双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第7回

4章 未来医療(前半)



 秋口に身体を壊して、市立病院に2週間だけ入院することになった。
 自宅のアパートで体調が急変したのを腕時計が察知して、すぐに救急車を呼んでくれたらしい。県庁勤務時代に買ったもので、重すぎて腕に跡がつくのでちょっと後悔したけど、緊急アラート機能があるので今回ばかりは買ってよかったと思う。ひとり暮らしの必需品だ。
 入院は初めてだったけど、病院は学校と大体同じような場所だった。300床の施設には数人の看護師さんがいて、自動機械に対処できない問題だけ彼らが出てくる。2週間の入院期間中、スタッフの方は入退院時に挨拶したほかは、数回しか会っていない。毎日決まった時間に検査を受けて、薬を打たれて、病院食(外のものと大体一緒だけど)を食べて過ごした。
「やっぱり仕事が大変で倒れちゃったの?」
 とお見舞いに来た友達が言うので、見栄を張って「うん、ほんと大変だよー」とか言うけど、別にそういうわけでもない。仕事は別にきつくないし、この入院自体だいぶ昔に予言されていたからだ。
 小学生のころに受けたゲノム検査で返ってきたレポートには、25~30歳頃に1ヶ月ほどの入院が必要になるでしょう、といったことが書かれていた。子供心に1ヶ月の入院なんて終身刑みたいに思えて、家でお母さんに泣きついたのを覚えている。そのときお母さんがどんな顔をしていたのかはよく覚えていない。
 当時はまだわたしの実の父親がいたはずだけど、お父さんの反応はまったく覚えていない。反応があったのかどうかも分からない。
 ただ、いざ大人になってみると、入院なんて大したことじゃないと気づいた。妊娠出産をしている友達のほうがよほど大変だ。そして1ヶ月ではなく2週間で済んだのは、わたしがこの20年間まあまあ健康に育った証左といえるだろう。単に医学の進歩のせいかもしれない。

 でも、正直なところ入院期間はもっと長くてもよかったと思う。
 保険医療の範囲だから医療費は無料で、食費とベッド代がかかるだけだった。それに最近疎遠がちになっていた友達がいっぱいお見舞いにきてくれた。フユちゃんも仕事の合間に何回か来てくれて、病室はちょっとした同窓会になっていた。いっそアパートを解約して病院に住みたいと思った。
 むしろ困っていたのは職安のほうだった。
「おい目黒、新しいドアの閉め方が分からん」
 という電話が来たのは入院2日目の夕方ことだった。数ヶ月前の「職安狩り」以来、新しいドアになって、それ以来いろいろな機能が追加されていたのだ。
「施錠しました、って表示されるんだが、押したら開くぞ」
「そのドアは顔認証なので、わたしか大塚さんが来れば開きますよ」
「そうか、あれは閉まってたのか。よく分からんので内側から電源を切ったら、開きっぱなしになってしまった」
「そりゃそうですよ。そうしないと停電のとき困るじゃないですか」
「で、もう1回電源を入れたんだが、これで起動したのかどうかよく分からない」 
「上野くんとか呼んだらどうですか? 暇そうじゃないですか」
「あいつを呼んでたら明日になっちまうだろ」
「それもそうですね」
 とわたしは少し笑う。
 ひたすら面倒な雇用主だけど、わたしが居ないと困る、というのはまあ悪い気はしない。これもわたしの深刻な遺伝病のひとつだ。そっちはゲノム検査では検出されないみたいだけど。

 病院のシステムはほぼ機械化されているが、専門医の先生も必要に応じて来るらしい。わたしはルーチン治療だけなので、特に必要はなかったけど。
 入院した初日に40代女性の健康的に太った看護師さんが巡回してきて、「何か困ってることはない?」と言われたので、わたしはひとつだけお願いした。
「もしかしたら、多分来ないと思うんですけど、わたしの両親が見舞いに来るかもしれないので、そしたら何か理由をつけて断ってもらえませんか?」
「あら、そうなの? それじゃ、受付にそう入力しておくわ」
 と彼女は見舞い客の管理システムに何かそれらしいコマンドを入力してくれた。どうやらそういう入院患者に慣れているらしい。ありがたいことです。
 機械では融通が利かないし、人間でも機械なみに融通が利かない人がいる。「あら何言ってるのあなた、家族は大事にしないとダメよー」とか言う人。
 入院とかそういうトラブルをきっかけに冷えた家族が和解するとか、仲違いした人間関係でもちゃんと腹を割って話し合えば童話的なハッピーエンドが訪れると信じているのだ。めでたしめでたし。そういう生産者はみんな機械化されてほしい。

 ところが退院前日になって、家族が見舞いに来てしまった。
「姉ちゃん」
 と、病院ロビーをバックにした弟がディスプレイに映る。うーむ。そういえば両親のほかに弟というものがわたしには居た。完全に忘れていた。
 いや、もちろん存在は覚えていたんだけど、「見舞いに来たら困る人のリスト」に入れるのを忘れていたのだ。融通が利かないのはわたしの想像力のほうだった。
「西アフリカのなんとかウイルスに感染して隔離状態って母さんに聞いたけど、もう大丈夫なん?」
 と言う。適当な理由が適当すぎるよ看護師さん。
 わたしは枕元に備え付けられた端末に向かって「とにかく大した事じゃないし、明日には退院するのでもう心配しなくていい」という事を説明するのだけれど、わざわざ実家から(おそらく交通機関を使って)ここまで来た弟を追い返すのも忍びなく、とりあえず病室に入れる。
 4年ぶりに会った弟の顔は、どっちが病人だか分からないくらい白い。記憶にある身体よりもいくらか肉がついている。ずっと引き締めていたものが緩んだようなかんじだ。
 最後に会ったときの彼はまだ高校で野球をやっていて、東南アジア系の移民と間違われるくらい黒く焼けていた。スポーツ選手になりたい、というのが彼の夢だった。機械に代替される可能性がほぼ皆無な仕事。結局、部活のレギュラー選手にもなれなかったけれど。
「ちゃんとご飯食べてる?」
 とわたしが聞くと、
「食べとるよ。見りゃわかるやろ」
 と彼は胸を張ってみせる。中高時代にスポーツをしていた人が大人になると、運動量が減っても食べる量がそのままなので太りがちだ。とくにお金がないと食べるものが偏るので太りやすい。肥満になる人は生産者よりも消費者に多いらしい。
「わたしがいないせいで、基本金が足りなくなったりしてない?」
「大丈夫だと思う。父ちゃんも母ちゃんもそんなこと言うてへんし」
 と言う。弟は両親のことをよどみなく並べて言うことができる。わたしは最後までそれができなかった。
 同じ両親から生まれて同じ家で育った弟なのに、彼は新しい父と同じ言葉遣いで喋る。その言葉がどうしようもなく、わたしと家族との隔絶を感じさせる。
「姉ちゃんが仕事なんて大丈夫なん?」と彼は心配そうに言う。「家のことだってずっと苦手だったやん」
「ぜんぜん大丈夫だから。むしろわたしがいないとダメな人が世の中にはいるの」
「現に入院しとるやん」
「これは予定通りなの。ゲノム検査でそう出てたでしょ。検査表、実家に置いてあるはずだから見て」
 と言うと彼は黙り、わたしも黙る。病院の何かしらの設備が、ウンウンと唸るような音を立てているのが遠くで聞こえる。
 4年ぶりに会う弟なのに、何を喋っていいのかちっとも分からない。弟はその間に病院の設備をきょろきょろと見ている。病院に珍しいものが多くてそれが気になるので、この沈黙を気まずく思っていない、と演出しているように見える。それが大変気まずい。
 今なにしてるの? とは聞きづらい。さすがに生産者になったわけじゃないだろうし。年齢的にはもう学校も終わっているだろう。
 わたしが県庁をやめて変な民間の職安で働いていることを家族は知っているのだろうか。たぶん Skynote あたりを見てれば分かるはずだけど。
「なあ、姉ちゃん、一度うちに帰ってこーへん?」
 というので、わたしはそれに被せるように、
「ほら、そのへんの好きなものをうちに持っていきなさい。友達が持ってきてくれたんだけど、ひとりじゃ食べきれないから、勿体無いでしょ。母さんと、その、えーと、お父さんにもよろしくね」
 と早口で言って、テーブルに置いてあるハムとか果物とかを適当に指す。コンビニで売っている「お見舞セット」が3箱もあるし、缶ビールまである。26年の人生で自分がどういうキャラを積み上げてきたのかが分かる。
 葬式は人生の通知表で、どういう人生を送ってきたのかが参列者の反応で分かる、みたいな話を聞くけれど、死んだ後に通知表なんて出されても困るし、入院の方がいい。

 翌日。
「この秋いちばんの冷え込みになるでしょう」というニュース音声とともに、わたしは退院日を迎えた。秋一番の冷え込みって、秋と冬の境界をいつにするかの問題という気がするけど。
 夕方に最後の検査を済ませると、退院の手続きをして、看護師さんに挨拶をする。
「何か困った事があったら遠慮なくおいでね」
 と看護師さんは心配そうに言う。身体の事なのか家族の事なのかはわからないけど、わたしは深々とお辞儀をして病院を出る。
 北風が街路樹の葉を揺らしていて寒い。ちょっと寝ている間に一気に冬が来てしまったような気さえする。
 家までは遠いので車を使う。市立病院は市の中心部からちょっと離れたところにあって、道路に出ても空車は見つからないので、携帯で近くにいる車を呼び出す。
 夜道でもぼんやり発光する車のナンバーを見ると、県庁勤務時代のわたしの責任番号だった。まだほんの半年前のことだけど、不意になつかしく思えた。
「きみに担当してもらう車は、ナンバー55-3C4F から 57-7BA9。およそ1000台だ。よく把握しておきたまえ」
 県庁に就職した初日、交通課の課長はただひとりの新人であるわたしのために、わざわざ「新人のための業務説明会」なるスライドを作って説明をしてくれた。県内を走る自動車4万台のうち、1000台がわたしの責任担当車になるそうだ。
「これらに交通事故があった場合、きみに責任をとってもらう事になる」
「責任をとる、というのは何をすればいいのですか」
「仕事を辞めてもらう」
 と、課長は真剣な顔つきで言った。
 県庁や大企業に「責任課」とよばれる部署があることは就活をはじめた頃から知っていたけれど、いくら自動化技術で人の仕事が減る一方だからって、こんな奇妙な「仕事」が実際にあるということはやはり釈然としないものがあった。
 もともとは安全運転の取締りや交通規制、事故の調査みたいな事をやっていたらしいんだけど、運転が自動化されるとそういう普通の仕事がすっかりなくなってしまって、かわりに交通に関する妙な仕事が湧いてきた。そのひとつが、この「責任をとって辞める人員」らしい。
 自動車を人が運転していた頃は、事故の責任は運転者というルールがまかり通っていたそうだ。もちろん個人ではそんな人命にかかわる責任なんて背負いきれないので、保険に強制加入させて責任を分散していたらしい。よくそんな時代に車に乗ろうなんて人がいたものだと思う。
 でも運転が自動化されると、技術面の責任は海の向こうのIT企業になるわけで、市内の軽微な事故の責任をわざわざ追及するわけにもいかない。かといって自動車が公共機関である以上、誰かしら問題の責任をとる人が必要だった。
 そういうわけで、県庁の交通課は「交通事故が起きたとき、責任をとって辞める人間をストックする部署」という事になってしまった。
 もう少し勉強ができれば、フユちゃんみたいにちゃんとした会社で働けたかもしれないけど、わたしの頭ではこれが精一杯だった。でも、生産者になったおかげで国から「独立生計を営む世帯主」として認められて、家族から離れられる事になったのだ。それは本当に嬉しかった。
 だからこそ、交通課に勤務して3年目、傘差し運転をしていた自転車と車がぶつかって骨折し、その車がわたしの責任番号だと知らされた時は、わたしは目の前が真っ暗になったことを覚えている。たぶん、事故を起こした当事者よりも。
 仕事がなくなって家族のところに戻される……という危機に助け舟を出してくれたのが県庁の先輩で、職安の事務員を探している大塚さんを紹介してくれて、現在に至る。
 あらためて考えてみるととても妙な仕事場だったけれど、職安で働いていると、公務員だろうと民間だろうと世の中には変な仕事がいっぱいあるんだということに気づく。たぶん昔からそうだったんだろうと思う。誰もが畑を耕したりトンカチを振るったりするような「仕事っぽい仕事」をするわけじゃなくて、今から見れば存在意義がよくわからない仕事があふれていたんだろう。
 車がアパートの前に着いてすっと停まる。支払いのカードをタッチする。
「ご利用ありがとうございました。急に寒くなりましたが、お風邪など引かれませぬように」
 とスピーカーから機械音声が聞こえる。きみも事故を起こさないでね、とわたしは思う。
 エレベーターで6階に昇る。留守の間に空き巣でも入ってないか、変な虫が発生してないか、とか少し心配していたけれど、玄関ドアを開けて電灯が灯ると部屋は記憶にあるそのままの状態だった。狭いアパートだけど、セキュリティはしっかりしているのだ。「ひとり暮らしの生産者女性向け物件」を標榜するだけはある。
 シンクに溜まった洗い物もそのままだった。たしか夕飯の片付けをする前に倒れたんだ。何か変な菌が繁殖していそうなので、いつもより多めに洗剤を入れて食洗機を回す。
 住人がいないと埃もたたないので、掃除機は床をなめるように磨いたあとで暇そうに充電スポットにおさまっていた。まるで依頼人が来ない日のわたしだ、と掃除機に親近感を持つ。「親のように近い感じ」と書くけれど、わたしは親よりもこのプラスチック製の同居人のほうがよほど近い感じを持てる。
 こうやって家族から逃げる人生を送ってるわたしだけど、機械に囲まれて暮らすというのも悪くないかもしれない。お金が貯まったら(いつ?)ネコッポイドの1台でも飼っちゃおうかな。いっそ生猫という手もある。いや、あの猫缶を実費で買うのはちょっと苦しいか。
 なんにせよ休養は十分にとったので、明日からまた仕事をがんばろう。
 と思って大塚さんに電話をかけようと思った瞬間に、大塚さんから電話が来た。
「明日来るんだよな?」
 と開口一番彼は言う。
「はい。たったいま退院しました」
「わかった。明日なるべく10時前に来てくれ。よろしく」
 と言って電話が切れた。普通そこは「退院おめでとう」くらい言うべきところなんじゃないか、と思ったけど、でも入院中のほうが快適だったとさっき言ったばかりだし、彼からそんな労いを言われるよりも、労働力として必要とされる方がいい。

 昨晩とは打って変わって朝から暑い日だった。冬と夏がスイッチを切り替えるようにパタパタと来るのがこの街の秋なのだ。
 職安のドアは顔認証なので、わたしか大塚さんが来ればカメラが認識して勝手に開く。あいにく猫の顔認証には非対応なので、所長が勝手にどこかに行ってしまうことはない。
「よく来たな。元気か」
 と、珍しくわたしより先に来ていた大塚さんが言う。机の上に普段のとは違う大きなかばんを置いて、引き出しの中身をばたばたとひっくり返している。 所長は机のすみで丸まって、相変わらず所長たる貫禄を見せている。
「おかげさまで復活しました。何か探してるんですか?」
「パスポート」
「何のですか?」
「パスポートはパスポートだろ」
 わたしが適当に頷いて、それから給湯室のほうを見ると、見覚えのない真新しい箒が出しっぱなしになっている。ホームセンターのシールが貼ってあるので、多分つい最近買ってきたものなんだろう。となると掃除機は、と思ってキッチンのシンクの下を見ると、電源さえ入れていれば勝手に動くはずの掃除機の電源が切られている。
 最近気づいたのだけど、大塚さんが「機械に触れない人」というのは正しくない。「やたら電源を切りたがる人」というのが実態に近い。そうなると、知識や技術の欠如というよりも何かしらの神経症なんじゃないかという気がしてくる。
「あったあった」
 と大塚さんはため息をついて、引き出しから赤い手帳を取り出した。「日本国なんとか」と妙な書体で書かれていて、その下に菊のマークが刻印されている。
「あ、そうだ目黒。突然で悪いんだが、今度はおれが出かけてくるので、しばらく客の対応を頼む」
「あ、はい」といってわたしは自分のバッグを机に置く。「何時間くらいですか」
「そんなに長くない。せいぜい2週間くらいだ」
「はい?」
 それから彼は色の薄いサングラスをかけて大きな合成革のかばんを持つと、
「妙な客が来なければ、戸棚に積んでる仕事を回してくれればいい。妙なのが来たら電話しろ。そんじゃ」
 彼はかばんを持ってすたすたと部屋を出て行った。こうして職安にはわたしと所長だけが残された。

 時刻は午前9時半。
 急いでいたわりに、大塚さんの机の上はきちんと片付けられていた。妙なところで律儀な人だ。
 キッチンのゴミ箱を見ると空の猫缶があるので、どうやら所長の朝ごはんは済んでいるらしい。掃除機の電源を入れると彼は眠そうにのそのそと動き出したが、とくに掃除すべき汚れがないことに気づくと、またのそのそと充電器に戻っていく。大塚さんはわたしの留守の間、あの箒でちゃんと掃除をしていたのだろうか。魔法使い以外で箒を使う人なんてはじめて見た。
 戸棚に積んである書類はデータとしてわたしの端末にも入っているので、それを上から眺めていく。世の中には1日で終わる仕事もいっぱいあり、そういうコンビニ感覚の仕事を求めて来る依頼人もいっぱいいる。職安としての利益はほぼないけど、次の仕事につながる事は多い。
「表情認識アルゴリズム検証に用いる顔データの提供・東アジア人限定」スノーデン条約のせいでこの手のデータ集めも大変になったらしい。
「町おこしイベントのエキストラ」以前CGを使って問題になったそうだ。バイトならいいのかという気がするけど。
「新型ネコッポイドと人間のインタラクション反応のデータ収集」ちょっとやりたい。
 こういうのはネットで堂々と募集した方が効率がいい気がするんだけど、あまり変な人に来られては困る事があるので、言ってみれば面接の手間を職安に外注していると言うべきだろう。そうなると、大塚さんがよほど各方面の信頼を得ているという事になる。あの男のどこにそんな信頼に足る要素があるんだろう。現に今、ただの事務員であるわたしに仕事を丸投げしているじゃないか。
 ひととおり見てしまうと、あとは何もすることがなかった。
 ちゃんと帳簿上は出勤して仕事をしている事になってるのだけれど、これでは病院で寝てるのと大して違わない。
 病院と職場では「何もすることがない」への重圧がだいぶ違う。病院ではそもそも何もしない事が正しい態度で、無理に動いちゃいけないのだけれど、職場で何もしていないと、何か間違ったことをしているような不安におそわれてしまう。
 県庁もまあまあ何もしない職場だったけれど、あの時はどうやって時間をやり過ごしていたんだろうか。少なくとも交通課のみんなは気持ちのいい人達だったし、どういうわけか、あそこにいるだけで何か有意義な事をしているような気分になれたものだった。なんたって「いるだけでいい」場所だったので。
 要するにわたしは、というかおそらく世の中の大半の人は、場の雰囲気に流されることができる。もしわたし達が、あの県庁の交通課みたいに「いるだけでいい人間」だと言ってもらえたら、みんなもっと幸せになれるんじゃないだろうか。
「所長、どう思いますか?」
 と机に丸まっている所長に聞いてみるが、何の反応もない。彼は自分のことを「いるだけでいい猫」だと骨の髄まで信じ切っているように見える。

 午後1時に今日最初の依頼人が来た。
「はじめまして。五反田明訓ごたんだあきのりと申します」
 と彼は言った。細身で背の高い30歳くらいの男性だ。あまり消費者らしくないビジネス・カジュアルな格好で、職安に来る依頼人としては異様なくらい朗々とした喋り方なので、営業マンじゃないのかと疑ったが依頼人らしい。
 営業マンというのはこの職安にも時々来る。今時たいていの宣伝広告が画面越しなので、対人に慣れていない人は人間の営業マンを見ると怖気づいてホイホイ契約してしまう事が多い。だから人件費が割に合うという企業もあるらしい。法規制すべきだという意見もあるけど、ただでさえ少ない人間の職を減らす事は忍びないし、うちの大塚さんも似たような論理で仕事をしているので文句を言える義理ではない。
 わたしはお茶を用意しながら、失礼ながら普通であれば当職安の経営者である大塚という者が話を聞くのだが、今日はわけあって席を外している、わざわざ来ていただいたのに申し訳ない、という事を説明した。
「いえいえ、そちらも色々とお忙しいでしょうから」
 と笑って許してくれた。いい人だ。
「こちらの職安の話は友人から聞きましてね。なにか普通の職安に回らないような妙な仕事まで扱っている、と伺いまして」
「いえ、それほど怪しいものでは」
 と言いかけてから口をつぐむ。大塚さんが怪しいか怪しくないかと言われれば、どちらかと言わなくても怪しい。箒とか使ってるし。
「実は、あそこの所長は裏社会とつながっている、という噂を聞いたんですが、そうなんですか?」
 と五反田さんは冗談めかして言うので、わたしも苦笑いをしながら、
「さあ。わたしは一介の事務員ですので」
 と答える。なお当職安の所長(生猫。茶トラのスコティッシュ・フォールド、オス3歳)は現在、大塚さんの机の上で惰眠の世界とつながっている。
 とりあえず話だけ聞いて、無難そうな相手だったらそこに積んである仕事から良さそうなのを渡せ、厄介そうだったら電話しろ、という大塚さんの説明を思い出す。
 まだ事務員をはじめて数ヶ月だけど、彼の言っていた「職安に来る人間の類型」というものは概ね理解できてきた。お金がほしい人、社会貢献したい人、そして、退屈している人というのが、大塚さんの考える職安依頼人三大類型だ。
 退屈のタイプは顔で分かりやすい。何かに焦っているような顔をしていて、でも目の焦点がどこか合ってないような人だ。このタイプは積んである謎の仕事の束から適当なものを渡せばいいので一番簡単だ。でも、どう見ても五反田さんは真逆のタイプだ。
「それで、どういったお仕事をお探しなのでしょうか?」
「医療費がほしいんですよ」
 と言う。ああ、これはお金が欲しいパターンだ。わかりやすくて助かる。でも彼はどこを見ても病気には見えない。ましてや医療費の必要な保険外医療の対象には。
「ご自身のですか?」
「はい」
「失礼ですが、お仕事を紹介する上で何か健康上注意すべき事がありましたら……」
「あ、いえ、病気ではないんです」
 と五反田さんは首を振る。わたしが首をかしげると、
「ただ、子供がほしいと思いまして」
 という。通常の出産であれば保険範囲なので、子供を持つのにお金が必要なのは、いちばん多いのは同性カップル、続いて不妊治療。医療が無料化されるなかで、不妊治療の多くは相変わらず有料のまま残っている。後者であればデリケートな話題なので直接的には聞き辛い。
「五反田さんご自身のでしょうか、それともお相手の……」
「いえ。配偶者はおりません」
「……?」
「シングル・ペアレントをやろうと思いまして」
 シングル・ペアレント。つまり、ひとりきりの親から子供をつくる事。最近よく聞く「多様な親子関係」のひとつだ。去年テレビで特集しているのを見た。
 21世紀の中ごろには、有名人のゲノムと自分のゲノムから子供をつくる人が大勢いたらしい。自分のDNAを全公開したハリウッドの有名俳優がいて、それと自分のゲノムをかけあわせた子供のゲノムをつくる相手が続出したので、現在その俳優の「子供」が数万人いるそうだ。さすがにこれは道義に反するという事で、アメリカでゲノム合成をする場合は当人のサインが必要になったらしい。
 他にも、女性同士のカップルがY染色体だけ合成して男の子を持つとか、3人以上の親から子供をつくる事もある。DNAの使わない部分になんでも書き込めるので、子供のDNAに両親の愛の言葉を書き込む人もいるらしい。想像しただけで鳥肌が立つ。
 シングル・ペアレントとはその最もシンプルな形態で、1人の親から1人の子供をつくる。要するにクローン。
「失礼ですが、どうしてシングル・ペアレントをやろうと思ったのですか」
 とわたしは聞く。職安の業務というよりもわたしの個人的関心だ。かなりネガティブな意味の。
「え? いや、自分の遺伝子を残したい、っていうのは生物として普通の事でしょう。でも、これといって一緒に子供を持ちたい相手もおりませんし、それに、遺伝子を残すという事が目的なら、誰かと半分こするよりも一人のほうがいいと思いましてね」
「なるほど」
 とわたしは頷くけど、その実ちっとも飲み込めていない。
「で、日本だと法的にも世間的にも難しいので、中国に行ってやろうと思うんです。そうなると渡航費用と、現地の滞在費、処置費用、人工子宮もろもろを含めて、新中華元でこのくらいで、日本円にすると……」
 と五反田さんが出した概算を見てわたしはギョッとする。生産者もピンキリだけど、少なくともこの収入の不安定な職安の事務員では、何十年かかっても貯まりそうにない金額だ。
「なんなら3人くらいつくってこようと思ってるんですよ。人数が増えれば基本金も増えますから、その後が色々と効率的でしょうし。なので、このくらいのお金を数年で集められる仕事を探してるんです。そこでこの職安の噂を聞きまして」
 と言って彼は笑った。
 彼のプロフィールにある大学名には見覚えがあった。フユちゃんと同じ大学だ。卒業生の3割が生産者になるところだよ、とフユちゃんは言っていた。となると、彼は残りの7割のほうか。
「職安がこんなことを言うのはたいへん失礼かと思いますが」
 とわたしは言う。なんだか今日は「失礼」ばかり言ってる気がする。
「これだけの学歴と資格があるのでしたら、普通に会社に就職した方が良いのではないでしょうか?」
 という。当職安は大塚さんがどこからともなく見つけてくる長期短期あわせた謎の業務(たぶん合法)がメインであり、こういう普通に仕事ができそうな人向けの仕事は扱っていないのだ。
「うーん、でもそれって本格的に生産者になっちゃうって事ですよね」
「そうなりますね」
「でも一度生産者の生活を覚えちゃうと、もう止められないじゃないですか。そうなると、職業を続けることに人生のリソースを費やさなきゃいけなくなっちゃう。それならお金がなくても自由に生きるほうがいいかなって思いまして。
 大学の先輩には、自分は国民の中から選ばれて生産者をやっている、だから多少つらくても頑張らないと、って感じだったんですが、そういうふうに人生を縛られるのは嫌だなって思ってたんです」
「なるほど」
 とわたしは頷く。こっちは本音の「なるほど」だ。たしかにわたしは生産者であり続けることに縛られている。でも、何かに縛られることで別の何かから逃れられるのだからそれでいいと思っている。人生とは縛られる柱の選択だ、というのがわたしの短い人生のひとつの結論だ。

 戸棚に積んでる仕事を渡すような相手ではない、ということが確実なので、依頼人にはいったん出直してもらう事にする。所長は眠ったままで何も反応をしない。契約が成立した場合は「けけけっ」という声を出すのに、今はそういう段階でないこと理解しているようだった。この職安に漂う異様な雰囲気を彼なりに感じ取っているのかもしれない。
 これほど自分と価値観が違う相手と対峙するのは、職安の事務員をやって初めてのことだ。人生で初めてかもしれない。
 とにかく言われたとおりに大塚さんに電話する。1分ほどの長いコール。
「ほー、そりゃ……だな。大物そうな……だ」
 と彼は嬉しそうに言う。もちろん職安の客としては大物であることは間違いない。どんなに価値観が違う相手でも、客である分には何も問題がないはずだ。
「要はその……日常に……マグロを……」
 と電話の声が断片的に聞こえるが、背後で「ごうごうごう」と低い音が聞こえて、大塚さんの声がうまく拾えない。 彼は電話のノイズキャンセル機能を知らないので大体雑音がうるさいんだけど、今回は特にひどい。
「大塚さん、いまどこにいるんですか?」
「ロシア上空って言ってたな」
「どこに行くんですか?」
「ドイツ。なんか急に……に呼ばれたんで」
 急にドイツに呼ばれないでください、とわたしは思う。
 ひとつ咳払いの音が聞こえたあと、少し大きめな声がスピーカーから響く。
「要はその依頼人は、日常生活に仕事を組み込みたくないので、一攫千金をしたいわけだな。昔のマグロ漁船みたいな」
「そうみたいですね」とわたしは答える。「なんだかワガママに聞こえますが」
「別にワガママを言ったっていいだろう。いまどき働くこと自体ワガママみたいなもんだ」
 職安の経営者がそれを言うか、と思うけど、ワガママに応えるのが経営という気もする。
「で、この案件はどうしましょうか。結構大きな案件ですし、先方も大塚さんの能力を見込んで依頼してきてるので、2週間くらい待ってもらってもいいかと思いますが」
 とわたしは聞く。フユちゃんはアメリカの会社に遠隔勤務してるけど、大塚さんにそんな事ができるとは思えない。
「ちょうどいいだろ。今回はお前がやれ」
「……どういう意味ですか」
「お前がそいつに現代のマグロ漁船を見つけてやるといい」
「無理ですよ。大塚さんが変な仕事を見つけてくるからこそ、うちの職安が回ってるんじゃないですか。今回の依頼人もそう言ってましたよ」
「うちの職安は所長のもとに皆平等だぞ」
「はじめて聞きました」
「現に賃金が平等だろ」
 そういえばそうだった。
 うちの職安の給与体系は、形式的には大塚さんが雇用者、わたしが被雇用者になっているのだけれど、実際は仲介によって得られたお金をわたしと大塚さん(と、所長)で分け合うシステムになっている。
 ただ、これだと労基法が定める最低賃金に達さない事が多いので、わたしは給料の一部を職安に「自主返納」するという形にしている。
「無理ですよ」
「難しく考えるな。職安なんて誰にでもできる」
 いや無理でしょ。大塚さんが誰にもできないことをやってるのは、わたしも知ってるし、依頼人にすぎない五反田さんさえ知ってる。
 もしかしたら先月、漫画家の田町さんのプロデュースで目論見を外したことが尾を引いてるのだろうか?
「どうなっても知りませんよ」
「なーに、簡単なことだよ。相手をよく見る、使えるものは使う、そんだけだ」
 少なくともわたしにとって「よく見る」ことが難しい相手であることは確実だ。
 だって、あまりにも考えが合わない。日本語は通じるけど、日本語以外なにひとつ通じる気がしない。
(第8回へつづく)

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柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

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