双葉社web文芸マガジン[カラフル]

極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 16 回


2(承前)


「ウチと、結婚するかって言ったんだ」
 ひまわりは竹串に肉を刺しながら、何食わぬ顔で繰り返した。
「な、なにを言い出すんだよ、いきなり……」
 悠太の声は、動揺に震えていた。
「お前、ウチが嫌いなのか?」
 ひまわりが、カモシカのような軽やかな足取りで駆け寄り悠太の顔を覗き込んできた。
「嫌いとか、そういう……」
「じゃあ、ウチが好きか?」
 無邪気な幼子のように、ひまわりが質問を重ねた。
 褐色の肌に映える白い双眼に、悠太は引き込まれてしまいそうだった。
「だから……好きとか嫌いとかそういう問題じゃないんだって」
「なんでだ? 好きなら結婚する、嫌いなら結婚しない。そうだろ?」
 きょとん、とした顔でひまわりが首を傾げた。
「あのね、結婚っていうのは、そんなに単純なものじゃないんだよ。それに、僕らは出会ってまだ一週間じゃないか」
 落ち着いた口調で諭すように言ってはいるが、悠太の喉はからからに干上がっていた。
 驚愕し、動転しながらも、心の奥底では喜んでいる自分を否定できなかった。
「なんで、一週間じゃだめなんだ?」
 不思議そうに、ひまわりが訊ねてきた。
「結婚っていうのは、お互いが好き合ってからするものだろう? そうなるには、一緒に時間を過ごし、まず、相手のことを知るところから始めるものさ」

 なにを真剣に説明している?
 自分にはその気はない、と言えば済む話だ。

 心の声に、頷く自分がいた。
 だが、ひまわりにそう言わないだろうことはわかっていた。

 もしかして、本気で好きになったのか?
 
 ふたたび聞こえてくる心の声を、悠太は無視した。
 自分が何者かもわかっていないというのに、恋愛だ結婚だなど考えられるわけがない。
 自分には恋人がいるかもしれないし、結婚しているかもしれないのだ。
 なにより、自分はまだひまわりのことをなにも知らない。
 悠太は、自らに言い聞かせた。
「二週間経ったら、わかるのか? それとも三週間か?」
 ひまわりの声に、悠太は我に返った。
「君は、結婚の意味がわかってるのか?」
「一緒に住むことだろ?」
 あっけらかんと、ひまわりが言った。
「一緒に住むだけなら、友達同士だってできる。いいかい? 結婚っていうのは、さっきも言ったように、お互いに好きあった者同士が人生をともに歩むことを言うんだ」
 悠太は、幼子を相手にするようにゆっくりした口調で説明した。
 やはり、ひまわりはわかっていない。
 生まれたときから無人島で暮らしているので、男性経験もないのだろう。
「ウチはお前のことが好きだ。お前はどうなんだ?」
 呆れるほどに無垢な表情で、ひまわりが訊ねてきた。
「こういう話は、もうやめよう。君のお爺さんが聞いたら、怒ってしまうぞ?」
 言いながら、悠太はマグカップに入った水を飲んだ。
 ひまわりが突拍子もないことを言うので、喉が渇いて仕方がなかった。
「ジイジが言ったんだから、大丈夫だ」
 悠太は口の中の水を霧のように噴き出し、激しく咳き込んだ。
「お、お爺さんが、なにを言ったんだ!?」
「結婚しろと言ったんじゃよ」
 背後から、張りのある声が聞こえてきた。
 振り返ると、肩に魚網袋を担いだ老人が仁王立ちしていた。
「ど、どうして、そんなことを……」
「ジイジ、お帰り!」
 ひまわりが跳ねるように老人に駆け寄り、抱きついた。
「その話は、飯のあとじゃ」
 老人が、ひまわりの肩越しに視線を悠太に向けて言った。
「男二人で夜に散歩するのも、いいもんだのう」
 自家製ワインの入ったペットボトルを手に砂浜を歩きながら、老人が独り言のように言った。
「そうですね。あの、さっきの話ですが、どうしてひまわりさんにあんなことを言ったんですか?」
 悠太は老人の逞しい背中に質問した。
「今日のウサギも、うまかった。ひまわりの手際のよさのおかげだな」
 老人は悠太の質問に答えず、満足そうに言った。
「はい。僕も、彼女の狩りには驚かされっ放しです。お爺さんが教えたんですか?」
 仕方なく悠太は、老人の話に合わせた。
「ああ、ひまわりは三歳の頃には素手でシマヘビを捕まえておったよ」
「三歳で蛇を素手で……ですか!?」
 悠太は、大声で訊ね返した。
「あの子は、どんなことにも物怖じしない子だったからのう」
 老人が立ち止まり、砂浜に腰を下ろすとペットボトルに口をつけた。
「強い子供だったんですね」
 言いながら、悠太も老人の隣に腰を下ろした。
「弱ければ、ここでは生き抜いていけん。あの子には、優しさよりも強さを教えた。女らしさより、勇敢な振る舞いを教えた。男以上に男らしい子じゃよ、ひまわりは」
 老人が、正面を向いたままペットボトルを差し出してきた。
「ありがとうございます」
 悠太は、受け取ったペットボトルを傾けた。
 初めて飲んだときには苦手だった甘過ぎて強い自家製ワインが、いまではクセになりつつあった。
「でも、彼女は優しい子ですよ。それに、言動は男っぽいですけれど、女性らしい人だと思います」
 無意識に、悠太は口にしていた。
 本音だった。
 悠太は、ひまわりの荒々しく粗暴な振る舞いの中に優美さをみていた。
「そう思うなら、ひまわりを貰ってくれ」
 悠太は、ペットボトルを口もとに運ぼうとした手を止めた。
「お爺さんはどうして、僕とひまわりさんを……」
「あの子の父親は、逃亡者じゃ」
 悠太を遮るように、老人が言った。
「え!?」
 弾かれたように、悠太は老人に顔を向けた。
「まだ島に住人がいた頃に、赤子を連れた若い男が旅行にきておってな。船の時間を間違えて大飛鳥島に戻れなくなったから、一泊だけさせてほしいと頼まれてな。まあ、以前にもそういう旅行客がおったし、わしも一人だったから、疑いなく泊めてやった。男は赤子の父親で、母親は出産直後に亡くなったそうだ。翌日、ベッドには赤子だけが寝かされ、父親は消えていた。朝一番の船がでたあとで、島内を捜しても無駄だった。赤子の枕もとには、置き手紙があった。事情があって、この子を育てられません。本当に申し訳ありません。信じられんことに父親は、たったこれだけの言葉を残して我が子を捨てたのだ」
 老人が星で埋め尽くされた夜空を仰ぎ、眼を細めた。
 老人の語る衝撃の真実に、悠太は言葉を失った。
「事情というのは、男が消えてから二日後にわかった。風体の悪い三人の男達が島に現れ、写真を見せながら人捜しをしていた。男達は、わしのもとにもきた。写真の男は赤子の父親じゃった。三人は赤子の父親を捜している理由は言わなかったが、ただならぬ雰囲気から察して、なにか大変なことをしでかしたんじゃないかと悟った。もちろん、わしは知らぬ存ぜぬで通した。父親なんぞどうなってもよかったが、捨てられた赤子を守らねばと思ったんじゃよ」
「その赤ん坊が、ひまわりさんなんですね?」
 掠れた声で、悠太は訊ねた。
 老人が、星空から視線を悠太に移して頷いた。

――東京なんて、ケダモノの集まりじゃて行くもんじゃない。あんたも、余計なことを言わないでくれんかねっ。

 島に流れ着いた夜、この島以外で生活をしたことがないのか? とひまわりに訊ねた自分に、老人が強い口調で抗議した理由がわかった。
 犯罪に手を染めたのか巻き込まれたのか……真相はどちらかわからないが、ひまわりの父親が追われているのは事実だ。
 老人は、十八年経ったいまでも、万が一ひまわりを島から出して危険な目にあったら、ということを心配しているのだろう。
「それと、僕と彼女の結婚がどう関係あるんですか?」
「わしはもう、そんなに長くは生きられん。頑張っても四、五年といったところじゃろう。わしが死んだら、ひまわりは天涯孤独になってしまう。ただの孤独ではない。文明を知らない天涯孤独じゃ。この先、この島で一人で生きて行くというのは、どう考えても無理がある。じゃが、あんたがひまわりと一緒になってくれたら安心だ。虫のいい願いだというのはわかっておるが……」
「ちょ、ちょっと、待ってください。いまの僕は、記憶を失っている状態です。この先、いつ、記憶を取り戻せるかわかりませんが、もし、蘇ったら、この島に残る選択はしないと思います」
 悠太は、老人を遮り本音を口にした。
 ひまわりと人生をともにすることを、恐れたわけではない。
 出会ってからの日は浅いが、悠太の中で彼女は特別な存在になりつつあった。
 だからこそ、軽率な約束をするわけにはいかないのだ。
「それでいい。ひまわりを島に残そうとは思っておらん。この島だって、開発やらなんやらで、いつ、国が介入してくるかわからん。そんなことになってしまったら、ひまわりの行き場がなくなってしまう」
「でも、お父さんの件があるから、島を出たら危険ではないのですか?」
「たしかに、それは気になる。じゃが、もう、二十年近くも昔の話だ。あのときの赤子も、大人の女性になった。あんたの籍に入ってあんたの家で一緒に住めば、父親の件でこの子に危害がくわえられることはありえんだろう。なあ、頼む。ひまわりの親代わりになると決意してから、いつもこの子の将来を憂いておった……わしが元気なうちに、道筋を作っておいてやらないとなって。わしはあの子に狩りや真水の集めかたを教えたが、街ではなんの役にも立たん。あの子を愛してやってくれとは言わない……妹を想うような気持ちで十分じゃ。それでも、あんたの負担になるのはわかっておる。じゃが、わしには、こうしてあんたに頼むことしか、ひまわりにやってあげられることはないんじゃっ。わしの願いを聞いてくれないか……この通りじゃ!」
 突然、老人が砂浜に両手と額をつけた。
「お爺さん、そんなこと、やめてくださいっ。顔を上げてください!」
 慌てて悠太は、老人の腕を取った。
「じゃあ、結婚してくれるのか?」
 額と鼻先に砂をつけた老人の必死な顔が滑稽だったが、とても笑えるような気分ではなかった。
「ひまわりさんの事情とお爺さんのお気持ちはわかりました。でも、すぐに返事できることじゃありません。何度も言いますけど、いまの僕は自分が何者なのかもわからないんです。そんな状態で、ひまわりさんの大事な人生を預かるなんて無責任なことはできません」
 老人に言うと同時に、悠太は自らに言い聞かせた。
「たとえ何者でも……ひまわりを託せるのはあんたしかおらんのじゃよ」
 老人が懇願する眼で悠太をみつめた。
 悠太は、無言で視線を逸らした。
「無理なものは、無理ですよ……」
 悠太は、弱々しく言った。
 その言葉に説得力がないことは、自分が一番よくわかっていた。

(第17回につづく)

バックナンバー

新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

  • 双葉社
  • 小説推理
pagetop