双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アンサーゲーム / 五十嵐貴久・著

©️ノグチユミコ

第7回

「ファイブ、フォー、スリー、ツー、ワン」
 ゼロ、というピエロの声と共に、ファンファーレが鳴り響いた。
 毅は額の汗を拭い、00:00という数字だけが映されているモニターを凝視した。里美、お前は何と答えた?
「では、お互いにフリップをモニターに向けてください」陽気な声でピエロが言った。「さて、どうでしょう。今回マッチングは――」
 黙れと怒鳴って、毅はモニターにフリップを向けた。不安そうな表情を浮かべた里美が、同じようにゆっくりとフリップを上げた。
「コングラッチュレーション!」
 ナイスマッチング、とピエロが拍手した。二人が出した回答は〝ノー〟だった。大きく息を吐いて、毅は椅子の背に体をもたせかけた。
「俺は浮気なんかしていない。里美だって同じだ」毅はそのままの姿勢で大声を上げた。「わかりきったことを聞くな。結婚式が終わったばかりなんだぞ? 愛し合っているから結婚した。浮気なんかするはずもない」
 そうですよね、と切り替わったモニターの中でピエロがうなずいた。
「チャンスタイムと申し上げました。バラエティ番組でいうところの、サービス問題です。事実がどうあれ、お二人はノーと答えるしかないわけですし……」
 事実もへったくれもあるか、と毅は体を起こした。
「浮気はしてないし、今後も一生しないと誓ってもいい。もっとまともな問題を出せ。これじゃ、真面目にやる気になれない」
 あなたはチャレンジャーです、と感心したようにピエロが手を叩いた。
「いや、大企業のエリート社員ともなると、わたしなどとは考えている次元が違います。より困難なハードルを求め、挑戦し、そして勝利する。まさにあなたの人生そのものです。勝ち組は違いますね」
 自分が勝ち組だなんて思ったことはない、と毅は言った。
「そんなことはいいから、さっさと次の問題を出せ。五問目か?」
 フィフスクエスチョンです、とピエロが真っ赤な舌を出した。
「その前に、ささやかなプレゼントがあります。フォースクエスチョンの回答がマッチングしたことに対するご褒美です」
 モニターがある壁に、いきなり三十センチ四方の穴ができた。壁には縦横に数本の溝があり、その溝に沿って蓋が開いたようになった。
 内部には照明があり、照らされていたのは一本のペットボトルだった。水だ。喉が大きく鳴った。
 税込み百円のミネラルウォーターです、とピエロが微笑んだ。
「ノーブランドですが、今、あなた方が最も欲しているものではないでしょうか」
 毅は椅子から立ち上がり、壁に向かって突進した。勢いよく伸ばした手に鈍い痛みを感じて、毅は腕を押さえた。モニターと同様、ガラスがはめ込まれていた。
「どうなってる? 水を寄越せ!」
 喉の渇きは限界に達していた。もう何時間も、一滴の水も口にしていない。何よりも水が欲しかった。
 目の前にペットボトルがある。また喉が大きく鳴ったが、そこには透明なガラス板があった。
 手に受けた衝撃から、かなりの厚みがあることがわかった。簡単に割ることができないようにしているのだろう。
「汚ないぞ。さっさと水を寄越せ。どうすれば開く?」
 ガラスに手のひらを当てて、強く押したが、一ミリも動かなかった。右、左、上、下。どちらかにずれることもない。
 畜生と叫んだ時、それではフィフスクエスチョンと参りましょうか、とピエロが言った。

『ペットボトルは一本しかありません。あなたはこの水をお相手に譲りますか?』

 ピエロ、と毅は荒い息を吐いた。
「それは問題でも何でもない。俺たちの人間性を試してるだけだ」
 何も言わず、ピエロが肩をすくめた。意図はわかるが、やり方が汚な過ぎる、と毅はガラスを拳で叩いた。
「俺にしても里美にしても、どうしようもないほど喉が渇いている。それは肉体的な欲求で、愛情とか思いやりとか、そういうことじゃない。生きるために、水は絶対に必要だ。この状況でどうしろと? いったい何がしたい?」
 アンサーゲームです、と答えたピエロが手を伸ばし、テーブルの上に置かれていたペットボトルのキャップを開いた。
「あなたや奥様の人間性を試しているとか、そのような意図はありません。回答がマッチングするか否か、ゲームの目的はそれだけです」
 ピエロが喉を鳴らして、ペットボトルの水を半分ほど飲んだ。唇の端から、ひと筋の水が伝っている。
 もう許してくれ、と毅はその場にひざまずいた。
 ノーと書いて正解だった、とモニターに映った毅のフリップを見つめながら、里美は安堵のため息をついた。
 落ち着いて考えてみると、里美も毅もノーと書くしかなかった。自分も彼も交際中に他の異性と関係を持っていた。
 あたしが彼の浮気に気づいたのと同じように、毅だってあたしの浮気を知っていただろう。でも、今になってその事実を認めることはできない。
 結婚式を挙げたばかりなのだ。今さら、本当のことを言ってもどうにもならない。
 ピエロがアンサーゲームと呼んでいるこの状況が、単なる悪ふざけなのか、あるいは大掛かりな冗談、それとも誘拐、拉致監禁というような犯罪だったとしても、いずれ解放される、と里美は考えていた。悪ふざけや冗談ならもちろん、犯罪だとしても金で解決できるはずだ。
 そうだとしても、その後も二人の生活は続いていく。お互い、自分が浮気をしていたと認めたら、夫婦という関係性はすぐにでも壊れるだろう。
 そんな馬鹿な話はない。そんなことで、人生に傷をつけるわけにはいかない。
 そう考えれば、回答はノーしかあり得なかった。浮気していたと認めることには、何の意味もメリットもない。正直で誠実な回答が正しいわけではないのだ。
 人は誰でも嘘をつく。ノーという答えは、嘘とさえ言えない。事実を言わないだけで、しかも、それはお互いのためだ。
 毅も同じことを考えたのだろう。回答がマッチングしたのは当然だ。
 それよりも水だ、と里美は顔を上げて目の前のペットボトルを見つめた。手が届くところにあるが、分厚いガラスが遮っている。

『あなたはこの水をお相手に譲りますか?』

 涙が溢れて、止まらなくなった。喉が渇き、体中の水分が汗や尿として排出されても、涙は出るのだと里美は初めて知った。
 卑怯よ、と唇からつぶやきが漏れた。
「試してるの? 愛情があるかどうか、あるのなら毅に水を渡すべきだと?」
 ピエロは無言だった。こんな異常な状況じゃ無理、と里美は首を振った。
「あたしも毅も、何もわからないままここにいる。パニックになるのは当たり前でしょ? 何も考えられない。それでも相手を思いやれと?」
 ピエロが首を傾げた。里美の目から、また大粒の涙がこぼれた。
「愛し合っているお二人ならそうされるでしょうとか、わかったようなことを言うんでしょうけど、同じ立場になってみればわかる。そこまで考える余裕なんてない」
 思いやりや自己犠牲の精神についての問題ではありません、とピエロがペットボトルの水を飲み干した。
「誤解があるようですね。これはアンサーゲームなのです。ゲームの目的はお二人の回答をマッチングさせることにあります。双方の愛情、理解があれば必ずマッチングできます。その要素の中に、相手への思いやりも含まれるかもしれませんが、それは二次的なものです」
「何がしたいの!」
 アンサーゲームです、とピエロが繰り返した。
「よろしいですか、アンサーゲームのクエスチョンは、特殊な知識や経験、資格がなければ答えられない問題ではありません。フィフスクエスチョンについて、回答はイエスorノーの二択です。幼稚園児にだって答えられますよ。これほどフェアなゲームがありますか?」
 ひとつもフェアじゃない、と里美は手のひらで涙を拭った。
「こんな状況でなければ、あたしだってイエス、ノーの判断ぐらいできる。でも、今は違う。そうでしょう?」
 最初の話とも違う、と里美は叫んだ。
「マッチングしなければ罰ゲーム、マッチングすればプレゼントをすると言ってたはずよ。あたしたちはさっきの問題にマッチングした。プレゼントを受ける権利がある」
 あなたの目の前に、とピエロが指を一本伸ばした。
「五百ミリリットルのペットボトルは実にささやかなプレゼントで、わたしとしても気が引けますが、そこはお許しください。そして、一度のマッチングに対し、その都度プレゼントをお贈りすると申し上げたつもりはありません。プレゼントがそのまま次のクエスチョンに直結する。それもまた、ゲームのお約束でしょう」
 ルールはそっちが決めるってことね、と里美は歯を食いしばった。世の中とは常にそういうものです、とピエロが言った。
「アンサーゲームを支配しているのは、わたしたちです。こちらの決めたルールで、ゲームに参加していただきます。政治、経済、法律、何だってそうでしょう? 定められたルールの中で、人は最善を尽くして生きていくしかありません」さて、そろそろよろしいでしょうか、とピエロが笑みを浮かべた。「フィフスクエスチョンを始めたいと思います。例によってシンキングタイムは三十分、では、どうぞ!」
 モニターが切り替わり、そこに30:00という数字が浮かんだ。
『ペットボトルは一本しかありません。あなたはこの水をお相手に譲りますか?』

 29:11という数字の下に、一行のテロップが流れていた。
 答えはひとつだけだ、と毅はマジックペンを握った。ペットボトルを里美に渡す、と書くしかない。
 ピエロは否定していたが、設問の意図はお互いの愛情の確認だ。それは里美もわかっているだろう。だから、必ずマッチングする。
 ただ、問題がひとつだけあった。マッチングしたとしても、ペットボトルの水が一本しかないのであれば、それはどちらの手に渡るのか。
 里美であっても構わない、と毅は思っていた。愛情や思いやりや自己犠牲の精神というよりも、自分はもう少し渇きに耐えられる。より切実に水を欲しているのは、里美の方だろう。
 閉塞された空間のプレッシャーは凄まじい。窓すらないため、息苦しさを感じる。壁が迫ってくるような錯覚さえあった。
 心理的な抑圧による思い込みだが、異常な状況なのは確かだ。緊張が全身を包み込み、叫び出したくなる衝動を堪えるだけでも精一杯だった。
 自分でもそうなのだから、里美はもっと苦しいだろう。ひと口水を飲むだけで、プレッシャーは軽減されるはずだ。
 このクエスチョンを含め、まだ六問残っている。里美が冷静にならなければ、アンサーゲームも何もない。マッチングに失敗し、自滅するだけだ。
 その一方で、不安は当然あった。すべてが終わるまで、二、三時間はかかる。それだけの時間、俺は水なしで耐えられるだろうか。
 フィフスクエスチョンに対し、回答は決まっていたから、考える必要はなかった。シンキングタイムはまだ二十八分以上残っている。
 その間に水を探そう、と椅子から立ち上がった。あるとすれば、トイレだ。水洗でないことはわかっていたが、この空間において考えられる場所はトイレしかなかった。徹底的に調べれば、水が見つからなくても、他に何かわかるかもしれない。
 白熱電球が灯っているため、辺りはよく見えるようになっていた。天井に数台のカメラが設置されているのは間違いない。
 一台のカメラだけで、十メートル四方の箱の中をすべて映し出すことはできない。どこかに死角ができる。ピエロたちは、自分と里美の動きをすべて監視している。
 それならそれで構わない。まっすぐ部屋の隅にあるトイレへ向かった。
 トイレの造りそのものは頑丈だが、上蓋はなく便座も外せそうだ。触れてみると、プラスチック製だとわかった。強度はないだろうが、何かに使えるのではないか。
 迷わず、両腕で左右に捩ると、鈍い音がして便座が外れた。軽い。鉄板でできている壁を壊すことなどできるはずもないが、例えば、この部屋に誰かが入ってきた時に殴りつけるぐらいはできるだろう。少なくとも武器にはなる、と毅はうなずいた。
 他に何かないかと辺りを見回すと、トイレットペーパーがロールごとひとつ床に置いてあった。後は便器の後ろに、一千万円の現金が入っている革のバッグがあるだけだ。
(どうして水が流れないのか)
 ピエロ、そしてそのバックにいる連中の意図がわからなかった。これだけの大仕掛けを準備するためには、資金はもちろんだが、手間や時間もかかったはずだ。
 そして、ピエロの口ぶりだと、このアンサーゲームは今回が初めてではない。確か、一番最初にピエロは〝第四回アンサーゲーム〟と言っていた。
 それが事実だとすれば、俺たちが四組目ということになる。これだけのコンテナを用意し、カメラやスピーカー、モニターをセッティングしている。トイレもそうだ。
 過去に三回アンサーゲームが行われているとすれば、トイレの洗浄はどうしていたのか。全員が尿意を感じなかったとは思えない。
 いちいち、外部から水を持ち込んで便器を洗っているのか。なぜそんな手間をかけるのか、まるでわからなかった。
 改めて手にしていた便座を見ると、汚れはまったくなかった。新品だ。
 毎回、新しいコンテナを準備し、機材をセッティングしている、と毅はつぶやいた。トイレもそうなのだろう。
 理由はわからなかったが、胸に湧き上がってくる不安を抑えることができなくなった。
 なぜだ? 何のためにそんなことを?
 答えは見つからなかった。明確になったのは、トイレ周りに水がない、ということだけだ。
 苛立ちが募る。どうしてこんな目に遭わなきゃいけないんだ。いったい俺が何をしたというんだ。
 他に調べる場所はないか。毅は正面の壁の前に立った。
 モニターを保護するかのように壁にはめ込まれたガラスの枠に、わずかだが隙間があった。外せるか?
 毅は隙間に指をかけ、力まかせに引っ張った。だがガラスはピクリともせず、人差し指の爪を剥がしただけだった。
 一瞬、モニターに毅の姿が映った。右手を押さえて、うずくまっている。
 声こそ聞こえなかったが、それが悲鳴だと里美にはわかった。怪我をしたのだろうか。何があったの?
「お願い、お願いだから毅と話をさせて!」どうなってるの、と里美は大声で叫んだ。「彼に何をしたの? あれは……血?」
 何もしておりません、とモニターに映ったピエロが静かに口を開いた。
「どういう形であれ、こちらからお二人に直接暴力をふるうような真似はしてませんし、今後もそのようなことはあり得ません」
 だって怪我してる、と里美はモニターを指した。
「手? 指? 血が出てた。絶対に怪我してる。彼に何をしたの?」
 愛情溢れるお言葉です、とピエロが満足そうにうなずいた。
「やはりあなたたちは素晴らしいベストカップルです。アンサーゲームに参加できるのは、選ばれた者たちだけですからね。愛情の深さもその尺度のひとつです。愛がなければマッチングしません。それでは、ゲームとしての楽しみがないでしょう?」
 何を言ってるかわからない、と里美はモニターを手のひらで叩いた。
「お願いだから、彼と話をさせて。無事かどうか、確認するだけでいいの。ここまで、あなたの指示に従ってきた。それは認めるでしょ? 一度だけでいいから、あたしの頼みも聞いて。彼と話をさせて!」
 ディスカッションの要請ということでよろしいでしょうか、とピエロが首を傾げた。
「ディスカッション?」
 そうです、と首を傾けたままピエロがうなずいた。
「アンサーゲームスタート時に説明しましたが、お二人にはディスカッションのチャンスが三回与えられています。最初のトークタイムは除きますので、まだ三回丸々残っています。ですが、今お使いになるのはどうなのでしょう」
 余計なお世話かもしれませんが、今後ディスカッションが重要になってきます、とピエロが首を元に戻した。
「三回しかないチャンスの一回を、パートナーが無事かどうか確認するためだけにお使いになるというのは、いかがなものでしょう。くどいようですが、こちらから樋口様に暴力は行使しておりません」
 ディスカッションでも何でもいいと叫んだ里美に、ではモニター上部の白いボタンを押してくださいとピエロが言った。
「樋口様が応じれば、ディスカッションがスタートします。ただし、制限時間は三十秒しかありません。本当によろしいのですね?」
 里美は白いボタンを叩きつけるようにして押した。天井に吊るされている電球の光が、明度を増した。
(第8回へつづく)

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五十嵐 貴久Takahisa Igarashi

1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2001年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞しデビュー。以降、ミステリーや警察小説、青春小説、恋愛小説など、幅広いジャンルで話題作を発表する。07年『シャーロック・ホームズと賢者の石』で第30回日本シャーロック・ホームズ賞を受賞。08年『相棒』で第14回中山義秀文学賞候補、11年『サウンド・オブ・サイレンス』で第28回坪田譲治文学賞候補。著書多数。

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