双葉社web文芸マガジン[カラフル]

アンサーゲーム / 五十嵐貴久・著

©️ノグチユミコ

第13回
 フリップには〝1位〟と書いた。他に答えようがない。
 この問題はおかしい、と毅は最初から思っていた。例えばだが、小学校の時の初恋の相手と、里美を比べることなど、できるはずがない。年齢も環境も状況も違う。どちらの方をより愛していたかと問われても、答えなど出せない。
 過去、真剣な恋をしたこともあった。遊びで付き合った女もいた。後者はともかく、前者について、その時点で誰よりも愛していたのは間違いない事実だ。そこに優劣などつけられない。
 強いて言うとすれば、全員一位ということになる。結局、回答は一位と書くしかないのだ。
 だから、一位としたことに不安はなかった。里美だって、おれを一位と書いているはずだ。
 それはいい、と頭を振った。モニターには十一人の女性の写真、そして3:45という数字が映っている。いったいどうやって、あの十一人のことを奴らは知ったのか。
 調べた、ということなのだろう。大金を使い、興信所でも雇ったのか、そんなところだろうと察しはついたが、いったいいつそんなことをしたのか。
 中一の時、おれと美月が付き合っていたことは、当時のクラスメイトなら誰でも知ってる。それでも、部外者にわかるはずがない。 
 里美が言っていた通りだとすれば、奴らは里美が大学生の頃から、身辺を調べていたことになる。もしかしたら、もっと前からかもしれない。その理由も不明だが、今はそれについて考える余裕がなかった。
 おれは里美と結婚を決めたことによって、奴らのターゲットになった。そういうことなのか。
 それにしても、どうやって調べたのか。クラスメイトたちの名前や連絡先は、卒業アルバムを入手すればわかっただろう。今も親しくしている仲間については、一、二カ月に一度は集まっていたから、それも難しくない。
 だが、おれの個人情報を調べたとすれば、奴らは友人たちに会って話を聞いたことになる。どんなに自然な形で接近したとしても〝樋口毅さんと交際していた女性の話を聞かせてください〟と言われたら、誰だって警戒するだろう。
 口の軽い奴はいるし、意図に気づかず答えてしまった者もいるかもしれない。だが、全員とは思えない。そのうちの誰かは〝お前の昔の彼女のことを聞いてきた奴がいた〟と、おれに連絡してくるだろう。
 大金を渡して、黙らせたのか。そんなことをするメリットなど、何もないはずだ。
 屋代彩と桜沢百合のことは、友人たちは絶対に知らない。おれは誰にも、ひと言も話していない。それなのに、なぜ知っている?
「後、五分です」
 モニターの写真が消え、代わりにピエロが現われた。分厚いメイクの下で何を考えているのか、毅にはわからなかった。
 フリップに〝1位〟と書き込みながら、里美はため息をついた。
 混乱していたが、一位と回答するしかないとわかっていた。実際に誰よりも愛しているのは毅で、他の男のことはどうでもいい。
 毅だって、一位と書くに決まってる。マッチングには確信があった。
 残り時間は五分を切っている。モニターに映っているのは、刻々と減っていく数字だけで、それ以外何もない。
 あと三問、とつぶやいた。確実にこの問題はマッチングする。実質的にはあと二問だ。
 そして、ディスカッションのチャンスが一回残っている。アンサーゲームをクリアすることは、十分に可能なはずだ。
 だが、一抹の不安があった。もし最後の十問目まで全問マッチングしても、ピエロたちはあたしと毅のことを解放するだろうか。
 少なくとも大学生の頃から、おそらくはもっと前から、ピエロたちはあたしを監視し、調べていた。十年以上ということも有り得る。
 一人でできるはずもない。関わっていた人間は十人、二十人、もっと多いかもしれない。費用だってかかっただろう。
 そんなことをしてまで、このアンサーゲームを計画し、実行している。ゲームをクリアしたからといって、簡単にあたしたちのことを解放するとは思えない。
 誰にも言わないとピエロには約束したが、それは方便に過ぎない。無事にここを出たら、その足で警察へ駆け込むつもりだった。
 肉体的な危害こそ加えられていないが、ホテルの部屋から拉致し、このコンテナに監禁したのは、犯罪以外の何物でもない。単純に言えば誘拐だ。
 そして、このアンサーゲームは前にも行われていたようだ。一番最初に、第四回アンサーゲーム、とピエロは言っていたが、それが事実だとすれば、過去に三組のカップルが誘拐されていたことになる。
 その人たちがどうなったかも、警察は調べるだろう。もし死亡した者がいたとすれば、それは殺人だ。殺人犯として逮捕されるリスクを冒してまで、こんなことをしているのか。
 背中を冷や汗が伝った。まさか、ピエロたちはゲームをクリアしても、あたしたちのことを――。
 毅、とつぶやきが漏れた。助けて、毅。あたし怖い。どうすればいいのかわからない。
 タイムアップです、とモニターの画面一杯にピエロの顔が大映しになった。
「いかがでしょう、回答は書き終えていますね? 決して難しい問題ではございません。お互いの愛を信じていれば、マッチングは簡単で――」
 御託はたくさんだ、と毅は怒鳴った。
「答えは書いた。さっさとこの下らないゲームを進めろ」
 モニターにフリップを向けてください、とピエロが微笑を浮かべた。二人が同じタイミングでフリップを掲げると、ナイスマッチング、というピエロの声と共に、ファンファーレが鳴った。
「〝1位〟、〝1位〟、いや、一言一句違っておりません。さすがに愛し愛されているカップルは違います。ここまで完全にアンサーが同じですと、わたしも気持ちがいいです」
 お前の気分なんか知ったことか、と毅はフリップをモニターに投げつけた。
「さっさと次の問題を出せ。いつまでもこんな悪い冗談に付き合ってられるか。早く終わらせたいんだ、おれは」
「奇遇ですね、わたしもまったく同じことを考えておりました」ですがその前に、とピエロが両手を広げた。「今回、マッチングに成功されたお二人に、ささやかながらプレゼントをさせていただきます。まず、これはわたしの個人的なプレゼントとお考えいただきたいのですが、エアコンをオンにします。いかがですか?」
 初めてまともなことを言ったな、と毅は額に滲んでいる汗を拭った。
「そうしてくれ。ずっと思ってた。ここは暑い。頭がぼんやりするほどだ」
 窓がありませんからね、とピエロがうなずいた。
「申し訳ありません。もっとも、外の気温は十五度ですから、必要ないだろうと思っていたのですが……わかりましたわかりました、すぐエアコンをつけます」
 上方から鈍い音がして、空気が流れ込んできたのがわかった。溜まっていた酢の臭いが拡散されていく。
「さて、こちらはわたしの個人的なプレゼントでしたが、アンサーゲームからも賞品がございます。というよりも、ヒントと言うべきでしょうか」
「ヒント?」
 クエスチョンはあと二問残っております、とピエロが指を二本立てた。
「ただし、次にミスマッチがあれば、そこでゲームオーバーとなります。あなたがたお二人にはディスカッションのチャンスが一回だけありますが、これではフェアと言えません。ゲームとは公平さがなければ成立しないものです」
 ヒントってどういう意味だ、と毅は立ち上がった。残る二問の出題前に、回答のヒントとなるものをお見せ致しましょうとピエロが言った。
「ですが、あなた方に辛い思いを抱かせる可能性があります。そして、お二人がお互いを心から信じているのであれば、ヒントなど必要ないのかもしれません。愛情と信頼があれば、必ずマッチングする。それがアンサーゲームなのです」
 それは聞き飽きた、と毅は横を向いた。
「辛い思いと言ったな。どういう意味だ?」
 真実は時として人を傷つけるものです、とピエロが静かな声で言った。
「ですが、それを乗り越えることによって、真の愛情が育まれ、絆が深まるのもまた人生の真実です。いかがなさいますか、ヒントをご覧になりますか?」
 待て、と毅は片手を上げた。ピエロの声に、意図が感じられた。何かの罠ではないのか。
「選択はあなたの自由意志に委ねます。ご覧になるということであれば、そうおっしゃってください。拒否するのもひとつの見識です。現実を知るのは、誰にとっても辛いものですからね」
「何を見せるつもりなんだ?」
「わたしの口からは申せません。見るか見ないかは、あなたご自身で判断してください。もうひとつ、もし三回目のディスカッションをお使いになるのであれば、今までは三十秒でしたが、三分間を与えます。最後のディスカッションです。相談の時間を長く取るべきだと、わたしは思っております」
「里美にも同じことを伝えてるのか?」
 もちろんです、とピエロが大きくうなずいた。
「既にお話ししました。まだお返事はありませんが」
「もう一度だけ聞く。何を見せようとしている? おれに見せるものと、里美に見せるものとは違うのか?」
 あなたはタフなネゴシエーターです、とピエロが感心したように首を振った。
「一流企業の優秀な営業マンともなると、諦めるという選択肢はないのでしょうね。最後の最後まで粘るその姿勢には感服しました。それでは改めてお答えします。今から何をお見せするか、それは申し上げられません。あなたが見ないとおっしゃるのであれば、それだけのことです。アンサーゲームは通常通り進行致します」
「おれと里美に別のものを見せるつもりなんだな?」
 そういうことになります、とピエロが言った。
「お二人がご覧になるのは、それぞれ違います。ですが、お互いの合意があれば、あなたが見たものを奥様に、奥様が見たものをあなたに、後ほどお見せします。それは見終わってからご検討ください。よろしいでしょうか、ご理解いただけましたか? 樋口様、ヒントをご覧になりますか?」
 待て、と毅は額を押さえた。エアコンが効いているにもかかわらず、汗が浮いている。
「少し考えさせろ。構わないだろ?」
 早く終わらせたいとおっしゃったのはあなたですが、とピエロが皮肉な笑みを浮かべた。
「よろしいでしょう。お考えください。五分間、お待ちします」
 モニターが切り替わり、5:00という数字が映った。奴は何をしたいんだ、と毅はこめかみを強く押した。
 何を見せるっていうの、と里美はつぶやいた。
 真っ先に思い浮かんだのは、自分の裸の写真だ。大学生の頃、数カ月だけ付き合った港という男に、裸体を撮られたことがあった。
 どうしてそうなったのか、今もよくわからない。酔っていたわけでもないのに、何となく服を脱ぎ、その姿を撮影させた。刺激が欲しかったのだろうか。
 港も大学生で、悪い男ではなかった。別れる時、携帯電話に残っていた自分の写真をすべて消してほしいと伝えると、目の前で削除してくれた。彼にとっても、何の気もなしに撮っただけのことだったのだろう。
 もう八年前のことで、写真を消したのは自分でも確認しているし、もし港がパソコンに画像を移していたとしても、悪用されたり、リベンジポルノとしてネット上で晒されたこともなかった。もしそんなことがあれば、自分でなくても友人の誰かが気づいただろう。
 では、他の何かなのか。ピエロたちはあたしの行動を長い間監視していた。その間、撮影や盗聴もしていたはずだ。そういう何かを毅に見せるつもりなのか。
 男とデートしたり、路上や電車でキスをしたり、そんな写真や動画があるのかもしれない。まるで写真週刊誌だが、それぐらいのことは簡単にできただろう。
 でも、と思った。若気の至りではないけれど、誰だって覚えがあるのではないか。
 実際に、あたしは毅とも外でキスをしたことが何度もある。食事をしている店、タクシーで送られている車内、会社帰りのエレベーターの中。
 過去に付き合っていた男たちとの、そんな写真を見たら、毅が不愉快になるのはわかりきった話だ。あたしだって、毅が女と腕を組んで歩いていたり、楽しそうにじゃれ合っている写真を見たら、苛つくに決まってる。
 ただ、それはお互い様だ。あたしと毅は、それぞれの過去を話している。言っていないこともあるけれど、かなり深く、きわどいエピソードを話したこともあった。
 不快になり、傷つくかもしれない。でも、それは決定的なことにならないとわかっている。それぐらいの寛容さは持ち合わせているつもりだ。
 そうであるなら、残る二つのクエスチョンに対するヒントになる何かを見ておいた方がいいのではないか。今、どれだけ嫌な思いをしたとしても、ここから出るために必要なら、見るべきだ。後のことは後で考えればいい。
 それとも、もっと酷い何かなのか、あたしにとって致命的な何か。
 例えば東山だ。彼とのことを盗撮されていたとしたら、言い訳も何もない。毅がどれだけ傷つき、怒るか、想像もつかない。
 もし東山なら、見せるわけにはいかない。あれを見られたら、ここを出たとしてもあたしは終わる。
 どうして、と里美は顔を両手で覆った。どうしてあんな男と寝たんだろう。そして、どうして今も忘れられないのだろう。
 正確に五分後、モニターに現われたピエロが、いかがでしょうと口を開いた。
「ナインスクエスチョンの前にヒントをご覧になりますか? 参考までに、これはテンスクエスチョンのヒントでもあります。ですが、あなたの判断を迷わせるところがあるかもしれません。どちらを選ぶかは、あなたの自由です」
「そのヒントがなければ、マッチングしないということか?」
 毅の問いに、それはわかりませんとピエロが答えた。
「アンサーゲームの特性について、もう一度お考えください。これはクイズではありません。知識量や直感力も関係ないのです。いわゆるゲームの正解は、お二人の答えが同じであることで、それがあなたにとって真実であるかどうかは関係ありません。何度も繰り返しているように、愛情と信頼、つまりお相手を思いやる心さえあれば、必ずマッチングします。その意味で、アンサーゲームは決して難しくありません」
 ヒントを見れば、判断を迷わせるかもしれないと言ったな、と毅はモニターに指を突き付けた。
「それなら、意味がないだろう。見るメリットは何もない」
 あなたは何もわかっておられない、とピエロがため息をついた。
「奥様のことをお考えください。わたしは奥様にも同じ説明をしています。奥様がヒントをご覧になるかどうか、現時点ではわかっていません。見るとおっしゃるかもしれませんし、見ないと返事をされるかもしれません。仮にですが、あなたが見ないと決め、奥様が見ると言った場合、どうなると思います?」
 それは、と毅は口をつぐんだ。二人の判断が違った場合、どちらか片方にだけ情報が与えられることになる。
 そうです、とピエロが大きくうなずいた。
「既にナインスクエスチョンは始まっているのです。ヒント、つまり情報をどちらかだけが持つことになれば、お二人にとって不利な展開になるのはおわかりですね? はっきり言えば、お二人とも見るか、お二人とも見ないか、それ以外このシチュエーションで正解はありません。そこを考えた上で、どうするかお決めください」
 ピエロが口を閉じる寸前、ほとんど聞き取れないほど小さな声がした。今、何と言ったと毅はモニターを睨んだが、何のことでしょうとピエロが首を思いきり右に曲げた。
「さて、いかがなさいますか。わたしもあなたもアンサーゲームを一分でも早く終わらせたいと考えています。どんなに面白いゲームでも、どこかで飽きるのが人間というものじゃありませんか。そろそろ考えはまとまったでしょう。ヒントを見ますか、それとも見ないことにしますか?」
 くそ、と毅は両手で自分の髪の毛を掴んだ。ヒントを見ない方がいい、という直感がある。それは頭で考えた結論ではなく、全身の反応だった。嫌な予感しかしない。
 だが、里美は見ると答えるだろう。情報量を増やしたいということもあるだろうし、見ないでいる方が不安なのはよくわかる。
 見せてもらおうじゃないか、と毅は歯を食いしばった。
「お前たちの策に乗ってやろう。毒を食らわば皿までだ。どうせ里美は見るに決まってる。お前の言う通り、どちらかだけが見たのでは、マッチングする確率が減るのは確かだ。さっさと見せろ、それ次第でこっちも考える」
 その決断は正しいと思います、とピエロが言った。
「奥様ですが、たった今、ご覧になるとお答えになりました。そうであるなら、あなたも見ておいた方がいいのは言うまでもありません。ただ、決断自体は正しいと思いますが、その後のことについては何とも言えません。ヒントをご覧になった後、ナインスクエスチョンを出題します」
 待ってくれ、と毅は身を乗り出した。
「その前にひとつだけ教えろ。さっき、お前が口を閉じた瞬間、誰かが何かを言った。否定しても無駄だ。小さな声だったが、確かに聞いたんだ」
 記憶にございません、とピエロが天井に目を向けた。そんなはずない、と毅は怒鳴った。
「駄目だ、と男が言っていた。どういう意味だ。何が駄目なんだ?」
 あまり時間はありません、とピエロが毅を正面から見つめた。
「わたしにもわからないことはありますよ。それを説明しろと言われても、無理なものは無理です。では、モニターをご覧ください。こちらがヒントとなります」
 毅の目の前で、モニターが切り替わった。一瞬、そこに何が映っているのかわからなかった。
(第14回へつづく)

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五十嵐 貴久Takahisa Igarashi

1961年東京都生まれ。成蹊大学文学部卒業。2001年『リカ』で第2回ホラーサスペンス大賞を受賞しデビュー。以降、ミステリーや警察小説、青春小説、恋愛小説など、幅広いジャンルで話題作を発表する。07年『シャーロック・ホームズと賢者の石』で第30回日本シャーロック・ホームズ賞を受賞。08年『相棒』で第14回中山義秀文学賞候補、11年『サウンド・オブ・サイレンス』で第28回坪田譲治文学賞候補。著書多数。

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