双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 2 回


1


「ハワイは去年のお正月に悠太と行ったし、グアムは一昨年の夏に家族と行ったし、バリは高校の卒業旅行で友達と行ったし……私、こうして振り返ってみると、海のリゾート地ばかり行ってるね! 今回はさ、悠太との未来を築くための大切な旅行だから、素敵な街並みについて語らいながらゆったりする旅もいいかなって思うんだけど、悠ちゃんのお勧めは?」
 代官山のカフェ――オープンテラスで雪美が、カフェ・ラテのカップをスプーンで掻き混ぜながら満面の笑みを悠太に向けた。
「ギリシャのエーゲ海にサントリーニ島っていう白い街並みで有名な島があってさ……ほら」
 悠太は、スマートフォンのディスプレイを雪美に翳した。
「わあ! 本当に真っ白なんだ!」
 雪美が、感嘆の声を上げた。
「サントリーニ島はね、紀元前千五百年頃に火山噴火によって生まれた三日月形の島でさ、エーゲ海に夕陽が沈むとき白かった街並みが茜色に染まる絶景は世界一と言われているんだよ」
「さすが、ツアーコンダクター!」
 雪美が、笑顔で合いの手を入れた。
 雪美が言うように、悠太は渋谷の旅行代理店「ドリームサポート」の添乗員をしていた。
「あ、でも、また海になっちゃうね。じゃあ、次はこれ! チェコで最もロマンティックって言われるモラヴィア地方のテルチって街で……」
 悠太は、別の写真をディスプレイに呼び出した。
「素敵! 色鉛筆みたいな家が並んでてかわいい!」
 雪美の瞳が輝いた。
「このあたり一帯は、十六世紀に大火災があってほとんどの家が燃えてしまったんだよ。当時の領主が建て直すときに、すべての家の高さを揃えて、ルネサンスとバロック様式にするように命じたんだって。因みに、一時間もあれば一周回れる小さな街だよ」
「本当に、悠ちゃんは物知りだね。尊敬するわ」
「そりゃあ、仕事だから、詳しくなきゃ困るだろ? 雪美が文学について詳しいのと同じだよ」
 悠太は言うと、エスプレッソのカップを口もとに運んだ。
 雪美は大学四年で、近代文学を専攻している。
「まあ、たしかにね。あ~でも、どうしよう! どこも素敵で迷っちゃうな」
 雪美が、悠太のスマートフォンの写真をスワイプしながらため息を吐いた。 
「あと八ヶ月か……あっという間だな」
「私が留年とかしちゃったら、婚前旅行どころじゃなくなるね」
 雪美が、悪戯っぽく舌を出した。
 ふたりの婚前旅行は来年……雪美が大学を卒業した翌月に予定していた。
 もちろん、双方の親には挨拶を済ませており、順調にいけば来年の秋には式を挙げるつもりだった。
「ダブった雪美と婚前旅行っていうのも、新鮮かも」
「やだよっ、そんなの恥ずかしい!」
 透き通るような白い肌をほんのりと上気させた雪美が、悠太の肩を叩いた。
 悠太は二十七年の人生で、男女問わずに雪美みたいに白い肌をした日本人を見たことがなかった。
 生まれたときから新雪を思わせる肌をしていたことから、母親は赤ん坊を雪美と名づけたらしい。
 雪美の父親は代々受け継がれている都市デベロッパーのオーナーで、そのグループは従業員数千八百名、渋谷区を拠点とし全国に百棟を超える貸しビルを所有している。
 そして雪美は、総資産数百億円という大資産家の令嬢だ。
 数百億という数字は、ごく平凡な家庭に育った悠太には想像がつかない天文学的なものだった。
 雪美の父親からは、娘と結婚したらビルを一棟仕事に使っていいと言われていたが、悠太は夢のような申し出を丁寧に断った。
 逆玉の輿で羨ましい、という友人もいるが悠太は違う考えを持っていた。
 悠太の夢は、三十代のうちに自分の旅行会社を持つことだった。
 規模は小さくても、苦労しても、独力で夢を実現したかった。
「ねえ、私達の最悪な出会い、覚えてる?」
 不意に、雪美が問いかけた。
「ああ、もちろんさ」
 
 三年前……雪美が大学の入学祝いに友人と二人で旅行するということで、「ドリームサポート」を訪れたのが始まりだった。
 申し込みカードに書かれた堀越雪美という名前を見るまでは、日本人離れしたスタイルと彫りの深い顔立ちも重なりハーフだと思っていた。
 そのとき、雪美が旅行地に決めたのは小豆島で、悠太は添乗員として付き添ったのだった。
 三泊四日の旅行は終わり、東京に戻ってから悠太と雪美が連絡を取り合うことはなかった。
 きれいな女性だな、とは思ったが、それ以上の気持ちに発展することはなかった。
 旅行業界では、旅先で客と男女の関係になり後にトラブルになった例は枚挙にいとまがない。
 また、悠太自身、自らのルールとしてには恋愛感情を抱かないと決めていた。
 学校の教師だった厳格な父親の影響か、悠太は年に似合わず古風なところがあった。
 それから半年後、悠太は思わぬきっかけで雪美と再会した。 
 顧客との打ち合わせの日の朝、悠太はスマートフォンをなくしたことに気づいた。
 そのスマートフォンには、顧客に提案する旅行プランをまとめたデータが保存されていた。
 打ち合わせの時間まで、四時間しかなかった。
 鉄道会社、コンビニエンスストア、ATMコーナーを持つ銀行の支店……悠太は利用した場所すべてに連絡したが、スマートフォンはどこにもなかった。
 途方に暮れた悠太は、無駄だとわかっていながら公衆電話を使って自分のスマートフォンに電話した。
 電車に乗る前にマナーモードにしていたので、鳴らしても意味はないとわかっていたが、奇跡を期待した。
 奇跡は起こった――予想に反して、コールは一回で途切れた。

――あの……もし……。
――あ、もしかしてこの電話の持ち主さんですか?

 悠太の声を、若い女性の声が遮った。
 
――失礼ですが、あなたは?
――ついさっき、道に落ちていたので交番に届けようとしていたところなんです。もし、持ち主さんからかかってきたときのために、悪いと思ったんですけど電源が入っているか確かめたんです。ちゃんと動くか、少し操作もしてみました。以前、マナーモードにしたまま私もなくしたことがあって苦労した覚えがあったので。私って、気が利くでしょう?

 女性が、得意げな声音で言った。
 
――ありがとうございました。助かりました。ただ……。

 悠太は言い淀んだ。
 言葉にしようとしていることは間違っていないという自信はあったが、窮地を救ってくれたにたいしてそれを言うのは気が引けた。

――ただ……なんです?

 女性が、怪訝な声で訊ねてきた。

――拾って頂いた方にこういうことを言うのは申し訳ないのですが、人のスマートフォンを勝手にいじるのはよくないことだと思います。

 意を決して、悠太は口にした。
 父親譲りの融通の利かない己の石頭を呪ったが、時既に遅しだった。

――え……? 私、もしかして、注意されています?
――すみません。親切に感謝はしています。ですが、スマートフォンの中には顧客の大事なデータが入っていたり……。
――だったら、ロックすればいいでしょう!? そんな初歩的なこともしていないくせに、スマートフォンを拾ってくれた相手にそんなことを言うなんて、本当に失礼な人ですね!

 血相を変えているだろう女性の声が、公衆電話の受話器を震わせた。

――そのことには本当に感謝していま……。
――わかりました! 余計なことをしてどうもすみませんね! 元の場所…… 渋谷の公園通りの「東宝銀行」の前の歩道に戻しておきますから!
――あ、ちょっと……。

 冷たい不通音が、悠太の後悔に拍車を掛けた。
 女性が告げた場所は、悠太が立ち寄ったATMのコーナーがある銀行の近くだった。
 幸いなことに悠太のいる恵比寿からタクシーで十分もかからない距離だったが、歩道に落ちているスマートフォンを新たな誰かに拾われたら打ち合わせに間に合わなくなってしまう。
 釣りも受け取らずにタクシーから降りた悠太は、女性に告げられた歩道を隈なく探したがスマートフォンはどこにもなかった。
 やはり、誰かに拾われてしまったようだ。

――探し物はこれですか?

 意気消沈している悠太に、誰かが声をかけてきた。
 声の主――二十歳そこそこの女性がスマートフォンを右手に持ち、「東宝銀行」のATMコーナーの前に立っていた。

――偉そうなことを言っていたくせに、ずいぶんと焦って……あ!

 女性が言葉を切り、悠太を指差した。

――あっ……君は……。

 悠太も、女性を指差した。
 スマートフォンを拾ってくれた女性は、半年前に悠太が添乗員として小豆島を案内した女子大生のふたり連れのうちのひとり……堀越雪美だった。

「本当に、最悪の出会いだったよね?」
 雪美の声が、悠太の回想の扉を閉めた。
「ああ、本当に最悪だった」
 悠太は苦笑いを浮かべ、記憶に負けないくらいほろ苦いエスプレッソを流し込んだ。
「私、それまで出会った人の中で、あんなに失礼で印象の悪い人は初めてだったわ」
 雪美は、言葉とは裏腹に幸せそうな顔で眼を閉じていた。
「僕も、逆襲してきたときの君をみて、たとえ世界中でふたりだけになったとしても、絶対に交際しようとは思わないだろうと思ったよ」
 悠太も眼を閉じ、ふたたびの記憶の扉を開けた。

(第3回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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