双葉社web文芸マガジン[カラフル]

未来職安 / 柞刈湯葉・著

イラスト/座二郎

第2回

1章 未来職安


 時計がなくても朝は来る。でも時計を見るまで信じない。わたし達が生きているのは大体そういう世界だ。だから赤いアラートを見れば、それが何かを理解するより先に、何かしらの危険が迫ってきてるとわたしは信じてしまう。
「なんで危険だと分かるんだ?」
「予報が出てますし」
「それが出るとヤバイのか」
「はい。ヤバイのです」
 といってわたしがモニターをくるっと回して大塚さんに向ける。
 赤いアラートの脇に過去のニュースが表示されている。去年の日付だ。タイトルに「職安経営者、殴られ重傷 東京都足立区」とある。首都圏でそういう事件が何度かあって、逮捕された彼らがプロファイリングされたので、同様の性向を持った人たちが職安に近づいてくると、そういう警告が出るようなシステムになっているはず。
「ああ、あったなあ、そんな事件」
 と大塚さんが他人ごとのように言う。たしかにわたしも、東京や大阪ならともかく、こんな地方都市でそんな事は起きないだろうと思っていた。3分前まで。
 ドアの前にはカメラがついていて、こちらから外の様子を一方的に見ることができる。廊下にいるのは3人の男。みんな黒いTシャツを着ている。胸元になにか文字が書いてあるみたいだけれど、カメラの角度では判別できない。
 ドアカメラにはマイクもついているので、外の音を拾うことができる。
「反応ないぞ。こっちの呼び鈴を押してみるか」
「そ、そんな行儀よく入っていいんですか」
「知らねえ」
 そんな会話をしている。下の消費者デモに乗じてやってきた職安狩りのようだった。
 消費者デモはだいたい消費者の権利拡大を要求するもので、それ自体は平和的なんだけど、中には生産者を殴ったりする連中もいるらしい。とりわけ生産者を生産する機能をもつ職安は、こういう連中のターゲットになりやすい。
「メーターが動いてるから中に人はいるんだろ」
「こ、この旧型ドアなら、このパッチで手動に切り替わりますよ。こないだ動画で見ました」
 といった会話が聞こえてくる。3人のうちひとりが端末を取り出し、ドア脇にあるパネルを外しにかかる。わたしの腕時計に「脈拍数が急上昇」を示すアイコンが表示される。それはさすがに時計を見なくても分かる。
「おい目白。ドアをいじられちゃ困るから、開けて話を聞こう」
 と大塚さんが言い出すので、
「やめて下さい。赤いアラートが出てるのは本当にやばい時です。ほら、この人とか武器持ってますし」
 とわたしは悲痛な声をあげながらディスプレイを指す。真ん中のひとりが50センチほどの電棒を持っている。たぶんネットで売ってる一番安いやつだ。この手の道具は安物のほうがかえって不安になる。
「うーむ。1対1なら問題ないんだがな」
 と大塚さんは事態の深刻さを別方向に理解したらしく、指をぽきぽき鳴らす。
「K-bean はないんですか?」
「こんな古ビルに警備ロボがいるわけがないだろう。とりあえず県警呼ぶか」
「もう呼びましたよ。公用品なので20分くらいかかると思いますが」
「しかもこの道路状況じゃな」
 といって大塚さんは窓の下を見やる。
 消費者による市民デモは頻繁にある。たいていは平和的なのだが、たまに感情を昂ぶらせた参加者が暴力行為に及ぶという事もある。なにしろ消費者は犯罪によって失うものが少ない。住居が自宅から刑務所になるくらいだ。だから職業に代わる人間のつながりを構築しよう、ということを国をあげてやっている。家族とか。家族とか。
 そうこうしているうちに、外の3人組はドア横のパネルを外し、小柄なひとりが何やらケーブルを引っ張り出して色々とコマンドを打ちこんでいる。映画に出てくるハッカーみたいに、わざとらしく音を立ててキーを叩く。消費者のくせにどこでそんなスキルを覚えたのだろう。それでも職がないのが現代社会。
「ちっ、しゃーないな。一旦逃げるか」
 と大塚さんは立ち上がり、給湯室の裏にある非常口に向かったのでわたしはホッとした。機械嫌いの彼だから、アラートなんて信用せずにドアを開けてしまう可能性をちょっと心配していた。
 非常口を開けて螺旋階段に出た。隣のビルが目の前にあり、大通りには面していないので外のデモの様子はほとんど見えないが、「行政は市民の労働の保証を」とか「人の仕事を返せ」とかいったシュプレヒコールが聞こえてくる。「辞任しろー」なんてのも聞こえる。その言葉を聞くとちょっと胸がキリッとなる。 
「下のデモにも仲間がいるかもしれんから、上だな」
 と大塚さんは階段をコツコツと登る。わたしもバッグを持ってそれについて行く。ヒールで金属階段を歩くのは結構しんどい。そもそも階段じたい大人になってから使う機会があまり無い気がする。あまり音を立ててはいけない、と思うと余計にしんどい。
 5階は入居者はなく空室になっている。当然鍵がかかっている……と思ったのだが、大塚さんが胸ポケットに入れていたボールペンの金具でドアをガチャガチャといじると、数十秒ほどであっさりと開いた。
「なんで開くんですか?」
「非常口はアナログ施錠だからな。このビルは古いんだよ」
 説明になっていない気がするが、とにかく上の部屋に避難する。間取りはうちの職安と一緒だが、ずっと空室だったらしく、ちょっとカビの臭いがする。
「下の様子分かるか?」
「今出しますね」
 わたしはささやき声で話しながら携帯を開く。下の電波がここまで届いてくるので、職安内のカメラの映像にアクセスできる。大塚さんが床にしゃがんでそれを覗き込む。髪のワックスの匂いがする。ベジタリアンだからなのか、この人はあまり人間的な匂いがしない。
 ちょうどドアのセキュリティを破ったらしく、重い自動ドアを両手でガラガラと開けて3人が入ってきた。
「こっちも開いちゃってますね」
「開かないものをドアとは呼ばないからな」
 大塚さんが無駄口を言う間に3人は部屋に入り込んだ。電棒を持ったひとりが勝手にソファに乱暴に座り込み、
「おっ、いいソファだ。やっぱり高級品だな」
 と言う。
 大・中・小といった感じの身長差のある三人組だった。黒字のTシャツには3人それぞれ違う文字がプリントされている。大きい方から順に、
<生産者増税> <基本金UP> <格差是正>
 とある。ドアを開けたのは小さい <格差是正> のようだ。Tシャツの黒さのせいか、3人ともやたら顔色が白く見える。彼らは部屋を見回して誰もいないことを確認すると、互いに顔を見合わせて、このあとどうすればいいか迷っているらしかった。
 リーダー格らしい <基本金UP> はソファに座ったままで、<格差是正> がわたしのデスクのモニターやキーボードをじろじろと見ている。多分、赤いアラートが画面に表示されたままになっているはずだ。
「に、逃げられたみたいですね」
 と小さな <格差是正> がつぶやく。<生産者増税> がチッと舌打ちをして、アルミ棚を勝手に開ける。
「なんだこれ。食い物か」
 中から取り出したのは所長の猫缶である。猫の写真がプリントされている。
「おい、あいつら猫の肉を食ってるっぽいぞ」
「猫って食えんの? 聞いたことねえぞ」
「高級食材なんだろ。生産者だし」
 と後ろで <基本金UP> と話しながら <生産者増税> はプルタブを引いてフタを開け、指をつっこんで一口食べた。
「うまいか?」
「薄い」
「やっぱ金持ち向けって塩分とか気にすんだろうな。おれにも1個くれ」
 というので <生産者増税> が猫缶を1個 <基本金UP> に投げて渡す。あー勿体無い。あれ高いのに。
「あれは社会貢献がしたいタイプだな」
 と大塚さんは言う。
「はあ」
「職安に来るやつは主に3タイプいるんだよ。金がほしいやつ、退屈してるやつ、そして、社会貢献がしたいやつだ。あいつらは多分、一日中家にこもってて、ネットで生産者の存在が貧困の原因だというのを読んだんだろう。それで正義感で押しかけてきたものの、相手が不在なので何をやっていいか分からないんだ」
 とニヤニヤしながら言う。あれも「職安に来るやつ」にカウントしてしまうのが大塚さんの鷹揚さである。これがキリスト教育ちの人間愛というものなんだろうか。
 職安の存在を糾弾しているネット記事はわたしもよく見る。1%の生産者が富を独占し消費者が生活に苦しんでいるのだから、その生産者を生み出す職安こそが真の邪悪である、といった事を書いてるブログがわりと人気を集めていて、そういうのに触発される若者が結構いるんだけど、実力行使(かどうか微妙だけど)に出る人までいるとは困ったものだ。
「ドロボーするのが社会貢献なんですか」
「悪のアジトで暴れてダメージを与えるのは、まあまあ分かりやすい社会貢献だ」
「紛争地帯に就職先があるんじゃないですか。中東とかアフリカとか」
 とわたしは先程インド送りになった青年を思い出しながら言う。
「いまどき戦争は専門家と無人機がやるもんだよ。素人の日本人が行っても人質にしかならん」
 と大塚さんは言ってから、
「……待てよ、人質となる人材を派遣するビジネスってのはあるかもしれんな。あれも機械には代替できない仕事だ」
 と言って手で変なジェスチャをしはじめた。考え事をするときの彼の癖だ。さっきの「キリスト教育ちの人間愛」は撤回したい。さすがにほかのキリスト教徒に失礼。
「これって本か?」
 と言って <生産者増税> が猫缶の隣にあるファイルボックスを漁る。大塚さんが機械オンチなので、この事務所では大量の紙の書類が発生している。
「本じゃないだろ。ファイルだ」
「あ、アイコンでよく見ますね」
 といって中を勝手にパラパラと見てはボックスに戻している。個人情報だからあまり見ないでほしいのだが、<生産者増税> は録画機の類は目につけていないようだった。そんなものをつける消費者はそうそういない。
「あっ。あいつ順番変えてやがる」
 と大塚さんが少し怒った声で言う。順番に意味があるんだ。事務員なのに知らなかった。紙のファイルなんてものでどうやって書類を管理するのか不思議だったけど、順番があると考えれば少しは納得が行く。
 そんな感じで部屋の中をごそごそと物色すること数分。部屋の床にどんどんいろいろなものが散らばっていく。大塚さんもさすがにイライラしはじめたらしく、
「県警はまだ来ないのか」
「デモで手一杯なのかもしれませんね。デモのときってあちこちに K-bean を配備するでしょうし」
「臨時で数を増やせないのが機械の難点だな。余計に生産して抱えておくのはコストがかかる。人だったらバイトを雇えばいい」
 そういうものかなあ、でも人間だってスタンバイさせておくにはコストがかかるし、それがまさに月々の基本金なわけだけど……とそこまで考えて、基本金を人間のコストと考えるのはちょっと不謹慎な気がした。
 そのとき、
「猫がいるぞー」
 と下の部屋で <生産者増税> が叫ぶ。
「あっ、所長」
 とわたしが声を漏らす。どうやら所長は暴徒たちの闖入をものともせずに大塚さんの机の下で寝ていたらしい。さすがの貫禄。所長を名乗るだけはある。名乗ってはいないか。
「おっ。ちょっと端末につなげ。何か情報抜いとこうぜ」
 と <基本金UP> が言い、
「わかりました。ええと、どこのメーカーだろう?」
 と言って <格差是正> が所長を乱暴につかみあげると、
「ぎゃーっ!」
 と悲鳴が響いて、マイクを介さず直接5階まで伝わってくる。一瞬遅れてマイクが音声を伝える。
 所長が <格差是正> に噛みついたのだ。生猫なので慣れない人が来ると結構噛む。わたしも働き始めた頃に2回噛まれた。そんなに痛くはないけど、ネコッポイドだと思っている人からすれば相当びっくりする。
「違法改造品だ!」
 と <基本金UP> が言い、その瞬間に「シャーッ!」と所長が威嚇するような甲高い声をあげた。
「逃げろ! 自爆するぞ!」
 と叫び(どこの映画の知識だ)、3人が慌てて出口に向かってダッシュするが、さっき自分たちが自動ドアを止めたせいでドアは閉じたままで、三人揃ってドアにごんとぶつかる。わたしがクスッと笑う。
「漫才師がいいかもしれん。人間の天然感を求めてる客は結構多いからな。ただ三人組はちょっと成功例が少ないな。よーし」
 と大塚さんがぽんと手を叩いて、すっと立ち上がって、給湯室のむこうの非常口に向かう。
「どこ行くんですか?」
「さっきも言ったろ、職安稼業はタイミングが大事なんだよ。お前もついてきてくれ」
「あ、はい」
 と言って大塚さんはまた螺旋階段を降りて下に向かう。赤いアラートに恐れて尻込みしていたけれど、さっきからの3人組の行動を見ていると確かに恐怖心が失せてしまった。

 散らかった職安に大塚さんがずかずかと現れる。ヤクザみたいに肩をいからせて、この部屋の所有者は自分だ、という感じをいっぱいに出している。所長は猫だけど。
「おいおいおいおいお前たち、大変な事をしてくれたな」
 と大げさに「おい」をリピートしながらドアの近くにいる三人に言う。
「あ? 誰だよてめーは」
 と大柄な <生産者増税> が威圧するように大塚さんを見る。大塚さんは彼をちらりと見て、
「さっきからカメラで見てたんだが、お前じゃない、えーっと、お前だな」
 と言って <格差是正> を指す。
「え、ぼくですか? はい」
「ボサっとしてる場合じゃない。生猫に噛まれたらさっさと病院に行け。知らないのか?」
「えっ? な、何をですか?」
 なぜか敬語を使う <格差是正> くん。電棒を持った <基本金UP> もぎょっとした顔をする。さっき違法改造とか自爆とか口走ってしまったのが生猫だと分かって、言葉を失っているようだった。そこへたたみかけるように大塚さんが言う。
「目白ー。救急車呼んでくれー。」
「え? はい」
 と返事して、わたしは自分の端末から緊急サイトに連絡する。
「道路が混んでるので、到着まで30分かかるそうです」
「おいおいおいおいおいおい、間に合わないだろ。市民病院まで歩いて行った方が早いな。場所は分かるか?」
 と言うが、<格差是正> くんは状況がつかめずに「えっ、あっ」とオロオロしている。大塚さんは自分のデスクからプリントされた地図を引っ張り出して、
「ほら、ここだ。オセアニアシビレネコに噛まれたって受付機に言えば通じる。オセアニアシビレネコだ。覚えたか? 言え」
「オ、オセアニアシビレネコ」
 なにその品種名。ちなみに所長はスコティッシュ・フォールドである。ちょうど地球の逆側だ。
「早く行け。その歳で機械義手になりたくないだろ。保険医療で済めば無料だ」
「き、機械ですか」
「ほらお前もついて行ってやれ。いいか、病院行く途中にそいつの手が動かなくなる可能性があるから、そのときはここに連絡しろ」
「あ? え? ああ」
 大塚さんは電棒を持った <基本金UP> を指す。(玄関が壊れているので)非常口へ二人を手招きする。二人はハーメルンの笛吹き男に招かれたように、非常口からホイホイと出ていってしまう。
 ああ、完全に大塚さんのペースだ。
 どういうわけか「職安狩り」目的で入り込んできたはずの二人が、大塚さんの言うことにホイホイと従って出ていってしまった。あまりに可哀想なので「わたしも同行しましょうか」と一瞬言いそうになって止める。遺伝病遺伝病、と頭の中でつぶやく。
 部屋には <生産者増税> が残った。
「さてと、1対1なら問題ないぞ」
 と大塚さんは指をぱきぱきと鳴らす。

 そこから色々あって、色々の内容はちょっと他人に言うのが憚られるのだけれど、<生産者増税> くんの大きな身体が360度くるりと回転したにも拘らず彼自身にも職安の設備にもなんのダメージもなかった、という事だけは明記しておきたい。上手い人が投げると痛くない、ってテレビの柔道番組で見た気がする。
「まあつまり君らはアレだな」
 と大塚さんがソファに座って言う。向かいのソファには <生産者増税> くんが座っている。
「こう人間の仕事がないのであれば、少ない仕事をみんなで分け合って、みんなで賃金をちょっとずつもらって生きていけばいい。にも拘らずおれ達職安が少数の生産者に独占的に仕事を振り割って、そいつらからマージンをせしめてるせいで、他の99%が貧しい消費者に甘んじることになる、てなことを言いたいわけだ」
「けっ」
 と <生産者増税> くんは親に叱られている反抗期の子供のような顔をした。大柄だけど顔は幼いし、まだ10代なんじゃないだろうか。
「そこでだ。当所としては君にこういう仕事を紹介したい」
 怪訝そうな顔をする <生産者増税> くんを尻目に、大塚さんは立ち上がってアルミ棚をあさりはじめた。
「……あれ、無いぞ。くそっ、順番違うじゃねーか。おい、目白、オンブズマン組合のデータ出して」
「はいはい」
 そう言ってわたしは自分の端末から書類データの検索をかける。年代物のプリンターがガタガタと音をたてて紙を吐き出したので <生産者増税> くんがギョッとする。そりゃそうか、プリンターなんて今時ほとんどない。
 プリントされたての温かい紙には、生産者オンブズマン組合、ということが書かれている。
「なんだ、ですか、これは」
 と <生産者増税> くんは妙な敬語で言う。人間は一回転させられると敬語を覚えるらしい。
「いまどき人間の職を維持するのにも色々な税金が使われるからな。一番わかり易いのが公務員だが、民間にも色々ある。そういうわけで、本来職業にする必要のないところに無理に職をつくって、税金が投入されてないかを調べる外部機関だよ。年々そういうのが問題化されてるから、仕事も増えてるって話だ」
 と大塚さんが言うと、もと県庁職員であるわたしはちょっと嫌なことを思い出す。大塚さんはわたしの方に一瞬だけ目をやって、それから <生産者増税> くんに向き直る。
「ま、色々面倒な仕事もあるだろうが、君たちのように生産者の不正を打倒したいやつらにはぴったりの組織だよ。この連絡先に行ってみろ。大塚晴彦の紹介だと言えば話は通る」
 と言ってプリントされた紙を渡すと、<生産者増税> くんは黙ってそれを受け取って、すごすごと非常階段から降りていった。
 所長が甲高い声で「けけけっ」と鳴く。本日二度目の「これにて一件落着!」である。
「……あれ、契約書結びませんでしたけど、いいんですか? 仲介料とかは」
「そりゃそうだろ。仕事があると言ったけど、賃金労働じゃない。ボランティアだ」
「えっ」
「言ったろ、あいつらは社会貢献がしたいタイプなんだと。金は発生しなくてもいいんだ」
「でも、それじゃうちの利益がないじゃないですか」
 と言うと大塚さんはちょっと首をかしげて、
「そういえばそうだな。まあ、いいだろ別に。それより片付けるぞ」
 と、食べかけの猫缶のひとつは所長の前に置き、もうひとつはラップをして冷蔵庫に入れた。それから床に散らばった書類を、ひとつひとつ内容を見て箱に入れていく。
 ドアは押しても引いてもビクともしなかった。セキュリティロックではなく、物理的に歪んでしまっているらしかった。3人もの男が体当たりしたせいだ。どうしたものか、と頭を抱えていると、
「県警です。通報を受けて来ました」
 という声が外から聞こえる。
「あ、ご苦労様です」
 とわたしは公用品の警察に向かって声をかける。呼んだこと自体をすっかり忘れていた。
「あの、もしよろしければ、ドアを開けていただけないでしょうか」
「令状がないと家宅捜査はできません」
「ええと、ここはわたし達の職場なのですが、ちょっとドアが歪んでしまいまして」
「令状がないと家宅捜査はできません」
「あ、それじゃ、もう大丈夫です。帰っていいです」
「帰ります」
 と言って警察はすごすごと帰っていった。それからデスクまわりと片付けると、
「自分のスペースが終わったら今日はもう上がっていいぞ」
 と大塚さんは言った。彼はまだ書類を並べなおしているようだった。
「はい。お言葉に甘えます」
 とわたしがバッグを持つと、
「その格好で大丈夫か?」
 と言う。言われてみるとたしかに、今しがた職安狩りに遭ったばかりで消費者デモに降りていくのは少し危険だ。ネットで一番安い服を注文すると、十分後に窓から渡し鳥が紙袋を持って現れた。カードをタッチして支払いをして紙袋を開いて、給湯室のカーテンを閉めて着替える。倉庫に何十年眠っていたのかというダサいシャツだけど、寝間着にでも使えばいい。
 ビジネススーツを紙袋に入れて、非常口を出て螺旋階段を今度は下に降りていく。ビルの玄関で別の黒Tシャツを着た男たちが構えている。さっきの3人組の仲間らしい。
「ここの職安はどうしたんだっけ? 報告がないが」
「サトウたちが行ってるはずですけど、逃げられた、とか言ってました」
「顔は分かるか?」
「サトウの報告では、メジロという女がいるそうなので、いま Skynote で探してます。市内在住のメジロは27人ですが、年齢的に合うのは……」
 と言って、まったく知らないメジロケイコさんという方のアカウントを調べている。その脇をわたしは通り抜ける。何度も言うけどわたしは目黒です。
 自宅に向かって歩いていくとようやくデモの端に来て、道路に車がちらほら見える。一台の車を何人もの消費者たちが囲んでいるのが見える。自動車は人が立っている方向には進めないので、こう囲まれてしまっては立ち往生だ。中にはスーツを着た東南アジア系の男性がひとり乗っている。おそらく会社員だろう。
「おい、出てこいコラァ!」
「気取ってんじゃねえぞ!」
 と中年男が車の中に怒鳴りつけている。会社員は怯えた目で車載カメラを指すが、相手は動じる様子もない。車のドアロックはしっかりしているので、
「おーい、サツ来たぞ、逃げろー」
 と誰かが叫ぶと、車を囲んでいた消費者たちは蜘蛛の子をちらしたように逃げていく。会社員はホッとした顔をして、車はデモと反対方向に消えていく。背後から警察が現れる。さっき職安に来たのとは違う機体なんだろうけど、もちろん区別はつかない。ヒョウタンに似た愛らしいフォルムだ。
 県警があの形状になったのは5年くらい前で、最初はあの可愛いのが町の悪者に恐れられているのがひどくシュールに思えたけど、最近はもうすっかり慣れた。人類はカワイイに勝てない、というのはわりと納得の行く現実だ。
 それ以前はなんかSF映画に出てくるロボット兵みたいなおどろおどろしいデザインだった。その前は人間だったらしい。わたしが生まれる前の話だ。人間の警察が法律を破らずに捜査なんてできるんだろうか。

 家に着いたのは18時。夏場なのでまだ外は明るい。冷蔵庫の中身を適当に切って茹でて夕飯をつくって食べる。テレビを見ると、昼間の消費者デモの様子は地方ニュースで小さく報道された。「毎年恒例の夏祭り」みたいなかんじに。職安狩りのほうは、とくに殴られた人もいなかったし(というか加害の量という意味ではどう考えてもこっちが多い)、メインストリームの方では何も報道されていなかった。投稿欄のほうまで見る気はしなかった。
 疲れのせいで早い時間にぐっすり眠った。カーテンを閉め忘れたので、外の明るさで勝手に目を覚ました。「朝日とともに目が覚めた」なんてステキっぽい事をするのは何年ぶりだろう。
 いつもの朝支度をこなして、余裕を持って外に出た。デモの通った後はあちこちにゴミが散らかっていたけれど、ボランティアの方々がそれを拾って回っていた。このあたりは市指定の自動清掃禁止区域なので、掃除は人がやる。
 エレベーターで古ビルの4階に昇ると、職安のドアは開けっ放しになっていた。
「昨日の夜なんとか開けたんだが、今度は閉まらなくなった。まあ、開かないよりはマシだろう。客が来ないしな」
 と、めずらしく早く来ていた大塚さんは言った。カメラはあるので防犯はできるのだが、さすがにこう開放的では色々と不安になるのだろう。わたしも不安になる。
「直るんですか?」
「ビルの管理者に連絡したから、午後に業者が来る」
「弁償してもらえるんですか」
「やつらにそんな支払い能力があると思うか?」
 と大塚さんが言う。とりあえずわたしは自動ドアの価格をネットで調べて、今月分の会計に入力する。昨日来たインド青年の件も含めて、今月の利益がいくら出るかを概算してからため息をつく。
「働くって大変ですね」
(第3回へつづく)

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柞刈 湯葉Yuba Isukari

福島県出身。大学勤務の研究者。2016年『横浜駅SF』(カドカワBOOKS)で小説家デビュー。既刊に『重力アルケミック』(星海社FICTIONS)など。

個人サイト http://yubais.net/

Twitter @yubais

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