双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著


のみ取り屋おたま 脇ばたらき
猫小僧成郎吉ねここぞうにやろきち 盗みばたらき
その四~双忍そうにん、奉行所へ忍び込む

 それから十日ほど後。
 ということで(ってどういうことかはおいおいと)、お玉と成郎吉なろうきちは江戸の南町奉行所に来ていた。
 よりによって奉行所!
 ご存じかも知れないが、簡単に解説をすると、江戸には南と北と二つの奉行所がある。南北といってもお城のすぐ脇、大名小路だいみようこうじと呼ばれた大名屋敷の並ぶ一角にあって、少し離れていただけ。歩いても四半刻(約三十分)あまりだ。
 この北と南の奉行所が、広い江戸の治安を守り、事件があると捜査をしたり、下手人げしゆにんを捕まえ裁いたりしていた。
 月番制で、一月ひとつき交代で片方の門が開いていて、閉めている方は役人が事務処理をこなしつつ、もちろん犯罪の取り締まりや捜査は日夜与力よりきや同心が行っていた。
 南北のそれぞれ一番上にいたのが、お奉行様と称される町奉行。この物語が展開している時に、ちょうどこの職についてにらみをきかせていた南町奉行はかの鳥居耀蔵とりいようぞう
 そう、天保てんぽうの改革を鬼のように推進しようとしている悪名高き、妖怪とも称されたお方である。
 ちなみに、北町奉行をやっていたのが、遠山とおやまきんさんこと、遠山左衛門尉景元さえもんのじようかげもと。こっちの遠山様が物語に登場するかどうかは……まだ、分かりません。
 そんなことよりも、恐ろしい鳥居様のいる南町奉行所に、お玉と成郎吉がどうやって入り込もうとしているのか。
 蚤取り屋でした。
 少し前のことだが、国芳くによしの画房にお玉を送りこむのに、同心の岡倉市平太おかくらいちへいたが、いわば忍法“蚤移し”とも名付けられる手を使ったのを、読者は覚えておられるだろうか?
 岡倉家の飼い猫のゴンベエは、お玉が駆除くじよしてもすぐに蚤をもらってくる。岡倉はゴンベエの蚤を国芳家の猫に移した。猫好きの国芳のところには、飼い猫やら出入り猫が十数匹いて、たちまち蚤だらけになった。
 国芳を化け猫殺しの現場に引っ張り出すためだったのだが、狙いどおりに蚤取り屋のお玉が出向いていって、事件の解決に至ったというわけだ。
 不本意ながらも今回、お玉はこの手を使った。
 盗人ぬすつと稼業の成郎吉はもちろん、忍者のお玉も、どんな屋敷だって夜中にへいを越えて侵入できる。とはいえ、仮にも奉行所である。警護という面ではそれなりに気を配り、不測の事態に備えていた。
 加えて老中の水野忠邦みずのただくにが改革に着手、鳥居耀蔵を奉行に任命するに及び、外だけでなく内への締め付けも厳しくなっていた。
 お玉と成郎吉はあれこれと案を出し合った(というよりも、もめにもめた)末に、真っ昼間、正面から入ることになった。
 少しだけつけ加えておくと、この二人が息の合った双忍だったのは三年前までのこと。
 なにせ成郎吉が別(敵方)のくの一に心を移し(頭によるとたぶらかされたのだけど)、抜け忍という忍者にあるまじき裏切りに至り、戸隠村とがくしむらから失踪した。刺客しかくとして放たれたのは、当然のことながら双忍の片割れのお玉。
 そんなもろもろがあって、十日前の殺し合いとなったわけだ。
 その二人が、頭から「元の双忍に戻れ」と命令されても、である。
 双忍は、組み合う二人の忍者の心はむろん、技も一致して倍以上の能力が発揮できる。言葉を交わさずとも、目と息だけで会話をし、臨機に応じた行動がとれるのだ。
 そんなわだかまりだらけの二人で、今度の任務はうまく運ぶのだろうか?
 話を戻すと、奉行所は巨大組織で、出入りする与力や同心だけでなく常勤の者もいる。奉行も家族ぐるみで住んでいる。屋敷内には台所もあって、下女げじよや使用人たちの住居すまいもあるらしい。
 らしいというのは、お玉も成郎吉も奉行所には近寄ったこともないから、詳しいことは何も知らない。
 ともあれ、人がいるところには猫もいる。鼠避ねずみよけという名目で飼われているとかで、加えて出入りのノラやら、隣近所の大名屋敷の猫たちも、お白洲しらすでのお奉行様の裁きを見物にやってくる(それは冗談です)。
 それらの一匹にご協力いただいて、お玉は南町奉行所内の猫を蚤だらけにした。それから岡倉に口利きしてもらって(というか、そでの下を渡して)、番方ばんかた与力の斉藤某さいとうなにがしの依頼ということで、駆除におもむいたというわけだ。
 岡倉に頼むにあたり、当然目的を聞かれるかと思ったら、「へえ、そうかい」と笑うだけ。この同心は得体えたいが知れない。そもそも、お玉が岡倉と知り合い、手下みたいなことをする羽目はめになった経緯いきさつだけど……。
 それはそれで若干じやつかん長くなるので、またの機会に。

 しかし、天保の改革によって、何かと厳しくなったことがお玉たちに幸いした。
 何しろ奉行所が繁盛はんじようしている。繁盛という言い方はふさわしくないのだけど、とにかく次から次へと出されたお触れやらご禁制やらで、検挙される犯罪人が、長雨ながあめ後の掃きだめのゴミみたいに増えた。加えて世情が荒れることで、もめ事、訴訟ごとも容赦ようしやなく増加した。
 こうした日々押し寄せる案件は、まず担当の与力によって下調べが行われるのだが、南北合わせて五十騎しかいない与力では、とても裁ききれない。
 表門の前に、奉行所に入れない訴訟人を待機させるための茶屋が出来たのだが、もう五軒に増えている。こっちも大繁盛。
 お玉と成郎吉が表門横の受付で用件を告げると、うるさそうに出入り業者用の裏門にまわれと告げられた。
 こんなことなら、わざわざ“蚤移し”をせずとももぐり込めたかもしれない。
「お、蚤取り屋かい、本当にいるんだな。夫婦もんかよ、本物も連れているとはな」
 お調子者の門番は、お玉の猫の目入りの薬箱と、成郎吉の背負っている猫袋のクロを見て、ゲラゲラと笑う。
 お玉と成郎吉もエヘヘと追従ついしよう笑いで、小粒をそっと門番に渡す。
 話は通っていて、お玉と成郎吉は下男げなんに案内されて広い台所に連れていかれた。
 台所では、数名の賄人まかないにんや女中たちが昼飯の仕込みをしていた。
 現れた女中頭が、首をガリガリときながら、板場に座っている茶トラ猫を指した。
 お玉はコックリとうなずくと廊下に出て、蚤取りの準備を始める。
 成郎吉は帳面と矢立やたてを出して、
「他にはどういう猫がいるのか、出入りしているのか教えて下さい」
 と女中頭に尋ねる。
「うーんと、ここと女中部屋に三匹かしら。それから……」
 と考えている。
「大体でいいです。あとは皆さんに聞いてみます」
「あ、お奉行の奥方様のところにも一匹」
「鳥居様の奥方様は猫好き?」
「お奉行様はあまりお好きじゃないみたいだけど」
 聞き込みは成郎吉に任せて、お玉は茶トラを捕まえにかかった。
 お玉がゆっくりと近づくと、茶トラは身をかがめ警戒する。
 お玉と茶トラはじっとにらみ合う。
 ジリと近寄った時、成郎吉の背中にいたクロがひょいと飛び降りた。
 茶トラがフギャと驚いて飛び退いた。クロがニャッと追いかけていく。
「あ、こら、クロ!」
 成郎吉が慌てて追いかける。
「あんた、何してんの!」
 とお玉もあたふたして、自分の置いた薬箱に足を引っかけて派手にひっくり返る。
「ま、あんたら!」
 女中頭が怒鳴りつけ、賄人や女中たちはゲラゲラと笑い出す。
 やっぱり息が合わないのか、使えないドジな組み合わせの猫の蚤取りが始まった。
 いつものようにクロの後を、成郎吉はひたひたと歩く。
 いつもと違うのは、まだ日が高く明るい。月もない夜中だったりすると、クロの姿も闇に溶けて見失いそうになるのだが。そうした時刻のほうがはるかに落ち着く。しのび(盗人)のさがだ。尻の穴がもぞもぞする。
 奉行所はやたらと広く、このあたりはひっそりとしていて、空気までよどんでいる。表門近くは茶屋があるくらいに人が溢れているし、公事場くじばや裁きが行われる白洲、同心や使用人の詰所つめしよ、先ほどまでいた台所あたりは、たえず人が出入りしていたのだが。
 その台所あたりでお玉は、まだ大騒ぎをしながら猫の蚤取りをしているはずだ。なるべく一匹に手こずって時間をかけて。
 成郎吉は他の猫を探しにいく、という言い訳を女中頭や賄人たちに告げて、奥へとやってきた。
 お頭によると、奉行や当番与力たちが詰めて書類仕事をする用部屋があり、祐筆ゆうひつの控え室も近いという。ならば例のものは、その近辺にあるはずだと。
 表門からうかがった折や、裏門から入って眺めただけでも蔵がいくつも並んでいた。広い屋敷のどこかの部屋、あるいはたくさんある蔵の中にしまい込まれていたら、いくら腕のいい盗人でも、忍の者でもお手上げだ。
 屋敷の奥はひっそりと眠っているようだ。
 クロの足がぴたりと止まり、振り向いて成郎吉を見た。足音が近づいている。
 すぐ横の人気ひとけの無い部屋のふすまを開くと、クロがスッと入り、成郎吉が続く。八畳ほどの小部屋で屏風びようぶ一双いつそう置かれているだけ。
 成郎吉はクロを抱いて耳を澄ます。内与力だろうか、足袋たびをする足音と、はあはあと息を吐く音が通り過ぎた。
 足音がとまり「お持ちしました」と告げる声がして「入れ」という甲高かんだかい声が続く。
 クロが成郎吉の顔を見る。成郎吉は小さく頷くと、小部屋の天井てんじようを見上げる。
 成郎吉は屏風を部屋のすみに移動して、ひろげて立てるとクロを抱いたままで、器用に上に乗った。右手で天井板をついと押すと、隙間ができる。クロが成郎吉の肩から天井裏に音もなく忍び込む。
 この組み合わせこそ双忍だろう。何の言葉も、何の合図も交わさずに、以心伝心で二人は行動をとる。
 クロは天井裏の四方を窺った後ではりを伝い、内与力が向かったほうへと歩いて行く。
 その時には成郎吉も天井裏に入り込んでいる。天井板を元に戻し、一応、ほこりの積もった板に×の印をつけておく。
 そのままクロの後を追った。
 下から聞こえてくるが声が次第に大きくなった。内与力はすでに去っていて、別の男の声が聞こえた。この男の太い声に、先ほど「入れ」と言った男の甲高い声が混じる。
 梁の上に座るクロの口に、成郎吉は指を当てる。鳴くなという命令だ。
 そのまま成郎吉は梁に手をかけ、半身を真横に伸ばすと、天井板ギリギリに頭を持っていく。
「鳥居どのも、このままのやり方でよいと」
「水野様から、とことんやれと」
拙者せつしやも水野様の意は十二分に理解した上で、進める所存だ。それにしても、この“武家やしき内での賭博の禁止”はよいとして、“矢場女やばおんなの矢拾いを禁ず”であるとか、これ、“好色本の発売禁止”は通すとして、“役者絵、遊女絵、芸者絵の錦絵にしきえを禁ず”と、立て続けに禁令を出すのはいささか早急では」
「いえいえ、やります。出版に関しては、次なる手も打ちます」
「ほう、どのような」
為永春水ためながしゆんすいと申す戯作者げさくしやがおります」
「ああ、『春色梅暦』しゆんしよくうめごよみか。あの者の人情本は、内容がいかがわし過ぎると、昨年の暮れであったか、取り調べが行われたと聞いておる」
「調べたのは北町のほうです」
「遠山か」
「南町の私が鬼だというもっぱらの評判、月番が変わって北町の門が開くと、町人どもがお達しが厳しすぎると陳情しんじように押し寄せる始末。遠山どのにいい顔ばかりをされたのでは割が合いません」
「遠山に人気が集まるのが、不満か?」
「私が怖れられる、蛇蝎だかつのごとく嫌われるのは構いません。むしろ本意です。しかし南と北でいびつになるのも避けねばなりません」
「それで為永をどうする?」
「人情本を禁じ、為永春水に手鎖てぐさり五十日とするつもりです」
「なるほど。遠山が取り調べたが故に、戯作者も罰せられるという見せしめか」
「それが私のやり方でございます。信濃守しなののかみ様も、異例の大抜擢だいばつてきでご老中に成られたのです。どうか水野様の改革の方針を、迷いなく進めていただきたい……」
 盗み聞きしていた成郎吉は、“信濃守”という鳥居の言葉に思わず息をんだ。
 鳥居と話している相手は、真田さなだ信濃守幸貫ゆきつら
 十日前にお頭が口にした“今の松代藩まつしろはんのお殿様”がそこにいた!
 真田幸貫は、寛政かんせいの改革の推進者松平定信まつだいらさだのぶの次男で、先代の七代松代藩主真田幸専ゆきたかの養子となった。六代真田幸弘ゆきひろの孫であった雅姫まさひめを妻として、三十三歳で松代藩主にいた。
 その頃から藩内は、保守派の真田党と、改革を進めようとする恩田おんだ党の二つの派閥に分かれ、対立するようになっていた。お頭の言うごたごただ。このあおりを食らって戸隠忍者一派の猫目一族が一掃されたのだ。
 そんな折、水野忠邦の急激な天保の改革が始まり、反対した老中の太田資始おおたすけもとが辞任に追い込まれた。その後釜あとがまとして、外様とざま大名でありながら老中に抜擢されたのが五十一歳の真田幸貫だった。烈公れつこうの名で知られる水戸みと徳川斉昭とくがわなりあきの強力な推挙すいきよがあったという。
 その当人がこの下にいる。
 成郎吉は梁を移動すると、部屋の隅の天井板を一寸(約三センチ)ほどずらして中を見た。
 鳥居が書斎のように使っている部屋らしく、文机ふづくえを囲んで、ぎっしりと本や資料の積まれた本棚が並んでいる。
 文机を挟んで背中を向けているのが鳥居で、向かいに真田のお殿様がいた。上からなので、広い額とくりくり動く眼、真ん中に鎮座ちんざする大きな鼻がかろうじて見えた。
 成郎吉は以前、村を巡回する姿を遠目から見たことがあった。今の殿様のほうが精力的であぶらぎっているようだ。
 わずかな隙間から成郎吉は、本棚に置かれた資料を窺った。ここに狙いのものは……。
 真田の殿様と鳥居の話は次に及んでいた。
「……商人どもをそのように取り締まれば、江戸はさびれるぞ。それでよいのか?」
「元の江戸に戻せばよいのです」
「しかし、お上の御金蔵おかねぐらはカラッカラだぞ。財政はいかにして立て直す?」
「手はいくらでもございます。たとえば二十日はつかほど前、日本橋にほんばしの薬種問屋が禁制の薬を売りさばいているのが摘発されました。で、実に一万両もの隠し金を没収いたしました」
「その話は聞いた。かわら版で読んだ。“化け猫殺し”であろう」
「かわら版も、ご禁制ですぞ」
「固いことを言うな、世情を知るためよ」
吟味びんみはこれからですが、これが資料です」
 文机に、どかりとひもでくくられた大福帳だいふくちようや資料の(たばが置かれた。
「!」
 天井板の隙間から、成郎吉は文机の上の束を凝視した。
 束がずれて、「救仁丸きゆうじんがん」と赤い文字の薬袋が見えた。お頭が調合した滋養強壮の薬。
 これだ!
 中身は薬ではなく、ある人物が出したとされる指令書が入っているという。お頭が猫目を失うまでして手に入れ、隠していた書き付けだ。猫目一族の存亡、いや、柳営りゆうえいさえも揺るがすやもしれぬという指令書。
 それを今、鳥居耀蔵と真田幸貫が眼にしたら、どのような事態になるのか? 
 成郎吉に分かるはずもない。
 にしても、何としても、二人に見られる前に奪わなくてはいけない。
 鳥居とお殿様の話は別に移り、書類束は文机の脇にずらされた。しかし、鳥居の指が紐をもてあそんでいる。ほどけそうだ、今にも!
 どうする?
 成郎吉は離れた梁で、じっと動かないクロを見た。
 クロは黄金の眼を向けると、口をわずかに開いた。何かを告げようとしている。
 しっ、成郎吉は指を口に当てる。
 クロの口が大きく開くのと、ミャギャアとけたたましい猫の鳴き声が同時に聞こえた。
 成郎吉は天井板を素早く元に戻すと、クルリと梁の上に戻る。
 鳥居の部屋の襖がガラリ、と開く音がした。
「何やつ!」
 と鳥居の叫び声が聞こえた。

 部屋の前の廊下で、お玉が大きなぶち猫の尻尾しつぽつかんで転がっていた。
曲者くせもの!」
 刀を手にした鳥居耀蔵が飛び出してきて、眉間みけんしわきざみ、怒鳴りつけた。
 恰幅かつぷくのいい武士も、脇差わきざしを掴んで立ち上がっている。
 二人はぽかんと口を開けて、必死で猫を抱えている男のなりをした小娘を見ている。曲者といえば、見るからにその通り。
「あの、猫の蚤取り屋でございます。ちょいと手間取りまして、こいつが最後の猫なんですが」
「ね、猫の蚤取り屋だと?」
「申し訳ありません。お屋敷が広くて、猫を追いかけていたら、このようなところまで迷い込んでしまいまして。お奉行所内の猫が皆、蚤だらけで、皆様も難儀なんぎされているとかで、あたしが雇われたのでございます」
 ぶち猫の首根っ子を掴み、まくし立てる。
「そういえば、ここのところ……」
 鳥居は脇腹を掻いた。
「さすがにお奉行所の猫は皆、強敵でございます……。あ、あんた、どこにいたのよ!?」
 お玉が差すと、反対側から口を半開きにした間抜まぬづらで、成郎吉が現れた。
「すいません。あたしの亭主でございます。こいつはあたし以上に馬鹿で使えなくて、あんた何しているの!」
「あ、すんません。黒猫がこっちのほうに逃げてきたもんで」
「え、まだいたの? 本当に役立たずなんだから! こら、おとなしくしろ!」
 お玉は腕の中で暴れる(背中をつねって暴れさせているのだけど)ぶち猫の頭をピシャリと叩く。
「おい、奥が可愛がっている真田丸さなだまるだぞ。手荒にするでない」
「鳥居殿、その猫の名は真田丸と申すのか? われは、もしや我が一族の……?」
「背中のぶちが六文銭ろくもんせんに見えるとかで、たわむれに付けたのでござる」
「えっ、何? 鳥居殿? いや、様! じゃあ、お奉行様ですか、どうしよう、申し訳ありません。どうか、お許し下さい。牢屋とうやに入れないで下さいませ。あんたもあやまって!」
 お玉はあたふたと廊下とうか土下座どげざした。潰される羽目になった真田丸が、ウギャアとすさまじい声を上げて暴れる。
「ええい、さっさと蚤取りやらを……」
 と憮然とする鳥居に、成郎吉が叫んだ。
「あ、いた、黒猫!」
 その声にお玉が両手を開いたので、真田丸が飛び出し、鳥居の書斎に逃げ込んだ(逃げ込むようにしむけたのだが)。
 鳥居と真田のお殿様が振り向くと、書棚の上にいつの間にかクロがいる。
「あ、捕まえて!」
 と飛び上がったお玉につられて、鳥居とお殿様がクロと真田丸を追いかけた。
 二匹の猫は、ウギャニャアと鳥居の書斎を暴れまわる羽目に。
 書籍や資料が部屋を舞い散り、筆や硯に文箱ふばこ、湯飲みや帳面がひっくり返る。
「こら、やめろ、私の……」
 と鳥居が冷静さを失って、クロ目がけて刀のさやごと殴りつける。
 クロはひらりと身をかわすと、書斎を飛び出した。鳥居が追いかける。真田丸もドタン、ギャッと続き、追いかけたお殿様が、廊下を腹這いで滑る。
 その一瞬の隙に、成郎吉は大松屋おおまつやの書類束から「救仁丸」の袋を抜いてふところに入れた!
 お玉がそれを見てかすかに笑った。
 これぞ双忍(いやクロも入れると、三忍と呼ぶべきか)の組み技!
 
 それから一刻(約二時間)の後、奉行所を住処すみかとする最後の猫、真田丸の蚤取りを首尾よく済ませて、お玉と成郎吉(背中の猫袋のクロももちろん)は帰路についた。
 何はともあれ、双忍に戻り、お頭の指令を達成した二人なのだが……。
 さて、これから、蚤取り屋お玉の脇ばたらきと、猫小僧成郎吉の盗みばたらきは、どのような様に相なるのか?(それから、謎の白髪しらが志乃しのも?)
 まだまだお話は続くようでござる。

(第19回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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