双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 8 回


4(承前)


 さすがに今度は断りづらく、悠太は渋々と腰を下ろした。
 それに、少女には記憶を取り戻せるまでに、いろいろと協力してもらわなければならないので、気を悪くさせたくなかった。
 少女から蛇串を受け取った悠太は眼を閉じ、意を決してかぶりついた。
 蛇の身はササミの弾力が増し、味が濃くなったような感じだった。
 思ったよりも淡泊で食べやすかったが、姿を見てしまうと食欲が減退してしまう。
「ごめん。いまは食欲がないから、もういいよ」
 三分の一ほど食べたところで、悠太は蛇串を少女に返した。
「なんだ? もう、いらないのか?」
 少女は、残りの蛇の身を豪快に食べ始めた。
「お前、名前もわからないのか?」
 蛇串にかぶりつきながら、少女が訊ねてきた。
「あ……うん」
「どこに住んでるとか、親とか、覚えてないのか?」
 悠太は、力なく頷いた。
 ドラマや映画の世界ではなく、自分が記憶喪失になるなど現実感がなかった。
「これから、どうするんだ?」
 あっという間に蛇串を平らげた少女が、棒を火床に放った。
「まずは、自分が何者かを思い出さないと……」
「じゃあ、それまでここにいる気か?」
「それは……」
 悠太は、返事に詰まった。
 これからも、蛇や幼虫を食べさせられると思うとぞっとした。
 そもそも、少女はなぜこんなところに住んでいるのか?
 少女がジイジと呼ぶ男は、誰なのか?
 言葉通り、祖父なのだろうか?
 もしかして、罪を犯し無人島に逃亡しているのかもしれない。
 得体の知れない相手の世話になるのは危険だ。
 だが、自分についての記憶を失っている自分には、土地勘のない島で一人で生きてゆくのは不可能だ。
「ひまわり!」
 背後から聞こえる野太く張りのある声に、悠太は弾かれたように振り返った。
 コーヒー豆さながらの褐色の肌、ちりちりの白い長髪……網を肩に担いだ大柄な老人が、手を振りながら歩み寄ってきた。
 隆起した筋肉の鎧に覆われた肉体は、老人の顔つきからは想像できないほどに逞しく若々しかった。
「ジイジ! 遅かったな!」
 それまでと打って変わって少女が、満面の笑みで立ち上がるとウサギのように跳ねながら老人に駆け寄った。
 どうやら、あの老人が「ジイジ」らしい。
 そして、少女の名前がひまわりだということがわかった。
 いまの言動を見ているだけで、少女が老人を大好きなことが窺える。
「悪かった。大物を狙ってたら、つい、ムキになってしまってな」
「大物ってなんだ?」
「ウツボじゃよ」
 老人が、嬉しそうに破顔した。
「ウツボなんて、マズイぞ!?」
「食べるためじゃない。四メートルほどの大物でな。あんな大きなウツボ、見たことがない。どうしてもお前に見せたかったんだが、逃げられてしまった」
 老人が、残念そうにうなだれた。
「ありがとう。でも、無理するな。四メートルのウツボなんて追ったら危ないだろ」
 ひまわりが、子供を窘めるように言った。
 本当の祖父と孫だろうか?
 そもそも、どうして、こんなところで暮らしているのか?
 やはり、あの老人は犯罪者なのか?
「おや……誰じゃ! 泥棒か!」
 悠太の存在に気づいた老人が少女を押し退け、物凄い勢いで突進してきた。
「ど……泥棒!? ち、違います!」
 逃げようにも、腰が抜けて身体が動かなかった。
 黒い影が、悠太の前に立ちはだかった。
「こいつは悪い奴じゃない」
 少女が、両手を広げ老人に訴えた。
「じゃあ、何者だ?」
 老人が、悠太を指差し少女に訊ねた。
「知らない」
「おい、あんた、どこからきたんじゃ?」
 老人の険しい視線が、悠太に向けられた。
「僕は……」
「なんじゃ? どこからきたんだと、訊いておる!」
 老人の野太い声に、悠太は思わず眼を瞑った。
「……わからないんです」
「わからないじゃと!? あんた、惚けるのもいい加減にせんか!」
「いえ……惚けてなんかいませんっ」
「じゃったら、どこからきたか言わんか!? 言えぬということは、やっぱり泥棒じゃろう!」
 老人が少女を押し退け、悠太の胸倉を掴んだ。
 年によらず、凄い力だった。
「やめろ、ジイジ! こいつは、なにも覚えてないんだよ!」
 少女が、老人を悠太から引き離しながら言った。
「こいつは、記憶喪失なのか?」
 老人が、悠太から少女に視線を移し、頓狂な声で訊ねた。
「浜で倒れてた。ウチがみつけた」
「浜で?」
 少女が頷いた。
「溺れて、この島に流れ着いたのか……」
 老人が、悠太の顔をまじまじとみつめた。
「料理作るか?」
 少女が、老人から網袋を受け取りつつ言った。
 網袋には、四、五匹の魚が入っていた。
 魚の種類はわからないが、縞模様やカラフルな色をしていた。
「今夜は酒だけでいい。内臓は抜いてあるから、木に吊るしておいてくれ」
 少女に言うと、老人が火床の前に胡坐をかいた。
「あんたも座れ」
 老人に促され、悠太は隣に腰を下ろした。
「その恰好を見ると、サラリーマンだったようじゃな?」
 老人の口から、サラリーマン、という言葉が出たのが意外だった。
「この島は、どこですか?」
 悠太は、老人に訊ねた。
 老人なら、なにか手がかりになるようなことを知っているかもしれない。
「一応、東京じゃ。あんた、なんにも思い出せんのか? 名前も、年も、住まいも、家族も、仕事も?」
 悠太は、力なく頷いた。
「見た感じ、ひまわりよりは年上じゃが、まだ、三十にはなっておらんだろう」
「ほら、酒だ」
 少女が、赤紫の液体が入ったペットボトルを老人に渡した。
「それ、なんのお酒ですか?」
「ワインじゃよ。ワインって、わかるか?」
「もちろんです」
「名前とか住んでるとことか全部忘れても、そういうことは覚えとるんだな」
 老人は、茶化したふうではなく真剣な顔で言った。
「どこで買ってくるんですか?」
「人も住んどらんのに、店なんか、あるわけないじゃろう? わしとひまわりで作ってるんじゃよ」
「自分で作れるもんですか!?」
 悠太は、驚きを隠せずに訊ねた。
「ああ、簡単じゃよ。皮ごと潰したぶどうを瓶に詰めて、発酵するのを待てばいいんじゃからな。あんたも、飲んでみろ」
 老人が、キャップを開けたペットボトルを悠太に差し出した。
「このまま、ですか?」
「そうじゃよ」
 当然、といった顔で老人が言った。
 ということは、老人も直接口をつけて飲んでいるのだろう。
 衛生面が気になった。
 それに、ペットボトルも落ちているものを拾ったに違いない。
 躊躇している悠太を、老人と少女が訝しげな眼で見ていた。
 雑菌が混じっていたとしても、アルコールが消毒してくれるだろう――悠太は、己に言い聞かせた。
 悠太は眼を瞑り、両手に持ったペットボトルに口をつけて傾けた。
 生温く甘い液体が、口内に広がった。
 アルコール度数はそんなに高くなさそうで、磨り潰したぶどうのジュースといった感じだった。
 だが、しばらくすると、胃の中が燃えるように熱くなり、頬が火照った。
 口当たりがいいだけで、アルコール度数は意外に高いのかもしれなかった。
「どうじゃ? うまかろう?」
 老人が、少年のように瞳を輝かせた。
「あ、ええ、はい……」
 決して美味しくはなかったが、老人の無垢な瞳を見ていると本当のことは言えなかった。
 ただ、自分がお酒を飲める人間だということはわかった。
「遠慮せんでもいいから、もっと、飲め。まだ、何本もあるから」
「ありがとうございます」
 老人に勧められるがまま、二口、三口と飲んだ。
 だが、一口の量は少なくしていた。
 まだ、完全に安心したわけではない。
 老人と少女は、犯罪を繰り返しながら無人島を転々としている可能性もあった。
 もしかしたら、海に落ちた自分を少女が助けたのも、老人に命じられてのことなのかもしれなかった。
 無闇に人を疑うのはよくないが、記憶がない以上、すべてを疑ってかかる必要がある。
「あの、どうして、ここに住んでるんですか?」
 悠太は、一番の疑問を口にした。
「なんでこんな無人島に、とでも言いたいような顔をしとるな?」
 老人が、悠太の心を見透かしたように言った。
「食うか?」
 いつの間にか隣に座っていた少女が、竹の器を差し出してきた。
 また幼虫か? と思ったが、中には何種類かのナッツが入っていた。
「いただきます」
 悠太は、カシューナッツのような形をした木の実を口に入れた。
 この島で飲み食いしたものの中で、一番美味しかった。
「まあ、わしらにもいろいろとわけがあってな。あんたが、もっと長くここにいて信頼関係ができたら、おいおい話すかもしれん」
 老人は悠太からペットボトルを奪い、豪快にラッパ飲みした。
 無人島で生活しているせいか、二人とも言動や仕草が野生動物のようだった。
 少女は、ナッツが入ったのと別の竹の器で水を飲んでいた。
「ひまわりは、未成年じゃからな」
 悠太の視線に気づいたのか、唐突に、老人が言った。
「いくつなんですか?」
 悠太は訊ねた。
「十八じゃ。変な気を起こしたら、殺すからの」
 さらっとした口調だったが、老人の眼は笑っていなかった。
「そ、そんなこと……あるわけないじゃないですか」
 恐怖に、悠太はしどろもどろになった。
 やはり、この老人はただ者ではない。
「冗談じゃよ。本気にしたか?」
 老人が、皺だらけの顔をさらに皺くちゃにして笑った。
 悠太は、笑えなかった。
 少なくとも、さっきの眼が冗談とは思えなかった。
 この二人には、普通に生活できない重大な秘密があるはずだ。
 そうでなければ、無人島生活をしている理由を話せないわけがなかった。
「君はこの島以外で、生活したことはないの?」
 悠太は、少女に質問してみた。
 老人が答えないなら、少女から情報を引き出すしかない。
「ない。東京って、どんなところなんだろう」
 不意に、少女が独りごちた。
「東京なんて、ケダモノの集まりじゃて行くもんじゃない。あんたも、余計なことを言わないでくれんかねっ」
 老人が、強い口調で悠太に抗議した。
「ごめんなさい……」
 悠太は、素直に謝った。
 予想は、当たっていたのかもしれない……。
 悠太の胸の内では、不吉な予感が確信に変わりつつあった。

(第9回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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