双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著


猫小僧成郎吉ねここぞうにやろきち 盗みばたらき
その三~にゃろきち、猫に化ける

 これは偶然なのか?
 いや、しのびばたらきの道筋には、偶然などというものはなく、すべてがつながっているとかしらから教わった。その繋がった糸の結び目を見つけられる者こそが、真の忍なのだと。
 成郎吉なろうきちはとっくに真の忍者になる道を閉ざして今に至っているのだが、それでも考えてしまう。
 成郎吉の目の前に置かれているのは一枚のかわら版だ。浅草寺せんそうじ奥山おくやまでかわら版売りが、声高こわだかにでなく、あたりをはばかる声で売っていた。お上のお達しでかわら版が禁止されていたからだ。
 浅草寺の雷門かみなりもん境内けいだいではなく、見世物みせものやら露天の出ている奥山で売られているのも、それなりに配慮しているのだろう。それでも奥山に物見遊山ものみゆさんで来た客たちは、おどろおどろしい殺人事件を伝えているかわら版を買い求めていた。
 かわら版には、「化け猫殺し」という見出しの横に、髪を振り乱した女がなたを振り上げ、猫に化けようとしている男を惨殺している絵が描かれている。十日ほど前に起きた凄惨せいさんな事件。
 日本橋にほんばしの薬種問屋「大松屋おおまつや」の隠居が、浅草山谷あさくささんや(というと、ここからも遠くない)の別宅で、下女げじよめかけらしい)に鉈で惨殺された。それも下女の言い分では、隠居が化け猫になって襲ってきたからだと。
 大松屋には、その前に忍び込んだばかりだ。そこから三両あまりの現金と、高麗人参こうらいにんじんを盗んできた。店の奥の蔵から漂う匂いの記憶には迫れなかったが(何しろ用心棒らしき浪人者と遭遇してしまった)。
 ちなみに、ぞくに入られたことを大松屋は奉行所どころか番所にも届けていない(ようだ)。予想通りで後ろ暗いことがあるからだ。
 成郎吉はかわら版と、横の薬研やげん、置かれているうつわをしげしげと眺める。
 器の中は粉になって調合された薬が入っている。ある種のきのこを焼いて粉にしたものと、芥子けしの種の粉が調合されている。
 三日前からこれを勝兵衛かつべえ宅に忍び込んで、かまどに放り込んでいぶしている。
 戸隠忍法とがくしにんぽうの秘技「幻妖げんようの術」。
 この薬を飲ましたり、煙にして吸わせると、幻覚を起こすことができる。
 成郎吉は本当はまだこの術を完全に会得えとくしているわけではない。戸隠村で教わっている途中で抜け忍になってしまった。
 成郎吉は総合的には出来のよくない忍者だったが、こうした小細工仕事はけていた。ゆえに頭は成郎吉に教えたのだろう。
 まだ三回試みただけなので、勝兵衛と女房のおひさに効いたかは不明だ。
 それにしても、である。
 かわら版の「化け猫殺し」。
 これは誰かが「幻妖の術」を使ったのではないのか? 使ったとすると……。
 薬研で芥子の種をゴリゴリとりながら、成郎吉はこの必然としか思えない偶然について思いを巡らせている。
 かわら版に記されている内容。「大松屋」(この前盗みばたらきをした薬種問屋だ)の隠居が、化け猫になって妾を襲ったので、逆に鉈で惨殺された。
 この隠居は本当に化け猫になった、ということもあるのかもしれない。でも、あの大松屋で嗅いだ匂いの記憶は、今、自分が精製している「幻妖の術」用の薬と(同じではないが)似ている。五日前、苦労して調達してきたキノコと芥子の種子を手にした時に、そのことに気づいた。
 明日あたり殺しの現場に行ってみるとして、今夜は勝兵衛夫妻に術の仕上げをほどこさなくてはいけないようだ。

 暮れ五つ半(午後九時過ぎ)になると、かやの木長屋の灯は数えるほどだ。明日の朝早くからの生業なりわいのために、住民たちは眠りについている。
 夕方から細かい雨が降り出していたが、術の仕上げにはふさわしいかもしれない。
 勝兵衛の家には、ケチのくせに行灯あんどんがひとつともっていた。
 成郎吉は昨夜と同じように、明かり取りの窓から室内にもぐり込んだ。今夜は背中の猫袋にクロがいる。
 台所に忍び込み、竈の灰のうずみ火を掘り起こすと、精製した薬を放り込む。小さな炎がふわりと上がり、透明な煙がたなびいていく。成郎吉は台所の窓を少しだけ開け、煙が家の中に満ちるように風の道を作る。
 成郎吉自身は、いつもの眼だけが出た頭巾ずきんだが、この仕掛けのために、口からあごにかけて三尺手拭さんじやくてぬぐいを巻いている。
 昨夜までは、煙を立てるだけで退散したが、今夜は次の段階に進む。本当はもう数回この煙攻めを繰り返し、効き目を確かめてからにしたいが、かわら版の伝える事件が気になっていた。
 その準備をゆるやかにひそやかに、音を立てないように進める。
 すると、お久のヒクヒクと泣く声と、勝兵衛の叱責しつせきする声が聞こえた。台所に続く板場の向こう、行灯がひとつ灯されている部屋に二人がいる。
 成郎吉は板場を忍び足で近づくと、戸板に耳をつけた。
「だって、あれはゴマメだよ」
「ばかやろう、あの猫は死んだんだ」
「でもたたっているんだ」
「猫が祟ったりするもんか。いつまで、グズグズ泣いてやがる。うっとうしいな」
ちゆうさんのゴマメ、ゴマメが」
 お久の声に呼応するように、背中のクロがミャアと鳴いた。
 ぴたりと二人の声がやむ。
 成郎吉は音も立てずに跳躍ちようやくすると、釣り棚の上にぶら下がり、足と手で踏ん張った。板場の天井にへばりつく格好かつこうとなる。
「泥棒猫、また来やがったか!」
 がらりと戸板が開くと、勝兵衛の巨体が現れて、板場と台所を見回す。勝兵衛の頭の上に成郎吉はいる。
 居間ではお久が着物のそでで口を押さえて、ぶるぶると震えている。
「ほら、ほら、ゴマメだ、ゴマメ」
「うるせえ、黙れ!」
 勝兵衛は怒鳴りながら、ぎくりと肩を怒らせた。頭の上に気配を感じたのか、上を見ようとする。
 両手で踏ん張っていて、ふところの十字手裏剣しゆりけんつかめない。
 気づかれたらるしかない……!
 が、勝兵衛のひざがかくりと折れた。足がもつれている。
 薬が効いているのだ。
 勝兵衛は巨体を反転させると、居間へとヨタヨタと歩いて、膝をついて四つん這いになった。そのままお久のほうへと進む。
「ひっ」とお久が悲鳴を上げて、四つん這いのまま近づいてくる勝兵衛の頭を、急須きゆうすの載ったままの盆で叩いた。
 亭主が化け猫に見えたのかもしれない。茶殻ちやがらと一緒に急須や茶碗が飛び散る。
「このアマ!」
 ふらふらになりながら、勝兵衛はお久を殴ろうとするが、力が入らない。
 そのすきに成郎吉は天井から明かり取りの窓に移り、屋根に出ている。細い雨が太い雨筋に変わっていた。
 家の中でバタバタと、間の抜けたとっくみあいの音がしている。
 細工の仕上げを行う時だ。薬は間違いなく効いている。
 成郎吉は庭に音もなく降りると、石灯籠いしどうろうの裏に置いてあった提灯ちようちんを出してふくらませた。
 忍袋から火種を出すと、雨をけながら提灯の蝋燭ろうそくに火をつける。
 提灯の明かりが、植え込みの陰から風呂敷包ふろしきづつみを照らし出した。成郎吉は風呂敷をぎ取った。
 小さなかごが現れ、しまと灰色と白黒まだらの三匹の猫が、まぶしそうに見上げた。暗い空から落ちてくる雨粒に驚いて、ニャアミャアといっせいに鳴く。
 マタタビとクロの呼びかけで、集まってもらったご近所猫たちだ。臆病おくびよう猫の寅次郎とらじろうはいないが。
 猫袋をポンと叩くと、クロが「ニャン」とひと鳴きして飛び出す。
 籠にいた三匹も慌てて出てくる。
 成郎吉はクロを石灯籠の上に座らせた。そして背中に提灯を掲げる。
 勝兵衛宅の障子しようじいっぱいに、巨大な猫の頭が影になって映し出された。さらに左右に三匹の猫たちの影が交差する。
「ヒイイイ~」というお久の悲鳴。
 部屋の中からは、巨大化け猫が廻り灯籠のように跳ねているように見えるはずだ。しかも頭は薬のせいで白濁はくだくし、グニャグニャに渦巻うずまいていることだろう。
 窓から立ち上る透明な煙が、雨粒までもゆがませているようだ。
 薬の分量が多すぎたか?
 手拭いで口をふさいでいた成郎吉でも、頭がクラリと揺れた。
 三匹の猫も当てられたように「ニャゴニャゴ」と鳴いて、雨のそぼ降る庭を跳ね廻っている。
 成郎吉はクロを捕まえると、猫袋に入れた。籠を背負って、提灯の火を消す。今夜のところはこれで充分だろう。
 落としもの、忘れ物がないかを確認し、かやの木長屋の板塀いたべいくぐった。勝兵衛の庭に通じる塀の板が外れるように細工してあった。
 板を戻した瞬間、すさまじい音を立て、勝兵衛が障子を蹴破って現れた。植木道具のくわつえにして、縁側から庭へと降り立つ。
 三匹の猫たちは、勝兵衛の振り回す鍬に驚いて、三方に散っていった。
 成郎吉は板塀の陰から、口から泡を吹き、鍬を振り回す勝兵衛を見た。帯がだらしなく腰に引っかかっていて、着物はおおかたはだけている。歪んだまげが雨粒をはじき、四方に飛沫しぶきを散らしている。
「このゥ野郎、出てこぉい、おめえなァぞ、怖くねェぞ。猫ごとバラバラにしちゃァる」
 ろれつが回らないままで、勝兵衛が鍬を振り回す。先が石灯籠を直撃して、雨中にガッと火花を上げた。天蓋てんがいの部分が崩れて落下し、石灯籠がぐらりと傾いた。
 勝兵衛は斜めになった石灯籠を、裸足はだしのままで思いっきり蹴った。
 ぐらりと灯籠が倒れて、ドスンという鈍い音とともにバラバラになり、地面を転がる。
「出てこぉ! ぶぁけねこじじい!」
 勝兵衛は口から泡を吹き出させながら、石灯籠の立っていた地面にガッと鍬を入れると、鬼のような形相ぎようそうで掘り始めた。
 騒ぎを聞きつけた長屋の店から、住民たちが飛び出してきた。傘や提灯を手にした者もいる。
 成郎吉は提灯から逃れるように塀から離れ、自分の店の腰高こしだか障子を開けて、中へ飛び込んだ。クロがひらりと三和土たたきに着地する。
 障子を閉める直前、隣のおけいの店の腰高障子が明るくなった。
 成郎吉は敷きっぱなしの夜着よぎに潜り込む。
「ニャロ、起きな!」
 お景の声がして、障子ががらりと開く。成郎吉は夜着の中で濡れた頭巾を外し、「なんでえ、うるせえなあ」と寝ぼけ声を出す。
「かやの木長屋が妙なんだよ」
 その時には、夜着の中で股引ももひきも脱いでいる。
 お景はクルリと背を向けて、傘を開くと長屋の入口に走っていった。
 羽織はおりを頭からかぶった父親の半吉はんきちが、追いかけていく。
 素早く成郎吉は浴衣ゆかたに着替えると、濡れた盗み装束しようぞくを押し入れに放り込み、長屋を出ていった。クロは自分の座布団の上で、濡れた身体からだ毛繕けづくろい。
 かやの木長屋の入口には、二十人を超える住民たちが集まり、遠巻きに一人の男のやろうとすることを見つめていた。ほとんどの住民が濡れるままで、息を殺している。お景と半吉も口をぽかんと空けたままだ。
 数名がかかげる提灯で、勝兵衛宅の庭だけ明け方がひと足先に来たように明るい。雨のしずくが白く光って糸となって地面に落ちる。
 雨のあかりに照らされて、勝兵衛は一心に地面を掘っている。住民たちが見つめていることさえ気づいていないようだ。
 女房のお久がよろよろと現れて、まぶしそうに提灯を見て、ペタリと水たまりに座り込んだ。顔はべそべそと涙と雨粒で汚れている。
「ゴマメ、ゴマメだ、忠さんのゴマメ」
 とぶつぶつと繰り返す。
 勝兵衛は口を大きく開けて、濡れた巨体を震わせ鍬を振り下ろした。
 ガッと陶製とうせいつぼを砕くような音とともに、鍬の歯がめり込んだ。
 勝兵衛が引こうとしたが、鍬は壺にがっちりとはまり込んでいて動かない。
 住民の一人が身を乗り出し、開いた穴の上に提灯を掲げた。「ヒイ」と悲鳴を上げ、尻餅しりもちをついた。
 提灯の明かりは、茶色に変色した人間の頭蓋骨ずがいこつを浮かび上がらせた。鍬の歯を頭蓋骨の歯がまさに噛みついている。ぽっかりと空いた眼窩がんかが、灯に揺れて右に左にと流し目をする。弾く雨粒が髑髏どくろの涙のようだ。
「ざまあみろ、ヒヒヒ」
 と笑って、勝兵衛は鍬を上げた。頭蓋骨が首の骨をぶら下げて宙に浮かび、鍬から離れて地面を転がった。
 勝兵衛だけが笑っていて、住民たちは誰一人として声も出さずに、この世と思えぬ光景をただ見つめるだけ。
 野次馬たちの後ろで、成郎吉はゴクリとつばを飲み込んだ。
 まさか、猫から小判、じゃないや、瓢箪ひようたんからこまみたいな、こんな愁嘆場しゆうたんばが演目として出来しゆつたいするなんて!
「ずらかろう、ひとまず」
 誰にも聞こえないように、気づかれないように、成郎吉は一幕一場の舞台に背を向けた。
 四日後。
 成郎吉はクロを連れて、両国広小路りようごくひろこうじ裏の隠れ家にひそんでいた。
 梅雨が戻ったみたいで、あの夕方から降り出した雨がじとじと続いている。
 クロは「またここかよ」という迷惑そうな顔ではりの上にいる。
 実はあの凄まじい悪夢みたいなかやの木長屋の夜、成郎吉はすぐには「ずらかろう」とはしなかった。
 考えてみると、あの一幕一場の舞台の筋書きを(思いも寄らぬ筋になっちまったのだが)書いて、演出をしたのが成郎吉だ、と誰も知らないし、誰も気づくはずがない。
 いや、一人だけ気づくかもしれない。察しがよくて、成郎吉の正体を知っているおひな。
 だが、おひなが明かすはずはない。大家おおやの勝兵衛があんなことになって、長屋から一家が追い立てをくらうことは、ひとまず、いや当面の間は回避されたのだから。
 何より隣の長屋の成郎吉が、急にいなくなるのはかえって余計な疑い(って本当なんだけど)を招く怖れもあった。
 でもお景には、「瓦葺かわらぶきの急な仕事が入った。泊まりだ」と告げてクロを猫袋に入れて出てきた。
 事件の調べをするために現れた同心が、岡倉市平太おかくらいちへいただったからだ。質屋の放火騒ぎの折に顔を合わせ、嫌~な、まなざしを向けられたし、あの折に落とした刃曲はまがりはやつが持っている。
 まなざしが疑いの眼に変わると面倒なだけだ。できるだけ顔を合わさないに限る。
 早いもので「しゃれこうべ石灯籠」とつけられたかわら版が三日目にして出ていた。
 かわら版の真ん中に大きな挿絵さしえ相撲すもうとりのような男(勝兵衛)が鍬をふるっていて、女(お久)が横で髪を乱して叫んでいる。男の鍬の先には頭蓋骨。
 添えられた記事は、雨の夜の一部始終が大げさな文で書かれている。長屋を出る前に、お景が成郎吉に披露した話と大きくは変わらない。
 石灯籠の下に骨になって埋まっていたのは、かやの木長屋の前の大家の忠太郎ちゆうたろうだった。
 女房のお久が、浮気相手だった勝兵衛にそそのかされて仕組んだ殺しだったのだ。忠太郎が以前から伊勢参いせまいりに行きたがっていたのを利用した。ある夜、勝兵衛が首を絞めて忠太郎を殺し、旅に出たと見せかけてそのまま死体を庭に埋めた。
 真っ昼間に堂々と埋めたらしい。なにしろ勝兵衛は植木屋だ。忠太郎から頼まれたと称して、植木の手入れのついでに。
 勝兵衛はそれから、忠太郎の遠い親戚という触れ込みで、わざわざ東海道まで出向いた。故人の骨ということで骨壺を持ち帰り、葬式まで出して周囲を信用させて、そのまま大家におさまった。
 罪の意識があったのか、墓標ぼひようのつもりもあったのか、死体を埋めた庭に石灯籠を据えた。これも植木屋だからお手のもの。本当のところは、掘り返せないようにした(結局自分で掘り返したのだが)のだろう。
 罪の意識におののくようになったのはお久のほうで、勝兵衛が新しい大家(と亭主)になってから気鬱きうつやまいはますます重くなった。
 その原因は、殺人そのものに関わったということなのだが、きっかけこそが忠太郎の愛猫のゴマメ。
 そう、勝兵衛が「忠太郎叔父さんの骨だ」と持ち帰った骨壺の中の骨こそ、ゴマメだったのである。
 忠太郎が勝兵衛に首を絞められて暴れた折、ゴマメはご主人様を助けようして、勝兵衛の腕にかじりついたのだという。
 そうしてゴマメも犠牲になってしまった。しかも、勝兵衛はゴマメの遺体を竈で焼いて、偽装用に使った。それを知ったお久は、亭主の死以上に動揺して、泣きわめいたらしい。
 ただ、かわら版にはゴマメの件までは書かれていなかった。お景が集めてきた噂は、まるっきりの絵空事ではないだろう。
 成郎吉自身、勝兵衛の猫嫌いぶり、猫への怒りの中に、おびえが潜んでいるように感じた。ゴマメという猫が、飼い主の忠太郎の死前後に消えた、という話を聞いて、何かあると直感的に思ったのだ。
 まさかあそこまで効くとは予想していなかったが、「幻妖の術」で猫の霊を夫婦に見せれば、懲らしめてやれると踏んだ。
 かわら版には、間男まおとこ勝兵衛と毒婦お久が共謀して亭主を殺害したが、良心の呵責かしやくに耐えかねてついに狂い、自らの悪行をさらけ出してしまった、と書かれていた。
 ま、そのあたりが収まりがいいのだろう。
 しかし……。
 同心の岡倉市平太は、その筋書きで、勝兵衛とお久をしょっぴくだけで済ませるか? 
 成郎吉は証拠は残していないつもりだが、勝兵衛宅にわずかでも残っているだろう薬の匂い、竈でくべた痕跡こんせきに気がつくか?
 さらには、猫を使ったことにも。
 そしてその手法が、つい数日前に起きた浅草山谷で起きた「化け猫殺し」と関連させたら? 偶然に、似た事件が浅草寺をはさんだ二つの町で起きた、と考えるだろうか?
 かわら版と梁の上のクロを眺めながら、成郎吉の頭はどうどう巡りをする。
 まだ山谷の現場には行っていない。日本橋の大松屋にも。
 成郎吉はゆっくりと立ち上がった。まずは山谷に行ってみよう。大松屋の隠居が化け猫になって妾に殺されたという家へ。

 成郎吉は山谷堀の土手に来ていた。吉原よしわらへと向かう男たちで、奇妙なにぎわい方をしている。ちょうど夕方で、これから吉原の晴れのときが始まる。
 雨がようやく上がって、西の空の隙間すきまが、夕焼けのあかね色に染まっていた。
 男たちの浮かれた熱から道を別れて、成郎吉は街道を北へと向かった。隠居の家は、街道から抜けた田んぼと寺に挟まれた一角にポツリとあるという。
 日本堤にほんづつみの土手から離れるにつれ、人の数がみるみる減っていく。
 不意に成郎吉は、誰かの視線を感じた。ザワと背中を撫でられる悪寒おかんが走る。
 立ち止まり、周囲を見回した。
 成郎吉はいつもの瓦職人のなりをしている。背中の猫袋にクロがいて、我関せずという風情ふぜいで暮れようとする空を見ている。
 あ、あれだ!
 街道に松の木が植わっていて、そこに巨大な眼がひとつ浮かんでいた。
 黄金の猫の眼。
 そんな大きな猫の眼があるはずがないが、自身が「幻妖の術」に掛かったかのようだ。間違いなく、その片眼に見られていた。
 成郎吉は懐の十字手裏剣を手にした。
 猫の眼は、行商の薬売りが背中にかつぐ薬箱に描かれた絵だった。
 松の木の下に、夕闇に溶けるように男が一人、背を向けて立っていた。
 小さなのぼりも薬箱に立てている。
 今どき珍しい「猫ののみ取り」屋。
 近づくにつれ成郎吉は、蚤取り屋が誰かが分かった。
 男のなりをしているが……。
「おたま
 成郎吉の呟きに、蚤取り屋がゆっくりと振り返った。
 お玉は自分の一番得意な武器、しころではなく、刃曲を手にしていた。
 にやりと笑ってお玉が告げた。
「なろうきち、ようやく会えた」
 成郎吉はふいに思い出していた。もう一人ここに、成郎吉の名前をきちんと呼ぶ女がいたことを。
 背中の猫袋をポンとひと叩きした。クロがひょいと猫袋から飛び出す。
 お玉相手に忍法“猫飛ばし”は効かない。
 クロが地面に降り立ったのが合図だった。
 成郎吉が手裏剣を投げたと同時に、お玉の身体も宙を飛んだ。
 刃曲が手裏剣をはじき、成郎吉とお玉の身体が交差した。
 クロがウ~とうなって、二人の忍者の死闘のはじまりを見ている。

(第17回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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