双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第5回

3章 未来漫画家(前編)



「職安」から歩いて15分くらいのフルーツパーラーで、わたしは人類に残された最後の難題について思いを巡らせている。
 さきほど撮ったケーキ写真を Skynote にアップするのは許されるか、否か。
 つまり、あきらかに「消費者向け」じゃない価格帯のお店に行っていることをSNSでこれ見よがしにアピールするのは、わたしの今後の人間関係にいくらか悪影響を与えやしないか、という事だ。
 SNSにおける自分のイメージの管理は、すっかり機械で安全保障されたわたしたちの生活の中で、数少ない自己責任の世界である。
 わたしが不慮の事故によって県庁を退職した後、うまいこと「職安」なる事務所に再就職できたのは友達が皆知っているのだけれど、その特異な給与形態のせいでわたしの収入がだいぶ減ってしまった、ということはわたしと大塚さんしか知らない。
 そんなエセ生産者が惰性と見栄とその他の言語化しにくいもにょもにょした感情のもとで未だにこのパーラーに通い続けて、その写真をSNSにアップするのは色々と微妙なところがあるのではないか。
 これはとても難しい問題だ。なにしろこの携帯に搭載されているコンピュータは、わたしよりも遥かに優秀なはずなのに、この手の問題にはまったく答えてくれない。「きれいな写真を撮れたら Skynote にアップしよう!」とだけ言ってくる。
 しょせんは機械畜生か。そうやってSNSの活動量を機械的に増やし、メーカーの評価値を上げることだけが彼らの目的であって、わたしの人間関係の保全なんてものはちっとも考えてくれないのだ。
 写真はとてもキレイに撮れている。写真というのは今はもうフィルタと構図調整のちからでどんなものでもキレイに見えるようにしてくれるので、キレイという概念がなんなのかがよく分からなくなってるけれど、それでもこういうキレイな写真を人に見せることでわたしのなんだかよくわからない人生がキレイなものであるような気になってくる。となると世の中のどこかには「人に見られたいものを見る仕事」があるんじゃないかな。
 なんてことを考えていると、ふと視界の端になんか見覚えのある色調が入り込む。見覚えのある色調っていうものが世の中にはありますね。毎日見ているとなんとなく頭に刷り込まれて、雑踏の中でもパッと見つけられる感じの。今回のそれはあの派手なネクタイと縦縞スーツの色だ。
 大塚さんらしい。このパーラーから車道を挟んだ反対側の建物の中にいて、なにかの棚に向かっている横顔が見える。
 向かいの店はなんだろう? とわたしはパーラーの窓から外を眺めてみるが、古びた看板には何が書いてあるのか目を細めても分からない。仕方ないので携帯で調べる。実物よりもネットを信頼するのが現代人のシティライフ。
「タマチ書店」
 と地図が示す。
 なんと、書店だ。
 紙の本だけを専門に売っている店だ。
 考えてみれば不思議なことで、わたしはこのパーラーに何年も前から通っているのに、道路を挟んだ向かい側になんの店があるのかを全く知らなかった。人間にはわりとそういう能力がある。興味ないものを無視する能力。でなければこんな情報過多の社会でやっていけません。
 それにしても、機械にまともに触れない大塚さんに「書店」とはあまりにピッタリの組み合わせではないか。一体あの男はどういう本を読むのだろうか。
 あまり休日に会いたいタイプの人ではないけれど、好奇心に負けて、わたしはカードをテーブルにタッチして会計を済ませた。クリーム色の食器回収機がすーっと歩いてくるのを尻目にわたしは店を出る。「ありがとうございました」という音声が聞こえる。
 車道を横切るために白線を乗り越えると、走ってる車はわたしの動きを認識してすっと停まる。中に乗っている人が面倒そうな顔でこっちを見る。後ろから無人車が来て、人のいる方の車をすっと抜いていく。日曜なので車は多い。人が乗っていない車のほうが、中身を気にしなくていいぶん動作は機敏だ。
 書店の前に立って窓の中を覗くと、大塚さんは本がぎっちり並んだ棚の中身をちらちらと物色していた。書店の本ってお金を払わなくても見ていいんだ。汚したら大変だと思うんだけど。
 彼は休日でもあの派手なスーツを着ていた。
 そういう人は珍しくない。とくに男性の生産者は、ステータス・シンボルとして毎日スーツを着ている人が多い。最近の服は着た方が涼しいくらいだし。
 店内にずらっと並んだスチール製の棚(すごい威圧感)の奥にはカウンターがあり、その中にはエプロンを着けたおじいさんが座っている。どうやら店員さんらしい。びっくりした。書店というだけでびっくりしたのに、有人店なんて二度びっくりだ。今わたしがいたパーラーでさえ無人なのに。
 飲食店でも有人なんていったら生産者の中でもひとにぎりの人しか行けないような高級店なのに、書店でしかも有人ってどういう事なんだろう。もちろん答えはひとつしかなくて、採算を度外視しているという事だ。
 つまり、この店舗はあのおじいさんの所有物で、自分の趣味で集めた紙本で商売をしているんだろう。
 なかなかステキな老後じゃないか。
 昔読んだことがあるけれど、あのおじいさん(おそらく平成生まれだろう)くらいの人が若い頃は、まだ人間が働く会社がいっぱいあって、学校を出たらみんな生産者になるのが当たり前だったらしい。若い頃は組織で働きながら、老後はこういう店をつくって半分趣味(全部かもしれない)の商売をやっているのだ。
 わたし達の世代がろくに仕事もなく基本金だけで細々と生きているというのに、何たる贅沢な人生か。これだから最近の老人は!
 と、見知らぬ店主に心の中でおもいきり悪態をついていると、大塚さんが本を持ったまま首だけをこっちに向けた。しまった、見つかった。彼は招き猫のように手を動かして、わたしに店内に来るように促す。
「よう、こんなところで会うとは奇遇だな」
 と書店のガラスドアが開くなり彼は言う。
「このへんはよく来るのか?」
「そんなでもないですけど、県庁にいた頃はよく来ましたね。そこのお店のケーキがおいしいので」
「そうか。おれは家が近いからな」
 と彼は答えた。そうか、この人にも自宅があるんだな、となぜか思った。生活感みたいなものがほとんどない人なので、家があるという事実がいまいちミスマッチに思える。
 あまり嗅いだことのない臭いが店内に漂っている。インクの臭いに、おばあちゃんの家の臭いを混ぜたようなかんじだった。「古本の臭い」とでも呼ぶべきものなのだろうか。
「わたし、紙の本屋なんてはじめて来ました」
「そうか。結構面白いぞ」
「普通の本となにか違うんですか?」
 というと、彼は怪訝そうな顔でわたしを見る。そういえばこの人は普通の本を読まないだろうから、違いと言われても分かるまい。
 目の前を見ると、古い本ばかりかと思いきや、比較的新しい見た目のものもある。
『職業依存 -社会とつながらないと安心できない若者たち-』
 というのがある。たしか2年前の有料書ベストセラーだ。これほどのタイトルになると紙版も出ているらしい。読んだことはないけれど、タイトルだけでわたしたちの職安とは相反するものであることが分かる。
「何かいい本あるんですか?」
「そうだな」
 と大塚さんはしばらく考えて、店主のおじいさんをちらっと見たあと、少し歩いて隣の棚のところに行き、
「じゃ、とりあえずこれ読んでみろ」
 と一冊の本を渡す。ごわっとした紙が1センチくらいの束になっている。こんなに厚いと紙でもずっしり重い。
 表紙には『サクラ島戦記(上)』というタイトルが、ごく標準的な明朝体で書かれている。その下には「Machita」という字が丸文字ゴシック体で書かれている。たぶんペンネームだろう。
「開いても大丈夫ですか」
「お前は開かないで読めるのか?」
 うわあ、と思ったけど顔には出さない。
 表紙は薄いけれど意外と硬い。なんとも形容し難い臭いとともに、枠線とタイトルだけ書かれたページが現れる。もう一枚めくると......漫画本だった。
 それも白黒の漫画だ。
 わたしは古びたページをつまんでゆっくりとめくった。どのくらいの力を入れていいのかがよく分からないので、開いたまま平積みの本の上に置いて慎重に読み進めた。どうやら主人公で魔法を使える女の子が「サクラ島」なる島を冒険する話のようなのだけれど、冒頭シーンでいきなり登場人物が何人も出てきて、なかなか誰が誰なのか覚えられないまま話が進む。
「どう思う」
 5分くらい読んだところで大塚さんが聞いてきた。
「読みづらいです」
「印刷が?」
「印刷というのもありますけど、内容もですね。場面があちこち飛ぶし、なんだか説明が言い訳みたいですし、ひとの顔がみんな同じように見えます。絵が白黒なので描かれてるのが何なのかよく分からないし」
 とわたしは説明する。良いものを褒める難しさに比べると、悪い点というのはずいぶんスラスラと出てくる。
「なるほどね。よく分かった」
 と彼は深く頷いたあと、カウンターの向こうにいるおじいさんの方を見て言った。
「だそうですよ、田町さん」
 するとおじいさんは申し訳なさそうに、
「すみません。なるべくストーリー作りを手でやろうと思ったんですけど、ツールを使わないとどうしてもそういう読みづらいところが出てきちゃうんですよね......」
 と答えた。細身の外見に似合わず、ちょっと昔の俳優にいそうな芯の通った低い声だった。その声とその申し訳無さそうな内容がなんだかミスマッチだった。
「あの、なんの話をしてるんですか?」
 とわたしが聞くと、
「ああ、そこにいる人がこの漫画の作者の田町さんだ」
「はあ?」
 ハメられた、と思ったけれど、やっぱり顔には出さない。声には出しちゃったけど。
「で、こっちはうちの『職安』で事務員をやってる目黒です」
 と大塚さんは田町さんのほうへ向き直って言った。リアクションに困ったわたしは首だけで曖昧に会釈をする。
「事務員? という事は、そちらも社会人の方ですか」
「社会人?」
 とわたしが聞き返すと、
「生産者の昔の言い方だよ」
 と大塚さんが小声で補足する。なんだそりゃ。まるで消費者は社会の構成員じゃないみたいじゃないか。ひどい言葉もあったものだ。

 話を聞くと、この店主の田町さんという方は漫画家を目指していたらしい。
「自分の漫画が書店に並ぶのが、子供の頃からの夢だったんですよ」
 と彼は言う。
 田町さんの若い頃はまだ漫画というのはペンで1コマ1コマ描くもので、メインの作家さんの他に、背景などを描くアシスタントという人たちがいたそうだ。描いたものは出版社というところが仲介(編集とかいうらしい)して、印刷して紙本にして、全国の書店に配本される商売だったとか。
 ところが年々どんどん作画や話作りが自動化されると、漫画のコストが下がってしまい、ネットで面白い漫画がいくらでも出回るようになってしまい、紙の本というものがなくなって、書店もなくなってしまったとのことだ。
「で、仕方ないから自分で書店を作ったんですよ。10年くらい前ですね。もともと集めていた紙の本を並べて、そこに印刷業者さんで作ってもらった自分の本を交ぜたんです。ささやかながらも夢が叶ったな、という感じです」
 と田町さんは気恥ずかしそうに言った。わたしの両親よりも一回り年上なのに、ずいぶん丁寧な喋り方をする。
「このご時世に紙の本屋なんてものをやって、自分の漫画を売りたいというバイタリティにはいたく感心しますよ」
 と大塚さんは言う。まあ、それはわたしも同意見だ。漫画の出来はともかく。
「ありがとうございます」
 と田町さんは照れながら頬をかく。
「でも、こうやって夢が叶ってみると、また欲が出てきてしまうんですよ。自分の本が売れる瞬間を見てみたいとか、他所の書店に並んでほしいとか、たくさん読まれたいとか......まあ、もういい歳ですので、このあたりで満足すべきだとは思ってるんですが」
「いえいえ、いくつになっても目標を持つというのはご立派ですよ」
 と大塚さんが言う。
「もし宜しければ、こちらの作品の販売を私どもの『職安』に任せてみませんか? それほどの情熱をお持ちの方であれば、ご協力できる事があると思います」
「えっ。『職安』というのはそんな仕事も扱ってらっしゃるんですか?」
 と田町さんが尋ねた。わたしも同じ事を思った。
「たしかに本道ではないですがね。要は、仕事の可能性を具体的な仕事にする、というのが私どもの仕事ですから」
 と大塚さんは自信満々に言った。
「でも、私の漫画にそれほどの可能性があるとは......」
 と田町さんはわたしの方をちらっと見た。わたしは気まずくて少し目を逸らす。
「まあ確かに今の若者にはちょっと通じづらい表現かもしれませんが、その古さを逆に活かす、という方向もあると思います。知り合いに漫画に詳しい者がおりますので、意見を伺ってみますね」
 と大塚さんは答えた。わたしもわりと平成くらいの映画とか好きだし、「今の若者」というほどの歳でもない気がするのだが。

 翌日。
 職安で月曜午後の通常業務(要するに何もない)をやっていると、入り口のカメラの前にひとり、着包みのような丸いシルエットの男性が現れた。
「どーも、お久しぶりです大塚さん。上野です。開けてくだちい」
 と手を振っているので、わたしはキイを押してドアを開ける。
「遅い。10時に来いと言ったんだから11時までには来いよ」
 と大塚さんが無表情で言う。時計は午後1時20分を指している。
「いやあ、大塚さんの方から呼び出すなんて珍しいじゃないですか。何かぼくに仕事を紹介しようという話ですか。絶対に嫌ですよ」
 と上野くんは言う。「ぼく」の「く」にアクセントをつける特徴的な喋りかたをする。
 彼は大塚さんの後輩だ。何の「後輩」なのかは知らないが、Skynote のデータによるとわたしよりも年下らしい。学校を卒業して以来ずっと消費者で、公営住宅に住んでいてたまに職安に遊びに来る。それ以外にはあまり外出しないのだろう、雪だるまみたいに白くて丸い。
「お前に職なんて紹介したらうちの信頼に関わるからな。そこは安心しろ」
「大塚さんもネットを覚えればいいのに。ネットならぼくも時間を守れますよ」
「お前は少し歩け」
「はーい」
 と言って彼はどこどこと歩いて応接用のソファにどさっと座った。
 どうやら上野くんはわたしと同様に、大塚さんにとっての身内にカウントされているらしい。大塚さんは客と判断した人には異様に優しいが、身内相手だと異様に言動が厳しい。どちらかと言わなくても後者のほうが彼の天然に近いと感じる。
「まあ、今日の用事は簡単だ。ちょっと漫画を読んでほしいだけだ」
「ほほう、漫画を。これは珍妙な用事ですな」
「そこに積んであるやつだ」
 と大塚さんはソファのテーブルを指す。『サクラ島戦記』全3巻が積んである。
「どういう状況なんですか? これは」
「簡単に言えばだな」
 と大塚さん。
「ある人が漫画を描いて、それを売りたいと思っているので、そのプロデュース方法を考えよう、という話だ」
「ふーん。職安もずいぶん多角的になりましたねえ。いいでしょう。1日50冊は読むと言われているぼくがひとつ読んでみましょう」
 と上野くんはいちばん上に積まれた上巻を手にとると、滑らかな手つきでページをめくりはじめた。彼は紙の本もずいぶん読み慣れているらしく、そのページ送りはわたしよりもずっと滑らかだ。
「ふーん。印刷ネイティブって感じのコマ割りだな」
 と上野くんは誰に言うともなくつぶやいてから、
「あ、印刷ネイティブってのはつまり、ページサイズが決まっていて動かない事を前提にした配置という意味です」
 と自分で解説を入れた。大塚さんは「いいから早く読め」と言う。
 そのとき、来客の気配に気づいたのか、大塚さんのデスクの下で寝ていた所長(生猫。茶トラのスコティッシュ・フォールド、オス3歳)がのそのそとソファの後ろにきて、
「ふにゃー」
 と声をあげる。
「うわっ」
 と上野くんがのけぞって、体格に似合わぬ素早い動きで反対側のソファの後ろに回る。
「うわっうわっ、こいつまだいたんですか」
「いるに決まってるだろ。所長だからな」
「ぼく、ナマの動物とか苦手なんですよ。勘弁してくだちいよ」
「お前もナマの動物だろうが」
「慣れの問題ですよ。見慣れないものには免疫がないんです」
「じゃあ慣れろ。ほれほれ」
 と大塚さんは所長の胴を持って上野くんに近づけようとする。ばたばたと逃げ回る上野くん。いい年した男2人で遊んでないで仕事しろ、と思うけど、現時点で特にやる仕事がないという点ではわたしも一緒なのである。

 お願いだからその生猫を外にやってくだちい、と上野くんが懇願して、仕方なく所長を持ったまま廊下に出ていく大塚さん。にわかに部屋が静かになって、上野くんは真剣な目つきでページをぱらぱらとめくる。わたしはやる事がないので、端末の画面を見ながらちらちらと彼のほうを見る。
「つーか前から思ってたんですけど目白さん」
 と上野くんは漫画をめくりながら聞く。
「目黒ね」
「え、あ、そうでしたか。失礼しました、目黒さん。目黒さんってなんでこの職安で働いてるんですか?」
「なんで、って?」
「ぶっちゃけあの人、やりづらいでしょ」
「うん、全くやりづらい」
「今どきネットもろくに使えませんしね」
 いや、そっちは別にいいんだけど。むしろ機械関係にああも無能であるおかげで、人間性のほうに耐えられていると言っていい。無力で助けを必要としている人を、わたしは必要としてしまう。そういう遺伝病を持っている。
「それに、職安ってそんなに利益出ないですよね? だって、いまどき職探しする人なんてそうそういないでしょ」
「うーん、正解」
「ですよね。ぼくなんて生産者になりたいと思ったこと、人生で一度もないですよ」
「そうなんだ」
「目黒さんは知らないかもしれませんけど、今どき消費者だって、安くておいしいご飯がいくらでも手に入るんですよ。どうせ食料生産だってそのうちぜんぶ機械化されちゃうでしょ。雰囲気のいい有人のお店で食べられるとか、そういう外見のステイタスとか気にしなければ、生産者をやるメリットなんてないと思いますよ。つーか、せっかく皆ががんばって技術を進歩させて働かなくていい世の中を作ったのに、いまさら自分の都合で働きたいっていうのも、文明に対して失礼だと思うんですけど」
 こう自分たちの仕事を否定されると腹を立ててもいい気がするんだけど、特段そういう気にもならない。
 わたし自身この「職安」がそんなに世の中の役に立ってるのかどうかは分からない。
 ただ、わたしがこうやって稼げない事務員をやっているのは、家族から逃れたいというきわめて現実的な要求から来た実務であって、文明がどーこーとかいう大儀な話じゃない。
「あ、いや、別に話したくない理由だったらいいですよ。ただ好奇心で聞いてるだけなんで」
 と黙ってるわたしを見て上野くんが一言添える。
「話したくないわけじゃないんだけど、話すと長いだけで」
「ひょっとして大塚さんと特別な関係なんですか?」
「そういうのは皆無」
「ですよねー。あのヒト、アセクシャルですし」
「......そうなの?」
 とわたしはちょっと間の抜けた声を出す。アセクシャル、無性愛者。性的マイノリティの中でも結構マイナーな方だ。
「ええ。別に隠してはなかったと思いますけど。みんな普通に言ってましたし」
 みんなというのがどこのコミュニティなのか少し気になるけど、それはちょっと脇に置く。
「そうなんだ。人を見るのが趣味、って言ってたから、気づかなかったな」
「それとこれとは別らしいですよ。というかあのヒトの場合、性的な興味がないからこそ人間観察趣味ができるんだと思いますけど。ほら、カブトムシとかずーっと観察してるヒトとかいるじゃないですか。そんなかんじです」
 事実はともかくとして、昆虫を観察するノリで人を見ているというのは納得が行く。
 小学校の教科システムで昆虫図鑑のページを見て、隅から隅まで暗記することがクラスの男子の間で流行っていたことがあった。なんとか界なんとか門、なんとか綱なんとか目なんとか科、みたいなのをひたすら覚えていく。
 その男子たちの姿は確かに、「職安に来るやつには3種類いる」「あいつは何々系だ」と言い出す大塚さんの姿と被る。

 結局20分ほど(所長ロスタイムを除く)で全3巻を読み終わった上野くん。大塚さんも所長を持って室内に戻ってきた。どうやらコンビニに行っていたらしく、缶コーヒーの入った袋を持っている。 ビーガンではないベジタリアンなので、コーヒーはカフェオレだ。
 上野くんは大塚さんの顔を見ると、
「難しいでしょうね」
 と神妙な顔で言って、下巻を他の2冊の上に積んだ。
「というのは控えめな言い方で、まあ、無理でしょう」
「そう思ったか、上野」
 と大塚さんは缶コーヒーを自分の机に置く。
「ええ。古き良き時代のファンタジー、とかじゃなくて、単純に古いんです。こういう作品はネットでも沢山流通していますが、これならリミックス版のほうがよほど良いですよ。そういうのが無料で山ほど流通しているから、とても対抗できません」
「リミックス版? なんだそりゃ」
 と大塚さんが聞く。
「著作権の切れた漫画を、絵柄だけツールで現代風に変換してるやつです。手塚治虫とか藤子不二雄とかですね。リアルタイムで読んだ人はほとんどいませんけど、やっぱり一世を風靡した作品ってのは普遍的な良さがあるんでしょうね。どの世代にも一定数のファンがいるみたいですよ」
「ほー。そういうものが出回ってるのか。じゃ、古いというだけで売るのは難しいな」
「そうですね。無理です」
 と上野くん。大塚さんが他人の意見を素直に聞くのは珍しいな、とわたしは思う。
「じゃ上野、逆に聞くが、今はどういうのなら売れるんだ?」
「有料本で、ですか?」
「どっちでもいい」
「そおですねえ。ぼくのオススメというわけでもないですが、あくまで一般層に売れてるのでいえば『シジフォスの救済』ですね」
「どんな話なんだ?」
「絶望的な話ですよ」
 と上野くんはニヤリと笑う。
『シジフォスの救済』はわたしもちょっとだけ読んだことがある。最初のほうが無料だったので。
 超能力を持った主人公が1年後に人類が滅亡することを予知して、滅亡を防ぐために努力して、なんとか上手くいきそうになるんだけど、最後の最後で全部水泡に帰してしまい、そのあと主人公が記憶を引き継いだまま1年前に戻される......っていうのを延々と繰り返す話だった。もう5年くらい続いている長編で、ものすごく長いらしい。「紙の本にすると本棚がひとつ埋まる」と書いてあったけど、要するにどのくらいなのかいまいちピンと来ない。
「そんな絶望的な話が売れるのか」
「ええ。みんな絶望が見たいんじゃないですか? やっぱり消費者をやってると、絶望ってものが分かんなくなるんですよ。どう転んでもそれなりに気楽に、楽しく生きられますし。だからフィクションに絶望を求めるわけです。
 あと毎回人類が滅びるという安心感がポイントですね、みんな有料のものには安心感を求めるんですよ。消費者にとっちゃ貴重なお金を出すわけですから、期待と違うものが出てきたら嫌でしょう」
 といったことを上野くんは喋る。
 そういう点でも田町さんの漫画はあまり現代の読者が求めているものではなさそうだった。話自体はけっこう希望と意外性にあふれている。たぶん田町さんの育った時代は、こういうものが求められる苦悩があったんだろう。
「それじゃ田町さんには悪いですけど、この仕事は断りましょうか」
 とわたしが田町さんの連絡先を開くと、
「いや。これでも売れる方法は思いつく」
 と大塚さんは言う。
「爺さんに連絡してくれ。店が暇なときに職安に来てほしいと」
「えっ。マジでこれを売るつもりなんですか?」
 と上野くんが言うと、大塚さんは両腕を開いて「やれやれ」とため息をつく。
「いいか上野。おれはお前の漫画を見る目は信頼している。お前がそう言うなら、この漫画は面白くないんだろう。だが、おれ達の仕事は漫画を売ることじゃない。人間を売ることだ」
 せめて労働力と言えんのか、とわたしは思う。
(第6回へつづく)

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柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

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