双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第6回

3章 未来漫画家(後編)



 数日後、田町さんは職安に来た。
 書店にいたときのくたびれたエプロン姿と違って、きちんとしたジャケットを着てるせいで、ずいぶん気合が入っているように見える。大塚さんの話によほど期待しているのだろう。
 大塚さんがお茶サーバーから出したお茶を渡すと、田町さんは礼を言った後、
「あちらは生猫ですか?」
 と所長のほうを見て言った。
「よくお分かりですね。うちの所長です」
「飼われている生猫なんて久々に見ました。やっぱりネコッポイドとは動き方がどこか違いますね。私も猫は好きですよ」
 とはにかんだ。
 すごい観察力だ。ネコッポイド・マニアを自任するわたしも、最近は機械の動きが自然すぎて言われないと気づかない。やっぱり手で漫画を描くような人はそういう細かい部分の観察力がしっかりしてるんだろうか。
「しかし、こういう雑居ビルで生猫など飼えるのですか? 私の若い頃は、ペット禁止のところがほとんどだったように記憶しておりますが」
「まあ、所長の話はさておき、漫画の話をしましょう」
 と大塚さんは話が不穏な方向に進むのを察知して、すばやく話題を変える。
「はじめにお金の話をしましょう。あの『サクラ島戦記』の販売を我々に任せてもらい、その代わりこのくらいのマージンを頂きたいわけです」
 と事前に用意した文書を田町さんに見せる。著者である田町さんよりも「職安」の取り分のほうが多く設定されている。なんたる悪徳仲介業者か。ただ田町さんは別のところに注目しているようだった。
「ええと、販売に関するもろもろの経費は『職安』に負担していただける、という事ですか」
「はい。つまり、失礼ながら仮に全く売れなくても、田町先生に金銭的リスクはありません」
 と大塚さんはしらじらしく「先生」づけで呼ぶ。
「本当にいいんですか?」
「はい。安心して我々にお任せください」
 と言う。田町さんは安心というよりもむしろ申し訳なさそうな顔になった。この人はおそらく、自分の本が売れるなんてことをうまく想像できないようだった。わたし達が損をすることを気にしているのだろう。
「それで、一体どういう売り方をするんでしょうか?」
「それにあたって、まず田町先生にお願いしたい事があります」
 と大塚さんが話すと、所長が田町さんの座っているソファに寄ってくる。田町さんはごく自然に所長の頭をなでる。
「新作を描いてほしいんです」
「......ふむ、新作ですか」
 と田町さんはちょっと座りなおす。
「そんなに長いものでなくていいです。20ページくらいでいいです。できれば1ヶ月くらいで描いてください」
「そんな無理ですよ。今からやるなら、道具も買い戻さないといけないし、ちゃんと考えて描くなら半年くらいはかかります」
「ちゃんと描かなくていいんです。むしろ雑なくらいがいい。重要なことは、全部手描きということです」
「全部?」
 と田町さんは驚いたようだった。前に見た『サクラ島戦記』も、かなりのところをツールで自動化していたらしいので、全部を手で描くとなれば相当な手間になるはずだった。
「1ヶ月で描ける範囲、ということでいいんですよ。あまり描き込みすぎると、かえって上手くいかないんです」
「ふむ、そうですか」
 と田町さんは甘苦い顔をした。かなり無理を言われているはずだけど、それでも少し嬉しそうにしているのが読み取れた。たぶん、人から頼まれて漫画を描くというのが初めての事なんだろう。
「わかりました。どんな話がいいか、とかありますか?」
「そうですね。失礼ですが、田町さんは平成生まれですよね?」
「はい」
「では、平成の話を描いてください。できればご自身の体験に基づいたことがいいです」
「でも、私が物心ついたころにはもう平成は終わってましたよ」
「そのへんはフィクションなんで、適当でいいですよ。野山で虫取りをしたとか、そういう話がいいですね」
「いえ、私はニュータウン育ちだったので、そういうのは......」
「では学校の話とかはどうでしょう。まだ紙の教科書だったんですよね」
「私の地元はそのへんが先進的だったので、もう初期の教科システムが導入されてましたな。今のように会話できるタイプではありませんでしたが」
「うーむ」
 とちょっと大塚さんは黙った後、
「とにかく、平成生まれの方が描きそうなものを描いてほしいのですよ。平成の町並みとか、空気感とか、息遣いが伝わってくるようなものです」
「まあ、資料を見ればできると思いますが」
「ではそういう方向でお願いします」
 というふうに話をまとめると、田町さんは来るときよりもちょっとだけ気合の入った顔で職安を後にした。普段書店で立ち仕事をしているからなのか、お年寄りとは思えないくらいしっかりした足どりだった。

 原稿を待つ間も(当然ながら)職安業務は続いた。田町さんの次に来たのは40代の女性だった。ちょっと前に流行った自然生活主義の人っぽい地味めのファッションの人だった。
 お店を開きたいので資金集めをしたい、融資を募ったが「いまどき有人店なんて成功する訳がない」と断られてしまったから、まず働いてお金を集めたい、という話だった。大塚さんの依頼主類型でいう「お金がほしいタイプ」だ。
 大塚さんはこのタイプの依頼人にはいつも、
「特殊技能がなく金銭を得たいとなると、やはりリスクを背負う必要がありますね」
 と説明する。財産のない消費者に金銭的リスクなんてあるわけがないので、もちろん身体面でのリスクだ。
 最初に説明したのが、人のいなくなった廃村に住む仕事だった。ここから車で2時間ほどの山の中にあるそうだ。
 自治体が消滅すると国から県への補助金が減るので、県がこっそりバイトを雇って村落を維持しているらしい。生活が不便なぶん給料はなかなか良いそうだ。県庁の先輩からそういうバイトがあると聞いたことがあったけど、あれは冗談じゃなかったのか。
「そちらの村には、ネットは通ってるのですか?」
 と依頼人が聞くと、大塚さんは資料を見ながら、
「旧式の光回線なら通ってますよ。買い物は2時間で送られてきます。コンクリート舗装の道路もありますしね。あ、これは熊も通るらしいです」
 と言った瞬間に依頼人は首を激しく横に振った。熊はこの人の愛する自然生活に含まれないのだろう。
 似たような危険な仕事をいくつか説明して、依頼人がひととおり怖気づいたところで、
「もっと安全な仕事もあります」
 と言って、火星開拓民と通信会話をする仕事のほうを紹介した。
 火星で少人数で固まって暮らしていると精神をおかしくするので、知らない人と定期的に会話をさせるのが効果的だという研究データが出ているらしい。いまのところ機械人格はそこまで有能ではなく、「機械と喋っている」という事に相手が気づいてしまうので、こういう状況では相手に人間を使うそうだ。
 長距離通信でけっこう時間的に束縛されるので一応バイトを雇うのだけれど、火星開拓民と会話できるという職務がまあまあ人気なので、市場原理で賃金は安い。このペースで彼女の必要な資金を貯めようと思ったら、200歳くらいまで働き続ける必要がある。
「できる事からコツコツやれば、そのうちにチャンスが巡ってきますよ。始めなければいつまでもゼロのままです」
 という大塚さんの説得に押されて、彼女は契約を締結した。
 お店を持つことに憧れている人はわたしの知り合いにも結構いる。でも、こうやって具体的な目標として準備を進める人はほんのわずかだし、彼女も実際にその目標にたどり着けるのかはかなり難しそうだ。
 次の日曜に「タマチ書店」の前を通ったけど、店はシャッターを降ろしていた。たぶん田町さんが執筆に集中するために店を閉めているんだろう。なんやかんや大塚さんのプランを信じて頑張っているみたいだった。
 目標に向かって努力できる、というのがずいぶん羨ましく感じる。わたし達の世代は、目標を持つこと自体がずいぶん遠い。

 1ヶ月後、ふたたび例のジャケットを着て田町さんが現れた。驚いたことに、彼は本当に1ヶ月で全編手描きの漫画を仕上げてきたのだ。
『送電線の下にて』
 というタイトルだ。
 1ヶ月で描いたというわりに内容は無駄もなくしっかりしている。ぎっちり描き込んでいないぶん『サクラ島戦記』に比べるとかえって読みやすいような気もした。街のあちこちに張られているくたびれた送電線とその上のカラス、街のあちこちに置かれた雑多な道路標識が、平成時代の町並みを想像させた。
 主人公の少年はおそらく田町さん自身だ。
 小学校のクラスメイト達が、放課後に公園に集まって携帯(当時はスマートフォンと呼ばれていたらしい)でゲームをして遊んでいる。子どもたちの両親はみんな生産者なので、家に誰もいなかった。
 あまり明瞭なストーリーはなく、子どもたちの日常スケッチのような内容だ。街の風景はだいぶ違うけれど、子どもというのはどの時代も大体似たような悩みを抱えているのが見て取れた。
「なんで公園でゲームやってるんですか?」
 と大塚さんが聞く。
「ボール遊びが禁止だったんです。遊んでいて道路に飛び出して、車にひかれる子供がいたんで、そういう遊びが禁止になったらしいです」
「ああ、人が運転してた頃ならそうなるんですね」
 と大塚さんが答える。
 人が運転する車が、人を轢いて死なせてしまう。昔はそんなことが日常的に起きていたと、県庁の交通課で何度も教えられたけれど、想像するだけで心臓がギリギリと痛む。轢いてしまった人はどうやってそんなものを受け入れていたんだろう。
「わかりました。ありがとうございます。これなら上手く行きます。あとは私どもにお任せください」
 と言って原稿を預かると、田町さんは半信半疑といったかんじで大塚さんに礼をして職安を後にした。
 所長が床に座ったまま、
「けけけっ」
 とカラスのようにクラッキングする。
「まだ話は終わってませんよ、所長」
 と大塚さんが所長に両手を向けて制止する。いつもの就職仲介業務なら契約が締結されたところでおしまいだけど、今回はちょっと仕事内容の毛色が違うので、所長もどのタイミングで「一件落着」を出していいのか考えあぐねているのだろう。
「というか、これ本当に上手くいくんですか?」
 とわたしが聞くと、
「ああ」
 と大塚さんはいつもどおり自信たっぷりに答えたあと、
「本当はインターネット普及以前の話が読みたかったんだが、平成後半にはもう普及しきってたらしいからな。まあ、これでもいいだろう」
 と言った。どうもその「読みたかった」は、商売上の都合ではなく、彼個人の好き嫌いを言っているようだった。機械嫌いの彼にとって、ネットなしで物事が解決する時代というのはさぞ良い時代に映るのだろう。でも仕事と個人の好き嫌いを明確に区別する大塚さんにしてはちょっと不思議な表現だ。
「さて、ここからが仕事だ。上野、よろしく頼む」
 と連絡すると上野くんは、
「はーい、やりますよ」
 と答えて、あらかじめ打ち合わせた手順を実行する。

 まず適当な画像投稿サイトにアカウントを作り、田町さんの描いた『送電線の下で』をアップロードする。続いて上野くんが自分の管理しているネットサイト(30個ぐらいあるらしい)のいくつかに、
「平成生まれの老人が全編手描きで描いた漫画が話題に」
 という記事を載せる。24ページのうちちゃんと描かれている部分の何ページかをピックアップして載せて、あとは画像サイトへのリンクを貼る。
 ついさっき公開したばかりの作品で「話題に」というタイトルが白々しいが、そういう事は誰も気にしないらしい。
 上野くんが暇に任せてだらだら作っているネットサイトにはそれなりの読者がいるそうで、そのコミュニティ内で適当に話題になると、あとは話題のコンテンツを自動でピックアップするサーバー(ネット上に山ほどある)がいくつか反応する。いまのところコンピュータは「人間にとって面白いもの」を自動的に見つけることはできないらしく、話題性で面白さを評価するしかないので、どこかのサーバーがピックアップするとそれがまた新たに話題をつくり、ねずみ算式に話題が広がっていく。
「ほーら、こういう風に拡散され具合がわかるんですよ」
 と上野くんが拡散具合のグラフを動かしてみせる。どこかのサイトで、コンテンツが時間とともにどういうふうに拡散・転載されていくかを集計してくれるらしい。
「なんかポンプみたいに動いてるね」
「時間帯別ですね。消費者にはそれぞれ自分の起きてる時間ってものがあるんですよ。朝の人たちが話題にしたものを、昼の人たちが見つけて話題にして、それを夜の人たちが、って感じです」
「なんでそんなふうに分かれてるの?」
 とわたしは訪ねる。生産者は仕事時間でなんとなく生活時間が決まるけれど、消費者にそういうのがあるのがちょっと分からない。
「ぼくもよくわかんないですけど、やってるゲームのイベント時間とかでなんとなく分かれてるって噂ですね。目黒さんもいっぺん消費者生活を体験してみるといいですよ。なんか色々わかりますよ」
「老後の楽しみにしておくね」
 とわたしは言う。
 わたしが「老後」になる頃には、おそらくわたしの両親(戸籍上)は介護ロボットに護られながら自然寿命を迎えるはずだ。そうなったらわたしはもう消費者になってもいい。さすがにその頃まで生産者が続けられるとも思わないし。
 でも、そうなったらわたしは何を目標に生きていたらいいんだろう?
 田町さんみたいに趣味と仕事を兼ねたお店ができるならそれはステキだと思うけど、自分にはそういう趣味もない。考えてみればわたしはずっと、家族から逃げる事だけを考えて生きてきた。足りない頭を最大限に使って生産者の末席にすべりこむ事にすべてを費やしてきたのだ。

 2日もすると「例の平成漫画をリミックスしてみた」「動かしてみた」「音をつけてみた」といったバージョンがどんどん公開されるようになって、ちょっとしたネットミームを形成していた。中にはオリジナルよりもアクセスを集めるものがあった。全編手描きを売りにしているのにリミックスしてどうするんだと思うけど。
「ほー、そういうかんじに普及しているのか」
 と、上野くんの報告を受けて大塚さんは答えた。
 だいたいの作戦を練ったのは大塚さんなのだけれど、彼自身はネットにおけるコンテンツの広がり具合についてはほとんど知らないらしい。
「要は人間の集まりだろう。個人個人の適性や嗜好は本人に会えば分かるが、大勢集まればそういう個々人の個性が平均化されて打ち消されるから、もっと簡単だ。見なくたって分かる」
 と言ってのけた。
「平均化された人間は何を見たがると思う?」
「さあ」
 どうせ彼の正解が決まってるだろうから特に提案はしない。
「それっぽい事だよ」
「どれっぽい事ですか」
「つまり世間の大多数の人間は、動物園のゴリラにはウッホウッホとドラミングをして欲しいし、カンガルーは子供を腹に入れて飛び回ってほしいと思ってる。ゴリラっぽいゴリラ、カンガルーっぽいカンガルーを見たいんだ。同じように、年寄りは年寄りっぽい事をやってほしいんだよ。手描きで漫画を描くとかな」
「意外性を求める人も多いと思いますけど」
「そりゃ多いさ。ゴリラが哲学的思案をするのを見たいやつだっているだろう。だが、どういう方向の意外性を求めてるかは個人ごとにバラバラなんだ。多数派の支持を得るには、それっぽく振る舞うことだ」
 と大塚さんが言うが、真偽を測りようがないのでわたしは哲学的思案をするゴリラの事をぼんやりと考えた。

 そうこうして十分に田町さんの名前(ペンネーム:Machita)が知れたところで『サクラ島戦記』の方を売りにかかる。
 田町さん自身が紙の本を売ることにこだわっていたので、こちらも冒頭部分だけ公開して、残りは紙で売ることになった。
 当方は「職安」なのでモノを売る経験やノウハウなんてないのだけれど、ちょっとネットで調べると、自分で作ったものを売るためのツールがいくらでも無料で公開されていた。なるほど人の仕事がいらなくなるわけだ。
 まずネットで販売するけど、これは商品の写真を撮って値段さえ指定しておけば、あとはほとんどの手続きを勝手にやってくれる。
 売る先は個人だけでなく、雑貨店などがまとめて買う場合が結構ある。聞くところによると、紙の本をインテリアとして置きたい趣味人は世の中に結構いるらしい。特にこういう平成レトロな本はまあまあの需要が見込めるそうだ。
 次に、これは田町さんがいちばん希望していた事だけれど、県内にもいくつかある書店においてもらう。書店というのは雑貨店と違って、買い取りではなく委託という形になるらしい。なんでそうなのか田町さんにも聞いてみたけど、「昔からそうだから」としか知らないらしい。
「目黒さん、その節は本当にありがとうございました」
 と田町さんがお礼を言いに職安に現れたのは、そのさらに1ヶ月後の事だった。あまりに深々と頭を下げるので、そのまま膝をついて土下座をしかねない勢いだった。
「実は、この前駅前にある書店に行って見ていたのですが、あの本が一冊売れたんですよ」
「本当ですか。それはおめでとうございます」
 とわたしは精一杯喜んでみせる。
「大塚さんはいらっしゃらないのですか?」
「あ、今ちょっと席を外しております」
「そうでしたか。ではよろしくお伝えください」
 と言って、「よろしければ召し上がってください」とお菓子の箱を置いていった。
 職安の事務をはじめてずいぶん経つけど、わざわざ感謝の挨拶に来る人なんてはじめて見た。ひとこと連絡を入れてくれる人は時々いるんだけど。

 1時間くらい後に大塚さんが現れた。
 席を外しているという言い方はちょっと不適当で、正確にはまだ来ていなかったのだ。このところ彼の出勤時間がちょっとずつ遅れてきていた。
 このままだと先に依頼人が来てしまいかねないし、来たら来たで普段の快活さがまるでなく、オットマンに脚をのせて、その上に所長を乗せたまま、どこか遠くを見るような目をしていた。室内だから大して遠くは見えない。
「うーむ」
 と唸った。
 田町さんはずいぶん喜んでいたけれど、実際のところどれだけ売れたのかと言えば、黒字と赤字のかなり際どいラインだった。
 もう少し言うと、この売上を職安の収入として、今月の家賃その他もろもろの経費を差し引くと、例によって職安の利益は赤なのか黒なのか不明瞭な茶褐色になった。もしかしたら今月はすごいボーナスが出るかもしれない......というわたしの期待はあえなく砕かれた。
「作者の知名度はたしかに上がりましたけど、なんたって毎日津波のようにコンテンツが流れて来ますからねえ。ちょっと時間を置いたらみんなすぐに忘れちゃうんですよ」
 と、利害関係のない上野くんは笑って言っていた。
「やっぱり大塚さんは、もう少しネット慣れした方がいいんじゃないですか。あっちとこっちじゃ時間軸がだいぶ違いますから、慣れないと難しいですよ。目黒さんからもよろしく言っておいてくだちい」
 そんな事をわたし宛に送ってきたが、よろしく言うべきなのかどうかは少し悩むところだった。
「うーむ」
 と大塚さんはまた唸った。彼は彼で、どうやらわたしよりもよほど売上に期待していたらしい。販売上のリスクを職安が背負う契約条件にしたのも、よほど自分の考えに自信があっての事だったのだろう。普段の彼だったらそんな事はしない。
「すまなかったな、目黒。ちょっと目論見を外した」
 と大塚さんは遠い目をしたまま言った。彼がわたしに謝るところなんて初めて見たので、わたしはかえって動揺してしまった。
「でも、田町さんはすごく喜んでましたよ」
「そうか」
「わたし、この仕事をやって結構経ちますけど、依頼人があんなに嬉しそうにしてるのを初めて見ました」
「そうだな」
 と上の空で返事をした。ずいぶん落ち込んでいるようだった。
 思ったほどの利益が出なかったからって落ち込むような人には思えない。そもそもこの職安は趣味だと言ってのけるようなやつなんだし。
 前に貴婦人とその息子さんの結婚問題のときも、職安の利益が消滅したにもかかわらず「全員が幸せになれるから良かった」と言っていたわけだ。
 かといって彼は依頼人の幸福を第一に考えてるわけでもない......と思う。相手の弱みをついて契約条件を変えるような事を平気でするわけだし、お客様の幸せが私どもの幸せです、みたいなタイプでは絶対にない。
 じゃ何なのか。
 わたしは彼ほど人間観察に長けているわけではないけれど、さすがにこうして毎日仕事をしていると、この人の行動原理というものが少しずつ見えてきた気がする。
 アセクシャルでしかもベジタリアンとずいぶん生理的欲求の控えめな人だから、こういう風に職安を持って、自分なりの人間理解を他人に適用することを人生の楽しみにしているのかもしれない。だからこうやって目論見を外してしまうと、自分の積み上げてきた人生を否定されたように感じるのかもしれない。
 となると、わたしがいま言うべき事は、こんな感じだろうか。

「ところで大塚さん、今わたしが欲しいものがなんだか分かりますか」
「なんだ急に」
「ただのクイズですよ」
 そう言うと、彼はやはり遠くを見たまま、少しだけ間を置いて言った。
「タマチ書店の前のフルーツパーラーのケーキを食べたい」
「正解です」
「目黒、お前、おれを慰めようとしてるだろ。考えればギリギリ分かる範囲のクイズを出すのはそういう意図だ。あの書店でそのケーキの話をしたのが、お前の考えるギリギリだろうな」
「はい。よく覚えてますね」
「お前もおれが覚えてる範囲をよく分かっている」
 と大塚さんは少し笑う。わたしも少し笑う。
「よかったら食べますか。実は田町さんが持ってきてくれたんですよ」
 といってわたしは冷蔵庫を開ける。
「そうだな」
 といって彼はオットマンから脚をおろす。所長も大塚さんの脚をおりる。
(第7回へつづく)

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柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

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