双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 3 回


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「あ~、どの角度から見ても最高だよな~。顔のちっちゃさ、手足の長さ、奇跡の九頭身……こんな完璧な女性を恋人にできたら、どんな気分なんだろう。あ~、何時間でも見てられるよ」
 パソコンのディスプレイにかぶりつくようにしている佐竹の頬肉は、だらしなく弛緩していた。
「三沢さんのモルディヴの予定表、組んだのか? 明日、三沢さんと打ち合わせだろ?」
 悠太は、「ロビンソン・クルーソー☆ツアー」のための候補地をピックアップする作業をしながら、向かい合わせの席でにやける佐竹に声をかけた。
「ロビンソン・クルーソー☆ツアー」は悠太の企画で、来年の春から提供する予定の商品だった。
「ドリームサポート」は社長を含めて四人の小規模な旅行代理店なので、ツアーの企画から候補地の視察、添乗まですべてを一人でこなさなければならない。
 大手の旅行会社ならば、当然、これらの作業は何人かで分担する。
 かなりの労働量で、午前九時にタイムカードを押して帰りが終電間際になることも珍しくはなかった。
 旅行業界は全体的に賃金が安く、好きでなければやっていられない仕事だ。
 いまふうに言えば完全なブラック企業だが、悠太は苦に思ったことはなかった。
 悠太は三度の飯よりも旅行が好きだった。
 小学生の頃に、修学旅行で長崎に行ったのがきっかけだった。
 言語に絶する夜景、街並み、建物……東京にいるときと同じ時間が流れているはずなのに、旅先での時の流れはいつもと違うように感じられた。
 旅先では感受性が豊かになり、悠太はちょっとした出来事に驚き、喜び、感動した。
 触れ合う人々との会話も新鮮で、普段ならやらないようなことにも挑んでみようという気にさせてくれる。
 日常生活で悩んでいたこともちっぽけなことに思え、穏やかな気持ちになれた。
 幼心にも、旅行の持つ魅力に悠太は心奪われ、将来の夢を訊かれると「旅行会社の人」と答えるようになっていた。
「もうちょっと、眼の保養をしたら始めるよ。星川、お前もこっちにきて見てみろって。俺のパソコンのキーを打つ指を止めてしまう、相田美亜ちゃんの魅力がわかるからさ」
 佐竹が、ディスプレイから眼を話さずに弾んだ声で言った。
 佐竹は悠太と同じ二十七歳で、中学時代からの昔馴染みだった。
 高校、大学と別々になったが、家が近所だったこともあり、ふたりでよく遊んだ。
 近所というだけではなく、気も合った。
 酒を呑んだり映画を観たりという月並みなことはもちろん、旅好きという共通点で男同士、温泉巡りや寺院巡りをすることもあった。
「僕はいま手が離せないから遠慮しとくよ。早く候補地を決めて、来週には視察に行きたいからさ」
 現在、新企画ツアーの候補地は二つにまで絞っていた。
 飛鳥島と八神島……二島とも伊豆諸島の無人島で、数十年前まで人が住んでいたという共通点がある。
 ツアー地に選ぶポイントとしては、第一に危険の有無、第二に島の規模と形状だ。
 無人島で考え得る危険というのは自然災害はもちろんのこと、毒を有する動植物の存在だ。
 ヘビ、カエル、ハチ、ムカデ、サソリ、毒キノコの類、トリカブトなどは、現地に足を運んでみなければわからない。
 飛鳥島も八神島もインターネットで検索すれば情報は取れるが、その情報を鵜呑みにはできなかった。
 無人の地で、新種の生物が発見されるのは珍しくもない。
 そもそも、半世紀から一世紀も人が住んでいない島を僅かな日数で調査し、それをすべてとして受け入れること自体が無謀だった。
 なにか事件が起きてから、「資料にはそんな生物がいると書いてませんでした」などの言い訳は通用しない。
 それに、危険なのは毒を持った動植物だけではない。
 蚊、アブ、ネズミ、コウモリなどの感染症を媒介する生物の有無もたしかめる必要があり、とくに蚊は数の多さや飛べるということもあり一番厄介な存在だった。
「お前は、いいよな。美人でお嬢様の彼女がいる奴には、哀れな俺の気持ちなんてわからないさ」
 佐竹が、自虐気味に言うと肩を竦めた。
「彼女がほしいなら、まずはそのお腹回りの脂身を落とさなきゃですよ。星川さんと同じ二十七歳の身体とは思えませんから」
 佐竹の隣の席でパソコンのキーを叩いていた小杉恵梨香が、からかうように言った。
 恵梨香は入社歴半年の新人だが、明るい性格と人懐っこく愛くるしい笑顔で「ドリームサポート」のムードメーカー的役割を果たしていた。
「恵梨香ちゃんは、まだまだ子供だな~。星川みたいな細マッチョが好きなのはションベン臭いガキばかりで、大人の女は俺みたいなどっしりした体型の男に魅力を感じるものさ」
「佐竹さんって、究極のポジティヴシンキングですよね」
「一応、俺にも、自尊心ってものがあるんだけど」
 佐竹が、恵梨香を軽く睨みつけた。
「でも、星川さんの彼女さんって素敵な女性なんでしょうね? おしとやかで、控えめで……ねえ、星川さん、今度、会わせてくださいよ!」
 恵梨香が、好奇に輝く瞳で悠太をみつめた。
「おしとやかで控えめ……」
 悠太は笑いを噛み殺しつつ、記憶を巻き戻した。

――なんだ、ガイドさんじゃない!

 スマートフォンの落とし主が半年前に小豆島旅行を案内した悠太だと知って、雪美は弾んだ声を上げた。

――君はたしか……堀越雪美さん、だったよね?
――へぇ、ガイドさんって、物覚えがいいのね。でもさ、あのときはよそゆきのあなたで、今はじめて本性を見たって感じ。
 
 雪美が、腕組みをし皮肉っぽい口調で言った。

――どういう意味だい?
――落としたスマートフォンを拾ってくれた親切な人に文句を言うなんて、人間として最低じゃない?
――いや、だからそれは、君が勝手に僕のスマートフォンを……あっ、どこに行くの!?

突然、雪美が駆け出した。
慌てて悠太は、あとを追った。

――ちょっと、待ってよ!

 二、三十メートルほど走ったところで雪美が立ち止まった。

――もう、なんなんだい、急に……。

 悠太は息を呑んだ。
 雪美が、スマートフォンを持つ右手を真横に伸ばした。
 スマートフォンの下は、水溜まりだった。

――ちょ……君っ、なにをする気だ!?
――恩人の君にあんな失礼なことを言って、僕が悪かった……そう謝ったら、許してあげる。
 
 雪美が、サディスティックな笑みを浮かべた。
 
――え……嘘だろ? ま、真面目に、言ってるのか!?
――あと、十秒! 十、九、八、七、六……。
――こんなこと、おかしいだろ!? 脅迫するみたいにして謝らせても……。
――五、四、三……。
――わかった、わかった! 僕が悪かったよ!

 悠太は、ヤケクソ気味に言った。

――私の言うこと、聞いてなかった? 恩人の君にあんな失礼なことを言って、僕が悪かった……でしょ? はい! やり直し!

 小動物をいたぶる猫のように、雪美のアーモンド形の瞳は爛々と輝いていた。
 このときの悠太には、雪美の端整な顔立ちが悪魔に見えた。
 小悪魔ではなく、悪魔だ。

――な……なんなんだよ、君は……。
――三、二……。
――お、恩人の君に……あんな失礼なことを言って……僕が悪かった!

 最後のほうは、ほとんど叫んでいた。

――じゃあ、行こうか?

 不意に、雪美が言った。

――行くって……どこに?
――そうね~、朝ごはんがまだだから、なにか食べに連れてって! それがお礼でいいわ。
――これから大事な打ち合わせだから、時間がないんだよ。
――オーケー。なら、仕事終わりにしよう。何時に終わるの? 五時、六時?
――普通の会社と違って、そんなに早く……。
――だから、何時ならいいの? 七時? それとも八時?
――八時なら、終わってるかな……。
――決定! お店、渋谷だったよね? 八時に行くから!

一方的に言い残すとスマートフォンを悠太に放り投げ、雪美は身を翻した。
 悠太は、あっという間に遠のく雪美の背中を見送ることしかできなかった。
 その日の夜、ふたりは代官山のイタリアンレストランに向かった。

――これまで、仕事で行った忘れられない風景ってある?

 アンチョビソースに絡めたバーニャカウダのヤングコーンをポリポリと齧りながら、雪美が瞳を輝かせた。

――素敵なところはいろいろあったけど……イタリアのプロチーダ島は印象的だったな。小さな漁村なんだけど、赤、ピンク、オレンジ、ブルーの家並みが絵本みたいでとってもかわいらしいんだ。映画の「イル・ポスティーノ」の舞台にもなったんだよ。
――ああ! それ観た! マリア・グラツィア・クチノッタって女優さんが、物凄くセクシーできれいだったな。じゃあさ、逆に身の危険を感じたことは? アマゾンで十メートルの大蛇に襲われたとか、アフリカで首を狩られそうになったとかさ。

 身を乗り出し無邪気に質問を重ねる雪美を見て、かわいい、と不覚にも思ってしまった。
 
――十メートルの大蛇にも首狩りにも遭遇したことはないけど、パリでガイドをしたときに、お客さんをナイトスポットに案内したんだ。「ラ・ベルヴィロワーズ」っていうカウンターバーに行ったんだけど、そこで、陽気な男と仲良くなってさ。僕らにとって地元の人間から、ガイドブックに載っていないような情報を教えて貰うのは貴重なことでさ。穴場の飲み屋とか裏カジノとかいろいろ教えてくれたのはいいんだけど、途中から、僕の太腿を擦ってきて……。
――えっ!? それって、ゲイってこと!?
――うん。怖くて固まってたら股間に手が伸びてきて……気づいたらお客さんを残したまま店から飛び出してたよ。
――うぇ~……そんなことあるんだね。

 苦い薬を飲んだ幼子のように、雪美が顔を顰めて舌を出した。

――僕も知らなかったんだけど、夜のパリでは珍しいことじゃないんだって。
――ガイドさんって仕事も大変だね。でも、世界を飛び回ることができて羨ましいな。だって、ただでいろんなところに行けるんでしょう?
――遊びじゃなくて仕事だから、旅行気分にはなれないよ。旅行中にお客さんが怪我をしたりトラブルに巻き込まれないように神経を張り詰めてるから、気が休まる暇なんてないさ。君のほうこそ、たしか実家は凄い資産家だったよね? 旅行なんて、いくらでもできるじゃないか?
――パパがどれだけお金持ちでも、私のお金じゃないもん。

 あっけらかんとした表情で、雪美が言った。
 屈託のない彼女を見ていると、総資産数百億円の家の社長令嬢とは思えなかった。
 
――でも、娘だから、君のお金みたいなもんだよ。
――あなたの名前、なんだっけ?
――星川だけど……。
――星川君は、わかってないな~。お金はね、自分で稼がなきゃ意味がないの。

 フォークを持つ手を止め、雪美が上から目線で言った。

――あのさ、君付けで呼んだりタメ語使ったりしてるけど、君は僕より五つくらい年下だろう?
――わっ、そんなこと気にするなんて、昭和の人みたい!

 雪美が悠太を指差し、おかしそうに笑った。
 周囲の客の好奇な視線が集まった。
 顔から火が出るほどに恥ずかしかったが、不思議と彼女にたいして腹は立たなかった。
 むしろ、飾り気のない天真爛漫な雪美に好感を抱いている自分がいた。
 この日を境に、ふたりはちょくちょく会うようになり、気づいたら交際していた。
 比喩ではなく、本当にいつの間にか、という感じで悠太と雪美は恋人関係になっていた。

(第4回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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