双葉社web文芸マガジン[カラフル]

キャンパー探偵 / 香納諒一・著

イラスト:チカツタケオ

第3回
 歩き出してしばらくすると、背後から呼びとめられた。振り向く私たちに、ビルから走り出て来た白井と松村の両刑事が、ふたりそろって寄って来た。
「ちょっとお時間をよろしいですか?」
 そう言いつつ、手振りで道の端に寄るようにとうながした。東口のターミナルが見渡せる場所だった。ターミナルも、そこから駅を背にして三方に延びる道路も、地方都市特有の広さでゆったりと造られており、歩道も広い。そろそろ昼食時に差しかかる時刻だった。背広や制服姿の人々が行き来していたが、私たちのそばには誰もいなかった。
「津波で行方不明になった水谷晃という男性について、もう少し詳しく話を聞かせていただきたいんです。彼の婚約者の女性は、竹内と名乗る男のことを間近で見たんでしょうか?」
「いや、それほど近くではなかったんじゃないかな。だけど、行方の知れない婚約者が生きてたと言って、ものすごく興奮してましたよ」
 古館が、答えた。
「その婚約者の女性のお名前を聞いてもいいですか?」
「加賀伸子だけど」
 白井はどういう漢字かと尋ね、メモをした。
「加賀さんは、今はどちらに?」
「仕事ですよ。愛知県の豊橋から、こっちに向かって車を飛ばしてます。ノブは、長距離トラックを転がしてるんですよ。会社にトラックを返して、夕方には合流する約束になってるけれど」
「なるほど、そうですか。――そうしたら、夕方、加賀さんとお会いになったら、お手数ですが連絡をいただけますか」
 白井は言い、名刺を、私と古館に一枚ずつ渡した。刑事が低姿勢に出る時には、要注意だ。
「あれっ……、だけど、ちょっと待ってくれよ。刑事さんたちが調べたいのは、竹内清治って男のことだろ。ノブに何を訊くつもりなんです?」
 古館は話すうちに、みずから答えを見つけたらしい。
「なあ、刑事さん。もしかして、あんたたちは、水谷晃が竹内清治だと名乗り、何か悪さをしてると思ってるんじゃねえだろうな」
「いや、あくまでも念のためです」
「念のためも何もねえよ」
 古館は、気色ばんだ。「そんなこと、あり得ねえって。水谷の兄貴も親父も、この間の震災で亡くなってるんですよ。もしも津波にさらわれて、九死に一生を得たのだとしたら、震災に遭った人たちを騙すような真似をするわけがねえだろ」
「しかし、加賀伸子さんは竹内と名乗る男を見て、婚約者だった男に間違いないと確信したわけですよね」
「そんなの、間違いに決まってるだろ! ノブは、ずっと堪えてきたんだよ。婚約者が海に持ってかれて、生きてるのか死んでるのかわからねえ女の気持ちが、あんたらにはわからねえのか。生きてるはずがねえ。死んじまったに決まってる。そう思っても、心のどこかでは、もしかしたらって希望が捨てられねえ。そういうもんだろが! 他人の空似だと思っても、瓜二つだと言っちまったんだよ。きっと、そうなんだ」
 古館は大声で喚いたが、はっと口を閉じ、何かに蹴躓いたような顔で私たちを見回した。
「いや、俺が言いたかったのは、そういうことじゃなくてさ……」
 中途半端に言葉を途切れさせ、あえぐように息をする。
「私が不躾な言い方をしてしまったようです。申し訳ない」
 白井が詫びた。
「ちゃんと説明すればよかった。実は、マンション周辺に設置された防犯カメラを調べていた者が、こういう映像を入手したんです。どうです、水谷晃さんに似ていますか?」
 そうつけ足し、私たちに写真を見せた。粒子の荒い写真で、はっきりと断言できなかったが、どうやらそこに写るのは竹内と名乗る男らしかった。茶色の革ジャンを着ている。さっき、怜子がこの刑事から訊かれて答えたのと同じ服装だった。
「――そうだな。ちょっとわかりにくいが、確かに水谷に似てる気がする。だけどなあ、俺だってもう七年も会ってねえし」
 隣りで写真を覗き込む古館は、あいまいに言葉を濁すしかできなかった。
「マンションの非常階段で畠野さんと言い争っているのが目撃された人物も、やはり茶色の革ジャンを着てたという証言もありましてね」
「周辺と仰ったけれど、マンション自体には、防犯カメラはないんですか?」
 私が訊いた。
「ええ、年代物の建物でしてね。エントランスにも、エレベーターにも、防犯カメラは設置されてません。それに、非常階段には、外から誰でも上り下りができます」
「竹内と名乗る男が畠野さんを殺害したのだとしたら、動機は何です?」
「そういったことについては、まだ何もわかってはいませんよ。何しろ、その男が本当は何者なのか、まだわからないんですからね」
 白井は話しながらメモ帳をポケットにしまった。
「それでは、加賀伸子さんがこちらに戻られましたら、連絡をお願いします」
 私は少し迷ったが、引き上げようとする刑事たちをとめた。
「ちょっと待ってください。もうひとつ、お耳に入れておいたほうがいいことがあるんです。昨日、伸子さんが竹内と名乗る男をたまたま目撃した時、妙なふたり連れが竹内さんたちの車を尾けていたそうなんです」
「あ、そうだ。そう言ってたぜ」
 古館が勢い込んで池山憲吾の名前を出しそうな気がしたので、私は車のナンバーを控えたメモを、素早く刑事たちに提示した。喋りすぎると、県警で働く高津という友人に迷惑がかかる。
「これが、男たちが乗ってた車のナンバーです」
「尾行とは、穏やかじゃないな」
 白井は礼を言ってナンバーをメモした。若い松村のほうがそのメモを持って少し後ろに下がり、私たちに背中を向けて携帯を操作した。
 若手刑事が電話を終えると、白井がそのほうに近づいた。
 低い声で何かやりとりをする刑事たちの顔が緊張で引き締まるのを、私は見逃さなかった。
 私たちのほうに戻ってきた白井は、
「御協力に感謝しますよ」
 と頭を下げてから、切り出した。
「ところで、池山憲吾という名前に心当たりは?」
「いや、ねえけれど」古館が、すぐ反応した。なかなかの役者ぶりだった。「それが車の持ち主ですか?」
「そうです」刑事は、私に顔を向けた。「そちらはどうです?」
「私も初めて聞く名前です。何者なんですか?」
 私がダメもとで訊いてみると、案外と答えが返ってきた。
「暴力団とつながりがあるブローカーとでもいえばいいでしょうか。震災直後、土木や建築関係の現場は、どこも人手不足でてんやわんやでした。そういった現場に、違法に派遣労働者や下請け会社などを斡旋し、間で賃金をピンはねするとか、もっとひどい場合には、まったく払わずに逃げてしまうような悪質な例が、けっこうあったんです。池山には、ある土木会社とつるんで、労働者の数を水増しし、地方自治体に不当請求していた嫌疑もかかっています」
「そんな男が、なぜ?」
「それを至急、調べてみますよ。貴重な情報をありがとうございました。そうだ、お礼と言ってはなんですが、もうひとつサービスでお教えします。竹内と名乗る人物が、島岡さんたちに告げていた携帯の番号ですが、東京に暮らす七十過ぎの老人のものだと判明しました。紛失してそのままだとか、騙されて名義を貸すことになったとか、おそらくはそういう類の携帯でしょう。じゃ、我々はこれで」
 白井は、もう一度頭を下げた。話はここまで、ということだ。たとえ何かもっと知っていたとしても、これ以上聞き出すのは難しいだろう。
 だが、若手刑事をうながして歩き出しかけ、その途中で動きをとめた。
「我々の多くが、御遺体の探索と身元の確認作業に従事しました。私も、この松村もです」
「――」
「加賀伸子さんの御心中、お察しします」
 刑事は、生真面目に頭を下げた。
「この野郎、なんでそんな大事なことを教えねえんだよ」
 車を駐めたコインパーキングに向けて歩きながら、古館が携帯電話に怒鳴りつけた。その声に驚き、前から来た歩行者が古館をよけ、すれ違ってからこっちを振り向く。
 電話の相手は、県警の広報にいる高津だった。刑事の白井と松村が、池山憲吾という男の情報をすぐにつかんだのだから、高津にだって簡単に引き出せたはずだ、それなのに、それを教えないとは友達甲斐がない野郎だと言って、腹を立て出したのだった。
「民間人もクソもあるか。俺とおまえの仲じゃねえか。おまえ、友達からの頼みを、そんなにいい加減に扱う男だったのか」
 そう怒鳴り、
「いいから、つべこべ言わずに教えろ。この野郎」
「いいじゃねえか。今度会った時、焼肉でも奢るからよ」
 と、飴と鞭を使い分けて、陥落させた。
「よし、それじゃあ、もっと何かわかったら連絡をよこせよ」
 話を聞き出した末、高飛車に命令して通話を終えた古館は、顔を輝かせて私を見た。
「わかったぜ、池山ってのは、共和会系の暴力団と関わりがある男で、逮捕歴もあるそうだ。震災後の労働者の斡旋には、広域指定暴力団がけっこう絡んでたらしい。東京や大阪のドヤでくすぶってる連中の肩を叩いて連れて来ちゃあ、上前をはねる古典的なやり方さ。それから、もうひとつ面白いことがわかったぜ。この池山憲吾と、マンションの非常階段から落ちて死んだ畠野拓三とは昔、『オレオレ詐欺』で一緒に逮捕されたことがあるそうだ」
「なんだって……」
 私は白井という刑事のポーカーフェイスに感心した。畠野と関係のあった池山が、竹内と名乗る男を尾けていたのだ。到底、偶然とは思えない。何かまだ見えていない人間関係の構図が、この事件の裏に隠されている。あの刑事も、ポーカーフェイスのその奥で、そう考えたにちがいない。
「それで、これからどうするよ? 考えを聞かせてくれ。できりゃ、夕方にノブが合流してくるまでに、あの竹内って名乗ってた男が何者なのか、はっきりと白黒をつけたいんだ。そしたら、ノブの気持ちだって吹っ切れるだろ」
 古館が言った。車をとめたコインパーキングに、たどり着いたところだった。
 小銭入れを取り出したが、まだ支払機に向かおうとはせず、それを片手でもてあそびながらさらに続けた。
「そしたらさ、改めてプロポーズするのさ。実をいうとな、俺が気持ちを打ち明けたら、あいつがOKしてくれるのは、ほんとうはもうわかってるんだ」
 古館は、照れ臭そうに顔をゆがめた。
「そうだったのか」
「ああ、そうなんだ。だから昨日は、ああして運転手仲間を集めたんだよ。俺だって、みんなの前でコクって振られたら、かっこ悪いだろ」
 古館はドカジャンのポケットに手を入れ、指輪ケースを取り出した。
「これを、あいつに渡すつもりさ。この間、ふたりっきりで、いい雰囲気になってな。あいつったら、所帯を持ったら、トラックを降りようかな、と言うんだよ。今でも、特に夜など、水谷の車に似たトラックが前を走ってたりすると、ドキッとするらしいんだ。全然、あいつのことを忘れられていないのさ。だけどさ、忘れる必要なんかないだろ。アキは、ずっと今でもノブの中に生き続けてる。それでいいのさ。そうでなけりゃ、悲しすぎるじゃねえか。津波に持ってかれて、婚約者を残したまま行方知れずになっちまった水谷晃って男がよ」
「――」
「なあ、タッちゃん、正直に答えてくれ。あんた、俺が卑怯だと思うか?」
「――なぜ卑怯なんだ?」
「だって、そうだろ……、心の中じゃ、アキがもう死んでると思ってる。竹内だなんて偽名を使ってる男が、ノブの惚れた男であるわけがねえよ。でも、ノブはきっと信じてたいんだ……。そしたら、俺だって信じてやったほうがいいだろ――。それなのに、こんなふうに思ってる俺は、あいつにプロポーズする資格があるんだろうか……。だけどさ、ノブには幸せになって貰いたいんだ。せっかく生き残ったのに、いつまでも震災の傷に囚われていて欲しくないんだ。それには、俺がこの手であいつを幸せにするのが一番さ。なあ、そう思わないか」
 強い視線に気圧されつつ、私は言葉を探した。
 だが、私が何か言う前に、古館のポケットで携帯が鳴った。
「お、ノブかな。合流できる時間にメドが立ったら、連絡をくれるはずなんだ。そろそろかもしれん」
 そう言いながら携帯を出したが、
「大さんだ」
 古館はモニターを見て言い、通話ボタンを押した。昨夜、私も会った大嶋という男からだった。挨拶を交わし、軽口を叩きかけた古館は、急に深刻な顔つきになった。
「何を言ってるんだよ……。そんなとこに、そんな時間に、ノブの車が駐まってたわけがねえだろ……。いや、昨夜から電話はしてねえけれど……。だって、仕事中じゃねえか……。それに、ノブがパーキングエリアで見かけた男のことが、もう少しはっきりわかってからのほうがいいと思ってよ……。ああ、わかった。すぐにそっちに行くから、待っててくれ」
 古館はあわただしく電話を切ると、怪訝そうに首をひねって私を見た。
「なあ、どうも変なんだ。あんたも昨夜会った大さんからだったんだが、妙なことを言うのさ……。ノブの車が、昨夜、長いことずっと、ファミレスの駐車場に駐まってたって言うんだよ……」
「トラックが、か?」
「ああ、そうさ……」
「どこのファミレスなんだ?」
「この郡山だよ。この辺りでは《軍用道路》と呼んでる一四二号沿いだ。こっからなら、十分とかからねえ」
 私たちはあわててコインパーキングの支払いを済ませ、それぞれの車に飛び乗った。
「おう、ここだここだ」
 東京近郊と比べると圧倒的に広い駐車場を持つファミリーレストランだった。その駐車場の入り口に、熊のような大男が立っており、減速して近づく古館と私の車を見つけて太い両腕を振った。
 徐行で駐車場に入る古館の運転席に走り寄って挨拶を交わしたのち、すぐ後ろにつけた私のワーゲンバスのほうを見て、
「ああ、あんたも一緒にやってくれてたんだな。感謝するぜ」
 と、大声で礼を言った。
「ここは大型車が駐められるんで、郡山を通過する時に、時々、仲間内でお茶をするのさ。でな、俺もちょっと前に平戸とふたりで寄ったんだが、馴染みの店員をからかってたら、昨夜、ノブちゃんの十トンが、長いことここに駐車されてたって言われて驚いたんだ」
「長いことって、何時から何時ぐらいまで?」
 私が訊いた。
「八時半頃から、十時半とか十一時近くまであったそうだ」
「そんなの変だぜ」古館が声を上げた。「だって、ノブのやつは、昨日、八時ぐらいに俺たちと別れたあと、すぐに豊橋に向けて走ったはずなんだ。みんなだって、あいつがそう言うのを聞いたろ」
「ああ、聞いたけれど。それが嘘だったかもしれないってことさ。今、店長さんが協力してくれて、平戸のやつと一緒に昨夜の防犯カメラを調べてるところだ。お、来たぞ」
 大嶋がそう言いながら、ファミレスの出入り口のほうへと視線を向けた。そこから、制服姿の太った中年男を連れた四角い顔の平戸が走り出て来るところだった。
「おう、タッちゃんとタッちゃん」
 と、節をつけるようにして二度呼んだのは、古館に加えて私にも呼びかけたものらしい。
「店長さん、悪いんだが、俺にしてくれた話を、もう一度この連中に聞かせてくれよ」
 丸々と太った店長は、長距離走を終えた選手のようにぜいぜいと息を切らしつつ、平戸にうながされて苦しそうに話し始めた。
「ええ、ええ、わかりました。昨夜の八時半ぐらいにやって来て、コーヒーを一杯注文したと思ったら、あわてて飲んで、用ができたので、ちょっとだけ駐めさせておいてくれって頼まれたんですよ。でも、なかなか戻って来なくて――。結局、二時間以上も経ってから、やっと動かしてくれたんですけれど」
「だけどな、今、頼み込んで防犯カメラを見せて貰ったら、変なのさ。ノブちゃんのトラックを動かしたやつは、ノブちゃんじゃないんだ」
「なんだって――? それはいったい、どういうことだよ……。店長さんは、ノブが出てくのを見たわけじゃなかったのか?」
「そうなんですよ。いつの間にかトラックがなくなってたので、まあ、あわてて出て行ったんだろうってぐらいに考えてたんですけれど」
「そしたら、ノブは、どうなったんだ?」
 古館は、不安そうに皆の顔を見回した。
「店長、あれをみんなにも見せてくれよ」
 平戸に言われ、店長が持って来たノートパソコンを開け、太い指で操作した。
 モニターに、この駐車場の映像が現れた。今現在は大嶋と平戸のトラックがある辺りに駐まった伸子の十トン車に向け、人影がひとつ近づいて行く。運転席のドアを開けて堂々と乗り込み、運転して走り去った。
「ほんとだ! ノブじゃねえや……。ちきしょう、どういうことなんだよ……」
 今や古館の声はかすかに震え、泣き出しそうな感じさえする。
「男だな――」
 同じくモニターを覗き込んでいた大嶋が、低い声で言った。
「ええ、私もそう思います」
 店長が応じる。私も同意見だった。野球帽を目深にかぶっており、しかも防犯カメラの映像が斜め上からのものなので、残念なことに顔つきはわからなかったが、体つきや動きからして男であることは間違いない。
「しかも、大型を運転し慣れてるやつだぜ」
 平戸が言った。「大型の免許を持ってないやつが、こんなふうにスムーズに車を出せるわけがねえ」
 古館が携帯を取り出して操作したが、じきに諦めて通話を切った。
「だめだ。出やしねえや。ノブはいったい、どうなってるんだよ」
 私はふと思いついた。
「俺はここらの土地鑑がないんだけれど、このファミレスから、昨夜、畠野の事件があったマンションは、遠いんですか?」
 そう尋ね、トラック運転手たちの顔を見回した。
「ええと、あのマンションはどこだったかな……」
 とつぶやく古館よりも、店長のほうが素早く応じた。
「それって、人が非常階段から落ちて死んだマンションのことですか。それならば、裏通りを少し行った辺りですよ。ニュースを見て、従業員同士でも噂してたんです」
「なあ、ノブのやつは、ここに車を駐めてそのマンションに行ったんじゃねえのか」
 大嶋が言った。
「でも、それっておかしいぜ。畠野ってやつの死体が見つかったのは今朝のことで、昨日はまだ騒ぎになっちゃいない。郡山で高速を降りたところであとを尾けるのをやめたノブが、どうしてマンションの場所を知ってるんだ?」
「本当は、尾けるのを途中でやめたわけじゃなかったからだろ」
 古館の疑問に、私が答えた。
「――俺たちに、嘘をついたというのかよ?」
「そうかもしれない。とにかく、そのマンションに行ってみないか」
「店長さん、じきに戻るから、俺らの大型をちょっとだけ駐めさせといてくれ」
 大嶋たちの頼みを、店長は聞き入れてくれた。
 数分後、私たち四人は、並んでマンションの前に立っていた。大嶋と平戸の十トン車はファミレスの駐車場に残したまま、私のワーゲンバスと古館の軽自動車の二台で移動したのだった。
 表通りから一本中に入った生活道路に建つ、かなり年代物のマンションだった。五階建てで、窓の数からして、各階にファミリータイプの部屋が七、八戸ほど入っているらしい。
 このマンションが事件現場であることは、間違いなかった。スマホで検索したところ、住所を明記する書き込みが見つかったし、建物の入り口付近には、警察車両が停まっていた。それより何より、建物の向かって右側にある非常階段の五階部分に、目隠し用のブルーシートが張ってある。畠野という男は、あそこから中庭に転落したのだ。
 私はそのブルーシートを見た瞬間、嫌な予感を覚えた。マンションの表から、事件現場は丸見えなのだ。
「まずい……」
「何だ? 何がまずいんだ?」
 大嶋が訊いた。
「やはり、ノブさんは、昨夜、倉橋怜子さんが運転する車を尾けてここまで来たんでしょう」
「それで、畠山って男が女と暮らす部屋を訪ねたっていうのか?」
 古館が訊く。私は首を振った。
「いや、それはないと思う。ノブさんは、竹内と名乗る男と怜子さんとが、このマンションのどの部屋を訪ねたのかまでは知らなかったと思うんだ。ふたりが乗る車を尾けてここに来た時は、ふたりがマンションに入るのを見ただけで、走り去ったのさ」
「そっか。この道じゃ、トラックを駐車できねえもんな」
「それもあるが、もしもどの部屋を訪ねたかを知ってたのならば、昨日、俺たちに、違う頼み方をしたと思うんだ。車のナンバーを告げて、その持ち主を捜してくれと頼んだのは、それ以上の手がかりを得られなかったからさ。表から見ただけじゃ、どの部屋に入ったのかわからないし、そもそもここの住人なのか、それとも訪ねて来ただけなのかもわからない。それよりも、ノブさんには、控えたナンバーをタッちゃんに託し、車から身元を探って貰うほうがいいと思えたんだろう。しかし、そう頼んだあと、やはりどうしてもこのマンションが気になった。もしかして、マンションの前で待っていれば、津波に持って行かれた婚約者とそっくりなあの男に、もう一度会えるかもしれない。そう思う気持ちがとめられなくて、きっとここへ戻ったんだ」
「ノブが、そんなことをするかな?」
「するさ。すると思う。なぜなら、彼女もまた、おまえと同じだからさ。自分がたまたま見かけた男が、水谷晃だとは信じられなかったんだ」
「……」
「この偶然が、自分の身に何を引き起こすのか。ノブさんは、それが怖かったにちがいない。自分の中に、水谷晃という男が変わらずに生き続けているのを改めて知ってしまったことが怖かったのかもしれない。いずれにしろ、どうにもこうにもいたたまれなくて、彼女はもう一度ここに戻って来た。たまたま近くにあった馴染みのファミレスの駐車場にトラックを駐め、ほんのちょっとのつもりでここに戻ったんだ。もしかしたら、今夜のうちに、あのそっくりな男にもう一度会えるかもしれない。もしかしたら、一言でも、何か言葉が交わせるかもしれない。おそらくは、そんな気持ちに急き立てられてな」
「だけどよ……、ほんのちょっとのつもりって言ったって、それからもう半日以上経ってるんだぜ。いったい、ノブはどこに行っちまったんだよ――?」
「だから、その時、きっと彼女の身に何かが起こったんだ」
「――」
 古館は、私から大嶋たちの顔へと視線を移した。いかにも事問いたげにしていたが何も言わず、さらに視線を動かして、目隠し用のブルーシートに覆われた非常階段の踊り場を見つめた。
「もしかして、ノブはここで、畠野って男があの非常階段から落ちるのを目撃したって言うのか――? まさか、それで犯人のやつが、ノブを捕まえてどこかに連れ去ったとか……」
「――俺の思い過ごしならばいいが、ファミレスでコーヒーだけ頼んで、あわただしく店を出たのが八時半過ぎ。住民が、何かが中庭に落ちる物音を聞いたのが九時頃。ノブさんがここに来て、非常階段の踊り場で起こった出来事を目撃したとすると、時間的には一致する。それに、俺は共和会と関係してる池山憲吾って男のことが、気になってるんだ。池山って男たちも、怜子さんたちの車を尾けてここに来たのだとしたら、トラックを運転していた女ドライバーの顔を覚えたかもしれない」
 古館が、青くなった。
「そしたら、そいつらが畠野を殺し、ノブをどっかに連れ去ったというのか――。そんな……、まさか……。大さん、どうしよう。昨夜、ノブのやつは、変なふたり組の男たちが、水谷とそっくりな男が乗る車を尾けてたと言っただろ。警察にいるダチからさっき聞き出したんだが、その男たちってのは、共和会って暴力団と関係してるらしいんだ」
「共和会なら知ってる。有名な広域暴力団じゃねえか……。そのナンバーは、まだ持ってるか」
「もちろんだ」
 古館がポケットを探り、くしゃくしゃになったメモを伸ばして大嶋に差し出した。
 大嶋は鼻孔を広げ、イノシシみたいに荒々しい息をした。
「よし、すぐに仲間に応援を頼むぞ」
「ちょっと待ってください。どうするんですか――?」
 不安を覚えた私が訊くと、猪突猛進の目を向けてきた。
「トラック仲間に無線で伝達するのさ。このナンバーの乗用車が幹線道路を走ってたら、すぐに見つけ出すぜ。いや、駐車車両にも気を配るようにさせよう。なあに、任せとけ。俺たちの仲間は、全国、そこいら中を走ってるんだ。こちとらがその気になりゃあ、見つけられねえものはねえ」
「すぐに警察にも連絡しましょう。俺たちは、この事件を捜査する刑事に会ってます。彼らにノブさんの顔写真を見せて、付近の防犯カメラの映像をもう一度当たって貰ったほうがいい。それと、さっきのファミレスの防犯カメラの映像も、もっと詳しく解析して貰う必要がある。タッちゃん、あんた、ノブさんの写真を持ってるな?」
「ああ、あるぞ」
 古館はスマホを取り出し、早速写真を探し始めた。
 大嶋が、携帯を出して通話を始める。
 私は刑事の白井に電話をした。
(第4回へつづく)

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香納 諒一Ryouichi Kanou

1963年横浜生まれ。早稲田大学卒業。出版社勤務の傍ら、91年「ハミングで二番まで」で第13回小説推理新人賞を受賞し、92年『時よ夜の海に瞑れ』で長編デビュー。99年『幻の女』で第52回日本推理作家協会賞長編賞を受賞する。他に、『梟の拳』『贄の夜会』『ステップ』『幸』『無縁旅人』『心に雹の降りしきる』など著書多数。

香納諒一の好評既刊

  • 双葉社
  • 小説推理
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