双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著


のみ取り屋おたま脇ばたらき
その一~女蚤取り屋お玉、参上

 空き地で開かれていた猫の集会は、つつがなく終了した。
(ちなみに、猫の集会ってのは、彼らが何を話し合ったのか、何が決まったのか、どこで終わるのかなどなど、さっぱり分からないのですが)
 米屋の主に猫っかわいがりされていたタマは、のたのたと歩いていく。
 おたまは四つ足ではないが、猫歩きでついていった。
(もひとつちなみに、猫歩きというのは、その字のように、猫のように歩くことですが、誰もができるわけではありません。腕に覚えのある武芸者とかがその歩きを見たら、「きさま、何者?」と敵意を向けてくるでしょう。忍の訓練を受けた者だけが使えるひそやかな歩行法なのです)
 タマはマダラ親分の顔をチラと窺って、いつの間にか隣にいた三毛猫のお尻の匂いを嗅いだ。夕べの集会にはいなかった、細面ほそおもてながら身体はぽっちゃりとした美猫だ。
 三毛はぷいと尻尾でタマの頭を叩くと、ヒョイヒタと垣の向こうへと消えた。タマがついていく。
 あ、縮緬の手絡てがら
 いや、猫用の首輪だ。お玉はタマがつけていた端切れを出した。月夜でも夜目よめの利くお玉には、同じものだと分かった。というより、こっちは三毛の首輪のあまりのようだ。
 女は女でも、タマのほうか?
 つかず離れず、タマは三毛についていく。その二匹につかず離れずお玉の猫歩き。
 空き地の路地から表通りを横切り、紺屋町の端まで行く。四日目にして遠征だ。
 三毛は一軒のしもた屋の前で振り返って、タマがついてくるかを確認した。タマはぎくりと立ち止まり、斜め前に視線を泳がせる。
 雌猫の後ろをついていく雄猫は決まって、振り返られると瞬間硬直する。男の性癖に違いない。人間も同じだ。
 三毛の自宅らしきしもた屋は、間口は狭く、何か上品なものをあきなっていたようだ。かすかに香料の匂いがした。
 路地をぐるりと廻って、三毛とタマは裏口に行くと、勝手口の隙間からスルリと入った。
 行灯あんどんがぼんやりと灯っている。
「あら、ミケまる! タマも一緒かい」
 三十過ぎくらいの女の声が聞こえた。
 美猫の名前はミケ丸というようだ。
 お玉は路地の壁にへばりついて耳を澄ました。忍の術でいうと、木の葉隠れで、柿色の塀と同化している。背負っていた薬箱を地面に置いて、乗っかると塀の向こうの家の内部が見えた。
 障子しょうじが開いて、女が顔を出した。
「おやまあ、もうすぐ十五夜だね」
 とうっとりとした眼で、空の半月を見上げる。面長おもながで、なかなかの美人だ。まだ三十路みそじには遠かった。浴衣が半分はだけていて、白い胸元が眩しい。ミケ丸を人間にしたら、こういう女になりそうだ。飼い猫は飼い主に似るのか、その逆なのか? 
 ただ十五夜までまだ十日以上あるわけで、間が抜けているようにも思える。
「ミケ丸、またタマを連れてきたんだね。お腹はすいてないかい?」
 ミケじょは背中を見せて障子を閉める。ニャオンと涼やかな声で答えたのはミケ丸のほうだ。タマの声はもっと濁っていた。
 お玉はミケ女が見上げた半月を眺める。
 このしもた屋は以前は、小間物屋こまものやだったと思われる。女向けの白粉おしろいや香料、髪飾りや手絡といった品を売っていて、何かの理由で商売ができなくなったようだ。
 小間物屋ならば、ミケ丸が手絡を首輪代わりとしていても不思議はない。ついでにタマにもおそろいをつけたやったわけだ。ミケ女の仕業だとして、一人暮らしかはまだ分からないが、誰かの女房ではなさそうだ。
 ミケ丸がここの飼い猫だとして、問題はタマがなじみで、ミケ女がその名前をちゃんと呼んでいることだろう。
 猫がいくつかの別宅を持っていることはあるが、それぞれの家で別の名前で呼ばれていたりする。ま、たまたまありふれたタマで、重なったのかもしれないが。
 さて今夜のとこは、引き上げるかな……。
 お玉は出かかったあくびを噛み殺す。
 タマの縮緬の切れ端の出所が知れたことだし、蚤まで貰ってきたのかとか、ミケ女の素性は明日から調べるとして……。
 お玉が塀から離れようとした時、ガタッと襖が開く音がして男の声が聞こえた。
「ヒャマっ! ろこへへったかとほもったじゃねえかぁ、ひんぱいひゃけやがってひょぉ」
 ひやけやがってひょぉ、の語尾はさらに濁っている。口の中のできものが酷くなった上に、猫を抱き上げて頬ずりしているのだ。
「勘さん、タマが嫌がってるじゃないの!」
 とミケ女のコロコロとした笑い声。
「へんなこと、にゃあよお、ヒャマはかはいいいな~、ヒケ丸ちゃん、ひげるなよぉ」
 勘三郎かんざぶろうはどうも、猫っかわいがりすればするほど、猫のほうからは嫌われるようだ。
 米屋の亭主が現れたということは、お米の直感どおりだったということか?  勘さんこと勘三郎が先か、飼い猫のタマが先か?
「ほら、勘さん、もう遅いよ。飲み過ぎると、できものも治らないし、もう帰らないと、おかみさんにまた勘ぐられるよ」
「カンはんが、カンくられる? それりゃあ、おひらのさためだな」
 イテテと言いながら笑っている。
「シャレにもならないよ。あたしゃまっぴらさ。女の嫉妬はこりごりだからね」
「もうばれてっかも……」
「嫌だよ。あたしは堅い女で通っているんだ。噂が立つのも困るんだ……なのに、こんなことになっちまって」
「そうはひっても、へきちまったことは、ひょうがへえよ」
「初めてなんだよ、子ども産むのは」
「ま、でえひょうぶだよ、ほれにひゃかせて、な、おひゅひ……」
 そこまで聞いてお玉は路地裏から離れた。塀の向こうから、夜鳴き蕎麦屋そばや提灯ちょうちんが来るのが見える。灯りに全身がさらされそうだ。
ここまで聞けば充分だ。
 米屋のふじ屋には、年ごろの娘が二人いて、どちらかに婿をとって継がせるとおよねが話していた。勘三郎は商売仲間とのつき合いで吉原遊びはあっても、これまで他に女を囲うこともなかったという。
 商売が落ち着いて、女を作ってあげくの果てに的中してしまったってことか。よくある話だが、なにしろ、おかみさんのお米はとっても悋気りんき持ち。今度のことも、飼い猫タマの行状ぎょうじょうから夫の浮気をまさに勘ぐって、めでたく(ないか)的中した。
 米屋夫婦に波風が立とうが立つまいが、お玉にとってはどうでもいいけれど、頼まれたお足の分はきっちり調べて、お米に知らせなくてはいけない。
 勘三郎が呼んでいた「おひゅひ」という女の素性を調べれば、蚤取り屋お玉の今度の脇ばたらきは終了だ。
 しもた屋に住むおひゅひは、おゆきといって、小唄の師匠をしていた。
 元々は、ミケ女ではなく、小雪丸こゆきまるという柳橋やなぎばしの芸者だった。柳橋を得意先にしていた小間物売りに見初みそめられて後妻に入った。借金で小さな店を構え、これからという時に、亭主は卒中であっさりあの世に行ってしまった。
 それがちょうど半年ほど前で、お雪は亭主の葬式をあげると早々に、小間物屋を畳み、小唄の師匠の看板を掲げた。
 元芸者の色っぽい後家ごけということで、近所の鼻の下を伸ばした旦那衆だけでなく、左官や大工の親方連中まで弟子入りした。
 ただ、ふじや勘三郎は小唄を習いに来ていたわけではなく、どうやらタマがミケ丸を追いかけたことで、縁ができたようだ。
 まだ二人の関係は、弟子たちには知られていないようで、お雪が噂を気にするのもよく分かる。男ができたと発覚すれば、弟子たちの半分以上はいなくなるだろう。
 こうしたお雪の素姓は、裏長屋の糊屋のりやのばあさんが教えてくれた。噂話こそが長生きの秘訣というばあさんも、まだ勘三郎の出入り、ましてやお雪のお腹に子がいるということまでは知らなかった。
 ここまで調べて、お玉はお雪の家を訪ねた。
 さぐりを入れるためだが、自分の鼻がひくひく動いていた。「あんたの秘密を知ってるよ」という優越感が出たようだ。
 忍者修行に精を出していた子どもの頃から、術を会得すると得意顔になって鼻が動く。修行仲間のかえで猫吉ねこきちにずいぶんからかわれた。
 鼻の頭をゴシゴシ擦ってお雪に告げる。
「猫の蚤取りしますよ。おたくのミケちゃんの」
「ふーん」
 お雪は腕組みをしてお玉の顔をしげしげと見ている。帯はゆったり巻いているが、まだ腹は目立つほどではない。
「ここらの猫を飼ってる家を廻ってまして。裏長屋の糊屋さんとか、酒屋の三池屋みいけやさんに、煮売り屋さんに奈良飯屋ならめしやさんに、それから米屋のふじやさん……」
 ここでお雪は薄い眉をピクリと上げた。
「……その毛皮を使うのかい?」
「ええ、猫にお湯に入ってもらって……」
 お玉が説明しようとすると、お雪はあっさりと腕を解き、首を横に振った。
「いい、ミケ丸はやめとくよ」
「えっ、でも……」
「あんたねえ、そんな恰好で、男のふりして蚤取り屋なんぞ、怪しいね。何か裏があるとみた」
「あ、いや……」
「とっとと、尻尾巻いて消えな!」
 お玉は絶句した。この女は妙に鋭い。半月を眺めて、寝ぼけたことを言っていた同じ女とは思えない。
 お雪は「さわるじゃねえか」と呟くと、クルリを背を向けた。
 むかっ腹が立って、お玉はふんと鼻息で答えてやったが、お雪の姿はもう消えていた。
 こうなったら、お米のところに行ってあらいざらい教えてやるだけだ。

 米屋の夫婦喧嘩は凄まじかったらしい。
 犬も喰わないというが、飼い猫のタマがすっとんで隣家に逃げてきたという。
 三日後にその後が気になったお玉は、紺屋町まで出かけていった。
 糊屋のばあさんが騒動の一部始終を話してくれた。ばあさんとて人から聞いたのだが、まるで見てきたように(実に楽しそうに)語った。
「匂いで火がついたんだよ」
 お玉が調べ上げたことをお米に伝えた夜のことで、その夜も勘三郎は、ほろ酔いで帰ってきた。わずかに香の匂いを漂わせていて、それを女房の鼻が掴まえた。
「あんた! お雪って女と~」
 とお米は、怒りのかまどまきを盛大にくべた。一升枡いっしょうますを両手で振り回して、亭主を追いかけた。
「ひゃやう、ひゃやう、けんちけえた」とか、「ひゃあつは、ひほうほひゃ」と、勘三郎は必死に何かを訴えようとしたが、なにしろ口のできものが痛くて、言葉にならない。
「なにさ! 泥棒猫の、芸者を孕ませたっていうじゃなか。あんた、使用人だったくせに、よそに女なんぞ、いい度胸だ!」
 お玉は聞いていなかったが、勘三郎は元々、ふじやに丁稚奉公でっちぼうこうで入り、先代に見込まれて婿入りしたのだった。
 ろれつの回らない婿どのは、使用人や娘が見守る中、枡の底で頭をはたかれ、ほうほうのていで逃げ出した。
「どこへ逃げたかと思ったらさ、そこさ」
 ばあさんはあっちと顎をしゃくる。
「お雪さん! 自分の女のところ」
 にやりとばあさんは笑う。
「そうだけどね、逃げ込むためじゃない」
「えっ?」
「それから勘さんは、お雪さんを女房の前に連れていったのさ」
「じゃあ、本妻と愛妾あいしょうがいきなり果たし合いとなった!」
「それがさあ、違うんだ。そもそも、勘さんの言い訳、“ひゃやうひゃやう”は、“違う違う”で、“けんちけえた”、は“勘違いだ”って言ってたんだ」
「勘違い、って言ったってねえ、それは通用しないわ」
「そうじゃないのさ」
「はあ?」
「“ひゃあつは、ひほうほひゃ”ってのは、何て言ってか、あんたわかるかい?」
「ひゃあつ、ひゃあつ……ひゃ、暑いなあ……違うか、ひゃあつ、“あいつ!”だ」
「そう、あいつは、さ。で、“ひほうほひゃ”、は?」
「ひほうほひゃ……ひほうほだ……?」
「いいかい、それは、“いもうとだ”、さ」
「そうか! いもうと、か……えっ!、妹! 妹を孕ませた?」
 お玉が飛び上がった途端、後ろから肩を叩かれた。恐い顔をした妹のお雪がいた。帯はきゅっときつく締められていて、形のいい胸が目立っている。

 勘三郎を真ん中に右隣にお米、左隣にお雪が座り、頭を下げるお玉を三人で睨んでいる。
「ごめんなさい……」
 何度目かの謝罪に、またふんと勘三郎が鼻息を吐いた。
「ま、あたしがそもそも先走って、疑っちまったのもいけないし」とお米。
「やっぱ、さっさと俺が生き別れていた妹だって、おめえに会わせればこういうことにはならかったな」
「あたしが勘さんに、それはやめてくれって、言ったからさ」
 さっきまでお玉をなじっていた三人だったが、いつしかしみじみと頷き合っている。
 勘三郎は普通に喋れるようになっていた。お米に一升枡で叩かれたことがきっかけで、口の中のできものが引っ込んだという。
 芸者の置屋おきやだった勘三郎の父は、ずいぶんと道楽者であちこちに女を作って、お雪もそんな一人に産ませた子だった。勘三郎とは歳の離れた腹違いの兄妹だったわけだ。
 お雪を産んだ後で、芸者だった母は船宿の板前と所帯を持った。その板前が勘三郎の父を刺し殺した。またお雪の母にちょっかいを出そうとしたことが原因だった。板前は死罪となり、お雪と母は消息を絶った。
 小間物屋の後家になった頃、兄と妹は再会を果たした。タマとミケ丸が二人を引き合わせたのだ。勘三郎は小間物屋の借金を払い、お雪が一人でも暮らせるように金子きんすを都合した。お雪は身の上を恥じ、お米の気性を知って、名乗り出ることをためらったのだという。
「まったく水くさいじゃないか。そんな妹さんがいたなんて」
「ねえさん、あたしなんかが妹だって分かったら、兄さんの肩身がますます……」
「ようやく、兄さんと呼んでくれたな」
「あ、そうだね」
 身内三人は微笑み合う。
「でも、あの……女の嫉妬はこりごりだって」
 お玉は小さい声で問うてみる。
「小間物屋のたつさんに口説かれた時、病で伏せたおかみさんがいたのよ。誰から聞いたのか、あたしのことを知っていて、死ぬ前に……祟ってやる、って……」
 お雪は白眼を剥く。場が凍りついた。
「私はそんなじゃないよ」
 とお米は泣きそうだ。
「分かってるさ。俺は親父を見てたからな。よそには女なんぞつくらねえよ」
「あんた」
 お米は潤んだ眼で亭主を見つめる。
 まったく、犬も喰わないじゃないか!
 と、お玉が眼を三角にした途端、にゃあとにゃあご、と二つの猫の鳴き声が聞こえた。
「お、タマがけえって来た。ミケ丸も一緒じゃねえか」
 勘三郎は跳ね上がると、襖を開く。縁側に二匹が並んでいる。タマはするりと勘三郎の手を抜けて座敷に入ると、なぜかお玉の膝に頭をすりつける。
 仕方なく勘三郎はミケ丸を抱き上げる。細面なのに、お腹はふっくらと大きい、
「兄さん、乱暴にしないでおくれ」
「そうだよ、あんた、ミケ丸のお腹にはタマの子がいるんだからね」
「わかってるよ。初めてのお産だもんにゃあ。丈夫な赤ちゃんを産んでくれよぉ~」
 頬ずりしながら、やっぱり猫撫で声。
 お玉の膝に乗ったタマが、にゃあごにゃごと鳴きながら、顔を見上げた。
「このおっちょこちょいの蚤取り女、ざまあねえな」
 お玉の耳にはそう聞こえた。


(第3回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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