双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 5 回


3


 羽田空港から四十分とは思えない別世界が、悠太の視界に広がっていた。
 街路樹として植えられている椰子の木、江戸時代に流刑人が作ったという玉石垣、赤、白、ピンク、マゼンタの色鮮やかに咲き誇るブーゲンビリア、正面に広がる海……悠太は、大飛鳥島の南国の雰囲気に満ち溢れる風景に心洗われる思いだった。
 悠太は、土産物店、地元の新鮮な魚を使った干物食堂、赤酢の江戸前のシャリが絶品の寿司店、明日葉を練り込んだこしの強さが売りのうどん店、濃厚な魚介豚骨スープが病みつきになるラーメン店、古民家を利用した瀟洒な喫茶店を、次々にスマートフォンにメモした。
 営業時間はもちろんのこと、その店の売りはなにか?  駐車場の有無、何台停められるか? 混雑していない時間帯はいつか? など、チェック事項は山とある。
 ツアーコンダクターとしてだけでなく、ツアーガイドもこなさなければならないので観光地の情報を頭に叩き込んでおくことは必須だ。
 ツアー客を誘導し、スケジュールを管理して、トラブルがないように旅を円滑に進めるのがコンダクターで、現地の観光スポットや飲食店の情報をツアー客に速やかに提供するのがガイドの仕事だ。
 コンダクターとガイドは混同されがちだが、それぞれ役割が違うので大手の旅行会社はツアー時に最低でも一人ずつは付けている。
 しかし、「ドリームサポート」のような零細企業はスタッフが足りないので、悠太が一人二役を買って出ているというわけだ。
 飲食店のチェック時に気をつけることは、できるだけバラエティに富んだ店を頭に入れておくということだ。
 食の好みは様々なので、ツアー客がどんなリクエストを出しても応えられるようにするのがガイドの役目だ。
 リクエストに応えなければならないのは、飲食ばかりではない。
 ゴルフ、ダイビング、シュノーケリング、乗馬、教会や寺院巡り、博物館巡り……ツアー客に最高の時間を提供するために、情報収集は怠れない。
「二十四時間営業のコンビニはなくて、年中無休のスーパーが……」
 港の手前で足を止め、悠太はメモ機能のキーをタップした。
 都会に住んでいる人は、半径百メートル以内にコンビニエンスストアが三、四軒ある環境は珍しくなく、不便に思うかもしれない。
「星川先輩!」
 聞き覚えのある声が、悠太の名前を呼んだ。
 逞しい上半身に陽灼けした顔、コントラストをなす白い歯……洋が、少年のように大きく手を振りながら駆け寄ってきた。
「よお、ひさしぶり!」
 悠太も負けずに、大きく手を振った。
「すみません……バタバタしていて、空港まで迎えに行けなくて……」
 洋が息を切らしながら、申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていいよ。店とか宿とかチェックするのに、自分で移動したほうが都合がいいからさ」
「嘘でも、そう言って貰えると助かります」
「嘘じゃないって。ほら」
 悠太は、観光スポットと様々な店の情報がびっしりと打ち込まれているスマートフォンを洋の前に翳した。
「わおっ! さすが、ミスター何でも屋ですね」
 洋が、大袈裟に眼を見開き茶化すように言った。
「仕方ないだろう。お前んとこの会社みたいに、人数がいないんだからさ」
 悠太は、肩を竦めてみせた。
 洋は、悠太の大学時代の一年後輩で同じ旅行業界でツアーガイドをやっている。
 同業者といっても、洋の勤める「現代日本ツーリスト」は全国に事業所が百五十店舗、社員数千六百人の大手だ。
 観光地にたいしてのコネクションも「ドリームサポート」とは比べ物にならず、洋には事あるごとに助けて貰っていた。
 今回は、大飛鳥島から飛鳥島に行く渡船の手配をして貰ったのだ。
 観光客用の船で飛鳥島に行く便はないので視察はできない。
 むろん、ただではない。
 かといって、キックバックを渡しているわけでもないし、会社にそんな余裕もない。
 悠太が視察した観光地の情報を共有する……それが、洋への謝礼だった。
「もう、スタンバイしてくれているので、とりあえず行きましょう。ウチの会社で大飛鳥島のツアーパッケージのときに、いつもお願いしている漁師さんなのでいろいろとやってくれると思います」
「悪いな、いつも」
「いえいえ、先輩には学生時代からお世話になりっぱなしですから」
 洋が、海の方に悠太を促しながら言った。
 大学時代、悠太は奥手の洋が同じ学部の好きな女子に送るメールの文面を添削したり、体格がほぼ同じなので新品同様の服をあげたりと、実の弟のように面倒をみていた。
「先輩、今回の飛鳥島の視察ポイントは、やはり潮流っすか?」
 洋が訊ねてきた。
 飛鳥島は黒潮の影響で潮流が速く、少しの天候の変化で休航になってしまうのでツアーには向いてないと旅行会社からは敬遠されていた。
 だが、飛鳥島は火山噴火と地震で全住民が離島する十八年前までは、人口百人ほどの有人島だった。
 再噴火の可能性があるので生活するのは無理だが、ツアーなら十分にイケるというのが悠太の判断だった。
 潮流に関しては、実際に行ってみないことにはわからない。
 悠太は何事も、自分の眼で見て判断するタイプだった。
「そうだな。潮の速さがどの程度なのかだな。噂通りに、少し荒れた程度で休航になるんじゃ商品にならないしな。でも、もしかしたら、船のサイズや渡航経路を変えることで対応可能かもしれないだろ?」
「その前向きさを、少しわけてほしいっすよ」
「まあ、ウチらみたいなは、大手が手を出さないような穴場を発掘しなければやってゆけないからさ」
 本当だった。
 資金力と人手に勝る大手旅行会社に対抗するには、アイディアしかなかった。
「肝に銘じます」
「お前のとこは大資本だから、変化球を投げなくても直球勝負でいけるから大丈夫だよ」
「そうでもないっすよ。ネットが普及してからお客さんが簡単に価格比較できるようになって、苦戦続きですよ。世の中、便利になり過ぎるのも善し悪しですね」
 洋が、渋面を作った。
 たしかに、インターネットが普及してからは信じられないような価格設定でツアーパッケージを提供するところも出てきたので、大手の旅行会社も殿様商売では生き残れなくなった。
「あ、もうそろそろっす。ほら、あの人っす」
 洋が指差す先……約十メートル先の港で、手を振っている男性がいた。
「ご紹介します。こちら、大飛鳥島で漁師をやっている江藤さん、こちら、東京の『ドリームサポート』という旅行会社の星川さんです」
「はじめまして。『ドリームサポート』の星川です。このたびは、無理を聞いて頂きありがとうございます」
 悠太は名刺を両手に持って差し出しながら、頭を下げた。
「菊池さんには、お世話になってるからよ。それに、お得意さんが増えるなら、俺らも嬉しいよ」
 江藤が、陽灼け顔とコントラストをなす白い歯を覗かせ豪快に笑った。
 ごま塩坊主に猪首……江藤は、島の漁師のイメージを裏切らない容姿をしていた。
「ま、とりあえず、中に入ろうや」
 江藤に促され、悠太と洋は「大飛鳥島案内所」と書かれた建物に入った。
 こぢんまりとした建物の中は、喫茶店と土産物店が一軒ずつ入っており、あとはバスの待合所さながらに長椅子が設置されているだけの簡素な空間だった。
「ここでいいか?」
 江藤が、大きなガラス窓の前の長椅子に座るとハイライトをくわえた。
 悠太と洋は、江藤に並んで座った。
 目の前には、「飛鳥港」が広がっていた。
「今日の天気は?」
 無骨な指先で摘まんだハイライトを口もとに運びつつ、唐突に江藤が訊ねてきた。
「晴れ……ですよね?」
「晴れのち曇りだ」
 すかさず、江藤が言った。
「はぁ……」
 悠太は、怪訝な顔で江藤をみつめた。
「わからんのか? もうすぐ天気が崩れるっていうことだ」
 まったりとした紫煙を口と鼻から出しながら、江藤が言った。
「あの……それって、もしかして?」
 悠太の胸に、嫌な予感が広がった。
「遠いところからきて貰って悪いんだけどよ、今日は船を出さねえほうがいいな」
 嫌な予感が当たった。
「えっ……どうしてですか!? いまは、晴れてますよ!?」
「いまは、だ。海の天候は変わりやすい。この青空が一瞬にして、灰色になるのは珍しくない。知っての通り、このへんは黒潮の影響で波が荒い。少しの西風で、すぐに時化っちまう。無人島は逃げはしねえんだから、明日にしようや」
 江藤が、呑気な口調で悠太の肩を叩いた。
 企画会議は四日後だ。
 今日、明日中に飛鳥島の視察を終え、「ロビンソン・クルーソー☆ツアー」の企画書を作成しなければ間に合わない。
 次の企画会議は一ヶ月後なので、どうしても今回の会議に間に合わせたかった。
「だけど、こんなに晴れてるんですから、大丈夫でしょう? いまからすぐに出れば、飛鳥島まで三十分もあれば着きますよ」
 縋る思いで、悠太は訊ねた。
「たしかに、あんたを飛鳥島に運んで帰ってくるまでに天候が変化する可能性は低い。また、変化したところで、時化になるとは決まってない。確率で言えば、十パーセントにも満たないだろうな」
「だったら、大丈夫……」
「あんたらは漁師というと、命知らずみたいに思っているんだろう。だがな、俺ら漁師は可能性がゼロじゃないかぎり、安全策を取りたい生き物だ。ましてや、今回は、よそ様を船に乗せるんだから、いつも以上に慎重に判断するのはあたりまえよ」
 悠太を遮り、江藤が言うとハイライトの吸い差しを灰皿に捩じりつけた。
「お気遣いには、感謝します。ですが、今日、飛鳥島に渡らないと企画会議に間に合わないんですっ」
 悠太は、懸命に訴えた。
「企画会議と命と、どっちが大事なんだよ?」
「でも、時化る可能性は十パーセントもないんですよね?」
「ああ、だが、一パーセントにも満たないときに船を出したほうが安全だろう?」
 頑なな江藤を、責めることはできない。
 自分の身を案じ、万が一のことを考えてくれているのだ。
 日程に余裕があるときならば、悠太も受け入れた。
 次の企画会議に出すという選択肢もある。
 だが、今回の会議を逃せば、他社に飛鳥島のツアー企画を実現されてしまいそうな気がしてならなかった。
 根拠はないが、悠太のこういった「虫の報せ」はよく当たった。
「江藤さんのおっしゃることは、よくわかります。ですが、用心のために、というレベルならお願いします! どうしても、今日でなければだめなんですっ」
 悠太は、必死に訴え続けた。
「困った人だな……菊池さんのほうからも、なんとか言ってくれよ」
 江藤が、洋に助けを求めた。
「おやっさん、今日の波高や風速が欠航基準に達してるから、そう言ってるの?」
「いいや。だがな、もともと俺らは気象庁の予報なんてあてにしちゃいねえ。あんたら、観天望気って知ってるか?」
「観天望気……ああ、カエルが鳴くと雨が降るとか、夕焼けになれば明日は晴れとかいう諺みたいなやつですね?」
「そうだ。地元の海のことは、地元の漁師が一番よくわかってるってもんだ。ほれ、あれを見てみろ」
 江藤が、ガラス窓越しに飛鳥島の方角を指差した。
「島に、靄がかかってるだろう? ああいうときは、西風が強くなって天気が崩れる予兆なんだ」
「どのくらいあとからですか?」
 悠太は、堪らず口を挟んだ。
「さあな、三十分後かもしれねえし、五時間後かもしれねえし」
 江藤が、二本目のハイライトに火をつけながら肩を竦めた。
「飛鳥島までは、三十分で到着します。江藤さんの言うように最短の三十分後くらいから天気が崩れ始めたとしても、その頃にはもう到着しているか島の近辺にいます」
「まあ、たしかにそうだが、あんたはよくても俺はどうするんだ? 引き返せなくなるじゃねえか?」
「そのときは諦めて、一緒に泊まるっていうのはどうですか?」
 悠太は、思わず口にしていた。
「兄ちゃん、それ、本気で言ってんのか?」
 江藤が、悠太を見据え押し殺した声で言った。
 早くも後悔した。
 どうやら、江藤を怒らせてしまったようだ。
 彼にも家族はあるだろうし、発言が不用意過ぎた。
「あ、そういう意味じゃ……」
「念書、書けるか?」
 悠太を遮り、江藤が訊ねてきた。
「え?」
「念書だよ。あんたの身になにが起こっても仕方がないっていうことを認めた覚書だ」
「あ……ああ、バンジージャンプとかをする前に書くようなやつですね? わかりました。それで船を出して頂けるなら、喜んでサインします!」
「馬鹿! 喜んでなんて言うな! 俺の命もかかってんだよ!」
 江藤の一喝に驚き、悠太の尻が跳ね上がった。
「よかったっすね、星川先輩」
 洋が、親指を立てながら微笑んだ。
「本当に、ありがとうございます」
「書類取ってくるからよ」
 悠太が礼を述べると、ぶっきら棒に言い残し江藤が腰を上げた。
 口は悪いが、江藤の温かさに悠太は感謝した。


(第6回につづく)

バックナンバー

新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop