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天下普請 / 稲葉 稔・著

第13回・最終回
元和げんな六年(一六二〇)──九年(一六二三)
「父君は、何事も大和やまと次第といわれておった」
 秀忠ひでただはひたと長次ながつぐを見つめた。目尻にしわを寄せている。西の丸の御座所ござしよでのことである。一介の大工頭だいくがしらである長次が入れる場所ではない。しかし、この日は特別だった。
 長次はいつになくかしこまり、頭を下げていた。
おもてを上げよ」
 長次はゆっくり顔を上げた。秀忠のすんだ瞳が向けられていた。
「そなたに申しつける。天守を造れ」
「は……」
 長次は口を半開きにして秀忠を見つめた。
「天守とおっしゃいますと……」
「この城の天守だ。予は気に入らぬ。造り替えるのじゃ。そなたの雛形ひながたを見たとき、予はこれだと思った。だが、父君は中井なかい大和にまかせられた。不満だった。気に入らぬのだ。大和も嫌いじゃった」
「…………」
 長次はごくりとつばをみ込んだ。
「そなたにまかせる。いまある天守は壊せ。造り替えじゃ。しかと申しつける」
「は、ははァ……」
 頭を下げる長次は、これは大変なことになったと思った。しかし、時の将軍から直々じきじきのお下知げじである。
 御座所を出た長次は、しばらくふわふわと浮かれたような不思議な感覚におちいっていた。はたと立ち止まり、これは夢ではないかと腕をつねった。
「痛ッ」
 夢ではない。天守を造り替えることになった。まったく予期していない、まさかの出来事だった。しかし、その日は配下の棟梁とうりようたちには話をしなかった。代わりに妻のおえいに打ち明けた。
「おまえ様が、お城の天守を……」
「さよう。きよう大工らは新たな徳川とくがわ大坂城おおさかじようを造るために、ほとんど江戸には残っておらぬ。江戸にいるのはわしら木原きはら方だ。上様は譜代ふだいの大工衆で、天守を造り直せと命じられたのだ」
 お栄は目をまるくして息を止めていた。
「どうすればよいのだ」
「何をおっしゃいます。上様のご下知なら、逃げるわけにはゆかぬではありませぬか。木原大工の、おまえ様の腕の見せどころではございませぬか」
「そ、そうだな。たしかに、そうだ」
「おまえ様、夢が、おまえ様の夢がかなうんでございますね」
「ああ、そうかもしれぬ。そうか、そうなのか……」
 いまだ夢見心地だったが、落ち着きを取り戻すなり、これはじっとしておられぬと、すっくと立ち上がり玄関に向かった。
「どこへ行かれるのです?」
 長次は背中に声をかけるお栄を振り返った。
「棟梁たちに話をするのだ」

 翌日から長次は新天守の築造準備に入った。
 すべての指図さしずは秀忠の側近である年寄青山忠俊としよりあおやまただとしと、酒井忠利さかいただとしより申し送られてくる。だが、現場における総差配そうさはいは、長次に一任されている形だった。
 長次は新たな石垣の縄張なわばりの指図を描き、ついで天守の指図作りに入った。同時に、雛形ひながた正清まさきよならって紙製にするか、それとも木製にするか迷ったが、青山忠俊から「木でよい」との沙汰さたをもらい、木製雛形作りが決まった。
 雛形が出来ると、新天守に使う御用木ごようぎの調達のため、長次は配下の大工衆を連れて木曾きそに向かった。本丸御殿の修築も決まり、そちらの材木のことも考えなくてはならない。最終的に長次は、ひのき四千本、松二千四百本、椹板さわらいた一万五千枚を用立てた。すべて寸法を規定したものである。
 翌年、天守台は加藤清正かとうきよまさの跡を継いだ忠広ただひろが担当することになり、石垣造りが開始されると、長次はさらに天守の精密な指図と建地割たてじわりを作成した。
 明けて元和八年(一六二二)二月から、本丸の拡張工事と天守台の工事が開始された。並行して家康の建てた慶長けいちよう天守は、その姿を消していった。
 新天守は本丸の北側である。天守台は御使番おつかいばん阿倍正之あべまさゆきが奉行となり、浅野長晟あさのながあきら安芸広島藩主あきひろしまはんしゆ)と加藤忠広(熊本くまもと藩主)らがお手伝てつだいとして受け持った。
 阿倍正之は神田かんだみぞ普請(のちの柳原土手やなぎわらどて)や江戸市中の道路水道を管理したり、三の丸虎口こぐちの石垣普請をした実績があった。
 この間、長次は正清の遺言ともいうべき「頼み」を忘れてはおらず、二代目の正侶まさともと何度か連絡を取っていた。正侶が江戸に来ることはなかったが、長次は配下の棟梁らを迎え入れ、拡張工事の行われている本丸御殿に送り込んだ。
 天守の工事は正清の手法を用いた。天守の外部を担当する者と、内部を担当する者をわけたのである。前者を「殻木建からきだて」と呼び、後者を「内規廻うちのりまわり」と呼んだ。
 また、天守の各層ごとにひとりの棟梁を割り当て、作業の効率化を図った。
 ここまでくれば、長次が余計な口を挟むことはない。あとは大工らにまかせておけばよかった。とはいえ、何もしないわけではない。
 経験が浅く技量のとぼしい若い弟子大工のそばに行くと、
「柱をかつげ、その木の手触りを知るべし。木拵きごしらえは大切だが、その前にもっと大切なものがある。それはなんだ?」
 と、問う。弟子大工はすぐには答えられない。
 そんなとき、長次は微笑ほほえんで教える。
「刃物をげ。かんなのみのこ。大工にとって大事なものだ。古手の大工はみなそうしているはずだ」
 弟子大工は、はっと気づいて畏まる。
 そばで見ている年季者の大工らは、
「なにもわざわざ教えんでも……」
 と、苦い顔をするが、そのあとでわしらが怒鳴って教えるよりはよいかと、仕事に戻っていく。普請場には、ときにぴりぴりとした緊張感が漂うが、長次が顔を出すと、その空気がなごみ作業が進むのである。
 長次は普請場に行くと、必ず材木や部材をあらためながら、頭のなかで計算をする。その量や数を見て、仕上げまでいかほどの手間がかかるか推し量るのだ。さらにその場に何人の職人を置けばよいか、どの手順でやれば無駄を省けるかを考える。
 それらの要領は、いまは亡き正清から盗み取ったものだった。
 長次の指図した天守は、五層五階の層塔型そうとうがただった。慶長天守との大きな違いは、望楼型ぼうろうがたではないということだろう。屋根も同じく鉛瓦葺なまりかわらぶき、外壁も白漆喰しろしつくい塗籠ぬりごめであった。天守台の高さは七間なので、慶長天守より少し低い。天守本体の高さは二十二間五尺あり、総高そうだかは二十九間五尺(約五三・七メートル)となっていた。
 天守の一階から三階までの心柱しんばしらが通ると、作業は早くなった。部材は巧妙な継手つぎて仕口しぐちを使って組み合わされ、外壁には竹を組んだ小舞こまいが張られ、練った土が塗り重ねられていく。つづいて一層目から順に屋根瓦やねがわらが葺かれていく。くぎは極力使わないが、垂木たるき長押なげしにはどうしても必要な場所がある。しかし、その釘も特殊なものであった。
「簡素でよい」
 現場を差配する棟梁から屋内装飾をどうするか相談されたとき、長次はあっさり答えた。
「いまや徳川の治世ちせいいくさ危懼きくするは無用。天守は威信いしんと風格をかもし、民を慰撫いぶする建物であればよいのだ。そのために遠くからの見目をよくする。それだけでよい」
 天守を造りたいという夢を抱いていたときの長次は、内も外もきらびやかで豪壮な天守を考えていた。ところが時代の推移をつぶさに見、また体感するうちに考えが変わっていた。夢を叶える高揚感もなく、心は常に落ち着いていた。
「ここへまいれ」
 長次はひとりの若い大工をそばに呼んだ。作業の合間には何度か小休が取られ、職人らは手を休めて一服する。そのときのことだった。
「さっき指図を見ておったな?」
「はい」
 若い大工は汗をきながら答える。指図を見て何がわかったかと問うと、若い大工は困惑顔をして、
「階段の場所をたしかめておりました」
 と、自信なさそうに答えた。長次は材木に腰かけたまま、窓外の空を見てから言葉をついだ。
「指図は眺めるものではない。細かい書付かきつけがあるはずだ。それを読み解き、納得しなければならぬ。わからぬときは遠慮なく上の者に聞くことだ」
「はい」
「おぬしはまだ若い。たしか十五であったな」
 若い大工はうなずく。名前を訊くと、片山六郎かたやまろくろうと答えた。片山姓は、譜代大工の名家である。木原・鈴木すずきと並び、大工頭を世襲している。
「さようであったか。ならばなおのことだ。何もかも慌てて覚えることはない。材木運び、かんながけ、組み上げ、墨付すみつけと仕事は多いだろうが、ひとつひとつ体に覚え込ませるのだ。棟梁の目の配りを見て、つぎに何をすべきか、先を読むことも肝要かんようだ。道具の扱いもよく見ておけ。休みが終わったら、鑿を少し立てて使ってみろ」
「鑿を立てる」
 六郎は目をぱちくりさせる。
「やってみればわかる」
 長次は六郎のひざをぽんとたたいて、作業場の出口に向かった。
「長次さん、あんた……」
 声をかけてきたのは大工棟梁の内藤安兵衛ないとうやすべえだった。
「いかがした?」
「いつからそんなにやさしくなられた。それに若いやつの面倒をよく見ておられる」
「やさしい……。そうは思わぬ。わしは教えるべきことを教えているだけだ。わしは自分に厳しいから教えるだけだ。だが、厳しさのないやさしさは、相手の身にはこたえぬ。甘えになるだけだ。それを望む者はいらぬ」
「ま、そうでしょうが……」
 安兵衛は無精ぶしようひげをぞろりとなでる。
「それにしても安兵衛、要領がよくなった」
「なんでえ、今度はおれですか」
「褒めているのではないぞ。段取りがよくなったと感心しておるんだ」
「そりゃ段取りが悪けりゃ、何もかもうまく運びませんからね」
「そうだな。おぬしも上の棟梁が死んで大変だったであろう」
「まあ」
 安兵衛のついていた又七郎またしちろうという棟梁は、三年前に死んでいた。安兵衛はその跡を継いで棟梁になったのだが、上がいないため何事も自分で考え、見極め、下の者を使わなければならなかった。
「そろそろ指図を描いてみたらどうだ。さすれば、もっと先が見えるようになる。職人の動かし方もわかる。腕がいいとか、道具をうまく使いこなすのは、もはや二の次だ。下には年季者の職人もいれば、左官や屋根師の差配もある。まとめるのはひと苦労だが、根気よくやってくれ」
「長次さん、あんたは人の使い方がうまいし、よくわしらをまとめている。何かコツがあるのかい?」
「コツ……そんなものはない。あるとすれば……」
 長次は言葉を切った。
「なんです」
「うむ、道具や仕事と同じように、人を大切にするということだろう」
 長次はそのまま作業場を出た。すんだ空が広がっていた。気持ちよさそうに飛んでいるとびが、笛のような声を降らしてくる。

 その日、長次は休みであった。倅の長常ながつねも久しぶりに休みをもらって家にいた。
 大井村おおいむらの屋敷には、城まわりで行われている工事の音は一切聞こえてこない。きね玄翁げんのう、あるいは木挽こびきの音、そして職人や人夫にんぷのかけ声もない。
 潮風が林を吹きわたる音と、こずえに止まった鳥のさえずりだけがある。
 長常は十七歳になっており、いまは吉次の跡取り義久よしひさの後見をしている大棟梁の木原次房つぎふさのもとで修業させていた。
「海でも眺めに行くか」
 長次が誘うと、長常は「ごいっしょします」といって立ち上がった。
 二人は海晏寺かいあんじの脇を通って東海道を横切り、松林を抜け、浜辺に出た。風は冷たいが天気のよい日で、さほど寒さは感じなかった。
 海のずっと向こうに房州ぼうしゆうの陸がかすんでいる。穏やかに波打つ海は、陽光の下できらきらと輝いている。
「少しは慣れたか?」
「覚えなければならぬことがありすぎますゆえ、一筋縄ひとすじなわではいきませぬ」
 長次は、長常を見た。体は細いが、背は高くなっている。面立おもだちはお栄に似たらしく、整っていた。
「不器用なのか?」
「いえ。されど、器用とはいえませぬ」
「それでよい」
 長常はエッという顔をした。
「器用な者は、ややもすると自分の器用さにおぼれやすい。仕事を甘く見て油断するのだ。不器用でもよいからコツコツと丁寧ていねいにやる。それが大事だ。しっかりした継手や仕口を作るときも、急がずともよいから思いを込めてやる。そのためには切れる刃物と、仕事に打ち込む心根が肝要となる。ゆえに、わしは口酸くちすっぱく刃物を研げという。一心に刃物を研いで、己と向き合うのだ」
「父上が刃物研ぎにうるさいという噂は耳にいたします」
「天守や御殿だけでなく、建物にははりけたが重なる。一分いちぶ(約三ミリ)の狂いがあれば、大きなゆがみになる。切れる刃物を使えば、そのようなゆがみを抑えられ、鏡のように顔も映る。そういう柱や桁を作るためには、刃物研ぎだ。研ぎをおこたれば、よいものはできぬ。よく切れるように研げば、その仕上がりを試したくなり、使ってみたくなる。だからわしはうるさくいうのだ」
 今日の長次は饒舌じようぜつだった。
 打ち寄せる波が真砂まさごを洗う音がしている。
「なるほど、おっしゃるとおりだと存じます」
「不器用でよい。要領のよい、小利口こりこうな者は木原大工にはいらぬ。だからといって、ぐずぐずしているやつはいかぬ」
「…………」
 長常は目をきらきらさせて、父長次をまぶしそうに眺める。
「刃物は大事だ。切れる刃物なら、まっすぐな線だけでなく、曲がった線も引ける。まるく削ったり、彫ることもできる。仏像がそうだ。あのようなまるみを帯びたものは、切れぬ刃物ではできぬ」
 長常ははっと気づかされた顔をした。
「棟梁はずっとそばにおるか?」
「いえ、ときどき普請場に顔を出され、気づいたときにはもう姿がありませぬ」
「さようか。それを、どう思う?」
「父上だから正直に申します。うるさくなくてよいと思います」
 長次は小さく笑った。
「それでよいのだ。棟梁は広く大きく見ておればよいのだ。事があれば手を貸すだろうし、自分で手を加えるはずだ。ずっと同じ普請場にいたら、いらついたり怒鳴りたくなる。怒鳴れば、下の職人らは縮こまって作業がはかどらなくなる、しくじりもする。だから、わしも普請場には滅多めつたに顔を出さぬ。出しても見てまわるだけだ。あとは棟梁や大工たちがやってくれよう。下の者たちを信じて、まかせておけば、よいものが出来る。わしはそう考えておる」
 長次はそういって海に視線を投げた。
「父上、白いものが……」
 長常が長次のまげに手をのばしてきた。
若白髪わかしらがだ」
 そういって苦笑する長次は、四十の坂を上りはじめていた。

 それから間もない十一月十日に、修改築を行っていた本丸が竣工しゆんこうした。
 家康、ついで正清の死の影響か、これらの普請と作事の中心は、譜代の大工である木原衆であった。また、長次は吉次亡きあと、その名代みようだいとして差配をしていた。
 それまで城門や城内長屋、あるいは諸国大名家の屋敷を受け持っていた木原一党は、江戸城の主だった建物を手がけていた。かつては京大工が幅をかせていたが、いまは木原方の譜代大工の台頭がめざましかった。
 翌元和九年(一六二三)三月、新しい天守が完成した。
「わしらが上げた天守だ」
「わしら譜代の大工が造った天守だ」
 大工衆は竣工を終えると欣喜雀躍きんきじやくやくして喜びを隠さなかった。
 天守は五層五階、地下一階の造りで、見た目こそ家康の慶長天守に似ていたが、真新しい天守は青い空に映えていた。白壁しらかべも鉛瓦とよく調和しており、千鳥破風ちどりはふは、まさにこれから飛び立たんばかりの優美さであった。
 作事と普請に関わった者たちだけでなく、将軍秀忠も新しい天守をいたく気に入り、
「父君の天守よりよい。よい、よいではないか」
 何度もうなずきながら、いつまでも眺めていた。
 ついに念願を叶えた長次であったが、大きな感慨を抱きはしなかった。ただ、造り上げたという達成感はありはしたものの、何か物足りなさを感じていた。
(何が足りぬのだ)
 自問する長次だが、わかっていた。天守は城の飾りである。将軍の威信を示す建物とはいえ、御殿の造りに比べると、内部の構造は空疎くうそである。
(もっと手の込んだものを造りたい)
 その願望は本門寺ほんもんじ五重塔を造り、さらに仙波喜多院せんばきたいん川越かわごえ大寝所おおしんじよ同大堂だいどう遠江諏訪社とおとうみすわしや神田明神社かんだみようじんしや、そして中井正清の下で日光東照宮につこうとうしようぐう社殿造営に関わったときに確固としたものとなっていた。
 そしていま、目の前の天和天守を眺めているうちに、さらに勃々ぼつぼつたる意欲が湧いてきたのだった。
 この年の七月、秀忠は将軍職を二十歳はたち家光いえみつに譲り、大御所となった。父家康と同じ二元にげん政治を敷くためである。だが、まつりごとうとい長次にとっては、問題ではなかった。
寛永かんえい十三年(一六三六)──大井村
 文机ふづくえの前に座っていた長次は、静かに筆をおろした。
 火鉢ひばちに置かれた鉄瓶てつびんが小さな湯気を上げている。
 長次はゆっくり立ち上がると、障子しようじを開けた。もう冬である。庭にある一本の石榴ざくろの木に二羽のひよどりがいた。ぱっくり割れたからにのぞく赤い実を器用についばんでいる。
 縁側に足を踏み出したとたん、長次はふらっとよろめいた。とっさに障子にすがったが、勢い、ガタッと大きな音を立てた。
 その音に驚いたのか、二羽の鵯は石榴の木から飛び立っていった。
 長次は荒い息をつきながら、しばらくうずくまり、鵯のいなくなった石榴を見ていた。
 雲が日を遮り、すうっとあたりが暗くなった。
(年か……)
 長次は胸奥きようおうでつぶやき、よろよろと立ち上がると、大きく息を吸って吐いた。それからまた座敷に戻り、火鉢の前に座った。
 ときどき息が苦しくなることがある。先月より多くなった。火箸ひばしをつかんで自分の指を見た。節くれ立った太い指だ。手の甲には無数のしみが散っている。
「もう長くないのかもしれぬ」
 長次は声に出して、壁の一点を凝視した。そこに張りついて、じっと動かない虫がいるように見つづけた。
◆寛永十二年(一六三五)──
 長次に元和天守造営を命じた秀忠は、寛永九年(一六三二)正月にかえらぬ人となった。
 葬儀がおごそかに行われると、長次を筆頭とする譜代の大工衆に霊廟れいびよう建設が下知げちされた。
 秀忠より厚遇こうぐうを受けていた長次は、一も二もなく取りかかると同時に、紅葉山もみじやまもうける御霊屋みたまや造営にもかかった。いずれも家光の指図であった。
 さらに二の丸庭園の改築も命じられ、長次はその棟梁を、中井正清と組んでいた小堀遠州こぼりえんしゆうに預けた。
 このとき長次は、木原義久と共に副奉行を務めて工事にあたった。
 そして十月になると、幕府の建築一切を担当する「作事方」が正式に設置された。
 初代の奉行になったのは、佐久間将監直勝さくましようげんなおかつ酒井因幡守忠知さかいいなばのかみただとも神尾備前守元勝かみおびぜんのかみもとかつの三人だった。長次はその下僚かりようとして、正式に大工頭を任命された。
 また、義久も同様に大工頭となり、長次は吉次への恩を返せたと、ほっと胸をなで下ろした。その後二百石の加増があり、長次は五百石取りとなった。
 それ以降の譜代大工衆はめざましいはたらきをした。もはや京大工の存在はうすく、江戸においてはもっぱら木原方の独擅場どくせんじようだった。
 かといって京大工がすたれたわけではない。徳川の新しい大坂城を築いていた京大工は、寛永六年(一六二九)に竣工させていた。また、一部の職人は日光東照宮の社殿改修にも駆り出されており、寛永十二年(一六三五)四月に無事工事を終えた。
「上様(家光)は天下普請を命じられましたが、権現ごんげん様から数えると、これで五度目のことにございます」
 城下を視察する長次についている内藤弥吉やきちだった。いまは作事方大棟梁として譜代大工を仕切っている。
「江戸にはまだ、手を加えなければならぬところがあるからだ。それに西の丸が焼け落ちておる。地震でいたんだ石垣も少なくない」
 西の丸が全焼したのは、昨年のことだった。また地震が起きたのは五年前のことで、石垣普請は繰り返し行われている。
「少し休むか」
 長次は駿河台するがだいの茶屋に立ち寄った。ぞろぞろと配下の者がついてくる。弥吉のような大棟梁もいれば、その下の職人もおり、手代や物持ものもち中間ちゆうげんもいた。
 茶屋は高台にあり、江戸城を望見ぼうけんできた。城のずっと先には、青々とした江戸の海が広がっている。浜辺は城下の大名屋敷や町屋にさえぎられて見えないが、わずかに蛇行だこうして流れる隅田川すみだがわも見えた。
「江戸も様変わりした。まさか、このように変わるとは思いもいたさなんだ。わしが来たときには、あまり家もなくあしの原がほうぼうにあったし、お城も小さくて粗末だった。ところが……」
 長次は言葉を切って視線をめぐらした。神田山を開削かいさくして平川ひらかわとつながった堀川(のちの神田川)が見える。その堀川は大きく城を包むように牛込うしごめから四谷よつや溜池ためいけまで延びている。外堀である。
(はじめから和泉守いずみのかみ様の頭には、この図が浮かんでおったのだな)
 いまさらながら、藤堂高虎とうどうたかとらの縄張り仕事に頭の下がる思いだった。
 外堀の内側には、武家屋敷と町屋が建ち並んでいる。そして、城を包むように内堀が囲んでいる。
 城内では拡張する二の丸の修築工事と、三の丸の整備が行われていた。また内堀と外堀の石垣造りと補修も行われている。石垣も堀も一度では完成せず、何回にも分けて繰り返し工事をする必要があった。
 この頃、お手伝普請として工事に参加していたのは、築造組が大名六十二家、堀の工事組が大名五十八家、計百二十家が動員されていた。
 堀の工事と同時に城の入り口となる虎口こぐちの門も建てられている。
「鈴木様、かねてより気になっていることがございます」
「なんだ」
 長次は弥吉に視線を向けた。
「大工棟梁のことです。これまで譜代の木原方が主に使われてきましたが、この頃はその様子が変わっております」
「そのことか……」
 長次は遠くに視線を向けた。自分の建てた江戸城天守が見えた。大屋根に据え置かれている金の鯱鉾しやちほこが、日の光をキラキラッと輝かせた。
「いわんとすることはわかる。浮き世の流れだ」
「浮き世の……流れ……」
「江戸は、いや江戸でなく上方かみがたもそうであったが、権現様(家康)の頃は京大工が天下を取っていた。ところがその権現様が亡くなられ、中井大和殿も亡くなられた。天下は台徳院たいとくいん様(秀忠)のものになった。そして、わしに運が向いてきた。天守も造り替えた。だが、いまは上様の時代。それにわしも年を取った」
「だから、上方の……」
 弥吉は口をつぐんだ。長次にやっかんでいると思われたくなかったからだろう。
 たしかに弥吉が気にするように、長次は近江出身の甲良宗広こうらむねひろ平内政信へいのうちまさのぶを大棟梁に任命していた。
「城の大枠は出来た。御殿もほぼ出来上がっておる。あの者たちは宮大工としての腕がある。中井大和殿の下についていたこともある。申し分ないはずだ」
 長次が甲良と平内に大きな仕事を与えたのは、中井正清の跡を継いだ正侶への少なからぬ思いやりであった。だが、それは口にすべきことではなかった。
「さようなことは……」
 弥吉は、そんなことはわかっているといいたげだったが、口を閉じた。
「さて、まいろうか」
 長次が湯呑ゆのみを置いて立ち上がると、近くで休んでいた配下の者たちが一斉に動きはじめた。
 それから三日後のことだった。
 長次は腹心の家来である弥吉を家に呼んだ。
「お話とは……」
 弥吉は座敷に通され、長次の前に座るなり、かたい表情をした。
「ほかでもないことだが、構えて他言たごんいたすな」
「は」
「上様が天守を造り替えられるそうだ」
「まことに……」
 弥吉は目をみはった。
「来年にも二の丸が落成し、西の丸も新造される。それに合わせて、上様はいまの天守を造り替えたいとお望みだ」
何故なにゆえ、さようなことを……」
「それは、わしに訊かれてもわからぬこと。だが、おそらくそうなる」
「それでは、権現様の天守の二の舞ということに……」
「上様の心の内はわからぬが、そうなるのだ。それはさておき、わしは隠居すると決めた」
 とたん、弥吉は口をあんぐりと開け、目をみはった。
「本気でございますか?」
「長常に家督かとくを譲る。そなたは長常を助けてくれ。あれもなかなかの男になったが、まだまだ足らぬところがある。話とはさようなことだ」
「…………」
「だが、頼まれた仕事はやる。おそらくそれが最後の仕事になるであろう」
 その仕事とは、三河伊賀八幡社みかわいがはちまんしやの建造だった。
◆寛永十三年(一六三六)──岡崎おかざき(三河)
 長次が配下の譜代大工衆を連れて岡崎入りしたのは、年が明けて早々のことだった。
 東海道を上る長次の胸に、さまざまなことが去来していた。
 そして、
(これも何かのえにしであろう)
 と、思っていた。
 振り返ってみれば、木原村の足軽あしがるの子であった長次は、五百石取りの旗本になり、幕府の一員として正式な大工頭に出世した。
 それもすべて、叔父吉次の引き立てがあったからである。だが、その吉次を引き立てたのは家康だった。
 岡崎は家康出生の地であり、伊賀八幡社は父広忠ひろただが出陣のたびに勝利を祈願したやしろである。家康は天下人となると、すぐに社殿の改築を行った。二代秀忠はこの社に手をつけなかったが、祖父家康を尊崇そんすうしている三代家光は社殿の拡張と新造を決め、東照大権現とうしようだいごんげん(家康)を祭神に加えることにした。
 長次がこの社殿の新造を快諾かいだくしたのも、いまは亡き家康に大きな恩義を感じているからだった。また、元和天守が目の前で壊されるのを見たくないとの思いもあった。
 秀忠に命じられ家康の天守を壊し、新たに建てた天守は、長次の悲願であり、夢であった。その夢を叶えたとき、長次のなかに大きな感慨は湧かなかったが、事ここに及んで、やはり自分の手で造りあげたものだという自負と愛着は確かにあった。
 しかし、長次は心中で声を張る。自ら手がけた天守が消えるのを見たくないから、
(逃げたのではない!)
 と。
 長次には新たな思いがあった。これを最後の仕事にするなら、後世まで残り、誇れる建物に仕上げたいという気概だった。
 ゆえに、これまでにないほど細密な指図と建地割たてじわりを描いた。さらに現地に到着したあとも、手を入れ、また何度も描き直した。
 長次の思い描く社殿は、基本的に権現造りである。これは、日光東照宮造営にあたり中井正清ら京大工の仕事を目にして、いつか自分もこのようなものをと考えていた、その集大成としたかった。
 拝殿と本殿を石の間でつらねたのが権現造りで、平安へいあん時代に京の北野社きたのしやで初めて取り入れられた伝統的な工法だった。特徴は石の間もそうであるが、組み物や彫刻をふんだんに取り入れ、みやび彩色さいしきを施すことだった。
 縄張りを終えると早速、作事作業に入った。あとは棟梁らの腕次第である。連れてきた木原方の大工衆は、一部の弟子大工をのぞき、腕達者な者ばかりだった。
 大工衆は朝日が昇ると同時に仕事をはじめ、日が暮れるまで汗を流した。夜は普請小屋で飯を食い、寝起きを共にした。
 長次は昔に戻った気がした。大勢で寝泊まりして、ともに飯を食う。そうすると、いままでよく知らなかった職人のことがわかり、また相手も自分をわかるようになった。お互いにわかり合えなければ、いい仕事はできない。
 あるとき、若い弟子大工がしくじりをした。その大工の棟梁はこっぴどく怒鳴りつけ、墨を引き直させた。弟子はまたしくじった。
「何度いえばわかるんだ! そうじゃねえだろう! 貸せッ」
 業を煮やした棟梁は、自分で墨を引いて見せた。弟子にとってはありがたい教えである。だが、その弟子は長次に訴えた。
「あの棟梁は気が短くてすぐに怒鳴り、殴りつけます。そんな棟梁の下にはいたくないので、他の棟梁の下につけてください」
 長次は包容力を持って現場を監督しているが、そのときは表情を厳しくした。
「叱られるからいやだと申すか。たわけたやつだ。叱られるのも修業のうちだ。そうしなければ仕事は身につかぬ。それとも褒められ、いい気分にしてもらって、一人前の職人になろうとでも思っているのか」
「叱られるよりはましです」
「だったら荷物を持って帰れ。わしは何もいわぬ。おまえの棟梁も何もいわんだろう。褒められていい気にさせられて、腕を磨けると思っているならお門違かどちがいだ。さっさと荷物をまとめてね」
 長次はあっちへ行けといわんばかりに、険しい表情のまま首を振った。こんなときに慰めてもなんのえきもない。褒めたり慰めたりは、ただの甘えにつながる。長次が求めるのは、人として、職人としての気骨である。
 その若い大工は陰鬱いんうつな顔でつぎの日からも、同じ棟梁の下ではたらいた。そして、たびたび怒鳴られ叱れていたが、半月もせずに態度が変わった。
 素直さが出て、自分のしくじりを受け入れ、自ら棟梁に教えを請うようになった。長次はその様子を黙って眺めていた。
 しくじりは教訓となり、進歩することになる。しくじりを恐れ、褒められたいという甘い考えは、その人間をだめにする。職人としても人としても伸びない。
「誤魔化してはならぬ。愚痴をいってはならぬ。悔しかったら、よくよく考えて体を動かせ」
 長次はときに厳しいことをいった。相手が若い大工だろうが、棟梁だろうが、かまうことはなかった。気づけばその場で遠慮なくいった。嘘やいいわけは、職人という前に人として最低のことだからだ。長次の叱責しつせきは思いやりだった。
 ほんとうの思いやりは、同情して甘いことをいって慰めるのではない。そのことを大工衆はわかっているので、長次によく従い、そしてついてきた。
 夜になると、みなで酒を飲んで談笑した。そんなとき、いろいろなことを訊かれる。長次は自分にわかることなら快く答えた。知っていることは、間違ってさえいなければ惜しみなく教える。それも長次のやり方だった。
 ある晩、拝殿を受け持つ棟梁が、木組みがどうしても合わないといってきた。
「寸法は合っているんですが、合わんのです」
 おそらくそれは三分の一分いちぶ(約一ミリ)程度のものだろう。長次にはぴんと来た。
「木というのは、山のひと所に植わっている。そこから動くことはできぬ。強い風が吹けば、逆らって伸びていく。そして、日あたりのよいほうに枝が伸び葉が茂る。同じ木でも一本一本に癖がある。人と同じだ」
 まわりに小さい笑いがおこった。みな、ひと癖も二癖もあるからだ。互いにわかり合っているゆえである。長次はかまわずにつづけた。
「木の癖を見抜いて組み合わせるのだ。右に反っている材木なら、左に反っている材木と組み合わせるのだ」
 問いかけてきた棟梁は、はっと酔いのめた顔になって、恐れ入りましたと礼をいった。
「長次殿、いつそんなことを身につけた?」
 棟梁の内藤安兵衛だった。
「わしが飛騨ひだひだや木曾に材木の用足しに行ったのを忘れたか。あのとき山の者に教えられたであろう。もっとも死んでしまった木原方の孫左衛門まござえもんさんや、清左衛門せいざえもんさんからの教えもあるが……」
 長次は酒をあおり、そろそろお開きにしようといって盃を伏せた。
 作業は休みなくつづけられた。大工衆の粘りと根気もあり、社殿はその年の夏に完成した。本殿、拝殿、弊殿へいでん、御供所、随身門ずいじんもん神橋しんきよう、鳥居などである。
 特徴的なのは拝殿に施した据唐破風すえからはふだった。長次の渾身こんしんの一作といえた。
 仕事を終えた長次らが江戸に戻ったのは、せみがかしましく鳴く夏の盛りだった。
 すでに二の丸が竣工しており、本丸御殿が改築されていた。
 そして、秋になると城の西方の台地を郭内くるわないに取り込む外堀の普請が終わり、江戸城は一応の完成となり、将軍宣下せんげを受けた家康が、天下普請を発令して以降三十三年、秀忠、家光とつづけられてきた天下普請は、ひとまず終止符を打つことになった。
◆寛永十三年(一六三六)──大井村
 雪が舞っていた。
 天から降りてくるその雪は、まるで楽しげなちようのようにたわむれていた。
 縁側に立つお栄は、寒さも忘れて舞い散る雪を眺めていた。
 これまでのことが走馬燈そうまとうのように頭を駆けめぐっている。
 長次と初めて会った汐見坂しおみざかでのこと、嫁にしたいと父に迫ったときのこと、そして天守を造るのだと意気さかんだった頃のこと……いまは遠い昔の出来事であるが、お栄はまるで昨日のことのように思いだせる。
 ──高虎様に会った。話をしたぞ。
 といって、欣喜雀躍の面持おももちで帰ってきた日があった。
 ──叔父上おじうえは、わしを都合よく使っているだけだ。
 憤激ふんげきして叔父吉次をなじった夜もあった。
 しかし、長次は吉次を頼り、そして深い恩義を感じていた。妻のお栄にはそのことが手に取るようにわかっていた。だから、静かに夫のそばについているだけだった。
「そう、おまえ様の夢は天守でございましたね」
 お栄はそこに長次がいるように小さな声を漏らした。
 ふっと吐く息が白くなった。足許からしんしんとした冷たさがい上ってくる。それでもお栄は雪を眺めつづけた。風に吹かれて舞い散る桜の花のような雪は、地面にうっすらと積もりはじめていた。
 天守を造ることができなくなったと知ったとき、長次はひどく落胆していた。打ちのめされたような顔で、失意のどん底を味わっていた。
 ひとり座敷に座り、お栄に背を向けて、何度も悔しそうに膝を拳でたたいていた。誰にも見せたくない姿だとわかった。あのとき、お栄は静かに障子を閉めたのだった。
「でも、おまえ様はお変わりになりました」
 お栄はふっと口の端に笑みを浮かべた。
 長次は天守を造るという夢が破れ去ったあと、人が変わったように寡黙になり、地道に役目を果たしていた。
 ──わしは所詮、一介の御大工に過ぎぬのだな。そういう星のもとに生まれたのだろう。それが天の与えたもうたわしの運命なのだろう。ならば、一御大工として、初手に戻ったつもりでやり直すしかない。
 長次がそんなことをいったのは、本門寺の五重塔を造る前だった。あのとき長次は達観したのだ。お栄はそう感じた。
 予期せぬことが起きたのは、大坂の役が終わり、家康が死んだあとだった。
 なんと台徳院様のおぼし召しで、天守を造ることになったのである。
 しかし、長次は浮かれていなかった。もっと違うものを自分は造りたい、それがなんであるかいまはわからないが、そんな心持ちになったと打ち明けた。
 そして、ある日、長次はいった。
 ──お栄、わかったぞ。
 ──何がでしょうか?
 ──わしのやることだ。わしはそうすべきだと悟ったのだ。
 お栄が小首をかしげると、長次はつづけた。
 ──わしは人を育てる。そう決めた。
 ──人を……。
 ──さよう。城を造るのも国を造るのも人だ。上に立つ者は、その下の者を育てなければならぬ。それが上に立つ者の務めである。その気持ちがなければ下の者はついてこぬ。
 なぜそんなことを長次がいったのか、誰かに触発されたのか、それとも教え諭されたのか、それはお栄の知らないことだった。
 だけれど、あのときの長次の目は、出会った頃のように澄み輝いていた。
「……そうですね。おまえ様はおっしゃった通りのことをなさいました。だって、おまえ様を慕う人がたくさんいるのですから。わたしはよく存じております」
 独り言をつぶやいたお栄は、もう一度、雪を降らせる空を見上げ、それからゆっくり長次の寝所に戻った。
 長次は夜具に寝たままだった。少し口の端を緩め、嬉しそうな顔をしている。楽しい夢でも見ているような、そんな表情だった。
 長次が息を引き取っていたのに気づいたのは、つい先ほどのことだ。長次は毎朝、寝起きに茶を所望した。その朝もお栄は湯を沸かし、茶をれて長次のもとに運んだのだった。異変に気づいたのは、声をかけても返事がなかったからだった。
 はっと驚きに目をみはり、心の臓を脈打たせたが、慌ててはいけないと必死に自分を律した。
「おまえ様……」
 お栄は、小さくささやきかけた。
 もちろん返事はない。
「じつは、黙っていたことがあります。どうしても抑えることができなかったのです。おまえ様の上げた天守を見に行ったのです」
 それは、長次が伊賀八幡社を造りに行っているときだった。秀忠に命じられて天守を上げた長次は、そのことについて多くを語らなかった。だからお栄は、きっと見てほしくないのだと勝手に思い込んでいた。しかし、配下の大工や長常は、新しい天守の素晴らしさを話してくれていた。
 その天守が壊されると知り、その前に見ておきたいという思いが募っていた。だから夫の留守をいいことに、天守を見に行ったことがある。
 暗いうちに家を出、城下に足を急がせた。額に浮かぶ汗を拭き、息を切らしながら数寄屋橋御門すきやばしごもんの近くまで来たとき、ハッと息を呑んだ。
 朝靄あさもやに包まれていた城下に東雲しののめから一条ひとすじの朝日が射し、天守の屋根に据えられた金の鯱鉾しやちほこがきらりと輝いたのだ。
 周囲の御殿ややぐらや樹木は雲のような靄に抱かれていた、天守だけが浮かびあがっていた。それはまさに、幽境ゆうきように突然あらわれたまぼろしのようであった。
 お栄はうつつとは思えぬその幻想的な光景を、息を止めたまま眺めていた。天守は次第に朝日に包み込まれ、しっとり濡れた屋根瓦と白い壁をさらした。
 壮麗な天守が光彩を放ちながら、靄のなかに燦然さんぜんと立ち上がったのだ。
(なんと気高く、なんと崇高すうこうな……)
 こんなに素晴らしい天守を造ったというのに、長次はなにひとつ自慢しなかった。

「おまえ様」
 我に返ったお栄は呼びかけながら、てのひらでやさしく長次の頬をなでると、静かに立ち上がり、次の間に行って戻って来た。
 再び長次の枕辺に座り、
「おまえ様、わたしはおまえ様を、心よりお慕いしておりました」
 と、ささやきかけたとたん、両目から涙があふれた。
 それでも必死に口を引き結び、持ってきた白布を静かに長次の顔にかけた。
 翌年の八月に、家光の寛永天守が着工し、その翌月には拡張改築が行われていた本丸御殿が完成した。
 そして、寛永天守はその翌年に竣工した。このときの作事方棟梁は、長次が目をかけた甲良宗広だった。その天守はほぼ元和天守と同一だったという。
 しかし、その天守も明暦三年(一六五七)の大火で焼失し、以降二度と天守は造られることがなかった。
 また、長次が満を持して造り上げた渾身の一作である伊賀八幡社は、現在、国宝に指定され、国の重要文化財になっている。
(了)

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稲葉 稔Minoru Inaba

1955年熊本県生まれ。脚本家などを経て、94年に作家デビュー。冒険小説、ハードボイルドを皮切りに、近年は時代小説に力を注いでいる。近著に『浪人奉行 四ノ巻』(双葉文庫)、『永代橋の乱 剣客船頭(十九)』(光文社時代小説文庫)、『喜連川の風 切腹覚悟』(角川文庫)、『すわ切腹 幕府役人事情 浜野徳右衛門』 (文春文庫)などがある。

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