双葉社web文芸マガジン[カラフル]

俺達の日常にはバッセンが足りない / 三羽省吾・著

イラスト:西川真以子

第7回
 公団の三階にあるその部屋からは、満開のソメイヨシノがよく見えた。
 枯葉の時季は大変だろうが、この季節は南向きの窓のすべてが動く日本画のようだ。
 花びらが舞い落ちるベランダで、何羽もの雀が米粒をついばんでいた。人に馴れることがないと言われる雀にしては、かなり無防備に見える。長い間、米粒を与え続けているのかもしれない。
「……つまりですね、上原さん。解約するのは簡単ですが、それではこれまでの二年が無駄になるんです。もうお一人ご紹介頂ければプラチナ会員になりますし、考え直して頂きたく……」
若手社員の古町ふるまちが喋っている隣で、狩屋かりやコウヘイはぼんやりと窓の外を眺めていた。
「でも息子が電話でねぇ、すぐ解約しろってうるさくて」
「ですから、息子さんはなにか勘違いなさってるんだと思います。連絡先をお教え頂ければ、私から丁寧にご説明致しますから」
 狩屋は出された茶に手を伸ばし、そのグラスにカップ酒のラベルが付いていることに気付いた。そして恐ろしく薄い茶をすすってから、あまり視線を動かさないよう改めて室内を観察した。
 後期高齢者の男性一人暮らしにしては、部屋はきれいに保たれている。だが、デジタル変換器の付いたブラウン管テレビ、大きくて黒いラジカセ、花柄模様の炊飯器とポット、同じく花柄のテーブルクロスなど、視界に入るもののほとんどが昭和チックだ。固定電話はさすがに黒電話でこそないが、それでもかなりの年代物だ。その脇に置かれたメモは裏が白い折込み広告を切って束ねたものだった。
 さっきトイレを借りたとき、タンクの吐水口にピヨピヨと音が出るヒヨコの玩具が付いていて、狩屋はつい「懐かし~」と呟いてしまった。
 映画のセットでもこれだけ揃えるのは大変だと思われるほど古めかしい住まいの中で、台所に据えられたウォーターサーバーは異質だ。
「もし月々のお支払いが大変でしたら、安いコースへ変更することも可能ですので……」
 頑なな上原老人に古町がそう言い掛けたとき、ここまでずっと黙っていた狩屋は「おい」と口を挟んだ。
「では上原さん、息子さんの連絡先をお教え頂けますか。我々からご説明申し上げて、それでも継続が難しいようでしたら、改めて解約の手続きにお伺いしますので」
 上原老人は財布からヨレヨレの名刺を取り出し、老眼鏡を掛けて折込み広告の裏に電話番号を書き写した。

「あの、狩屋課長。さっき、なんで止めたんですか?」
 公団を出てコインパーキングへ向かいながら、古町が訊ねた。
「安いコースの提案は、まだ先だ。今のまま最低でも一年はクリアしないと、ボーナスポイントが付かないだろう」
 二人が勤める会社『ルンルン・ヘルシー』は、ウォーターサーバーの販売代理店をやっている。新規顧客を獲得すると、三年ごとにメーカーから代理店へボーナスポイントとしてまとまった額が支払われることになっている。別のコースへ移行すると、そこからリスタートということになってしまう。
「はぁ……じゃあ、僕から息子さんに電話をして、それでも駄目だった場合……」
「電話なんかしなくていい」
「え?」
 公団の敷地を囲むように植えられたソメイヨシノはすべて満開で、あちこちで老人グループが花見を楽しんでいた。上原老人も、このあと仲間に誘われているので出掛けるのだと言っていた。
 営業車の助手席に乗り込み、狩屋は「あのなぁ古町」と説明を続けた。
 家の様子、ベランダの雀、ヨレヨレの名刺、メモに書かれた息子の会社の市外局番を見て、狩屋は上原老人と息子が疎遠になっていることを察していた。
「恐らく中京地区に住んでる息子が年末か正月に来て、ウォーターサーバーに気付いて『こんな無駄な金を使うなら、孫になにか買ってくれ』とかなんとか、ギャンギャン言ったんだろう」
「孫って、そんなのいるかどうか分からないでしょ」
「いるよ。電話台の向かいの壁に、ガキが二人写った年賀状が何枚か貼ってあった。三年前で止まってたがな」
「そんなとこまで見てたんですか。けど年賀状が三年前で止まってるだけじゃ、疎遠だなんて言い切れないでしょ」
「言い切れるよ。いまどき、幼い孫が遠くにいればネット回線で顔を見て話せるようにセッティングしてやるだろ、息子の方から。あの家には、ネットに繋がるテレビもパソコンもなかった」
「はぁ、言われてみれば……」
 この日の狩屋は、営業成績が振るわない古町に同行して気付いたことがあればアドバイスするよう、上司から命じられていた。
 午前九時から五軒の客の家に同行して、成績が振るわない原因は充分過ぎるほど分かった。
 まず、一件に時間を掛け過ぎる。上原老人の家には一時間ちょっといた。これでは一日に五、六軒が限度だろう。狩屋が単独で回る場合、少なくとも十五軒は回る。
 次に、これは時間が掛かり過ぎる原因でもあるのだが、一人一人への説明が丁寧過ぎるのだ。ましてや、向こうがなにも言わない段階で安いコースへの変更をこちらから持ち掛けることなど、もってのほかだ。
『ルンルン・ヘルシー』は、ウォーターサーバーだけでなく各種サプリメントや浄水器、健康食品、健康器具、害虫駆除、水回りのリフォーム、下水管やエアコンの清掃、弁当宅配に至るまで、健康と住まいに関するありとあらゆるものの販売代理と営業代理を請け負っている。もちろん合法的な歴とした株式会社ではあるが、いわば人の褌で相撲を取りまくっている会社だ。
 本来なら、サプリメントか弁当宅配辺りから入って、徐々に大きな契約につなげるべきだ。だが月々の支払いが一万円近くになるウォーターサーバーから入った上原老人の場合、次の契約につなげるのは難しい。つまり狩屋の目から見れば、時間をかけるだけ無駄な〝死に客〟だ。
「じゃあこれから、俺の客のところへ行く。十分で新しい契約を結んでみせるから、よく見とけ。OJTってやつだ」
 あれこれ説明するより、手っ取り早いのかもしれない。狩屋はそう思い、行き先を指示した。

 そうして向かった古い木造の一軒家で、狩屋は藤田という老女から「あら、いらっしゃ~い」と歓待された。
 喜寿を過ぎたその老女は夫が遺した家で、十何年も一人暮らしをしている。庭にいる小汚い雑種犬は二十歳を過ぎているとかで、老女以上にヨボヨボのヨレヨレだ。
 狩屋はその家で、関節痛と尿漏れに効くとされるサプリメントの半年契約を結び、更に浴室とトイレの排水口をチェックする約束も取り付けた。それらの話は、実際に十分ほどで終わった。
「もう帰っちゃうのかい? 狩屋さんに食べてもらおうと思って、美味しいおまんじゅうを買ってあるんだけど。そちらの若いお方は、おまんじゅうなんか嫌いかしら?」
 なんとか引き止めようとする藤田に「次の約束がありますので」と詫び、狩屋と古町は藤田宅を後にした。
「ほらな、十分で数万円。排水口の方もものに出来れば、数十万になる。営業なんて、丁寧ならいいってものじゃないんだ」
 営業車に戻り狩屋が言うと、古町はなにも答えずに車を出した。
 彼がなにを考えているのか、狩屋にはなんとなく分かった。
「なんだ。言いたいことがあるならハッキリ言え」
「いまの女性は……」
「そうだよ。だったらどうした」
 藤田は、ずっと専業主婦だったせいか交渉ごとには疎い。子供はおらず、親族とは連絡も取り合っていない。そして、恐らく軽い認知症を患っている。
 狩屋はそこにつけ込んで、小額の契約を繰り返し結んでいる。家は持ち家で、年金は月に八万円程度。そのうち支払い可能なのは二万から三万という計算に基づいて、取りはぐれのないよう五年ほどマメに足を運び続けている。
 もちろん、月々二、三万円の売上げのために五年も通い続けているわけではない。狩屋の最終的な目標は、持ち家を売って施設に入るという段階になったとき、間に立つことだ。『ルンルン・ヘルシー』に不動産取引業務の免許はないが、藤田から委任状にサインをもらえさえすれば、数百万円の交渉手数料を狩屋個人が受け取ったとしても違法性はないはずだ。
「大局と小局の両方を考えろとは、いまのお前には言わない。ただ時間は有限だと肝に銘じろ。効率と優先順位、まずはそういうことを考えるところから始めろ」
 ビジネス系専門学校中退二年目、弱冠二十歳の古町に言いたいことは山ほどあったが、それは上司に報告すればいいことだと判断し、三十三歳の中堅社員である狩屋はそう言って話を終えたつもりだった。だが、
「そういうことで、いいんでしょうか」
 ハンドルを握った古町が、珍しく狩屋に意見した。
「藤田さんは狩屋課長のお客様ですから、あれこれ言いません。けど、上原さんは僕のお客様です。その上原さんに対して、僕は間違ったご提案をしているつもりはありません。数日に一回、重たいペットボトルの水を買っている方に『こういうものがあります』とご提案して、二リットル百数十円で買ってる水と、お湯も使えるサーバーやボトル交換の手間、階段を上り下りする負担のことなどを説明して、ご納得頂いて……」
「分かってるよ、そんなことは」
「いえ、そこじゃなくて。契約の際、マニュアル通りクーリングオフやコース変更の説明は『約款を読んで下さい』と言うに留めていることです。しかし、それでいいんでしょうか? 詐欺とまでは言いませんけど……」
「おい」
「すみません。言い過ぎでした。けどなんだか、さっき加藤さんのお宅で娘さんに言われたこと、外れてはいないと思います」
 加藤とは、上原の前に訪問した古町の客だ。一人暮らしの老婆なのだが、今日は四十過ぎと思しき娘が待ち構えていた。その娘に「細かいことが理解出来ない年寄りを騙し続けて」と、決まりかけていたシロアリ駆除を断わられ、定期購入していた健康食品まで解約させられたのだ。
「例えば上原さんと加藤さんがたまたまお知り合いで、あの娘さんが上原さんに解約を勧めるということも、ない話じゃないですよね。そんなことになるくらいなら、あらかじめこちらからお客様にとってより良い条件をご提案することも……」
 こういう疑問や不安を感じる若手社員は、過去に何人も見て来た。狩屋自身も、若い頃は大いに感じていたものだ。
 だが今は、こういうことを考えるだけで、ただただ面倒だった。
「同じ公団でも横の繋がりが希薄な時代だぞ。ましてや加藤さんと上原さんは、まったく違う町に住んでる。たまたま知り合いなんて偶然は、万に一つもあり得ない」
「でも……」
「あのなぁ古町。こっちはなにも、紙っぺら一枚で金だの宝石だのの権利を売りつけるような会社じゃないんだ。実際の商品は届いてるし、それが客の生活に役立ってる。そうだろ? だから最低限の説明をしていれば充分。気付かない方が悪いんだよ」
 過去、たいていの若手社員はそれで黙ったものだが、古町は違った。
「申請主義ってやつですか?」
「は?」
「なんか、お役所みたいですね」
 営業車は、狩屋の知らない多摩地区のどこかを走っていた。若手社員のお守りなど、狩屋にとっては面倒なだけだった。だから本来なら「かもな」とでも答えておけばよかったのだが、「お役所」という言葉が狩屋のどこかのスイッチを押してしまった。
「こっちは、しっかり約款を渡してるんだ。クソ役人がそんなことするか? 誰も気にしてねぇ法律や条例を万人が理解してる前提で、権利を主張しない限りなにもしてくれねぇだろうが。場合によっちゃあ、法律や条例の細かい部分まで理解してないことだってある。あんなのと一緒にするな」
「気付かない馬鹿が悪いんだってスタンスは、同じだと思いますよ」
 古町の言葉は、悔しいが全面的に正しかった。
 だからといって、今更どうする。
 胸の奥深いところで、誰かがそう囁く。
「そんな大きな話をしてるんじゃない。とにかく、お前の動きには無駄が多い。いいか? 効率と優先順位。この二つを、もっとしっかり考えろ」
 狩屋がとどめのように言うと、古町はやや不満そうではあったものの「はい」と頷き、それ以上反論をしなくなった。

 その後、二軒の客を訪問して古町の同じようなセールストークを聞き、狩屋はやはり同じようなアドバイスを繰り返し、その日の業務は終了した。
 本来なら帰社して上司に古町の問題点を報告しなければならないのだが、狩屋は酷く気疲れしていた。時刻は午後六時半。四月の太陽はまだ沈み切っておらず、直帰するには早過ぎる時刻だ。
 営業車が、狩屋も知っている街を通り掛かった。地元ではないが、懐かしい街だ。
 駅前の信号待ちで、狩屋は古町に「ここで降りる」と告げた。
「珍しいですね。直帰ですか?」
「あぁ、ちょっとバッセンでも寄ってくわ。部長には言うなよ」
「はぁ……バッセンって、バッティングセンターですか?」
 ハザードを点けながら古町が微かに笑ったような気がして、狩屋は「なんだよ」と訊ねた。
「バッティングセンターって、なんだか狩屋課長が言う効率とか優先順位とかって言葉の、対極にあるような施設だと思って」
「うるせぇ。オンとオフは別だ。オフは思い切り、無駄なことをやるんだよ」
「分かんないなぁ……あ、青だ。交差点渡ってから停めますから、待って下さい」
 分かんねぇのはお前の方だよ、という言葉を呑み込み営業車から降りた狩屋だったが、改めて周囲を眺めてみて「あれ?」と気付いた。
 懐かしいはずが、すっかり見覚えのない街並に変わっていた。
 駅前広場はペデストリアンデッキで人車分離になっており、そこを取り囲むように商業ビルが建ち並んでいる。家電量販店や大手ファストファッションの看板、聴覚障害者が見たら傷付きそうな有名CDショップのキャッチコピーも見える。
 高校生の頃、何度か行ったことのあるバッティングセンターがどこにあるのか、まったく見当が付かなかった。
 スマートフォンを取り出し街の名前とバッティングセンターで検索したが、ヒットしない。
 帰宅ラッシュで、人通りは多かった。狩屋は仕方なく、地元住民ぽい人に訊いてみることにした。
 バッティングセンターに縁がありそうな学生や若いサラリーマンに声を掛けたが、五人連続で「知らないですねぇ」「なかったと思いますよ」と空振りだった。そこで年齢層を若干高めに設定し、三十歳前後の男にアタック。
「あの、すみません」
 サンダル履きで手ぶらという、いかにも地元住民という感じの痩せた男だった。急ぎの用でもあれば申し訳ないと遠慮するところだが、自動販売機の釣り銭口に指を突っ込んでいたところから判断して、超が付くくらい暇であることは間違いない。
「お忙しいところ、すみません」
「なんだよおっさん、嫌味かよ。見ての通り、まったくもってお忙しくねぇよ」
「あ、重ね重ねすみません。この辺りにバッティングセンターがあったと思うんですが、ご存じないですかね?」
 男は鋭い目付きで狩屋を上から下まで見たかと思うと、すぐに相好を崩して「おう『ケンコー』のことだな」と答えた。
 それで狩屋も思い出した。確かそのバッティングセンターは『ケンコーレジャーセンター』という名前だった。すると、趣味の悪い電飾でゴテゴテした黄色い看板が、記憶の奥の方から鮮やかによみがえった。
「そうそう、それです。確かこの辺りですよね」
「へへ、懐かしいな。けど残念、あれは駅の向こう側だよ」
「あ、そうでしたか。街並がすっかり変わってるもんだから、気付きませんでした」
 狩屋は礼を言って駅の方へ向かおうとしたが、男は「行くの?」と、絶対に野球経験はないであろう妙チクリンなバッティングホームを見せた。
「えぇ、まぁ、ストレス発散に」
「いいよなぁ、バッセン」
 改めて男の風体を観察しながら、狩屋は「はぁ」と曖昧に返した。
 三十歳前後にしては若々しい、というか子供っぽいところがある男だった。デザインではなくナチュラルに擦り切れたジーンズに、ヨレヨレのポロシャツ、髪の毛は長くはないが方々へはね散らかし、無精髭もおびただしい。まず、働いているという雰囲気がいっさいない。
 ひょっとしたら面倒臭いタイプの人間に声を掛けてしまったのか。教えた代わりに金を要求されたりするのだろうか。痩せぎすなので力尽くとなれば負ける気はしないが、ポケットの中に危険なものを持っていないとも限らない……。
 あれこれ心配する狩屋を他所に、その痩せた男は「バッセンかぁ……」となにやら考え事をしていた。
「どうも、ありがとうございました」
 狩屋はその隙に、聞こえるか聞こえないかギリギリの声で礼を言い、ペデストリアンデッキに繋がる階段へ小走りで向かった。

 駅の反対側は、完全に再開発から取り残されていた。
 飲食店が入っていたであろうテナントビルの一階には軒並み『貸店舗』の貼り紙がある。
 それでも道路や建物には変化がないので、狩屋は記憶を頼りに『ケンコーレジャーセンター』を目指した。
 道中、やはり見覚えのある商店街を通り掛かったが、そこもシャッターが目立った。
 実は狩屋は『ケンコーレジャーセンター』には、高校時代のある時期に五、六回通ったことがあるだけだ。しかもその理由は、不良のリーダー格の奴から「髪が短くて男っぽい、空手を使う女子中学生を見付けて来い」という滅茶苦茶な命令が下され、『写真もねぇのに見付けられるわけねぇだろ』と思いつつ嫌々通っていただけだ。
 狩屋が住んでいた地元からは自転車で三十分ほど掛かることもあって、その命令が解除されて以降、足を運ぶことはなかった。
 嫌々だったし、名前も忘れていたくらいなのに、狩屋はその『ケンコーレジャーセンター』のことが好きだった。好きと言い切ることが出来るほど明確な感情ではないのかもしれないが、少なくとも気になる場所ではあった。
 小学生から近所の老人まで客の年齢層は幅広く、野球少年やソフトボール女子はもちろん、スーツ姿のサラリーマンもいれば、遊び癖の付いた中高生も大勢いた。ケージでバットを振るのは野球少年とソフトボール女子とストレスを溜めまくったサラリーマンくらいで、大半の人々はゲームに興じたり、うだうだお喋りをしたり。
 暇を持て余した老人達は、ほんの気紛れに小学生達に自販機のうどんやホットサンドなどをおごってやっていた。
 そんな様子を見ながら、高校生の狩屋は友人と一緒に「なんなんだよ、これ」と言いつつも、同時に『なんかいいな、ここ』と感じていた。
 そんな懐かしい感覚を思い出しながら『ケンコーレジャーセンター』に辿り着いたはずだったが、そこには駐車場付きのコンビニエンスストアがあった。
 記憶違いかもしれないと思いコンビニを中心に住宅街を二周してみたが、やはりバッティングセンターは見当たらない。近付けば聞こえるはずの〝カキーン〟〝パコーン〟という音も聞こえなかった。
 やはり『ケンコーレジャーセンター』の跡地が、コンビニになったということのようだった。
 喉の渇きを覚え、狩屋はそのコンビニで発泡酒を一本買った。レジの女性に「ここって、昔はバッセンでした?」と訊ねてみたが、女性は「さぁ」と素っ気なかった。
 それはそうか、店長クラスででもない限り、この土地が元はなんだったのかなど気にする者などいない。
 そう考えて諦めようとした狩屋だったが、隣のレジにいた年輩の男性が「確か、そうですよ」と答えてくれた。
「十年くらい前まで、バッティングセンターだったと聞いてます。ねぇ『笹の屋』のおじさん!」
 男は確認のためか、イートインコーナーに話し掛けた。
 狩屋が目を向けると、出入口脇の奥まった場所にあるカウンターで、小中学生が漫画を回し読みしたり駄菓子を食べたりしていた。その中に混じって、最年少の子の八倍くらい年上の老人がいた。
「この店が出来る前、ここってバッティングセンターだったんだよね!」
 ほとんど怒鳴るような声だった。
 大福を食べていた老人が、口をモグモグさせながら宙を見上げた。つられて回りの小学生数人も、窓の外を見た。
「あぁ『ケンコー』だな」
 老人が答えると、なにが可笑しいのか小学生達がクスクス笑い始めた。何人かは小声で「ケンコーだな」と大袈裟な声真似をしている。
「もう十年になるかい?」
「この店九年目だから、それくらいじゃないかな!」
「そうか。この大福、クリームが入ってるがなにかの間違いではないのか」
「間違いじゃないよ。あんことカスタード入ってる!」
「あまり日持ちしそうにないな。『ケンコー』の管理員はどうしている」
「知らないよ! バッセンとこの店は関係ないもん!」
「なんでなくなったんだ?」
「さぁ、野球人口減ってるし、流行らなくなったんじゃないかな!」
「違う、みたらし団子だ」
「みたらし団子? 今日は売り切れだよ!」
 小学生達の笑い声が、クスクスから大きくなった。
 レジの男は狩屋に向き直って、「だ、そうです」と言った。
 いらない情報が大量に混ざっていたが、とにかくあの『ケンコーレジャーセンター』はもう存在しないらしい。
 道を訊ねたあの男も「懐かしいな」と言っていたので、潰れたことを知らなかったようだ。
 狩屋は「どうも」と礼を言い、かつての駄菓子屋みたいなそのコンビニを後にした。
(第8回につづく)

三羽 省吾Shogo Mitsuba

1968年岡山県生まれ。2002年『太陽がイッパイいっぱい』で小説新潮長編新人賞を受賞しデビュー。06年『厭世フレーバー』、12年『Junk 毒にもなれない裏通りの小悪党』でそれぞれ吉川英治文学新人賞候補。著書に『路地裏ビルヂング』『傍らの人』『Y.M.G.A.暴動有資格者』『ヘダップ!』など。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop