双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち(新堂冬樹)

第 55 回

5

「ねえねえ、このインスタ見てよ! ひどくない?」
 自由が丘のカフェ「モンサンミッシェル」――雪美の正面に座った真央が、スマートフォンをテーブルに置いた。
「出た! 希のインスタ!」
 雪美の隣の席……あゆむが、ディスプレイを顰めっ面で見た。
「朝寝坊して、スッピンでジムにきてまーす、だってさ。なにがスッピンよ。ファンデやアイラインをしっかり決めて、カラコンまでつけてるくせに」
 真央が、眉間に嫌悪感を刻み吐き捨てた。
「あ〜あ〜、本当だ。希、また、やらかしてる。イタイっていうのがわからないのかな? ねえ、雪美はどう思う?」
 あゆむが、スマートフォンを雪美の前に滑らせた。
 真央、あゆむ、希は雪美の大学の同級生だ。
 希は今年のミスキャンパスに選ばれた美貌の持ち主で、大手芸能プロに所属も決まっているらしい。
 ここ数日、雪美は、真央とあゆむと大学近くの「モンサンミッシェル」でお茶をしていることが多かった。
 二人の話題は決まって、希の悪口だ。
 正直、希自身も陰口を叩かれる原因を作っている。
 だが、二人がここまで希に拘るのは妬みもあるのかもしれなかった。
 雪美は特別に二人と仲がいいわけではないが、積極的に行動をともにしていた。
 以前から親しかった者達は、雪美の忘れたい記憶も知っている。
 だから、敢えて親しくしていなかった者達と交流するようにしていた。
 新しい世界に足を踏み出すために……彼のいない道をしっかり歩いて行けるように。
「どう思うって?」
 雪美は、アイスティーをストローで吸い上げつつ窓の外に眼をやった。
 腕を組み愉しげに会話しながら歩くカップルから視線を逸らした。
「希のことに決まってるじゃない。手料理作り過ぎちゃいました〜、とか、犬は家族で私の命です〜、とか、好感度を意識した写真ばかりアップしてさ」
「ほんと、わざとらしい女! 手料理とか言ってるけど、母親に作って貰ってるに決まってるし、犬の世話も家族任せで放りっぱなしのはずよ。自分をよく見せるためなら、大嘘を平気で吐く女ってこと」
 あゆむの言葉に続き、真央が毒づいた。
「彼女、芸能事務所に所属するらしいから、イメージ戦略とかなんとかいろいろマネージャーに言われてるのかもよ」
 雪美が言うと、ありえない、とばかりに二人が同時に顔前で手を振った。
 自分の意見が受け入れられようが受け入れられまいが、どちらでもよかった。
 どうでもいい会話を親しくもない相手と交わしながら、時が過ぎるのを待つ。
 そうやって無為な時間を過ごしているうちに、雪美の心から彼が完全に消えてくれるはずだ。
「希の彼氏って、四十近いIT長者だって知ってた?」
 真央が、瞳を爛々と輝かせつつ言った。
「知ってる知ってる、男をお金で選ぶなんてあの子らしいわ。ところで、雪美って彼氏いるんだっけ?」
 突然、あゆむが話題を変えて雪美に視線を移した。
「そう言えば、雪美のそういう話、聞いたことないよね。雪美ってそれだけのルックスしてるんだから、当然、いるでしょ? ねえねえ、彼氏はなにやってる人? 大学生?」
 真央が身を乗り出し、興味津々の表情で言った。
「そんな人、いないよ」
 雪美は、感情の揺れを悟られぬように平静を装い言った。
「またまた〜。隠さなくてもいいって! 雪美みたいなかわいい子を、男達が放っておくわけないじゃない。やっぱり、セレブ?」
 あゆむが、真央に続いた。
「本当に、彼氏なんていないよ」
 雪美は、強張りそうになる頬の筋肉を従わせ二人に微笑んで見せた。
「隠すなんて、怪しいな〜。まさか、希と同じパターンじゃないよね? お金もあるけど加齢臭もあるってやつ?」
 真央の瞳が輝きを増した。
「そんなわけ……」
「そんなわけないでしょう?」
 雪美を遮る声――嫌な予感がした。
 雪美は、怖々と声のするほうを振り返った。
 小顔を際立たせるベリーショートに大きな瞳……杏樹が、真央の隣に座った。
 店に入ってきたときには見当たらなかったので、トイレにでも入っていたのだろう。
 杏樹は、雪美が親しくしていた友人の一人だった。
「雪美の彼は、旅行代理店に勤める誠実な青年なんだから。希みたいにお金目的でおじさんとつき合うのと一緒にしないでくれる?」
 杏樹に悪気がないのはわかっていたが、生々しい傷口に爪を立てられたような気分になった。
「えっ、マジで!? 雪美、旅行代理店の彼がいるんだ? ねえねえ、彼氏ってイケメン?」
 真央が、身を乗り出した。
「超イケメンだよ!」
 雪美の代わりに、杏樹が言った。
 杏樹が旅行の計画を立てているときに、「ドリームサポート」を紹介したのは雪美だった。
 雪美の記憶では、打ち合わせで悠太と杏樹は二、三度会っている。
「えーっ、いいなー。芸能人だと誰に似てる? 『ナチュラルボーイ』のモデル系? それとも『トリプルプリンス』みたいな王子様系?」
 今度は、あゆむが身を乗り出した。
「あ〜、そういうキラキラ系じゃなくて、地味な感じのイケメン」
 また、杏樹が代弁した。
 悠太の話題は、いまの雪美にとって一番避けたいものだった。
「なにそれ? その説明じゃよくわかんない……あ、そうだ! 雪美、彼氏の写真見せてよ!」
 真央が、名案を思いついたとでもいうように胸前で手を叩いた。
「えっ……」
 突然の予期せぬ展開に、雪美は返事に窮した。
「写真くらい持ってるでしょ? 早く早く」
 あゆむが急かしてきた。
 スマートフォンには、悠太の写真がストックされていた。
 何度か削除しようとしたが、なにかと理由をつけて後回しにしていたのだ。
 写真を消せないのは、未練からでないと言えば嘘になる。
 だが、縒りを戻せると思っているわけではなかった。
 いや、たとえ悠太がそれを望んでも雪美は拒否するだろう。
 美しい記憶として、残しておきたかった。
 思い出くらい抱くことは、許されるはずだ。
 思い出くらい抱いても、誰にも迷惑をかけることはない。
 残りの人生が半世紀あろうとも、雪美は思い出だけで生きてゆける。
 それほど悠太を……。
「雪美、見せてあげれば?」
 杏樹が、雪美を促した。
「ごめん、私、用事を思い出しちゃった。写真は、今度ね」
「え……」
「ちょっと……」
 雪美は立ち上がり、千円札をテーブルに置くと逃げるように店を出た。
 走った……走った……走った……。
 心に蘇る悠太の優しい笑顔を振り切るように、雪美は全力で走った。
 思い出を消さないことと、思い出すことは違う。
 数十年後に掘り起こすタイムカプセルのように、自分だけが知る場所に存在してくれれば十分だ。
 雪美は足を止め、激しく肩を上下させた。
 トートバッグの中で、スマートフォンが震えた。
 ディスプレイには、菊池の名前が表示されていた。
「もしもし?」
『突然で悪いんですけど、いまから会えますか?』
「え……会えるけど、どうしたの?」
『会ってから話します。いまから、先輩の実家に来てほしいんですが……』
「悠ちゃんの実家に!?」
 雪美は、素頓狂な声で訊ねた。
『ええ』
「どうして? 私はもう……」
『お願いします。会ってから、理由を話しますから』
 菊池の、切羽詰まった声が気になった。
 もしかしたら、悠太がきているのかもしれない。
 人の好い菊池なら、情に流され先輩のために一肌脱ぐ可能性は十分に考えられる。
 だが、いまの雪美にとって菊池の善意は悪意に等しい意味を持つ。
「ごめんなさい。行けないわ」
 雪美は、きっぱりと言った。
『ひまわりさんがきています』
 終話ボタンを押そうとした指先を、雪美は宙で止めた。
「え……? いま、なんて言ったの?」
『ひまわりさんが、先輩の実家にきています』
「……どうして、彼女が?」
『それは、自分で聞いてください。とにかく、待ってますから』
 菊池は一方的に告げると、電話を切った。
 なぜ、ひまわりが悠太の実家に?
 雪美は思考を止めた。
 考えても無意味なことだった。
 自分には、関係がない……。
 本当に、そうだろうか?
 新しい世界に足を踏み出すためには、ちゃんと向き合わなければならない相手ではないのか?
 ひまわりを避けるのは、悠太に拘っている証拠だ。
 いつまでも悠太のことを引き摺るくらいなら、嘘まで吐いて別れることもなかった。
 雪美は、自由が丘駅のある右手に首を巡らせた。
 自分の選択に後悔しないためにも……。
 束の間、逡巡したあと、雪美は駅に向かって足を踏み出した。
(第56回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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