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天下普請 / 稲葉 稔・著

第3回

慶長天守けいちようてんしゆ

◆慶長八年(一六〇三)──
 長次ながつぐ吉次よしつぐに従って大手門おおてもんくぐり、御城内に足を踏み入れた。この時期はまだ後世のように厳しいしきたりはなく、わりとすんなり城内に入ることができた。無論、各門にはやりを持った門番たちが立っていたが、止められることはなかった。
 吉次が肩衣半袴かたぎぬはんばかまというで立ちだったからかもしれない。従う長次はといえば、股引ももひき腹掛はらが半纏はんてんという職人とも人足にんそくとも取れるなりなので、吉次の従者と思われても不思議はなかった。とにかく吉次についていくしかない。
 大手門を入ると、ゆるやかな坂道になった。両側に土塁どるいがあり、雑草が生えている。城のまわりには一応堀をめぐらしてあるが、浅くて狭いのが見て取れるし、水は濁っていた。警固に立っている門番がいるのも、扉なしの木戸門だった。
「長次、こちらへ」
 吉次は崖の上に立って一方を指さした。それは道三堀どうさんぼりと、東に遠く開削かいさくされた小名木川おなぎがわだった。水面みなもは日の光に照り輝いている。
「わしが上様たちとこの地にやってきたとき、道三堀も小名木川もなかった。だが、この地を栄えさせるために、上様は道三堀と小名木川をもうけられた。普請ふしんは大変な苦労だった。おぬしがまだ十にもならぬ頃のことだ」
 長次は眼下の景色をながめた。道といわず、川端かわばたや海辺で多くの人々がはたらいている。ずっと遠くには武蔵野むさしのの平野がつづいていた。
「江戸に入られた上様は、まっさきに水運をお考えになった。城下じようかの町には欠かせぬものだ。普請の差配さはいをされたのは、本多佐渡ほんださど正信まさのぶ)様だった。その頃は、士衆さむらいしゆうも集められ、百姓らとともにくわやもっこを手にして、夜明けから日が暮れるまで丁場ちようば(普請場)で汗みずくになった。朝飯は昼飯と兼ねていた」
叔父上おじうえも……」
 長次は吉次の横顔を見た。これまで気づかなかったが、無精ぶしようひげを生やした顔には深いしわが彫り込まれており、長年の労苦が見て取れた。じつは昨年、吉次は長男の重次しげつぐを亡くしていた。その悲しみは深く、めっきり白髪しらがが増えた。
「無論、わしもはたらいた。いまのおぬしのようななりをしてな」
 吉次は静かに長次を眺め、また視線を遠くにやって言葉をついだ。
「あの川を見ろ。平川ひらかわだ」
 長次はそちらに顔を向けた。
「あの川は付け替えられ、城まわりの堀にされるであろう。平川村という地は、いずれ町人地か武家地に変わるはずだ」
 平川村はのちの、飯田橋いいだばしあたりから竹橋たけばしを経由した辰之口たつのくちあたりのことだ。長次は目を凝らす。城のすぐ近くだが、田畑や鬱蒼うつそうとしたやぶや林がある。
「江戸は大きく変わる。わしはその変わり様を少しずつ見てきたが、これからさらに変わっていく。おぬしはそれをその大きなまなこで見ることになる。そして、おぬしが長年思いつづけてきた夢は──」
 吉次はくるりと背を向けて西の丸へと足を進め、城内を順々に案内していった。
 まず足を向けたのが、西の丸だった。家康いえやすが入国時に第一番に手をかけたのが、この建物だが、いまでも改築拡張の普請が行われていた。
「わしが初めてここに来たときは、竹藪と田圃たんぼぱらだった。急いで御殿が建てられたが、前よりあった建物の玄関には古い舟板ふないたが使われておってな。ほとほと呆れたわい。それでも春になると庭に梅や桜、そして躑躅つつじが見事に咲き誇った。いまでも残ってはいるが……」
 吉次は当時のことを思いだしたのか、目を細める。
 西の丸の築造がはじまったのは、文禄ぶんろく元年(一五九二)のことだった。当時は新城、あるいは御隠居城ごいんきよじようなどと呼ばれていたという。
「わしはまつりごとのことはよくわからぬが、上様はいっとき太閤殿下たいこうでんかのお指図さしず朝鮮征伐ちようせんせいばつに出向かれた。もっとも行かれたのは九州きゆうしゆうまでで、そのまま引き返された。その間、この城の普請も休みだった」
「叔父上もそのとき、九州へ……」
「わしは行かなかった。本多佐渡様のお指図を受け、城下の町を造っておったからな。さ、先へまいるぞ」
 吉次は足を進める。
 西の丸の先には、紅葉山もみじやまと呼ばれる小山があった。城内で最も高い場所で、その先が本丸御殿だ。
 本丸は二の丸との間にあった空堀からぼりを埋めて建てられたと、吉次は説明した。
「ここが天下一の城になるのですか……」
 将軍となった家康の城にしては、あまりにも貧弱すぎる。目を皿のようにして城内をめぐったが、正直期待を裏切られていた。とはいえ、この地に新たな城が築かれると思うと、抑えがたい興奮も胸の内にわいていた。
「叔父上、今日はまたなぜわたしをここに連れてこられたのです? もそっと早く連れてくればよかったではありませぬか」
 長次は言葉遣いを改めていった。吉次はほおに笑みを浮かべて長次をうながすと、西の丸の外れに立った。
「おぬしの考えておることははなからわかっておった。いつかはわしにたてついたり、憎まれ口をたたくだろう、とな」
「申しわけございませぬ」
「よいのだ。わしもおぬしの思いに、すぐに応えられなかったのだからな。先ほども申したが、天下の政はわしにはよくわからぬ。上様や側近がお考えになることだ。わしのごとき身分の者が口をはさんだり、意見することなどできぬ。おぬしを待たせてまことにすまなんだ。許せ」
 長次は驚いた。吉次が頭を下げたからだ。
「叔父上、おやめくだされ。わたしのほうこそ世話になりっぱなしで、迷惑ばかりかけて……」
 熱いものが頬をつたっていく。初めて叔父の深い思いやりがわかり、胸をつかれた。
 そんな長次を、吉次は包み込むような眼差まなざしで見てきた。
「長次、よく聞け」
「はい」
 長次は慌てて背筋を伸ばした。
「上様はまだきようにおられる。だが、天下に号令を出された。これまでの城下の町普請と城普請は、関八州かんはつしゆうの大名家に課された賦役ふえきだった。要するに徳川とくがわ普請だった。だが、こたびは天下普請だ」
「天下普請……」
 長次は目を輝かせて鸚鵡返おうむがえしにつぶやいた。
「さよう。津々浦々つつうらうらの諸国大名に江戸普請を命じられたのだ。これから大名家の者がぞくぞくと城下に集まってくる」
 夢想家むそうかの長次は、その様を脳裏のうりに浮かべた。
「あの入江いりえは埋められるだろう」
 吉次は日比谷ひびや入江を扇子せんすで指し示した。
「いずれ城下に、江戸にやってくる大名と家来たちの町が造られる。そのための屋敷造りをしなければならぬ。さらに、城は石垣いしがきになる。その石を集めなければならぬ。材木しかりだ」
「いったい、いかほどの人揃ひとぞろえで……」
「一万、二万の数ではなかろう。おそらく五万、十万……もっと多いかもしれぬ」
「十万……」
 驚愕きようがくまじりでつぶやく長次には、もはや想像の及ばぬことだった。
「石も材木も人馬で運ぶには難儀なんぎであろう。船だ。だから、船を造らねばならぬ」
「まさか、わたしに船を……」
「ワハハハ、おぬしに船は造れぬ。心配無用だ。船大工がいずれ集まってくる。石工たちも大勢やってくる。左官さかんも大工も、たたみ職人もみんなやってくる」
「わたしはなにをすればよいのです」
「おぬしは、わしの供をせい」
 長次は、ならばこれまでとさして変わらないではないかと思った。
「城造りは縄張なわばり(建築物の位置を定めるために、敷地に縄を張ること)からはじまる。その前にも支度したくをせねばならぬことが山ほどある。長次」
「はい」
「おぬしは天守を造りたいと申しておったな」
「はい、わたしの悲願ですから……」
「家を建てるときに、もっとも大事なのはなんだ?」
「地固めです」
「そうであろう。それは城も同じだ。新しい江戸城は、地固めからはじまるのだ。その一部始終におぬしは立ち合い、そして天守造りに加わればよい」
 長次は目をみはった。天守造りは夢であったが、もちろんひとりでやれるなどとは考えていない。天守を造る大工のひとりとして活躍したいと願っていた。
「わたしも天守造りに加われるのですね」
「その道をわしがつける。そのために木原村きはらむらから連れてきたのだ。ここまで来るのに長い年月がかかったが、悪く思うな」
「そのようなことなど──」
「調子のいいやつだ。散々わしを罵ったくせに」
 吉次は笑いながらいった。
「その折は……」
「もうよい」
 吉次はさえぎってすぐに言葉を足した。
「わしの家に戻るか? それともこれからは別に住まうか。好きにするがよい。考えてみれば、おぬしももう嫁をもらってもいい年だからな」
「今日は叔父上の家に戻ります」
「よかろう。では今夜、これからのことを相談しよう」
 吉次はそう告げると、先に歩きだした。あとに従う長次は、このときほど叔父の背中が大きく見えたことはなかった。
「焦らず、慌てずだ」
 吉次が前を向いたままいった。長次は殊勝しゆしように、「はい」と応えて口を引き結んだ。
 家康は江戸幕府を開いたものの、江戸を留守にしていた。大坂おおさかにいる豊臣家とよとみけの残存勢力に目を光らせ、包囲網を敷く必要があったからだ。
 関ヶ原せきがはらの戦いが終わったあと、家康は石田いしだ方の西軍にくみした大名八十八家を改易かいえきにし、五大名を減封げんぽうした。それによって得た所領は、六百三十二万四千百九十四石という膨大ぼうだいなものとなった。
 すでに関東には二百五十余万石の所領があったため、大雑把おおざつぱに合わせると約九百万石を得たことになる。そののち征夷大将軍せいいたいしようぐんとなりはしたが、まだ盤石ばんじやくではなかった。
 江戸も普請途上にあり、油断はできない。なにより、秀頼ひでよりのいる大坂を包囲し、一日も早く豊臣色を一掃しなければならなかった。家康は伏見城ふしみじよう二条城にじようを行ったり来たりしながら、名古屋城なごやじよう篠山城ささやまじよう彦根城ひこねじよう伊賀上野城いがうえのじようによる包囲網を徐々に固めていた。
 しかし、長次にとっては、
 ──そのような政のことは、おれの知るところではない。
 と、なってしまう。
 その長次は、叔父吉次の家を出て独立した。
 小さな屋敷ではあるが、日比谷村の西方に家を設けたのだ。ここであれば城にも城下にも近い。さらにはおゆみのいる店にも近いと、鼻の下を伸ばした。
 ところが、長次のすけべ心もむなしく、めまぐるしく忙しくなった。家康が諸侯に下知げちした「天下普請」によって、まず関東に近い大名家が日ごと増えていったのだ。
 以前にも増して、天下普請にやってくる大名やその家臣らの住居すまいを確保しなければならない。さらに、新江戸城に使う材木の揚場あげばたくわえ場の新設。新たな町割の実施。城の石垣を運ぶための船造り、街道の整備など目のまわるほどの忙しさである。
 吉次は作事方さくじかたとして各丁場に足を運んでは監督をし、上からの指図を触れまわらねばならなかった。その補佐をするのが長次であった。
 一連の仕事は、よほどの悪天候でなければ中断されることもなく、日を追うごとに江戸には人が増えていた。
 それもそのはず、家康は各大名に対し、一千石に対しひとりの割合で人夫にんぷを差しだすように命じたからである。一万石なら十人、十万石なら百人の勘定かんじようだが、諸国の大名家は家康の機嫌を取るため、あるいはケチなことを嫌ってか気前よく、その十倍あるいは百倍の人夫を差しだした。
 これを俗に「千石夫せんごくふ」と呼ぶようになり、天下普請という課役を「助役普請」あるいは「お手伝てつだい普請」などと呼んだ。
 人が増えればいっそう城下の町もにぎやかになり、日々空にひびく槌音つちおと玄翁げんのうの音も大きくなった。
 材木を積んだ筏船いかだぶねが下ってくれば、食糧をまかなうための漁師船が、まさに魚の大群のごとく押し寄せてきた。無論、米や穀物、野菜なども運ばれてくる。
「叔父上、わからぬことがあるのです。ここにあの大名家の屋敷を建てろ、あそこには別の大名家の屋敷を建てろとおおせですが、まさか勝手に指図されているのではないでしょうね」
 吉次に付き従っている長次が疑問を呈すると、
「そのようなことがあろうはずがない」
 と、吉次はあっさり否定する。お手伝普請に来る大名家は、まず先に江戸に使者を送り込んで屋敷地を確保させ、そこに宿舎(屋敷)を建てるように命じられているのだった。
 長次は、なるほどとうなずくしかない。
「万事、うえかたの考えられることにはそつがありませんな。わたしのような下々しもじもの者には感心させられることが多うございます」
 長次の言葉に、吉次は楽しそうに笑う。
 だが、天下普請はまだ初期の段階で、思いの外進捗ほかしんちよくしていなかった。道の整備や、船の出入り場になる港の確保、さらにはお手伝普請に来る人夫たちの宿舎(小屋)と、重臣らの屋敷の建設が急がれたからである。
 宿舎と屋敷では建て方が違う。大名家の重臣、もしくは大名本人の住居となれば、粗末な建物にはできない。
 相応の土地を確保し、相応の建物を造らなければならない。庭を造り、屋敷自体にも趣向を凝らす必要があった。数寄屋すきや造りであったり、書院造りであったりと、さまざまな要望がくる。
 建築自体は一介の下請したうけ大工では無理なので、長次の出番が増えることになった。二度目に江戸にやってきてからの長次は、年季者ねんきものの大工からその手法や技術を伝授してもらっていた。
 長次のめざしている大工は、現代の建築現場ではたらく大工とは少し意味あいが違う。当時の大工は設計ができ、積算と手仕事がすぐれているのはいうに及ばず、絵心を備え持ち、かつ彫刻ができる職人のことを指す。
 そのすべての才能を兼ね備えた者が超一流の大工なのである。多種多芸な建築家といってもよいだろうか。
 江戸城を造りたい、天守を造りたいという夢を持つ長次も、そんな大工をめざしているのである。
 長次は凝り性な面があり、探究心も強い。もともと基礎的なことを身につけているだけに、教えられれば砂が水を吸うがごとく自分のものにしていた。
 ときには縄張りの指導をし、図面も描いた。普請場には未熟な若い大工もいるため、木材の立て方や継ぎ方などの指導にもあたった。
 一方、吉次は配下の大工を少しずつ増やしていった。息のかかった木原村、あるいは浜松はままつから選抜し、呼び寄せたのだ。
 吉次のすぐ下には、材木奉行ぶぎよう縄竹なわたけ奉行、建築用雑品を調達する残り物奉行、小規模の造作を行う小細工こざいく奉行などがいて、その下に勘定役十六人、現場管理をする同心小頭こがしら七十人、さらに大鋸頭おががしら鍛冶頭かじがしら、左官頭などがいた。
 そのほとんどが木原村や浜松の大工だったため、総じて「木原方」あるいは「浜松方」といわれるようになった。
 いつも吉次に付き従っている長次は、手代てだい身分であったが、指導ぶりがいつの間にか評判になり、
鈴木すずき長次という男がいるから手が抜けぬ」
 と、いわれるほどになっていた。
 一日の仕事が終わると、大工衆は常普請小屋で酒盛さかもりをやるのが常だ。長次も時折加わり、仲間の話に耳を傾ける。
「いける口ですな」
 声をかけてくるのは、浜松大工棟梁とうりよう桑原孫左衛門くわばらまござえもんだった。つるっ禿ぱげで小柄のいかり肩。酒のせいで落ちくぼんだ目が赤くなっていた。
「さほどのものでは……」
 謙遜けんそんしながらも長次はぐいみをひと息にあけ、孫左衛門にしやくをする。板敷きの間は広く、大工衆はそれぞれ車座くるまざになって酒を酌み交わしている。
「長次殿の叔父殿のことは、昔からよく存じておるのです」
「の、ようですな」
 応じる長次は、ときどき吉次と孫左衛門が立ち話しているのを見ていた。
「話は聞いとりませんか?」
「何をです?」
 長次は孫左衛門の落ち窪んだ赤い目を見る。
「吉次殿のことですよ。あのお方は怖い人だ。下手へたに盾つけば殺される」
「これは異なことを……」
「では、ご存知ないのですな。もっとも自慢する人ではないから……」
 孫左衛門は口のあたりを手の甲でぬぐった。日に焼けた顔には、がきのような深いしわが彫り込まれている。
「叔父上が、なぜ怖いのです?」
 孫左衛門は少し間を置いて、「あれは高天神城たかてんじんじよういくさのときだった」と、遠くを見る目でつぶやいた。
 孫左衛門のいう高天神城の戦い(天正てんしよう八年)は、遠江とおとうみを支配していた武田たけだ軍(勝頼かつより)と家康による城の争奪戦だった。高天神城は今川家いまがわけの旧臣岡部元信おかべもとのぶが守っていたが、家康は五千の軍勢で包囲し、翌年に落城させた。
「あのとき、吉次殿は武田軍の笹田源吾ささだげんごなるしのび斥候せつこうをつかまえ、ばっさりやり、大小を奪ったのだ。上様はそのことで、吉次殿に褒美ほうびとして金十両と刀を下された。あれが吉次殿の出世を果たすきっかけだった」
「叔父上がいくつのときのことです?」
二十歳はたちかそこらの年だった。吉次殿は、上様に会うたびに木原、木原と呼ばれてな。よほど覚えがめでたかったのだろう。当人は、おれは鈴木だと腐っておったが、浜松城築造の折には西にある御殿をまかせられ、普請方の総奉行になった。きもわった御仁ごじんゆえだろう。まあ、長次殿も吉次殿にくっついておれば安泰あんたいだ」
 孫左衛門は目を細めて頬を緩めた。
「叔父上はそのようなこと、一度も話されたことがありませぬが……」
「だから、手柄を自慢するようなお方ではないのだ」
「……よい話を聞きました」
 長次はあらためて叔父吉次を見直した。確かに、大工連中の誰もが、ひそかに吉次をしたうやまっている。
「孫左衛門さんも戦には行かれたのでしょう」
「行ったさ。何度も。だが、小牧こまき長久手ながくてにも召し出された。あのときは浜松棟梁の増田清左衛門ますだせいざえもん殿と木挽こびき棟梁の内藤七左衛門ないとうしちざえもん殿についていったが、陣小屋と井楼せいろうさくを造っただけだった。手柄を立てられなかったがために、いまもって出世できぬ大工だ──、あの頃はいさましい大工がいた」
「どんな人です?」
「そうさな。わしの兄者あにじや伝三郎でんざぶろうもそのひとりかもしれぬ。小田原おだわら攻めのときだ。吉次殿もいっしょだったが、井楼やぐらを建てているときだった。兄者は敵の鉄砲でまたを撃ち抜かれたのだが、血を流しながらも作業の手を止めずに櫓建てをやりきったのだ。そのことを知った上様から褒美をいただいたが、傷がもとで歩けなくなり、半年後に死んでしまった」
「それは残念なことに……」
「まあ、戦場傷での死だ。兄者にとって悔いはなかっただろう」
「小田原攻めのとき、叔父上は手柄を立てなかったのですか?」
「あのときはなかったが、そうそう、吉次殿の親爺おやじ殿も、勇ましい人だったらしい。丁場に行くときも、戦に行くときも、槍の穂先裏にかまをつけ、・木原の片鎌・と呼ばれていたそうだ。丁場にいても戦に行く支度はできているという心意気だろう。渾名あだなといえば、鉄砲で股を撃ち抜かれたわしの兄者も・こも大工・と呼ばれておった。いつでも大工道具を入れた菰を担いでおったせいだろう。それが勇ましいかどうかは別物じゃが……」
「他にもそんな人がいたのでは……」
「わしは会ったことないが、鈴木彦左衛門ひこざえもんという大工は、三河みかわの戦のとき、首を敵の槍で突かれながらも、そのまま戦いつづけたという。いまも語りぐさじゃ」
「首に槍が刺さったままですか……」
「さよう。傷がえても首は曲がったままだったという。その様子がねぎの頭に似ていたようで、上様に・葱首・と呼ばれたそうじゃ。片山三七郎かたやまさんしちろうの親爺殿だ」
「あの片山殿の……」
 片山三七郎は吉次と同じ作事方で仕事をしており、長次も知っていた。
「とにもかくにも、昔はそんな武勇を持ったおん大工が大勢いたようだ」
「わたしどもも見習わなければなりませぬな」
「戦があればそうだろうが、戦などないほうがよい」
「たしかに……。いや、今夜はおもしろい話を聞かせていただきました」
「なんの、酒のさかなじゃ」
 孫左衛門はワハハハと、黄色い歯をきだしにして笑った。
「さあ、今夜はそろそろ引きあげましょうぞ」
 長次が腰をあげようとすると、孫左衛門が声をかけた。
「申しておくが、武勇で出世など望んではならん」
「もとより考えもいたしませぬ」
「それがよい。武勇より、わしら大工はこれだ」
 孫左衛門はそういって、自分の腕を片手でぺしりとたたいた。
「腕で上様の思いに応えるのが、わしらの務めだ」
「……まことに」
 長次は頭を下げて普請小屋を出た。
 寒気が緩み、風がぬるくなっていた。潮の香りとともに、どこからともなく沈丁花じんちようげの甘い匂いが流れてきた。
 大手門の先にある城は黒い闇に包まれている。松明たいまつかれている普請場が遠くにあった。町屋のところどころにもあかりが見える。酒や料理を出す煮売り屋である。
 日比谷村の家に足を向けながら、久しぶりにおゆみに会いたいと思った。一度思い立つと、どうしても会いたい気持ちに火がつく。
 長次は足を急がせて、日比谷入江の近くにある店に行った。ところが、帳場の年増は「おゆみはもうやめた」という。
「どこへ行ったのだ?」
「さあ、行き先のことは知らないけど、おおかた柳町やなぎちようじゃないのかね」
 慳貪けんどんなものいいをするのは、おゆみをこころよく思っていないからだろう。その証拠に、他にいい女がいるよと勧めてきた。
 長次はそれには応じず、女郎じよろう屋をあとにした。そのまま足は柳町に向いた。道三堀のきわにできた傾城町けいせいまちである。江戸に人が増えるにつれ、いつの間にかそんな町がいくつかできていた。町の入り口に大きなやなぎの木が二本あったのが、柳町の由来である。
 隣の舟町ふなまちは町人地で、主に漁師が住んでいた。長次は柳町を流し歩いた。三味しやみが聞こえ、のきをつらねる女郎屋から嬌声きようせいや男たちのだみ声がれてくる。千鳥足ちどりあしで歩く人足姿の男がいれば、だらしなく酔った侍の姿もあった。
 女郎屋から漏れる明かりが通りに縞目しまめを作っていた。長次は声をかけてくる女に、おゆみの面立おもだちや年齢を話してさがしたが、知る者はいなかった。何軒かの店を訪ねていても、やはり行方ゆくえはわからなかった。
 結局、夜空をあおいで酒臭い息を吐きだし、家路についた。
「起きろ」
 翌朝早くのことだった。戸口が引き開けられるなり、鋭い声が飛んできた。
 夜具やぐを引き剥がして半身を起こすと、吉次が土間に入ってきた。
昨夜ゆうべはどこをほっつき歩いておった」
 少し責め口調だった。
「普請小屋で大工衆と酒を飲んでおりました」
「ふん。女でもあさっているのではないかと思ったわい。おぬしはまだ若いから文句はいわぬが、これからは大事なときだ」
 吉次はそういいながら、ずかずかと上がり込んできた。
「長次、これをわたしておく。よく読むのだ」
 ポンと膝前ひざまえに一冊の書物が置かれた。
「なんです?」
 長次は書物と吉次を交互に見た。
「見ればわかる」
 長次は書物を手に取って開き、すぐに「あっ」と感嘆の声を漏らした。
「これは……」
木割書きわりしよだ。これで城造りを学ぶことができる。秘中の秘の書物だ。どこにも漏らしてはならぬ」
 長次にとってのどから手が出るほどほしい書物だった。
 木割書は伝統的な木造建築において、各部材の寸法の割合を決める教典といっていい。「木割り」を習得すれば、たとえ宮大工でなくても、どんな寺院でも建てることができる。それは築城にも通じていた。
「叔父上、これをどこで……」
 長次は感激のあまり、口をぽかんと開けて吉次を見た。
「それはいえぬ。わしにはさっぱりわからぬ書物だが、おぬしにはわかるはずだ」
「ありがとう存じます」
 長次は畳にひたいをつけて礼をいった。これで城造りをまかせられても、自信を持って請け負うことができるとふるい立った。
(第4回へつづく)

バックナンバー

稲葉 稔Minoru Inaba

1955年熊本県生まれ。脚本家などを経て、94年に作家デビュー。冒険小説、ハードボイルドを皮切りに、近年は時代小説に力を注いでいる。近著に『浪人奉行 四ノ巻』(双葉文庫)、『永代橋の乱 剣客船頭(十九)』(光文社時代小説文庫)、『喜連川の風 切腹覚悟』(角川文庫)、『すわ切腹 幕府役人事情 浜野徳右衛門』 (文春文庫)などがある。

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