双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著


蚤取のみり屋おたま脇ばたらき
その三~化け猫騒動

 日本橋にほんばしの大通りを、岡倉市平太おかくらいちへいたとお玉が歩いている。山谷さんやの屋敷に行った二日後だ。
 羽織に着流しの同心と、猫の眼が描かれた薬箱を背負い、肩におおかみの毛皮を載せた職人姿の娘。奇妙な二人連れはそれなりに眼を引き、すれ違う人、追い抜く人が皆振り返る。そんな視線には構わず二人はぽくぽく歩く。
大松屋おおまつやには成吉なるきちって使用人はいねえぜ」
「薬に詳しくて、絵心もある男を最近、雇い入れたはずです」
「そいつが今度の化け猫騒動を仕掛けたっていうのか?」
「さあ……まだ分からないけど」
「でもよう、治左衛門じざえもんなたで殺したのはおかねだ。これは間違いない」
「旦那が化け猫になって襲ってきたから」
「そうだ。ここに来ちまったんだな」
 と岡倉は頭を指で叩く。
「じゃあ、どうして岡倉さんは、国芳くによしさんを引っ張り出したんですか? それだけじゃない、って思ったからでしょ?」
「まあな。お兼はあんな状態だし、口を割らないが、手を貸したやつがいるかもしれねえ。そいつがひょっとして、国芳だったらしょっ引けるかもしれねえだろ」
「絵があっただけで? ひどい」
 お玉の抗議は無視して岡倉は首を傾げる。
「成吉、なるきち……どっかで聞いたことがあるような……」
「えっ?」
「あ、そういえば……」
 岡倉は立ち止まり、しげしげとお玉の全身を上から下まで眺める。
「おめえら忍者って稼業は、薬売りであちこちをまわって、人に言えないことをするんだろ?」
「人に言えないって……薬売りだけじゃありません。何にでもなりますよ。占い師とか芸人とか六部ろくぶとかも」
 ちょうど、念仏を唱え、かねを鳴らし厨子ずしを背負った六十六部ろくじゆうろくぶの男とすれ違った。この男はどう見ても忍者に見えないが。
「聞こうと思っていたんだがよ。あのお玉が池のことだが」
「えっ?」
 数ヶ月前お玉は、岡倉が通っていた北辰一刀流ほくしんいつとうりゆう道場の目録者もくろくしやと決闘をして勝っていた。侍でもない小娘(それも猫の蚤取り屋なんぞ)に完敗した旗本の跡継ぎは、ついに剣の道場主になることを諦め、勘定方かんじようかたの禄をもらう道を選んだという。
「あん時、おめえは妙なことを言ってたじゃねえか」
「言いましたか?」
「言った。試合の前から自分が勝つことが分かっているみてえなことを」
「ああ、ええ」
 お玉は口ごもる。
「ま、あの三尺手拭さんじやくてぬぐいはたまげたが……そうか、お玉にお玉が池でたまげた」
 自分の発した笑えないしゃれに、岡倉は一人でクククと笑っている。
千葉ちば先生には負けるかもしれません」
「ああっ? かもしれません、だ? 千葉周作しゆうさく先生を誰だと思っているんだ」
「お侍の剣は所詮しよせん、型です。でもしのびの剣は勝つための剣ではなく、死なないための剣です。勝たなくても、相手を倒せばいい」
「禅問答してるんじゃねえぞ」
「つきましたよ、大松屋」
 日本橋駿河町するがちようは大きな薬種問屋が並んでいる。大松屋はその中でも中くらいの店で、店頭に「救仁丸きゆうじんがん」という金文字の大看板がかけられて、客を集めていた。一昨年、滋養強壮、胃痛に効くという触れ込みで売り出し人気を集めていた。
「成吉ってのがいるかいないか? あいつはあるじ治五郎じごろうだがな。親父を亡くしたばっかりとは思えねえな」
 確かに、隠居した治左衛門から店を譲り受けた息子は、満面の笑みで接客をしている。
 その顔のままで、通りに立っている八丁堀はつちようぼりと奇妙な男装の女に気づいた。一瞬、ほおこわばったが、たちまち愛想顔あいそがおを取り戻す。
「おもしろそうだ。いくぜ」
 岡倉はすたすたと雪駄せつたを鳴らして治五郎のほうに歩いて行く。お玉は唇を噛んでついていった。こうなったら、覚悟を決めるしかない。抑えようとしても心の臓は勝手に戸を叩くみたいに高鳴っていた。
 昨日、お玉はこの店を探っていた。国芳が言っていた成吉という男がいるのか?
 蚤取り屋の衣装ではなく、わざわざ町娘の姿で客となって薬を求めてみたが、それらしい男は店頭にはいなかった。
 その時も心の臓は、薬の処方を説明する番頭に聞かれるんじゃないかと思うほどに打っていた。いくら江戸の町娘然としていても、心当たりの男と顔を合わせたのなら、気がつかれないはずがない。
 気障きざ優男やさおとこぶった番頭の耳元に、お玉は眼をわざと細くしてささやいた。
「旦那様からもうひとつ頼まれたのですが、こちらには夜に効くお薬があるとか」
 番頭は唇を斜めにして笑うと、
「ほう、そいつはどちらからお聞きになりました?」
 とわざとらしい流し目をしてきた。
「それは旦那様が……」
「はて、その旦那様というのはどちら様でしょうか? さしつかえなければ」
「それがまあ、さしつかえが……」
 という探り合いで終わってしまった。
 番頭に怪しまれて、その場は退散するしかなかった。それから二刻(四時間)あまり周囲を探ったり、張り込んでみたが、大松屋はただの生薬屋きぐすりやの表向きしか見せなかった。
 じりじりする思いでお玉は日本橋を後にした。岡倉のところに昨日の顛末てんまつを知らせなくてはいけなかったからだ。
 気障な番頭は、同心の岡倉にくっついている妙な女を見て、最初は昨日の客だと気づかなかった。「あれっ」という顔をした後で、色目を使った町娘と分かってまゆを寄せた。
「なんでえ、知り合いか?」
 と尋ねた岡倉に、「いいえ」と先回りしてお玉は首を振る。番頭は寄せた眉のままで、二人を奥座敷に案内した。
「こいつは俺の手下だ」
 岡倉が治五郎に告げる。
――手下じゃないけど……。
 と囁いて、小さく頭を下げる。お愛想を言おうとしていた治五郎に岡倉は、
「単刀直入に聞くが、ここに成吉って使用人がいるか?」
 と居合抜いあいぬきの一撃。とまどいながらも、愛想の固まりのような治五郎は、笑みを崩さずに受ける。
「なるきち、そのような者はおりませぬが」
 岡倉は天井をチラと見て言う。
「あ、思い出した。にゃろきちってのがいた。成郎吉だ。でも、あいつはとび、いや瓦葺かわらぶきだった。関係ねえや。まだわけえし」
「!」
 思わずお玉は岡倉を凝視した。
 成郎吉!
 こんなところでその名を聞くなんて!
「名前は違うかもしれねえが、歳のころは四十でこぼこ。ここ二年か三年だ。薬の調合ができて、絵もそこそこに描けるって男を雇っただろう?」
「あ、ええ……」
 治五郎は口ごもり、眼を泳がせる。
「なんて名前だ? ここにいるのか?」
半蔵はんぞうです。ここにはおりません。旅に出ております」
「旅だあ? いつから? どこへ?」
「父の葬式の後で、信州のほうに」
「逃げたのか?」
「逃げる? いえ、薬草を仕入れに」
「半蔵の身元ってのは分かってるのか?」
「あの、いえ、あの者は、薬の」
 と治五郎はしどろもどろになる。
「ちょいと、店の中をあらためさせてもらうぜ」
 刀を手に岡倉が立ち上がる。お玉も続く。
「いえ、お待ち下さい。今……」
 治五郎が驚いた猫のように飛び上がった。
「なんでえ、怪しいな」
 岡倉は客間のふすまをがらりと開けると、番頭と鉢合わせした。治五郎と番頭が瞬間、目配せをした。とにかく怪しい。
 岡倉はまるで大松屋の使用人のように、左右の部屋には見向きもせずに、奥へとずんずん歩いていく。治五郎が追いかける。
「岡倉様、あの、これは何をお調べで?」
「怪しいからだよ」
「岡倉様と、こちらとお二人だけで?」
「そうだよ」
 その答えを聞いて、治五郎は付いてきていた番頭に小さくうなずいた。その後でお玉と視線がかち合った。お玉はふところ棒手裏剣ぼうしゆりけんを右手に、しころを左手に持った。
 岡倉も不穏な気配を察して、腰の大刀の鯉口(こいぐちを切った。
 どんづまりの小部屋の襖を開くと、頑丈がんじような扉が壁を塞いでいて、大きな錠前がぶら下がっていた。
「なんだ、ここは? 開けろ!」
「お断りします。そこは入らずの間です」
「あぁっ、何だと? 俺たちがへえるよ」
「お二人にも消えていただきます」
 青いが邪悪に満ちた顔で治五郎が告げる。
 バンと襖を開けて侍が二人現れた。月代(さかやきも剃っておらず、いかにも浪人者だ。一人はすでに抜き身を提げている。
「俺らを斬るってのか?」
 岡倉の問いには誰も答えない。お玉は逆手さかてに持ったしころを構える。
「俺は北辰一刀流千葉道場の免許皆伝、こいつは俺より強い師範代に勝った腕だぜ」
 もう一人の浪人者は居合を使うようだ。剣を構えた瞬間、お玉は右手の棒手裏剣を飛ばした。
 手裏剣はヒュンと風を斬る音で、居合浪人の伸びたもみあげを削り取り、後ろの柱に刺さった。
 一瞬の間の後、抜き身浪人の剣が上段から振り下ろされたが、お玉は半身でかわして、しころを振るっている。浪人者の右手の甲がざっくりと裂け、うわっと剣を放り出す。
 そのまま剣は飛んで、扉に突き刺さる。
「危ねえな」と岡倉が避けた。お玉は再び居合浪人に対峙たいじするが、すでに眼におびえの色が浮かんでいて、じりじりと後退した。
 もう一人は血だらけで腕を押さえてうめいている。治五郎も番頭も青い顔で突っ立ったままだ。
「な、分かっただろ、死にたくなければここを開けろ」
 治五郎が何かを言おうとしたが、番頭はクルリと背を向けて逃げていった。
「おい、こら……あ、あいつが鍵を」
 ぺたんと治五郎は座り込む。
「ちぇ、しょうがねえな。おい、お玉、開けろ。できるだろ?」
「え?」
 お玉は隅に置いた薬箱を見た。あそこに忍者の七つ道具が入っているが……。
「これか、貸してやるよ」
 岡倉は細い金具をお玉に投げた。
 刃曲はまがり
 四枚の小さな金具が一本になっている開器で、お玉も同じものを持っている。なんで岡倉が……?
 混乱する頭をしずめながら、お玉は刃曲の先を錠前の穴に入れて、指先で感触を確かめながら、二度、三度と廻す。カチャリと乾いた音がして、錠前が外れた。
 戸隠とがくしの忍者村では、錠前外しの技と早さでお玉以上の者はいなかった。二番手こそが成郎吉だったが。
 二人の浪人はとんずらを決めたらしく、姿を消していた。呆然ぼうぜんと治五郎が見ている。
 隠し部屋の扉を岡倉がゆっくりと開く。
 お玉は思わず唾を飲み込んだ。刃曲の小刀こがたな部分を出して構えている。この向こうにいるかもしれない、半蔵と名乗っている男が……。
 異様な薬品の匂いが二人を迎えた。
 十畳あまりの板場で、かまどが据えてあり、高い位置に格子窓こうしまどまっている。
 二人の胴衣の男が壁にへばりついていた。外の騒ぎを聞きつけたのだろう、ひどくおびえている。
 薬を調合する作業場になっていて、男たちはここに閉じ込められて薬作りをさせられていたようだ。
 お玉は男たちの顔を見た。見覚えはない。心当たりの人物ではなかった。
「半蔵ってのはいるか?」
 二人の男は同時に首を横に振った。
 
 岡倉の手引きで、奉行所の調べが大松屋に入った。
 大松屋は半蔵という男の指南で、禁制の薬をいくつも製造していた。殺された治左衛門と半蔵は三年前に懇意になり、店へと入り込んでいた。強壮剤として名物となった「救仁丸」も半蔵が調合した薬だったという。禁制薬は莫大ばくだいな利益を大松屋にもたらした。
 半蔵と治左衛門は、さらに新しい薬を作ろうとしていた。山谷町の家で、お兼を使って効果のほどを試していたのだ。
 お玉は作業場でその薬の匂いをぎとっていた。忍の秘技に「幻妖げんようノ術」がある。お玉自身は作り方を知らないが、ある種の毒キノコや草を混ぜて相手に飲ませると、幻覚を誘発し陶酔感とうすいかんに浸らせることができた。
 さらに半蔵は、思考能力を失っているお兼に暗示をかけた。「治左衛門は猫だ」という。むろん、このことは岡倉には明かしていない。
 半蔵の狙いは何だったのか? 
 奉行所は手を尽くして探させたが、半蔵の姿はかすみのように消えていた。半蔵は日本橋と山谷を行き来する以外、どこに住んでいるかさえ誰も知らなかった。
 その頃、跡継ぎとなった治五郎は、父の道楽とわがままぶりに悩まされていて、半蔵に泣きついていた。治左衛門が悲惨な死に方をしても、悲しむどころか喜んでいたのだ。
 治五郎はお縄となり裁きを待っている。牢にいたお兼は釈放、江戸払いとされ、親戚に引き取られていった。

 さて、そうした動きがあって数日後の夜。
 お玉は山谷の治左衛門の隠居宅に来ていた。化け猫騒動がはかりごとだったとはいえ、惨殺事件があった家だ。そこだけ妖しい空気におおわれているようだ。
 お玉は家の前に立ち、またゴクリと唾を飲み込んだ。しころを握りしめる。
 見込んだとおりだった。
 小さな燭台しよくだいの火が、作業場でゆらゆらと揺れ、黒い影をひとつ作っていた。
 お玉と同じような黒ずくめの男が、ごりごりとすりこぎではちっている。
 その横に茶トラの猫が一匹、置物のように尻尾しつぽを巻いて座っていた。お玉に気づいたのか、ニャアと小さく鳴いた。
 男が鉢に落としていた顔を上げ、お玉を見た。燭台は男の背のほうにあって、顔は陰になって見えない。
 しかし、ひとつだけの眼が光り、唇がゆがみ、白い歯が見えた。
「お玉。久しぶりだな。成郎吉はいないのか?」
 しわがれた声で男がふいっと笑う。お玉には「幻妖の術」の暗示の呪文じゆもんに聞こえた。
 いや、呪文だったのかもしれない。
 男の姿も猫も、その声も、薄闇の中で解け入る幻覚のように揺れた。
 しころを胸の前に構えたままで、お玉はようやく声を出した。
「おかしら」

(第15回につづく)

バックナンバー

柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop