双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著

白猫志乃しの しのびばたらき
妖猫、仙石せんごく騒動

 但馬たじまの地を緩やかに流れる円山川まるやまがわに、えとした冬の月が映っていた。山陰さんいんの地に珍しく風がない夜だ。
 一そう荷足舟にたりぶねが、川にぷかりと浮かんでいる。まるで鏡の上に月と舟だけを置いたようだ。よく見ると、舟は少しずつ上流へと進んでいる。しかし、川面かわもに映る月との距離は少しも縮まらないために、浮かんでいるようにしか見えない。
 まだ若い船頭は長吉ちようきちといった。の動きに合わせるように、チラチラと編笠あみがさの陰から、舟先に座る奇妙な女の後ろ姿を見ていた。
 女は歩き巫女みこで、上から下まで真っ白な巡礼衣装に、小さな柳行李やなぎごうりを背負い、長いかしつえを船底に立てていた。
 すっぽりと白い頭巾ずきんを被っていたが、ちらりと見えた髪も真っ白だった。けれど、年寄りではなく、頬はき卵のようにつるりと白く、黒目がちの細い眼は、ぞくりとさせる光を放っていた。三十路みそじを過ぎているといえば、そう見えなくもないし、まだ二十歳はたち前と告げられても疑わないかもしれない。
 豊岡とよおかの船着き場で、この巫女から「出石まで乗せてくれ」と頼まれた。炭俵を運んだ帰り舟で、古着の袋を二つ乗せているだけで、空舟からぶねに近かった。
 顔見知りの地元民は別にして、長吉はめったに旅人やよそ者を舟には乗せないようにしていたのだが、女の眼に吸い寄せられるようにコクリとうなずいてしまった。
 櫓に合わせて舟は左右に小さく揺れる。真夜中の川で、妙な妖気を漂わせる白髪しらがの娘と二人きりで舟に乗っている。
 円山川に注ぎ込む出石川へと舟は進んでいった。その間、女は微動だにしない。降り注ぐ月光が空気をいっそう凍らせ、女の白衣びやくえを光らせる。無風だが身体からだしんまで冷える。
 歩き巫女は各地を巡礼しながら、男に身体を売ると聞いた。長吉は宿場しゆくば飯盛女めしもりおんなや出石城下の岡場所の遊女を買ったことはあったが、旅の巡礼女を抱いたことはない。
 この女は身体を売るのだろうか?
 いや、銭など払わぬ。この舟は俺の住処すみかみたいなものだ。そこに女が一人……。
 長吉の視線を感じたのか、女は肩をわずかに斜めにすると、ゆらりと振り返った。
 思惑おもわくを読まれたようで、視線をらそうとした。その瞬間、櫓をつかんでいた右手を離して、眼をごしごしとこすった。
 舟がぐらりと揺れ、きらりきらりと月の光が水面みなもに散ったのだが、長吉には座る女の姿がけものに見えたのだ。
 真っ白な一匹の猫に。
 もう一度見ると、巡礼女は船板の上にふわりと立ち、川面の月の光のような笑みを浮かべた。
 ぞくりと背中に悪寒おかんが走り、長吉の身体から一瞬にして男の欲望が引いていた。
 女はわずかに揺れる不安定な船板を、廊下を歩くように近づくと、
「あの桟橋さんばしに」
 と告げた。今まで見えていなかった桟橋が河原から伸びていた。あんなところに桟橋があったか? 記憶にない。
 桟橋から目線を戻すと、女の顔が長吉の鼻先にあった。長吉は「ひっ!」と悲鳴を上げた。
 女の口がかっと左右に裂け、真っ赤な口中と長い舌がぺろりと出ていた。鼻がするすると伸び、大きな黒い瞳と、金色の虹彩こうさい夜目よめにきらめいた。
 白頭巾の下に猫の顔があった。
 長吉はすとんととも尻餅しりもちをついた。腰がなくなったみたいに力が入らない。
 女が白いそでを下から上へとおおうと、元の人の顔に戻っていた。
「このこと、誰にも告げぬが身のためぞ」
 女の身体がふわりと飛ぶと、二じようほどもあろうかという桟橋に降り立っている。背中には柳行李と右手に樫の杖。
 腰を抜かした長吉を乗せて、荷足舟はゆっくりと川下かわしもに流されていく。いつの間にか、北からの風が息を吹き返している。月が雲に隠れると同時に、女の姿は長い桟橋から消えていた。
 船頭の長吉は本当に化け猫を見たのか、あるいは女に妖しい術をかけられたのか? 
 不確か、としか言いようがない。
 この歩き巫女は志乃という。
 戸隠村とがくしむらの忍の猫目ねこめ一族の末娘で、山猫と人との間に生まれたとか、変幻自在に猫に化けることができるという言い伝えがあるが、あながち嘘ではないのかも知れない。
 志乃はある依頼を受けて、この但馬の国まで来たのだ。
 出石藩いずしはんを治める仙石は、もともとは美濃みのの豪族であったが、権兵衛秀久ごんべえひでひさを中興の祖としている。この人は豊臣秀吉とよとみひでよしに可愛がられた。伏見城ふしみじようで盗みに入った石川五右衛門いしかわごえもんを捕らえたことで知られている。
 しかし、秀吉が死ぬと、あっさり徳川とくがわ鞍替くらがえし、たくみに秀忠ひでただに取り入った。秀忠が関ヶ原せきがはらに遅参した折、怒った家康いえやすに、代わりに熱を込めて弁解し、家康、秀忠、両方の仲を結び信任を得た。そうして仙石家は、信濃しなのから但馬出石の大名に納まった。ちょうど、志乃が訪れた頃は五万八千石余り。
 が、この仙石家は今、藩を割っての騒動が勃発ぼつぱつしていた。
 ことの発端は、九年前の文政ぶんせい七年(一八二四)五月。
 藩主の仙石美濃守政美みののかみまさよしが参勤交代の途中で麻疹はしかにかかり、江戸に着いて間もなくあえなく死去した(何者かの手にかかったという説もある)。
 政美には娘が二人いたが男子がいなかった。喪を伏せた上で嗣子ししを決めなくては、御家おいえがお取り潰しになってしまう。
 弟が二人いたが、一人は養子となりすでに他家の城主となっていた。もう一人は妾腹しようふくの子だが、まだ数え五つの道之助みちのすけで、この子を立てるべきということになった。
 亡くなった政美とこの道之助の父は、前藩主仙石久道ひさみちで、藩主急死の折、江戸のなか屋敷で隠居暮らしをしていた。この時まだ五十三。
 そして、久道が藩政を任せ、信頼を寄せていた主席家老に仙石左京さきようがいた。姓が同じであることを見ても分かるように、左京は仙石家の傍系ぼうけいの一族である。
 左京はあたふたと騒ぐ老臣たちに、
「道之助様が継がれることに拙者せつしやも意義はありませぬ。しかしながら、ご妾腹の上にまだ五つというおさなさ、ご公儀のお許しを得るには難儀なんぎかと存じまする」
 とまゆを逆さへの字にして熱弁した。
「さもありなん」
 ということになり、久道から呼ばれたという名目で、左京は急遽出府きゆうきよしゆつぷすることになった。が、その旅に左京は、数え十歳になる我が子、小太郎こたろうを連れていった。
 これが国元の重臣たちの疑惑を誘った。左京は自分の子を出石藩主にえようと野望を秘めているのでは、と思ったのだ。
 左京にそのような狙いがあったのか。あるいは言葉にしていたように、ただ我が子の見聞を広めさせたかっただけなのか? 久道とて、
「よく分からぬな」
 と眼を泳がせる。とつとつと騒動について語る前々藩主の前で、志乃は眼を閉じたままで身じろぎもしない。
 久道には、この奇妙な白ずくめの娘が本当に聞いているかさえ、はかりかねていた。
 そう、志乃はこの前々藩主の依頼で出石まで来たのだ。久道は江戸を後にして、昨年より国元で隠居生活を送っていた。
 志乃が属する戸隠村の忍一族は、大名や旗本、商人などを顧客こきやくとして、こうした請負うけおい仕事をしていた。調査、情報収集だけでなく、奪取、強請ゆすり、時には誘拐、謀殺ぼうさつ……などなど表に出せぬはかりごとも。
 そうした危ない忍ばたらきゆえ、受けるか否かはかしら次第。ただ唯一の例外は、末娘の志乃で、この妖術使いのくの一が扱う案件だけは、その猫のような気まぐれさに任されていたのだが。
 久道はまだ具体的な依頼を告げていない。仙石家を揺るがせている騒ぎについて説明を続けている。
 詳しく述べているときりがないし、かなり人物関係がごちゃごちゃしていてややこしい。なるべく簡潔に経過を述べることにしよう。

 子息をともなって江戸に出た左京を怪しみ、疑心暗鬼ぎしんあんきにかられた国元の老臣四人は策をろうした。なんせ左京は、主席家老として藩政を牛耳ぎゆうじっており、ひどくうらやまれていた。このまま藩主の父などになれば、ますます権勢を振るうことになる。
 あり得ないことではない。我が子を急逝きゆうせいした政美の養子とし、新藩主として公儀に届ければいい。
 老臣たちは、左京の義兄ながら仲の悪かった酒匂清兵衛さこうせいべえを、江戸へ送り込むことにした。酒匂は急ぎに急いで、左京よりも先に江戸に到着した。その足で、江戸詰めの仙石家の有力旗本たちに「左京殿にたくらみあり」と告げてまわった。
 左京が着く頃には、すでに「道之助様こそ真のお世継よつぎ」という大方おおかたの空気に支配されていた。続いて国元から当の道之助が出府してきた。反左京派が送り込んだのだ。
 左京は主席家老として、道之助を藩主とするために動かなくてはならなくなった。こうして夭折ようせつした兄の養子の届けがなされ、道之助改め久利ひさとしが次の藩主と認められた。
 ひとまずは反左京派の勝利となったが、左京の勢力は一向におとろえない。前々藩主の久道が、五歳の孫の後ろ盾となったのだが、なぜか左京を重用し続けるのをやめようとしなかった。
 国元に帰った左京は、たちまち復讐ふくしゆうなたを振るった。仙石家はこの頃の諸大名のご多分に漏れず、財政難に苦しんでいた。これらの責を、策を弄した四老臣たちに負わせて、次々と免職に追いやった。
 使者になった酒匂清兵衛などは、同役の者との不仲ゆえに役目がまっとうできない、というかなり無理矢理な理由で職を解かれた。
 こうして前藩主の急死からわずか三年あまりで、仙石左京は敵対する勢力を黙らせたのである。その一方で自身の一派と、新たにすり寄って来る武家を、優遇することもおこたらなかった。藩の財政は変わらずに苦しかったが、左京自身とその一派は、それなりの恵まれた暮らしをしていた。
 これは左京という男に、そうした才も備わっていたからでもある。先代藩主死去よりも前に、左京は厳しい上米あげまいの実施や、藩による産物会所かいしよの設立、領内生産生糸きいとの専売など実績があった。加えて上方かみがたの商人たちとの結びつきも強く、地道に財力を増やしていった。
 結びつきは商人たちだけでない。左京は跡継ぎの小太郎の妻として、老中松平周防守康任まつだいらすおうのかみやすとうの実弟で、五千石の旗本松平主税ちからの娘をもらうことにした。幕閣との強い結びつきも得たことになる。
 こうなると、左京に取り入ろうとする者どもが列をなす。ご機嫌うかがいという名の賄賂わいろを持って。
 さらにこうなると、冷や飯を食わさせている側も、黙って指をくわえたままではいない。免職に追いやられた側に、河野瀬兵衛こうのせひようえという男がいた。上方で勝手(勘定かんじようかたとして藩の財政確保のために奮闘していたが、何の成果も示せずに蟄居ちつきよさせられていた。
 この河野が、免職の憂き目に合っていた四老臣を動かし、連名で弾劾書だんがいしよを隠居の久道に差し出した。綿々めんめんと左京の藩政の私物化と私腹を肥やしていることなどがつづられていた。
 久道はそれでも左京を守った。それどころか、わざわざ左京を呼んで、河野らの弾劾書を見せた。
「どこまでもみずからの非を認めず、往生際おうじようぎわの悪い方々でございますな」
 と左京は一笑に付した。
「こやつらに、さらなる処分を下すか?」
 と久道は問うた。すると左京は、
「それは得手えてではありません。家柄のある重臣どもでございますゆえ、重罪を加えますと、ご公儀の耳にも入るやもしれません。お慈悲じひほどこす、という沙汰さたにて、隠居、逼塞ひつそくを命じ、家督を世嗣せいしに継がせるということに致しましょう」
 と進言、「よきにはからえ」となった。慈悲を施すも何もない。名を連ねた四老臣は隠居に追いやられ、ろくまで減らされた。老臣一派もついでのように、お役御免、減俸処分の沙汰が下された。
 扇動せんどうした河野瀬兵衛は江戸、上方、但馬に立ち入るべからずという追放処分となった。行き場をなくした河野は、生野銀山いくのぎんざんの役人をしていた親戚に身を寄せた。ここで一年あまり身をひそめていたが、それは表向き。
 河野という男は、山かわうそそっくりの小男だった。財を増やすといった才覚は微塵みじんもないのだが、執念しゆうねんの炎を燃やし続けることにはけていた。生野銀山の隠れ家にいても、但馬と江戸で続く(むろん反左京派にとってのだが)左京の悪行の数々を、つぶさに調べ続けていた。
 銀山役人の親戚の融通ゆうずうを得て、そのすじの男を雇い入れた。仙石家の譜代に神谷家かみやけがあったが、その当主の弟と名乗る神谷うたたである。
 この神谷転は虚無僧こむそうであった。
 虚無僧は、顔がすっぽりと隠れる深編笠ふかあみがさかぶり、胸には「明暗」と記された箱を首から下げ、尺八しやくはちを吹きながら諸国を廻る。虚無僧の箱の文字は、普化宗ふけしゆう本山ほんざんが京の明暗寺みようあんじにあることを示している。
 虚無僧は武士の身分であった者のみがなれた。徳川幕府の治世ちせいになった折に、諸国にあぶれた浪人の処遇の一環として、幕府は虚無僧という身分を認めた。あの姿となることで、全国を渡り歩く特権を与えたのである。
 むろん、その特権には裏があった。忍としての諜報ちようほう活動をさせるためだ。江戸初期はそれも機能していたが、時代が下るにつれて、この便利なちと、普化宗の僧という曖昧あいまいなままの身分は、さまざまに利用される羽目になった。
 神谷転はさまざまに左京の所行を調べ上げた。例えば、家中の者が金を借りる抵当として勘定方に、摂津せつつの名工、井上真改いのうえしんかい脇差わきざしを納めていたが、左京はそれを着服した、というようなことまで。
 こうした詳細さで、前回以上の辛辣しんらつさを加えた仙石左京とその一派の悪行の数々が再び上申書としてまとめられた。
 天保てんぽう四年(一八三三)のことである。前藩主死去から九年の歳月が流れていた。
 今度は久道を避けるようにして、さまざまな反左京派に配られ、勢力を掘り起こそうとした。
 しかし、結局新たな上申書は、久道の手に渡り、当然のように筆頭家老の左京にも届けられた。左京は元凶の河野瀬兵衛を捕縛する命を出した。
 今、その捕り手一派が生野銀山に向かっているという。
 そこまで話し終わって、久道は大きく息をついた。大きなぐいみを満たしていた酒の残りを、未練たらしく舌で嘗める。
 左京が藩主の名で出す倹約令で、家臣たちは爪に火をともす暮らしを余儀なくされていたが、ここにいる隠居の先々代藩主は、きぬ羽織はおり衣擦きぬずれの音をさせ、部屋の中もかれたこうの残りに満ちている。左京からの過分な施しが相変わらず続いているのだ。
 神谷転が調べ、河野瀬兵衛がまとめた弾劾書には、現藩主の久利様は、書の手習いの紙にもこと欠き、下女げじよの家から持ってこさせるという有様だったというが。
もな、忸怩じくじたる思いなのだ」
 志乃は黙って聞いているだけなのだが、久道は先ほどから、説明に言い訳がましさが増してきている。
 いや、志乃から発せられる妖気が、久道の心の奥の口を開かせているのだ。
「うむ、左京から余が施しを得ているというだけではない。あ、左京はな、誰よりも金を生む力を持っておるのだ。あやつがおらねば、出石の家はとうに潰れておったのだ。それは間違いないぞ」
 志乃が薄く閉じられていたまぶたを、ふいと上げた。きらりと黄金色の閃光せんこうが走った。久道にはそう見えた。
「……そ、それだけではない。虎姫とらひめよ。あやつは左京がおらねば生きておられぬのよ」
「虎姫……」
 笛を鳴らすような声を志乃が出した。そんなはずはないのだが、久道は初めて声を聞いた気がしていた。
「猫だ。余の猫であったが、太りすぎで心の臓が破裂しそうになった。それを左京が手を尽くし、蘭方らんぽうの獣医師を見つけて助けてくれたのだ。あれからもう五年も経つが、虎姫は生きておる」
「どこに?」
「江戸の左京の屋敷におる」
「最後に会われたのは?」
「ここに戻る前、もう一年になるな。ああ、虎姫はいかにしておるのかのう? 左京のふみによると、変わらずに養生ようじようしていると書かれておるのだがな」
「猫」
「……うむ、余はな、左京の口から虎姫のことが語られると、もうたまらぬのだ」
「……」
「なんじゃ、余を責めるのか? 虎姫のせいで左京のいいなりになっておると、そう言いたいのであろう?」
「……」
 志乃は何も言わない。勝手に久道が本音を吐露している。
「お前のところを頼りにしたのは、猫目一族だ、というからだぞ。猫つながりよ」
 志乃は答える代わりにこっくりと頷いた。
「もうなんとか手を下さねば、仙石の家の騒動はご公儀の耳に入り、いや、もう入っておるやもしれぬ。このままではお取り潰しになってしまうのだ」
「して、何をいたします?」
 志乃は射るような眼で、酒焼けした老人の顔を見た。
 生野銀山は、佐渡さど銀山、石見いわみ銀山と並んで、徳川幕府の財政を支えてきた宝の山であった。
 出石藩の南、山間にあるのがこの銀山で、当然のように天領となっている。銀山に至る入口に代官所の門があり、ここで出入りする者の詮議せんぎが行われる。
 仙石左京は、藩の横目付を生野に送り込んで、河野瀬兵衛が潜伏する渡辺角太郎わたなべすみたろうなる役人の別宅を探り出していた。とはいえ、簡単に捕縛して出石に連れ帰るというわけにいかない。なにしろ天領である。
 本来ならば代官に、「これこれこういう理由で、かの者の身柄を国元に連れ返り、裁きにかけたいと存じます」と届け出ねばならない。申し出を受けた代官は、そのむねを幕府に報告し、指示をあおいだ上でようやく、ということになる。
 筆頭家老の左京から、追放の沙汰を得た河野は、出石から目と鼻の先ながらも、身を潜ませる実に絶妙な場所を選んだわけだ。
 一時いつときも早く元凶たる河野を捕らえ、裁きにかけたい左京は、選りすぐった四人の捕り方を近くの村に潜伏させた。
 そして、凍てつく師走しわす二十五日の夜。雪が降り止むのを待って、計画が実行された。
 横目付の合図を受け、駕籠人足かごにんそくに化けた捕り方の四人は、から駕籠をかついで銀山に乗り込んだ。
飛脚ひきやくに使わした者が、急病という知らせを受けましたゆえ、迎えに参りました」
 と門番に告げて、銀山屋敷の渡辺角太郎の別宅に踏み込んだ。
 河野瀬兵衛は夕飯を終え、行灯あんどんの下で神谷転宛の書状をしたためていた。熱を込めて書いた弾劾書がまたも、あっさりともみ消され、かくなる上は、ご公儀に直接働き掛けようとうながす文であった。
 別宅といっても、下男げなんと下女がいるだけのあばら屋で、綿入わたいれ羽織の上に夜着よぎを被って、河野は寒さをこらえながら筆を走らせていた。
 その夜着が綿入れごとがされた。
 河野は「ひっ!」と悲鳴を上げた。
 自分を真ん中にして東西南北の位置に、人足姿の四人の男が立っていた。人足ではなく、武術を極めた侍であることは、立ち姿と体格で一目瞭然いちもくりようぜん
「天領ぞ! ご公儀生野銀山の構内であるぞ、理不……」
 と河野は叫び声を上げ逃げようとしたが、最後まで言う前に猿ぐつわを噛まされ、あっという間にぐるぐる巻きにされた。
 そのまま二人に担がれ、家前に置いてあった空駕籠に放り込まれた。残りの二人は、部屋の書棚に積まれていた書状を、片っ端から風呂敷ふろしきに包んでいった。
 隣家の父と子が騒ぎを聞きつけて、刀とやりを手に飛び出してきた。
 が、息子が刀を鞘から抜く前に、父が槍を構える前に、捕り方の二人の身体が跳躍し、ほぼ同時にみぞおちに入れたこぶしで気絶。
 四人は提灯ちようちんかかげず、銀山屋敷の通りを、音も立てずに駕籠を走らせた。月は雲に隠れていたが、屋敷に積もった雪明かりが黒い影を浮かび上がらせていた。
 夜五つ(午後八時)には、銀山入口の門が閉じられる。二人の門番が、まさに巨大な門に手を掛けた時、駕籠を担いだ四人が現れた。
「病人でござる!」
 という一喝いつかつで、門番たちの身体は硬直していた。本来ならば、彼らの駕籠の中身を検分をし、帳面に記載せねばならぬのだが。
 駕籠と男たちはあっさりと門を抜けた。
 見事、手はずのとおり。
 このまま横目付の待つ隠れ家に一旦いつたん戻り、出石まで夜陰やいんまぎれて河野の護送をする。
 左京の読みはこうだ。
 確かに天領内に踏み込み、一人の人間を拉致らちするのは許されない越権行為だ。が、表沙汰になれば、銀山代官側は、武士の面目めんぼくを潰されるほどの不手際で、恥を天下にさらすことになる。所詮しよせん、隣接する藩の免職された小者こものに過ぎない。表向きにはせず、なかったことにするはずだ。
 もし表沙汰になったとしても、左京には大きな後ろ盾があった。息子の妻は、時の老中首座の松平康任のめいなのだ。すでに康任には、十分すぎる賄賂を送ってある。

 雪の残る山道を、駕籠の一行が走っている。駕籠の中からうごうごとうめく声と、四人の草鞋わらじが、さくさくと雪を踏む音だけしか聞こえない。
 が、その足並みが乱れた。雪を巻き上げながら、突風が正面から一行を直撃した。
 前を行く二人が仁王立ちした。後ろの二人は駕籠を道端みちばたに置くと、腰の脇差に手を掛けた。
 雪女!
 四人は同時にそう思った。
 前方、道を塞いで白装束の巫女が長い杖を手に立っている。
 女は四人の侍を前にして、ふいと笑った。同時にきらりと眼が闇に光った。
 脇差を抜こうとした男たちの手が、ぴくりとも動かない。腕だけでない、全身が氷の塑像そぞうのように固まっている。
 女は駕籠に近づいてきた。
 四人は動かない身体のまま、さらに異様な光景を見た。
 雪道に女の足跡がひとつもついていない。ただ杖の丸い穴だけが、ぽつぽつと刻まれている。
 縄でぐるぐる巻きにされた駕籠に女が手を掛けると、へびが身をよじるように縄がほどけ、雪道に散らばった。
 駕籠のすだれを女が開くと、真っ青な顔で震えていた河野瀬兵衛の顔が雪に照らされた。女は一瞬で猿ぐつわと足の縄を解いた。
 あわあわと河野は叫ぼうとするが、声にならない。
 志乃はじっと河野を見ている。
 その間、侍たちは脇差に手を掛けたまま、動かない顔で女と河野に視線を向けるだけ。
 志乃はふっと横を見た。
 刹那、侍たちの呪縛が解け、「ウワッ」と声を上げた。そのまま脇差を引き抜く。二人はもんどり打って地面に膝をついた。もう二人は、体勢を戻してなんとか脇差を構えた。が、斬りかかる直前に、女が指す方向に顔を向けた。
 銀山の方角から、十数はりの提灯と馬のひづめの音が迫っていた。
 足が自由になった河野が、駕籠から転がり出て、提灯の方角によたよたと歩く。
 四人は一瞬、顔を見合わせ、河野を追いかけようとする。河野の背中の縄を一人が掴んだ時、騎乗きじようの武士が一喝した。
「生野銀山代官、西村貞太郎にしむらさだたろうである! この所行、いかなることか!」
 四人はやむをえず平伏へいふくした。
 一人がハッと振り返り、道脇に置かれたままの駕籠を見た。
 あの白ずくめの女の姿はどこにもない。
(第24回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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