双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第3回

2章 未来家族(前編)


「急いで仕事がほしいんです」
 と依頼人は言った。20代後半で短髪長身の男性だ。身体にフィットした服で筋肉質な線がよく見える。息を荒くして前のめりになって大塚さんに話しかけている。
「急ぎ、というのは具体的にどのくらいでしょう?」
「できれば明日からでも」
「しかも短期のアルバイトではなく、無期限の定職という事ですね?」
「はい。やっぱり無理でしょうか」
「いえいえ。そういう無理のあるご依頼こそ、うちの専門です」
 と大塚さんがにやっと笑って応対する。
 平成時代の探偵事務所風のオフィス。ソファで向かい合う大塚さんと依頼人。その脇のデスクに構えているわたし。デスクの上で丸まっている所長(生猫。茶トラのスコティッシュ・フォールド、オス3歳)。いつもの職安の光景だ。
 ひとつだけ変わったのは、こないだの職安狩りの一件で、ドアがぴかぴかの新品になった事だ。壁の古さと比較するとそこだけ不自然な存在感がある。開閉もとてもスムーズだし、最新のセキュリティシステムを導入したので、もう素人が横のパネルをいじっても開かないらしい。さすがにもうあんなのは来ないでほしい。
 わたしたち職安の仕事は、仕事を探している人に仕事を紹介することだ。国民の99%が国から支給される基本金だけで生きていける時代だけれど、彼らの一部は(お金がほしいとか、社会貢献がしたいとかいった理由で)1%の生産者になることを求めて全国各地の職安を訪れ、職安はその仲介料をもらう。
 といっても労働のほとんどが機械化されてしまった現代では、紹介できる仕事もしょうもないものが多い。消費者のほうも生活必需品は基本金だけで足りるのだから、無理して仕事を求める必要もない。
 だから「急いで仕事がほしい」なんて言う依頼人は、結構珍しい。
 そして、うちみたいな悪い人間がやっている職安(わたしではなく大塚さんの事である。念のため)にとって、相手が無理なことを言うのはかえって望ましい。こちらも無理のある契約条件を提示できるからだ。職業が必須のものでなくなった現代、職業仲介に関する法律はどんどん有名無実化していて、相手さえ承諾すればどんな条件でも出すことができる。
「急となると遠隔地という訳にも行かないでしょうから、市内ですね。では......目黒、アントレースの求人まだ空いてるか調べて。多分空いてるから」
 と大塚さんは目だけこっちを見て言う。
 彼は最近ようやくわたしの名前を覚えたのか、それとも間違えるのに飽きたのか、わたしのことを目黒と呼ぶようになった。
「はい」
 とわたしは返事して、それからキーボードの脇に丸まっている所長をどける。快眠中のところを起こされた所長は、不満そうな顔でデスクをのそのそと降りて床で眠る。
「そうですね。お急ぎのようですから、すぐにご紹介できそうな仕事が一件あります。防犯カメラに映る仕事ですね」
 と大塚さんは言う。
「それは何か実験用のデータを提供するとか、そういう方面ですか」
「逆です。データを提供しない事が仕事です」
「えっ......えっと?」
「まあ、ざっくり説明しますと、目黒、例の動画を」
「はい」
 とわたしは「アントレース社 業務説明用サンプル」と書かれた動画を開いて、ソファテーブルの上の画面に映し出す。
 コンクリートの埠頭が画面に映る。どこかの港のライブカメラで撮られた映像だ。
 大型コンテナ船が入港している。コンテナの底についた蜘蛛のような自律八脚がにょろにょろと動いて、無人トラックの後方に掴まる。トラックはそれを認識すると、コンテナに書かれた目的地に向かってすうっと動き出す。マスゲームのように規律のとれた動きで、コンテナ群は各地へ散っていく。
「これは半年前に撮った映像で、積荷はチャペック・ロボティクス社の新型です。自衛隊に増員が必要になったらしく、今回はチャペック製を使うことにしたようです」
「へえ」
 と依頼人は頷いた。
「そういえばニュースで見ましたね。なんで自衛隊が国産品じゃないんだ、って投稿欄のほうで結構話題になってたような」
「そのとおり。よくチェックしていますね。素晴らしい」
 と大塚さんが過剰に褒めると、依頼人はあからさまに顔を綻ばせた。そんな褒められて嬉しいものかな。たしかに消費者の中には社会との一切の関わりを絶って家にとじこもっている人も多いらしいけれど、そういう人は職安に来ないのでわたしとも縁がない。
「あれ、でも、何でこの積荷が自衛隊の増員って分かるんですか? そういうものの輸送経路って機密のはずでは」
「いい質問ですね。話が早くて助かります。まさにそれがこの仕事の本質なんです」
 と大塚さん。どうやら今回の依頼人は「褒めたほうがいい客」と判断されたらしい。依頼人もいちいち嬉しそうな顔をする。褒められ慣れていないのだろうか。
「確かに輸送業者は顧客の素性を明かしたりはしません。そういうのは守秘義務に該当しますからね。ただ......」
 と言って画面が切り替わる。大塚さんはこの動画を何度も見ているので、タイミングを覚えてしまったらしい。動画自体にもプレゼン音声がついているのだが、彼はそれを使うのが嫌いで、音声を切って絵だけを使用している。
「いま世界中のあらゆる場所には防犯カメラが設置されていて、その多くがネットを通じて公開されているわけですね。そういう世界中のカメラのデータを大量に集めて、ある複雑なアルゴリズムの解析にかけると、このコンテナがどこから来たかが分かってしまうんです」
 と大塚さんは説明する。彼は機械に触れないくせに、機械の事情には結構詳しい。
「野球のルールも知らないけど野球選手のファン、ってやつもいるだろ」
 とこないだ言っていたが、その比喩がいまいち分からない。まあ、分からなくてもいい。
「ええ、それはまずいんじゃないですか。国防的に」
 と依頼人。
「はい。国もそうですし、あと民間企業でも色々と問題がありますからね。そこで、あなたの仕事があるわけです」
 と大塚さんが言うと、画面の隅のほうに、何かうすぼんやりとした影が出てくる。
 どうやら人のようだった。
 帽子をかぶって、犬をつれているおじいさんだ。この解像度では、犬が生犬なまいぬなのかロボットなのかは判然としない。
「はい。これでこの映像を解析にかけられなくなりました」
「えっ?」
「人間が映っている映像は、スノーデン条約で利用が大幅に制限されるんですよ。だからさっき言った解析にかけることが出来なくなるんです」
 この説明は前にも聞いたので、わたしもこのあたりの詳細は知っている。もともと個人のプライバシーを守るために出来た国際条約で、街のあちこちに設置された監視カメラの映像利用に一定の利用制限をつけたものだ。
 こっそり使ってもバレないと思うのだけれど、そのへんの事情はわたしもよく分からない。少なくとも、バレたときに裁判で大幅に不利になるのだろう。
 それを逆手に商売にしたのがこのアントレース社で、利用されたくない映像にわざと人間を映り込ませることで、映像が解析アルゴリズムに使われるのを防ぐのだそうだ。機密性を重んじる企業の顧客が多いので、従業員集めにはそれなりの信頼が求められる。大塚さんが何でそんな信頼を得ているのかは謎だ。

「では、明日にはスケジュール表が送られてくるので、指定された時刻にカメラの前を歩いてください。実際の勤務開始は来週の水曜日頃になると思います。よろしくお願いします」
 といって契約書を依頼人と交わす。普段使ってるものよりも仲介料が少し高めに設定されているけれど、急いでる依頼人はそんなことは気にもしない様子だった。せわしなく職安を出ていくと、ずっと床で丸まっていた所長がにょっと顔を上げて、
「けけけっ」
 と鳴いた。一件落着、の合図だ。
「ふう、随分あわただしい依頼人だったな。何であんなに急いでたんだろ」
 と大塚さんは言った。
「豚に変えられるからじゃないですか?」
「え?」
「知りませんか? 平成の映画にありましたよ。えっと、なんてタイトルだったかな。なんか女の子が変な街に迷い込んで、仕事を見つけないと動物に変えられてしまうんです。それで何かの温泉旅館みたいなところで働くんです」
「知らないな」
 あれ、なんとなく古い映画に詳しいタイプだと思ってたんだけど。もしかして機械に触れないから映画も観られないのかな。
「で、その映画はどういうテーマなんだ? 子ども脅して労働させるなんて、いくら平成だからってずいぶん野蛮な話に思えるが」
「えーっと、そういえば、何でしたっけ」
 とわたしは記憶をたどるけど、なにぶん子どものころにテレビで一度観ただけなので、詳しい筋が思い出せない。
 ただひとつ印象的だったのは、冒頭シーンに映っていた主人公の女の子のお父さんだ。山道を手動運転の車でかっとばしていく。お父さんというものがこんなに豪快であっていいのか、と13歳当時のわたしは思ったものだ。

 時計を見ると17時。いちおう終業の時間だ。
「それじゃ、おれはこれから所長のご飯の買い出しに行くが」
 と大塚さんが革のカバンを持って立ち上がる。戸棚のガラス戸の中に積まれている猫缶の残りはあとひと柱しかない。
「お前は何か残ってやるべき事はあるか?」
「いえ。わたしも人と会う約束があるので、すぐにあがります」
 とわたしは答える。そもそも営業時間中でもやる事はあんまりない。
「そうか。電気代が発生しないように早めに帰れよ」
 と言って大塚さんが入り口に向かうと、新品のドアがすーっと開く。
 この事務所の電気はフリーミアム契約で、月別の規定使用量を超えなければ無料だ。冷房のいる真夏ならともかく、今はもう電気代を払う季節ではない。
 大塚さんがエレベーターで下に降りる音を確認してからわたしも外に出る。ここで外で会ったりしたら気まずい。
 秋口なのでまだ外は明るい。市民ボランティア団体のTシャツを着たみなさんが、街路樹まわりのゴミ拾いをしている。もともと清掃局の掃除ロボットがやっていた仕事なのだが、数年前にボランティアをやりたいという市民の声を受けて、このあたりは自動清掃禁止区域に指定されている。
 車を使うほどでもないので、わたしは徒歩で駅前のビルに歩いて向かう。
 運転が自動化されて鉄道の地位が低下するにつれて、ちょっとずつ「駅前」という土地の特権的地位は減少していったのだけれど、それでも駅を中心とした同心円状の階級構造はまだうっすらと残っている。
 金曜日の夕方なので、街にはスーツを着た生産者が多い。曜日感覚のない消費者たちが、わざわざ金曜や土曜を選んで遊びに行くことはない。
 携帯を取り出して予定を見る。待ち合わせの時間にはまだ少しある。
 中学1年生のとき、歴史科のテストにこんな問題があった。

問:昭和・平成時代に起きた以下の出来事を正しい順番に並べなさい。(5点)
(a) インターネットの普及
(b) 日本の人口が減少に転ずる
(c) 太平洋戦争
(d) 家電製品の普及

 ちょうどその頃わたしは、家族に様々なごたごたがあった末に名字が「齋藤」から「目黒」になったところだった。やたら画数の減った名前とか、新しい父親とか、そういうのを家に迎え入れた母親とか、なぜか新しい両親から愛されている弟とか、そういうあらゆるモノを抱え込んだ社会とかを徹底的に嫌悪するあまり、授業コースをろくに聞かない「悪い子」になっていた。
 母親の世代だったら「悪い子はろくな大人になれないよ」というところだけど、わたし達にとっての「ろくな大人」ってなんだろう、とわたしはいつも考えていた。
 どうせ自分みたいな子が生産者になれるわけがないのだ。生産者になれるのはクラスでひとりくらいで、ほかはみんな消費者になるんだから、成績なんて良くたって悪くたって一緒じゃない。と思っていた。
 でも学校の成績を良くしないと、少なくとも教科システムに記録される「学習態度」を良くしておかないと、母親の機嫌が悪くなることは分かっていた。わたしの親はまだ、頑張って勉強すれば生産者になれるとナイーブに信じている世代なのだ。
 だからわたしは頭をひねることにした。推理力にはまあまあ自信があった。
 テストの数字は記録に残る。記録に残るものは真面目にやろう。

 普通に考えて、人口が減る原因は戦争だろう。(c)→(b)
 太平洋戦争というのはたしか、世界ではじめて核兵器が使われた戦争だ。まさか冷蔵庫もない時代に、核兵器をつくる人はいないだろう。(d)→(c)
 インターネットがないと家電製品が使えない。(a)→(d)

 できた。完璧だ。
 わたしは「回答」ボタンをタッチする。
「ブーッ」
 ヘッドフォンから響くおおきなブザーとともに画面におおきなバツが表示されて、教科システムは以下のような解説を表示する。

「太平洋戦争は、1941年から45年にかけて行われた戦争である」
「日本の人口は、2010年頃の1億2700万人をピークに減少に転じた」
「インターネットの普及は1990年代後半から」
「三種の神器と言われたテレビ・洗濯機・冷蔵庫が1950年代に普及し、家事労働の機械化が行われた」

 うーん。年代を並べられても「そうなんですか」としか言いようがない。
「なんでテレビがインターネットより先にあるんですか?」
 と教科システムに聞くと、
「日本のテレビ放送開始は1953年で、日本のインターネットの原型は1984年にできたので、30年も遅いのですよ」
 と言って画面にアンティークな箱が出てくる。やたら屈曲したディスプレイには灰色の画面が映っている。
「ネットがないのにどうやって番組を放送するんですか」
「この時代のテレビは空中の電波を使っていました」
「電波で配信するならやっぱりネットじゃないですか」
「インターネットの普及は1990年代後半のことです」
 さっぱりわからん。というわけで、わたしは教室で一番頭のいいフユちゃんに聞いてみた。別に成績順位が発表されてるわけでもなかったけど、なぜかフユちゃんが一番優秀ということは公然たる事実だった。クラスの中でもひときわ身体が小さくておとなしい女の子だった。
「あのねナッちゃん、昔の家電製品はね、電気だけで使えたんだよ。今みたいに複雑なプログラムは入ってなかったの」
 と言ってフユちゃんは昔の炊飯器の画像をわたしに見せてくれた。タイマーすらついていない。「炊飯」のボタンを押すと電流が流れて釜を温めるだけの機械だ。
 核兵器が使用される時代の人がこんな石器時代みたいな道具を使って暮らしていたなんて事がちょっと信じられないけど、フユちゃんが言うのならそうなのだろう、とわたしは思った。それからフユちゃんは当時のテレビの仕組みも説明してくれたんだけど、そっちの方はちょっと理解できなかった。今もあまり分かっていない。
 公立学校から教科教員がいなくなったのは、わたしが生まれた直後の事らしい。授業はみんなコンピュータによって行われていて、生徒がさぼらないように監督する先生が学校に何人かいるだけだった。
 教員なしで指導が成り立つのか、と大人たちは文句を言ったし、生産者の子どもは教員のいる私立校に行ったりしたわけだけど、実際のところ学校に人間の教員が必要なのか、と聞かれると、わたしの答えはこうだ。
「フユちゃんさえいればいい」

 その日の放課後、
「家に帰りたくない」
「じゃ、ウチに来る?」
 と付き合ってるかどうか微妙な関係みたいな会話を交わして、わたしは自分の家と反対方向にあるフユちゃんの家に向かった。どうせGPSでわたしの場所が分かるのだから、わざわざ親に連絡することもないだろう。
「お母さんが嫌いなの?」
 と道中でフユちゃんが聞く。
「嫌い」
「お父さんも?」
「......」
 そう聞かれるとわたしは黙った。
 思春期の少女には反抗期というものがあって、親が嫌いになるのはごく自然な感情である。ということを、まだ実際に反抗期に入る前に教わる。
 だからわたしは母親を嫌いと言ってもいい。それは社会から許されている。
 でも、新しい父親のほうはよく分からない。
 わたしの家に新しい姓を持ち込んだ父親が、わたし達に受け入れてもらえるように努力していることは見て取れた。だからこそ、彼のことを嫌いと思ってはいけない、という圧迫感が家庭のそこらじゅうから感じられて、家がとても窮屈な場所になってしまった。そういうわけで13歳当時のわたしの望みは、
「一人暮らししたい」
 だった。
「したいよねー」
 とフユちゃんは頷いた。彼女が本当にそう思っているのか、わたしに合わせてくれているのかは分からなかった。
 わたしの家は4人家族で、世帯主である父のところに4人分の基本金が振り込まれている。厚福省の基本金は、ひとりで生きるには少し厳しい金額に設定されている。一方で家族をつくってまとまって住めば、いくらかの節約になる。
 だからみんな結婚して、子どもをつくって、人数分の基本金をもらう。
 そうやってこの国の人口は維持されている。
 ずっと昔からこの国はそういう風に運営されていたらしい。標準的な生き方をしていれば国からきちんと面倒をみてもらえるけど、そこからちょっとでも外れるとひどく面倒な事になる。そうやってみんな、寒い土地で身を寄せ合うように、標準に標準にと向かっていくらしい。

 フユちゃんが自分の家の端末で、国のチャットボットにつなぐ。画面の下には「匿名」のチェックが入っている。
> Q. わたしの友達が一人暮らしをしたいと言ってるのですが、どうしたらいいのでしょう。
 とフユちゃんは音声ではなくキーボードから入力する。
> A. 新日本憲法で定められているように、家族には相互扶養の義務があります。
> Q. どうすれば生活基本金を、両親と別にしてもらえるのでしょうか。
> A. 検索しています......
 ネットの調子が悪いのか、チャットボットは少し砂時計のアイコンをくるくると回す。わたしはフルーツケーキを食べながらそれを見ている。そういうことを調べようという発想からして無かったし、あったとしても自分の家の端末でそんなことをしているとバレたら大変なことになるはずだった。
「独立生計を営んでいると認められる場合」
 というのが出てきた。
 生活の実態をコンピュータが調べて、住居が別で、これくらいの収入があり、云々、といった条件を満たせば、わたしの基本金が親を経由せずに手に入る、ということだった。
 つまり、クラスでひとりしかなれないような生産者になることが、わたしが現状から抜け出すための現実的な可能性のひとつである、ということだった。もちろん、そのためにはずいぶん勉強をする必要がある。
「一緒に勉強しようよ」
 とフユちゃんは言った。背後でつけっぱなしのテレビが「どうなる日本の家族 新法案が衆院通過」というニュースが流れていたのをやけにナマナマしく覚えている。
 というのが13年前のことで、いまわたしとフユちゃんは、駅ビルの上階にあるちょっと小洒落たレストランにいる。夜景がきれいなのでデートで来ているカップルが多いが、何人かのグループや、男性ふたりだけの席もある。金曜夜なのでまあまあお客さんは多い。
 お店のエントランスに近づくなり、車輪と棒だけでできた案内機が顔を認証し、
目黒奈津めぐろなつ様ですね? 神田歩由美かんだふゆみ様がこちらでお待ちです」
 と言ってモニターにテーブルの場所を出す。わたしは彼女のほうに早足で(べつに慌てる理由はなにもないのに)駆けていって、
「フユちゃーん」
 と抱きつく。中1からちっとも背が伸びていないフユちゃんの身体はわたしの腕にすっぽりと収まってしまう。背中のあたりまで伸びた髪がさらさらして気持ちいい。
 フユちゃんはいま会社員だ。アメリカのビットプレックスというIT企業に所属していて、ネットで遠距離労働をしているらしい。汎用なんとかかんとか知能、というのの開発チームにいるらしいけど、詳しいことは分からないので辞書に聞いてほしい。とにかく、わたしのようなビミョーな生産者と違った「本物」だ。
「アメリカの会社って、時差とかあるんじゃないの?」
 とわたしが聞くと、
「うん。でもビデオ会議が時々あるだけだから、希望した勤務時間にあわせてチームも組まれてるの。中国とかオーストラリアの人が多いよ」
「そうなんだー。生活リズムが崩壊してないかって心配してたよ」
「してるよー」
 とフユちゃんが笑ってわたしも笑う。
 フユちゃんは同世代の消費者と同じようなワンピースを着ている。
 わたしを含めた大多数の生産者は、そのステイタスを表すために普段からビジネス・スーツを着ている。でもフユちゃんくらいになるとそんな必要は感じないのだろう、消費者の基本金でも買えそうなファッションで固めている。お店の雰囲気からすると若干ミスマッチとさえ思える。
 中学高校が同じわたし達には、もちろん共通の友達はいっぱいいるけど、みんな消費者だ。働いているのはわたしとフユちゃんだけだ。そして結婚していないのもわたしとフユちゃんだけだ。
 わたし達が仕事の話をして、ほかの友達が家庭と育児の話をしているうちに、ちょっとずつ人生の方向性がズレていって、会話が少しずつ噛み合わなくなってしまった。
 というわけで、年をとるのに比例してフユちゃんと二人きりで会うことが増えた。
 たぶん昔の友人たちはわたしとフユちゃんを見て、女の生産者はやっぱり結婚に差し障りがあるんだよ、といった話をしているんだろう。その様子はありありと想像できる。
 仕事をしているから結婚できないのか、結婚できないから仕事をしているのか。その因果関係は永遠の謎だ。解明しないほうがいい気もする。だからわたし達は女二人で仕事の話ばかりしている。

 フユちゃんの今の仕事は、学習データをいかに減らすか、という研究らしい。
 つまり、今までは機械に特定の仕事をさせるために、膨大な量のデータ(たとえば世界中に設置された防犯カメラの映像)を入力して学習させていた訳だけど、世界的にどんどんデータを使えなくする法律が増えているので、いかに少ないデータで機械に仕事を覚えさせるか、というのが問題になっているそうだ。
「たとえば将棋のプログラムを作るとき、人間のプロ棋士と互角にするには、何万、何億も棋譜を自動生成して、それを解析して学習させるの。でもプロ棋士が指した将棋って1万局もないでしょ? それだけの経験でコンピュータと互角っていうのが、実はすごい事なの」
 言われてみるとたしかに。
 機械と人間のどっちがすごいかと言われたら機械に決まってる、と思っていたけど、少なくともわたし達の世代の人はみんなそう思ってるはずだけど、そう言われると「人間の可能性」みたいなものが感じられて、ちょっとうれしい。
「だから会社ではいま、そういう少ない経験で優れた知能を開発する方法を研究しているの」
 とフユちゃんは続ける。
 たったいま人間がすごいと思ったところなのに、フユちゃんは機械のほうをそれくらいすごくしちゃうつもりらしい。
 という気もするし、そんなものを作ろうとしているフユちゃんはやっぱりもっとすごい気がする。
「やっぱり年々使えるデータが少なくなっちゃってるんだよ。プライバシー関連の国際条約とか、最近どんどん増えてるから」
「知ってるよ。スノーデン条約ってやつでしょ?」
 とわたしは仕事上覚えた知識を披露する。
「あ、知ってるの? すごいねー」
「うん。実は今ちょうどその仕事を扱ってて」
 と、わたしの今の仕事についても説明する。日々防犯カメラに映ることでデータ解析の妨害をする仕事、を仲介する仕事。あれ、という事はわたしとフユちゃんの仕事は敵対する形になるんだろうか? いや、フユちゃんの仕事の必要性を生み出してるのかな? でも、こっちの手段があまりにみみっちいので、比較するのも恥ずかしい気がする。
「県庁のことは残念だったよね」
 と、フユちゃんがわたしの前職の話をする。
「うん。もう終わった事だけどさあ、あれはやっぱり理不尽だよ」
「理不尽だよねー。なんでよりによって担当台数の少ないナッちゃんに当たるのかなあ」
「まあ、でもタイミングよく次の職が見つかったから良かったんだけどね」
 とわたしは言う。見つからなければわたしは消費者となり、家族のもとに引き戻されていた可能性がかなり高い。
 そう考えると大塚さんの存在には感謝すべきなのだろうが、あの人と「感謝」という単語がどうもマッチしない。
 そうそう、大塚さんのこと、現在のわたしの職場におけるあの偏屈な上司の話は、いまフユちゃんとの話題における鉄板のネタなのである。大体なんの話をしても、
「本当にそんな人がいるの?」
 とフユちゃんは驚く。
「本当。最初に会ったときに、認証カードの使い方が分からんから教えてくれ、って言ってた」
「お爺さんなの?」
「ううん。歳よくわかんないけど多分30代」
「それって演技なんじゃないの? 何かの理由で......たとえばナッちゃんを雇いたいとかで、わざと機械使えないフリをしてるとか」
「ないよ。だって共通の知り合いがいたから紹介してもらっただけだもん」
 とわたしは反射的に答えたが、理由は別として演技という可能性はある。なんたって猫を所長にするような変人である。どんな偏屈な理由があっても驚かない。
 わたしは単に職場が欲しいだけなので、別に大塚さんがわたしを騙していても不都合はないのだけれど。
 それから先月来た「職安狩り」と、彼らが所長の食料を食べてしまった話をする。けっこう危険な目にあったわけだし、消費者デモが真剣に行われていることを考えるとあまり笑えない話なんだけど、こういうお店でフユちゃんと話しているともう笑い話になってしまう。わたしとフユちゃんはちょっとお店の雰囲気に似合わないくらいゲラゲラと笑う。
 それからわたしがトイレに立つと、男性用のほうから背の高い短髪の筋肉質の見覚えのある男性が出てきた。
「あっ」
「えっ」
 と、お互いに思わずちょっと声を出してしまった。さっき職安に来ていた依頼人の男性だった。わたしは黙ってぺこりと頭を下げる。相手も頭を下げる。
 すごく気まずい。
 べつに何も問題のあることはしていないのだけれど、仕事で会った人とプライベートでまた会うっていうのはなんか嫌。
(第4回へつづく)

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柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

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