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天下普請 / 稲葉 稔・著

第7回
◆慶長十一年(一六〇六)──
 春の日射しが江戸を満たしはじめ、梅の香りが漂う頃であった。
 日比谷ひびや入江いりえに石船が廻送かいそうされてきた。これは前年より諸国大名家によって建造されていた船で、家康いえやすが命じたのは三千そうであった。
 鹿児島かごしま島津家しまづけ三百艘、和歌山わかやま浅野家あさのけ三百八十五艘、福岡ふくおか黒田家くろだけ百五十艘など諸国大名二十八家の他に、さかい商人尼崎又次郞あまがさきまたじろうにも百艘の建造が命じられていた。
 廻送された石船は江戸湾に入ってくると、道三堀どうさんぼり汐留川しおどめがわから八代洲河岸やよすがしに乗り入れ、運搬してきた資材を陸揚りくあげする計画だ。
 これにあわせて諸大名は家来と人夫にんぷらとともに江戸に下り、石丁場いしちようばに選定された伊豆いずに人を遣わし、石の切り出し・運搬・陸揚げの役に就かせた。
 廻送されてきた石船は人夫らを乗せて伊豆に引き返し、また西国から来る船はそのまま伊豆に接岸されたりもした。
 石船は切り出された百人持之石ひやくにんもちのいし二つを、月に二度運ぶように決められていた。百人持之石とは、約三・二トンと推量されている。
 その石を二個、月に二回運ぶのである。また、大きな石だけでなく、栗石くりいし(径十から十五センチの建築用石材)の運搬もあった。
 江戸に廻送されてきた石船が、人夫や道具を乗せて伊豆に出て行くと、日比谷沿岸と八代洲河岸で荷揚げ場の整備がはじめられた。
 長次ながつぐ吉次よしつぐの補佐をするかたわら、助っ人として大名屋敷の建設にあたっていた。そんな折、新将軍となった秀忠ひでただの命で、いよいよ天守台、本丸などの石垣の修築が行われることが決まった。
 そして、ついに会いたいと願っていた人物がやってきた。
 築城の名手といわれる、藤堂佐渡守高虎とうどうさどのかみたかとらである。
「あのお方だ」
 吉次について普請場を見廻みまわっていた長次は、そういわれて一方に目を凝らした。
 いままさに大手門おおてもんから出てきた集団があった。その数三十あまり。野袴のばかま羽織はおり手甲脚絆てつこうきやはんに大小という者が十人、肩衣半袴かたぎぬはんばかまの者が三人、他の者は人足にんそくか楽な着流しの手代てだい姿だった。
「あちらの大きなお方だ」
 吉次に教えられ、長次はその男を見た。大きい。集団のなかにあって頭ひとつ図抜けた大男だった。おそらく六尺以上はあるだろう。
「あれが、藤堂佐渡守様……」
 長次の胸は高鳴っていた。あこがれの人に初めて会ったような高揚感があった。
「ご挨拶あいさつに……」
「待て」
 浮かれ気味に踏み出した長次を、すぐに吉次がそでを引いて止めた。
「気安く挨拶などできるお方ではない。身分をわきまえよ。相手は一国一城の大名であられるのだ」
「では、近くに行って眺めるだけでも……」
 長次は真剣な目を吉次に向ける。
粗相そそうのなきように、邪魔にならぬように……」
「わかっております」
 長次は力強くうなずくと、高虎のあとを追うように一団の背後についた。
 心の臓がドキドキする。高虎には近寄りがたい雰囲気があった。ときどき立ち止まっては城のほうを眺め、そしてあたりに視線を配り、家来を呼び、手代に何かを書き取らせては、付き従っている人足らにくいを打たせていた。
(なるほど、縄張なわばりをしておられるのか)
 離れて様子を見ている長次にはそのことがわかった。高虎があらかじめ城の縄張りを行っていたのは聞き知っていたが、今度は本格的な縄張りのようだ。本丸と天守台などの石垣が造られるのである。
 以前、長次は吉次に城の縄張りを自分なりに考えろといわれたことがある。しかし、大きな城となると一筋縄ではいかないし、自分の見識ではとてもできないのを痛感していた。
 また、天守を造るという夢に焦るあまり、何度も吉次をせっつき、ときに反抗もしたが、いまは“己の出番を待つ”大切さをさとっていた。
 それも家康のことを深く考えれば、おのずとわかることだった。家康が江戸入りをして、すでに十六年の歳月が流れているのである。
 それなのに、家康は天下人に相応ふさわしい城造りを細々としか進めていない。まるで牛歩ぎゆうほのごとしだった。
 しかし、いまやっと動きはじめたと長次は感じていた。
 家来を引き連れて歩く高虎は、城の東を流れる隅田川すみだがわまで足を運ぶと、河口まで歩いたと思いきやまた引き返して、隅田川沿いをさかのぼり、途中から切り崩されている神田山かんだやま方面に足を向けた。
 ときどき小休止を取り、不忍池しのばずのいけ近くに移築された寺で昼食をとった。その間も高虎は、まわりの家来衆をそばに呼んでは手代に何かを書きつけさせたり、立ちあがって一方を指し示し、下知げちを与えたりしていた。
(指がない……)
 離れたところで尾行者のごとく様子をうかがっていた長次は、高虎の指に気づいた。遠くを指したり、書付や地図とおぼしき手持ちの紙をなぞるように見たりするとき、右手の小指と薬指、さらに左の中指もなかった。
 事実、高虎の体には無数の戦場傷いくさばきずがあった。手だけでなく左足の親指にも爪がないばかりか、胸や背中、あるいは腕には刀傷や鉄砲傷が無数にあった。
 戦場という修羅しゆら場を幾度もくぐってきたあかしである。それでも、高虎には土木に関する知識が豊富にあった。
 その知識をいかんなく発揮して、出石城いずしじよう・和歌山城・赤木城あかぎじよう京聚楽第きようじゆらくだい伏見城ふしみじよう宇和島城うわじまじよう今治城いまばりじよう他の修築・造営・縄張りを行ってきた男である。
 高虎はその日の縄張りを駿河台するがだいまで行ったあたりで中止し、そのまま城に戻った。その間、長次はなんとかして挨拶の一言ぐらいできぬものかと考えていたが、やはり近寄りがたく、一介の被官ひかん大工が気安く声をかけられる相手ではなかった。 
 それでも、
(是が非でも話をうかがいたい)
 という強い気持ちを捨てることはできなかった。
 それから二日後のことだった。
「長次、明日は佐渡守様のともをすることになった。おぬしもついてまいれ。もしやお目通りが叶うやもしれぬ」
 吉次に告げられた長次は、天にも昇らんばかりの心地になった。
 その朝、大手門から旗ややりを持った者たちがぞくぞくとあらわれた。門前には馬を引く馬子まご挟箱はさみばこ持ちや若党、草履ぞうり取りたちが多数控えた。
「なにごとだ?」
 常普請小屋から大手前の近くまで行った長次は目をみはり、城から出てくる人々を見ていた。ほとんどが旅装束である。
大御所おおごしよ様が京に行かれるのだ」
 隣に立った棟梁とうりよう増田清左衛門ますだせいざえもんが、無精ひげをなでながらいった。
「またもや、京へ……」
 長次があきれるのも無理はない。家康は江戸と京を忙しく往復している。昨年も半年以上京で過ごし、江戸に戻って来たのは九月に入ってからだった。そして、また京に向かう。
 一介の大工である長次にその真意はわからないが、家康は大坂おおさか豊臣方とよとみがたの存在を危惧し、牽制けんせいしなければならなかった。家康は天下人になりはしたが、いまだ盤石ばんじやくではないと考えていた。
 徳川の体制を揺るぎないものにするためには、大坂の豊臣方を排除するしかない。家康はそのための布石を打っていたのである。
 城から駕籠かごが出てくると、近習きんじゆ供頭ともがしらなどが周囲の警固につき、鉄砲足軽らの前に先払いが出て行列が動きだした。
 物々しい行列はそのまま東海道とうかいどうに向かい、江戸を離れていった。しかし、その数は三年前の京のぼりに比べると少ないものだった。
 当時は江戸在府中の大名連も京に移動したからだ。それは、家康が将軍職を秀忠に譲るという儀式があったからに他ならない。
 もちろん、江戸にはお手伝てつだい普請のために諸大名の家来が残され、江戸城とその周辺の普請はつづけられていたが、一気に数は減った。家康につづけとばかりに、江戸にいた家臣らが京に向かったからである。
 榊原康政さかきばらやすまさを筆頭とした関東・甲州こうしゆうの大名、伊達だて上杉うえすぎ蒲生がもう最上もがみ佐竹さたけ南部なんぶなどの奥羽おうう大名、ほり溝口みぞぐちの北陸大名、そして小笠原おがさわら諏訪すわ信州しんしゆう大名などで、随従ずいじゆうの軍団は十万人に上った。
 鉄砲一千ちよう・弓五百はり・槍一千本・長刀なぎなたふりなどが携行され、人々は大軍団をひと目見ようと沿道を埋め尽くした。
 これは家康が征夷大将軍を秀忠に譲るための、ひとつの演出でもあった。なにより大坂の秀頼ひでよりへ圧力をかける示威じい行為であり、真の天下人が誰であるかを知らしめ、畏怖心いふしんを抱かせる心理作戦だったといえよう。
「長次、これへ」
 京に向かう家康の行列を見送って、常普請小屋に足を向けると、吉次がやってきた。
「これより佐渡守様の供をする」
 長次に告げた吉次は、先に立って歩きだした。
「お目通りがかなうのですね」
 目を光らせた長次に、吉次は、
「そのようにはからう」
 と、力強くけ合う。
 長次は胸を高鳴らせて、吉次のあとに従った。
 大手門前で待つこと小半刻、高虎が先日と同じように二十人ほどの家来を引き連れてあらわれた。巨体の高虎はひときわ目を引く。
 吉次は走り寄るとひざまずき、
「佐渡守様、大久保石見守おおくぼいわみのかみ様よりお供をせよとおおせつかり、まかり越しました」
 大久保石見守長安ながやすは、家康に作事さくじと経理の才を見出され、側近として異例の出世を果たし、先日、伊豆奉行に任じられたばかりだった。もちろん天下普請にも参与している。
「石見殿から……さようか」
 高虎は低く、くぐもった声で応じた。
「これにおりますのは、鈴木すずき長次と申します。木原きはら一党を率いる身共みどもの手代にございまする」
「鈴木長次でございます。以後お見知りおきのほど、よろしくお願いたてまつりまする」
 長次はひたいを地面につけてひれ伏した。
おもてを……」
 高虎の声に、長次はゆっくり顔をあげた。ぎらりと人を射竦いすくめるような鋭い目が自分を見ていた。長次は鳥肌が立った。
「木原大工か……浜松はままつの出であるな」
「さようでございます」
「ついてまいれ」
 そのまま高虎の巨体が動いた。長次と吉次は一行の最後尾に従った。
 高虎はその日も城の縄張りに没頭していたのだが、近くにいる長次には理解しがたいことが多々あった。いてみたいのは山々だが、なかなかその機会は得られない。
 高虎が側近らに指図さしずしたり、地形を見て勘案かんあんするところから、おおよそのことを推測するしかない。
 前と同じく、高虎は城の外周を歩いた。駿河台から小石川沼こいしかわぬまの近く(のちの小石川御門ごもん付近)、さらに足をのばして四谷よつやから赤坂あかさかを廻り、溜池ためいけを過ぎたのは、すでに日が西に大きく傾く頃だった。
 なぜこのように城から離れた、それも林や谷、あるいは小さな川の流れるところを歩くのか、長次は考えつづけていた。人家もまばらで、田や畑が広がっている場所である。
(お城の縄張りにしては離れすぎている)
 それでも高虎は熱心に、自分の指図を手代に書きつけさせ、杭を打たせたりした。
「佐渡守様、ひとつお伺いしてもよろしゅうございますか」
 勇をして高虎に話しかけたのは、溜池のはずれに来たときだった。
「申せ」
「縄張りですが、城からずいぶん遠いと感じました。わざわざ遠くを選んでおられるのでしょうか」
 訊かれた高虎は、一度、夕焼けに染まりはじめた空を眺めて、ふたたび長次に顔を向けた。
「城は容易たやすく攻められてはならぬ。江戸城は天下の城となる。だからだ」
「…………」
 長次は目をまるくするばかりだ。
「城は曲輪くるわで囲まれる。うち曲輪とそと曲輪だ。わかるか?」
「は、たしかにそうでございましょうが……では、今日歩かれたのは、外曲輪の縄張りをお決めになるためだったのでしょうか」
「他に何がある? 天下の江戸城は大きなものにしなければならぬ」
「今日の縄張りで決めたところには、堀をめぐらせるのだ」
 背後で控えていた手代が言葉を添えた。
「堀を……」
 長次はぽかんと口を開けた。堀をめぐらせるためには、大変な工事が必要になる。高虎はそれをやるというのか。
「江戸城は二重の堀で囲まれることになる。その中心に城があるだけだ。さらに堀を強固なものにしなければならぬ。そのほうは木原大工であったな」
「はっ」
 長次はかしこまった。
「ならば、堀を強固にするためにはどうすればよい?」
 訊かれた長次は目を泳がせて考えた。
「敵に攻められぬためには、堀は広いほうがよいかと存じます。そして、強固にするためには土塁ではなく、石垣にしたらよいかと思いまする」
 高虎がまじまじと見てきた。人を畏怖させ、威圧する空気をまとっている。いやがおうでも長次は緊張する。
 ふと、高虎はそれまで厳しかった表情を少しゆるめた。
「そのほうは作事方であるか、それとも普請方であるか?」
「わたしは作事です。天守を造りたくて江戸にやってまいりました。佐渡守様、わたしに天守を造らせてください」
 これまでつのらせていた思いと、高虎を目の前にしている高揚感からか、我知らずそんな言葉が口をついた。
 高虎はそっぽを向いた。長次はドキリとした。吉次が余計なことをいうなという目で、しかめっつらをしている。
 高虎は短く考えたあとで、長次に顔を戻した。
「おぬしが天守を……」
 低くくぐもった声でつぶやいて小さく笑い、
「城造りには土台が肝要かんよう。そのことを学べ。天守を造りたいとの気持ちはんでおく」
 高虎はそのまま歩き去った。
 高虎の供を終えたあと、長次は吉次から強く叱責しつせきされた。
「身の程知らずめ。きさまを連れていったのは、わしに考えがあったからだ。なのに勝手に話しかけおって。挙げ句、天守を造らせてくれだと? まったく開いた口がふさがらぬとはこのことだ。この、たわけ者めが」
 そこは常普請小屋の奥で、吉次は湯呑ゆのみをつかんで茶をがぶ飲みした。
「佐渡守様は、お怒りではありませんでした。気持ちは汲んでおくとおおせでした」
「ものには順序というのがあるんじゃ。後先考えず、いきなりあのようなことを口にして、何様のつもりだ」
「ならば、黙ってついて歩けと、釘を刺しておけばよかったではありませぬか」
 長次はいい返した。
「まさか、出しゃばったことをいうとは思わなかったからだ。もうよい、下がれッ」
 吉次に一喝いつかつされた長次は、そのまま常普請小屋を出た。すでにあたりは暗くなっており、人の姿もまばらであった。
 長次は城の上に浮かびあがった月をあおぎ見て、家路についた。
(なにも、あれほどしかりつけることはなかろうに……)
 吉次に対する憤懣ふんまんは歩くうちにうすれ、その日、高虎にいわれた言葉が脳裏のうりに浮かんだ。
 ──江戸城は二重の堀で囲まれることになる。
 それは外曲輪と内曲輪のことである。つまり外郭と内郭ということだ。その考えは長次にもわかるが、あまりにも外曲輪が広大すぎやしないかと疑問に思う。
 ──城造りには土台が肝要。そのことを学べ。
 たしかにそうだろう。土台がしっかりしていなければ、どんな建物ももろくなる。
 高虎はそのことを学べといった。何故なにゆえあんなことをおっしゃったのだ?
 おれが未熟だからか? 真の意味での土台をわかっておらぬと思われたのか? そして、吉次に叱責されたことも、胸の内にわだかまっていた。

 その後、長次は吉次に手代として付き従っても、あまり言葉を交わさなかった。また吉次も無駄なことを口にしなかった。
 そればかりか、
「あれ以来、佐渡守様からはなんの沙汰さたもない」
 と、吉次は愚痴ぐちるようになった。
 さすがの長次も気にかかり、
「わたしが出しゃばったことを申し上げたからでしょうか……」
 と、小心になった。
 時折、高虎の姿を見かけることはあったが、声をかけることはかなわぬし、見向きもされない。
 長次は落ち込んだ。やはり吉次がいったように殊勝しゆしような態度でいるべきだったのだと深く反省し、悔いもした。相手は外様とざまとはいえ、家康と秀忠の側近中の側近で、二十万石の大名である。
 築城の名手というほまれ高い相手だけに、長次ははやる気持ちをおさえきれなかったのだが、それがあだとなったと、何度もため息をついた。
 そんな頃、また新たな不安が持ちあがってきた。
「ここを移すことになった」
 そう告げたのは、大工棟梁の桑原孫左衛門くわばらまござえもんだった。丁場において中心となって差配をしている孫左衛門には、各方面からの触れがまわってくる。ときに吉次や長次よりも早く、そんな触れを受けることがあった。
「なぜ移すことに……」
 長次はいまの常普請小屋に慣れ親しんでいた。それに、自分が建てた小屋でもある。突然移せといわれても困ると思ったのだが、
「おかみからのお達しだ。聞かねえわけにはいかんだろう」
 つるっ禿ぱげの孫左衛門は、ゆるりと茶を飲んでいう。
「ならば、どこへ移すんです?」
京橋きようばしのあたりがよかろうということだ。ここには大名家のお屋敷が建てられるそうだ」
「では、この小屋は壊すのですね」
「今日からぶっ壊す。おまえさんは引っ越し先の下見をして、縄張りをしてくれるか。こっちの片づけは、さほどのことじゃねえ」
 長次は小さなため息をついた。天守どころか、また普請小屋を建てることになった。上からの触れを無視するわけにはいかないため、長次は数人の大工を連れて、京橋のあたりを見てまわった。空き地はいくらでもあるが、それにしても人が増えている。
 日本橋にほんばしを起点とした東海道の両側には様々な店が建ち並んでいるし、人通りも増していた。おそらく江戸の人口はゆうに六万は超えているはずだった。
 新しい普請小屋は、大名小路だいみようこうじに架かる後藤橋ごとうばし(のちの呉服橋ごふくばし)のそばに決めた。以来、大工が多く住むことになり、大工町と呼ばれるようになったゆえんである。
 城から少し遠ざかったが、近くには多くの店があり、魚や野菜などを調達しやすくなった。大工衆は移転をむしろ喜び、こっちのほうが便がいいと口にした。
 大手門前の常普請小屋は取り払われ、すぐに新しい小屋の建設がはじまった。とはいえ、大工衆をすべて投入するわけではない。さしあたって十人の大工にまかせ、いつものように手代仕事に戻った長次に、吉次が衝撃的な報せをもたらした。
「長次、おちおちしておられぬぞ。佐渡守様が大工衆を集められた」
「どういうことです?」
粉河衆こかわしゆうという大工らしい。そして、石工の手練てだればかりが揃っているという穴太衆あのうしゆうも呼ばれた。さらに京大工もやってくるという」
「京大工……」
 長次は思わず叔父おじの顔を見た。
「そうだ。もとは法隆寺ほうりゆうじ大工だというが、中井正清なかいまさきよというおん大工が差配をしており、その中井殿は二条にじよう城と伏見城の作事もしているそうだ。ひょっとすると……」
「ひょっとすると、なんです?」
 長次は妙な胸騒ぎを覚えつつ、吉次を見た。
「天守は、京大工らにまかせられるのかもしれぬ。いや、天守だけではない。本丸も二の丸も西の丸も……」
「そんな馬鹿な」
「わしもそうなってはならぬと思うが、こればかりはいかんともしがたい。それに、おぬしへ伝えなければならぬことがある」
「なんでしょう」
 長次は一歩詰め寄って訊いた。
「伊豆におもむき、石丁場を見廻ってこいと、佐渡守様から直々じきじきのご命令だ」
「佐渡守様が……」
 長次は高虎の顔を脳裏に思い浮かべ、
(何故、石丁場に行かねばならぬのだ)
 といきどおりを覚えた。難色が顔に表れたらしく、吉次は言葉を足した。
「とにかくさようなことだ」
「伊豆の石丁場に……」
 まったく予期せぬ成り行きに、長次は足元の石垣が、ガラガラと崩れていくような錯覚を覚えた。
(第8回へつづく)

バックナンバー

稲葉 稔Minoru Inaba

1955年熊本県生まれ。脚本家などを経て、94年に作家デビュー。冒険小説、ハードボイルドを皮切りに、近年は時代小説に力を注いでいる。近著に『浪人奉行 四ノ巻』(双葉文庫)、『永代橋の乱 剣客船頭(十九)』(光文社時代小説文庫)、『喜連川の風 切腹覚悟』(角川文庫)、『すわ切腹 幕府役人事情 浜野徳右衛門』 (文春文庫)などがある。

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