勇斎国芳いちゆうさいくによし画って名前も入っていなんす」
「ようやく名前負けしねえ、絵が描けた。こいつも浮雲、おめえのおかげだよ」
「わっちの?」
「ずっとくすぶっていたからな。この前の時もここに来る前に、嫌なことがあったんだ」
「そうでありんしたな」
「今なら話せるぜ。あの日はよ、版元に役者絵を持っていったが、いい顔されずに、画料も値切られてな。腐った気分のまんま、柳橋やなぎばしを渡ろうとしたら、下から俺の名前を呼ぶ女の声が聞こえた。“国芳師匠~”ってな。見ると、三味線鳴らしながら、屋根舟が大川おおかわに漕ぎ出そうとしてるとこよ。呼んだのは顔見知りの芸者だ」
「へえ」
「そうしたら、屋根舟のすだれ捲って顔を出したのは国貞の野郎よ」
「歌川国貞……せんせい」
「おめえには話したかなあ。俺が歌川の豊国師匠の門を潜ったのは十五の時だ。筋がいいと褒められて、たったの三年後に挿絵を描かせてもらった。だがよ、俺の絵は一向に売れねえ。あれから十五年も経って、三十路だってのによ、相変わらずの鳴かず飛ばずの貧乏絵師のまんまよ」
「でも……」
「まあ、聞けや。俺をあっさり追い抜いて、売れっ子になりやがったのが国貞だ。そいつが屋根舟を仕立てて、芸者引き連れて派手に川遊びって趣向だ。俺を呼んだ芸者がいいやがった。“国貞先生、国芳さんもご一緒させてあげて、いいでしょ”とな」
「まあ……」
「国貞の野郎が、笑いながら抜かしやがった“おい、芳! 来いよ、太鼓持ちが抜けやがってよ、一膳、余っているんだ”」
「……そんなことが」
「はらわた、煮えくり返るってやつさ」
「わっちも、分かりんすよ」
「そうか? そうだな……」
 芳さんこと国芳は唇を噛む。
「それで、わっちをずいぶんと」
「すまなかったな。あの夜は、身体の中に溜まったどす黒いもんを、全部吐き出したかったんだ」
「わっちはうれしなんしたえ」
「おめえはいい女だな」
「芳さんに惚れていなんすから」
 コホンとひとつ咳をして、浮雲姉さんは肘をついて国芳を見上げた。
「あっ!」
 国芳は姉さんの身体を抱き起こすと、そのまま姉さんの唇に自分の唇を押しつけた。
「……風、邪、が、うつり……」
 と拒もうとしたのは一瞬で、姉さんのほうから国芳の頬に手を当てて離そうとしない。
 吉原の遊女は、口吸いだけは客に許さないってことになってるのによう……。
 あちきは見て見ぬふりで眼をつぶる。
 どれだけの間、二人は口吸いをしていたのだろう?
 うっすらと眼を開けると、姉さんは枕に頭を乗せて、枕元の国芳の顔をうっとりと眺めている。国芳は姉さんにこくりと頷くと、
「ここでよ、おめえが読んでいたのが馬琴の『傾城水滸伝』だったじゃねえか」
「そうでありんした」
「それでよ、俺はこれだ! って思ったのよ。今こいつが売れてるなら、俺が派手な絵にしてやろうってな。胸ん中の、ずっと晴れなかった思いをぶつけて描いたんだ」
「それでこんなに……見事ざんすね」
 浮雲姉さんがしみじみと国芳が手にした絵を見る。史進が棒で敵を組み伏している絵と、花和尚こと、魯智深ろちしんが鉄杖で松の木を木っ端みじんに砕いている鬼気迫る顔。
「版元の顔をおめえに見せたかったぜ。俺よりも熱くなりやがってよ。早いところ次を描け、どんどん売り出すってよ」
「……」
 急に姉さんは手拭いを口に当てた。咳き込むのかと思ったら、泣き始めた。
「わっちの見込んだとおりでありんした。芳さんはきっとひとかどの絵師になりんすと」
「売り出すのはまだこれからさ。売れるといいがな」
「売れなんすよ。これなら」
「ようやく自信が持てたよ。おめえのおかげだ。真っ先に見せたくてよ」
「ありがとう……うれし」
 そういって浮雲姉さんは苦しそうに咳をした。国芳が背中をさする。
「もうちょっと待っててくれ。俺が金を作ってきっと、おめえを迎えにくるからよ」
 そこまで聞いて、あちきは起き上がり、大きく伸びをした。小便をしたくなったからだが、あちきがいてもしょうがないし。
 浮雲姉さんがわざわざしつらえてくれた、明かり採りの窓の下が、潜り扉になっている。
 あちきは姉さんの咳を聞きながら外に出た。
 まだ雪が降ってやがる。

(第6回につづく)

バックナンバー

柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop