双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著

あたいは招き猫にゃんだからね

 人間たちは、「もうすぐ正月だ」となると、やたらとせわしいのよ。
 あたいたち猫には、暮れも正月も関係にゃいからね。でも、人間たちの浮かれぶりは呆れるけれど、微笑ましくもあるわね。
 あたいも今度のお正月で三度目なのね。一度目はまだ子猫だったので、ほとんど何も覚えてないわ。
 二度目は、まあ……。
 あれ? どんなだったかにゃ?
 ええっ〜と、あ、思い出したわ、正月だけの食べ物よ。なんていったかしら……そうそう、〝喰積くいつみ〟。
 近ごろ江戸の町人の間でも、年末にまとめて作っておいて重箱に詰めて、お正月に家族で食べる、ってのをやるようになったのね。それが喰積、〝おせち〟って言い方もあるみたい。
 お城とか、旗本屋敷でやってるのを、いつしか庶民もまねるようになったって聞いた。にゃんでそんなことするのか、猫にはよく分からないわ。お正月ってのはめでたいからだっていうけど。
 人間たちは、わざわざ下ろしたての祝いばしってので、そいつを突っつきながら、お酒飲んで酔っ払ったり、お雑煮ぞうにっていう、にゅ〜あんとしたおもちの入ったお椀物わんものを食べたりしてたわね。
 ほろ酔いの羽織はおりのお客が、あっちの家とかこっちの家とかまわって、おぜんやらお雑煮やらをご馳走ちそうになるのよ。
 まあ、あたいも毎日、あっちゃこっちゃ、ご近所廻りで、いろいろと食べさせてもらってるんで、毎日がお正月だわ。おいしいものにありつけば、おめでたいわね。
 でも、喰積ってのは、あんまりおいしいものはないのよ。田作りくらいかしら。黒豆にきんとん、たたき牛蒡なんて、猫の舌には合わにゃいもんね。
 お雑煮だって、うちのはおすましで、小松菜こまつな里芋さといもと大根にお餅なのよ。かつおだしのお汁にはちょっとそそられるけど、お餅なんて一度間違ってかじったら、歯にくっついちゃって離れなくて死にそうになったわ。
 え、何? そんなことをして、後ろ足で立って踊った猫の話を聞いたことがあるって? あたいは知らにゃいわよ。
 暮れも押しせまったのに、うちのおかみさんは、喰積もお雑煮の支度したくもしてないわね。去年はいつやってたのかしら?
 言い忘れたけど、あたいの飼い主は、内神田豊島町うちかんだとしまちよう髪結床かみゆいどこ浮床うきどこや」の多八郎たはちろう親分なのよ。というか、もっぱらあたいにえさをくれて、台所のかごに寝床をしつらえてくれるのは、おかみのおいささんのほうだけど。
 多八郎親分は髪結床のあるじで、ちゃんとした髪結いにゃのだけど、〝親分〟っていわれるのがたまらにゃいみたいで、剃刀かみそりよりも十手じつてを手に、元結もとゆいよりも捕りなわで縛るほうが熱心なの。すっかり、定町廻じようまちまわり同心の岡倉市平太おかくらいちへいたさんにうまいこと使われてるのね。
 そうそう、そうなのよ、多八郎親分は岡っ引ってのをやってるのよ。親分って呼ばれてえつってるっていったけど、ついたあだ名が〝うきどこタコっぱち親分〟ってんだから笑っちゃうでしょ。
 名前が似てるってだけじゃなくって、丸顔で髪が薄くて(髪結いなのに)、口とんがらせるんで、たこそっくり。それも、空に浮かぶたこみたいにふわふわ歩くんで、タコっぱちよ。
 でね、おいささんは、〝タコに小判〟って言われるほどに不釣り合いな美人なのよ。ついでに、あたいは真ん丸顔のおっきな眼で、黒と茶と白の案配が絶妙な三毛猫ね。
 髪結いの浮床やだけど、弟子の六ノ助ろくのすけに任せっきりなのね。それだけじゃなくて、女房のおいささんが、とっても腕のいい女髪結いなのよ。
 おいささんは看板出してないけど、柳橋やなぎばしの芸者さんや、三味線しやみせん常磐津ときわづ清元きよもとなんかのおっ師匠しよさんがおなじみのお客なのね。昼過ぎあたりから、こうしたお客さんが次々と髪を結ってもらいにくるの。
 芸者さんやおっ師匠さんは、表通りに面した浮床やの店先を通り過ぎて、路地をぐるっと廻って裏口から入って、籠で寝ているあたしの頭をにゃんと撫でて、おいささんの座敷の鏡の前に座るってわけ。
 店先で六ノ助に髪を扱ってもらってる客が、「おっ、梅丸うめまるねえさん、今日もお座敷かい?」とか「師匠、おいらにもばちの握り方教えてくんねえ」みたいにひやかすのよ。おいささんがそれを聞くと、道具を箱から出したり、火鉢の湯加減をみたりするのね。
 浮床やよりも、おいささんの稼ぎのほうがいいくらいで、タコっぱち親分は、好きな岡っ引稼業をやってられるって、もっぱらのうわさなのね。髪結いの亭主ってやつよ。
 でね、おいささんのおなじみの客は、他にもいるのよ。にゃんと、そいつは……。

「そいじゃあ、多八郎がまだ調べてるのか?」
「そうなんですよ。死んだおたきさんは、だいぶ前からお腹の下のほうにできものがあって、お医者からもお正月は迎えられない、って言われてたくらいだから」
 ってなふうに受け答えしながら、おいささんは、ひざの上に毛受けを置いているさむらいほおに剃刀を当てて、すりすりと剃っていく。
「だよな、お滝は、ぽっくりってたんだろ。何を調べていやがるんだ?」
「旦那、剃刀使ってるとこですから、しやべんないで下さいよ」
 とおいささんは、眼を三角にしながらしかる。
「うん、すまねえ」
 と岡倉市平太。
 あたいはおいささんの部屋の隅で、いつものように毛繕けづくろいしながらおいささんと、八丁堀はつちようぼりの同心の会話を聞いてた。
 そうなのよ。女髪結いが男、それも同心の髪をいて、月代さかやきやら頬に剃刀当ててんの。
 あたいら猫にはどーでもいいんだけど、江戸では男の髪は男の髪結いが、女は女髪結いが、って決まりがあるんだって。
 それもよ、芸者さんとかおっ師匠さん、吉原よしわらの遊女さんとかの髪を美しく結い上げる女髪結いが現れたのは、数十年前なんだって。それがきっかけで、商家の女将おかみさんとかも、女髪結いに頼むようになったのね。
 髪は自分で結うもの、っていう理屈なのか、女の髪結いが稼ぐのはけしからん、ってことなのか、よく分からないけど、お上から禁令がたびたび出たんですって。
 でもね、岡倉さんって、取り締まる同心のくせに、多八郎より六之助よりも、女房のほうがうめえって、ほとんど毎日お昼前にここに来ちゃあ、おいささんに髪を結わせてるの。変なおさむらいよね。
 岡倉さんの頬から鼻の下、あごへと剃刀を当ててる時は、二人ともじ~っと黙ってる。
 言い忘れたけど、おいささんは二十なかばの女盛り、岡倉さんは三十路みそじに届くかどうかで、何年か前に奥さんと離縁したまんまのひとりもんって聞いてるわ。
 その女と男が、息がかかるくらいの近さで顔と顔を合わせてんのよ。ちょっとドキドキしないかしら。あたいと裏の寅吉だったら、ぺろりとひと舐めだわ。
 でもあっさり剃刀を置くと、おいささんはほどいた岡倉さんの髪をくしで梳き始める。会話は再開ね。
「お滝ってのはいくつだったんだ?」
「五十半ばって聞いてます」
「で、死にそうだったお滝が、案の定、ある朝くたばってたんだな」
「いやですよ、旦那、くたばってたなんて」
「何だよ、人間はいつかくたばるさ」
「あ、そうそう、お滝さんが亡くなってるのを見つけたのは、あの子なんですよ」
 と、おいささんが梳き櫛であたいを指した。
「なんでえ、かもじかい」
 って岡倉さんがあたいを見た。そうなのよ、あたいはここんちでは、〝かもじ〟って呼ばれてるの。
 かもじってのは〝髢〟って書くけど、女が髪を結ったり、垂らしたりする時に、地毛が足りないとくっつける添え髪のことね。そうそう、かずらみたいなもの。あたしは三毛なのに、かもじって名前はどうかと思わない? 黒猫ならともかく。
「猫も役に立つんだな。こいつが顔洗ってると、招き猫みてえだが」
「この子は可愛がられてるんですよ。撫でるといいことがありそうだって」
「うちのゴンベエはただのぐうたら猫だけどな。どうやって仏さんを見つけたんだ?」
 岡倉さんが尋ねるので、あたいはニャって鳴いてやった。
 あれは五日ほど前だったかしら。
 お滝さんは浮床やのある通りから、二つほど路地を入った長屋の入り口で一人暮らしていたのよ。
 お滝さんの稼業かぎようってのが変わってて、お札売りなの。元々は滝丸たきまるって深川ふかがわの芸者だったんだけど、三十手前で日本橋にほんばし扇問屋おうぎどんやの主にひかされてめかけになったのね。
 十年くらいはのんびり囲われてたけど、旦那がぽっくり死んで、残してもらった小金で、縁起物の扇やらお札やらを売る店を始めたのね。
 お札もいろいろあるのよ。雷避かみなりよけとか風邪かぜよけとか、家内安全、無病息災ってのも。それから富札とみふだも売ってたわね。
 お滝さんが扱っていた富札は、興行している神社や、札屋が扱う正規のじゃなくて、何人かでお金出し合って買う割札わりふだだったわね。だって、富札って一枚一分とか、一番安いのでも二朱もするんですって。
 〝二朱持ったら飛んできな湯島ゆしまの富は六百両〟って俗諺ぞくげんも聞いたことがあるわ。
 あ、それからお滝さんは、影富かげとみってのも扱ってたのね。これはね、お上に認められた富札じゃないのよ。その興行に乗っかって、どこの誰か分からない人たちが、安い富札を勝手に作って売るのよ。お寺さんとかが興行する本富ほんとみの、当たり数を当てさせて、組違いとかでも、当たったら八倍から十倍貰もらえるって仕組みにゃのね。
 こっちの影富のほうが盛んになるもんで、おかみ躍起やつきになって取り締まろうとしたみたい。でも、そもそもお上が寺社の財政難を補うものとして認めた富札だから、どっちもどっち、いたちごっこなのよ。
 お滝さんは岡っ引のいる同じ町内で、影富も売ってたんだから大胆よね。
 あ、だからタコっぱち親分が調べてんのかしら?
 それでね、あたいはお滝さんちに顔を出すと、「あらミケ、よく来たね」と大喜びで煮干しをくれたのよ。ここではあたいはミケね。
 あの朝は少しだけ開いてた入口から、「にゃ」って挨拶あいさつして入ったら、お滝さんの返事がなかったのね。
 あたいが暗い部屋に入ったら、お滝さんは火鉢にもたれるようにして動かないの。あたいがいくら鳴いても、お滝さんはうつむいたままで、煮干しも出てこにゃい。
 そのまんまよそに行こうかと思ったけど、恩知らずな気がして、入口から顔を出して、ニャニャニャニャニャ〜アって叫んだのね。
 そうしたら、通りかかった長屋の大家のおかみさんが、「あら、かもじじゃない。どうしたの」って、中を覗いて、息をしてないお滝さんを見つけたってわけ。
 前からわずらってたし、大家のおかみさんはとりあえず自身番に届けて、長屋で葬式あげたのね。お滝さんから、身よりがにゃいって聞いてたからね。
 そうしたら、多八郎親分があれこれ調べ始めたのよ。

「何ですか、お滝さんには長年にわたって喧嘩けんかしていた仕事仲間がいたんですって」
「芸者かい?」
「ええ、深川で一度は看板張ってた、糸吉いときちねえさん」
「糸吉……聞いたことがあるような……」
 岡倉さんの声を聞いて、うとうとしてたら、あたいの鼻先をぷんと鬢付びんつけ油の匂いがかすめてった。あたい、思わず顔をあげちゃった。この匂い好きなのよ。だからこの家の飼い猫でいてあげてるのかもしれないわ。
 おいささんは、岡倉さんの髪にたっぷり鬢付け油をでつけて、元結でしっかりと束ねてる。それから髷棒まげぼうで引っ張り、髷の形を整える。髷の刷毛先はけさきはさみで切ってお仕舞いね。
「はい旦那、お粗末様。いい男っぷりです」
 っておいささんが髷棒を抜いて、鏡を岡倉さんの顔の前に掲げる。
「ん、ありがとう。うめえもんだな」
 岡倉さんは、鏡に右左、もう一回右左、と顔を映してにやついている。
「俺んとこに来る廻り髪結いだがよ、あいつがやると、何か違うんだ。逆立さかだちしたすずめみてえになっちまう」
「雀の逆立ちなんぞ、見たことありませんよ」
「ま、そんな感じよ。だからな、俺は岡っ引の多八郎ンとこでやる、って引導いんどう渡してやった」
「たまには、その髪結いさんも使ってあげて下さいな。うちの人が客取ったって陰口たたかれます」
「構うものか。誰に結わせようが俺の勝手だ。第一、結ってんのはおめえだ」
 八丁堀には家々で決まった髪結いがいて、毎日与力や同心の家を廻って、髪を結うのだとか。
「そうですけどね。お茶入れますか?」
 と、おいささんは笑いながら片付けをする。
「たのまあ。あ、思い出した。糸吉ってのは、柳橋やなぎばし船宿ふなやどの……」
「そうです、花戸屋はなとやで」
「芸者っていうと、ついイキのいいのしか思い出さねえ。糸吉か、お滝と同じくらいだったな。あの年でも達者に芸者やってる」
「三味線を弾かせりゃあ、糸吉さんの右に出るものはいないって……」
「いや、近ごろはいけねえって聞いたぞ。指が動かなくなったそうだ。もう座敷には出てねえっていうぜ」
「あら、そうなんですか」
 おいささんは、ついと立つと、あたいの頭をひと撫でして台所へと向かう。
 岡倉さんは煙草盆たばこぼんを引き寄せると、脇に置いていた煙管キセルを手にした。
「へえりやすぜ」
 って声がして、障子しようじがスーッと開くと、口をとがらせた多八郎親分が顔を出した。
「おう親分、女房の手、借りたぜ」
 岡倉さんが煙草に火をつけて、煙と一緒に笑みを浮かべる。
「どうぞどうぞ、手といわずに、何でも使ってやってくだせえ」
「おいおい、他人ひとに聞かれると妙な噂が立つぜ」
「なあに、危ねえことなんぞは、隠そうとするから怪しまれるんですぜ」
「おめえの女房に髪を結わせると、危ないってことか?」
「どうでしょうかね、ハハハ……」
 多八郎親分が尖った口をゆがませた。
「そうさね。いっそのこと、あんたと別れて、旦那の奥さんにしてもらおうかね。そうしたら毎日、髪を結ってあげられる」
 湯気を上げるお盆を置きながら、おいささんが告げる。
「おい、そいつは冗談には聞こえねえぜ」
 と多八郎親分のタコ顔はますます歪む。この三人はいつもこんにゃ調子よ。
「そんなことより、親分、札売りのお滝のことを調べてるんだって?」
「あ、へえ。ちょいと気になることがありやして」
「死に方に不審はねえって聞いてるぜ、なあ、かもじ」
 いきなり呼ばれてもにゃあ。あたいは、短い尻尾で応えてやった。
「ええ、死に顔も穏やかで、まあ、自然に息を引き取ったって、医者も言ってやした」
「で?」
「へえ、お滝は縁起物の札だけじゃなくて、割富とか影富の札も扱っていやした。細々と暮らしてたみてえですが、実は小金を貯めてたんじゃねえかって」
「その小金が、どこにもねえと?」
「財布に小銭だけ」
「葬式代はどうした?」
「店賃は毎月きちんと払ってたし、〝私が死んだら、これで葬式上げて、長屋の店子たなこさんに酒とさかなを振る舞ってくれ〟って、十両ばかり大家に預けてたそうです」
「できた女だな」
「ちゃんと死に支度ってのをしてたわけで」
「もっと貯めた金子きんすがあった?」
「へえ、そいつをくたばる前か後に、誰かが盗んでったんじゃねえかと……」
 岡倉さんは、ズズズとお茶をすすると、あたいをしげしげと眺める。
「かもじが盗もうにも、猫に小判だな」
 プッとおいささんが吹き出す。
 あたいはぶんぶんと尻尾を振ってやった。失礼しちゃうわね。猫は人間なんかと違って、お金で争ったりしないのよ。
「糸吉が盗んだってのか?」
「分かりませんが、お滝が死ぬ前々日かに、お滝の店から三味線が聞こえたっていうんでさあ。それも、いつもと違う音色だったって」
 あ、それ知ってる。あたいもあん時、そこにいたわ。そうそう糸吉さんね。
「いつもと違う?」
「お滝も昔は、滝丸たきまるって辰巳たつみ芸者でしたから、時々、てなぐさみに三味線を鳴らすこともあったみてえで」
「その時は、お滝の三味線じゃなかった?」
「弾いてたのは客だろうって」
「客?」
 そうそう、糸吉さんが弾いてた。
「お滝はほとんど寝たきりで、朝と夜の飯は、隣の大工の女房が作ってやっていたんでさあ。飯代はきっちり貰っていたそうです。けれど、その夜は珍しく、お滝から〝客が来るんで飯はいらない〟って」
「客が誰かは?」
 だから糸吉さんだって。
「聞いていなくて、長屋の誰も見ていない。ちょうど夕方で、長屋のかみさんたちは、夕飯作ったり、亭主や子どもを湯屋ゆやに送り出したりで、ドタバタしてたらしいんですが、確かにお滝の店に客があったみてえで、聞こえたのが三味の音と、それから都々逸どどいつ、女の声だったって」
「客が帰るとこも、誰も見てねえのか?」
 あたしもその前にお滝さんとこ出ていったから、帰るとこは見てにゃいわね。
「ええ、帰ったのは夜遅くだったみてえで」
「柳橋とこの豊島町とは、眼と鼻の先だ。糸吉がお滝の所に来たことは、前には?」
「それはねえみたいです。二人は深川の辰巳芸者で看板張ってて、ずっと仲が悪かった。それもお滝を妾にした扇問屋の旦那を取り合った、って因縁いんねんが」
「なるほどな。でもよ、柳橋のええっと……」
「花戸屋さん」
 と、すかさずおいささん。
「そう、花戸屋だ。そこで糸吉をとっ捕まえて、吐かせりゃ一件落着だろ」
「それがね、旦那、お滝が死んだ翌日に、糸吉は荷物まとめて消えたんでさあ」
「ありゃ」
「それも妙なのは、肌身離さず持っていた大事な三味線を置いていったそうで」
「戻ってくるつもりは?」
「糸吉が可愛がってた小春こはるって芸者宛に一筆添えてあって、〝この三味線をあたしと思って励んでおくれ〟って」
 岡倉さんが「おもしれえな」って、剃り立ての頬をにゃでて、茶托ちやたくに湯飲みをトンと置いた。
 あたいはにゃんと応じてやった。
 正月まであと幾晩かな、って夜だけど、あたいは散歩にでかけたのね。
 ほら、そこはやっぱり、岡っ引のタコっぱち、じゃなかった、多八郎親分のやっかいになっている猫として、豊島町あたりの見廻りはかかせないのよ。
 商家によっては今頃煤払すすはらいしてるとこもあったし、餅つきを町内総出でやってるとこもあったわね。
 せわしいったらありゃしにゃい。
 数日前に降った雪が、長屋の路地に残ってたけど、あたいはひょいひょいと避けて、そうそう、お滝さんの店に行ったのよ。
 最初は、お滝さんがもういないってのを忘れてたんだけど、長屋は真っ暗で、ひっそり眠ってるみたいで、ようやく思い出したのね。
 隣の大工のとめさんっちは、朝が早いとかで、もうとっくに寝てたわ。留さんの大きないびきが外まで聞こえてた。
 お滝さんの店は、長屋の角で、入口の看板障子に、「開運招福」ってお札の絵が描いてあって、軒には「富札」って板もぶら下がっていたわね。
 お葬式あげたのに、まだ看板が下がったままで寒風に揺れてた。あたいには雪明かりでよく見えたわ。
 あたいは台所の床下の隙間すきまから、お滝さんの店にもぐりこんだのね。
 特に用はなかったのよ。だけどね、なにか変だにゃって、髭がピクピクって反応したの。猫の勘ってやつね。
 長屋のお滝さんの部屋は、きれいに片付けられてたの。大家さんに葬式代を渡してたことを見ても分かるでしょ。
 自分の着物や夜着よぎ、わずかな家財道具までも、売る手はずが整えてられてたんだとか。
 あ、そうそう、大事にしてた三味線だけは、どこにもなかったんだって。岡倉さんの見当は、お滝の三味線がなにかの理由で、糸吉のものになって、糸吉のが小春に渡されたんじゃないか、って。
 多八郎親分の見方は、お滝さんのため込んだ金子と、ついでに三味線も、糸吉が盗んでったっていうんだけどね。
 そんなことより、お滝さんの店よ。
 外からの雪明かりでぼんやりと明るいのだけど、蛍みたいな火がゆらゆらと動いてたのよ。
 にゃんていうのかは知らないけど、印籠いんろうみたいな小箱を開くと、小さな火がポッとともるのね。
 人間って、猫より劣ってるじゃない。暗いとこじゃ、にゃ〜んにも、見えないのね。そのちいちゃい火で、部屋の中をうろついてんのよ。
 泥棒よね、どう見ても。
 そいつは黒い半纏はんてん股引ももひきで、頬被ほつかむりまでして、神棚かみだなの下の床板をがそうとしてたの。
 でも暗いから、なかなかうまくいかないみたいで、カリカリって爪で引っ掻く音がしてたわ。
 あたいは足音をさせずに、そいつに近づいてったの。そこはそれ、あたいは猫だからさ、忍び足なんてお手(お足かしら?)のものよ。
 脅かしてやろうなんて思ったわけじゃないのよ。でも、そいつの背中に思い切り飛びついてやったのね。それで、
「ニャアアアア〜ゴ!」
 って喉の奥から鳴いてやった。
「ヒイッ!」
 って、そいつ、左手の火種を放り投げて、ひっくり返ったのよ。
 ドタン、バタッ、ってすごい音がしたわね。
 そいつがあたいのほうに倒れてきたんで驚いたわ。
 フウ〜って息を吐いて飛び上がって着地したら、ちょうどそいつの顔で、おでこを引っ掻いてやったのね。
 そいつは「ギャアアアア!」って悲鳴をあげながら、雪明かりが照らす腰高こしだか障子に走ったわ。
 そうしたら、おけに足を突っ込んじゃった。土間から飛び込むみたいに、頭っから障子を突き破って、路地に転がったのね。
 逃げようと起き上がったけど、足が桶から抜けなくて、また無様ぶざまに顔面から倒れて、どぶ板を直撃したの。
 長屋のあちこちから住民が飛び出してきた。「この野郎!」「泥棒か!」「盗人め!」って袋だたきよ。大工の留さんなんか、張り切ったのにゃんのって。
 それから自身番に突き出されて、多八郎親分の取り調べね。
 おいささんが、あんまりかわいそうだって、紫色にれた顔を手当してやったんだって。肋骨あばらぼねとか腰骨とかもあっちこっち折れてたみたい。気の毒っていえばそうだけど、まあ笑っちゃうわね。
 富札売りの弁太べんた、ってのが男の素性すじようだったの。お滝さんに影富を売らせていたのがこいつ。お滝さんが貯め込んでいた金子を隠していた場所も知ってたのね。
 そうそう、神棚の下の床板の一枚が外れるようになってて、そこがお金の隠し場所だったのね。お滝さんが死んだって聞いて、頂戴ちようだいしにきたってわけ。五十両はあるはずだって。
 多八郎親分が、大家を立ち会わせて板を開けたのね。
 ざんね〜ん、空っぽでした。
それを聞いた弁太の顔ったら、間抜けにひょっとこのめんかぶせたみたいだったって。
 御法度ごはつとの影富に加えて、盗みに入ったってことで、弁太は岡倉さんにしょっぴかれたわ。
 ま、一もんも盗んでないので、軽くて所払ところばらい、重くっても島送りってとこかしら。これが五十両あったら獄門ごくもんだったんだから、間抜けなだけで命拾いしたってことね。
 あたいに捕まったおかげで、泥棒にだって福が来たってことよ。
(第32回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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