双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 4 回


2(承前)


「どうして笑ってるんですか?」
 恵梨香が、怪訝な顔を悠太に向けていた。
「いや、ごめんごめん。雪美はね、控えめって言葉が日本一似合わない女性なんだよ」
 悠太は、笑いながら言った。
「え!? じゃあ、でしゃばりなんですか?」
「でしゃばりっていうのとも違うな。なんだろう……強いて言うなら、物怖じしない、って感じかな」
「ニヤニヤニヤニヤ……お前、幸せオーラを撒き散らし過ぎだぞ!」
 佐竹が、悠太を睨みつけた。
 雪美のことを思い浮かべると、つい、口元が綻んでしまう。
「星川さんにそんなに愛されているなんて……彼女さんは、どんな方なんですか?」
 恵梨香の瞳は、好奇心に輝いていた。
「総資産数百億の『堀越ビルグループ』のオーナー令嬢で、超美人で、頭も性格もいい完璧な女性だよっ、ちくしょう! なんでお前だけ幸せなんだよ!」
 横から割って入ってきた佐竹が勝手な雪美像を代弁し、悠太に八つ当たりした。
「そんなハリウッドセレブみたいな、完璧な女性がいるんですか!?」
 恵梨香が、裏返った声で言った。
「いるんだよ、それが! 俺がわからないのは、完璧美女の雪美ちゃんがどうしてこいつなんかを選んだのか? っつーことなんだよ。わかるっ!? このやり切れない気持ちが、この不完全燃焼な気持ちが、この残尿感が……」
「えー、でも、星川さんはさわやか系のイケメンだし、背も高くて優しいし、雪美さんって人とお似合いだと思いますけど? 少なくとも、誰かさんよりはね」
 恵梨香が、ニヤニヤしながら佐竹を見た。
「お前は、なーんにもわかっちゃいない。たしかに、星川は人よりちょっと顔がいいし、人よりちょっと背が高いし、人よりちょっと性格がいいかもしれない。だけどな、その程度の男は世の中にごまんといる。第一、こいつは旅行代理店勤めの安月給だぞ!? 雪美ちゃんほどのセレブ令嬢なら、一流野球選手やら売れっ子俳優やら、より取り見取りなのにさ!」
「佐竹さんって、収入や肩書で人を判断するんですね~。なんか、引いちゃいます」
 恵梨香が、眼を細め佐竹を蔑視した。
「なんだよ、俺は真実を語ってるだけなのに! もしかして、星川に気があるとか!?」
「な、なにを言ってるんですか!? そ、そんなわけないじゃないですか!? だいたい、私は略奪愛とか不倫とか、そういうこと嫌いなんです。もし、星川さんがフリーなら話は別かもしれないですけど……あ、違う違う! そういう意味じゃないですからね!」
 恵梨香が、頬を赤らめ顔の前で手を振った。
「あ! 図星じゃん!? それに、星川は結婚しているわけじゃないから、恵梨香ちゃんがつき合っても不倫にはならないよ」
 佐竹が、悪戯っぽい口調で言った。
「そっか、結婚してるわけじゃないから不倫には……って、そんなわけないでしょ!」
「来年には結婚するんだから、私の王子様に色目使わないでよ」
「だから、色目なんて……えっ!?」
 恵梨香と同時に、悠太と佐竹もフロアに顔を向けた。
 接客カウンターの向こう側……ドア口に、雪美が腕組みをして仁王立ちしていた。
 白のスキニーパンツにパンプス、プチハイネックのインナーにミルクティーカラーのカーディガン――今日のコーディネートは、モデル並みの雪美のスタイルのよさを際立たせていた。
「狭い店なんだから気をつけないと、フロアに筒抜けよ」
 雪美が悠太に言いながら、カウンターに歩み寄ってきた。
「どうしたの? 大学は?」
 悠太はデスクチェアから立ち上がり、カウンターに移動した。
「今日の講義は午後から顔を出すの。旅行の打ち合わせをしておこうと思ってさ」
「おはよ~、雪美ちゃん。ひさしぶりだね。いや、しかし……美しさによりいっそう、磨きがかかったね」
 頬肉を弛緩させた佐竹が、悠太の横に立った。
「お世辞を言ってもだめよ。ずいぶん、好き勝手なことを言ってたじゃない? ええっと、なんだっけ……悠ちゃんは人よりちょっと顔がいいし、人よりちょっと背が高いし、人よりちょっと性格がいいかもしれないだっけ? ほかには、なにを言ってた? 私に相応しいのは、一流野球選手? 売れっ子俳優? より取り見取り? そんな感じのことを言ってたよね?」
「あ……全部聞いちゃってた?」
 佐竹が、バツが悪そうな顔をして頭を掻いた。
「佐竹君には、私が愛をお金の力で計る女に見えるんだ? そんなに、打算的な女に見えるんだ?」
 雪美が、佐竹に詰め寄った。
「い、いや……そんな意味で言ったんじゃないよ。ほら、俺はただ、雪美ちゃんほどの家柄と美貌のある子が、星川みたいな釣り合わない男とつき合うのはもったいないって……」
「世界のどこを探しても、悠ちゃんほど私に相応しい男性はいない……いいえ、私が悠ちゃんに相応しい女性になるよう努力中なんだから。わかった? 肥満児君!」
 雪美は佐竹を遮り言うと、ケタケタと笑った。
 この悪戯っ子のようなギャップも、悠太が雪美を気に入っているところだった。
「肥満児君って……ひどいよ……」
 佐竹が半べそ顔で言うと、雪美の笑い声に拍車がかかった。
「それウケます! 雪美さんって、面白い人ですね。イメージと、全然違いました。あ、はじめまして、私、小杉恵梨香って言います。星川さんには、いつも仕事でお世話になってます」
 恵梨香が、雪美に笑顔で挨拶した。
「はじめまして、堀越雪美よ。悠ちゃんの婚約者。ところで、私はどんなイメージだったの?」
 興味津々の表情で、雪美が恵梨香に訊ねた。
「おしとやかで、上品で、セレブオーラが溢れていて……」
「あら、それじゃ私が、おしとやかさも、上品さも、セレブオーラもないみたいな言いかたね」
「あ……いえ……そういうわけじゃなくて……」
 雪美が軽く睨みつけると、恵梨香がしどろもどろになった。
「冗談よ、冗談。それは私にとって、最高の褒め言葉よ」
 一転して、雪美が破顔した。
「よかった……寿命が縮まっちゃいました」
 タイミングを見計らったように、二組の客が入ってきた。
「今度、みんなで食事にでも行きましょうね」
 雪美に笑顔を残し、恵梨香が接客に向かった。
「じゃあ、俺も」
 佐竹はもう一組の接客に向かった。
「ようやく、邪魔者がいなくなったわね」 
 雪美が屈託のない笑顔で言うと、カウンターにパンフレットを置いた。
「ウチのパンフレットじゃないか。スイス?」
 悠太は、雪美の正面に腰を下ろしパンフレットを手に取った。
 恵梨香と佐竹は悠太の両サイドでそれぞれカップル客の要望を聞いていた。
「うん。婚前旅行、スイスに行かない?」
「この前はスイスのスの字も出なかったのに、急にどうしたの?」
「テレビでスイスの特集をやってて、ルツェルンってところが凄く印象に残っちゃった。夜に、湖の畔の教会で月明りを受けた白鳥の番が寄り添いながら羽を休めている光景に鳥肌が立ったの!」
 番組内容を思い出しているのだろう、雪美が興奮気味に言った。
「でも、僕らが行ったときに、月明りを受けた白鳥が教会の前で寄り添って羽を休めているとはかぎらないよ?」
 悠太は、茶化すように言った。
「え? そうなの? 私、ルツェルンに行けばいつでも同じようなシーンを見られるかと思っちゃった」
 無邪気な表情で、雪美が言った。
「運がよければね。だけど、白鳥が見られなくてもスイスはいいところだよ。ルツェルン以外にも、アルプスを望むグリンデルワルトとか近代と中世の両面の顔を持つチューリヒとか、見どころ満載だし」
「もしかして悠ちゃん、私がいいって言ったから、無理して合わせてくれてる?」
 雪美が窺うように、悠太の顔を覗き込んだ。
「じつは、君に言うの初めてなんだけど、僕が仕事抜きで住みたい海外ナンバー1はスイスなんだよ」
 嘘ではなかった。
「ドリームサポート」に入社して最初にガイドとして行った国がスイスで、根拠もなく前世はスイス人だったのではないかという馬鹿げた錯覚に襲われるほどに馴染んだ。
 話したことがないのに、婚前旅行の候補地として雪美がスイスの名前を口にしたのには運命を感じた。
「えー、どうして言ってくれなかったの? なんか、疎外感!」
 雪美が、拗ねたように頬を膨らませた。
「そんなんじゃないさ。別に、深い意味はないよ。なんとなく、言う機会がなかっただけの話さ。それより、来週の誕生日、七時に店を予約してあるから空けておいてくれよ」
「もちろん! 悠ちゃんと誕生日を祝うよりも優先することなんてないわ。悠ちゃんのほうこそ、大丈夫?」
「大丈夫だけど、なんで?」
「前日まで、伊豆諸島の無人島に行ってるんじゃなかったっけ?」
「ああ、君の誕生日の前日の昼には都内に戻ってきているから問題ないよ」
 来週、悠太は「ロビンソン・クルーソー☆ツアー」の視察のために伊豆諸島の無人島に一泊する予定だった。
 国内の視察は日帰りが多いが、ツアー客が無人島に宿泊する以上、泊まってみなければわからない問題点もあると考えたのだ。
 ツアー地が都市ならばまだしも無人島なので、夜になるとどんなアクシデントが起こるかわからない。
 旅行代理店にとって一番怖いのは、旅先でのトラブルだ。
 あそこのツアーでこれだけ被害が出たとの噂が広がるだけで、命取りになる業界だ。
 この仕事でなにより大事なことは、一にも二にも信用だ。
「アクシデントで戻ってこられないとかない?」
 迷子になった子犬のように、雪美の瞳が不安げに揺れていた。
 強気と陽気の間に生まれたような天真爛漫な雪美だったが、誰よりも繊細で気弱な部分があるということを悠太は知っていた。
「たとえ船が転覆しても、泳いで東京に戻ってくるさ」
 悠太は微笑み、さりげなく上着の胸のあたりを手で押さえた。
 上着のポケットには、悠太と雪美のイニシャルを彫るために業者に出していた婚約指輪の引換券が入っていた。
 雪美には婚約指輪を買ったことを内緒にしていたが、今日の仕事終わりに取りに行くつもりだった。
 雪美の誕生日の夜、悠太は改めて正式にプロポーズすると決めていた。
「いや!」
 唐突に、雪美がカウンターチェアから立ち上がった。
 両サイドのカップル客と佐竹、恵梨香の驚いたような視線が雪美に集まった。
「どうしたの?」
「冗談でも……言わないで。船が転覆するだなんて……冗談でも口にしないでっ。無人島の視察に行くって聞いてから、私がどれだけ心配してると思ってるの……」
 唇を噛み締め瞳にうっすらと涙を浮かべる雪美に、悠太は言葉を返すこともできなかった。
 彼女の涙を見たのは、出会ってから初めてだった。
 驚くと同時に、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになった。
 雪美の胸に秘めた自分への激情に、心が震えた。
 いつも明るく勝気に振舞っている雪美は、誰にも弱い姿は見せずに孤独の中で不安と闘っていたのだ。
「雪ちゃん、ごめん……」
 それだけ言うのが、やっとだった。
 不意に、雪美が小指を宙に掲げた。
「約束して。生涯、たとえ一分でも私を不安にさせないって……」
 濡れた睫毛の奥の瞳……呆れるほど純粋な瞳が悠太をみつめた。
「約束する。たとえ一秒でも君を不安にさせないって」
 悠太は、雪美の細く折れそうな小指に小指を絡めた。
 雪美が泣き笑いの表情で頷くと、カップル客から拍手が送られた。

(第5回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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