双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アンサーゲーム / 五十嵐貴久・著

©️ノグチユミコ

第3回

 モニター上でテーブルを叩いて笑っているピエロ、フリップを手に顔を真っ青にしている里美。そして呆然としている自分の顔が交互にモニターに映し出されていた。
 いいかげんにしろ、と毅はフリップを床に叩き付けた。
「いつまで笑ってれば気が済む? 癇に障るんだ、お前の声は。その口を閉じろ、馬鹿野郎!」
 失礼しました、とピエロが無言になった。同時に、毅の中で里美に対する苛立ちが大きくなっていた。
 六年前の入社式。そんなわけないじゃないか。
 あの時、本社の大ホールには千人近い社員が顔を揃えていた。自分はその中の一人に過ぎなかった。
 社員たちの側は自己紹介する新入社員一人ずつについて、何となく覚えていただろうが、新入社員の方はそれどころではなかったはずだ。
 そもそも、千人という人数の名前や顔を覚えるどころか、認識すらできるはずもない。それを「会った」とは言わないだろう。
 どうしてそんな簡単なことがわからないのか。里美はお嬢様育ちの箱入り娘で、多少天然なところがある。それにしても、ここまでとは思っていなかった。どうかしてるんじゃないのか。
 大変申し訳ありませんでした、とピエロが真っ赤な口を動かした。
「何しろファーストクエスチョンでのミスマッチは、過去に例がありませんでしたので……当然、マッチングすると思っておりました。お二人とも自信がおありのようでしたし、すんなり進むと思い込んでいたものですから、つい笑ってしまいました。MCとしてあるまじき失態です。反省しております」
 もういい、と毅は正面からモニターを睨みつけた。
「お前がどう思おうと勝手だが、言いたいことがある。設問がおかしいじゃないか」
 どういう意味でしょう、とピエロが首を傾げた。意味が曖昧過ぎる、と毅は怒鳴った。
「〝会った〟というのが何を指しているのか、その説明がない。〝会う〟という言葉の定義は、人それぞれだ。個人差があり過ぎて、回答がマッチングするはずない。こんなのは茶番だ」
 おやおや、とピエロが更に首を曲げた。ほとんど肩につくほどで、本物の人形のようだった。
「お二人は結婚式において、誓いの言葉を述べられていたはずです。お互い愛し合い、信じ合い、理解し合っていると。あの言葉は嘘だったのでしょうか」まさか、そんなはずはありません、とピエロが首を曲げたまま両手を大きく横に振った。「わたしが過去に見てきた何百何千何万というカップルの中でも、ベストと断言してもいいほどお似合いの二人です。お互いの愛情も、誰よりも強く、深く、大きいでしょう。誓いの言葉に嘘など混じる余地はありません。ですよね?」
 皮肉は止せ、と毅は顔をしかめた。失礼しました、とピエロがゆっくり顔を元の位置に戻した。
「もちろん、どれだけ愛情が深くても、少しばかり考え方に相違があるのは当然です。男性と女性という性差だけでも、立場が違いますからね。ファーストクエスチョンでそれが明確になったのは、今後アンサーゲームを進めていく上で、お二人にとってむしろ有利に働くのではないでしょうか」
 もういいだろう、と毅は吐き捨てた。うんざりだ。ピエロも、アンサーゲームも、この場所も。
「ただ、ひとつだけ忠告させていただきますが、ディスカッションのチャンスは三回ある、と最初に申し上げたはずです。失礼ながら、少々安易に考えておられたのではありませんか?」
「安易?」
「アンサーゲームと申しておりますが、ゲームというワードを遊びと捉えていただくのはいかがなものかと存じます。確かに辞書を開けば、ゲームとは一般に遊び、遊戯を指しますけれど、語源的には戦い、猟、獲物という意味があります。戦いで勝利を得るためには、作戦を立てることが重要でしょう。お二人は、戦いを始める前にまずディスカッション、つまり作戦会議をされるべきだったのです」
 真剣に向き合った方がよろしいかと存じます、と最後にピエロが言った。
 こんな冗談にどう向き合えというんだ、と叫んだ毅の耳に、それでは罰ゲームの執行ですという声が響き、同時に天井の赤い電球が消えた。
「十秒後、モニターも切れます。あなた方は真の暗闇に取り残されます。こちらからは何も致しませんが、何も見えないというのは不快なことでしょう。同情しておりますよ」
 言葉が終わるのと同時に、モニター画面が消え、一瞬で部屋全体が闇となった。
 いいかげんにしろ、と立ち上がった足がパイプ椅子に当たり、痛みに毅は膝を押さえた。
「おい、話を聞け! とにかく明かりをつけろ。いったい何がしたい?」
 本能的に湧き上がってくる恐怖を堪えながら、毅は叫んだ。返事はない。
 どういうつもりだ、と自分の体を探った。ぶつけた膝が痛むが、出血はしていないようだ。
「これじゃ何も見えない。アンサーゲームも何もないだろう。何がしたいのかわからないが、もういいだろ? 十分じゃないか、明かりをつけてくれ」
 両手と両膝を床について、慎重に進むと、前に伸ばした手に壁が触れた。
 何も見えない真の闇の中、壁を調べたが、どこにも隙間はなかった。畜生。なぜだ。つぶやきながら、冷静になれと自分自身に言い聞かせた。
 自分がここにいるのは、誰かが中へ入れたからで、少なくとも、どこかに出入口がなければならない。それが壁に埋め込まれているとしても、ドアノブや取っ手のようなものはあるはずだ。どんな構造のものであったとしても隙間や凹凸がある。それさえ見つからないのはなぜなのか。
 壁と床を何度も叩いたが、頑丈な鉄板でできてるため、壊れることはおろか、へこむことさえなかった。傷さえついていないだろう。
 悪戯じゃないのか、とつぶやきが漏れた。だとしたら、目的は何だ。
 わからないまま、目を凝らして辺りを見つめた。何も見えなかった。
 暗闇の中、里美は椅子に座って自分の肩を抱いていた。体の震えが止まらない。恐怖と不安で頭が混乱していた。
 明かりをつけて、と何度叫んだかわからなかったが、何の答えもなかった。いつの間にか叫び声は嗚咽に変わり、それさえ止まっていた。 
 過呼吸になっていることに気づき、息をゆっくり吐くと、ようやく少し落ち着いた。毅と両親の顔が頭にちらついたが、助けを求めてもどうにもならないだろう。
 ファーストクエスチョンがマッチングしなかったのは自分の判断ミスだ、と里美は心のどこかで認めていた。
「会った」の定義について、もっと深く考えるべきだった。というより、考え過ぎていたのだろう。
 入社式で毅があたしのことを知ったのは間違いない。そこを重視し過ぎた。問題をストレートに解釈すれば、毅の回答の方が正しい。
「会う」という言葉には、コミュニケーションがあったという意味が含まれる。それが常識的な考え方だろう。
 もちろん、設問が曖昧で「会った」とは何を指すのか、具体的に示されていないのだから、どうしても解釈は分かれる。ピエロのせいだ、と里美は溢れてきた涙を拭った。
 ただ、毅にも責任があるだろう。ピエロが言っていた通り、まず最初にディスカッション、つまり話し合うべきだったのだ。
 何よりもまずお互いの安否を確認するのが優先されるし、そのためには声を聞くのが一番早い。話すだけでも感覚を共有することができただろう。
 そうであれば、初めて会ったのはいつ、どこでという簡単な問題で、ミスマッチなどあり得なかった。
 毅の考えはわかっていた。頭の回転が速く、ビジネスマンとして優秀な人だ。
 ディスカッションのチャンスが三回しかないとわかり、簡単な問題のためにその一回を使うのは効率が悪いと考えたのだろう。
 それが間違っているとは言わない。メリットデメリット、効率面から考えれば正しい選択だ。それはわかっていたが、どこかに苛立ちもあった。
 異常な状況に置かれていることがわかれば、効率や計算より感情が動くのが人間だろう。毅はあたしのことを心配していない? 無事を確認しようとは思わなかったの?
 モニター越しに毅の姿を見ていたが、下着姿だった。彼も同じようにあたしの姿を見たはずだ。
 あたしがそうしたように、毅も自分の体を探っただろう。悪戯をされていないか、怪我はしていないか。
 毅は傷などがないことを確認し、あたしも同じだと判断した。実際にその通りで、髪の毛一本も傷ついていない。それでも恋人、あるいは夫なら、心配するのが普通ではないのか。
 毅のことを愛しているし、結婚して幸せだと喜びを感じていたが、心の中にひとつだけ不安があった。毅は確かに頭がいいし、尊敬できる。ただ、計算が先に立つ性格だ。頭が良すぎるのだろう。
 一流大学を優秀な成績で卒業したエリート。社内の若手社員の中でもトップのポジションにいる。何事もそつなくこなし、上司や先輩、同僚や後輩にも気を使える男。
 理想的な男性だと思っていたし、交際を申し込まれた時から、結婚するつもりだった。ルックスも良く、男性として魅力的だ。夫として、彼以上の男性はいないだろう。
 ただ、時々、ほんの一瞬、悪い意味ではなく、その完璧さが気になる時があった。それも魅力のひとつだったし、頼もしいとさえ思っていた。ただ、拭い切れない染みのような何かを感じていたのも本当だ。
 毅はディスカッションする必要はないと判断し、ボタンを押さなかった。それは正しいとわかっていたが、それでもこの状況では声が聞きたかった。
 大丈夫か、というひと言があれば、もっと落ち着いて考えることもできたはずだ。
 でも、と里美は頭を振った。今なら間に合う。毅なら修正できる。自分の過ちにも気づいているはずだ。
 いつまでもこの状態が続くはずがない。ピエロは全十問のアンサーゲームと言っていた。
 この暗闇の中では、フリップに答えを書くことすらできない。いずれ必ず照明はつく。今は待つしかない。
 口の中に溜まっていた唾を飲み込んだ。今欲しいのは明かり、そして水だ。
 考えに集中していたためか、体の震えは収まっていた。怖かったが、必ず助かると信じていた。
 暗闇の中で、毅は時間の感覚を失いつつあった。一分が一時間の長さに感じられる。あるいは、一時間を一分と錯覚しているのか。
 何度かピエロに呼びかけたが、返事はなかった。最初のうちは声も出ていたが、今は喉が嗄れ、老人のような嗄れ声しか出せなくなっていた。
 水が欲しかった。結婚式の二次会後、ホテルのセミスイートに入った時にミネラルウォーターを飲んでいたが、あれから少なくとも十時間近く経過しているはずだ。渇きは強烈で、ピエロへの訴えもそればかりになっていた。
 トイレを確かめると、便座こそ洋式だが、形式は和式便所で、水は流れない仕組みだった。水分を摂取していないのに尿意だけはあり、暗闇の中二度小用を足していた。
 もう許してくれ、と毅は床に尻をつけたまま呻いた。しばらくの静寂の後、ピエロの声が流れ出した。
「いかがでしょう、アンサーゲーム、楽しんでいただけてますでしょうか。残念ながら、ファーストクエスチョンはミスマッチになりましたが、ルールとして三回まで許されます。つまり、挽回のチャンスはあるということで――」
 もう止めよう、と毅は顔を上げた。ピエロの声がどこから聞こえてくるのか、それさえわからなかった。
「ギブアップと言えばいいのか? こんなことをして何の得がある? この状況は明らかに拉致監禁だし、誘拐のつもりならそう言ってくれ。俺の親も里美の実家も、それなりに金はあるし、知ってるだろうが、永和商事は社員を家族と考える会社だ。身代金を要求すれば、応じてくれるだろう。いくら欲しいんだ?」
 心外ですね、とピエロが言った。
「拉致監禁? 誘拐? そのような犯罪行為ではありません。これはアンサーゲームなのです」
「そうかもしれないが――」
 お金を払えば解放されるようなゲームに、何の面白みがあるというんです、とピエロが舌打ちした。
「そんなつまらないゲームに興味を持つ者なんていませんよ。よろしいですか、ミッションは簡単です。あなたたちはアンサーゲームをクリアすれば、それだけで解放されます。しかも豪華商品と高額賞金というオプションまで手に入るんです。こんなフェアなゲーム、他にはないでしょう」
 ちっともフェアじゃない、と固定されている椅子に手を掛けて、毅は立ち上がった。沈黙が続いた。
「……説明不足については、わたしも責任を感じています」ピエロのため息が部屋に流れた。「ゲーム開始において、通常ならディスカッションとは別に一回のトークタイムを設けているのですが、何しろお二人は過去に例がないほど相思相愛のベストカップルです。その必要はないと判断したのですが、それはわたしのミスだったと認めましょう。そこで提案があるのですが、聞いていただけますか」
 何が言いたい、と毅は怒りを堪えて唾を飲み込んだ。通常ルールですとトークタイムは三分間ですが、とピエロが言った。
「今回、わたしの誤解によって、ファーストクエスチョンがミスマッチになってしまいました。謝罪の意味を含め、五分間に延長したいと考えます。受け入れていただけますでしょうか」
 突然正面のモニターがつき、毅は思わず顔を手で覆った。闇の中にぼんやりと里美の顔が映し出されている。決して明るい光ではなかったが、闇に慣れた目には、それさえ眩しかった。
 里美も同じなのだろう。目を押さえながら、何度もまばたきを繰り返しているのがわかった。
 そのままモニターに近づいてください、とピエロの声が流れるのと同時に、モニター上部の壁が音を立てて開いた。
「トークタイム用のPHSが入っています。どうぞお使いください」
 手を差し入れると、固い塊の感触があった。取り出すと、ピエロが言っていた通り、今ではほとんど見ることのない小型のPHSだった。
 躊躇せず、毅は110と番号をプッシュした。二度目の呼び出し音で相手が出た。
「助けてくれ! わたしは樋口毅、東京の永和商事に勤めています。正体不明の人物に誘拐されました。今、どこにいるかさえわかりませんが、電波の発信元をたどれば――」
 残念でした、という声が耳元でした。
「いえ、あなたは間違っていません。誰でも警察に助けを求めるでしょう」ピエロの含み笑いが聞こえた。「ですが、それはわたしも予測しておりました。そのPHSは、外線機能を使用不能にしてあります。使用可能なのは内線機能のみで、110でも119でも、どの番号を押しても、繋がるのはわたしなんですよ」
「それなら最初からトランシーバーを用意しておけよ!」悪趣味だ、と毅は吐き捨てた。「わざとPHSにしたな? からかっているのか」
 違います、とピエロが言った。
「通常のトランシーバーですと、不特定多数の方に聞かれる恐れがあります。PHSならその心配は不要です。わたしと話がしたいのであれば、いくらでもお付き合いしますが、そういうことでしょうか? それとも奥様と話を――」
 里美と話をさせろ、と毅はPHSを強く握った。では、1を押してください、とピエロが言った。
「それで奥様と繋がります。会話が始まりますと、五分後自動的に通話が切れるように設定してありますので、ご注意ください。要点を押さえて、要領よく話すのが肝要かと思います」
 ピエロとの通話を切り、1のボタンに指を掛けたが、押さずに目をつぶった。落ち着け、まず考えろ。
 ピエロの言っていることは正しい。五分は短い。何も考えずに話せば、あっと言う間に終わってしまうだろう。
 要点を整理しろ、と自分に言い聞かせた。まず里美が無事かどうか、その確認が先だ。そしてお互いの状況を伝え、覚えていることがあれば、それを聞き出さなければならない。
 この際、ピエロが誰なのか、ここはどこなのか、そんなことはどうでもいい。この部屋から脱出するための手掛かりを探ることを、最優先にするべきだろう。
 もちろん、アンサーゲームへの対策も話し合わなければならない。ここから出るために一番早い方法は、ゲームをクリアすることだ。そして――
 いきなり着信音が鳴り出した。反射的に毅はボタンを押していた。
(第4回へつづく)

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五十嵐 貴久Takahisa Igarashi

1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2001年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞しデビュー。以降、ミステリーや警察小説、青春小説、恋愛小説など、幅広いジャンルで話題作を発表する。07年『シャーロック・ホームズと賢者の石』で第30回日本シャーロック・ホームズ賞を受賞。08年『相棒』で第14回中山義秀文学賞候補、11年『サウンド・オブ・サイレンス』で第28回坪田譲治文学賞候補。著書多数。

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