双葉社web文芸マガジン[カラフル]

俺達の日常にはバッセンが足りない / 三羽省吾・著

イラスト:西川真以子

第9回
 バッティングセンター用地として、犬塚シンジと兼石エージは準工業地域にある空き倉庫と賃貸契約を結んだ。
「本当に大丈夫か?」
 契約の際、土地の所有者である久保寺は、エージとシンジに繰り返し確認した。
「あんな場所でバッセンを始めても、儲からんだろう。近くの団地は年寄りばかりだし、駅からは遠いし。野球好きの小中学生ならバスや自転車で来るかもしれんが、近頃はその野球好きが劇的に減り続けてるって言うじゃねぇか」
 五十代半ばの久保寺は元高校球児で、太陽光パネルの設置場所として売却寸前だった空き倉庫を「バッセンとは面白ぇ」と、シンジ達に貸してくれた。ただ「面白ぇ」と思ったのは久保寺の元高校球児の部分で、貸し倉庫会社社長という立場で考えると、他人事ながら「心配だ」と言う。
 自分でも心配していることだったので「大丈夫です」とも言えず、シンジは「はぁ、まぁ」と曖昧に答えた。
 最終的にその場所に決めたのはエージだが、もちろん詳しいマーケット調査とか細かい経営戦略に基づいているわけではない。馬券を買うときでももうちょっと根拠があるだろうというくらい、直感のみに頼ったような決断だった。
「そういえば、こんなこともあったなぁ」
 数年前、その空き倉庫を含む広大な敷地が巨大商業施設になるという話が持ち上がった。いくつかの候補地の中の一箇所ではあったが、廃工場や空き倉庫を抱えて困っていた人々は大喜びした。だが結局、その話は流れた。
「ほれ、スットコだかドッコイだか、そんな名前の」
「えぇ、分かります。会員制の倉庫型店舗ですね。食料品から家電から、やたらと安いっていう」
「そうそう。つまりまぁ、そんな金儲けのプロが〝ここは駄目だ〟って判断した土地というわけ……」
 久保寺は途中で言葉を呑み込み、「貸す側が言う話じゃねぇか」と大きく迫り出した腹を揺らして笑った。
「まぁ、俺はバッセンが減り続けることを憂えてたクチだから、訳の分かんねぇ太陽光パネルなんかに貸すよりは面白いと思ってるがな。ただ商売ってのは面白いだけじゃ……だろ?」
 シンジがどう答えていいものか分からず黙っていると、隣で生あくびばかりしていたエージが自信満々で「大丈夫っすよ」と言った。
「破格の賃料で貸してもらってすんませんね。大儲けしたらドーンと上げてもらっていいんで、そん時をお楽しみに」
 久保寺は「面白ぇ兄ちゃんだなぁ。ほんじゃまぁ楽しみにしてるよ」と、出っ張った腹を更に大きく揺らした。
 シンジはちっとも面白くなかったのだが、取り繕うように「はは……」と力なく笑った。

「ちょっと、あんたまで寝てどうすんのよ」
 阿久津ミナに小突かれて、シンジは我に返った。
 神主が祝詞をあげているところだった。
「寝てないよ。ちょっと考え事してた」
 そう答えたシンジだったが、確かに神主の祝詞は秋晴れの空に漂うようで、抜群の催眠効果があった。『犬塚土建』の三代目候補という立場上、地鎮祭への出席は慣れているシンジだが、毎回睡魔との闘いとなる。
 そのシンジの隣では、恐らく地鎮祭への出席は初めてで、たぶん慣れないスーツに身を包んで疲れており、間違いなくデリカシーというものを欠片も持ち合わせていないエージがいびきをかいていた。コックリコックリし始めたときは起こしてやったが、あまりに気持ち良さそうだったので五回で小突くのをやめた。
 周辺は廃工場と空き倉庫ばかりで、平日の昼間だというのに稼動する機械音は遠くで小さく聞こえる程度だ。トラックなども、めったに通らない。
 土地は賃貸契約だし、建物もほぼそのまま活用する予定なので地鎮祭など必要ないとシンジは思ったのだが、『犬塚土建』会長である祖父が「土地の神様への挨拶だ。絶対にやっておけ」と手配した地鎮祭だった。
 出席者はシンジとエージと久保寺、工事関係者五名、そして『あけぼの信用金庫』代表としてミナ、個人的に出資してくれた山室アツヤの十名だった。
 祝詞が終わると、シンジと久保寺と工事の監督で鍬入れをし、全員でサカキを供えて柏手を打ち、それからなんだかんだあって地鎮祭は終了した。
「お疲れさんでした~」
 一番疲れていないエージがのびをすると、そのガラ空きのボディーにミナが「あんたは寝てただけでしょうが」と軽くパンチを見舞った。
 特に申し合わせたわけではないのだが、地鎮祭後もなんとなく、シンジ、エージ、ミナ、アツヤの四人で現場に残っていた。
「大丈夫なのかよ、ここ」
 ゴロワーズに火を点けながら、アツヤが誰にともなく訊ねる。
「最寄駅から徒歩二十三分。バスはあるけど一時間に二本。確か、そうよね?」
 ミナがアツヤの質問の意味を補足する。
「それに、やけに広いな。建家以外の土地は全部、駐車場にするのか?」
 アツヤの視線の先には四本の竹が立てられ、七五三縄が張られ、中央にこんもり盛られた土の山がある。地鎮祭のために、急遽コンクリートを掘り起こした三十メートル四方ほどの土地だ。
「いや、色々と考えてるよ。とりあえず、今川焼とたこ焼きはマストだな」
 エージが、アツヤと同じ方向を見詰めながら答えた。広い敷地は西日に照らされ、オレンジ色に染まっていた。
 敷地は四百坪以上あった。建家は二百坪ほどで、屋内型バッティングセンターとしては中規模になる。エージは残りの二百坪の半分を、フードコートにしようとしていた。
 つまりエージは、あの懐かしい『ケンコーレジャーセンター』を再現するというよりも、広い土地を借りて『ケンコー』を取り囲む環境を丸ごと作ろうとしているのだ。
「屋台でも、移動販売の車でもいい。この敷地全体が毎日お祭り状態になるんだ。ぜってー楽しい……」
「ちょっと待って」
 アツヤからもらったゴロワーズを気持ち良さそうに吹かしていたエージの言葉を遮り、ミナが割って入った。
「あのさ、これは腐れ縁の旧友としてじゃなくて『ぼのしん』代表として訊くんだけど」
 賃料は月々三十五万円と破格に安いが、それは「遊ばせているよりはマシだし、まず今どきバッセンて発想が面白ぇ」という、久保寺の趣味的な部分があってのものだ。
 バッティングケージは七つ、ストラックアウトのケージが一つで、一ゲームは各三百円。自販機の売上げを含めて、客単価は千円前後だろう。
 賃料を払うだけで毎月三百五十人、光熱費やアルバイトへの給料支払いを考えれば、その倍は呼ばなければ話にならない。一日当たり二十三人強だ。
 繁華街や学生街なら問題ない数だが、この立地では正直厳しいだろう。屋台や移動販売から賃料を受け取るにしても、そもそも客が数えるほどなら出店する数もたかが知れているに違いない。
 土地を買わずに賃貸契約とし、機材も祖父の口利きでほとんど中古で賄うことで、集めた六千万円のうち一千万円ほどは手元に残りそうだ。大金ではあるが、マシンの維持管理費などシンジにとって未知な部分の出費を考えれば、心もとない。
 しかもこの計算は、シンジとエージの取り分を度外視してのものだ。
「そんなことで大丈夫なの?」
 返済計画の相談に伴って、ミナには経営に関することを包み隠さず説明している。貸し付けはシンジとエージに対してではなく『犬塚土建』に対してのもので、その額は三千万円。細かいことはシンジには分からないが、通常の貸し付けとは異なる支店長の専決権限とやらを使ったとかで、相談に乗ってしまったミナとしてはバッセンの経営は成功してもらわなければ困るらしい。
「なんだよミナ、白けること言うなよ。楽しいじゃん、毎日お祭りだぞ?」
「あのねぇ、ビージ。あんたに言っても分からないでしょうけど、楽しいとか楽しくないなんか二の次なの。ビジネスとして成り立たなきゃ、話にならないって言ってんの」
 エージはわざとらしく不思議そうな顔を作り「楽しい以外に、なにが必要なんですか?」と訊ねた。
 ミナは「だから」と言葉を継ごうとしたが途中で諦めて、エージのボディーにさっきより数倍強い正拳中段突きを見舞った。
ってぇ~! 相変わらず可愛くねえ女だな!」
 かつて『ケンコー』でよく見た光景を思い出し、シンジは笑ってしまった。アツヤも隣で、控え目に笑っていた。みんな倍くらいの年齢になったのに、根っこの部分は変わっていない。
「ちょっとシンジ、なに笑ってんの。あんたのその巻き込まれ体質、なんとかしなさいよ!」
「はは、シンジは真冬のチン毛かよ」
 エージの下品な冗談に、普段はニヤリと笑う程度のアツヤがこらえ切れず「ぶはっ!」と吹き出した。
「面白くない! だいたい分かんない、その喩え!」
 怒るミナの言葉に、アツヤは「そりゃそうだ」と更に笑った。陰毛呼ばわりされたシンジも、大声で笑ってしまった。
 最後はミナも「なによ」と言いながらも釣られるように吹き出し、四人はオレンジ色の中で声を上げて笑い合った。

 旧友四人が揃って笑い合ったところで、その帰りに居酒屋に寄って軽く呑んだところで、酒のせいもあってエージの超楽観的思考に飲み込まれてしまいシンジもアツヤもミナも「まぁ、なんとかなるか」と口にしてみたところで、バッティングセンター経営にまつわる不安はなに一つ解消されるわけではない。
 帰宅して冷静になるにつれ、シンジは「またこのパターンかよ」と自分を罵った。
「山室くんの妹さんの件は、どうなったんだ?」
 ダイニングには、夕食を終えたばかりの父と祖父がいた。酔い覚ましの茶を飲んでいるシンジに訊ねたのは、いつものように手酌で呑んでいた祖父だった。
 アツヤの妹カンナが雑居ビルのゴミ捨て場に放火し、その後自首したということは、シンジも新聞の地方欄で見て知っていた。彼女が小学生だった頃から何度か会っているシンジには、信じられないことだった。
 アツヤが地鎮祭に出席したのは、半分はその件について報告するためだったらしい。居酒屋で乾杯する前に、彼は「一つ報告がある」と前置きして、カンナの現状を説明した。
 被害はボヤ程度だったが、明確に火事を起こす意図があったために起訴は免れなかった。
 ただ、放火と断定されていない時点で出頭したこと、前科前歴がないこと、母親が病で倒れ精神的に不安定だったことが鑑みられ、判決には執行猶予が付いた。
「いまは仕事を辞めて心療内科に通ってて、精神的にはかなり落ち着いたそうだよ。お母さんの方も小康状態だって」
「そうか、それは良かった。いや、お前がふさぎ込んでるように見えたから、てっきりその件が悪い方向へ行ってるのかと思ってな」
 シンジは「別にふさぎ込んでなんか」と答えながら席を立ち、冷蔵庫に向かった。酔い覚ましをしているつもりだったが、呑み直したくなった。
「バッセンのことを考えてたんだよ。あの立地じゃ、なにか工夫をしないと……」
 黙って新聞を読んでいた父の視線を感じ、シンジは言葉を呑み込んだ。
 父はまだ、シンジが『犬塚土建』の仕事をほっぽり出してバッティングセンター立ち上げに関わっていることを快く思っていない。奇跡的に金が集まり、場所も決まり、オープン自体は間違いない状態となったいまでも、恐らく大失敗することを望んでいる。
 そんな父の耳に、不安の具体的な内容までは聞かせたくなかった。そこでシンジは、話の内容をエージに対する愚痴に変えることにした。
「成功を信じて疑ってないのは、あいつだけ」
 庭の西側にある事務所には、まだ灯りが灯っている。その中で、エージがパソコンで調べものをしているはずだった。エージの目下の関心事は、フードコートに呼ぶ店を集めることと、建家内に並べるうどんやホットサンドの自動販売機を探すことだ。
 昔のドライブインなどによくあったレトロな自販機は、現在は製造されていない。メンテナンスが出来る技術者もごく少数だという。だがいまでは昔を懐かしむ愛好家が多く存在し、中古品を集めた自販機レストランなるものが誕生したりしている。
「まったく、どこに力を入れてるんだか……」
 祖父は「兼石くんらしい」と笑い、父は「ふん」と嘲るように鼻を鳴らした。
「あの屋上のバッセンなんか美味しい話だったのに、勝手に断わりやがって」
 既存店舗の経営状態を聞いて回る中で、ビルの屋上にあるぼろぼろのバッティングセンターの経営者から「経営権を丸ごと譲ってもいい」と持ち掛けられたことがあった。
 メンテナンスにはかなり金を掛けなければならないが、一から立ち上げることを思えば予算はずっと抑えられる。立地も悪くないので、工夫次第でもっと客を呼べるのではないか。
 シンジはそんなふうに思ったのだが、エージが「なんか違う」と言って断わった。
「あれは断わって正解だ」
 猪口を口元で止め、祖父が断言した。
「あの地域には再開発の話がある。譲り受けていたら、数年で畳むことになってる」
「え、そうなの? でも、偶然だろ」
「いやいや、それだけじゃない。ウチが管理してたあの資材置き場。あの話も流れて良かった。あのプレゼンの直後、周辺の小中学校の統合やら野球部の廃部やらが重なっただろう」
「それだって偶然だよ。それに、あれは祖父ちゃんが判断したんじゃん」
「最終的にはそうだが、それも含めてだ。とにかく兼石くんは引きが強いと思うんだよ、儂は」
「〝引きが強い〟ねぇ……じゃあ、あの専門業者の話は? プロに丸投げ出来るはずだったのに、それもあいつが断わっちまった」
 既存店舗を回る中で、バッティングセンターの企画・開発を専門に扱う業者を紹介されたことがあった。土地選びから工事、マーケット調査、運営計画まで、一手に引き受けてくれるという。希望すれば開店後の経営管理までやってくれるとかで、経営のド素人であるシンジにとって提携は願ってもない話だったが、これもエージが「マニュアル通りじゃつまんねぇ」と言って断わってしまった。
「その言葉のままじゃないか? マニュアル通りでは、彼が作ろうとしているバッセンにはならないということだろう。それに、プロに頼らないのはシンジのためでもある」
「俺のため?」
「あぁ。お前が経験を積むためには英断だったと儂は思う」
「バッセンを開店するノウハウなんか、俺の今後にどんな意味があるんだよ」
 そのとき、洗い物を終えた母がダイニングにやって来て「あるある」と口を挟んだ。
「なんでも経験しときなさい。いつまでも電話番しか出来ない専務じゃ、なんにもセンムじゃない」
「くだらねぇよ」
 祖父と母が声を上げて笑い、シンジはムッとしながら缶ビールを呑み干した。そして二本目を取りに行こうと椅子から腰を上げたが、そこで父の視線を感じた。
 顔の半分は新聞に隠れ、シンジには父の目しか見えない。だがその表情は、明らかに笑っている。それが祖父と母とは別の意味の笑みだということも、シンジには分かった。
「なんでしょう、社長」
 なにやら嫌な含みを感じたシンジは、嫌味を込めてそう訊ねた。
 てっきり怒ると思っていたが、新聞を畳んだ父は笑ったままだった。
「この間、親方連中の会合に呼ばれて小耳に挟んだ」
 父は席を立ち、棚からウイスキーのボトルを取り出した。それを見た母は、黙ってグラスと氷を用意した。
「小耳に挟んだって、なにを?」
「あいつの、両親のことだ」
「エージの両親?」
 祖父の猪口が止まった。キッチンの方では、ガラガラと氷を取り出す音も小さくなった。
「俺の考え過ぎだといいんだが……」
 言葉とは裏腹に、父はなんだか楽しそうだった。
(第10回へつづく)

三羽 省吾Shogo Mitsuba

1968年岡山県生まれ。2002年『太陽がイッパイいっぱい』で小説新潮長編新人賞を受賞しデビュー。06年『厭世フレーバー』、12年『Junk 毒にもなれない裏通りの小悪党』でそれぞれ吉川英治文学新人賞候補。著書に『路地裏ビルヂング』『傍らの人』『Y.M.G.A.暴動有資格者』『ヘダップ!』など。

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