双葉社web文芸マガジン[カラフル]

猫でござる~江戸にゃん草紙 / 柏田道夫・著

まろは猫でおじゃる

 今日もまだ寒い。お城の真ん中にどかんと寒風の固まりが居座っておるようじゃ。猫は暑いのも寒いのも苦手でおじゃる。
 正月も十五日目となったが、ここ江戸城大奥は正月気分なんかないままにずっとせわしない。一応、おせちやお雑煮ぞうにも女たちに振る舞われて、大奥の飼い猫にも蒲鉾かまぼこなんぞのお裾分すそわけはあったのでおじゃるが。
 そりゃそうじゃ、元号げんごうとてまだ慶応けいおう四年のままじゃったが、徳川とくがわの世ではなくなったのでおじゃる。
 家茂いえもちさんがあの世に旅立たれてしまって、誰を次の将軍様に、ということになったが、まあそれはもともと八面六臂はちめんろつぴの働きをされておった一橋慶喜ひとつばしよしのぶさんしかないであろう、ということになった。
 慶喜さんが十五代の将軍に正式につかれたのが慶応二年の十二月(宮さんの異母兄いぼけい孝明こうめい天皇が急死したのは、その二十日はつか後でおじゃったな)。
 次の慶応三年もまあいろいろとおじゃった。面倒くさいよってはぶくが(知りたかったら勉強しておじゃれ)、宮さんが望んでおらしゃった攘夷じよういなんてほど遠く、日本丸は開国へとかじを取り始めておった。
 薩摩さつま長州ちようしゆうが手を組んだいう話はしたが、とうとう慶喜さんは、大政奉還たいせいほうかん上意じようい朝廷ちようていに提出したのじゃ。
 さてそうなると、これまで日本を支配しておった徳川家はどうする? 新政権はどこがになう? ってことになるでおじゃるな。政権を朝廷に戻したとしても、実質はこれまでどおりに徳川で、と主張する慶喜さんと、いや薩摩長州を中心とした新政権を、という争いになったのでおじゃる。
 でもって、慶応四年の正月は、いきなり鳥羽伏見とばふしみいくさで明けてしもうた。
 慶喜さんをかついだ徳川方は大坂城おおさかじようにざっと一万五千。「討薩長とうさつちよう」を掲げて京へと進軍。新政府のほうは大政奉還より前から、朝廷にはたらきかけて討幕を進めておった。新政府側にしてみると、強大な力を今なお有している徳川を徹底的に潰してしまわないと、新しい世は作れないと思っておったのじゃな。
 徳川を迎え撃つ薩長を中心とした新政府軍は五千弱。幕軍の三分の一であったのじゃが、鳥羽伏見ではあっさりと幕軍を破ってしまった。彼らは西洋仕込みの新式兵器を備えていたし、なんといっても掲げられたのがにしき御旗みはたであったことが大きかったのでおじゃる。
「錦の御旗ですと? それはなんです?」
 宮さんはいつもの小声ながらも、怒りをにじませて、前にいる慶喜さんに問うた。
「あ、旗ですが、上のほうに仰々ぎようぎようしい菊のごもんがついておりまして」
 十五代の最後の徳川将軍の声がうわずっておった。
「形状を聞いているのではありません。そのような旗は誰が?」
岩倉卿いわくらきようでございましょうな」
「そのようなものを掲げられたのでは……」
「そうなのです。幕軍は朝敵ちようてきということになってしまいました」
「ちっ、ちょうてき!」
 宮さんは絶句してそでで口元をおおう。錦の御旗なるものが、京の広小路ひろこうじを行く様を想像しておられるのか……。
 宮さんの後ろに控えている藤子ふじこさんも、唇を震わせている。宮さんと藤子さんの間に置かれた火鉢にまろは背中を付けて、これまでのやりとりを聞くともなしに聞いておった。
 火鉢のかげから顔を出して、英明のきみともたたえられた将軍様(あ、元であった)の顔を見る。なかなかの二枚目じゃが、ひどく憔悴しようすいしきった顔をしておる。急遽きゆうきよあつらえた着物と羽織はおりがかえって疲れをあらわにしておるようでおじゃった。
 慶喜さんは徹底抗戦をとなえていた多くの幕軍兵たちを見捨てて、大坂城を抜け出して軍艦で逃げ帰ったという。天璋院てんしよういんに会って弁明をした後、宮さんとの面談をうた。慶喜さんに不信を抱いておらしゃった宮さんは拒まれたのじゃが、とうとうこの日のご対面とあいなったのでおじゃる。
 慶喜さんはこの頃、身軽だという理由でもっぱら洋装だった。それを耳にした宮さんは、「そのようななりでは会わぬ」と申された。仕方なく慶喜さんは、御用掛ごようがかりから着物を借りてあつらえたわけだ。
「あにはからんや、でございますが、徳川家は朝敵とされてしまいました。あのまま私が大坂城に残って薩長軍と戦いましたら、さらなる大きな戦になります。徳川家のすえは滅ぶのみでございます」
 慶喜さんはそう言うと、宮さんに深々と頭をお下げになり、それからくぐもった声でとうとうとお願いごととやらを述べた。
 自らは退隠たいいんして新たな徳川家の後継者を選定する。朝廷には謝罪をするので、受け入れてほしい。これらのことを静寛院宮せいかんいんのみや様(宮さんの落飾らくしよく後の法名ほうみようであらしゃる)から、
「新政府軍の御総裁ごそうさいに、どうか、よしなに伝えていただきたいのでございます」
 その最後のげんに、宮さんはまゆをひくりと上げられた。
 そう、薩長が担ぎ上げた新政府軍の御総裁こそが、有栖川宮熾仁親王ありすがわのみやたるひとしんのう様なのでおじゃる。六歳の時から許婚いいなずけと決められたお相手、少女の頃にお会いするたびに、まばゆいお方として見上げておられたおのこ。その熾仁親王様が、徳川家を滅ぼさんと、新政府軍を率いて江戸を目指して進まれようとしている。
 慶喜さんは情でもって、この局面を乗り切ろう、いやかわそうとしておらっしゃる。そういえば、慶喜さんとの面会を拒まれた宮さんを、説得されたのは天璋院であらしゃった。
 天璋院も薩摩から来られた姫じゃが、その斡旋あつせんに骨を折ったのは、当時の藩主島津斉彬しまづなりあきら公から最も信頼されていた西郷吉之助さいごうきちのすけ――後の隆盛たかもりであらっしゃった。
 その西郷が今や、徳川を朝敵とし征討軍を率いる大総督府参謀だいそうとくふさんぼう。徳川に嫁いだこの嫁姑よめしゅうとめは、なんと運命に翻弄されるおなごたちであらしゃることか。
 慶喜さんは頭なんぞはいくらでも下げるという様で、(みずからがしたためた嘆願書たんがんしよを差し出した。宮さんは「返事はのちほどに」と侍女じじよに担がれるようにして奥に戻っていかれた。
 火鉢の陰で寝ていたまろも、起き上がり伸びをしてついて行こうとした。
 残っていた藤子さんが「まろ」と呼び、抱き上げた。
「まろというのですか、その猫は」
 宮さんが立ち去るまで肩をいからせていた慶喜さんが、ほうと息をついた。
「宮さんが名付けはったのです」
「宮中にも猫がたくさんいました」
「そうどすな」
禁門きんもんの変でずいぶん焼かれたけれど、ちゃんと逃げたのだろうか……」
 慶喜さんのつぶやきにはこたえずに、藤子さんはポツリと言った。
「大坂城を抜けはった時、最初にアメリカの軍艦に乗らはったとか」
「えっ! はあ……」
「ひと晩泊まらはってから、徳川さんの船……」
開陽丸かいようまるです」
「それに乗り換えはった」
「深夜でしたので、間違えてしまって……」
「ほう、都合のいいこと」
「……」
「そのアメリカの船に、なんと申したか、そう、およし
「あ、ええ……」
「江戸の町火消まちびけしのかしら新門辰五郎しんもんたつごろうの娘だと聞いております。若く生きのよい娘ごであられるとか。そのお芳を側室そくしつにされるのは構わぬと思います。省子しようこさん、いえ、今は美賀子みかこさんであらしゃりましたな」
「はあ」
 慶喜さんの返事と合わせて、まろはにゃあと鳴いてやった。慶喜さんの正妻は一条いちじよう省子、改め美賀子さんであらしゃった。公家くげ五摂家ごせつけのひとつ一条家から、慶喜さんに嫁がれたのじゃけど、夫婦らしい暮らしはほとんど過ごしていないと聞いておった。
「美賀子さんもご存じやとしても、町火消しの、香具師やしの頭領の娘を、京まで連れていかはって、船にまで乗せるゆうのは」
「お芳は途中で降ろしました。父親の辰五郎はずいぶんと私を助けてくれた。京まで子分を二百人も連れてきて追いかけてきた。大坂城に残してきてしまった馬標うまじるしも、辰五郎が取りに戻ってくれたとか」
 話をはぐらかした慶喜さんを、藤子さんは黙って見つめておらしゃった。
「それにしても、土御門様はこの大奥におられて、よくご存じですな」
 慶喜さんがキラリとにらむ。藤子さんは黙ったままで、まろの頭を撫でるので、代わりにみゃみゃんと応えてやった。藤子さんは陰陽師(おんみようじで、それも土御門家は陰陽師がしらでおじゃるぞ。甘くみたら痛い目に会いますよって。
「嘆願の件は、宮さんや天璋院様とも図ってみます。徳川家のためというより、この国の行く末のために」
 藤子さんがきっぱりと告げられて、慶喜さんはこの日何度目か、頭を畳にすりつけられたのでおじゃる。まろは揺れるまげに向けて、みゃあと鳴いてやった。
 宮さんは結局、慶喜さんの謝罪の斡旋を引き受けられたのでおじゃる。
 慶喜さんの嘆願書を隅々すみずみまでお読みなり、言い訳をせずに恭順きようじゆんを示すことなど、言葉の端々はしばしまで書き直させはった。そして、自らの手でお手紙を書かれたのでおじゃる。その内容を要約すると、
「慶喜は重ね重ね不届きがあったのであるから、いかようにも罰してもよい。それでも私が嫁いだ徳川家の家名だけは存続させてほしい。後世まで徳川家が朝敵の汚名おめいを残すのは忍びない。汚名をそそぎ、家名が立ちいきますように、命に代えてもお願いします。もし官軍を差し向け、徳川家をお取り潰しになさるのなら、私にも覚悟がございます」
 という怖いものでおじゃった。
 宛先は橋本実麗はしもとさねあきら実梁さねやな父子。実麗さんは宮さんの叔父おじ、実梁さんは従兄いとこにあたる。それ以上に宮さんは、母君の実家であるこの橋本の家で育ったのでおじゃる。実梁さんは幕府征討の鎮撫ちんぶ総督でおじゃった。宮さんが嘆願する相手としてこれ以上のお方はおらっしゃらない。
 さてこれらの嘆願書を、実梁さんの元に届ける使者となられたお方こそが藤子さんでおじゃった。
 藤子さんの一行が京まで出向いて、江戸に戻ってくるまでの旅は、それはそれは大変じゃったとか。なにせ徳川を倒そうと血気にはやる官軍が、東を目指していたただ中の東海道とうかいどうじゃったからの。
 藤子さんの警護には数名の伊賀者いがものが付けられたというのじゃが、それは念のためとまろは思う。なんせ藤子さんは陰陽師……。
 ま、それはさて置き、藤子さんは箱根はこねの山を越えて、東海道を西に西にと駕籠かごを乗り継いで急がれた。そしてとうとう桑名くわなに陣を敷いておられた橋本実梁さんと面会ができて、直々じきじきに宮さんの手紙を見せたのでおじゃる。
 心動かされた実梁さんは便宜(べんぎを図ってくれ、藤子さんはなつかしいきようへと戻ることができた。
 京で藤子さんは、あらゆるつてを頼って朝廷に働きかけて、宮さんや慶喜さんの嘆願書を届けたそうでおじゃる。
 けれども、「はいそうですか」と徳川を許すということにはならぬ。新政府の中枢ちゆうすうを担う薩摩のみならず、「慶喜、徳川許すまじ」と強硬に主張する者がたくさんおじゃった。
 しかも熾仁親王様率いる官軍は、東海道、中山道(なかせんどう北陸道ほくりくどうの三方向から、江戸へ江戸へと進軍を始めておったのでおじゃる。
 それでもようやく藤子さんは「慶喜が恭順を尽くす態度を示すならば、徳川家の存続もあり得る」という返事をもらって、江戸に這々ほうほうていで戻られたのでおじゃる。
 その間、まろは宮さんの座敷の炬燵こたつで丸くなっておったのじゃが。そもそも猫に余計な働きをさせても無駄じゃしな。

 と、のんきに構えておったら、とうとうまろにも“密命”が下されたのでおじゃる。
 これからまろが述べることは、土御門家の藤子さんが独断で秘密裏に進められたことゆえに、どのような記録も残されておらぬ(はずでおじゃる)。
 ま、もっとも記録にあっても、「ばからしい」のひと言で片付けられるであろうが。
 その前のことを簡単に述べておくと、藤子さんが京から戻られても、予断を許さぬ状況が続いたのでおじゃる。
 官軍は意気盛んで、
 「♪宮さん、宮さん、お馬の前に
 ヒラヒラするのはなんじゃいな
 トコトンヤレ、トンヤレナ
 あれは朝敵征伐せよとの
 錦の御旗じゃ知らないか
 トコトンヤレ、トンヤレナ」
 という歌までつわものどもに歌わせて、東海道を下ってきたのでおじゃる。ここで出てくる“宮さん”こそ、有栖川宮熾仁親王のことでおじゃった。
 徳川方にも「城にもって徹底抗戦すべし」と申す者もたくさんおって、江戸中が「すわいくさ!」という暗雲に覆われておった。
 慶喜さんは恭順の意ということで、江戸城を出て上野うえの寛永寺かんえいじ謹慎きんしんされておった。
 宮さんはじっとしておられずに、橋本実梁さんにさらなる手紙をしたためて、藤子さんに運ばせたりしておった。内容は
「慶喜謹慎後に徳川家をまとめていた田安慶頼たやすよしよりが江戸の住民に官軍に逆らわぬように説得しており、無罪の者には寛大な措置そちをお願いする。そのむねを大総督である熾仁親王に取り次いでもらいたい」
 ということでおじゃった。
 それでも「徳川潰すべし」という考えを変えようとしない御仁こじんがおらしゃった。
 西郷隆盛。
 藤子さんは、いつどこで西郷さんのその決意を察していたのか? 占術せんじゆつ駆使くししておらしゃったのかもしれぬ。大奥の宮さんの側で寝ていただけのまろが、知るよしもないのじゃが……。

 ある夜、宮さんは藤子さんと長い間話された末に、
「そういうことであったのか」
 と涙を浮かべ、まろを抱きしめられた。
「宮さんがこの猫を“まろ”と名付けられはった時、陰陽師の私でさえ、背筋がふるえました」
「それを知っておれば、もそっとちごう世話をしたものを」
「宮さんにこれほど可愛がられた猫はおりますまい」
「まろや、おぬしは親王様の猫、いや、親王様そのもので遊ばしたのじゃな」
 宮さんはついにはらはらと大粒の涙を流された。まろの身体からだが濡れて気持ちが悪うおじゃったな。
「宮さんはすでに家茂様の正室であらしゃった。かつての許婚に飼われておった猫を、わざわざ京より贈られたなどと知られると、天璋院様はじめ、江戸方のお女中たちに何を言われ、何をされるやもしれませなんだ。熾仁親王様も知らせてはならぬと」
「あのお方らしい心づくし」
「そして、この猫が役立つ時がとうとう参ったのでおじゃります」
「まろ、頼んだぞ。たっしゃでな」
 えっ、どういうことでおじゃる?
 まろは宮さんの顔を見て、ニャアと鳴いた(たずねた)。
 宮さんは涙を拭いて、まろを藤子さんに渡した。
 まろは暴れたね。
 いつの間にか藤子さんのかたわらに、大きなかごが置いてあった。思い出した。まろが京から船で運ばれた折、ずっとこの籠に閉じ込められておったのでおじゃる。
 藤子さんはしかし、まろの首をひょいとつかむと、籠の中に放り込んだ。
 それが宮さん、そして藤子さんとの別れになるとは。あんまりでおじゃる。
 それからどこをどう運ばれたのか?
 背の高い侍に手渡され、馬のくらにぶら下げられて一昼夜いちちゆうやかかって、どこぞへと運ばれた。あまりの揺れに、まろは死ぬかと覚悟したでおじゃる。
 海の香りのする屋敷で、まろは籠から出された。
 目も顔も身体も四角い大柄な男がいて、まろの首を掴んでぶら下げた。
山岡やまおかさん、こん猫でごわすか」
「はい、こん猫です」
「こん猫を連れてくるためにわざわざ江戸に戻ったと?」
「そういうことになりますな」
「ふーん、どこにでもいそうなドラ猫にしか見えもはんが」
 どでかい男はまろの顔をしげしげと眺める。失敬な、まろをドラ猫とは!
「そう見えても、熾仁親王様が飼って遊ばして、わざわざ和宮かずのみや様、違った、静寛院宮様であられたな。その静寛院宮様に託され、ずっと大奥で飼われていたそうです」
「あん方々のなさることは、田舎いなかもんには分かりもはん」
「そやつを和宮様、違った……まあ、いいや和宮様で。和宮様はこの度の親王様を大総督に担いだ新政府軍の進軍に際して、その猫をお返しになられた。親王様は和宮様の意図をお察しになり、西郷に渡せと」
 やっぱりこやつが、西郷隆盛!
「おいどんは、猫は……」
 と征討軍参謀はふうと息をついて、首を左右に振る。
鹿児島かごしまでも屋久島やくしまにおられた時も、猫を飼っておられたとか」
「おいどんが猫好きというのは、ずっと隠しておりもしたが、誰が……?」
「さあ……」
 山岡がふっと笑う。そうでごじゃる、陰陽師頭の藤子さん、恐るべし。
 西郷はまろを抱くと頬ずりをする。厳しかった顔が一気にゆるんでおる。
かつさんはいつ何時なんどきでも、西郷さんのところに出向くと申されている。じっくりと話し合いたいと。江戸城はすっかり丸ごと明け渡す。和宮様も、天璋院様も、お返しになると」
篤姫あつひめ様でごわすか……」
 西郷は天璋院の顔を思い出したのじゃろう、情けなさそうに太い眉を寄せた。
「江戸総攻撃だけは何としても避けたい。江戸の町を焼け野原にしたくないのです」
「猫に免じて、でごわすか?」
「まさか、そのような」
 山岡鉄舟てつしゆうがくふくふと笑う。西郷もつられて笑いながら、まろの顔を覗き込む。
「おい、おんしは何という名か?」
「“さもじ”です」
 まろがニャアと鳴く前に、山岡が答えた。
「さもじ?」
「京の言葉で、さばだとか」
「じゃっど、じゃっど、こん柄や」
 西郷がゲラゲラと声を上げて笑う。
――違うぞ、まろでおじゃる!
 まろは大声で鳴いたが、西郷と山岡は大笑いをしておる。
 まろの新しい飼い主はこやつになるということでおじゃるか?
 大奥のミケじよに、もう会えないということでおじゃるのか?
 まろはニャアニャアと文句を言った(鳴いた)が、二人には通じていない。
 西郷はまろを両手で乱暴に撫でると、鬼瓦おにがわらのような顔をくしゃくしゃにして、「さもじ、さもじ」と猫なで声を上げた。

 こうして慶応四年三月十三日と十四日、江戸総攻撃の前日、西郷隆盛と勝海舟かいしゆうの会談が薩摩藩邸はんていで行われ、江戸城の無血むけつ開城が決まった。
 そこにサバ柄の猫が同席していたという記録はない(たぶんでおじゃるが)。


(第13回につづく)

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柏田 道夫Michio Kashiwada

1953年東京都生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒。脚本家、小説家、劇作家。95年、第2回歴史群像大賞、第34回オール讀物推理小説新人賞を受賞。2010年、脚本を手掛けた映画『武士の家計簿』が大ヒットを記録する。近著に『しぐれ茶漬 武士の料理帖』 (光文社時代小説文庫)、『矢立屋新平太版木帳』 (徳間文庫)。

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