双葉社web文芸マガジン[カラフル]

キャンパー探偵 / 香納諒一・著

イラスト:チカツタケオ

第8回

見知らぬ町で

11
 塩谷欣一とさゆりの夫婦は、カウンターの奥の厨房に、仲良く並んで立っていた。そろそろ夕食時であり、しかも週末の夜だというのに、イタリアンレストランには今日も客の姿はなかった。
 だが、入り口に向かいかけた私は、窓辺のテーブルが昨日と違う配置になり、大人数のグループを迎える準備がなされていることに気がついた。予約が入っているらしい。
 私は表の通りに面したガラス越しに、そっとふたりの様子を窺ってから、入り口のドアを開けた。
 夫婦は、私を見て微笑んだ。
「いらっしゃいませ。昨日はありがとうございました」
 さゆりが言い、ほぼ同時に、
「ああ、いらっしゃい。嬉しいな。食べに来てくれたんですね」
 夫の塩谷が言った。私は、控えめに微笑み返し、
「塩谷さん、ちょっとふたりだけで話したいことがあるんですが、いいですか」
 と誘った。
「何なんでしょう――? 申し訳ない。じきに、予約のお客様が来るんですけれど、あとにして貰うわけにはいきませんか。それに、妻が風邪気味なんですよ。お客様にうつしちゃいけないし、寝てろって言ったんですけれど、準備が間に合わないからと言って、手伝ってくれてるんです」
 その言葉の通り、さゆりは顔色が冴えなかった。やつれている。
 私はこれから自分がしようとしていることを考え、心が折れかけるのを感じたが、こんな時にはただ前に進むしかないと知っていた。それでも、わずかなためらいに囚われていると、
「私なら大丈夫だから、行ってらっしゃいよ」
 さゆりが夫をうながしてくれた。「もう、仕込みはあらかたできてるんだし。大丈夫よ。あとは、しばらく、私だけで」
「そうは言ってもな……。ほんとに大丈夫なのか……?」
 気遣いを見せる夫に、さゆりは優しく微笑みかけた。
「大丈夫だって。大事な予約のお客様なのだから、あなたにもさっぱりして迎えて欲しいの」
 私は、妻のほうに目をやった。何かを察しているのだろうか。だが、たぶん、彼女が察する以上のことを、私はこれから彼女の連れ合いにぶつけなければならない。
「わかりました。じゃ、ちょっと表に出ましょう」
 塩谷は、人懐っこい微笑みで私をうながした。
 私たちは表に出て、建物の横手に回り込んだ。正面には、西洋芝を敷いた前庭の先に、車が三台駐められる駐車場があり、この横手には、車が二台、横の道から入れられるようになっていた。昨日、塩谷が乗っていた乗用車のほかに、おそらくはさゆり用と思われる軽自動車が、そこに駐まっていた。
 家の外壁に沿って、花壇があった。さゆりが手をかけたらしいバラが、駐車スペースと家の間に咲いている。紫陽花が、色を変えていた。
 私たちは家の横手に回り、向かい合った。
「それで、何です?」
 塩谷はごくさり気なく尋ねる素振りの奥に、警戒を隠していた。私は、いきなり突きつけることにした。
「ドラムのスティックのことを聞きたいんです。お気に入りのスティックは、どこですか?」
「――」
「昨夜、亀崎さんたちと演奏の練習を始める時、愛用のスティックを家に忘れたと言ってましたが、あれは嘘ですね。ほんとは、椋原奈美さんが運転する、赤いポルシェの中に忘れたんです」
「――」
「昨日、亀崎さんに牽引して貰って国道を走っている時、少し離れた駅の傍で、物陰に駐まる真っ赤なポルシェを見ました。ちょっと前に地図で確かめたら、ここから西に三つめの駅だった。国道から駅までは少し距離があったので、自分で運転していたら気づかなかったでしょうが、ぼんやり景色を眺めていたら、真っ赤な車体が目に飛び込んできたんです。その後、亀崎さんの事務所にいる時に、スポーツジムのバッグを持ったあなたが訪ねて来て、車検を終えた車を引き取りました。ということは、スポーツジムまで、電車で往復したことになる。ちょうど、電車が駅に着いたあとで、乗ってた高校生たちも歩いて帰るところだった。あなたも、あの電車で来たのだろうと思いました。そうですか?」
「そうです」
「それは、どこの駅から乗って?」
「――」
「今、椋原奈美さんを訪ねてきたところです。リビングに、同じスポーツジムのバッグがありました。それを見て、ひっそりと駐まっていた赤いポルシェを思い出しました。あなたと奈美さんは、電車が来るのを待っていたんですね。あなたはその電車に乗り、ここの駅で降り、あたかもジムから帰って来たかのように装った。顔なじみの駅員に挨拶し、亀崎さんの整備工場へ寄り、車検が終わった車をピックアップしてここに戻って来た。そうですね?」
 塩谷は、気まずげに私を見つめて来た。優し気なハンサム。陽気で気のいい男であることは、昨夜、バンドの演奏練習を、缶ビール片手に眺めるうちに充分に感じていた。
「彼女から……、僕らのことを聞いたのですか……?」
 やがて、かすれた声で訊いてきた。
 私は、うなずいた。「聞きました。スポーツジムで出会い、話すようになったそうですね。その後、ジムに行くのを名目にして、ふたりでこっそりと会うようになった」
 塩谷はうつむき、しおれたが、じきに別の感情が頭をもたげたらしかった。――おそらくは、私への怒りだ。
「奈美は、なぜあなたにそんな話を……。いったい、何なんです……。探偵というのは、そうやってプライバシーに土足で踏み込んで来るのが仕事ですか? あなたにいったい、何の関係があると言うんです? 失礼じゃないか、まったく。何が目的なんだ――」
 話すうちに、段々と自分で興奮してきたらしい。目が三角にとがり、口調が激しさを増した。
 私は、力を込めてその目を見つめ返した。
「私の目的は、椋原さんを殺害した犯人を見つけることです。教えてください、あなたがポルシェの中に忘れたスティックは、今、どこですか?」
「まだ、奈美のところにあります」
「いいや、彼女のところにはありません。それも、確認済みです」
「そんなはずは……」
「昨夜、十時過ぎに、あなたは椋原奈美の携帯に電話をしてますね。そして、スティックを忘れたことを告げた。彼女は、あなたに、スティックをポルシェから出し、家の外壁沿いの植え込みに隠しておくと告げた。人通りなどないところだから、誰も取ったりしない。次に会う時に渡す手もあるが、なにしろお気に入りのスティックなので、来週の春祭りの本番にそなえ、少しでも早く返して欲しかった。それであなたは、亀崎さんのところの練習が終わったら、椋原さんの家に立ち寄り、植え込みからスティックケースを取り出して持ち返ると約束した」
「待ってくれ。確かにそうですが、ケースはなかったんです。本当だ」
 私はひとつ間を置きつつ、塩谷の様子を観察した。そして、ぶつけた。
「椋原伴久を殺害した凶器は、そのスティックか、もしくはスティックケースだったと私は推測しています。いや、スティックの存在自体が、今回の殺人事件を引き起こしてしまったと思っています」
「――」
「あなたは昨夜、バンドの練習が終わったあと、愛用のスティックを取りに行った。そこで、椋原さんと出くわしてしまった。そして、言い争いになり、カッとなったあなたはスティックかスティックケースで椋原さんを殴ったんです。だが、打ちどころが悪かった椋原さんは亡くなってしまった。途方に暮れたあなたは、椋原さんが駅から自宅までの帰り道に、あの橋の上で一服して休んでいるうちに、誤って川に落ちて死んだように見せかけた」
「違う! 僕はそんなことなどしていない。確かに奈美に電話をしたし、彼女からスティックを植え込みに隠しておくと言われたが、練習後、取りに行ったら、なかったんだ。あちこち捜したけれど見つからないので、仕方なくそのまま引き揚げた。それだけです。彼女が嘘をついてるんですよ。きっと、帰宅した椋原に僕のスティックが見つかり、喧嘩になったんだ。そして、あの女が亭主を殴り殺してしまった。ふたりきりの時、何度も愚痴を聞かされたから知ってます。あの女はね、あんな体になった亭主を重荷に感じてたんですよ。もう一度、あの女を問いつめてくれ。僕は無実だ。誓って言う。椋原さんを殺したりしていません」
「塩谷さん、警察が動く前に、自分のほうから自首して欲しいんです。私がここに来たのは、そのためです」
「そんなおためごかしは、やめてくれ。あなたは、奈美に騙されてるんだ。犯人は、あの女ですよ。もう一度、ちゃんと調べてくれ」
 目を剥いて怒りをあらわにする塩谷を見つめるうちに、私は突如として嫌な予感に襲われた。まさか……。
 昨夜の出来事を、時系列に沿ってもう一度並べ直してみることで、それは益々大きくなった。
「椋原奈美は、昨夜、友人たちと一緒にあなたの店で夕食を摂り、そのあと、カラオケに繰り出した。その途中、タクシーでちょっと自宅に寄り、ポルシェの後部シートの足元に置き忘れられていたスティックケースを外の植え込みに隠しておいた。彼女は、そう言ってます」
 塩谷の顔に広がった驚きは、到底、演技には見えなかった。
「――彼女が、うちの店に?」
「知りませんでしたか?」
「ええ……、知らなかった……。うちのが、何も言わないものだから……」
 私がちょっと前に気づいたことに、この男もたった今、気づいたらしい。両眼に恐れが広がり、喉を絞ったような苦しげな声が押し出された。
「そうしたら……、僕が奈美に電話をした時、あの女は、僕らのこの店にいたんだ……」
「――」
 私は唾を呑み下した。
「奥さんは、昨夜から風邪気味だと仰ったが、そうすると、昨夜も、今日も、あなたはあまり奥様とは話していないのですか……?」
「ええ、話してません……。さゆりは、ベッドで伏せっていたので……」
 人の気配を感じ、私と塩谷が同時に顔を向けた先に、塩谷さゆりが立っていた。
 いつの間にやら、玄関からそっと表に出て、そこで話を聞いていたらしい。彼女は建物の陰にそっと身を隠すようにしていたが、私たちと目が合っても微動だにせず、逃げようとはしなかった。
 その顔つきを見た瞬間、私は真実を知った。
「ああ、そんな……、なんてことだ……。俺はいったい、何てことを……。さゆり……、頼むから、嘘だと言ってくれ……」
 塩谷が妻のもとへと走り寄り、彼女の体を抱きしめた。さゆりは、力なく夫に抱かれていた。表情が抜け落ちた顔は蝋人形のようで、塩谷が両腕の力をゆるめれば、だらりと地面にくずおれそうだった。
 しかし、彼女はくずおれなかった。
 軽く押すようにして亭主を退け、頭を下げた。
「ごめんなさい、あなた。辰巳さん、私、今から警察に行きます」
 凛とした強さを持つ声だった。
「――御主人から椋原奈美の携帯電話に来た連絡の内容を、聞いたのですか?」
「全部じゃありません。でも、なんとなく内容はわかりました。ドラムのスティックという言葉が耳に入ったし……。それに、彼女は、一応、声をひそめてはいたけれど、聞かれても構わない、ぐらいに思ってたのかもしれません……。特に店の外に出ることもなく、お店の中で話していたんです……。私、この店に彼女が入ってきた時に、嫌な予感がしたんです。見たくないもの、聞きたくないものに気づかされるような気がして……」
「さゆり……、すまない……」
 夫のつぶやきが耳に入ったのかどうか、妻は私と塩谷の中間ぐらいの、誰もいない辺りをぼんやりと見つめて話し続けた。
「――カラオケに行く前に、自宅に立ち寄り、こっそりとスティックを植え込みに隠しておくというのが聞こえました。椋原さんはどうせ飲んで帰りが遅いから、そこからこっそりと持って帰ればいいと……」
 苦しげに息をつく彼女の背中を押すつもりで、私はそっと声をかけた。
「――椋原奈美のあとについて行ったんですね?」
「そうです……。十時を回っていて、もう閉店の時間でしたから、私、自分の車で、そっと走り出したんです。行き先は椋原さんの家だとわかっていたし、あとについて走ってることを気づかれたりしたら、何と言い訳をしていいかわからなかったので、タクシーが遠くに行ってから走り出しました。そして、椋原さんの家の傍に車を停めて、様子を窺ったんです。私、なんでそんなことをしたんでしょう……。そんなことをして、いったい何を確かめたかったのか……。確かめて、それでいったいどうするつもりだったのか……。今になってみると、何もわかりません……。闇の中にたたずんで、じっと様子を窺っていたら、彼女が主人のスティックケースを植え込みに隠すのが見えました。彼女はひょいとそれを入れると、表の門のところに待たせていたタクシーに戻って、走り去ってしまいました……。そのあと、私は自分でももっとわからないことをしました。植え込みへとふらふら歩き、あの女が隠した主人のスティックケースを手に持ったんです。なんで私、あんなことをしたんでしょう……。家に持って帰ったら、どうなるのか……。捨てたら、どうなるのか……。でも、主人のことを考えたら、持って帰りたい気もして……。それは、主人への愛情だったのか……。それとも、憎しみだったのか……。わかりません……、私……」
 さゆりは、最後の言葉とともに、重たいため息を吐いた。
「スティックケースを手に取った時、恐ろしいことが起こりました」
 それからそうつけ足すと、たった今それが起こったかのように身を震わせた。
「――顔を上げた私の前に、椋原さんが立っていたんです」
 事件現場となった橋のところで、椋原とタカシが言い争ったのが十時頃。右半身が不自由ではあっても、十五分とか二十分で家に帰り着いたはずだ。奈美は、椋原がまだ帰宅していないと思っていたが、実際には亭主の椋原は既に帰っていたのだ。
「椋原さんは、タクシーで乗りつけてポルシェの中からスティックケースを取り出す奥さんのことを、家の中からそっと見ていたそうです。椋原さんは私を激しくなじりました……。あんな椋原さんを見たのは、初めてでした。荒れ狂っていて、私は正直、殺されるのではないかと思いました……」
 私は、昨夜の椋原の気持ちを推測した。椋原は、自分が西岡に騙されて金を奪われたことに気づき、失意のうちに帰宅したのだ。しかも、タカシに殴られてもいる。困惑のあまり、家を明るくすることもなく坐り込んでいたのかもしれない。そして、妻の妙な行動を目にすることになった。表に出て様子を窺い、怒りのすべてを、ふらふらと現れたさゆりにぶつけた。――最悪の邂逅というしかない。
「椋原は、いったい何と言ってきみをなじったんだ……?」
 問いかける夫を見やったさゆりの目には、隠しようのない恨みが鈍い光を放っていた。
「おまえのところは、亭主の不倫の尻拭いを妻がやるのか」
「――」
 さゆりは私のほうへと顔を向け、私に話す形で言葉を継いだ。
「その言葉を聞いた時、私の中で何かが切れました……。気がつくと、この人が大事にしていたスティックのケースで、椋原さんを殴りつけていました……。体が不自由な椋原さんは、倒れた拍子に壁の角に頭をぶつけて動かなくなってしまいました。そんな椋原さんを見て、私、どうしていいかわからなかった……。私ったら、とんでもないことを……。でも、怖くて仕方がなかったんです……。椋原さんが、健康回復のために、時々、川の土手を歩いているのは知っていました。駅から歩いて帰る途中、あの橋の上で一休みしている姿を見かけたこともありました。橋の欄干に腰かけて、おいしそうにたばこを喫っていたんですが、脳梗塞をやったのに大丈夫なんだろうか、間違って落ちたりしないだろうか、と心配でした。その時のことが、突然、頭に思い浮かんだんです……。私、無我夢中で椋原さんを自分の車に押し込んで、あの橋まで走りました。なんであんな大きな男の人を、私ひとりで動かせたのか、今でも不思議です。ポケットに携帯用の灰皿があるのを見つけて、橋の上に一本置いてから、椋原さんを下の川に落としました。そうしておけば、もしかしたら事故として片がつくかもしれない……。事故で片がついてくれればいい……。ずっとそう念じていました……」
「もういい。もう、わかったから――」
 塩谷はさゆりを押しとどめ、庇うように両腕で包んだ。
「辰巳さん、これは正当防衛です。椋原は荒れ狂っていて、妻は殺されると思ったんだ。だから、正当防衛ですよ、ね、辰巳さん、そうでしょ……」
 危険を覚えて、スティックケースで殴ったにしろ、その後、事故に見せかけるため、死体を川に運んで捨てている。正当防衛を主張できる状況ではなかった。
「それは、警察が判断します」
 私が低い声で告げた時、表に車のエンジン音がした。
 じきに駐車場に車が停まり、ドアが開き、わいわいと喧しい声が聞こえて来た。
「あら、知らなかったわ。こんなところに、こんないいお店があったのね」
 声のひとつが、そんなふうに言った。
12
 キャンピングテーブルに置いたランタン・ライトの光が、周囲をぼんやりと照らしていた。光が闇に呑み込まれた先に川の流れがあるが、私がいる場所からは見えず、せせらぎだけが聞こえていた。
 ヘブンヒルを炭酸割りで飲み出したあと、少し前からはただ氷をぶち込んだだけのグラスで飲むようになった。チーズとナッツ以外のつまみはなかった。つまむよりも、ただ飲んでいたい夜だった。
 塩谷夫妻につきあって警察へ出向き、少し前に戻ったところだった。私は警察署の表でふたりと別れ、電車でこの小さな町に戻って来た。車窓にもたれてぼんやりと夜の闇を見つめ、乗降客が少ない小さな駅舎で降りた。
 せっかくの予約客は、塩谷たちが腕を振るう予定だったもてなしを受けることはできなかった。取り乱し、それどころではない夫婦が相談してそう決め、平身低頭に詫びて帰って貰ったのだった。もしも私が相談を受けたとしても、そうするように助言したと思う。自首は早いに越したことはないし、私はロマンチストではなかった。
 酔いが深まれば深まるほどに、昨夜、店内からぼんやりと表の通りを眺めていた、塩谷さゆりの姿が思い出されてならなかった。私の脳裏に焼きついた彼女は、現実に目にした時よりもずっと寂しげで、そして、不安そうに見えた。
 しかも、なぜだかそんなさゆりに、実際に目にしたわけではないもうひとりの女の姿が重なっていた。ネイルサロンの窓辺で、ぼんやりと表の国道を眺める椋原奈美だった。
 バーボンを注ぎ足したグラスを、顔の前で回した。ランタン・ライトのほうにグラスをかざし、バーボンの中でオレンジ色に揺れる光を見つめた。
 表に軽トラックの音がして、私は亀崎が戻ったのを知った。しばらくして、本人が現れた。
「今回は、いろいろと世話になったな」
 亀崎は片手を上げてそう言うと、私の勧めに応じてもうひとつのキャンピングチェアに坐り、館たちの様子を話し出した。今まで、館父子と一緒にいたのだった。必要な部品を取り寄せて、すでに私のワーゲンバスの修理は終えてくれていた。
 私は軽い相槌を打ちつつ話を聞いた。
「館が、よろしくとのことだった」
 亀崎は、そう言って話を締めくくった。私は明日の早朝にここを発つつもりで、そのことを亀崎にも告げてあった。館は明日は仕事で、見送りには来られないそうだった。
 バーボンを御馳走してやり、一緒に飲み出してしばらくした頃、亀崎がワーゲンバスの車体を指差して訊いた。
「なあ、ひとつ訊こうと思ってたんだが、いつから車体にああして書いてあるんだい?」
「このキャンパーで、あちこちふらふらするようになった時からです」
「なんでだね?」
「元々、新宿で、探偵事務所をやってました。色々あって、片手間に手伝ううちに、自分で事務所を引き受けることになりました」
「だが、キャンピングカーでふらふらしてまで、続けていたい仕事でもないだろ?」
 私は黙って亀崎を見つめた。相手の意図を取り違えていないかどうか、わからなかった。
 たぶん、私がそう感じたことを察したのだ。亀崎はみずから、言葉を継いだ。
「あんたには、感謝してる。そうだ、もうひとつ言い忘れていたが、館は、息子のタカシとよく話し合ってみるとも言ってたよ。だが、あんた自身は、この町に立ち寄ったばかりに、こんな事件に首を突っ込むことになっちまった。後悔してるんじゃないのか?」
 言葉に詰まり、私はバーボンを口に運んだ。みずから同様の疑問を抱えることは何度かあったが、他人から正面切って訊かれるのは初めてだった。
13
 翌朝、亀崎に別れを告げて、愛車のワーゲンバスで走り出した。小さな町は、あっという間に遠ざかった。
 巨大なショッピングセンターを越えた先に、潰れて空き店舗となった建物があった。あそこがネイルサロンだったのかもしれないとも思ったが、車を停めて確かめることはしなかった。一昨日、赤いポルシェが物陰に停まっているのを見た駅舎も、やはりあっという間に通り過ぎた。その先で、別の道を行ったので、亀崎がエンコした私の車をピックアップしてくれた川べりは通らなかった。
 小一時間も走った頃、携帯が鳴り、モニターを確かめてから私はハンドフリーで通話を始めた。
 宿を営む友人からで、土曜からの宿泊客がすでに全員チェックアウトしたので、何時に来てくれても構わないという内容だった。私は、すでにワーゲンバスで向かっている旨を告げ、到着が近づいたらまた連絡をすると約束した。
「それにしても、何もない退屈な町だったろ」
 電話を切る前に、友人が言った。
 私は少し迷ってから、「まあな」と応じた。
(「見知らぬ町で」了 小説推理11月号につづく)

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香納 諒一Ryouichi Kanou

1963年横浜生まれ。早稲田大学卒業。出版社勤務の傍ら、91年「ハミングで二番まで」で第13回小説推理新人賞を受賞し、92年『時よ夜の海に瞑れ』で長編デビュー。99年『幻の女』で第52回日本推理作家協会賞長編賞を受賞する。他に、『梟の拳』『贄の夜会』『ステップ』『幸』『無縁旅人』『心に雹の降りしきる』など著書多数。

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