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猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著

白猫志乃しの しのびばたらき その二
妖刀猫切り

 冬の澄みきった空に、えとした、それも刀ですっぱりと斬ったような半月が浮かんでいる。
 渋谷村しぶやむらのこの一帯は谷と森と田が広がっていて、月の光を子守歌にして眠っている。
 その一角、木立こだちの合間から明かりがチラチラと漏れる家がある。
 石経山房せつけいさんぼうと呼ばれるこの山荘は、昼は分厚い本と、筆やすずりの入ったかごを抱えた弟子たちや、講義を聞かんとする客でにぎわう。
 さすがに、この時刻ともなると人の出入りはなく、あるじだけの時間となる。
 大徳利おおとつくりを満たした酒を茶碗でぐびぐびと飲みながら、あまたの書物をひもとくことを、主は夜のたのしみとしている。酒の相手をになうのは、長火鉢ながひばち猫板ねこいたに、懐手ふところででまどろんでいる三毛猫のおぎん。
 主は左手で茶碗酒をコクリとやり、右手で本をめくったついでにおぎんをでる。
 が今宵は、主の前に一人の女がいて、おぎんはその女のひざの上でのどを鳴らしている。主が撫でても面倒くさそうに首を伸ばすだけなのだが、この女が部屋に入ってくるなり、頭をりつけにいった。
 背中のほうにとう葛籠つづらを置き、歩き巫女みこ白装束しろしようぞく頭巾ずきん。そこから真っ白な髪が見える。
 志乃だ。
 紙袋をすっと主の前に置く。
「ご所望しよもう方剤ほうざいです」
「以前よりの配合が変わっておるのか?」
「サイコ、オウゴン、ショウマ、カンゾウ……」
「なんだ、原南陽はらなんよう乙字湯おつじとうか。あれは何度も試したぞ。まあ、今までの生薬きぐすりよりは効くが、わしのは頑固ゆえな」
 主は腰から尻を撫でて、じじむさい顔をしかめ、情けなさそうな笑みを浮かべる。
「これらに、シコンというムラサキの根を練り込んであります。紀州きしゆう華岡青洲はなおかせいしゆうの」
「おお、紫雲膏しうんこうであったか」
「同じではありませんが」
「うむ。助かる。早速試してみる」
「朝、つうじ後にきれいに肛門を洗われてより、周辺だけでなく、肛門の奥、指が届くあたりまでお塗り下さい」
 主はうれしそうに尻を何度もさする。白髪しらがながら少女のような幼さを残す美しい顔で、すらすらと発せられる用語に、妙にそそられてしまうのだ。
 おぎんはそんな主を見て、首の鈴をチリンと鳴らした。
 この六十を過ぎた男の名は、松崎慊堂まつざきこうどう。こう見えてかなり高名な儒学者じゆがくしやである。肥後熊本ひごくまもとの貧農の家に生まれたが、故郷を出奔しゆつぽんし江戸で苦学し昌平黌しようへいこうに入った。
 儒学者林家りんけ八代の述斎じゆつさいに見出されて、掛川藩かけがわはんお抱えの儒者となった。林述斎が担当していた朝鮮ちようせん通信使の応接の役を代行したこともある。
 四十五歳の時に掛川藩を辞して隠居、この渋谷の地に山荘を建てて私塾とした。弟子に後の鳥居耀蔵とりいようぞうや、渡辺崋山わたなべかざんがいる。
 この松崎慊堂先生は、長年にわたり持ちであった。あれやこれやと治療を試みるのだが、このやまいは症状がやわらぐことはあっても完治はまずしない。
 乙字湯は原南陽という水戸藩みとはんの漢方医が開発した薬で、多くの痔疾じしつ患者に喜ばれた。
 かたや紫雲膏は、麻酔を成功させた著名な華岡青洲が処方した塗り薬で、これも痔症に効果を発揮していた。
 志乃は江戸に出ると、慊堂先生の要望に応えるべく、新たに調合した痔の薬を持ってくるのを常としていた。それだけでなく、
「で、どうだ? 地黄丸じおうがん長命丸ちようめいがんよりも、効く薬はあったか?」
 声をひそめながら先生の目が輝く。まるで志乃の膝のおぎんにはばかるように。
 地黄丸は、古くから知られた強壮剤である。井原西鶴いはらさいかくの『好色一代男こうしよくいちだいおとこ』で、主人公の世之介よのすけ女護島によごがしまに向かって船出する際の携行品に「地黄丸五十つぼ」と記されているように。
 そして長命丸は、江戸両国の閨房薬けいぼうやく専門店、目屋本舗めやほんぽが看板とした秘薬だった。
 還暦を過ぎても慊堂先生はお盛んだったが、さすがに寄る年波で、別所に囲っているめかけの家で夜を過ごすことが少なくなっていた。
 ちなみに、慊堂先生が多くの弟子たちに慕われているのは、誰にも分けへだてしない実直さと、おとろえぬ熱意にある。
 最初の妻とのなれそめがそれを示している。
 貧乏な苦学時代に、ならず者に絡まれた慊堂青年を、品川しながわ飯盛女めしもりおんなが身をていして助けてくれた。その遊女は青年の境遇に同情し、毎月ごとに金子きんすみついでくれた。
 ある日、立派ななりとなった青年が遊女のいる宿に現れた。掛川藩かけがわはんおもむくことになった慊堂は、それまで遊女が出してくれた金子を渡し、「よかったら、妻になってくれ」と申し込んだのだ。
 妻とは結局別居したのだが、その後も妾を何人も替えた。学問はもちろんのこと、酒と茶と同様に女もこよなく愛した稀代きだいの儒学者、それが慊堂先生。痔薬に加えて、強壮剤も持ってくるゆえに、志乃が先生の元に来る時は、深夜と決まっていた。
「長命丸は使いすぎれば短命丸たんめいがんと申しますぞ。御身おんみを大切に」
「あ、ないのか……?」
 と当てが外れた慊堂先生は口をゆがめる。
「そちらは、こちらの件が片付き次第、お持ちします」
 志乃は袱紗袋ふくさぶくろを掲げると、中から大脇差おおわきざしを出した。
 続いて鯉口こいぐちを切り、さやから刀身を出した。
 おぎんは「ニャ!」とひと鳴きして、部屋のすみに逃れた。首の鈴の音が追いかけ、背中の毛が逆立さかだっている。
 慊堂先生は、口を半分空けたまま呆気にとられている。
 一竿子忠綱いつかんしただつな
 障子しようじを照らす月光と、行灯あんどんの明かりの間で、新しい光源と化して刀は妖しく光る。
「な、な、何ごとぞ。わしは儒学者だぞ。本阿弥家ほんあみけではない。刀は分からぬ」
 とぶつぶつと呟きながらも、その大脇差が業物わざものだというのは先生にも知れたようだ。
「これは佐野善左衛門政言さのぜんざえもんまさことが、殿中において田沼意知たぬまおきともを殺めた刀、と言われています」
 志乃の言葉に、先生はゴクリとつばを飲み込んだ。
 志乃の側にも、慊堂先生のもとに来る理由があった。先生から教えをうためだ。
 述べたように、若年寄田沼意知が佐野善左衛門により暗殺された事件から、五十年が経っている。
 松崎慊堂先生とて、まだ寺の小坊主だった頃で、事件の詳細は伝聞でしか知らない。けれどもその後(だけではなく)歴史の動き、ご公儀を中心とした有為転変ういてんぺんを、先生は歴史書のように熟知している。
 その夜、弟子となった志乃は、黙って師の語る五十年の歩みを聞いた。
 田沼意次おきつぐは確かに成り上がり者であった。まだ若い十代将軍家治いえはるの信任を得て、側用人そばようにんから老中へと上り詰め、黄金時代を築いた。
 意次はそれまでの農政主義から、時代にあった商業中心の社会に転換しようとした。米ではなく金という経済政策だ。
 商人による流通を積極的に認め、幕府は冥加金みようがきんを取り立てるという方針を軸とする。
 意次は地位を固めるための人脈づくりも気を配った。自身の妻は一橋家ひとつばしけ家老の娘で、長男意知の妻は老中松平慶福まつだいらよしとみの娘をもらった。四男忠徳ただのり沼津ぬまづ水野家みずのけに養子に出し、養父の水野忠友を老中にするなど、子たちを有力者に送り込み、その縁者を幕閣にえて、身の周りを田沼派で固めていった。
 なにより次期将軍に一橋家斉いえなりを据えた。御三家ごさんけのひとつ田安家たやすけ定信さだのぶの評判が高く、万一将軍継嗣けいしが問題となったら、有力候補となるかもしれない。意次は将来を見据えて、定信を白河しらかわ松平家の養子としてしまった。
 権勢を誇る田沼意次の屋敷には、諸藩の留守居役るすいやく(や時には藩主自身)が、贈答品や金子を抱えて列をなした。それぞれの藩の抱えていた問題に便宜を計ってもらったり、ご公儀への注文を訴えるために。
 意次はこうした来訪者一人ひとりに気さくに応対し、さらに評判はうなぎ登り。この権力の継承を、意次は跡継ぎの意知に託し、田沼時代はまだまだ続くはずであった。
 しかし、たった一人のさむらいが振るった凶刃きようじんが黄金をメッキのようにパラパラとがした。
 息子意知の死がきっかけで、庶民の不満や怒りが一気に吹き出た。田沼親子がやろうとした新しい政策も、すべて悪政とされた。
 こうして田沼意次は閉門、所領はことごとく召し上げられ、ようやく孫の龍助りゆうすけが一万石の大名として残るのを許された。
 失墜した田沼ととってかわったのが、白河藩主に追いやられた松平定信である。
 そもそも定信は田安宗武むねたけの子、すなわち徳川吉宗とくがわよしむねの孫である。これに対して十一代将軍の家斉は吉宗のひ孫だった。田沼一派の画策がなければ、将軍になるはずだったのだ。
 将軍にはなり損ねたが、意次が失脚するや定信は、それまで冷や飯を食わされていた保守派を味方につけて、田沼一派の追い落としを始めた。
 田沼派であった老中水野忠友ただともは、養子としていた田沼の四男忠徳ただのりを慌てて離縁して、保身を図ったほどだ。
 天明七年六月、松平定信は老中首座に就任。そこから祖父吉宗の行った改革にならい、農本主義に基づく寛政かんせいの改革を進めた。
 飢饉ききんで都市に流入した百姓に帰農令を発布、農業に専念させ、年貢の増徴ぞうちようを図った。さらに庶民には倹約を徹底させた。田沼時代にゆるみきっていた風紀はすべて悪とした。
「世直し」を期待した庶民は、益をもたらす政策どころか、物価、風俗、言論出版などに対する禁制ばかりが出され、肩をすぼめて暮らすはめになった。
 寛政元年九月に公布された棄捐令きえんれいは、五年経過した債権は放棄するというもので、札差ふださしなどの商人は大損害をこうむった。破棄はきされた債権は百十八万七千八百両にも登ったが、この恩恵を得たのは、借金に苦しんでいた大名や旗本たちだけ。
 こうして定信の進めた政策は、町民生活の活力を奪い、経済を停滞させた。「白川の清きながれにうお住まず にごる田沼の水ぞ恋しき」という落首らくしゆ流行はやる始末。
 こうして寛政七年七月、定信は辞任に追い込まれてしまう。尻をまくった定信は、白河藩に引きこもり、学問の日々を送り、文政十二年(一八二九)に七十七歳で死去した。先生と志乃が話している五年前だ。
 慊堂先生による歴史の講釈、田沼意次と松平定信の有為転変は志乃も知っていたが、黙って聞いていた。
栄枯盛衰えいこせいすいおごれる者は久しからずよの」
 茶碗酒をクイと飲み、先生は二度、三度とうなずく。
「で、聞きたいのは……」
柳生久通やぎゆうひさみち村上義礼むらかみよしあやの役割」
「うむ、それはわしとて詳しくは知らぬが」
 慊堂先生は腕組みをする。
 暗殺事件の折、その場に居合わせた武士たちは誰も動こうとせず、佐野善左衛門の狼藉を見守るばかりだった。
 その佐野を羽交はがめしたのが、隣室より飛び込んできた大目付おおめつけの松平忠郷たださと、そしていずこより現れた目付の柳生久通が、佐野の大脇差を奪い取った。
 その剣が目の前にある一竿子忠綱とされているのだが。
「柳生久通がすり替えたのだと?」
 コクリと志乃が頷く。
 慊堂先生とて聞いていたのは、佐野の剣は一竿子忠綱だ。この娘のげんを信じるつもりはないのだが、本当にそう思えてきた。
「柳生久通か……」
 先生は立ち上がり、壁の本棚から何冊か選び出すと、パラパラと捲る。
「なるほど、この御仁ごじんはずいぶんと長く奉行職についておられるな。おっ、鬼籍きせきに入ったのは文政ぶんせい十一年、すなわち定信公の一年前か。享年八十四、ずいぶんと長寿であったな……」

 柳生主膳正しゆぜんのかみ久通は、旗本柳生久隆ひさたかの長男として生まれた。柳生の姓だが、柳生本家、つまり将軍家の剣術指南役を勤めた大和やまと柳生家の血筋ではないが、剣に秀でていた。
 十七で西の丸書院番となり、以後小納戸こなんど、小姓と勤め、三十五歳で西の丸目付。その四年後に起きたのが、佐野善左衛門による田沼意知刃傷にんじよう事件である。
「なるほど、翌年に小普請こぶしん奉行になり、さらに二年後に北町奉行に就任しておる。異例の抜擢じゃな」
「しかし、町奉行はわずか一年、翌年より勘定奉行」
 と志乃が告げたので、先生は「なんだ、知っておるのか」という顔をする。
「勘定奉行勝手方上座に就いて、十一年後に五百石の加増、一千百石か……文化四年に道中奉行を兼務。ずいぶんと長いな、文化十四年に留守居に異動するまでだから……」
「二十九年」
 志乃が素早く答える。
「なるほどな、ずいぶんと、定信公が買っておったようだな。おっ、はて、この書物には久通殿の評判が書いてあるが、ひどいなあ」
 先生は「定信公が隠密おんみつを使って調べさせた報告書の写しだが」と断って、かいつまんで柳生久通について書かれた冊子の内容を、志乃に語って聞かせた。
 町奉行時代の久通は、お白洲しらすの裁き場でも、〝衣紋えもんを取りつくろそうろうばかりにて、さしたる智恵出し申さず、ただ帳面を繰り返しせんさく〟という有り様で、尋問じんもんに詰まる姿を町人に見られ、〝女郎買いとは違う〟とあざけられたという。
「この御仁は目付になる前、ずいぶんと吉原よしわら通いに明け暮れていたようじゃ。せっかくの抜擢で町奉行になったものの、これでは勤まらぬと、一年で異動となった……」
 冊子をパタリと閉じて先生は頷く。
「その評判は、作られたものかと……」
 と志乃が膝の上のおぎんを撫でる。脇差が鞘に収められ、いつの間にか猫は居心地のいい寝床に戻っていた。
 先生は自分の顎をガリガリと撫でる。確かにこの娘の言うとおりかもしれない。
 久通が無能ならば、勘定奉行職になって三十年近くも勤まらぬやもしれぬ。勘定奉行勝手方は、幕府の財務を管理する重要な職務である。ご公儀直轄地の租税を徴収管理し、代官を支配する。しかも慣例とはいえ、街道を支配する道中奉行も兼帯している。
「それに……」
 柳生久通は恩を売った松平定信が失脚しても、そのまま幕閣に残り続けた。柳生家一万石の血筋ではなく、いわば一千石余りの分家の旗本なのだが……。
 むしろ大名となった柳生本家は、養子相続が続き、かつての柳生剣の輝きは失われていた。びた本家の剣よりも、〝陰の一族〟として分家が、徳川の家を守る役目を担っていたと考えてもおかしくない。

 そしてもう一人、佐野善左衛門の妻の兄、村上義礼は書院番を経て、寛政八年に江戸南町奉行になっている。
 志乃によると、この村上の家の傍系にくだんの一竿子忠綱が売り渡されたという。
「その忠綱は、そもそもは柳生久通の差料さしりようで、久通殿が佐野の大脇差とすり替えた、と」
 いつしか慊堂先生が志乃に尋ねている。志乃はコックリと頷く。
「ゆえに善左衛門の妻に、遺品と称し払い下げられた。村上義礼が妹に言い含めて、いわくのある本物の刀は、以後の村上家の存続のために残すのだ、と」
「で、佐野の使ったその刀は?」
「それがどこにあるか、先生にお聞きしたくて参ったのでございます」
 志乃は妖しい光を秘めた眼差しを、慊堂に向けた。
 慊堂は一瞬、目眩めまいを覚えた。志乃の膝にいるおぎんの黒々とした瞳と重なり、壁いっぱいに張り付いて見えたのだ。
「いささか、酔った……」
 先生は側頭部をポンポンとてのひらで叩いた。頭がぐるぐると回転した。
 松平定信は自伝で告白している。田沼意次を刺殺すべく、懐剣かいけんを忍ばせて近づこうとしたことが二度、三度もあった、と。むろん実行には移さなかったのだが……。
 昔より徳川のために隠密として働いたという陰の一族、裏柳生が暗躍したと考えられないか?
 柳生久通は、当日現場にいた侍たちが、誰も動けなくなる秘策をほどこした。忍の技に、そのような幻術があると聞いたことがある。
 後の取り調べで、侍たちの何人かが「気に呑まれたように動けなかった」と述べている。しかし、隣室にいた松平忠郷は術にかかっていなかった。
 そして佐野が手にしていた証拠の刀を秘しておくことで、柳生分家のほうが、徳川の惣目付としての地位を維持し続けた……。
「あ、」
 と小さく声を出すと、先生は書棚の片隅をひっくり返した。ほこりが灯に舞った。
「数日前、いや先月であったか、弟子が告げておった。辻斬つじぎりが横行おうこうしていると」
「辻斬り……」
 月の光のような冷たい口調で、志乃が慊堂の言葉を繰り返す。
「その話を耳にした折、以前も同じような話を聞いた気がした……お、これだ」
 先生はボロボロの分厚い冊子をパラパラと開いていく。
「これはな、筆者は不明だが、安永あんえいから天明てんめい、まさに田沼時代に起きた市井しせいの変事を記録した覚え書じゃ。ここよ、天明四年の一月とあるゆえ、まさにちょうど五十年前、佐野が田沼意知を斬る二月ふたつき前だな、このような凶事が書かれておる」
 先生は、開いた箇所を志乃に示す。
「前年の秋より、九段坂くだんざか飯田町いいだちよう近辺の坂で、辻斬りが横行したという話だが、ただの辻斬りならばいつの時代もあったこと。これはな、〝猫切りの辻斬り〟と称されている」
「猫切り……」
「うむ、辻斬りにあったのは町人や夜鷹よたか、坊主、物乞ものごい、巡礼者などだが、その横に同じ剣で斬ったと思われる数匹の猫の死骸しがいが置かれていた。時に野良犬の死骸のこともあった、と。辻斬りはまず犬猫を執拗しつように斬り、最後に人をあやめるのを常にしていた」
「それが今……」
 志乃の声は、慊堂先生の背中をぞくりとさせるほどに冷たい。抜き身の刀身のように。膝から離れたおぎんが、部屋の隅からおびえた眼を向けていた。
「場所こそ不忍池しのばずのいけだが、同じ手口の辻斬りが二件。斬られたのは夜鳴き蕎麦屋そばや人足にんそくで、側に猫の死骸、同じ剣と……」
 先生はすっかり酔いがめていた。長火鉢に戻ったが、とっくりはもう空で、振ってみたがしずくも落ちない。あきらめて志乃を見た。
 ニャアアアとおぎんが怒りの声をあげた。
 白ずくめの志乃の身体からだから、青い炎が燃えているように慊堂には見えた。
 半月後は新月で、降るような星空だった。 空気は風さえも凍らせるほどに冷たい。
 柳生久通の死後、柳生分家は嫡子ちやくしとして但馬国村岡たじまのくにむらおか領主、名門山名家やまなけを継ぐ山名義徳よしのりの三男久知ひさともを養子としていた。ちなみに山名義徳は、筑後柳川藩主立花家ちくごやながわはんしゆたちばなけから山名家に養子として入ったのだが、柳川藩に伝わる家川念流いえかわねんりゆうの遣い手でもあった。
 柳生主膳正家の屋敷は飯田町堀留ほりどめにある。
 その夜、四つ刻過ぎに提灯も指さずに、頭巾をすっぽりと被り、革羽織かわばおりの侍が裏門から抜け出た。
 暗闇の中、星を小波さざなみに映す堀沿いを、黒い影となって侍は歩む。広大な武家屋敷の塀が長々と続くだけで、人っ子一人いない。
 数匹の野良犬が、侍と出くわしてうなり声をあげ牙をいた。
 侍は立ち止まると、腰の大刀ではなく、脇差のほうに手を掛けた。
 ヒュッという風の音がして、なぜか犬たちはくるりと反転すると、たちまち闇に消えた。
 チッと舌打ちすると、侍は脇差のつかから手を離し、またゆらりゆらりと歩き始めた。
 いつもと違う……。
 侍の心が読めたなら、そう聞こえたかもしれない。
 侍の足が止まった。
 広い掘割の道に植わっていた柳の木が、ざわと揺れた。
 ニャアウォ〜ン
 と猫の呻り声が聞こえた。
 いつもと同じ……。
 そう呟くと侍は、脇差の鯉口を切って、スラリと抜いた。
 闇夜の中で、一尺七寸あまりのその短い剣は、一本の灰色の棒のように鈍く光った。刀身は白くとも、多くの人の、さらには犬猫の血も吸って、そのような邪悪な光しか発せないのかもしれない。
 しかし、侍の眼は狂気のあかい色を宿し、闇の中でチラチラと灯心とうしんのように燃えていた。
 そう、この邪剣は持ち主を夜叉やしやに変える力を秘めている。

 この剣だけは、田沼意知と佐野善左衛門とのそもそもの関わりを知っていた。
「我が家には、魔力を秘めた剣がある」
 と九歳になる善左衛門が、八つ年上の意知に告げた。二人は共通の友を介して、学問所で顔を合わせていた。
 佐野家が田沼家の主筋に当たることが判明したからだが、すでに意知の父の意次は、一万五千石の大名に出世していた。佐野家は五百石の旗本である。
 意知はそれを聞いて鼻で笑った。意知はけっして善左衛門をさげすむつもりはなかったのだが、愉快なことがあると、鼻を鳴らす癖があった。
 善左衛門はそう思わず、話の流れから家宝として「魔力のある刀」が佐野家にある、と少年らしい自慢をした。
 やはり鼻で笑われた(と見た)善左衛門は、秘かに意知を自宅に連れていき、蔵の奥の長押なげしにしまい込まれていた脇差を見せた。
 春の小雨が降る夕方、意知は笑いながら脇差を善左衛門の手から奪った。
 鍔穴つばあなと鞘の栗形くりがた紙縒こよりで幾重いくえにも結ばれていたが、これを意知は小柄こづかで裂き、刀身をギラリと抜いた。
 その後の出来事を、二人ははっきりと覚えていない。
 意知は刀を手にするなり、狂気の眼を宿し、善左衛門の身体は人形のように動かなかった。
 気がつくと、佐野家で飼われていた黒猫の死骸が裏庭に転がっていて、意知の手は返り血で濡れていた。
 我に返った意知は、猫を斬った剣を投げ捨て、佐野家から一目散に逃れた。善左衛門は泣きながら愛猫を庭に埋め、脇差の血を拭い、蔵の長押に戻した。
 その一件から二人は会わなくなり、猫切りの剣は蔵の中に秘められた。
 そして十八年後、善左衛門の父は、田沼家の勢いにすがるべく接近を繰り返したが、無視され続けた。
 善左衛門は酒の席で義兄の村上義礼に愚痴ぐちり、少年時代の意知との事件を漏らした。
 村上と柳生久通との繋がりは、慊堂先生も分からないと志乃に告げた。
 が、どのようなたくらみに乗せられたかは分からずとも、猫切りの妖刀はいつしか、善左衛門自身が手にするようになった。辻斬りを経た後に、ついに田沼意知に「覚えがあろう!」と振るわれたのである。

 そして今、柳生家より出た侍は、妖刀を下段に掲げ、一匹の猫にじわりと近づいていた。
 真っ白な猫であることが闇にも知れた。
 脇差を振りかぶった侍の顔が歪んだ。
 猫は一匹ではなかった。白猫がニャゴと鳴いたのを合図に、無数の猫の眼が闇に見開かれ光った。猫の群れが侍を取り囲んでいた。
 ニャ〜ゴ!
 と数十匹もの猫の鳴き声が、堀の水を波立たせるほどに響いた。
 刹那せつな、中央にいた白猫の身体が闇夜に跳躍ちようやくした。
 顔を上げた侍は、星空に浮かぶ白い女を見た。真っ白な髪がおうぎのように拡がり、ふわりと侍を包んだ。
 侍は女に向けて剣を投げた、
 白い扇の骨と骨の間を灰色の妖刀が抜けていき、白猫が着地すると同時に地面にざくりと刺さった。
 空を見上げていた侍のひたいは頭巾ごとぱっくりと割れ、眉間みけんまで裂けていた。
 笑みを浮かべたままで、侍の身体はくしゃりと曲がって崩れ落ちた。
 猫たちは、鍔のない細身の直刀を構える志乃を、放射状に取り囲んでいる。
 志乃はやりのような刀の血を紙でぬぐうと、仕込みのつえに収める。
 それから、大きく息を吐き吸い込むと、地面に深々と刺さった脇差を抜いた。猫たちの輪がジリと拡がった。
 唇を固く噛んだ志乃は、両手で柄を握り締め、鈍く光る刃と闇の中で対峙たいじした。
 手がぶるぶると震えた。刀身が生き物のように揺れている。
 猫たちは背中の毛をわずかに逆立さかだて、爛々らんらんと輝く眼で志乃を見つめている。
 四半刻しはんときあまりもそうしていて、刀は大きく震えた後で、ヒタッと止まった。
 ふうと息を吐くと、志乃は侍の死体から脇差の鞘を抜くと、刀身をスルリと納めた。
 パチリというその音を合図に、猫たちの姿は一斉に闇の向こうに消えた。
 志乃は鍔穴と鞘の栗形を細い布で縛り、
急急如律令きゆうきゆうによりつれい、急急如律令、急急如律令」
 と布に書かれた言葉を三度唱えた。布は悪鬼あつきや病を防ぐ霊力を持つとされる呪符じゆふだ。
 それから、猫たちの姿を追うように志乃の姿も消えた。

 わずかだが、後日談を述べておく。
 柳生分家、主膳正の家は、もう一人の養子の久包ひさかねが継いだ。当主であった久知ひさともの病死が届けられた後である。
 一万石に減らされた田沼家は、意次死後に嗣子ししが次々と亡くなるという不幸があったが、意次四男の意正おきまさの代で復権した。田沼意正は、義父であった老中水野忠友から離縁された忠郷その人である。
 田沼意正は、松平定信の失脚後の文政二年に若年寄に昇進し、さらに旧領遠州相良藩主えんしゆうさがらはんしゆに復帰した。
 そして、文政八年に将軍の側用人になったが、まさに意知暗殺五十年後の天保五年四月に、病気を理由に側用人を辞任した。
 記録にはむろん残されていないが、意正の元に一振りの大脇差が、戸隠忍者とがくしにんじや一族の頭によって届けられたという。
 佐野善左衛門が田沼意知の命を奪ったとされる一竿子忠綱で、これを意正は、父と兄の供養と合わせて、いずこかにほうむったと伝えられている。
 呪符で封印されたもう一振りの、猫切りと称される妖刀の行方は不明。
 さて、この一連の事件を契機に、以前よりの仇敵きゆうてき同士であった戸隠忍軍と裏柳生との死闘が再燃するのだが、それはまた先の話である。
(第31回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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