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極限の婚約者たち / 新堂冬樹・著

第 12 回


6(承前)


「頂くぞ!」
「まだだ!」
 火床に立てた串に手を出そうとした老人の手を、ひまわりが叩いた。
 切り分けられたカラスの胸肉、腿肉、モツが刺さった串がそれぞれ三本ずつ、火で炙られていた。
「もう火は通ってるじゃろうて?」
 叩かれた手の甲を擦りつつ、老人が言った。
「カラスはなんでも食べるから、よく焼かないと腹壊すぞ」
 窘めるように言いながら、ひまわりが胸肉の串を二本手に取り炎に近づけ回転させた。
「贅沢な夕飯じゃ。早く食いたいのう」
 老人が、悠太に潮灼けした顔を向けた。
「あ……はい」
 曖昧に頷いてみせたが、悠太は食欲がなかった。
 雑木林を歩いているときは空腹を感じていたが、ひまわりがカラスの皮を剥ぎ内臓を抜くのを手伝っているうちに食欲がなくなってしまった。
 カミキリムシの幼虫、蛇……そしてカラス。
 この島にきてから、ほとんどまともなものを口にしていなかった。
 いや、彼らにとっては、これらがまともな食事なのかもしれない。
「焼き上がるまで、こいつでも飲んで待とう」
 老人が、赤紫色の液体の入ったペットボトル――自家製のワインを差し出してきた。
 口当たりは濃い葡萄ジュースといった感じだが、意外にアルコール度数が高いので、あまりガブガブと飲むとあとから急に酔いが回ってしまう。
 三日前、島に流れ着いた日の夜に初めて飲んだときは、途中から記憶を失ってしまった。
 記憶喪失の自分が酒で意識を失うなど、笑い話にもならない。
「ありがとうございます」
 悠太は素直にペットボトルを受け取った。
 ひまわりも老人も押しが強く、断るほうがエネルギーを使うということを学習していた。
「ひまわりの狩りの腕に、乾杯!」
 老人が、顔中の皺を深く刻みペットボトルを宙に掲げた。
 悠太は、老人のペットボトルにペットボトルを触れ合わせ、ワインを一口流し込んだ。
 どうせカラスを食べさせられるので、アルコールで味覚を麻痺させておいたほうがいいような気がした。
 二口目で、悠太の頬は火照り始めた。
 老人はペットボトルに入ったワインを、水かお茶のようにゴクゴクとラッパ飲みしていた。
「ほら、食え」
 ひまわりが、胸肉の串を一本ずつ悠太と老人に手渡してきた。
「頂くぞ!」
 言い終わらないうちに、老人が胸肉にかぶりついた。
 一切れ、二切れと、あっという間に串から肉が消えた。
 カラスの串焼きを食らう老人は、さしずめワイルドなサンタクロース、といった感じだ。
 ひまわりはそんな老人を微笑ましげにみつめつつ、やはりワイルドに腿肉にかぶりついた。
「うまいぞ! あんたも食え」
 老人に勧められ、悠太も少しだけ齧った。
 思ったより、臭みはなかった。
 二口目は、多めに齧った。
 カラスの肉は、鶏肉に比べて弾力があった。
 よく言えばクセがなく淡泊、悪く言えば旨みがなく味が薄かった。
 調味料でもあれば、十分においしく食べられそうだった。
 安心が、空腹を刺激した。
 気がついたら、串を一本平らげていた。
 考えてみれば、朝からカシューナッツしか食べてなかった。
 悠太は、腿肉の串を手に取った。
「あんたも、わしらの生活に慣れてきたようじゃな」
 悠太に顔を向けた老人が、眼尻の皺を深く刻んだ。
「凄いな。こんな空、見たことないよ!」 
 パウダースノーのような砂浜に座った悠太は、星に埋め尽くされた天を仰ぎながら感嘆の声を上げた。
「記憶を失ってるくせに、そんなことわかるのか?」
 悠太の隣に座っているひまわりが、同じように天を見上げながら言った。
「ちょっと、ひどいこと言うなぁ。君には、デリカシーってものがないのか?」
 口で言うほど、傷ついてはいなかった。
 ひまわりに、悪意がないことが伝わるからだ。
 それにしても、圧巻の星空だった。
 星が降ってきそうだと言っても、大袈裟ではなかった。
 耳を澄ませば、波音だけが聞こえた。
 月明りに照らされた海面は幻想的に青白く染まり、この地球上にひまわりと二人だけになったような錯覚に襲われた。
 妙な気分だった。
 自分が何者かも、どこからきたのかも思い出せないというのに、悲愴感はなかった。
 虫や蛇を食べたり、動物を狩りに行ったり……。
 この島での驚愕と刺激の連続に、悠太は落ち込んでいる暇はなかった。
 携帯電話もコンビニエンスストアも自動販売機もない生活は、現代人には不便なものに違いない。
 だが、幸か不幸か、悠太は都会で過ごした生活を覚えていない。
 もし、記憶を失わない状態で無人島に流れ着いていたら、もっと戸惑っていただろう。
 なにより、ひまわりの存在は大きかった。
 すべてにおいて規格外の彼女に、ある意味、悠太は救われているのかもしれない。
「ねえ、君はさ、なんでこの島で生活してるの?」
 悠太は、ずっと気になっていることを口にした。

――君はこの島以外で、生活したことはないの?
――ない。東京って、どんなところなんだろう。
――東京なんて、ケダモノの集まりじゃて行くもんじゃない。あんたも、余計なことを言わないでくれんかねっ。

 三日前、ひまわりに訊いたときには老人に叱られてしまったので、それ以上、この話題を続けるわけにはいかなかった。
「生まれてから、ずっとだよ」
 空を見上げたまま、ひまわりが言った。
 この島……八神島には、以前は人が住んでいたらしい。
 ひまわりの両親は、この島で生活していたのだろうか?
「ご両親は……」
 言いかけて、悠太は慌てて口を噤んだ。
 自分は、なにを訊こうとしている?
 ひまわりがこの島で生まれて老人が育てているということは、両親は死んでいるに違いない。
 わかりきったことを訊いて、少女を傷つける気か?
「漁に出かけて死んだ。ジイジが言ってた。海は嫌いだ。だから、魚を獲るのはジイジの役目だ」
 相変わらず、空を仰ぎながらひまわりが言った。
 月明りを受ける彼女の横顔に、思わず悠太は見惚れた。
 乱暴な言葉遣いからは想像のつかない神秘的で美しい横顔――ディズニーのアニメに出てくる褐色の肌をしたプリンセス……「ジャスミン」に似ていると思った。
 ほかの大事な記憶は失い、そんなどうでもいいことを覚えている自分に、悠太は苦笑いした。
 だが、なにかが釈然としなかった。
 ひまわりが嘘を吐いているとは思えない。
 だが、老人はどうだ?
 もし、嘘を吐いているとすれば、なにかの事情があるに違いない。
 人目を避けて、無人島に住み続けなければならない事情が……。
「ずっと、ここにいろよ」
 ひまわりが不意に、空から悠太に視線を移して言った。
「え?」
「なにも思い出せなかったら、ウチらとここで暮らせばいい。野ウサギや野ネズミの狩り方、教えてやるから。カミキリムシの幼虫は、嫌なら食わなくてもいい。だから、ウチとジイジと暮らそう」
 ひまわりが、一点の曇りもない瞳でみつめて微笑んだ。
「ここで? 君達と……暮らす?」
 悠太は、ひまわりの言葉を繰り返した。
 戸惑いはあるが、それほど驚きはなかった。
 を知らないから……という現実が悠太にそう思わせているのだろう。
 だが、それだけが理由でないことを悠太はわかっていた。
 
 この子と暮らせればどんなに……。

 心を過りかけた思いから、慌てて意識を逸らした。
 出会って僅か三日間……どんな女性かろくに知らないというのに、自分はなにを考えている?
「家族がいるかもしれないし、そんなわけには……」
「なんだこれ!?」
 悠太の声を、ひまわりの素頓狂な声が遮った。
「えっ……どうしたの?」
 悠太の視線の先……ひまわりが、砂浜から拾い上げた煌めくなにかを物珍しそうにみつめていた。
「それ……指輪じゃないか?」
 ひまわりが拾った指輪には、小粒なダイヤがちりばめられていた。
 誰かが海に落としたものが、流れ着いたのかもしれない。
「はい!」
 ひまわりが、ダイヤの指輪を悠太に手渡してきた。
「え……なに?」
 悠太は、指輪を受け取りながら怪訝な顔をひまわりに向けた。
「嵌めてくれ」
 ひまわりが、右手を悠太に差し出しつつ言った。
「え?」
「指に嵌めるやつだろ?」
「そうだけど、こういうのって……」
「いいから、嵌めてくれ!」
 せっかちなひまわりの勢いに気圧され、悠太は細く長い彼女の薬指に指輪を嵌めてやった。
「うわぁ! キラキラしてる! きれい!」
 ひまわりが右腕を天に伸ばし、広げた五指を月明りに翳して破顔した。
 
 プロポーズのときに嵌めるものなんだよ。

 言葉の続きを呑み込み、悠太は微笑ましげな眼で、無邪気にはしゃぐひまわりをみつめた。

(第13回につづく)

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新堂 冬樹Fuyuki Shindo

大阪府出身。1998年に作家デビュー。2003年に刊行した純愛小説『忘れ雪』が大ベストセラーとなる。
著書は『僕の行く道』『百年恋人』『君想曲』『ある愛の詩』『誰よりもつよく抱きしめて』『あなたに逢えてよかった』『引き出しの中のラブレター』『哀しみの星』『たったひとつの花だから』『別れさせ屋の恋 パルフェタムール』『瞳の犬』『少女A』など多数。

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